温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2024年02月06日

アウトプットしてますか?


 僕がスマホを持っていないからかもしれませんが、前々から気になることがあります。

 会話の途中で、知らない言葉や思い出せない事柄があると、すぐに検索する人って、いますよね。
 あれって、必要でしょうか?

 “知る” ことは、とっても大切なことなんですが、その前に、考えること、思い出そうとすることが大事なのでは?
 と思ってしまいます。
 簡単に手に入れた情報は、身に着かずに、また同じことを繰り返すのではないでしょうか?


 先日、講演会に行ってきました。
 講師は、テレビでもお馴染みの明治大教授の斎藤孝さん。
 演題は、「これからの時代に求められる日本語力」。

 ユーモアあふれる講話を、たっぷりと聴いてきました。


 印象に残ったのが、「アウトプット」 についての話でした。
 脳を活性化させるには、インプット (入力) するだけではダメだということ。
 アウトプット (出力) して、初めて自分のものになると。

 「アウトプット中心の生活をしてほしい」
 と斎藤さんは言います。


 「見る」 「聞く」 「読む」 は、すべてインプットです。
 テレビや映画を観る、音楽を聴く、本を読む……
 この時点で満足してしまうと、その情報は、まだ知識にはなっていません。

 この体験や経験を、「話す」 「書く」 ことにより、脳は覚えるんだそうです。


 それを聞いて、「ほほう!」 と納得。
 僕の仕事って、インプットとアウトプットのくり返し作業だったのです。

 取材先で、「見て」 「聞いた」 ことを、資料を 「読み」 調べ、「書いて」 文章にまとめます。
 さらに、講演やセミナーで人に 「話し」 ます。
 知らず知らずのうちに、実践していました。


 で話は、冒頭の件にもどります。
 スマホでの検索は、一時的に脳が知ったつもりになっている可能性があります。
 インプットしたら、忘れずにアウトプットを!

 認知症の予防にもなると思います。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:42Comments(2)つれづれ

2024年01月30日

「いいちこ」 の夢 


 「なあ、K、今年の夏休みだけどさ」
 「うん」
 「部活動、忙しいの?」
 「なんで?」

 僕には中学生の男の子の孫がいます。
 K君です。
 男の子の孫にしては、祖父である僕に、なついています。
 この日も、僕が活動するイベント会場に家族でやってきました。


 「ジイと、旅しないか?」
 「えっ、ジイジと2人で?」
 「そう、男同士の二人旅」

 一瞬にして、Kは満面の笑みに包まれました。

 「それって、泊まり?」
 「もちろん」
 「やったー! 温泉も入る?」
 「もちろん」
 「スッゲー! やったー!」

 本人はOKのようですが、こればかりは2人だけで決めるわけにはいきません。
 親の許可が必要です。
 いつもは一人で僕に会いに来ているKですが、今日は両親連れです。
 だから、あえて僕は、この日を選んで提案したのでした。


 「ということだけど、今年の夏休みに、Kを借りでもいいかね?」
 母親である我が娘に、訊いてみました。
 すると、二つ返事で、
 「どうぞ、どうぞ! 何日でも」
 と、その場で承諾をもらいました。

 “爺と孫の二人旅” 決定!


 ところが、娘いわく、
 「でもKは、すでに反抗期に入ってるからね。大変だよ」

 「大丈夫だよな、K! ジイの言うことは効くものな?」
 「うん」
 すると、またしても娘いわく、
 「誰に似たんだか!? 外面だけは、いいんだから」

 その言葉に、一緒にいた婿までもが大笑い。
 「えっ、誰にって、誰?」
 も、も、もしかして、僕のことですか?


 でも娘は、こんなことも言ってくれました。
 「よかったね、K。ずーと言ってたものね。いつかジイジと温泉に行きたいって!」

 実は僕、そのことは知っていました。
 でもKは当時、まだ小学生だったのです。
 その頃に行っても、ただの家族旅行に終わってしまいます。
 思い出にはなるかもしれないけれど、僕は孫と、もっと絆になるような旅がしたかったのです。


 「ありがとう。その晩は“いいちこ” を呑むよ」
 と娘に、お礼を言いました。

 「いいちこ」 は、死んだオヤジが晩酌に呑んでいた焼酎です。
 娘は子どもの頃、実家へ連れて行くと、いつも、その光景をみていました。
 だから今でも娘は墓前に、「いいちこ」 のワンカップを供えています。

 「だね、おじいちゃんも喜ぶよね」
 「ああ、“いいちこ” を呑みながら、Kに曾祖父(オヤジ)の思い出話をしてやろうと思うんだ」


 思えば、かなり遠くへ来たもんです。
 まさか、こんな日が来るなんて……

 20歳の頃には、思いもよらなかった未来です。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:24Comments(5)つれづれ

