2022年12月17日
祝出版! 『群馬を書く』
ブログにも時々登場する僕の呑み友達で、新聞記者の小泉信一氏が、このたび新刊本を出版されました。
『絶滅危惧種記者 群馬を書く』 (コトノハ株式会社) 1.500円+税
本の帯には、こんな言葉が躍っています。
≪定年間際の異動命令。――偶然か、必然か? 現場至上主義をつらぬく、人呼んで 「絶滅危惧種記者」 が30年ぶりに赴いた先は、記者駆け出しの地・群馬だった!≫
≪街角の光景や人情の機微―― 「ハーナビ(鼻ナビ)」 をたよりに歩き、聞き、書き留めたガイドブックには載らない、魂の群馬本≫
≪社内の派閥から一線を画し、「街ダネ」 にこだわり続けたベテラン記者が綴る群馬イムズ!≫
≪鎌田慧氏特別寄稿≫
小泉氏は現在、朝日新聞編集委員 (大衆文化担当) 兼 前橋総局員。
昭和36(1961)年、神奈川県川崎市生まれ。
列島放浪後の昭和63(1988)年、朝日新聞入社。
初任地の前橋をスタートに全国の支局で記者として活躍の後、東京社会部の大衆文化担当記者を経て、編集委員になりました。
令和3(2021)年4月から前橋総局員を兼務しています。
僕との出会いは、まさに昨年の4月。
彼が前橋に赴任して来て、すぐのことでした。
彼の嗅覚 (小泉氏いわく、「ハーナビ」) が酒処 「H」 を探し出し、そこで僕の著書と出合ったことから始まりました。
※(出会いについては、当ブログの202210月8日 「未確認生物を語る」 参照)
以来、僕と彼はネタを提供しあい、同じライターとして刺激し合っています。
ので、彼の新聞記事には、たびたび僕が登場します。
新刊本の 『絶滅危惧種記者 群馬を書く』 は、昨年4月以降の新聞に掲載された記事を収録したものです。
よって、僕のことも書かれています。
いったい何回登場するのかと数えてみると……
おったまげ~!
なんと、「小暮淳」 という名前が、本の中に8回も出てくるじゃありませんか~!
(自分の著書だって、表紙と奥付にしか名前は記載されないのに)
ちなみに、以下の収録記事に僕が登場します。
●P11 “神社紙芝居” コロナ禍の子ら励ます
●P59 猿ヶ京温泉 「わらしの宿 生寿苑」、記者再訪
●P69 伊勢崎に浦島太郎伝説
●P76 温泉の宝庫、地味でも極楽~
●P78 強烈な薬効、江戸城に運び有名に
●P109 国定忠治の最期の一献、落語に
●P122 拙者、焼きまんじゅうろうでござる
●P153 忠治の故郷は、粉もん天国
興味を抱いた方は、ぜひ、手に取ってみてください。
県内の書店にて、絶賛発売中です。
2022年11月16日
娘の気持ち
<父はお酒を飲むと、まるでたあいない子供になってしまう。そして酔っくると、次第にお酒をびしゃびしゃお膳にこぼしはじめ、それにつれてお菜を、膝の上から畳の上一面にこぼすのだった。だから父の立ったあとは、まるで赤ン坊が食べ散らかしたようなのであった。>
(『父・萩原朔太郎』 「晩酌」 より)
遅ればせながら、萩原葉子さんの 『父・萩原朔太郎』 を読みました。
初刊は昭和34(1959)年。
その後、各社から新版や文庫本も刊行されていますが、なぜか手にする機会を逸して、今日まで来てしまいました。
今回、読むきっかけとなったのは、2つ。
1つは、今年没後80年となった前橋市出身の詩人、萩原朔太郎 (1886~1942) をテーマとする共同企画展 「萩原朔太郎大全2022」 が全国の文学館などで開かれていること。
群馬県内でも10施設が参加、同時開催をしているため、ひまを見つけては足を運ぶようになったためです。
もう1つは今年、小学館の 「P+D BOOKS」 という安価なブックレーベルから同書が発刊されたこと。
「P+D」 とは、ペーパーバックとデジタルの略称で、現在、入手困難になっている作品を、B6判のペーパーバック書籍と電子書籍で、同時かつ同価格で発売・発信しています。
ペーパーバックはブックカバーのない、ソフトカバー本なので、持ち運びも便利で、気軽に読めるところが気に入っています。
萩原朔太郎については、さまざまな著書が刊行されているので、詩人としての作品や識者が評している人となりには触れることはできますが、“家庭人” としての朔太郎を知るには、やはり家族目線が一番リアルです。
しかも “娘” となれば、親きょうだい、妻から目線とは、かなり異なるのではないでしょうか?
同書には、こんなシーンが出てきます。
<父はある日私を見ると、ちょっと笑いながら 「喫茶店に行ったことあるか?」 と聞いた。
私は、喫茶店もバーも祖母のいうように、みんなこわい女のいるところだと思っていた。私が、ないというと、
「じゃ連れて行ってやろう」 といった。耳の悪い祖母は、へんなときによく聞こえるもので、隣の部屋からあわてて出てくると、
「女学生に喫茶店なんてところはもってのほかだよ」 と父に怒っていった。>
それでも2人は、夕方になり、カフェへ出かけて行きます。
<ボックスの向こう側にソフト (帽子) を脱いで坐った父は、まがわるそうに、たばこばかりのんでいた。私もどこを見てよいのか困った。こういう所で父と二人きりになるのが、妙にきまりわるくて嫌だった。>
そして、僕も何十年も前の、ある日のことを思い出していました。
長女と出かけたコンサートの帰り道。
コーヒーショップに入った夕暮れの風景を……
どんな会話をしたのだろうか?
