温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2022年09月09日

令和の力道山


 いつものたまり場、酒処 「H」。
 マックス8席のカウンターは、昨晩も満員御礼。

 顔ぶれは、前期高齢者および前期高齢者予備軍たち。
 となれば必然と話のテーマは、いつしか “昭和” に落ち着きます。


 今回の話の入り口は、「スマホ」 でした。

 「今の若者はさ、電車の中でもレストランでも、ずーとスマホを見ているわけよ。あれって、異常だよね」
 との発言に、すかさず僕は返しました。
 「我々だって、言われたじゃないですか。『テレビばっかり観てるとバカになる』 って」
 すると、他の客が、
 「言われた言われた! 『マンガばかり読んでるとバカになるって』」

 いつの時代も子どもや若者は流行の先端に飛びつき、大人たちは、それに対して常に否定的であるものなのですね。


 「友だちの家にテレビを観に行って、帰りが遅くなって親に怒られなかった?」
 「怒られたな。俺んちはビンボーだったからさ、親がなかなか買ってくれなくて」
 そんな話を、前期高齢者予備軍 (僕もこの仲間です) が話している時でした。

 後期高齢者一歩手前の前期高齢者が言いました。
 「えっ、電気屋で観たんじゃないの?」

 実は、話が食い違っていたのであります。
 この微妙な年齢差に、昭和の端境期(はざかいき)が存在したのです。
 前者はカラーテレビ、後者は白黒テレビの登場期について話していたのでした。
 時代で言えば前者は昭和40年代、後者は昭和30年代ということになります。


 「街頭テレビじゃないんですか?」
 白黒テレビについて話していることに気づいた僕は、問い返します。
 「街頭テレビは都会、群馬の田舎では電気屋のショーウインドーの前で観るしかなかったの!」

 そこから話しは、一気に街頭テレビのスター、プロレスラーの力道山で盛り上がります。

 「いやー、空手チョップはカッコよかったな~!」
 「そうそう、体の大きい西洋人を、バッタバッタと小柄な東洋人が、叩きのめすんだから!」

 懐かしそうに話す人生の先輩に、僕はひと言。
 「それって、コンプレックスの裏返し?」
 すると、こう言いました。
 「たぶん戦争に負けた相手を倒すことに、国民は快感を覚えていたんだろうね」

 「ということは、大谷翔平の活躍も同じですかね?」


 この後、全員一致で、大谷翔平は “令和の力道山である” という結論に達しました。

 力道山が活躍した時代は、「もはや戦後ではない」 と言われた高度成長期の始まり。
 戦後70年以上経つ今でも、我々日本人の中には、敗戦のコンプレックスが根強く残っているということだろうか?


 がんばれ、大谷翔平!
 ショータイムを見せてくれ!

 相変わらず、昭和から離れられない懲りない面々であります。  
   


Posted by 小暮 淳 at 13:14Comments(0)昭和レトロ

2022年08月28日

昭和は近くなりにけり


 今の時代、人々は “昭和” に何を求めているのでしょうか?

 「だからさ、今の歌って、イントロがないのよね」
 「そうそう、いつ歌い出すんだか分からない」
 「ていうか、その前に覚えられないけどね」

 なんて、言い訳から始まります。
 何のことかって?
 はい、カラオケです。


 我らが呑兵衛の聖地、酒処 「H」 では、閉店前になると、居残った常連客数名で、お決まりの 「昭和歌謡ショー」 が始まります。
 常連客といっても年代にバラつきがあります。
 昭和歌謡も、昭和は60年間もありましたから、これまたバラつきがあります。

 いいんです!
 自分が育った昭和で、聴いて覚えた昭和歌謡を歌えばいいんです。

 60年代ならば、裕次郎やひばり……
 70年代ならば、グループサウンズやフォークソング……
 80年代ならば、聖子ちゃんや明菜ちゃん……
 などが、オンパレードです。


 「みんなで歌えるのが、いいよね」
 結局、みんなが知っているヒット曲が、一番人気となります。
 歌っている間だけでも、あの頃に戻れているんでしょうね。

 これが、正しい昭和の楽しみ方です。


 と、思ったら昨晩!
 ビックリする番組をテレビで観ました。

 テレビ朝日 『博士ちゃん夏休みSP』。
 平均年齢15歳という昭和が大好きな子どもたちが集まって、“昭和のアイドルベスト20” を決めるという特番です。
 今までにも、昭和経験者が昭和歌謡やアイドルを選ぶという番組はありましたが、平成生まれの昭和を知らない子どもたちが選ぶ、昭和の番組というのは珍しい!

 というこで、たっぷりと2時間半、グラス片手に拝視聴させていただきました。


 まず、子どもたちの “博士ぶり” にビックリ!
 よくもまあ、生まれる前のことを調べて、詳しく知っています。

 ベスト20には、ザ・ピーナツや弘田三枝子など、僕にとっても上の世代のアイドルがランキングされていたりして、なかなかシブイ番組構成となっていました。
 結果、ベスト3は以下の通りでした。

 1位 中森明菜
 2位 山口百恵
 3位 松田聖子

 大方の予想通りですが、1位と3位は逆予想の人が多かったのではないでしょうか?


 ベスト3はさておき、僕の “推しアイドル” も2人、ランク入りしました。

 11位 麻丘めぐみ
 12位 太田裕美

 大変、満足です。
 僕の青春を支えてくれたお2人ですからね。
 めぐみちゃんは中学時代、裕美ちゃんは高校時代に、夢中になってレコードを買いました。


 昭和は遠くなったと思っていた矢先のことでした。
 令和の若者たちが、昭和の魅力に気づいてくれたなんて……
 ただただ、うれしくて!

 昨晩は、ついつい呑み過ぎてしまいました。
  


Posted by 小暮 淳 at 13:01Comments(0)昭和レトロ

2022年08月17日

沖縄より北海道のほうが暑いって本当!?


 たびたび昭和ネタで恐縮です。

 半世紀前の話。
 小学生の頃、夏休みになると絵日記の宿題がありました。
 毎日、マメに記せばいいのですが、ついついかまけてしまい、夏休みの終わりに思い出しながら一気にまとめて書いた人も多かったのではないでしょうか?
 ご多分に漏れず、僕も、そんな少年の一人でした。

 ○月×日 何曜日 天気 気温

 僕の記憶が正しければ、最高気温が30度を超える日は、何日もなかったように思います。
 でも、記憶なんて当てになりませんから、気象庁のホームページで昭和40年代の気温を調べてみました。
 すると、やはり、記憶は正しかったんですね。

 7~8月の最低気温は23~25度、最高気温は30~32度でした。

 まれに33~34度の日もあったようですが、どうしていたんでしょうね?
 クーラーのない時代です。
 プールに行ったり、日の当たらない部屋で、ジッとしていたのかもしれませんね。


 「宿題は、午前中の涼しいうちに済ませてしまいなさい」
 毎日、オフクロに言われたことを思い出します。
 でも、理にかなっていたんですね。

 このセリフ、今は通用しません。
 朝から30度以上になりますもの。
 午前午後に関係なく、
 「冷房の効いた涼しい部屋でやりなさい」
 と言うはずです。


 地球温暖化により、世界各地で異常気象による異変が起きています。
 線状降水帯や洪水、山火事などのニュースは、すでにお馴染みですが、先日、こんな見出しを付けた異変が、新聞に載っていました。

 ≪避暑なら北海道より沖縄?≫

 1992年7月~2022年6月までの都道府県庁所在地の気温データによると、最高気温35度以上の 「猛暑日」 が最も少ない都市は、最南の那覇市だったというのです。
 30年間で、わずか5日。