2024年01月27日

老いは若さに優る


 「覚えているかな?」
 「最後のライブから、だいぶ経っているからな」
 「一度集まって、音合わせないか?」
 ということで今週、バンドのメンバー4人が集まりました。

 バンドとは、長年、僕がボーカルをつとめているオヤジバンドのこと。
 「じゅん&クァ・パラダイス」 といいます。
 近々、久々にライブをするため、急きょ、招集がかかりました。
 (ライブ日程については、昨日のブログをご覧ください)


 メンバーの平均年齢は、61.5歳。
 正真正銘の “オヤジバンド” です。
 いえいえ、結成から20年近くが経ち、すでに “ジジイバンド” の域に入ってきました。

 僕らは、とっても仲がいいんです。
 遊びだけでなく、仕事も一緒。
 というのも同じ業界ですから、話も合うし、価値観も同じ。
 だから仕事と遊びが、ごっちゃになって、ときどき仕事なのか、遊びなのか、分からないまま会っている時も多々あります。


 最年少のKちゃんとですら、もう20年以上の付き合いになります。
 ギターのKさんとは、仕事で知り合って、かれこれ30年です。
 さらに “陰のバンマス” ことベースのS君にいたっては、小学1年生からの付き合いですから半世紀以上。
 来年で、竹馬の友歴60年になります。

 だもの、会えば、阿吽の呼吸で、すぐに話が盛り上がります。
 盛り上がり過ぎて、一向にバンドの練習が始まりません。


 最近の話のテーマは、寄る年波の御多分に漏れず、体の不調話です。
 「よく足がつる」 とか 「血圧が高い」 とか 「結石が出た」 とか 「便秘に苦しんでる」 とか……
 オジサンは年を重ねると、オバサン化するのですね。
 体の不調話が止まりません。

 でも誰一人、大病をした者はおらず、笑い話程度なのが、いいですね。


 「そろそろ、やる?」
 と、僕が口火を切ったのは、お茶を飲み出して1時間後のこと。
 ところが、いざ全員、楽器を持つと、途端、熟年ミュージャンの顔になります。

 「おお、そうだった」
 「思い出した」
 と、1回目の音合わせは、ちょっとおぼつかないものの、2回目では完全に勘を取り戻して、全員ご満悦。


 「一回、休もうか」
 と、また井戸端会議が始まります。
 今度は、過去のライブでのエピソードトークです。
 温泉地でのハプニングや失態話で、またもやジジイたちは笑い転げます。

 結局、3時間も居て、練習したのは正味30分くらいのものでした。


 でもね、僕らは気づいているんです。
 若い頃のように、体力や情熱は薄れたけれど、要領とコツは昔より、つかんでいること。
 互いに尊重し合い、足りないところを無意識に補い合っていることを。

 それは、音を出してみれば分かります。
 僕はボーカルですからね。
 彼らの出す音の一つ一つを聴きながら、それに声をのせているわけです。

 「あ、心地よい」
 という瞬間が、何度もありました。
 これは、若い頃には感じなかった感覚です。


 とにかく楽しいんです。
 とっても嬉しいんです。

 還暦過ぎても、こうやって昔の仲間と、あの頃と同じように、1つの曲を一緒に奏でていることが……


 “老いは若さに優る”
 そう思えた、ひと時でした。

 みんな、ありがとう!
 ライブ、弾けようぜ!
  


Posted by 小暮 淳 at 12:13Comments(4)つれづれ

2024年01月23日

ドラゴンへの道


 さる婦人と、新年のあいさつを交わしたときのこと。

 「これ、小暮さんにあげます」
 と小箱を渡されました。
 見ると、“辰” の文字と、竜の絵が描かれていました。

 「干支の置物ですか?」
 「そう、でも石けんなのよ」

 パッケージの裏側を見てみると、確かに 「花王初春石鹸」 と書かれていました。
 顔に近づけると、いい香りがします。


 「ありがとうございます。でも、どっちに使おう?」
 「どっちって?」
 「置物にするか、石けんとして使うか……」

 すると婦人は、いきなり “オバチャン” に変身して、こう言いました。

 「そりゃ~、これで体を洗うのよ。辰年だけに、小暮さんのも “立つ” ようにね! ハハハ~!」
 と大口を開けて、バカ笑い。


 いや~、久々に昭和のオバチャンの下ネタギャグを聞きました。
 最近では、めっきり聞かなくなったセクハラトークです。
 若い人が聞いていたら、完全に 「アウト!」 ですよね。