たぶんコンサートの感想を話し合ったのだと思いますが、今は何一つ思い出せません。
娘とは、父親にとっては不思議な存在です。
息子とは男同士という共通点があるので、言葉を交わさなくても分かり合えることがあります。
でも娘は、違います。
小さいときは、自分の子どもだという意識があるのですが、思春期を迎えると、もうダメです。
父は、父として接しられなくなる瞬間が訪れるのです。
我が子であり、我が子ではないような。
娘であり、娘ではないような。
時には、恋人を見るような面映ゆい想いを抱くこともありました。
葉子さんの描写を通して、僕は、すでに巣立ってしまった娘たちの言動や行動を懐古しながら読み終えました。
はたして、僕の娘たちは、父をどのように見ていたのでしょうか?
また今は、どのように見ているのでしょうか?
訊いてみたいような、怖いような……
でも訊いてみたいような……
複雑な読後感を味わいました。
2022年10月31日
北の町から届いた牧水の手紙
きっかけは、地元紙に載っていた記事でした。
≪町民団体が冊子作成≫
≪牧水歩いた みなかみ知って≫
歌人の若山牧水 (1885~1928) は、大正11(1922)年に群馬県みなかみ町を訪れています。
今年は、その訪問からちょうど100年後にあたります。
その記念もあり、牧水の短歌愛好家が集う 「みなかみ町牧水会」 が中心となって、牧水のたどった所を一冊にまとめたという記事でした。
冊子の題名は 『千日堂から牧水が眺めた・みなかみ みなかみ町名の由来』。
編集は、「みなかみ町まちづくり協議会 月夜野支部」 とあります。
だだし、“非売品” とのこと。
でも、欲しい!
旅と温泉と酒を愛した牧水のことを、もっと知りたい!
しかも、非売品となれば、何が何でも手に入れたい!
ということで、すぐに、みなかみ町観光協会に電話を入れました。
「みなかみ温泉大使の小暮です」
申し訳ないが、冊子を手に入れるために肩書を利用させていただきました。
「非売品とのことですが、なんとか手に入りませんかね?」
すると担当者は、こう言いました。
「編集の委員長が私の高校の恩師なんですよ。訊いてみます」
そして1か月後の先日、待望の冊子が届きました。
A5判、78ページの簡易冊子であります。
でも本文はカラーで、牧水の旅の様子が時系列に記されています。
みなかみ町は平成17(2005)に、月夜野町と水上町と新治村が合併して誕生しました。
ほとんどの人が、水上町をひらがな表記にしただけだと思い込んでいるようですが、違います。
若山牧水が大正11年の旅を記した 『みなかみ紀行』 に由来します。
本著は、そんな町の説明から始まります。
そして、沼津→東京→信州→嬬恋村→草津温泉→花敷温泉→沢渡温泉→中之条→渋川→沼田→法師温泉→笹の湯(現・猿ヶ京温泉)→湯宿温泉→沼田→老神温泉……
と、2週間にわたる旅の様子を古い町の写真を交えながら紹介しています。
出色は、なんといっても牧水が旅の最中に妻・喜志子さんに宛てた手紙の文面を 『みなかみ紀行』 の本文と交互に並べている構成にあります。
牧水はマメに手紙を出しており、日付と時刻まで記しています。
よくぞ、こんなにも手紙が残っていたと、感心します。
みなかみ町まちづくり協議会月夜野支部のみなさん、ありがとうございました。
心より感謝いたします。
今後ともよろしくお願いいたします。
僕も町の温泉大使として、牧水が愛した “みなかみ” の温泉を、全国に紹介していきます。
2022年09月05日
永遠の夏休み ~stand by me~
夏になると、読みたくなる小説があります。
毎年、ふっと思い出し、書庫に駆け込み、ひと通り探してみるのですが、見当たりません。
「確か、あったはずなのに……」
そう、一人ごちながら、あきらめてしまうのが常でした。
でも、今年は違いました。
「絶対、あるはず!」
と信念をもって、徹底的に探しました。
でも、見当たりません。
ここまで探して見つからないと、例年のように、あきらめられません。
「見つからないということは、ないんだ!」
と、探すことをあきらめた僕は、書店に直行しました。
そして、数十年ぶりに、本と再会しました。
湯本香樹実・著 『夏の庭 ─ The Friends ─ 』 (新潮文庫)
物語は、小学6年生の仲良し3人組男子の、ひと夏の経験です。
1人が、祖母の葬式に参列してきた話をするシーンから始まります。
「人は死ぬと焼かれるんだ」 「一時間後には骨になるんだ」 「その骨を、みんなでお箸でつまんで、骨壺に入れるんだ」
2人は、本物の 『死んだ人』 を見たことのある友人に羨望を抱き、嫉妬します。
そして、それが、夏休み最大の課題となりました。
人は死んだら、どうなるのか?
この目で、見てみたい。
ある日、3人は、近所の婦人たちが話していたうわさ話で盛り上がります。
「あそこのおじいさん、もうじき死ぬんじゃないかって言ってた」
だったら、そのおじいさんの死ぬ瞬間を見てやろう!
