温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2018年04月06日

機械は機械


 アメリカで、自動運転のクルマが、人身事故を起こしたというニュースがありました。
 この場合、責任はドライバーにあるのか、メーカーなのか?
 今後、議論されることでしょう。

 インターネットやスマホが普及したときもそうでした。
 人間が作ったものなのに、人知を超えたトラブルが起こると、そこで初めて人間はあわてるのです。
 こうなることは予想がついていたはずなのに、法の整備は、いつも後手にまわされます。


 これは勝手な意見ですが、機械ギライの僕にしてみれば、「ドライバーが悪いのに決まっているじゃないか」 と単純に考えてしまいます。
 だって、このドライバーは機械を過信して、スマホに夢中になっていて、前方を見ていなかったというじゃありませんか!
 これじゃ、話になりませんって。
 自動運転は、あくまでも保険であって、有視界走行するのが基本だと思うのです。

 ま、技術的な難しいことは分からないので、この話は、ここまでにします。


 で、このニュースを聞いたときに、僕は数年前の出来事を思い出しました。
 当時、僕は新聞に毎週、連載記事を書いていました。
 そして、ある日のこと。
 突然、前触れもなく、愛用していたパソコンが壊れたのであります。
 締め切りは、迫っています。
 なのに、原稿を書くことも、メールで送ることもできません。
 僕は、あわてて、新聞社に電話を入れました。
 すると担当者は、こう言ったのです。

 「では、手書き原稿でいいですから、ファックスで送ってください」

 「えっ、それで、いいんですか! ありがとうございます。すぐに送ります」
 そう応えると担当者は、さらに、こんなことを言いました。
 「もしファックスが壊れていたら、また連絡ください。原稿を取りに伺いますから」

 なんて素敵なトークなんでしょうか!
 編集者の鑑のような人であります。

 このとき僕は、一生この仕事を続けようと決意しました。


 そうなのです。
 パソコンなんて、所詮、道具(機械) に過ぎないのです。
 文章を考えるのは、人間なのです。

 パソコンがなければ、手で書く。
 ファックスがなければ、届ける(または取りに来てもらう)。

 どんなに世の中が進歩しても、その世の中を作っているのは人間なのですから……
   


Posted by 小暮 淳 at 13:51Comments(0)つれづれ

2018年04月04日

伊香保はどんな所です?


 <伊香保はどんな所です?>

 この言葉は、昨年5月に出版した拙著 『金銀名湯 伊香保温泉』(上毛新聞社) の 「あとがき」 のタイトルです。
 本の帯コピーにもなりました。

 そもそも、これは郷土の詩人・萩原朔太郎の言葉です。
 大正8(1919)年 に発行された 『伊香保みやげ』 という随筆集に、こんな一文を寄せています。

 <私の郷里は前橋であるから、自然子供の時から、伊香保へは度々行つて居る。で 「伊香保はどんな所です」 といふやうな質問を皆から受けるが、どうもかうした質問に対してはつきりした答をすることはむづかしい。> (『石段上りの街』より)

 同じく前橋に生まれ育った僕にとっても、朔太郎同様、伊香保温泉は子どもの頃から慣れ親しんだ温泉なので、答えに窮するのであります。
 だから1年間、伊香保に通い、本を書き上げたのですが、それでもまだ答えには窮しています。
 それは伊香保温泉が、日々成長し、進化している温泉地だからです。


 昨日、久しぶりに伊香保温泉を訪ねて来ました。
 雑誌の取材のためです。
 客が来る前にということで、早朝より 「伊香保露天風呂」 と 「石段の湯」 を訪ね、撮影を済ませました。
 その後、渋川伊香保温泉観光協会にて、協会長の大森隆博さんと面談。
 インタビュー取材をしてきました。

 なんといっても話題は、今月、伊香保に開山する寺院です。
 ご存知でしたか?
 水沢観音から温泉街へ抜ける県道の途中に、大きなお寺が建設中であることを。

 正式名を 「臨済宗佛光山法水寺」 といいます。
 総本山は台湾の 「佛光山寺」 で、法水寺は日本の本山として設立されました。
 佛光山は、東京や山梨、大阪など日本各地に複数の寺院や道場があり、信者の数は500万人以上いるといわれています。


 「伊香保はインバウンド(外国人観光客) では、かなり後発の温泉地です。年間訪れる観光客約100万人のうち、外国人はわずか1%に過ぎません。町は、今後の対応に追われています」
 と、会長は話していました。

 言葉の問題、食事の問題、マナーの問題……
 各旅館の経営者を集めて、迎える準備のための勉強会を開いているといいます。


 伊香保はどんな所です?

 朔太郎が見ていた伊香保温泉とは、だいぶ様変わりするかもしれませんね。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:52Comments(0)温泉地・旅館

2018年04月02日

シロバナタンポポとモンキチョウ


 何日か前、新聞に <環境の変化でしょうか。今年はシロバナタンポポを見かけません。> という読者の投稿文が載っていました。
 えっ、本当かな?

 ここに越してきた25年前に比べれば、我が家のまわりにはスーパーやコンビニ、住宅も増え、だいぶ風景が変わりましたが、それでもまだ田んぼや畑や野原が広がっています。
 クルマ嫌いの僕は、ヒマさえあれば自転車に乗って、ご近所を回っているので、どこにどんな花が咲くのか熟知しています。

 我が家の西、川を渡った先に、田んぼが広がっています。
 その一角、道の端の土手一面が真っ白になるシロバナタンポポの群生地があります。

 そういえば、今年はまだ、あのあぜ道を通ってなかったな……

 さっさく自転車に飛び乗って、ひとっ走り行ってきました。


 あった! 今年も咲いているじゃないか!!
 でも待てよ、なんかいつもと雰囲気が違うぞ!