 でも、このオバチャンは、あっけらかんとしていて、実に気持ちがいい。
 下ネタには、下ネタで返すのがオッチャンの流儀です。

 「いやいや、僕のは辰は辰でも、タツノオトシゴですから」
 するとオバチャンもさることながら、さらにヒートアップしてきます。

 「大丈夫、この石けんでゴシゴシやれば、タツノオトシゴもドラゴンになるから! 試してごらんなさいよ」


 ということで、ありがたくいただいて、家に持って帰りました。

 えっ、それで、竜の形をした石けんは、どうしたのかって?
 ええ、とりあえず、トイレに芳香剤代わりに置いてあります。

 そして時々、タツノオトシゴを横目で、にらみつけています。
 「なんだソレ? ドラゴンにはなれんな」
 と言いたげに……
   


Posted by 小暮 淳 at 14:59Comments(5)つれづれ

2024年01月17日

生まれ直しの儀


 昨晩は、友人の 「還暦祝いパーティー」 に出席してきました。
 まさか、年下の還暦を祝うとは思いませんでした。

 それにしても彼は、若々しい。
 髪の毛は真っ黒だし、肌つやもいい。
 本人も自分が還暦を迎えたことに、驚いている様子でした。


 だって昔、還暦といえば、赤いちゃんちゃんこを着て、赤い頭巾をかぶって、上座に座っているイメージがありましたものね。
 そして、座っている人は、正真正銘の老人でした。

 でも今の60歳は違います。
 人生100年時代の還暦は、まだまだ老人とは程遠い。
 ですが、とりあえず、人生の節目であることには違いありません。

 ので、彼には、赤いちゃんちゃんこならぬ、赤い靴下が贈られました。


 でも、なんで、昔は 「赤いちゃんちゃんこ」 を贈ったのか?

 それは還暦が、“生まれ直しの儀” だからなんですね。


 生まれ直し、とは?

 干支(えと)が一巡することです。
 干支とは、「十干十二支(じっかんじゅうにし)」 のこと。

 十干は、甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)などの10日まとまりで数える呼び名(符号)のことです。
 これに子、丑、寅、卯……の十二支を組み合わせると、60通りになります。
 だから、ちょうど60歳は干支が一巡して、また生まれた干支に戻ることになります。
 文字通り、「暦(こよみ)が還(かえ)る」 わけです。
 これを 「本卦還(ほんけがえ)り」 といい、一種の生まれ直しであると意義付けられています。


 では、なぜ、赤いちゃんちゃんこなのでしょうか?

 「ちゃんちゃんこ」 とは、赤ちゃんや子どもが着る袖なしの羽織のこと。
 まさしく、“生まれ直し” を意味します。
 そして、赤は魔除けの色です。


 時代は変わりました。
 それでも、人生の節目を祝う人の心は不変なのですね。

 Aちゃん、おめでとう!
 これからの人生も長いぞ!
 よろしく!
  


Posted by 小暮 淳 at 11:57Comments(0)つれづれ

2024年01月15日

テンで話になりません


 その昔、まだ固定電話さえ普及していなかった昭和の時代。
 緊急の知らせは、もっぱら電報でした。

 若い人の中には、見たこともない人がいるかもしれませんね。
 緊急を要するため、全文がカタカナで書かれています。
 なので、読みづらい。

 そこで最重要視されるのが、読点の位置です。


 <オヤジシンダ>

 この場合、父親の死を知らせるのであれば、読点 「、」 は、「オヤジ」 の後に打つことになります。
 = <おやじ、死んだ> 

 ところが、「オヤ」 の後に打つと意味が変わってしまいます。
 = <おや、地震だ>

 僕ら文筆業に関わる者は、この読点の扱い方に細心の注意をはらいます。
 さもないと、まったく異なる内容が伝わってしまうからです。


 昨日の地元新聞に、目を疑う記事を見つけました。
 この一文を読んで、みなさんは、どう解釈しますか?

 <渋川市は能登半島の付け根にあり、大規模な断水が起きた富山県氷見市に飲料水を届けた>

 ちょっと、ビックリしませんか?
 渋川市が能登半島にあるのって?

 群馬県民なら渋川市の位置を知っていますが、他県民が読んだら渋川市は能登半島にあると勘違いしてしまう文章です。
 能登半島の付け根にあるのは氷見市ですよね!
 ならば、読点の位置が違います。

 正しくは、<渋川市は> の後です。
 より分かりやすくするなら、<能登半島の付け根> と <富山県氷見市>」 の距離を近づけたほうがいいですね。
 僕なら、こう順列を変えます。

 <渋川市は、大規模な断水が起きた能登半島の付け根にある富山県氷見市に、飲料水を届けた>

 いかがですか?
 これで誤解は生じなくなったと思います。


 今日は、まじめな話をしてしまいましたね。
 ちょっと気になってしまったもので、あしからず。

  


Posted by 小暮 淳 at 11:35Comments(2)つれづれ

2024年01月14日

鴨が葱を背負って来た!