そして、3人のひと夏の冒険が始まります。
まさに、日本版 「スタンド・バイ・ミー」 なのであります。
この小説が書かれたのは、平成4(1992)年ですから、僕は、すでに大人でした。
なのに、強烈な印象を残しているのは、完全に忘れてしまっていた小学生時代の瑞々しい感性が、読後によみがえって来たからであります。
“夏休み” という甘酸っぱい響きと、“冒険” という心くすぐる体験。
そこに、“死” という未知への恐怖が加わり、少年たちの夏は、一気に盛り上がります。
同時に、僕の中に眠っていた少年も目覚め、彼らと一緒に、ひと夏の冒険をするのでした。
「これで、今年の夏休みも終わったな」
それが、今回の読後の感想であります。
ちなみに本作品は、平成5(1993)年に日本児童文学者協会新人賞、児童文芸新人賞を受賞。
また映画・舞台化もされ、世界10ヵ国以上で翻訳され、同9(1997)年にボストン・グローブ=ホーン・ブック賞、ミルドレッド・バチェルダー賞に輝いています。
ご興味を抱いた方には、一読をおすすめします。
ひと足遅れの夏休みを体験をしてみては、いかがですか?
2022年08月29日
自問坂と無言館
今、僕の机の上には、一冊の新書本が置かれています。
『無言館ノート ──戦没画学生へのレクイエム』
表紙をめくると、達筆な筆文字で、こう書かれています。
<小暮淳へ>
<二〇〇一、七、一九>
<窪島誠一郎>
先日、日本テレビ系のチャリティー番組 「24時間テレビ」 内で放送された、劇団ひとり監督・脚本によるスペシャルドラマ 『無言館』 の主人公となった館長の著書であります。
「確か、本があったはずだ」
と、テレビを観終わった直後に、書架より探し出してきました。
いったい、いつ、どこで、この本にサインを書いてもらったんだろう?
記憶を呼び起こしました。
2001年といえば、僕は新しい雑誌の編集室を立ち上げた時期です。
そして、本の奥付を見ると、<2001年7月22日 発行> とあります。
ということは、発行より前に、本にサインをしていただいたということになります。
そんなことって、あるでしょうか?
さらに記憶をたどると、当時の交友関係が浮かび上がって来ました。
窪島氏は 「無言館」 の設立前から、長野県上田市で 「信濃デッサン館」(現・残照館) の館長を務めていました。
こちらの美術館では、若くして逝った夭折画家の作品を展示していました。
窪島氏が最も力を入れていた画家に、村山槐多 (享年22歳) がいます。
同館では毎年命日に、「槐多忌」 という追悼イベントを開催していました。
「淳ちゃんも一緒に行かないか?」
そう当時、付き合いのあった芸術家から誘われた記憶があります。
たぶん、それは2001年より前のことです。
当時、窪島氏からは、「今度、戦没画学生の作品を集めた慰霊美術館を設立する」 という話を聞いた覚えがありますから。
そして平成9(1997)年5月、「信濃デッサン館」 の分館として、「無言館」 がオープンしました。
僕の記憶が正しければ、場所は、高崎市のとある居酒屋。
呼ばれたのは、僕と彫刻家と版画家と新聞記者の4人でした。
窪島氏は、出版間近の著書を持って、わざわざ上田市から、やって来られたのでした。
どのようないきさつで、このような会が開かれたのか?
なぜ、はすっぱな僕が、この席に呼ばれたのか?
今となっては、不明です。
その時、窪島氏から手渡されたのが、この本でした。
「無言館」 設立から今年で、25年。
オープン以来、仕事やプライベートで何度か、足を運んでいます。
訪ねるたびに、画学生らの無念の声が聞こえ、胸が締め付けられます。
僕は毎回、駐車場から美術館までの坂道で息を切らします。
ちょっとキツメのダラダラ坂が、足にこたえます。
窪島氏は、この坂に 「自問坂」 と名付けています。
「戦争や平和以上に、自分はどうあるべきかを考える場所」
との思いが込められているとのことです。
まだ 「無言館」 へ行かれていない人へ
ぜひ、一度は足を運んでみてください。
戦争とか平和を考えるだけでなく、窪島氏の言うとおり、“自分” を見つめ直す場所であるからです。
2022年01月09日
ブレーキを踏めない
医学博士の養老孟司・著 『ヒトの壁』 が売れているそうです。
養老先生と言えば、2003年に 『バカの壁』 という本が400万部を超える大ベストセラーになりました。
当時、僕も読んだ記憶があります。
確か、買って読んだような……
記憶を頼りに、書架を端から探してみました。
すると、ありました!
新潮新書の 『バカの壁』。
さて、どんな内容だったっけ?
本の数だけは読んでいるのですが、読むそばから忘れてしまうのが、僕の読書の悪い所です。
ということで気になり、20年ぶりに読み返してみました。
学術的で、凡人には理解困難な個所も多いのですが、文章は読みやすく、サラっと2時間ほどで読み終えてしまいました。
人間の脳には、“バカの壁” があるんですね。
天才と凡人、軍隊と身体、宗教と洗脳……
さまざまな場面での人間の脳の有り様を示しています。
なかでも僕が一番興味を抱いたのは、「キレる脳」 です。
このブログでも何度か触れてきましたが、突然、コンビニやスーパーマーケットのレジで大声を上げてキレ出す “オジサン” たち。
中高年、しかも圧倒的に男性が多い。
一般的には、脳の老化が原因だといわれていますが、はて、どこが、どのように変化してしまったのでしょうか?