 2番目に少なかったのが、最北の札幌市で7日でした。

 ところが、これが30度以上の 「真夏日」 になると、大きく逆転します。
 那覇市は3,087日で最も多く、札幌市は最も少ない284日でした。

 ということは、猛暑日が最下位でも真夏日が1位の沖縄は、平均的に一年中暑いということですね。


 記事では、他の都市については触れていませんが、日々の天気予報を見ていれば、分かりますよね。
 日本は全国どこへ行っても暑い!ということ。
 そして、昭和は涼しかったということです。

 “熱中症” なんていう言葉は、なかった時代のこと。
 炎天下の “日射病” のみ注意していた夏休みでした。

 「外へ出る時は、帽子をかぶるんだよ。日射病になるからね」
 「水を飲み過ぎるんじゃないよ。体がだるくなるからね」
 なんて言われていたことを、なつかしく思い出します。


 つくづく、昭和の時代に40度超えの日がなくて良かったと思います。
 たぶん、熱中症で搬送される患者の数は、今の桁違いだったでしょうね。

 やっぱり、昭和って、いいな~!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:07Comments(0)昭和レトロ

2022年07月19日

昭和の悪ってカッコイイ!


 相変わらず僕のマイブーム “昭和あるある” は続いています。

 一日のすべての仕事を終え、のんびりと酒を呑むとき、ナイトキャップの友は、もっぱらユーチューブです。
 それも昭和のドラマや映画を探し出して、懐かしさに酔眼しています。


 最近、観た映画に、『あぶない刑事』 と 『ビー・パップ・ハイスクール』 があります。
 当時20代だった僕は、この手の作品には興味がなく、すべてスルーしていました。
 それが、この歳になって観ると、面白いんですね。

 何が楽しいかって、登場人物のファッションや街並み。
 そして当時のアイドルたち……
 今は完全に芸能界から姿を消してしまっている人もいて、昭和の芸能史を見ているようで飽きません。


 現代では公序良俗や安全管理、ジェンダー面など、問題がありそうな場面が多々登場しますが、それはそれで、ツッコミどころ満載で楽しいのです。
 で、何が令和の今と一番違うかというと、“ワル” の描き方です。

 短気でカッとなりやすく、手が速く、暴力的ではあるのですが、実は心根はやさしい。
 とっても分かりやすい、ステレオタイプのワルばかりです。
 単純でズル賢くないところが、好感を抱くようです。

 だから昭和の映画の主人公は、ワルが多いのだと思います。


 令和の若者たちに昭和の映像を見せると、一様に驚く3つ “非常識” があるそうです。
 「喫煙」 と 「ノーヘル」 と 「シートベルト」

 昭和の映画やドラマでは、喫煙シーンが欠かせませんでした。
 電車の中だろうが、病院の待合室だろうが、のべつまくなし、紫煙をくゆらすシーンのオンパレードです。
 刑事ドラマの張り込みでは、足元の吸い殻の山で、時間の経過を表現していたくらいですからね。

 また暴走族しかり、逃げる犯人しかり、追いかける刑事しかり、走るバイクのドライバーはノーヘルでした。
 でも、今見るとノーヘルの方が臨場感があるし、何より演じている役者さんの表情も見て取れます。
 これがヘルメット着用だと、表情が分からないだけではなく、切羽詰まった逃走感が伝わりません。

 そして、シートベルト。
 令和のドラマでは当然、装着していますが、違和感を感じる時ってありませんか?
 1分1秒を争う逮捕劇で、いくら交通ルールだといっても車を発車させる前に、律儀にシートベルトを装着するシーンって、なんだか臨場感に欠けます。

 そこへ行くと、昭和の逃走および追跡シーンは、迫力があります。
 くわえタバコのサングラス姿の刑事が、車に飛び乗ると、いきなりギアを入れて急発進!
 バイクで逃げる犯人もノーヘルで、一方通行を逆走!

 と思えば、追尾するパトカーに向かって走り、間髪交わし、パトカー同士が衝突して炎上!
 これぞ、昭和の刑事ドラマです。


 時代と共に “悪” の質も変わりました。
 令和の世になり、単純明快なワルは姿を消して、ネットやSNSを駆使した頭脳派の犯罪が増えています。
 それに伴い、勧善懲悪から難解複雑なストーリー性が好まれるようになっているのかもしれませんね。

 でもね、ナイトキャップの友だもの。
 分かりやすいワルを分かりやすく成敗してくれる正義のヒーローが、安眠をいざなってくれるのです。

 僕の昭和熱は、もうしばらく続きそうです。
   


Posted by 小暮 淳 at 14:01Comments(0)昭和レトロ

2022年07月18日

猫に御飯


 昨日は 「昭和の常識は令和の非常識」 と題して、昭和と令和での体育授業の違いを書きました。

 いろいろ思い返してみると、子どもの頃に当たり前にしていたことが、現在では、まったく行われていないことや完全に間違えであったことが、たくさんあることに気づきます。
 今日は “生き物” について検証してみたいと思います。


 昭和30~40年代に少年期を過ごした僕ら世代にとって、昆虫もさることながら爬虫類はワンランク上の高級な “ともだち” でした。
 特に男の子に人気があったのが、ヘビです。

 当時、日本に棲息する毒ヘビは、「マムシ」 と 「ハブ」 だけだと言われていました。
 関東地方にはハブはいませんから、僕らはマムシにさえ気を付けていれば安全だったわけです。


 幼なじみのT君は、みんなから 「ヘビ博士」 と呼ばれていました。
 彼は夏になると、アオダイショウやシマヘビを首に巻いて登校してくるような大のヘビ好き。
 そんな彼の家に遊びに行くと、たくさんのヘビが飼育されていて、帰りに一匹ずつお土産に持たせてくれました。
 

 身近には、ヤマカガシというヘビもいましたが、アオダイショウやシマヘビに比べるとサイズが小さいため、僕らの間では不人気でした。
 今思えば、この “不人気” が功を奏したようです。

 後に、奥歯に毒があることが判明。
 現在では、日本に棲息する毒ヘビの一種に数えられています。


 T君は、ヘビ博士でもあるけど、「昆虫博士」 でもありました。
 当然、彼の家に行けば、カブトムシやクワガタムシ、カミキリムシ、カナブン……などなど、さながら昆虫園でした。
 早朝、彼の家に集まり、みんなで雑木林に昆虫採集に行くのが夏休みの楽しみでした。

 で当時、カブトムシのエサといえば、“スイカの皮” が定番でした。
 ところが今は、スイカを与えてはいけないのが常識だって、知っていましたか?
 なんでも、カブトムシが下痢をしてしまうそうです。

 あれって、下痢だったの?
 ただの小便かと思っていました。

 ということで、スイカを与える昭和の常識は、令和では非常識。
 現在は、専用の昆虫ゼリーを与えるのが、令和の常識となりました。


 “エサ” といえば、「猫まんま」 と 「犬まんま」 も昭和と令和では大きく変わりました。

 昭和の時代、ネコのエサは、冷や飯におかかをかけた 「にゃんこ飯」 が定番。
 イヌは、これまた冷や飯にみそ汁をぶっかけた 「わんこ飯」 です。

 ネコは外出自由なのに対して、イヌは散歩のとき以外は屋外でクサリにつながれているのが、昭和の常識でした。
 そのぶん、昭和のイヌは、たくましかったように思います。
 だって役目は、ペットではなく番犬ですからね。
 (ネコだって、その昔は、ネズミ捕り用に飼われていました)

 で、時がめぐり、いつしかネコもイヌも屋内で飼われるようになり、食事 (もうエサなんて言ってはいけません) も栄養豊富なキャットフードやドッグフードに変わりました。

 人間のライフスタイルに合わせて、ペットも人間の都合に合わせた生活スタイルに変わってきたようであります。
 ペットフードなんて、人間の食事でいえば、レトルト食品やインスタント食品と同じじゃないですか。


 みなさんのまわりは、いかがですか?
 今でも残っている “昭和の常識” ってありますか?
  