 「そば派」 か 「うどん派」 かと問われれば、完全なる 「うどん派」 です。
 だって、“小麦の国の人” だもの!

 たぶん群馬県民は、ほぼほぼ、うどん好きだと思います。
 焼きまんじゅうに、おっきりこみ、すいとん、もんじゃ焼き……
 生まれてからずーっと小麦の味に慣れ親しんでいますから、小麦の味には “うるさい” のです。

 「やっぱ、ばっちゃんが、ぶった(打った) うどんが、いっちゃ、うんめー」
 ということになります。


 一方、生まれてこの方、“そば” に馴染みのない群馬県民は、たいがいが “そばオンチ” であります。
 不味いそばは分かるけど、美味いそばは分かりません。
 だから知らないそば屋に入ると、無難なうどんを注文してしまうというのも “県民あるある” だと思います。

 御多分に漏れず、僕もそんな県民の代表です。
 ですから年がら年中、うどんは食べていますが、そばは年に1度か2度。
 だって、そばの味が分からないのだから仕方ありません。


 そんな僕が、今、そばにハマっています。
 それも有名そば店のそばではなく、なんと! 某外食チェーン店のそばです。

 きっかけは、昨年の大晦日のこと。
 昼に買い物に出たついでに、昼めしをとることにしました。
 なんでもいいんです。
 特別食べたいものなんてありません。

 街道筋に、某外食チェーンを発見!
 「ここで、いいや」
 程度の選択で入りました。


 入口に大きくポスターが貼られています。
 “鴨そば”

 「ほほう、鴨そばね。年に一度、大晦日くらい、そばを食うか」
 と注文。
 そして出て来た鴨そばは、イメージ通りの品でした。

 カモ肉が数枚と刻みネギ、それと小さな油揚げがパラパラ……


 見た目からして、そば屋のそれとは違います。
 なんとなく、チープな感じ。
 でも、しょうがないですよね。
 そば屋で食べたら、たぶん倍の値段がすると思います。
 でも、ここはリーズナブルな外食チェーン店。

 しかも、そば専門ではありません。
 メインは丼物です。
 そばは、この時季だけの期間限定メニューなのです。

 だもの期待はしていません。


 が、一口すすって、驚きました。
 「うまい! うそだろ?」
 麺は歯ごたえがあり、しっかり汁がからんでいます。
 なにより、その汁がうまい!
 ちょっぴり甘めで、ダシもきいている。

 「へー、この値段で、この味なら、そばという選択もありだな」
 そう思いながら店を出ました。


 異変は、年明けに起こりました。
 無性に、あの鴨そばが食べたくなったのです。
 口の中で、あの汁の味と麺の感触が、よみがえってきます。

 ということで、今度は鴨そば目当てで、わざわざ店へ足を運びました。
 すると!
 ビックリしました!

 僕以外の他の客も、鴨そばを食べているじゃありませんかーーー!!!


 レジで店員に声をかけました。
 「鴨そば、人気なの?」
 「ええ、僕も大好きで、いつも食べてます。カモの脂がうまいですよね」
 と、バイトらしきお兄さん。

 「でも、これ期間限定なんでしょ?」
 「そうなんですよ。残念ながら冬だけの限定メニューなんです」
 「一年中、食べられるようにしてよ」
 「あ、……はい」


 「はい」 と言っても、このお兄さんはバイトさんです。
 権限はないことは知ってますが、僕はうれしいのです。

 そばオンチの僕が、「うまい」 と思ったそばを他の客らも注文していて、さらに店員までもがファンだったということ。
 もしかして、このそば、本当においしいのかもしれませんよ。


 そば通のみなさん、ぜひ、評価をお寄せください。
  


Posted by 小暮 淳 at 13:03Comments(0)つれづれ

2024年01月09日

「膕」 の呪縛


 正月早々、実に不謹慎な物を見てしまいました。
 懺悔の値打ちもありません。
 ただただ猛省しております。


 今年は元日から大変な年明けとなりました。
 大きな震災が列島を襲い、翌2日には航空機事故が発生しました。
 僕の “不謹慎” は、2日目の事故で起こりました。

 テレビのニュースで、乗客が撮影した避難時の映像が映りました。
 「体を低くして、口を押さえてください」
 とCA (キャビンアテンダント) の声が聞こえる中、乗客たちが床に伏せている映像です。