 そう、一面の白ではないのです。
 ところどころ、黄色が混ざっています。
 セイヨウタンポポです。

 ヨーロッパ原産の多年草。
 明治時代に北海道で野菜として栽培されていたものが逃げ出したといわれています。
 どこにでも、ふつうに見られる外来種のタンポポです。

 一方、シロバナタンポポは、西日本で多く見られるタンポポです。
 名前のとおり、花が白いのが特徴。
 他のタンポポに比べると、ちょっと弱々しい感じがするところが、僕は好きです。
 最近は、関東地方でも見られるようになりました。


 道端に自転車を止めて、しばらく眺めていると、若いお母さんに連れられた小さな女の子がやって来ました。
 手には、大きな網を持っています。

 「なにをとっているの?」
 「チョウチョ!」
 「へー、チョウチョがいるの。つかまえたの?」
 「うん!」
 「おじさんにも、みせてくれる?」
 ※(ま、その子の歳を考えると僕は、“おじさん” ではなく、完全に “おじいさん” なのですが、そのへんは臨機応変ということで…)

 カゴの中をのぞき込むと、黄色い羽のチョウチョがいました。

 「モンキチョウだね」
 「……」
 「これはモンキチョウっていうだよ。黄色いでしょ」
 「……」
 「白いのは、モンシロチョウっていうんだよ」
 「……」

 かたわらで、ツバの広い日よけの帽子をかぶったお母さんが微笑んでいました。

 「バイバーイ!」
 ふたたび僕が自転車を漕ぎ出すと、
 「バイバーイ、またねー!」
 女の子の声が、追いかけてきました。


 田んぼのあぜには、青いオオイヌノフグリや紅紫色のホトケノザが、じゅうたんを敷きつめたように咲き誇っています。
 川の土手では、黄色い菜の花が風に揺れています。
 水面を桜の花びらが流れて行きます。

 春爛漫です。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:58Comments(0)つれづれ

2018年04月01日

兄弟問答


 「人間は生きたように死んでいくんだ」
 「なんだい、それ?」
 「たぶん、有名な哲学者の言葉だったと思う」


 僕とアニキの介護生活も、ほぼ10年になります。
 オヤジは今年9月で94歳になります。
 オフクロは今年5月で91歳になります。
 オヤジは認知症を患っていて、オフクロは寝たきりの生活を送っています。

 アニキも僕も実家を出て所帯を持ったため、10年前までは両親だけで暮らしていました。
 現在は、ウィークデイはアニキが東京から来て、週末は僕が両親の介護をしています。
 そんな生活も、いよいよ正念場を迎えています。


 「やっぱり、2人は無理だな」
 アニキから今後のことで相談があるからと、呼び出されました。
 「オフクロは仕方ないとしても、オヤジは在宅で面倒を看るしかない」

 今年になってオフクロの老衰が悪化し、通常の食事ができなくなったために入院をさせました。
 現在、だいぶ容態は回復してきましたが、まだ在宅の許可は出ていません。
 先月、オヤジも食事を摂らなくなってしまったため、一旦は入院しましたが、すでに回復して実家にもどっています。

 「オヤジもオフクロも国民年金だからな。2人をいっぺんに施設に入れる余裕はないよ」
 「分かった。オヤジだけでも2人で看よう」
 「すまないが、協力してくれ」
 「ここに来て、人生のツケが回って来たっていうことか」


 僕は、なぜかこの時、童話の 「アリとキリギリス」 の話を思い出していたのです。
 オヤジは、若い頃から根っからの自由人でした。
 組織には属さず、唯我独尊で、思うがままに生きてきた人です。

 そんなオヤジに育てられたアニキも僕も、“カエルの子はカエル”。
 迷うことなく、フリーランスの道を選んで生きてきました。
 でも、老後のことまでは考えていなかった……

 それで、つい僕は、“ツケが回って来た” なんて言ってしまったのです。


 「オレは、そうは思わないよ」
 アニキは振り返ると、ちょっぴり険しい顔になり、僕に、こう問いかけました。
 「じゃあ、ジュンよ。今、あの灼熱のインドを歩けるか?」

 なんのことを言っているのかといえば、25年前に兄弟で、バックパッカーの旅をしたときのことを言っているのです。
 その前後もアニキはアメリカ大陸や東南アジアへ、僕は中国とベトナムを旅しました。
 もちろん2人とも、結婚はしていたし、子供もいました。
 それでも自由に世界を旅することができたのは、互いにフリーランスという生き方を選んだからにほかなりません。


 「だね。この歳になったら、無理だよ。体力的に不可能だ。気力もないかもしれない」
 「だろう。だから “金と時間” ができるのを待っていたら、できないことが人生には、たくさんあるんだ」
 「でも、オヤジは、それをしてきた」
 「そうさ、だから、ちっともツケなんて回ってきてはいないんだよ」


 人間は生きてきたように死んでいく

 オヤジは、僕らに生きざまを見せてくれたように、今、死にざまを見せようとしているのかもしれませんね。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:28Comments(0)つれづれ

2018年03月31日

大事なことは飲み屋で決まる③


 昔、僕が雑誌の編集長をしていた時の話です。
 編集会議の内容が、だいぶ煮詰まってきたときのこと。
 「よし、ここから先は、飲みながら決めよう!」
 突然の僕の言葉に、スタッフ全員、目がテンになっていました。

 「さ、行くぞ! 出かける用意して」
 「編集長、それって仕事ですか?」
 「当然だろう、会議は続いているんだ」
 「だったら、会議を終えてから飲みに出かけませんか?」

 「バカモ~ン! それじゃ、いい知恵が出ないだろう!!」

 ま、そんな具合で、昔から “苦しい時の酒頼み” と言って、たびたび 「お酒さま」 の力を借りては、アイデアをしぼり出して来たのであります。


 昨晩は、某紙の社長と編集長と、夕方から高崎の街を流しました。
 理由は、1つ。
 秘密裏に進めている、さる企画についての検討会議であります。

 そんな大切なことを飲み屋で?
 昔のスタッフの声が聞こえてきそうですが、昔も今も理由は変わりません。
 「お酒さま」 の力を借りて、最良のアイデアをしぼり出そうという魂胆であります。

 「乾杯!」
 「よろしくお願いします」
 「こちらこそ、お願いします」
 「さっそくでが、例の件ですが、いかがでしょうか?」
 「うちとしては、異論はありません。ぜひ、進めたいと思います」
 「ありがとうございます。となれば、今後のスケジュールですが……」

 生ビールから始まり、ワイン、日本酒へ。
 さらに河岸を替えて、地酒の専門店へ。

 飲めば飲むほどに頭は冴えて、饒舌になっていきます。
 まるで、酔えば酔うほど強くなる “酔拳” のよう。

 「では、これは小暮さんの還暦祝いのプレゼントということで」


 春の宵に酔いながら、ゆらゆらと電車に揺られる帰り道。
 “還暦” という文字が、ちらつきます。

 もう、還暦。
 まだ、還暦。

 でも、こうして酒を飲める仕事がある幸せ。
 まだまだ、夢を追い続けますぞ!