Posted by 小暮 淳 at 11:41Comments(0)昭和レトロ

2022年07月17日

昭和の常識は令和の非常識


 ♪ 思いこんだら 試練の道を
    行くが男の ど根性
    真赤にもえる 王者のしるし
    巨人の星をつかむまで
    血の汗流せ 涙をふくな
    ゆけゆけ飛雄馬 どんと行け
    (「ゆけゆけ飛雄馬」 より)


 アニメ 『巨人の星』 の主題歌です。
 これは都市伝説のような本当にあった話。

 ドラマの中で主人公の星飛雄馬が、グランド整備用の巨大なローラーを引くシーンがありました。
 そこに、この主題歌が流れたものだから、当時の子どもたちは、このローラーの名前が 「コンダラ」 だと勘違いしてしまったというエピソード。

 「思いこんだら」 を 「重いコンダラ」 と聞き間違えたわけです。

 ところが以後、このローラーのことを通称 「コンダラ」 とも呼ぶようになったといいます。
 ちなみに、正式名は 「整地用手動式ローラー」 といいます。


 ところで、当時のスポコン (スポーツ根性) アニメには、必ず、練習のシーンになると 「うさぎ跳び」 が出てきました。
 当然、僕らの世代は部活と言えば、この 「うさぎ跳び」 が付き物でした。

 身体の後ろで手を組み、しゃがんだ状態でピョンピョンとウサギのように跳ねるので 「うさぎ跳び」。

 ところが現在は禁止されています。
 理由は、目的であったはずの下半身強化の効果はなく、膝などに負担がかかり、疲労骨折の原因になるからのようです。


 そう言えば、部活中に 「水を飲んではいけない」 なんていうのも、“昭和の常識” でしたね。
 今では、もってのほか!
 熱中症対策の上でも水分補給は、欠かせません。

 医学的、科学的に解明されて、“昭和の常識” が令和では、非常識になりつつあります。


 最近知った “令和の非常識” に、「体育座り」 があります。
 みんな体育の授業中に、やらされましたよね。
 グランドや体育館に集まり、先生の話を聞くときは、全員 「体育座り」 です。

 いま、この 「体育座り」 が廃止に向かっています。
 理由は、長時間していると内臓や椎間関節を圧迫し、腰痛や座骨の痛みを引き起こす可能性があるからとのことです。
 確かに今思えば、あんまり楽な姿勢ではなかったような記憶があります。

 でも思い出の中には、しっかりと刻まれています。
 「うさぎ跳び」 も 「体育座り」 も……


 昭和は遠くなりにけり

 次は何が “昭和の常識” から消えてゆくのでしょうか?
 なんだか自分の思い出が否定されているようで、ちょっぴりさみしくもあります。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:47Comments(0)昭和レトロ

2022年05月23日

クッキーもしくはビスケット


 「左党だから甘いものは苦手ですか?」
 と訊かれることがありますが、そんなことはありません。

 両党使いです!

 とはいっても、微糖派です。
 ケーキのクリームよりも和菓子のあんこが好きです。
 豆大福なんて、無性に食べたくなることがあり、わざわざ買いに行くこともあります。

 それと、アイス!
 季節を問わず、呑んだ帰りは必ずコンビニ寄って、アイスバーを一本。
 お気に入りは 「ブラックサンダー」 です。


 実は僕の仕事場には、年中欠かすことのないお菓子があります。
 それは、クッキーもしくはビスケット。
 疲れたらサクッ! 考え事をしながらサクッ! 読書の合間にサクッ!

 気が付いたら何十年も、その習慣が続いています。


 「なんで僕は、こんなにもクッキーやビスケットが好きなんだろう?」
 ある日、真面目に考えてみました。
 すると、思い当たるのは幼少期の出来事。

 昭和35(1960)年9月~同42年3月までの6年半にわたり、NHK総合テレビで放送されていた 『おかあさんといっしょ』 の中で、「ブーフーウー」 という、ぬいぐるみと着ぐるみの人形劇がありました。
 いわゆる童話 「三匹の子ぶた」 の後日談のような劇なのですが、ブーとフ―とウーという3匹の子ぶたとオオカミの話です。

 この劇の最後で、必ずオオカミが進行役のおねえさんに、ビスケットをねだるのです。
 そしてビスケットを、おいしそうに食べるんです。

 「早く早く、ビスケット食べちゃうよ~!」
 とテレビの前の僕は、毎回、オオカミと一緒に食べたくて、母親にビスケットをねだるのでした。
 すると母親は、
 「はいはい、ちゃんと買ってありますよ」
 と言いながら、ビスケットが2枚のったお皿を持ってきてくれました。

 以来、僕は、大人になってもクッキーもしくはビスケットが好物となり、自分から自分へのご褒美として常備するようになりました。


 今でもクッキーもしくはビスケットを口に含むと、時々、3匹の子ぶたとオオカミの姿が浮かびます。
 三つ子の魂なんとやら……
 味覚の思い出というのは、一生ついてまわるのですね。

 ということで、今、サクッと口の中にクッキーを放り込みました。
  


Posted by 小暮 淳 at 14:28Comments(2)昭和レトロ

2022年05月10日

「めかいご」 って何?


 僕は大人になるまで、「ものもらい」 という言葉を知りませんでした。

 いわゆる目にバイ菌が入って、まぶたが腫れる病気のことです。
 昭和の時代、僕の子どもの頃は不衛生で、何でもかんでも手で触っていましたから、「ものもらい」 になる子は、とっても多かったのです。
 必ずクラスに一人か二人、眼帯をした子がいました。

 でも、なぜか、この眼帯が、漫画の中の悪役みたいでカッコイイんですよね。
 (もしくは悲劇のヒロインみたいで)
 特に、美人の女の子が眼帯をしてくると、ドキッ!としたものです。
 (黒髪に眼帯の白が似合っていました)


 では当時、僕らは、この 「ものもらい」 のことを、なんて言っていたか?
 はい、「めかいご」 です。

 「めかいご? なに、それ?」

 思えば、なんとも不思議な言葉の響きです。

 「“かいご” って何?」
 「“介護” のこと?」

 東京へ出た若い頃、そう他県民から問われて、返答に困ったことがありました。
 いったい、何のことなんでしょうか?


 先日、いつもの店で、常連客らと雑談をしていた時のこと。
 「めかいご」 が話題となりました。
 カウンター客は、一人を除き、群馬県内の出身者です。
 その東京出身者は、もちろん標準語の 「ものもらい」 という表現をしました。

 が、驚いたことに、県民でも使用していた言葉が分かれたのです。

 結果、このような分布になりました。
 前橋市を中心とした県中部は、「めかいご」。
 高崎市を含む西部は、「めっぱ」。
 その他は、「めかご」 でした。

 「めかご」 と 「めかいご」
 この2つは、たぶん、語源が一緒だと思われます。

 「“めかご” って、目籠のことだよね?」
 「そういえば、子どもの頃、籠を頭にかぶると、親に怒られたな」
 「罰が当たるとか」
 「いや、俺は、“めかいご” ができるといわれた」

 確かに僕も、おばあさんに言われた記憶があります。


 目籠とは、竹で編んだカゴのことですが、カゴに限らず網目の物は、すべて頭にかぶると怒られました。

 なんで網目の物をかぶると 「ものもらい」 ができるのかは不明ですが、「めかいご」 「めかご」 の語源は、“目籠” にありそうです。


 では、「めっぱ」 とは?