 当然、映像はローアングルです。
 冷静に行動するCAの下半身が映っています。
 それも後ろ姿です。
 その時です、僕の中で “不謹慎” な妄想が始まりました。

 「ふくらはぎが見える。ということは、もしかすると……」


 勘のいい読者ならば、もう察しが付きますよね!?
 そうです、こんな緊迫した映像の中に、僕は自己中心的な “癒やし” を求めていたのです。

 その “癒やし” の名は、「膕」。
 これで 「ひかがみ」 と読みます。
 人間の体の部位の呼称で、ひざの裏のくぼんだ所です。
 ※(「膕」については過去ブログの2023年11月10日「膕の誘惑」、同年11月20日「膕の逆襲」 を参照)


 そう思った次の瞬間、一瞬ですが “ひかがみ” が映りました。
 「おおおおおーーーーーっ!」
 と雄叫びを上げた瞬間、自分の不謹慎さに気づき、自己嫌悪に陥ってしまいました。

 「自分は、なんていう人間なんだ。不謹慎さにも程がある。今すぐ出家せよ!」
 ってね。

 許してください。
 もう二度と妄想はしません(本当?)。


 ただ救いは、乗客と乗員全員が無事に脱出できたことです。
 でも、衝突した海保機の搭乗員が亡くなっています。
 謹んでお悔やみ申し上げます。

 今年は、“ひかがみ” の呪縛を解くことが、僕の最大の目標となりました。
 精進します。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:57Comments(0)つれづれ

2024年01月08日

安眠のすすめ


 「ブログ読んでます」
 友人知人だけでなく、講演会やイベント等で初めてお会いする人からも、たびたび声をかけていただきます。

 スマホを持たず、SNSに無知で無頓着な僕の唯一の情報発信源が、このブログです。
 開設から丸14年、投稿した記事の数は3,000話以上になります。

 よく続いていると我ながら感心しますが、それ以上に感心するのが読んでくださっている読者様の熱心さです。
 改めて、この場をお借りして、お礼を申し上げます。
 毎度ご愛読いただき、ありがとうございます。


 近年、読者の方からこんなことを言われることが多くなりました。
 「寝る前に読んでいます」

 まあ、一日の終わりにブログをチェックしている人が多いのだろうと思っていました。
 すると……
 「小暮さんのブログを読むと、ほっこりした気分になって、よく眠れるんです」
 なんて言う人もいました。

 えっ、本当ですか!?
 驚き桃の木、山椒の木!
 僕のブログが睡眠導入剤の役割を果たしているんですかね。


 読者は、たぶん 「つれづれ」 のことを言っているのだと思います。
 「つれづれ」 とは、このブログのカテゴリーの1つです。
 話の内容によって、現在34項目に分けられています。
 その中で一番多い話が、「つれづれ」 です。

 「つれづれ」 とは、“徒然なるままに” の 「つれづれ」 です。
 意味は、「手持ちぶたさ」 のこと。
 転じて、日々凡々とした何気ない日常をつづっています。


 こんなことを言われたこともありました。
 「私は、小暮さんのブログで 『つれづれ』 が一番好きです」
 聞けば、その人は温泉には興味がないとのこと。
 温泉以外の話を楽しみに読んでいるそうです。

 なるほどね。
 読者それぞれの読み方があるということです。
 ぜひ、みなさんもカテゴリーから索引して、お気に入りの睡眠導入剤をお探しください。


 ちなみに、「泣けました」 という声が多いのは下記の2話です。
 2016年4月3日 「見えないサクラ」 (つれづれ)
 2019年9月20日 「天国より愛をこめて」 (マロの独白)
 ご参考までに。

 ただし、こちらは就寝前の一読には向かないと思います。
 あしからず。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:44Comments(0)つれづれ

2024年01月03日

ホンマでっ賀状


 年賀状離れが進んでいます。

 それに伴い発行枚数も今年は14.4億枚と、ピーク時(2003年)の3分の1にまで減少しています。
 理由はSNS等の普及による若者離れと、高齢者たちの “年賀状じまい” です。
 体力や気力の低下を理由に、終活の一環として年賀状のやり取りを廃止する傾向にあります。

 確かに、ここ数年、僕のところにも高齢者からの 「今年を最後いにします」 という年賀状が増えています。


 ところが!
 今年は、僕より若い人から “年賀状じまい” を告げる年賀状が届きました。
 理由は、こう記されていました。
 <昨年末にハガキの大幅な高騰が発表されました。これをもって最後の年賀状と考えております。>