 酒が飲める限り…
    


Posted by 小暮 淳 at 16:53Comments(0)酔眼日記

2018年03月29日

やっぱ横綱でしょう!


 別に僕の手柄ではありませんが、そして草津温泉の知名度による結果だということも重々承知の上ではありますが、やっぱり、うれしいのであります。

 先日、インターネット接続大手のビッグローブ(東京都) が、同社運営の温泉検索サイトなどで投票を募った 『第10回みんなで選ぶ温泉大賞』 の温泉番付(都道府県ランキング) を発表しました。
 この番付で、群馬県が東日本エリアの最高位となる 「東の横綱」 に選ばれました。
 6年連続です。

 投票は2017年12月から18年2月まで実施され、「これまで訪れた中で良かった温泉地や温泉宿」 「その満足度」 について、検索サイトやアプリの利用者が投票し、2万7750票が集まりました。
 群馬県が 「東の横綱」 に選ばれた要因として、同社は 「人気の温泉地が多く、安定した得票だった」 とコメントしています。
 また、2位の「東の大関」に選ばれた北海道に、約1.6倍の得票差をつけての圧勝だったとのことです。

 ちなみに、東日本ランキングは以下のとおりです。
 横綱=群馬県、大関=北海道、関脇=神奈川県、小結=静岡県
 前頭=長野県、栃木県、宮城県、山形県、秋田県、福島県


 で、当然、「西の横綱」 は大分県と思いきや、これが兵庫県だったのであります。
 大関が大分県、関脇に岐阜県、小結は熊本県でした。
 さっするに、やはり有名温泉地を有している県が、圧倒的に有利だということですね。

 ま、いずれにせよ、群馬県が日本を代表する “おんせん県” であることには違いありません。

 「群馬といえば温泉」 から 「温泉といえば群馬」 へ

 微力ながら僕も、“湯の国ぐんま” を全国へPRしていきたいと思います。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:25Comments(0)温泉雑話

2018年03月28日

谷川温泉 「金盛館 せゝらぎ」②


 『わがゆくは山の窪なるひとつ路 冬日光りて氷りたる路』


 大正7(1918)年11月12日、歌人の若山牧水は上野駅を発ち、伊香保温泉~水上温泉(旧湯原の湯)~湯檜曽温泉とめぐり、16日から3日間、谷川温泉の金盛館に投宿しました。
 この奥利根を旅した紀行文は、大正10年にアルス社(大正6年創立・現存せず) から出版された 『靜かなる旅をゆきつゝ』 に収録されています。
 そのときに、湯檜曽温泉から谷川温泉に向かう途中で詠んだのが、冒頭の歌です。

 ちなみに大正11年に群馬を旅した 『みなかみ紀行』 では、牧水は水上には訪れていません。
 「みなかみ」 とは、川の上流との意味で書かれたようです。


 昨日は、僕が講師を務めるNHK文化センター野外温泉講座の平成29年度最終講座日でした。
 年度のファイナルを飾るのにふさわしく、ちょっとリッチに格式の高い老舗旅館を訪れました。

 群馬県利根郡みなかみ町の谷川温泉 「金盛館 せゝらぎ」。
 4代目主人の須藤温(みつる) さんは、僕を 「みなかみ温泉大使」 に任命してくださった前みなかみ町観光協会長ということもあり、一行を乗せたバスが旅館に着いたときは、協会職員らとともに盛大に出迎えてくれたのであります。

 「先生、大使って、すごいですね!」
 「熱烈歓迎ぶりじゃないですか!」

 ま、たまには、いいんじゃないですかね。
 受講生のみなさんも大喜びの様子だし、講師としては、ちょっぴり優越感を味わったのでありました。


 さてさて、宿に着いたら、まずは入浴です。
 4本の源泉から引かれた総湯量は、毎分約600リットル!
 これを一軒で利用しているのですから、贅沢です。
 しかも、33~58度の異なる源泉の湯を混合することにより、季節を通じて適温になるように調節されています。

 で、宿の自慢はなんといっても、河川敷の中にある野趣あふれる露天風呂であります。
 ここは混浴なので、時間をずらして男女で交互に入りました。

 残雪の間を流れる谷川の清流。
 手を伸ばせば届きそうな川瀬。
 まさに宿名どおりの “せせらぎ” の中で湯を浴む最高のロケーションであります。


 湯上がりは、お約束の生ビールで乾杯!
 春をあしらった旬の味覚に舌鼓を打ちながら、らんまんと宴が始まったのでした。

 いよいよ、この講座も来月からは10年目に入ります。
 受講生のみなさん、今年度もよろしくお願いしますね。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:14Comments(0)温泉地・旅館

2018年03月25日

大使大集合


 <ご活躍ですね、編集長。載ってますね、デリジェイ。やっぱり深い縁があるんですね。>
 今朝、元スタッフのO君からメールが来ました。

 『Deli-J (デリジェイ)』 とは、群馬県内最大の発行部数43万部を誇るフリーペーパーのことです。
 僕は、2001年創刊当時の初代編集長を3年間務めました。


 えっ、なんのことだ?
 どれどれ……
 とリビングに下りて行き、朝刊とチラシの中から 『デリジェイ 4月号』 を引っ張り出したのでした。

 巻頭特集のタイトルは、<市町村のPRはおまかせ 観光大使> とあります。
 ほほう、このことをO君は言っているのだな。
 と表紙をめくりました。

 <観光大使大集合> とあり、県内35市町村の出身またはゆかりの著名人たちの名前が、顔写真入りで紹介されています。
 有名人では、「まえばし観光大使」 の六代目三遊亭円楽さん(落語家) や 「桐生市観光大使」 の篠原涼子さん(女優)、「藤岡市観光大使」 の中山秀征さん(タレント) などの名前も載っています。