その答えが、この本にありました。
<結論から言えば、脳の前頭葉機能が低下していて、それによって行動の抑制が効かなくなっている、ということなのです。>
実は、この現象は、必ずしも老化だけが原因ではないようで、実験によれば、昔の子どもと今の子どもを比較しても、今の子どものほうがキレやすいことが分かっています。
興味深いのは、アメリカでの調査結果です。
衝動殺人の犯人の脳を調べてみると、前頭葉機能が落ちていたそうです。
つまり脳から見て、「抑制が効いていない」 「我慢ができない」 ということです。
一方、連続殺人の犯人の脳は、前頭葉機能が落ちていなかったといいます。
これは、警察に捕まらずに犯行を続けているということは、判断力が正常であるという証拠です。
では、連続殺人犯は、どこが普通の人と違うのでしょうか?
脳が教えてくました。
偏桃体という善悪の判断をつかさどる部分の活性が高く、活発化しているそうです。
この極端な脳の違いを持つ殺人犯について、先生は、分かりやすく次のように説いています。
<自動車に例えれば、この偏桃体は社会活動に対するアクセルで、前頭葉はブレーキにあたります。衝動殺人は、このブレーキが踏めない、すなわち前頭葉がうまく機能していない人が行う犯罪。その逆で、連続殺人はアクセルの踏み過ぎ、つまり偏桃体が活発に働きすぎて犯してしまう。>
では、どうしたら防げるのか?について、この後、延々と記されています。
で、僕は思いました。
みなさんも “ブレーキ” と聞いて、ピンときませんか?
そうです、高齢者による車の暴走事故です。
本来なら危険を察知したら、ブレーキを踏みます。
が、事故を起こしている高齢者たちは、みんなブレーキを踏んでいないんです。
いえいえ、脳科学的にいえば、“踏めない” んですね。
いや~、脳って面白いですね。
あらためて養老先生のファンになりました。
さっそく 『ヒトの壁』 も買ってこようっと!
2021年11月06日
先輩と風少女
<風の音が聞こえないのは、たぶん、高架になった新しい駅舎のせいだ。駅前から繫華街に向かってまっすぐのびる道の両側に沿って、葉の落ちきった欅(けやき)の黒い街路樹がつき抜け、遠く赤城山の頂上付近からは民家の明かりが、たよりなく揺れながら届いている。繫華街から離れた前橋駅のまわりは、この時間になると、自分の溜息が聞こえそうなほどに静かになる。>
( 『風少女』 より)
今週、突然、訃報が飛び込んで来ました。
作家の樋口有介さんが亡くなられました。
71歳でした。
樋口さんは、群馬県前橋市の出身。
そして、僕と同じ高校の卒業生です。
だいぶ歳が離れているので、お会いしたことはありませんが、先輩には違いありません。
ですから樋口さんが作家デビューした処女作からのファンであります。
1988年の青春ミステリー 『ぼくと、ぼくらの夏』 で、第6回サントリーミステリー大賞読者賞を受賞。
以後、数々の名著を世に出し、その作品は映画やテレビドラマになりました。
中でも印象深いのは、なんといっても2作目の 『風少女』 でしょう!
この作品は、第103回直木賞候補にもなりました。
っていうか、“前橋っ子” には、たまらない小説なのです。
だって、冒頭の前橋駅のシーンから始まり、全編舞台が前橋市内なんです!
利根川や広瀬川はもちろん、大渡橋、新前橋駅、県庁、市立図書館……
前橋市民ならば誰でも知っている場所やマニアックな地名が、ページをめくるたびに出てくるのですからたまりませんって!
しかも、そんな平和でのどかな前橋市で、殺人事件が起こるのです。
前橋市民必読の書であります。
まだの人は、ぜひ一読を!
それにしても71歳は、まだまだお若い!
断筆するには、若すぎます!
残念でなりません。
先輩のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
※(関連記事は当ブログの2012年12月28日 「60年代の子どもはシェー!」 参照)
2021年10月26日
KAPPA
昨年は一年間、講演やセミナーの講師の仕事が、軒並み中止か延期となりました。
また温泉地の取材もコロナ禍ということで、暗黙の御法度となり、動きの取れない一年でした。
そんな中、唯一の朗報が、著書 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) の増刷でした。
コロナ禍という逆風が、人々を3密を避けた “謎学の旅” へといざなったようであります。
そんなコロナ禍の影響もあり、僕の講演活動にも異変が起きています。
コロナ以前は、講演の依頼の8割は、“温泉” がテーマでした。
それがコロナ禍となり、“民話” の依頼が増えました。
現在、年内に予定されている講演は、あと6回。
うち温泉は2回、民話は4回です。
完全に逆転してしまいました。
コロナ禍ゆえの非接触で楽しめるテーマでの講演が求められているようであります。
さて、民話の講演では、会場のある地元の民話に触れながら話を進めていきます。
必ず登場するのが 「カッパ伝説」 です。
“河の童” と書いて、カッパですが、呼び名は地方によって様々です。
関西では河太郎(ガタロ)、九州ではガワラッパ、中国・四国ではエンコ、東北ではメンツチ、メドチなどと呼ばれています。
不思議なのは、呼び名は違えど、カッパは全国に棲息(?)していたということです。
なぜ同一生物だと分かったのか?