 むべなるかな。
 今秋には、ハガキ代が現在の63円から85円に値上がりするといいます。
 これは、痛い!
 ますます年賀状離れに拍車がかかってしまいます。

 利用者が減る→利益が下がる→値上げをする
 これでは悪循環です。
 ていうか、年賀状自体が令和の時代にそぐわない、古き良き時代の産物なのかもしれませんね。


 閑話休題

 さて、今年の年賀状です。
 僕の場合、あまり変化はありません。
 年賀状じまいをした人や疎遠になった人たちからは届かなくなりましたが、それ以上に毎年、新たな出会いがありますから、少しずつ増えている感じがします。

 今年の年賀状には、特徴がありました。
 そーです!
 あの一言が添えられている年賀状が多いのです。

 <ホンマでっか見ました>

 いやいや、何十年も会ってない旧友や、遠くの地で暮らす知人からも、偶然、テレビで僕を見た驚きを新年のあいさつに添えています。
 さらには、こんな言葉も……

 <びっくりしました!!>
 <ご活躍ですね> 
 <いよいよ全国区ですね>


 まさに、“さんまさんパワー” のおかげであります。
 遠く離れていても、何年も会えなくても、こうして、どこかで僕を知っている人たちが見ていてくれるのですから、さんまさんには感謝しかありません。

 今年も “さんまさんパワー” をいただきながら一年間、突っ走り抜こうと思います。
 読者のみなさん、よろしくです!
  


Posted by 小暮 淳 at 11:46Comments(0)つれづれ

2024年01月02日

初墓参 ~年頭所感~


 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。

 令和6年、2024年がスタートしました。
 みんなさんは、どんな年を迎えましたか?
 ちゃんと、年神様をお迎えしましたか?

 僕は今年も “年仏様” をお迎えしに行ってきました。

 初詣ならぬ “初墓参” であります。


 親が子へ教えることは、たたあるでしょうが、僕はその逆。
 息子から教えてもらったことがあります。
 それが、初墓参です。

 昨年の元日、新年のあいさつに来た息子から、こんなことを言われました。
 「お父さんも行く? これから、おじいちゃんとおばあちゃんの墓参りに行くんだけど」
 「えっ、正月に墓参りか?」
 「うん、オレは2人が亡くなった翌年から毎年、元旦に墓参りに行っているんだ」

 殊勝な息子である。

 「初詣じゃなくて、初墓参か?」
 「ああ、オレは神様よりも仏様を信じているから。身近な仏様って、先祖だろ?」
 なるほど、妙に説得力があり、僕も賛同して昨年から初墓参を始めました。


 そして昨日。
 花と線香を用意して、準備万端。
 迎えに来た息子の車に乗って、霊園へ。

 オヤジが愛した赤城山の中腹。
 新年を迎えた前橋の街を一望する場所に、両親の墓があります。


 率先して水桶を持ち、慣れた足取りで墓所へ向かう息子の後ろ姿に、感心しました。
 「慣れている! こいつは “墓守マイスター” だな」

 これまた慣れた手つきで花刺しを抜き取り、たまった雨水を捨て、中をきれいにすすぎました。
 「お見事! プロの仕事だ」

 墓石を洗い、花を手向けると、線香を手に、彼は言いました。
 「お父さんから」
 「ありがとう」
 僕は手を合わせました。

 で、僕は両親に何を報告したかというと、息子のことでした。
 「オヤジ、オフクロ、こういうことだから安心して。あなたたちの墓守は、立派に育ちました」


 親から子へ、そして孫へ。
 いずれは僕も、この中に入るです。

 「父さんが死ぬまで毎年、元日に墓参りしような」
 「そのつもりだよ」
 帰りの車の中で交わされた親子の会話です。


 「あ~、お腹減っちゃった! お兄、どこか元日から開いているお店知らないの?」
 同行した次女の提案により、息子の仕事の取引先だというレストランへ直行しました。

 我が家の正月が始まりました。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:00Comments(0)つれづれ

2023年12月31日

ゆく年くる年 ゲゲゲのゲ~!


 今年も一年間、ブログにお付き合いいただきありがとうございました。
 無事今日、開設14年の年を終えることができました。
 これもひとえに、熱心に閲覧していただいている読者様のお陰と感謝申し上げます。
 ありがとうございました。

 いよいよ来年は15年目に入ります。
 どんな新しい年が待っているのでしょうか?