 で、僕も末席ではありますが、名前を載せていただきました。
 「みなかみ温泉大使」 と 「中之条町観光大使」 です。

 あれ、もっと大使をやっているんじゃないのって?
 でも、みなかみ町と中之条町以外は、すべて温泉地の大使なんですよ。
 市町村から任命されている大使は、上記の2つだけであります。


 <深い縁があるんですね。> 

 なによりも感動したのは、今でも昔のスタッフが、僕のことを “編集長” だと思ってくれていて、その雑誌に僕の名前を見つけたからと、すぐにメールを送ってきてくれたことです。

 編集長冥利に尽きる、うれしい知らせでした。
 
   


Posted by 小暮 淳 at 17:01Comments(2)大使通信

2018年03月23日

「そだねー」 と 「だいねー」


 この冬は、平昌オリンピックで脚光を浴びたカーリング女子に、癒やされた人が多いんじゃないでしょうか。
 かくいう僕も、テレビの前で 「さつきちゃ~ん」 って、声援を送っていた一人です。
 なんか、あの娘たちって、見ていると、ほんわか心がなごむんですよね。

 そして銅メダルという成績を修めましたが、同時に 「もぐもぐタイム」 や 「そだねー」 などの言葉も話題になりました。
 とくに 「そだねー」 は、早くも今年の流行語大賞の呼び声も。

 その 「そだねー」 を、商標登録しようと出願した企業が現れたそうです。
 北海道の菓子メーカーとのことですが、彼女たちの所属チームのある北見市ではありません。
 「北見に関係ない企業が、なぜ商標登録するのか?」
 誰でも抱く疑問です。
 それに対しての企業側のコメントは、
 「北海道らしい温かい言葉が、道外業者や悪徳業者に出願されて使えなくならないように。商標を独占する意図はない」
 とのこと。

 ん~、なんか、素直に納得できませんね。
 そもそも、造語でもオリジナルの言葉でもありませんよね。
 方言やなまりの類いですから、一企業がその言葉を商標登録してしまうというのは、いかがなものでしょうか?


 ところで、この 「そだねー」 ですが、群馬弁でいえば 「そうだいねー」 です。
 ちょっと長いので、縮めて 「だいねー」 なんて若い女の子が言ったら、可愛いかも!

 でも実際には、若い女性が使っているところは、あまり見かけたことがありません。
 どちらかと言うと、オバサン言葉です。
 で、オジサンたちは、なんていうかといえば、
 「そうだんべ」 「そうだいのー」 です。

 とは言っても、かなりの高齢者か農村部の男性で、街に暮らす僕らは、ほとんど使いません。


 で、かといって、この 「だいねー」 や 「だんべ」 や 「だいのー」 が、1つの企業に独占されたら困るのです。
 ま、群馬弁の場合、そんなことは起こらないでしょうけど。

 やっぱり、「そだねー」 には、金のにおいがするのでしょうか?
、   


Posted by 小暮 淳 at 12:03Comments(2)つれづれ

2018年03月21日

マロの独白(37) 犬かわいがり


 こんにちワンクショ~ン!!
 マロっす。
 ここんちの飼い犬、チワワのオス、11才です。

 ヒ、ヒ、ヒックショ~ン!!

 オイラにも春がやって来ました。
 鼻がムズムズ、目がショボショボ…
 花粉症の季節でやんす。
 散歩は楽しいけど、ちと、つらいんだな~。


 読者のみなさん、お久しぶりでやんした。
 今日は、さみしがり屋のご主人様のことを、ちくっちゃいます。

 先日のこと。
 昼頃になって、2階の仕事部屋から下りてくると、突然、オイラを抱きしめて、
 「マロ、今日からオレたち2人っきりだからな。よろしくな! 男同士、仲良くやろうな」
 と言うと、オイラの顔にキスの雨を降らせたのであります。

 「ご、ご、ご主人さま~。く、く、苦しいでやんす。放してくださいませ」
 「あっ、ごめん。とにかく、3日間は、2人っきりなんだから、仲良くしょう」
 「ですね、奥様とS様(次女) は、今頃、沖縄ですものね」
 「あれ、マロ、知ってるの?」
 「そりゃあ、知ってますとも。1ヶ月も前から2人して、はしゃいでおりましたから。オイラにも、おみやげ、買ってきてくれるって、言ってたもん」
 「えっ、そんな前から知ってたの? オレは昨日だぞ!」

 ま、カレンダーに大きく 「沖縄旅行」 って書いてありましたから、そんなことはないんでしょうけどね。
 たぶん、直接言われたのが昨日だったのでしょう。

 「なんで、この時期に沖縄なんだろう?」
 「ご主人様は知らなかったのですか? S様の “卒業旅行” ですよ」
 「卒業旅行だ!? 卒業旅行っていうのは、友達と行くんじゃないのか?」
 「いいんじゃないですか、奥様とS様は大の仲良しなんですから。とっても母娘には見えませんもの」

 オイラ、余分なことを言っちゃいましたか?
 ご主人様ったら、急に黙って、険しい顔つきになったであります。
 と思ったら、今度は眉を下げた淋しそうな顔になり、
 「だな、あいつら “一卵性母娘” だものな。ま、楽しんでくればいいさ。オレには、マロがいるもの。な、マロ?」
 「ハ、ハイ! もちろんですよ、ご主人様」


 この家も、ずいぶんと変わりました。
 オイラが来た11年前は、長女様は高校生3年生、長男様は中学生2年生、次女様は小学1年生でした。
 とっても、にぎやかな一家だったんですよ。
 でも、時って残酷でやんすね。
 長女様が嫁ぎ、長男様も所帯を持ち、一人、また一人と、この家を出て行きました。
 末っ子の次女様も、今年からは短大生であります。
 しばらくは、まだ家にいるようですが、ますます淋しくなります。

 「ご主人様、3日間、何して過ごしましょうか?」
 「マ、マ、マロ~! 3日間なんて言わないで、お前だけは、ずーっとここに居てくれよ!」
 「あたりまえじゃないですか! オイラは、ほかに行くところなんてありませんもの」
 「マロ、マロ、マロ、ありがとう! 死ぬまで一緒だからな~」

 ご主人様ったら、もう、オイラを猫かわいがりするのなんのって、3日間は、ずーっとオイラに張り付いておりました。
 えっ、それを言うなら “犬かわいがり” だって?
 ですね。

 ご主人様の相手をするのも疲れるワン!
  