それは、外見の特長が同じだったからにほかなりません。
≪水陸両生、形は四~五歳の子供のようで、顔は虎に似、くちばしはとがり、身にうろこや甲羅があり、毛髪はなく、頭上に凹みがあって少量の水を容れる。その水のある間は陸上でも力強く、他の動物を水中に引き入れて血を吸う。≫ (「広辞苑」より)
群馬県内にもカッパ伝説は、多数点在しています。
調べると、とても面白いことが分かりました。
赤城山~榛名山を境に、南のカッパは、いたずら小僧で、やっかい者。
一方、北のカッパは人間に、とっちめられ、改心して、恩返しに現れます。
県内だけでも個性豊かなカッパ伝説ですから、全国となると人間を喰ってしまうような、それはそれは恐ろしいカッパ伝説もあります。
というのも、たまたま今、僕は作家・柴田哲孝氏の小説 『KAPPA』 を再読中なのであります。
舞台は関東地方のとある沼。
“河童” が人を喰うという事件が発生します。
はたして本当に河童は実在するのか?
事件に関わる個性的な男たちが、さまざまな人間模様の中で謎を解明していきます。
再読なので、結末は知っているのですが、それでもワクワクしながら小説を読んでいます。
やっぱり、カッパはいます!
2021年09月18日
オオカミに乗って
目が覚めると、そこは薄暗い洞窟の中だった。
ウッとむせ返るような獣臭が、鼻孔を突いた。
寝床を手で探ると、フカフカの毛皮の上だった。
やがて洞窟の入り口から朝日が射すと、状況が分かってきた。
何頭ものオオカミの群れ……
そのオオカミの群れの真ん中に、僕は横たわっていた。
突然、群れが一斉に洞窟の入り口を向いた。
一頭の若いオオカミが、息を切らしている。
そして話し声がする。
なぜか僕は、オオカミの言葉が分かるらしい。
「人間が、すぐそこまで来ている。森が荒らされている」
すると、ムクッと寝床が動き、僕は地面に振り落とされてしまった。
僕が寝ていたのは、群れの中でも一番大きなオオカミの腹の上だったのだ。
「ロボ、どこへ行くの?」
僕は、なぜか一番大きなオオカミの名前を知っていた。
たぶん、子どもの頃に読んだシートン動物記の 『オオカミ王 ロボ』 から勝手に付けた名前だと思うけど……。
「行く」
「どうして?」
「この森は人間のものじゃない」
そう言うとロボは、洞窟を飛び出した。
「まってよ、僕も行くよ!」
僕はロボの背中に飛び乗った。
後からオオカミの群れも続いた。
ロボは疾風のごとく、森の中を走り抜けた。
ここで夢から覚めました。
なぜ、こんな夢を見たのかは分かっています。
寝る前に、柴田哲孝・著 『WOLF』 という本を読んだからです。
舞台は埼玉県の奥秩父。
両神山周辺で次々と家畜が襲われる不可思議な事件が発生します。
昔から “山犬伝説” が残る地で、その山犬らしき大型動物の群れが徘徊しているという目撃談が警察に寄せられていました。
という柴田哲孝氏お得意のネイチャーミステリーであります。
山犬とはオオカミのことです。
日本にはかつて 「ニホンオオカミ」 が生息していましたが、明治時代に絶滅しています。
でも僕は、この絶滅したニホンオオカミが、今でも日本のどこかで生き延びているのではないかと思っています。
そう思うようになったのは、かれこれ15年以上も前のこと。
取材で “幻の犬” を見てからです。
群馬県上野村に、十石犬 (じっこくいぬ) という犬が保存会により守られています。
柴犬のルーツといわれる土着犬です。
昭和の初め、長野との県境にある十石峠で、「すごい犬を見た!」 というウワサが広がりましたが、やがてウワサはなくなり、昭和30年代には絶滅したといわれています。
ところが上野村で十石犬の血を受け継ぐ犬の交配を繰り返し、復活させたというニュースを知り、僕は取材に飛んで行きました。
そのとき見た、十石犬の “目” が今も忘れられません。
“クサビを打ったような沈んだ目”
保存会の人は、十石犬の目のことを、そう言います。
確かに見つめていると、深い沼のようで吸い込まれそうになる独特の目をしていました。
だもの、きっとニホンオオカミも、どこかにいますって!
たとえ絶滅したとしても、血を受け継ぐ山犬が生きていると思うんです。
夢の中で見た夢が叶う日を、僕は夢見ています。
※(十石犬については、当ブログ2010年11月9日、12日の 「十石犬を追え!」 上・下を参照)
2019年11月25日
昭和を飾ったベストセラー
だいぶ秋も深まってきました。
みなさんは、どのように夜長を過ごしていますか?