 まず、年明け早々から新春講演会があります。
 2月からは某新聞紙上で連載がスタートします。

 現在、高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 にて連載中の3つのシリーズ。
 『令和版みなかみ紀行』 『続・民話と伝説の舞台』 『ぐんま湯の里ハイク』 の取材も続きます。


 毎月開催している 「神社かみしばい」 (伊勢崎市)、隔月開催の 「玉村かみしばい」 (玉村町) も、今まで通り開催します。
 新作紙芝居の制作も同時進行いたします。

 NPO法人 「湯治乃邑(くに)」 主催によるパネルディスカッションの再開。
 来年も 「ぐんま温泉サミット」 を開催します。

 制作が暗礁に乗り上げていた 『ぐんま温泉かるた』、出版が遅れている新刊本の発行もしなければなりません。


 なんだかんだと来年もやらねばならぬことが、てんこ盛りです。
 健康で、元気に、自分らしく生きるしかありませんね。

 読者のみなさま、引き続き来年もよろしくお願いいたします。 
 


 それでは、今年も最後に恒例、故・水木しげる先生の 『ゲゲゲの七か条』 (幸せになるための知恵) を、ご一緒に唱和いたしましょう!


 <第一条>
 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。

 <第二条>
 しないではいられないことをし続けなさい。

 <第三条>
 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし。

 <第四条>
 好きの力を信じる。

 <第五条>
 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。

 <第六条>
 怠け者になりなさい。

 <第七条>
 目には見えない世界を信じる。


 よいお年をお迎えください。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:47Comments(2)つれづれ

2023年12月30日

友が師を語るとき


 イラストレーターの飯塚裕子さん (前橋市在住) とは、長い付き合いになります。
 27~8年前、学生向けの雑誌に劇画を掲載する仕事で出会いました。
 その時、脚本を書いたのが僕で、飯塚さんは作画を担当しました。

 彼女の明るい性格は、仕事の仲間内でも人気者。
 一緒にバンドを組んだり、旅行へ行ったり、公私ともに親しくしていただいている友人です。

 ちなみに僕の著書 『ぐんまの里山てくてく歩き』(上毛新聞社) の表紙画は、彼女の作品です。


 そんな彼女が、このたび前橋市の情報サイト 「me bu ku」(めぶく) の最新版に大きく掲載されました。
 こんなタイトルが付いています。

 “チャーミングな七福神や縁起物 飯塚裕子さん 粘土細工で福を呼ぶ”


 彼女は今、イラストレーターのジャンルを広げ、クレイアート (粘土細工) 作家としても活躍しています。
 記事では、その原点となったエピソードが語られています。

 今年7月に亡くなられた木彫家で絵本作家の野村たかあきさんとの出会いです。
 彼女もまた僕同様に、野村さんとの出会い無くしては、今の人生を歩んでいなかったアーティストの一人です。


 飯塚さんが色紙を持った写真が掲載されています。
 生前に野村さんからいただいた色紙です。
 こんな言葉が書かれています。

 『夢にむかっている事は うれしい事です』


 野村さん、見てますか?
 あなたの弟子たちは、あなたの言葉を胸に、みんな夢に向かって歩いていまよ!


 裕子ちゃん、来年もいっぱい笑って、いっぱい仕事をしようね。
 師匠に恥ずかしくないように……


 ●情報サイト 前橋新聞 「me bu ku」
  https://mebuku.city/news/watch/post-27525

   


Posted by 小暮 淳 at 11:08Comments(0)つれづれ

2023年12月26日

笑う年には福来たる


 今年も日本漢字能力検定協会が、その年の世相を漢字一字で表す 「今年の漢字」 を発表しました。
 「税」 でした。

 ん~、なんとも言えませんな。
 もっと気の利いた漢字はなかったのですかね?
 でもアンケートで一番多かった漢字だっといいますから、仕方ありませんね。
 庶民の実感ということでしょうか。


 さてさて、僕も毎年恒例の私的 「今年の漢字」 を発表します。
 今年は迷わず、パッと漢字一字が浮かびました。

 「笑」 です!


 いや~、一年間よく笑いました。
 笑いっぱなしの一年でした。
 楽しかっただけではなく、常にワクワクドキドキがあり、毎日飽きることがありません。
 手帳にスケジュールが書き込まれるたびに、「よっしゃー!」 と叫んでいましたもの。

 まず、毎月どこかで講演会がありました。
 そのテーマも、温泉あり、民話あり、地酒あり。
 若山牧水をテーマにしゃべったこともありました。
 聴講者らと、よく笑いました。

 街頭紙芝居も楽しかった!
 伊勢崎神社 (伊勢崎市) での 「神社かみしばい」 は毎月、玉村八幡宮 (玉村町) での 「玉村かみしばい」 は隔月に公演しました。
 寒い日も暑い日も風の日も、たくさんの人たちが訪れてくれて、一緒に笑いましたね。


 プライベートでは、落語会へ足を運びました。
 プロアマ問わず、話術だけで観客を楽しませる芸に酔いしれました。
 そして笑いました。


 またテレビやラジオにも多く出演した年でした。
 群馬テレビの 『ぐんま!トリビア図鑑』 では、シリーズ 「温泉王国ぐんま」 のリポーターとして3本出演しました。
 エフエム群馬、ラジオ高崎の番組にもゲスト出演して、楽しいおしゃべりをしてきました。