Posted by 小暮 淳 at 13:21Comments(2)マロの独白

2018年03月19日

本の神様


 僕は、自他ともに認めるアナログ人間です。
 ですから、もちろんケータイは、いまだにガラケイです。

 パソコンだって、ブログや原稿を書く以外には、ほとんど使いません。
 ワープロ代わりに、使っているだけです。


 不便ではないのかって?

 どちらかというと、不便を感じるというよりは、不便を楽しんでいます。
 分からないことや探し物があるときは、体を使います。
 辞書で調べたり、図書館へ行ったり、店をまわったり……

 たぶん、ワープロもパソコンもなかった雑誌記者時代に身に付いた、取材方法なんだと思います。
 “情報を疑う” クセがあるのです。
 聞いた話より、自分の目で見たものを信じるという職業病かもしれません。


 本もしかりです。

 今の時代、わざわざ本屋へ行かなくても、ネットで欲しい本が届きます。
 でも僕にとっては、本を手に入れることも大切ですが、探すことに喜びを感じるのです。
 そして、見つけたときの感動!
 それは、赤い糸で出会った恋人のようにいとしいのであります。

 この数週間、探し続けていた本があります。
 小説や文庫本なら、古本屋を回ります。
 新刊本は、迷わず書店へ行きます。
 資料で使う専門書の類いなら、図書館で調べます。

 今回の本は、ちょっと、やっかいでした。
 新書なのです。
 それもマニアックな歴史物。
 新書は種類が多く、新刊ならばいざしらず、何年も前に出版された本となると、すべて揃っている書店は、なかなかありません。

 こんなときネットが使えれば、簡単に手に入るんでしょうけどね。

 書店を見かけるたびに立ち寄り、新書の棚をのぞきます。
 でも、たいていの書店は、そんなに広くスペースを取っていません。
 しかも僕が探している本は、少数派の新書だったのです。
 だもの、そうそう見つかるわけがありません。


 と、と、ところが~!!
 あったのです。
 昨日、なにげに入った書店に!
 以前、来た時は、なかったのにね。

 棚に見つけたときは、自分の目を疑い、何度もタイトルを確認しました。
 そして、手に取ったときには、全身に鳥肌が立ちました。

 「会えた!」

 もう、そのままレジに飛んで行き、家に直帰。
 一心不乱に読み出し、気が付いたら夕飯も食べずに、一気に読み終えていました。


 きっとこれは、神様からの粋なはからいなのですね。
 こんな至福をプレゼントしてくれた “本の神様” に感謝であります。
  


Posted by 小暮 淳 at 14:05Comments(2)つれづれ

2018年03月17日

とんでいけ~!


 歯痛は、忘れたころにやって来るのであります。

 今週、突然、疼痛に見舞われました。
 初日は、ズキンズキンと小刻みの痛みだったのですが、翌日には、半鐘を打つような激しい痛みに変わりました。
 ところが、行きつけの歯医者は定休日。
 他の医者を探そうにも、その日はスケジュールが詰まっていて、自由に動ける時間がありません。
 鎮痛剤を飲んで、なんとか1日を乗り切りました。


 ところが、その夜のことです。
 鎮痛剤を飲み過ぎたせいかもしれません。
 体がだるくて、悪寒もし、風邪のような症状になり、自宅に帰るなり、そのまま酒も飲まずに布団にもぐり込んでしまいました。

 でも、歯の痛みで眠れません。
 1時間、2時間……、時間だけがいたずらに過ぎていきます。
 時おり、うとうとと眠気がやってきます。

 このまま、眠ってしまいたい。
 朝まで、目が覚めないでほしい。

 と思ったのも束の間。
 突如、ズキーン、ズキーンと、激しい痛みが襲います。
 「ああ、痛い。痛いよ~。助けてくれよ~」
 夢ともうつつともつかぬ闇の中で、僕は誰にともなく叫んでいました。

 その時です。
 遠く暗闇の奥から、声がするではありませんか。

 「イタイの、イタイの、とんでいけ~!」

 その声の主は、なんとオヤジだったのです。
 そう、あの90歳を過ぎた認知症の老人です。
 でも、今のオヤジではありません。
 50年以上も昔の、若き日のオヤジの声です。

 当時の僕は、小学校の低学年。
 虫歯が痛くて、泣いた夜がありました。
 その時、オヤジは一晩中、僕の布団の隣で添い寝をしてくれました。
 そして、茶碗に入れた甘茶を指にひたしては、僕の頬をさすりながら、
 「イタイの、イタイの、とんでいけ~!」
 と、おまじないを唱えてくれていたのです。


 不思議なことって、あるものですね。
 この歳になって、突然、そんな忘れていた記憶がよみがえってくるなんて。

 「イタイの、イタイの、とんでいけ~!」

 闇の中で、おまじないが繰り返され、やがて僕は眠りにつきました。


 翌朝、一番乗りで、歯医者に駆け込んだことは、言うまでもありません。
 おかげさまで、痛みは取れました。

 今日は天気もいいし、午後は入院しているオヤジを見舞いに行ってこようと思います。
 たぶん、僕のことは分からないと思いますが、窮地を救ってくれたお礼を言いに……
   


Posted by 小暮 淳 at 13:15Comments(0)つれづれ

2018年03月15日

おかげさまで18年、800回突破!