僕は、もっぱら読書三昧です。
といっても、そのほとんどが仕事の資料読みですけどね。
テーマが決まると、取材に入る前の予備知識として、関連本を図書館でドッサリと借りてきます。
ですから一日の大半は、これらの本の読破についやしています。
純粋に趣味としての読書となると、若い頃のほうが読んでいました。
今でもミステリーやエッセイが好きで、寝る前にベッドの中で読んだりしますが、読み切るのは月に1~2冊程度です。
それも、すべて文庫本です。
ぷらりと古本屋に寄った時に、まとめ買いをしておいて、気が向いたときに読んでいます。
ベストセラーや話題の新刊本となると、滅多に手に取りません。
でも先日、新聞の書評で取り上げられていた本を、珍しく即行買いしました。
本橋信宏・著 『ベストセラー伝説』(新潮新書)
昭和の時代にベストセラーとなった雑誌や書籍の舞台裏を明かしたノンフィクションです。
「冒険王」 や 「少年チャンピオン」、「科学」 と 「学習」、「平凡パンチ」 に 「週刊プレイボーイ」 から受験生御用達の 「赤尾の豆単」 や 「でる単」 まで、60年代から70年代にかけて青少年を夢中にさせたベストセラーの企画と販売の裏側が次々と暴露されます。
僕なんか、ドンピシャ世代ですからね。
「科学」 と 「学習」 は、小学校に毎月販売に来た学習雑誌です。
付録が楽しみで、僕は 「科学」 を購読していましたが、お金持ちの家の子は、両方購読していて、とてもうらやましかったのを覚えています。
「平凡パンチ」 と 「週刊プレイボーイ」 には、大変お世話になりました。
たぶん同世代の男子は、当時、みんなお世話になったと思います。
(ゴールデンハーフの水着写真を切り抜いて、壁に貼っていた記憶があります)
そして、僕が一番なつかしかったのが、ポプラ社の 「少年探偵シリーズ」 です。
江戸川乱歩の少年向け作品で、小学校の図書館には全巻揃っていました。
「怪人二十面相」 「妖怪博士」 「青銅の魔人」 「一寸法師」 などなど、今でもタイトルを覚えています。
放課後は、真っ先に図書館へ駆け込んで、本好きの同級生らと取り合いです。
「ああ、それ、オレが借りようと思ったのに! チェッ、次、オレだからな。予約!」
なんて、いいながら、学校帰りに読んだ本の感想を話しながら歩いたものでした。
その当時の思い出もよみがえりつつ、なぜ小学校で売られていたのか? 素人の女の子をどうやってヌードにしたのか? など、「へー、そうだったんだ」 と思わずうなってしまう秘話が満載です。
著者のノンフィクション作家も僕と同世代です。
だからリアルなんでしょうね。
秋の夜長に、おすすめの1冊です。
2015年11月27日
TENGU
<もし一連の事件の舞台が沼田でなかったとしたら、誰もあの男のことを “天狗” とは呼ばなかっただろう。>
今年も残すところ1ヶ月余り。
僕も人並みに今月は忙しく、取材に講演に飛び回っています。
週の半分以上は家を空けているので、たまに家にいる日は、朝から原稿書きに追われています。
今週は火曜日に、月例の温泉講座があり、受講生たちとバスで沼田市の老神温泉へ行ってきました。
この講座では毎月、県内外の名湯および秘湯の宿を訪ねています。
県外などの遠い温泉へ行く時は、行き帰りの休憩でサービスエリアや道の駅に立ち寄るくらいで、ほとんど寄り道はしません。
でも今回は、前橋・高崎から高速道路を利用すれば、1時間ほどで着いてしまう近距離です。
こんなときは、近隣の名所旧跡を見学することにしています。
で、今回は、沼田市にある迦葉山弥勒寺(かしょうざんみろくじ) に寄ってきました。
県民ならば誰もが知っている、大天狗が奉られている寺院です。
“お天狗様” と呼ばれ、商売繁盛、五穀豊穣、開運の神様として信仰されています。
ま、僕も幾度となく訪れていますし、受講生たちも 「初めて来た」 という人はいなかったようです。
個人的に僕は、子どもの頃に家族と来て、恐い思いをした記憶があるので、あまり行きたいところではないのですが、それでも久しぶりに、あの大天狗の面を見ると、「おおおっー!」 と改めて感動するのでした。
※(2012年10月30日 「月夜野温泉 みねの湯 つきよの館⑩」 参照)
もう1つ、迦葉山というと思い出すのが、ここを舞台にして書かれた作家・柴田哲孝の 『TENGU』 という小説です。
氏は、この小説で第9回大藪春彦賞を受賞しています。
冒頭の文章は、その一説です。
<沼田は天狗の町である。市内のいたる所に天狗の文字やその図柄が描かれ、この町を訪れる者を伝説の世界へと誘ってやまない。>
そして、天狗伝説は伝説にとどまらず、凄惨きわまりない連続殺人事件を巻き起こします。
はたして “天狗” の正体は?
あっと驚く結末が、読者を待ち受けています。
まだお読みでない人は、ぜひ、一読されたし。
その後で、迦葉山を訪ねることをお勧めします。
境内で、思わず振り返り、生い茂る木々の一本一本を凝視してしまうことでしょう!
今回、僕がそうでしたもの……。
2014年06月20日
読むべからず!②
暑さのせいしょうか、このところマロ君の元気がありません。
マロ君とは、我が家のおバカ犬であります。
チワワのオスで、来月誕生日が来ると、満8才になります。
小型犬の8才は、人間に例えると50代半ばらしいですね。
と、いうことは、いつしか彼は、僕と同年代になってしまったようです。
中年から初老の階段を上っているわけであります。
だもの、無理はありません。
僕だって、以前のように、日に何湯も温泉に入れなくなりましたもの。
暑気あたり、湯あたり、御免!