 ご存じの方がいたら、教えてくださいませませ。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:00Comments(2)昭和レトロ

2022年04月04日

ディスる言葉


 「バーカ、カーバ、チンドン屋、おまえのかーちゃん出べそ!」

 子どもの頃のケンカを思い出すと、必ずこのセリフが出てきます。
 今でいう、“ディスる言葉” っていうやつですかね。
 相手を侮辱し、ののしるときに発する常套句です。


 昭和の子供社会は、絶対的な年功序列でした。
 それに体格や腕力も加味されますから、小さい子は大きい子に太刀打ちができません。
 でも、くやしい!
 だから、いじめられ、泣かされて、逃げ帰るときの “イタチの最後っ屁” のような捨てゼリフを誰もが持っていました。

 「あんぽんたん」
 「おたんこなす」
 なんていう言葉も、頻繁に使っていた記憶があります。

 それにしても今思うと、なんとも不思議な響きを持った言葉です。
 なので、ちょっと調べてみました。


 「あんぽんたん」 は、愚か者、アホ、バカを意味する言葉で、漢字では 「安本丹」 と書きます。
 語源は諸説あるようですが、その一つにフランス語説があります。
 性交不能を意味する 「アポンタン」 の変化したものだとか。

 でも僕は、「あんぽんたん」 と聞くと、なぜか、その響きから富山の薬 「反魂丹(はんごんたん)」 を連想してしまいます。
 諸説の中にも 「あほんだら」 を文字って、子どもたちが言葉遊びで変化させたというのがありました。

 <越中富山の反魂丹、鼻クソ丸めて万金丹、それを飲むやつ安本丹>
 僕らが使っていた、「バーカ、カーバ、チンドン屋……」 より、かなり高度なディスり言葉です。


 「おたんこなす」 は、まぬけ、のろまを意味する言葉です。
 漢字では 「御短小茄子」 と書くようです。
 この語源はハッキリしています。

 吉原の遊女たちが使う隠語でした。
 イヤな客のことを、アソコが小さいという意味で 「短珍棒」 と呼んでいたらしんですね。
 これに “御” を付けて、“棒” が取れて変化した言葉が、「御短珍(おたんちん)」。

 さらに言葉は変化します。
 “珍棒” の代わりに形状が男根に似ている野菜のナスをあてて、「御短小茄子」 となりました。
 「小茄子」 というのが、いいじゃありませんか!
 イヤな客を小バカにしている感じが出ています。

 ということは、「おたんちん」 も 「おたんこなす」 も、女性に対しては使えない言葉ということであります。


 珍竹林 (ちんちくりん) や頓珍漢 (とんちんかん) ……
 昭和のディスる言葉は、まだまだあります。

 でも、昔のディスり言葉って、なんだか響きに愛嬌があって、言われた方もあんまり傷つかない感じがしますね。
 致命傷を与えるための言葉ではなく、笑いに変えられるユーモアセンスがありました。

 ネット社会の現代では、消えてしまった言葉の文化なのかもしれません。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:00Comments(0)昭和レトロ

2022年03月11日

ロボットがやって来た!


 「ロボット、ドロップ、ロケット」 って、続けて3回言ってみて?

 子どもの頃に流行った早口言葉です。
 けっこう難しいんですよ。
 みなさんも言ってみてください。
 大人になっても舌を噛んでしまいます。


 これって、語呂が似ているだけじゃないんですね。
 みんな、昭和の子どもの “あこがれ” だったんです。

 ロボットはもちろん、「鉄腕アトム」 に 「鉄人28号」。
 ドロップは、「サクマのドロップ」 です。
 当時、缶入りのドロップは高級品でした。
 そして、ロケットといえば、「アポロ11号」。
 昭和44(1969)年、アメリカが打ち上げたロケットが人類初の月面着陸に成功しました。


 あれから半世紀……
 子どもたちのあこがれだった “三種の早口言葉” は、だいぶ身近なものになりました。

 今どき、「ドロップあげるよ」 と言って、付いて来る子どもはいませんし、ロケットもお金さえ出せば民間人でも宇宙へ行ける時代になりました。
 ではロボットは?


 先日、某外食チェーン店へ行った時のことです。
 テーブルに置かれたタブレットで、メニューをタッチして送信。
 ここまでは、ほかのファミレスでも経験済みですからスムーズに操作ができました。

 すると、しばらくして……

 ファンファンファンと音がします。
 音がする方向を見ると、なにやら機械のような箱型の物体が厨房から出できて、客席と客席の間を上手にすり抜けながら、こっちへやって来ました。

 ロボットです!

 といってもスターウォーズのC‐3POのような人型ではありません。
 どちらかといえば、R2‐D2タイプの配膳ロボットでした。

 僕の席の前でピタリと止まり、料理を取るように指示します。
 料理を取り終わると、「頭をなでてください」 といいます。
 たぶん、これが配膳終了の合図なんですね。

 指示通り、丸い頭をなでてやると、“配膳ロボ” は、また動き出しました。
 来た時とは違うルートで、人や壁に当たることなく、これまた上手に厨房の中へ消えて行きました。


 これは、スゴイ!
 21世紀は、ついに、ここまで来たのか!
 ますます、人間は要らなくなってしまうなぁ……
 なんて思っていたら、今度は店員がやって来ました。

 何をするのだろうか?
 と、けげんな顔で見ていると、無言でテーブルの上に伝票を置いて行きました。

 「えっ、そこは手動なんかい!」

 思わず心の中で、ツッコミを入れさせていただきました。


 惜しいな~、そこもデジタルで処理して欲しかったですね。
 僕らが子どもの頃に夢見ていた21世紀の世界……
 あと半世紀経つと、想像以上の世の中になっているんでしょうね。

 ま、その頃には、いませんけれどね。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:38Comments(0)昭和レトロ

2022年02月19日

光るは親父のハゲ頭


 <光るは親父のハゲ頭>

 ある日突然、このフレーズが頭をよぎりました。
 あれ、これ、何だっけ?

 えーと、えーと、確か、子どもの頃に友だちとやった言葉遊び……
 でも、これはオチで、この言葉にたどり着くまでに、尻取りのように連想ゲームが延々と続いたような……

 始まりは何だっけ?
 そうだ!

 <いろはに金平糖(こんぺいとう)> 


 その日は、それだけ分かり、数日が過ぎました。
 僕が小学生の時ですから、昭和30~40年代の遊びです。
 日々、半世紀以上前の記憶をたどる “昭和謎学の旅” が始まりました。

 「いろはに金平糖 金平糖は甘い」
 そして、甘いのは砂糖です。

 そうです、味からのスタートでした。
 でも、それがどのようにして、“ハゲ頭” まで、たどり着くんでしたっけ?

 「風が吹けば桶屋が儲かる」 的に、発想を膨らませます。


 ただ、断片的ではありますが、いくつかの通過キーワードは思い出しました。
 「ホオズキ」 「オナラ」 「バナナ」 「十二階」
 この言葉を通過するように連想を続ければ、たどり着けることが分かりました。

 「砂糖は白い」

 白いのは? ウサギです。
 ウサギは跳ねます。
 跳ねるのは? カエル?
 いや、僕の記憶の中に “カエル” という響きは残っていません。

 そーだ! 「ノミ」 です!
 そして、「ノミは赤い」。

 でも今思うと、ちょっと不思議です。
 ノミが跳ぶことは知っていましたが、赤い色をしてたなんて?
 誰が考えたのでしょうか?