 高崎市民のみなさん、こんにちは!
 「TAKATAI (タカタイ)」(上毛新聞社) という生活情報誌は、ご存知ですか?
 毎週金曜日の上毛新聞に入ってくるタブロイド版のフリーペーパーです。

 僕は、この冊子に、2000年2月から 「熟語パズル」 を連載しています。
 「えっ、あれって、小暮さんだったんですか!?」
 と、よく驚かれるのですが、そうなんですよ!
 ただ、“出題” は本名でなく、「スタジオJ」 という屋号になっています。

 早いもので、連載が始まってから丸18年が過ぎました。
 そして、出題したパズルの数も、今週号で807回になります。


 いや~、驚きました。
 連載800回超えですよ!
 まー、よく続いたものです。
 いえいえ、現在進行形ですからね。
 こうなったら、記録更新であります。

 連載20年、1,000回を目指します!

 高崎市民のみなさん、これからも末永く、よろしくお願いいたします。  


Posted by 小暮 淳 at 13:54Comments(0)執筆余談

2018年03月13日

犬にまつわるエトセトラ


 <伝説とは、あくまでも言い伝えであり、史実とは異なるもの。民話も先人たちが作り残してくれた創話だ。でも、そこに舞台があるかぎり、謎学の旅は始まる。>

 2007年11月2日号に掲載された、この一文からシリーズが始まりました。
 高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) に不定期連載している 『民話と伝説の舞台』 です。

 これは、群馬県内に残る民話や伝説を掘り起こし、その舞台を訪ね、物語の真偽を検証するという、バカバカしいテーマを真面目に取材するという伝奇エッセイであります。

 たとえば、茂林寺(館林市) に残る 「分福茶釜」 には、なぜフタがないのか?
 旧六合村(中之条町) のカッパは、なぜ7年に1度しか現れないのか?
 海なし県なのに、なぜ県内各所に竜宮伝説や浦島太郎伝説があるのか?

 そのほか、妖怪や巨人、幽霊など、さまざまな伝説を追いかけてきました。
 昔の人は、なぜ、そのような荒唐無稽な話を後世に残したのか?
 それを探るのが、“謎学の旅” なのです。


 さて、今年は戌年であります。
 シリーズでは1年間、お犬様にまつわる民話や伝説を追いかけることにしました。

 1月5日号では、太田市の神社に伝わる、殿様の命を救った “救命犬” の話を取り上げました。
 やはりそこには、伝説でありながらも、村人たちが犬塚を造り供養した跡があり、平成の現代においても地元住民たちが 「救命犬の像」 を設立して手厚く祀られていました。

 ということで昨日は、お犬様伝説第2弾の取材で、長野原町まで行ってきました。
 ここにも摩訶不思議な犬の話が残されています。
 ところが行ってみると、話だけではなく、地名や神社にもお犬様にまつわるエトセトラが……

 謎学の旅は、つづくのであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 10:53Comments(2)謎学の旅

2018年03月11日

あれから7年、大胡温泉


 <東日本大震災の3月11日、大胡温泉・三山センターに来ていた。大きな揺れに、女将と戸外に飛び出した。群馬に大きな被害はなかったが、群馬の温泉地では、「温泉はぜいたく」という自粛ムードも広がり客が激減している。
 古来、日本人は温泉を質素な癒やしの場としてきた。群馬の豊かな「湯力(ゆぢから)」は人々を元気にしてくれる。利用者も温泉宿も、温泉=ぜいたく、という考えを改めてほしい。>

 当時、僕は朝日新聞の群馬版に 『湯守の女房』 というエッセイを連載していました。
 冒頭の文章は、2011年4月6日に掲載された 「大胡温泉・三山センター」 の文末に添えられた一文です。
 震災後、全国に自粛ムードが広がり、温泉地に人が来なくなってしまったことを懸念して書いたようです。


 今年も、この日がやって来ました。
 7年前のあの日以来、僕は必ず、この日には大胡温泉(前橋市) の一軒宿 「三山の湯 旅館 三山センター」 を訪ねています。

 旅館の駐車場に着いて、驚きました。
 ほぼ満車なのです。
 僕は10年以上通ってますけど、こんなことは初めてです。
 何かヘンだぞ……

 「久しぶりじゃないですか! 今日は来てくれると思っていましたけど」
 と女将さんをはじめ、従業員が出迎えてくれました。
 「ご無沙汰しています。何度か寄っているんですよ。でも、いっつも閉まっているんだもの」
 「それは、ごめんなさいね。平日の日帰り入浴は、やめちゃったのよ。今は日曜だけ」
 「それでですか! 満車じゃないですか」
 「そうなのよ。お客さんが集中しちゃうの」

 でも偶然にも、今年は3月11日が日曜日です。
 よかった!
 来年からは、どうするんだろうか?


 「先に、お風呂に入るでしょう!?」
 「はい、そうします」
 「食事の用意をして、待っていますから、ゆっくり入ってきてください」
 「でも、席があるの?」
 大広間前の廊下には、ずら~り、スリッパが並んでいます。
 「小暮さんの席は、ちゃんととってありますよ」

 なんだか、親戚の家に遊びに来たような心地よさであります。
 しかも温泉の入浴付きです。
 仕事部屋をここに移しちゃおうかしらん!
 などと、気分も上々で、一浴したのでした。

 車で来ているので、湯上がりは、もちろんノンアルビールです。
 料理のほかに、名物の焼きまんじゅうもいただきながら、その時を待ちました。


 「黙とう!」

 午後2時46分、テレビの時報とともに、女将さんと従業員、大広間に居合わせたお客たちと黙とうを捧げました。
 あの日、あの時の光景が、まるで昨日のようにありありと浮かぶ1分間でした。

 もう7年も経ったんですね。
 でも東北の人たちにとっては、まだ7年かもしれません。
 あの日が色あせることなく、国民一人一人が胸に刻んでいかねばならない歴史であります。


 「来年も来ますから」
 「1年にいっぺんじゃ、さみしいじゃないの!」
 「もちろん、ときどき顔を出しますよ。日曜日にね」

 女将さんは、わざわざ駐車場まで出てきて、見送ってくれました。
 やっぱり僕にとっては、親戚の家のように心地よい場所なのであります。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:15Comments(0)温泉地・旅館