だんだん、夏場のハードな取材は、しんどくなっています。
元気がないといっても、食欲はあるので、あんまり心配はしていないんですけどね。
でも以前のように、「散歩に連れて行け~! ワンワンワン!」 ていう積極的な態度が見られません。
「おい、マロ! 散歩へ行くぞ」
と僕がリードを取り出しても、
「え~、ダリ~な。今じゃなけりゃ、ダメですか?」
てな目をして、シブシブ出かけるのであります。
散歩に出ても、以前のように走り回らない。
チョチョっと2、3回オシッコをしただけで、すぐに家に入ろうとします。
そして家の中で、一日中寝ています。
「ねえ、マロさ、病気なんじやないの?」
と、末娘は心配しますが、ダルそうに生活をしているだけで、別段、悪いところはなさそうです。
でもね、犬の寿命は人間より短いですから、いつかは僕ら家族よりも先にあの世へ行ってしまうんでしょうね。
そう思うと、いとおしくて、いとおしくて、なりません。
「おい、マロ! オレより先に死ぬなよな。20年でも、30年でも生きていいんだからな」
なんて、知らず知らずのうちに、声をかけているのであります。
そんな折、『猫鳴り』 を読んでしまいました。
『猫鳴り』 は、沼田まほかるさんの小説です。
以前にもブログで紹介しましたが、沼田まほかるさんは、僕が今、ハマっている作家の1人です。
20年も生きた愛猫、モンの最期の日々をつづった物語。
次第に衰弱するモンの肉体を、観察し続ける主人公のやるせない思いが、ひしひしと伝わってくる傑作であります。
が!
読んでいて、いつしか僕は、モンとマロがタブってしまって、何度も本を閉じてしまいました。
だって、残酷過ぎます。
愛するものとの別れ。それも小さな命が事尽きるまでの描写は、涙なしではページを読み進むことはできませんでした。
読むべからず!
愛犬、愛猫と暮らしている人には、とっても勇気が必要な小説です。
2013年08月05日
読むべからず!
みなさんは、本を買ったら、どこから読みますか?
僕の場合、まず書店で、帯やカバーに書かれた宣伝コピーに目を通し、興味が湧いたら、おもむろに店頭で1ページ目の冒頭部分を読み出します。
最初の10行が勝負です!
すーっと、入り込めれば、その本は “買い” となります。
問題は、家に帰ってからであります。
すぐに続きを読み出せば、いいのですが、僕は、「あとがき」 や 「解説」 を先に読むクセがあるんです。
(たぶん、そういう人は、多いと思います)
「あとがき」 は著者が書いているので、先に読んでも別段問題はないのですが、「解説」 は他の作家や評論家が書いているので、人によっては先に読むのは良し悪しなのであります。
特に、ミステリーやサスペンスの場合、“あらすじ” を書いてしまう人もいますから・・・
で、先日、やっちまいました!
<ラストでそれが作者の仕掛けたワナだったことを知らされる。その驚きは圧巻だ。>
<著者が絶対の自信を持って読者に仕掛ける超絶のトリック。>
との宣伝コピー。
読者や本屋が選ぶミステリーでも、評判の推理小説であります。
「これは、ぜひ、一読しなくては!」 と、胸を躍られながらページをめくり出しました。
ええ、「解説」 のページを・・・
そしたら、読み出して数行で突然、こんな文章が、飛び込んできたのです。
<尚、これ以降、事件の真相とトリックについて言及していますので、必ず作品を読んでからこの先に進んで下さいますようお願い致します。>
ほほう、この解説者は、いきなり真相を明かしちゃうわけね。
他に、著者の経歴だとか、他の作品についてだとかの知識はないのかよ。
いわゆる、「あらすじ」 の暴露解説だったのです。
ちぇっ、分かりましたよ。
この先は読みませんよ。
ええ、読んでなんか、やるもんか!
と、半分、キレ気味に、ペラリと、もう1枚ページをめくった時です。
<本書の最も大きなトリックは、○○が××で△△という、いわゆる●●トリックです。>
という一文が、目に飛び込んできたのです。
あっ、しまった!
と思った時は、時すでに遅く、僕は、これから読もうとする “読者に仕掛けた超絶のトリック” を、いとも簡単に知ってしまったのであります。
バカなことをした。
もっと早く、引き返せば良かった。
と思いましたが、もう、あとの祭りです。
その昔、学生時代の休み時間に推理小説を読んでいたら、クラスメイトがやって来て
「あっ、その本、オレ読んだ。犯人は○○だぜ!」
と、告げられたとき以来のショックであります。
そして、怒りまで、こみ上げてきました。
もちろん、この解説者に対してですよ!
いや、でも、解説者は、“この先は読むな” と但し書きをしているのであります。
悪いのは、みんなみんな、自分なのです。
で、その後、どうしたのかって?