 「赤い」 が出れば、次は 「ホオズキ」 です。
 今の子どもは知らないでしょうね。
 ホオズキの赤い実の中の種を出して、穴から吹くと、笛のように音が鳴るんです。

 だから、「赤いはホオズキ」→「ホオズキは鳴る」→「鳴るはオナラ」 です。


 子どもは、オナラとかウンチが大好きです。
 当然、続きは、こうなります。

 「オナラは臭い」→「臭いはウンチ」

 ここまで来れば、記憶のキーワードが使えます。
 バナナです!

 「ウンチは黄色い」→「黄色いはバナナ」 となります。


 さてさて、最大の難関が 「十二階」 です。
 確かに、この遊びの中に入っていた言葉なんです。
 この謎を解くのに、また数日を要しました。

 そして、ついに記憶をつなぎ合わせ、全文を完成させました!
 もし、知っている人がいたら、ぜひ一緒に、ご唱和ください。
 (メロディーも抑揚もなかったと思います。棒読みで結構です) 


 いろはに金平糖 金平糖は甘い
 甘いは砂糖 砂糖は白い
 白いはウサギ ウサギは跳ねる
 跳ねるはノミ ノミは赤い
 赤いはホオズキ ホオズキは鳴る
 鳴るはオナラ オナラは臭い
 臭いはウンチ ウンチは黄色い
 黄色いはバナナ バナナは高い
 高いは十二階 十二階は怖い
 怖いはオバケ オバケは消える
 消えるは電気 電気は光る
 光るは親父のハゲ頭


 いかがでしたか?
 地域によっては途中が異なると思いますが、スタートの 「いろはに金平糖」 とオチの 「親父のハゲ頭」 は全国共通だと思われます。

 ところで、意味不明な言葉の中に、実に昭和がひそんでいることに気づきます。
 バナナは高かったんですね。
 子どもにとっては、今でいうメロンやマンゴークラスの果物でした。
 遠足や風邪をひいた時にしか口に入らない高価なモノだったのです。

 だから 「バナナは高い」

 で、値段の高さと建物の高さをひっかけたのが、「十二階」 です。
 当時、10階以上の建物なんて、地方都市はありませんでしたからね。
 でも10階でなく、12階にしたのは、ゴロが良かったからだと思います。


 あー、スッキリしました。
 数日間かけた僕の “昭和謎学の旅” が終わりました。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:49Comments(2)昭和レトロ

2022年02月04日

脱脂粉乳の境界線


 「この間のブログ、面白かったです。私も脱脂粉乳世代ですから」

 先日のイベント会場で、知人の女性に声をかけられました。

 「えっ、脱脂粉乳世代なの?」
 若く見えますが、ということは50代後半以上ということになります。

 昭和を代表するキーワード、「脱脂粉乳」。
 その言葉を知っいるか、知らないかで、世代が分かる “踏み絵” といえそうです。


 今週、テレビ番組の撮影があり、その移動中のロケ車内でのこと。
 年配のカメラマンが、僕の年齢を訊いてきました。

 「昭和33年生まれです」
 と応えると、
 「私より2つ、お兄さんですね」
 とのこと。

 ということは、彼もまた脱脂粉乳世代であります。

 「じゃあ、脱脂粉乳は知っているよね?」
 すかさず、“踏み絵” を問いました。
 すると、
 「ええ、知っていることには知っているのですが、飲んだような、飲まなかったような……。味とかは、まったく覚えていません」

 なに?
 2歳違いなら、絶対に脱脂粉乳世代のはずです!
 まさか、この2歳の違いに世代の境界線があるのだろうか?


 ということで、調べてみました。
 まず、「脱脂粉乳」 ですが、牛乳から脂肪分を取り除き、水分を飛ばした粉末の乳製品のことです。
 栄養価が高いことから戦後、しばらく学校給食で飲用されていました。

 食器は、アルマイト製。
 ご存じない?
 アルマイトとは、アルミニウムを加工したもので、軽くて丈夫なことから学校給食などに多く使用されました。
 確か、金色と銀色の2種類があったと記憶しています。

 ただアルマイト製の食器には、難点もありました。
 熱伝導率が高いため、器が熱くなり過ぎて、持てないということ。
 そのため、子どもたちは 「ひっかけ指」 というおかしな持ち方になり、当時は問題になりました。

 何よりも脱脂粉乳の話題で尽きないのは、その味です。
 とにかく、マズイ!
 そして、クサイ!

 みんな鼻をつまんで飲んでいました。
 だから牛乳に替わった時は、うれしかった!
 

 では、いつ学校給食の脱脂粉乳は姿を消したのでしょうか?
 確か僕の小学校では、3年生まで脱脂粉乳で、4年生から牛乳になったと記憶しています。

 学校給食の歴史を調べてみました。
 <昭和33(1958)年から一部地域が牛乳へ移行>
 とありますが、これは試験的に行った都市の一部地域だったようです。
 <昭和49(1974)~50年に全国完全牛乳が提供>
 とありますから10数年をかけて、徐々に移行していったことになります。

 地域によって、移行された年も異なるということですから、カメラマンが通っていた小学校は、比較的早い時期に牛乳へ移行されたのかもしれません。
 とはいえ、昭和50年には完全に牛乳になったわけですから、脱脂粉乳を知っている人は昭和43年以前生まれということになります。

 ここが脱脂粉乳の境界線です!


 みなさんは、脱脂粉乳を知っていますか?
 知っている人は、何年生まで飲んでいましたか?
  


Posted by 小暮 淳 at 11:55Comments(0)昭和レトロ

2022年01月27日

エクレという謎の菓子


 昨日の続きです。

 「昭和あるある」 の貧乏話の次は、真逆の稀有な存在だった裕福な家庭の子の話。
 いわゆる “お大尽” の家の子です。

 クラスの半分以上の子は、貧乏でした。
 その原因は、サラリーマン家庭がまだ少なかったからです。
 特に僕が育った旧市街地は、商人のうちの子が多かったんです。
 八百屋や肉屋、豆腐屋、床屋、クリーニング屋……

 どこの家も、両親共働きで細々と商っていました。


 でもいるんですよ!
 クラスに一人か二人、お大尽の家の子が!
 昭和の貧富の差は、令和の差ではありませんでした。
 着ている服や持ち物が違うだけでなく、生活そのものが異次元でした。

 W君のお父さんは、某企業の社長さん。
 僕ら (貧乏人) は、彼の家へ行くのが、楽しみでなりませんでした。
 「うち来る?」
 放課後、そう誘ってくれるのを、誰もが待っていました。


 白く続く長い壁、大きな鉄製の門。
 インターフォンを鳴らして、僕らは、その横にある小さなドアを開けて入ります。
 敷地内には樹木が植えられ、その間を白いコンクリートの道が続いています。
 その先には、町中では滅多に見かけない外国製の自動車が数台ありました。

 彼の家にあるのは、ガレージだけではありません。
 玄関は、ホテルのロビーのように広く、天井が異様に高いのです。
 庭にはテラス、2階にはベランダがありました。

 何よりも僕らが驚いたのは、屋上があること。
 だって、個人の家の屋根といえば、瓦かトタンです。
 僕らが知っている屋上は、デパートだけでしたから、とにかく興奮しました。