2018年03月09日

眠り翁


 「ジュン、すぐ来てくれないか! オヤジが…」

 昨晩、うっかりケータイを見ずにいたら、何度もアニキから着信履歴がありました。
 いやな、予感であります。
 あわてて電話をしました。

 「オヤジがどうしたって?」
 「寝ちゃって、起きないんだよ」
 「どういうことよ?」
 「いいから、すぐ来てくれ!」


 実家へすっ飛んで行くと、オヤジは、いつものようにベッドで寝ていました。
 蒲団が胸のあたりで上下に動いてますから、呼吸はしているようです。

 「ふつうじゃないか?」
 「それが、ふつうじゃないんだよ」

 アニキの話によれば、晩飯を食べている途中に突然、動かなくなり、そのまま寝てしまったというのです。
 声をかけても、揺すっても起きないので、そのまま担いでベッドに寝かせたようです。

 「な、ヘンだろ?」
 「でも、うちに来ても、そんなものだよ。1日20時間以上寝ているからね」
 「でも、ベッドには自分で歩いて行くだろう? それが今日は、まったくイスから動かないんだ」

 結局、昨日は一晩、様子をみることになりました。


 一夜開けた今朝のこと。
 またしてもアニキからの電話です。
 「おい、ジャン、すぐ来てくれ! 今から救急車、呼ぶから」
 「えっ、きゅうきゅうしゃ、だ~!!」

 あわてて実家へと、すっ飛んで行きました。
 僕が着くのと同時に、救急車も到着。
 救急隊員がストレッチャーにオヤジを乗せて、手際よく搬送して行きます。

 「なんで救急車なのさ?」
 「やっぱり朝起きないからさ、医者に電話したんだよ。そしたら軽い脳梗塞かもしれないから救急車を呼べって」

 ということで、アニキが救急車に同乗して、僕が実家で待機することになりました。


 午後、結果が出ました。
 “脳に異常なし”
 でも、もしものことを思い、しばらく入院させることにしました。

 着替えや洗面用具などを持って、病室へ行くと……

 やっぱり、寝ています。


 「眠り姫」 「眠る男」、いや、こりゃ 「眠り翁」 だな!

 人騒がせな、じいさんであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:36Comments(0)つれづれ

2018年03月07日

詩人の亡霊


 東宮七男という詩人を、ご存知ですか?


 東宮七男 (とうみや・かずお) 1897~1988 詩人。
 勢多郡宮城村(前橋市) に生まれる。1915(大正4)年、群馬県師範学校(群馬大学) に入学し、翌年、萩原朔太郎の 「詩と音楽の会」 に参加。1920年同校を卒業し教職に就く。萩原恭次郎と縁戚関係にあり、その影響を受けて詩誌 『PETAN・PETAN』 を梅津錦一と刊行した。
 <中略>
 戦後、引き揚げて県同胞援護会に勤務し、一方で萩原朔太郎詩碑建設運動を興し、群馬ペンクラブの結成に取り組んだ。戦後の詩活動は豊田勇ら同世代詩人と 『ポエム』 『形成』 『果実』 を刊行し詩をはじめ詩論を発表した。詩集に 『魚鷹(みさご)』(1954) 『遍羅(べら)』(1972) 『空の花』(1987) があり、また郷土の詩人関係の評論に 『詩人萩原朔太郎』 『高橋元吉の人間』 ほかがある。
 <中略>
 戦後の県内文学運動進展に大きく貢献した詩人であり、その功績に対して詩碑が建設された。1978年11月に彫刻家高田博厚の設計により前橋市広瀬川河畔に建てられ、碑面には作品 「花なればこそ」 が刻まれている。
 (「群馬新百科事典」より)


 実は、東宮七男は僕の大叔父なのであります。
 オヤジのオヤジ(祖父) の弟です。

 大叔父は、甥っ子の中でも特別、僕のオヤジを可愛がっていました。
 たぶん、同じアウトローのにおいがしたのだと思います。
 オヤジも、そんな大叔父を尊敬して、したっていました。

 だからオヤジは、僕やアニキにも、小さい頃から大叔父の話をしていました。
 生涯、借家暮らしで貧乏だったこと。
 それでも4人の子どもを立派に育てたこと。
 何よりも、歴史に名を残した生き方を、いつも自慢していました。

 ですから物心ついた頃から大叔父の存在は、僕にとっても “あこがれ” だったのです。


 最後に大叔父に会ったのは、たぶん、アニキの結婚披露宴だったと思います。
 僕は高校生で、余興でギターを弾いて、オリジナルソングを歌いました。

 「いいよ、いいね。好きなことを思いっきりやりなさいね」
 そう、声をかけてもらった記憶があります。
 その言葉は、その後の人生の指針になりました。


 そして今でも大叔父は、亡霊となって僕の前に現れ、心を突き動かしています。
 亡霊……?
 いえいえ、そんなおどろおどろしいものではありませんね。
 いうなれば、守護神です。

 「おじさん、間違ってないよね? これで、いいんだよね?」
 心が折れそうになったとき、決まって僕は自転車を走らせます。
 広瀬川河畔へ


 上毛電鉄、中央前橋駅前に、大叔父の詩碑があります。
 ただ、じっと詩を読み、在りし日の詩人に思いを寄せます。

 すると、不思議、不思議。
 それまでのモヤモヤが、ウソのように晴れて行くのです。

 こうやって何十年と僕は、亡霊に助けられています。
   


Posted by 小暮 淳 at 14:59Comments(0)つれづれ

2018年03月05日

不死鳥のごとく


 「大変ですね」
 「お母さんの具合、いかがですか?」

 この1ヶ月間、たくさんの人から声をかけていただきました。
 たぶん、このブログを読んでくださっている方々です。
 ※(2018年1月29日の「トンカツと温かい手」、2月12日の「小さい手と手」参照)


 「病気と寿命は別物だよ」
 と気丈に振る舞っていたオフクロでしたが、寄る年波には勝てず、ついに1月、老衰のために入院してしまいました。
 病気には滅法強かったオフクロですが、加齢による体力の衰えには、あらがえなかったようであります。

 食事がノドを通らなくなり、点滴による生活が始まってしまいました。
 「たぶん、もう、帰って来ることはないだろう」
 僕もアニキも、今度ばかりは腹をくくって、見守っていました。


 と、と、ところが!
 なんということでしょう!!
 昨日、オヤジを連れて病院を訪ねると……

 「ジュン、来てくれたのかい! ありがとうね。あれ、おとうさんもかい。うれしいね」
 と、ベッドから起き上がらんばかりに、大きな声を上げ、満面の笑みを浮かべているではありませんか!
 「元気そうだね。あれ?」
 よく見ると、ベッドの脇に点滴の袋がありません。

 「どうしたのよ、点滴がないじゃない?」
 「だって、ごはん、食べてるもの」
 「えっ、食事しているの?」
 「うん、リハビリもしているよ。こうやって、イチ、ニ、イチ、ニって」
 そう言って、腕を上げたり下げたりして見せるのです。

 おそるべし生命力!