はい、トリックと真相を百も承知で、小説を読みました。
アッと驚くことはありませんでしたが、それでも小説としては充分に楽しめましたよ。
みなさんは、「解説」 を先に読む場合は、くれぐれも注意をしてくださいね。
※ちなみに読んだ本は、群馬県出身のミスティー作家、中町信氏の 『模倣の殺意』(創元推理文庫) です。
2013年03月29日
空白の埋め草
“読書量は仕事量に反比例する”
ヒマです。
今週は取材もなく、原稿書きも急を要するものがありません。
スケジュール帳を見れば、打ち合わせと飲み会がポツンポツン・・・
こんなときは、読書三昧と決めています。
今週のはじめに、古本屋へ行って、何冊も文庫本を買い込んできました。
ふだんは仕事の資料として、温泉本や郷土本ばかり読んでいるので、やはり趣味で読む本は、サスペンスやミステリーが多くなりますね。
『九月が永遠に続けば』 を読んでから、ちょっとハマッテいるのが、沼田まほかるさんです。
彼女特有のズッシリとした重い世界観が好きなのですが、主婦であり、僧侶を経て小説家になったという異色の経歴にも大変興味があります。
昨日は書店に寄って、雑誌を2冊買いました。
『週刊 日本の温泉』 と 『歴史人 別冊』。
『週刊 日本の温泉』 は、今週創刊したばかり。
以前、といっても10年も前ですが、『週刊 日本の名湯』 を全巻揃えたことがあるので、どうしようかと迷ったのですが、“創刊号特別価格190円” というのと “バインダー付き” という文字につられて、つい衝動買いをしてしまいました。
『歴史人 別冊』 は、完全保存版 「江戸の暮らし大全」 です。
これは、見ているだけでも楽しい!
絵や写真が盛りだくさんで、歴史だけではく、長屋や湯屋、宿場や旅籠、商いの様子など、江戸庶民の暮らしがリアルに再現されています。
チビリ、チビリと晩酌をしながらページをめくって、江戸文化を満喫しています。
“歯医者通いは趣味”
僕は、ヒマになると、必ず歯医者へ行く癖があります。
臆病なんですね。
臆病だから、取材中や旅行中に虫歯が痛くなることを、いつも妄想しているんです。
だから、歯が痛くなくても、定期的に歯医者へは行きます。
※(どのくらい臆病かは、2010年10月25日「歯医者復活」参照)
で、先週から歯医者へ通っています。
先生も心得ていますから、
「こんにちは、今回は、どうしましたか?」
なんて、気さくに診察してくれます。
今回は、一部分、欠けてしまっている歯があったので、これを治してもらうことにしました。
キーーーーン キーーーーン
っていう、あの歯を削る機械音、
キライじゃ、ないんですよ!
診察室へ入ったときの、スーーッと鼻を突く薬品の匂いも、
キライじゃありません。
なぜか、落ち着く空間なんですね。
だから、
「はい、今日で治療はおしまいです」
と先生から言われる時が、一番さみしいんですよ。
もっと、通いた~い!って。
ヘンですかね?
とりあえず、明日も歯医者へ行きますが、それでもスケジュール帳の空白は、なかなか埋まりません。
2012年12月28日
60年代の子どもはシェー!
遅ればせながら、樋口有介・著 『ピース』(中公文庫) を読みました。
樋口有介氏は、群馬県前橋市生まれ。
しかも、僕の高校の先輩であります。
先輩といえば、はい、“神も同然” ですから、文壇デビュー時からファンをやらせていただいております。
樋口氏のデビューは、1988年のサントリーミステリー大賞読者賞を受賞した 『ぼくと、ぼくらの夏』 でした。
そして次作の 『風少女』 で、第103回の直木賞候補となりました。
ファンなら誰でも知っていますが、『風少女』 の舞台は前橋市。
前橋駅やケヤキ並木、赤城県道に大鳥居、利根川、大渡橋、総社町、新前橋駅と、知った地名がポンポンと出てきます。
前橋市民は、必読の書ですぞ!
2006年に中央公論社から出版された 『ピース』 でも、群馬県の地名がいくつも出てきます。
メインとなる舞台は埼玉県の秩父市ですが、物語の後半で群馬県の上野村へと舞台が移行していきます。
鬼石、藤岡、高崎なんていう地名が出てくると、群馬県人としては嬉しいものです。
ああ、樋口先輩は、群馬県を愛していらっしゃるのだなぁ~と、郷土愛に満ちたお人柄に、ますます惹かれます。
(登場人物が話す群馬弁も、リアリティーがあって面白いですよ)
で、タイトルの 「ピース」 ですが、物語の中では色々な意味を持っています。
“平和” のピース。
“断片” のピース。
そして、Vサインのピース!
でも、どうしてVサインのことを 「ピース」 って言うんでしょうかね?
確か、Vサインの 「V」 は、Victory(勝利) の 「V」 です。
何よりも不思議なのは、なぜ、写真に写るとき日本人はVサインを出すのでしょうか?
そう思って、昔の写真を引っ張り出して見てみると、僕の子どもの頃(小学生まで) は、Vサインなんて出していないんですよ。
当時の子どもは、みんな 「シェー」 のポーズで写真に写っています。
※(「シェー」は、赤塚不二夫のマンガ「おそ松くん」に登場するイヤミのポーズ)
一説によれば、日本人がVサインのことを 「ピース」 と言うようになったのは、1972年(昭和47年) にテレビで放映されたコニカのカメラCMで、歌手でタレントの井上順がVサインを出してアドリブで 「ピース、ピース」 と連呼したのが広まったとか。
そう言われてみれば、確かに、僕の写真も中学生あたりからVサインを出して写っています。
70年代を境に、日本人にとってVサインは 「勝利」 ではなく 「平和」 を意味するポーズとなったようです。
その平和を意味するポーズが、小説 『ピース』 では、恐ろしい連続バラバラ殺人事件を引き起こします。
まだ、お読みでない人は、正月休みに一読してみては、いかがでしょうか?