 「W君ちって、屋上があるんだよ。デパートみたいなんだよ!」
 そう親に告げた記憶があります。


 彼の部屋には、床一面に絨毯が敷かれていました。
 おもちゃもリモコンで動く高価なものばかり。
 僕らがサンタクロースにお願いしても、絶対に届かないおもちゃです。

 そして、ついに、その時がやって来ます!
 僕からが彼の家に遊びに行きたかった一番の理由。
 それは、「おやつの時間」 です。

 その時に、おやつを持ってきてくれた彼のお母さんが凄かった!
 ミニスカートにロングヘアでスタイル抜群。
 いつも割烹着姿の僕らの母親とは似ても似つかない、グラビアから抜け出たように若くて綺麗な人でした。
 (お金持ちを絵に描いたような家です)


 おやつは、決まって、ケーキと紅茶。
 紅茶を飲むこと自体が初めてのことなのに、カップの中にはレモンの輪切りまで浮いているのです。
 ケーキは、遊びに行くたびに違いました。
 イチゴのショートケーキだったり、チョコレートケーキだったり、シュークリームだったり……

 ある日、見たこともないお菓子が出てきました。
 シュークリームのようですが丸くなく、細長いシュー皮の中にクリームが入っていて、全体にチョコレートがかかっています。

 「なんていうお菓子だろう?」
 「どうやって食べるんだろう?」

 戸惑っている僕らにW君は、
 「エクレア、知らないの? こうやって食べるんだよ」
 そう言って、底の銀紙を上手にめくりながら、パクリと口の中に頬張りました。


 さて、帰り道のこと……
 「さっきのお菓子、なんて言ったっけ?」
 僕らは、シャレた洋菓子の名前を覚えていませんでした。
 「エク……なんとかじゃなかったっけ?」
 「そうそう、そんな名前だった」
 「エクレとか?」
 「そーだ、エクレだよ」

 当然、僕ら貧乏人は、その後、大人になるまでエクレアを口にすることはありませんでした。
 そして、大人になるまで、「エクレ」 だとばかり 思っていました。


 「昭和あるある」 いや、「貧乏人あるある」 ですね。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:58Comments(0)昭和レトロ

2022年01月26日

青っ洟とアップリケ


 マイブームは、「昭和あるある」 です。

 「あんなことがあった」 「こんなこともあった」 と、同時代に幼少期を過ごした人たちと、昭和の思い出を語り合うのが楽しくて、ついつい足を運んでしまいます。
 昨晩も酒処 「H」 は、昭和大好きおじさまとおばさまが、言葉のタイムマシーンに乗って、時間旅行へと出かけました。


 今回のテーマは、「貧乏」。

 令和の世の中では、“貧しさ=悪い事” のようにとられがちですが、昭和30~40年代は貧乏な家の子が大多数でしたから、貧乏は恥ずかしいことではなかったのです。
 だから 「お下がり」 や 「お古」 なんて当たり前でした。

 「姉がいたから、私は新しい服なんて買ってもらった記憶がないよ」
 「俺なんて、ランドセルが兄貴のお下がりだったもの」

 なんていうのは、普通です。
 かわいそうだったのは、異性のきょうだいからのお下がりです。
 男の子なのに、赤い筆箱やピンクの道具入れを持たされていた子もいましたから。


 「服も、ツギハギだらけだったな」
 「そうそう、母親に頼んで、アップリケを付けてもらった」
 「アップリケなんて、金持ちの子だよ!」
 「そうだよ、俺なんてさ、色の違う生地でのツギハギだぜ。かーちゃんに 『恥ずかしいから、同じ布にしてくれ』 って泣いて頼んだ記憶がある」

 靴下や服がツギハギなんて、いいほうです。
 僕なんて、下着までツギハギでしたもの。
 身体検査の日、友だちの前で大恥をかいた、嫌な思い出があります。

 「かあちゃん、なんで “おニュー” を出しておいてくれなかったんだよ!」
 「ごめんね、今日が身体検査の日だったなんて、忘れていたよ」
 なーんてね、オフクロを責めたものでした。


 貧乏は、身なりだけと限りません。
 昭和の子どもたちの健康面をもむしばんでいました。

 「そういえば、みんな服の袖口がテッカテカだったよな」
 「そうそう、女子だって冬になるとセーターの袖が、カッピカピだった(笑)」

 思えば、みんな冬になると鼻水を垂らしていたんです。
 きっと住宅事情が悪くて、家の中が寒かったんでしょうね。
 冬になると鼻水が止まらなかった記憶があります。


 「水っ洟(ぱな)じゃなくて、青っ洟を垂らしている子っていたよな」
 「いたいた!」

 若い人は分からんでしょうな。
 少し緑がかっていて、ドロッとした粘着力のある鼻水のことです。
 低学年の子に多かったような気がします。
 それを服の袖でぬぐうものだから、テッカテカやカッピカピを通り越して、ベットベトでした。

 これは大人になってから知ったことですが、青っ洟って、タンパク質不足なんですってね。
 栄養が足りてなかったということです。
 我々は、脱脂粉乳世代ですからね。
 ※(脱脂粉乳が分からない人は、調べてみてください)


 「貧乏だったのに、なんで、あんなに楽しかったんだろう」
 「本当だね」
 「あの時代に戻りたいとは思わないけど(笑)」

 貧乏が笑い話にできるんですから、きっと今が幸せなんですね。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:50Comments(0)昭和レトロ

2022年01月19日

風に散る散るドッポン便所


 常連客の平均年齢が還暦以上という、どっぷり昭和世代が集まる店ですから、当然、知らずのうちに昔話に花が咲きます。

 “昭和あるある” ネタです。


 先日も酒処 「H」 では、昭和をこよなく愛するおじさまとおばさまたちが、ひと夜限りの “昭和あるある旅行” を楽しみました。
 まずは、「ドッポン便所」。
 いわゆる、汲み取り式トイレのことです。

 確か、我が家のトイレが水洗になったのは小学生中学年でしたから、昭和40年代の前半ということになります。

 「よく、おふくろが財布を落として、騒いでいたっけ」
 「ああ、ズボンのポケットの中の物を、よく落としたよ」
 「ドッポ~ンてね」

 だからドッポン便所なのです。

 「バキュームカーが汲み取りに来たよね」
 「そうそう、バケツで水を運んだ」
 「えっ、なに、それ? 知らない」
 「水分が足りないと、汲み取れないのよ」
 「『奥さ~ん、もっと水足して~』 なんて、清掃員が外で叫んでたよね」

 こんな話題にもなりました。

 「紙が硬くてさ、尻が痛くなったな」
 「そうそう、色の黒いチリ紙だった」
 「うちなんて田舎だからさ、新聞紙でケツ拭いてたぞ!」
 「ばーちゃんちが、そうだった」
 「よーく、揉んでから使うんだよね」

 そうなんです!
 今のようにトイレットペーパーがなかった時代のこと。
 A5サイズぐらいにカットされた新聞紙を、やわらかくなるまで揉んで、お尻を拭いていましたっけね。


 「電車だって、ドッポン便所だったからね」
 「怖かった~! レールが見えるんだもの」
 「走行中にしか使用しちゃいけんいんだよね」
 「ウンチもオシッコも、風に散って行った(笑)」

 今思うと、なんて不衛生だったのでしょうか。

 「俺んちさ、線路沿いだったんだよ」
 「ということは?」
 「ああ、線路端で遊んでいると、冷たい霧が飛んでくるんだよな(笑)」
 「霧なら、まだいいけど、黄色いみぞれじゃたまらねーな(笑)」


 カウンター席は、“昭和あるある” が止まりません。

 みんな、あの頃が大好きなんですね。
 でも誰もが、あの頃に戻りたいとは思っていないようです。

 つくづく、清潔で安全で便利な世の中になったと思います。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:34Comments(2)昭和レトロ