 今日、実家にオヤジを送り届けた際に、アニキに報告しました。
 「だろ、あの人の生命力は、ただもんじゃないぞ」
 「だね、こっちは、これが最期だと覚悟していたのに」
 「あんまり 『家に帰りたい』 って言うもんだからさ、『自分で食事ができなきゃ、帰れないんだよ』 って言ったのが効いているのかもな」
 「オフクロ、帰って来る気でいるよ」
 「ああ、でも、帰って来たら、それはそれで大変なんだけどな」

 介護はつづくよ、どこまでも……
 いや、いつかは終わりが来るのでしょうけど……
   


Posted by 小暮 淳 at 13:59Comments(0)つれづれ

2018年03月02日

猪ノ田温泉 「久惠屋旅館」⑩


 なんだか今年は、猪ノ田(いのだ) づいています。
 1月に新年会で訪ねたばかりなのに、また今週も行ってきました。
 でも、何度訪ねても飽きないのが、猪ノ田温泉なのであります。


 僕が講師を務めるNHK文化センターの野外温泉講座も、今年で10年目を迎えます。
 この講座では、県内外の名湯・秘湯をめぐっています。
 今回は、西上州の名薬湯といわれる猪ノ田温泉(藤岡市) の一軒宿 「久惠屋旅館」 を訪れました。

 なぜに名薬湯なのか?

 歴史は古く、江戸時代にまで起源はさかのぼります。
 源泉の湧き出し口に野天の湯舟があり、地元の湯治場として利用されていました。
 ゆで玉子のような腐卵臭がすることと、卵の白身のようなトロンとした肌触りから 「たまご湯」 と呼ばれ親しまれていました。

 明治初期には 「皮膚病に効く」 という評判が高まり、県内はもとより東京方面からも医者に見放された患者が療養にやって来るようになったといいます。
 大正時代になり旅館が建てられ、戦前までは大いににぎわっていましたが、戦後になって経営が悪化し、昭和40年代に廃業してしまいました。

 その後しばらくの間、源泉は森の中で眠ったままでした。
 昭和58年(1983)年、地元で牛乳販売店を営んでいた先代主人が、現在の旅館を再建しました。
 肌にまとわりつくような湯のやわらかさから “絹の湯” と呼ばれ、ふたたび傷ややけど、アトピー性皮膚炎に効く薬湯として、全国からうわさを聞きつけた湯治客が訪れています。


 「わー、これ白鵬じゃない?」
 「そうだ、白鵬だよ!」
 宿に到着するなり、玄関ロビーで喚声が上がりました。

 そーなんです!
 ここは平成24年に地方巡業で藤岡市を訪れた際に、横綱・白鵬が泊まった宿なんです。
 壁に貼られた写真には、大広間で白鵬と一緒に若女将とお子さんたちが写っています。

 「まだ性格が良かった頃の白鵬だね」
 受講生の言葉に、大爆笑が起こりました。


 「あっ、本当だ! タマゴの白身のようですね」
 「体をさするとローションのようにツルツルします」

 湯舟の中では、口々に感想が飛び交いました。
 これぞ、生きた温泉講座です。

 群馬県内には、まだまだ知られざる名湯や秘湯がたくさんありますよ!
 今年も、楽しく温泉めぐりをしましょうね。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:31Comments(0)温泉地・旅館

2018年02月28日

地酒を訪ねて


 「趣味と実益を兼ねる」 という言葉があります。

 そもそも僕がライターという職業を選んだのも、「遊ぶように仕事を楽しんで、仕事をするように真剣に遊びたい」 と思ったからなのです。
 温泉の本を書いているのも、山登りの連載を書いているのも、すべて趣味と仕事のボーダーレスを計ったからであります。

 で、もう1つ、僕には大好きなモノがあります。
 1年365日、絶対に欠かせないモノ!

 そう、酒です。


 好きな酒を飲んで、それが仕事になったら……
 それは、のん兵衛にとっては、究極の人生であります。
 まさに僕にとっては、最大の趣味と実益の融合なのであります。

 僕は、この仕事に就いた30年前から、いつもいつも、この “融合” について思索を続けてまいりました。
 だから温泉に入っても酒を飲み、山を登っても酒を飲み、それを文章にしてきました。

 でも、何かが違う!
 まだ究極ではない!
 酒が飲みたいがための、こじつけ取材ではないか!
 そんな疑問が、日々自分を問い、攻め続けていました。

 で、ついに、答えが出たのであります!!

 そう、酒を訪ねて、酒を飲む。
 酒蔵と居酒屋のダブル取材は、可能にならないものか?
 これならば、かの吉田ルイ氏もやっていない究極の酒好きのレポートではないか!?

 ということで、今年から群馬県内の酒蔵をめぐり、そこで酒を飲み、その酒が最良の肴で飲める居酒屋を訪ねることにしました。
 酒好きのための、酒好きによる、酒三昧の旅エッセイの連載であります。


 一昨日、カメラマン氏を伴い、シリーズ第1回目となる群馬県西部にある酒造会社を訪ねてきました。
 会社設立の歴史や日本酒ができるまでの工程を取材、そして、しぼりたての原酒の試飲。
 その後、ほろ酔い気分で周辺を散策しながら、居酒屋へ。

 先ほど訪ねた酒蔵の地酒を、旬の味覚とともにいただきました。


 ん~、実にいい。
 これ、これですよ。

 趣味と実益の融合に成功した瞬間を味わってまいりました。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:37Comments(2)取材百景