2022年01月18日

町中華の条件


 <夜分にすみません。明日の朝刊に赤城山の良い話が出ます!>

 昨晩遅く、メールが届きました。
 送信主は、このブログでも、たびたび登場している新聞記者のKさんです。


 どれどれ、どんな記事を書いたのかな?
 と今朝一番でコンビニに走りました。

 ≪町中華 笑顔に押されて50年≫

 朝日新聞群馬版に、そんな見出しを付けたブチ抜き5段の大きな記事が載っていました。
 内容は、赤城山南麓にある中華料理店の話。
 昭和47(1972)年に開業した、どこの町にでもある普通の “町中華” です。

 しょうゆラーメン、焼きそば、チャーハン、カレーライス、カツ丼……
 そして野菜炒め、ニラレバ炒め、モツ煮などの定食類……


 現在は前橋市に合併されているが、場所は旧宮城村役場の近く。
 昔から、「知らない町に行って、うまい食堂を見つけるなら役場の近くを探せ」 と言われるが、この店もその条件に当てはまります。

 <村の人口は約8千人。コンビニもスーパーもなく、「はしもと」 は村人たちが集まるコミュニティーの場でもあった。日が沈むころになると、一杯飲むのを楽しみにやってくる人も多かったという。> 

 奇をてらう表現はなく、K記者の文章は、たんたんと昭和の面影を色濃く残す庶民的な “町中華” の魅力を綴っています。


 さて、「町中華」 という言葉、聞きなれて久しいのですが、いつ頃から、そう呼ばれるようになったのでしょうか?
 K記者は、その語源についても記しています。

 <庶民的で地域に根ざした中華料理店を訪ねて歩く動画が2014年、ネットにアップされたのをきっかけに人気が広がった。「街中華」 とすると、横浜や神戸の中華街を思い起こさせるので 「町中華」 と書く。>
 とのことです。

 では、その定義は?

 「町中華探検隊」 隊長のライター、北尾トロさんは、「町中華は定義できない」 とした上で、いくつかの条件を挙げています。
 ①1千円以内で満腹になる
 ➁麺類、飯類、定食などメニューが多彩
 ③チェーン店ではない
 ④長時間並ばないと食べることができない店でない
 これに、「店主の人柄」 というのも加わります。


 さすが風俗・大衆ネタを得意とするK記者だけあります。
 記事を読み終えたときには、鼻先にチャーハンの香ばしいにおいが、まとわりついていましたよ。

 よーし、今日の昼飯は、学生の頃よく通った、あの店に、久しぶりに行ってみよう!
 もちろん、チャーハンには餃子を付けて。
 う~ん、待つまでの間、瓶ビールを1本いただきますかっ!
  


Posted by 小暮 淳 at 11:17Comments(2)昭和レトロ

2021年11月01日

貸本屋のオババに愛をこめて


 先週、漫画家の白土三平さんが亡くなられました。

 白土さんといえば、昭和の戦後世代にとっては、子どもの頃に貸本漫画で活躍した漫画家です。
 「カムイ伝」 や 「忍者武芸帳」 などは、まさに貸本文化を支えたヒット作でした。
 ※(当時を語る場合は 「マンガ」 ではなく 「漫画」 なんですね)


 昭和30~40年代に少年期を過ごした僕ら世代にとって貸本屋は、駄菓子屋と並ぶ “二大娯楽の聖地” でした。
 僕が生まれ育った旧街地には、たくさんの貸本屋があり、子どもが歩いて行ける町内だけでも2軒の貸本屋がありました。

 書籍は図書館でも借りられましたが、漫画は置いてありません。
 当時の漫画本 (単行本) は価格も高くて、子どものお小遣いでは買えませんから貸本屋は、ありがたい存在でした。


 確か、1冊1日=10円だったと記憶しています。
 放課後に友だちと一緒に10円玉を握りしめて、一目散に貸本屋へ走ったものです。
 でも、ほとんどの子どもが1日10円の日払い制のお小遣いでしたから、1日1冊しか借りられません。
 そのため、迷い迷い、なかなか借りる本を選べずにいると、
 「何時間いるんだい! 決まらないんなら他の客の迷惑だから、さっさと帰んな!」
 と、オババの怒声が飛んできます。

 「やべ~、どうする?」
 「あっちに行く?」

 “あっち” というのは、町内のもう1軒の貸本屋です。
 店主は男の人で、物静かで、子どもたちにも優しいのですが、どちらかというと大人向けの書籍が中心で、漫画本が少ないのです。
 だから僕らは、いつも恐怖心を抱きながらも漫画本の多いオババの店に通っていたのです。

 「ああ……、はい、すぐ決めます」
 「僕は、これにします」
 と毎度、あわてて10円玉を添えて、選びに選んだ1冊の漫画本をオババに手渡すのでした。


 当時の子どもたちに一番人気だったのは、手塚治虫や水木しげるの作品。
 僕はギャグ漫画が好きだったので、赤塚不二夫の 「ヒッピーちゃん」 がお気に入りでした。
 それと、ホラー漫画もよく借りてました。
 楳図かずおや日野日出志なんて、借りたのはいいものの夜には読めず、翌日の朝早く起きてから読んだものです。


 あれから半世紀……。
 ときどき自転車で貸本屋があった場所を通ることがあります。
 おじさんの店があった場所は、一般の住宅になっています。
 オババの店の跡地には、マンションが建っています。

 いまはスマホで漫画が読める便利な時代です。

 でも僕は、昭和という時代を振り返るたびに、いつも、こう思います。
 「“不便” より “便利” のほうが良いに決まっているけど、不便だった世の中の方が、人が手をかけ工夫しながら生きていたな」 と。


 半世紀後の世の中は、どんなふうに変わっているのでしょうか?
 想像もつかない世の中なんでしょうね。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:11Comments(0)昭和レトロ

2021年10月01日

カラスなぜ鳴くの?


 秋の日は釣瓶落とし……
 夕方5時近くなると、あたりは急に暗くなり始めます。

 最近は、外で遊ぶ子どもたちの姿を見かけなくなりましたが、僕が子どもの頃は、小さい子から大きな子まで、みんなが空き地や広場、神社やお寺の境内で、日が暮れるまで遊び続けたものです。

 「カー、カー、カー」

 どこかでカラスが鳴くと、その日の遊びは、そこで終了です。

 「カラスが鳴くから、かーえろー!」
 誰かが言うと、
 「オレも」 「ワタシも」
 と、一目散に家路を急いだものでした。


 なんでなんでしょうか?

 昭和の子どもたちは、誰もが親に 「カラスが鳴いたら帰って来るんだよ」 と言われていたんですね。

 でも、なぜ、カラスが鳴いたら家に帰らなくてはならなかったのでしょうか?


 大人たちは、こんなことも言ってました。
 「朝からカラスの泣き声が、うるさいね。どこかで人が死んだかね」

 実際、その翌日に近所で葬式があったこともあり、子どもたちにはリアルに “カラス” は、あの世からの使者だと信じられていました。


 昔々、「死」 というものは “ケガレ” の最たるものとして忌み嫌われていました。
 そのため、今のように死者を弔う気持ちもなく、死人が出ると遺棄されていたといいます。
 当然、雑食であるカラスは、死体に群がったことでしょう。

 また、埋葬が行われるようになっても、死者には枕飯や枕団子といった食べ物をお膳にのせて、墓場まで運びました。
 それを狙うカラスが、いつも墓場にいても不思議はありません。

 やはりカラスは、死を連想させる不吉な鳥ということになります。


 そんな忌み嫌われたカラスが、夕方になると、一斉にねぐらに帰って来ます。
 子どもたちが遊んでいた神社やお寺の境内には、大きな木があります。
 当然、鳴きますから、時計を持たない子どもたちには、時刻を知る合図にもなるわけです。

 これって、今思うと昔の人の知恵だったんですね。
 大人たちは、言い伝えや伝説を利用して、子どもたちを怖がらせて、暗くなる前に家に帰ってくるように仕向けていたのだと思います。


 そのカラスも今じゃ、ゴミをあさる町のやっかい者あつかいです。
 カラスが鳴いたからって、家に帰る子どもは、令和の時代にはいないんでしょうね。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:08Comments(2)昭和レトロ

2021年08月03日

本屋の御用聞き


 <昔は御用聞きというのが頻繁に家に来ていた。いつ頃から見かけなくなったのかは定かではないが、私の子供の頃には確かに日に何人かが出入りしていた。「奥さ~ん、○○クリーニングだけど、どう、間に合ってる? それじゃ、またよろしく!」 てな具合に声をかけて行った。>
 (拙著 『上毛カルテ』 第一章 「まちとのコミュニケーション」、「いつか見ていた風景」 より)


 またまた “昭和ネタ” で恐縮です。
 今日は、「御用聞き」 の話。

 僕が子供時代を過ごした昭和30~40年代は、まだまだ古き良き “向こう三軒両隣” の地域社会が残っていました。
 隣近所は家族と一緒で、味噌やしょう油の貸し借りはもちろんのこと、「湯をもらいに」 なんて言って、風呂まで入りに行ったものでした。

 冒頭のクリーニング屋しかり、米屋や酒屋も、みんな町内の顔見知りのおじさんで、「御用聞き」 に現れては、うちのオヤジに取っ捕まって、お茶を飲んだり、将棋を指して、注文を取るのも忘れ、“油を売って” 帰ったものでした。
 今思えば、なんとも和気あいあいで、のんびりした時代でした。


 さて、「御用聞き」 の中でも、我が家には一般家庭には、あまり現れない御用聞きが頻繁に出入りしていました。
 それは、本屋さんです。

 オヤジの職業が私塾経営ということもあり、職業柄、書籍類を多く購入していたことと、オヤジが一日中家に居たというのが、書店員が訪れていた理由のようであります。
 新刊書籍の発売や文学全集、美術全集、百科事典など、書店員は大きなカバンにドッサリと資料を持ってやって来ます。
 オヤジは週刊誌や月刊誌なども購読していたので、それこそ月に何度も書店員は、我が家にやって来ました。

 活字好きで話し好きのオヤジにとって書店員は、格好の暇つぶしの相手ということです。


 「おーい、ジュン! ちょっと来い」
 ある日、僕は玄関先で本屋さんと話しているオヤジに呼ばれました。
 「どうだ、この本、興味あるか?」

 床に広げられたパンフレットには、大好きな恐竜の絵がいっぱい描かれていました。
 「えっ、恐竜の図鑑なの!?」
 すると本屋さんが言いました。
 「坊ちゃん、これはね、『地球の歴史』 という本なんだよ。どのようにして地球が誕生したのか? のちに地球に生物が生まれ、人類が誕生するまでを、子どもでも分かるように書かれている本なんだ」

 その図鑑は、シリーズで5~6巻もありました。
 でも、僕が欲しいのは、“恐竜誕生” の巻だけです。

 「これだけ欲しい」
 と僕がいうと、本屋さんは困った顔をしてしまいました。
 それを聞いていたオヤジが言いました。
 「よし、他の巻も読むなら買ってやろう」
 「うん、分かった」
 「約束だぞ!」


 そして数週間後、我が家に立派な図鑑が届きました。
 それでも僕がページを開くのは、恐竜が載っている巻だけです。

 半年ほど経ったある日のこと、オヤジが突然、部屋に入って来て言いました。
 「図鑑を出せ! どこまで読んだ? どんなことが書いてあったか言ってみろ!」
 すごい剣幕です。

 僕が、「まだ恐竜しか読んでいない」 と答えると、オヤジの怒りは心頭に発し、ついには、
 「分かった、おまえは約束を破った。この本は、要らないということだ!」
 そう言って、なんとオヤジは、図鑑を次から次へと破り出したのであります。

 泣きわめく僕の声を聞きつけて、オフクロが飛んできました。
 「おとうさん、何もそこまでしなくても」
 とオヤジの手を止めに入った時には、時すでに遅く、全巻がズタズタに破かれていました。

 その後、僕はオヤジに謝り、許してもらい、図鑑の破損したページをセロハンテープで貼り合わせて補修し、全巻を読破しました。


 約束は守ること。
 本は読まなければ意味がないことを学びました。

 “三つ子の魂百まで” なのでしょうか?
 長じて僕は、書店、出版社、雑誌社に勤めることになったのですから。

 今は、ただ亡きオヤジに感謝しかありません。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:48Comments(0)昭和レトロ

2021年08月01日

アメンボのいない夏


 僕が子どもの頃は国道や県道は別として、住宅地には、まだまだ未舗装の道路が多く残っていました。
 それゆえ夏の午後、夕立が通り過ぎると、道のあちこちに水たまりができました。
 すると、どこからともなく、その水たまりにアメンボが飛んで集まって来ます。

 スーイスイ、スーイスイ……

 雨上がりの道に陽が射して、キラキラと光る水たまりに、銀色の虫。
 学校の帰り道、閉じた傘を振り回しながら、アメンボを追い回したものでした。


 「アメンボは、『飴ん坊』 って書くんだよ」
 と教えてくれたのは、クラスで “昆虫博士” と呼ばれていたY君でした。
 「へ~、雨が降ると現れるからアメンボじゃないんだ~」
 と、誰もが彼の博学ぶりに感心しました。

 「じゃあ、なんで、なめるアメなんだよ?」
 僕らの疑問にY君は、まってました!とばかりに、自慢げに答えます。
 「甘い味がするからだよ」

 「え゛え゛え゛っーーーー!!!」
 と驚く一同。
 「サルビアの蜜ような味がするのかな?」
 「だったら、なめてみようぜ」
 ということになり、虫取りアミを持ってきて、人数分を捕まえました。

 「誰から、なめる?」
 「やっぱ、言い出しっぺのY君からだろ」
 そう言われて、知識では知っていたが、まだ味は未体験のY君が、一番先にアメンボを口の中へ……

 「どうだ?」
 表情一つ変えずにいるY君に、みんなが問い詰めます。
 「自分で味見して見ろよ!」
 といわれ、一同、恐る恐るアメンボを口の中へ入れました。

 「オエエエエーーーーッ!!!」


 これは後になって分かったことですが、アメンボの名前の由来は、小さな虫をおびき寄せて捕食するために甘いにおいを出すからでした。
 また体つきが、棒のようように細長いため 「飴ん棒」 とも表記されるそうです。
 (ちなみにアメンボは、あの臭いカメムシの仲間です)

 だから決して、なめると甘い味がするわけではなかったのです。


 思えば最近、とんとアメンボを見かけません。
 いえいえ、もう何十年と見ていないような気がします。
 いったい、どこへ行ってしまったのでしょうか?
 他の昆虫たちと同様に、農薬等の影響で姿を消してまったのでしょうか?

 もしかしたら僕が気づかないだけで、田んぼや池や沼で、ひっそりと暮らしているのかもしれませんね。
 でも、街の中は、どこもかしこもコンクリートとアスファルトに覆われてしまい、昔のようにアメンボたちが飛んで来れる水たまりができなくなってしまったことが、見かけなくなってしまった一番の要因かもしれません。


 どうやら今年も、アメンボのいない夏のようです。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:38Comments(0)昭和レトロ