 そして極めつきは、やっぱりコレ!
 フジテレビの 『ホンマでっか!?TV』 に、スタジオ出演したことでしょうね。
 あの “お笑い怪獣” こと明石家さんまさんと共演するとは、夢にも思っていませんでした。
 そして、中山秀征さん、井森美幸さんをはじめとする群馬勢。
 ブラックマヨネーズ、カミナリ、EXITといったお笑い芸人とのトークバトル。

 笑い続けた90分の収録時間でした。


 ということで、今年の漢字は 「笑」 以外にありませんって。
 “笑う門には福来る” といいます。
 当然、よく笑った一年ですから、たくさん福が来るでしょうね。

 来年が楽しみです。
 福よ、来い!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:11Comments(2)つれづれ

2023年12月13日

追悼 「ノミを持った風来坊」


 今日の朝日新聞群馬版 (12月13日) に、大きく掲載されました。
 今年7月に73歳で亡くなった木彫家で絵本作家の野村たかあきさん (前橋市) の追悼記事です。

 全5段組みという破格の扱いです。
 記事では、奥様の澄江さんの目線で、作家の生涯を追っています。


 冒頭から開口一番、澄江さんは若き日の野村さんのことを、こう語ります。
 「昔は 『ノミを持った風来坊』 だったそうなんです」

 中学生の時に円空の作品に出合い、高校卒業後、いったんは東京の印刷会社に勤めるも、すぐに “風来坊” となってしまいます。
 その後、円空が残した作品をめぐる旅に出ます。


 野村さんに出会ったのは、今から36年前。
 僕が29歳、野村さんが38歳の時でした。 
 すでに野村さんは、自宅の隣に工房 「でくのぼう」 をつくり、作家として活動していました。

 当時、野村さんからは、その “風来坊時代” の話を、たくさん聞きました。


 7年前、病気が見つかり、野村さんは入退院をくりかえしていました。
 僕らも、うすうすは知っていましたが、まさか、そんなに重い病気とは思っていませんでした。
 「俺はそんなに偉い人間じゃないから」 と、家族には 「病気を人に知らせるな」 と言っていたそうです。

 その間、僕は野村さんと紙芝居の制作を続けていました。
 『焼きまんじゅうろう 旅すがた』
 シリーズ3部作を作り上げ、僕に手渡すと、旅立ってしまいました。


 新聞記事では、今月16・17日に玉村町で開催される 「玉村かみしばい」、23・24日に伊勢崎市で開催される 「神社かみしばい」 についても触れています。
 野村さんの追悼口演の意味も込めて、今年最後の街頭紙芝居を開催しますので、みなさん、ぜひ、お越しください。
 ※(紙芝居についての詳細は、当ブログのカテゴリー 「神社かみしばい」 を参照ください)


 野村さん! 見ていてくださいね。
 あなたから託された群馬のヒーローを、僕らが立派に世に送り出しますからね。

 ほら、まんじゅうろうの名ゼリフがが神社の境内に響き渡りますよ!

 「目に染みたか、身に染みたか、心に染みたか~!!」
  


Posted by 小暮 淳 at 11:48Comments(0)つれづれ

2023年12月12日

記憶にございません


 机の上を整理していた時でした。
 うず高く積まれた書籍や資料の間から、一通の封筒が出てきました。
 某団体からの会費の請求書でした。

 封は開けられていたので、確認済みのようです。
 が、中からは未払いの振込用紙が出てきました。
 期限を見ると……

 なななんと! 今年の8月末日ではありませんか~!!

 ヤバ!
 こんなことは初めてです。
 血液型はA型、几帳面な性格の僕としては、ありえないミスです。
 「どうしよう? 3カ月も過ぎている!」
 当然ですが、この振込用紙は、すでに無効です。

 あわてて電話をしました。


 「はい、どうされましか?」
 オペレーターの女性が出ました。
 「うっかり、会費の振り込みを忘れてしまいました」
 「では、会員番号をお願いします」

 告げると、思わぬ言葉が帰ってきました。
 「小暮淳さんですね。ちゃんと入金されていますよ」
 「えっ、何かの間違えではありませんか? だって、ここに振込用紙があるんですから……」
 すると、
 「少々お待ちください。ただいま確認します」
 と間が空いて、
 「9月にコンビニから支払われていますね」
 「えつ、コンビニ? だって、ここに振込用紙が……」

 オペレーターの次の言葉で、謎が解けました。
 「はい、8月末の時点で、お振り込みがなかったので、再度、お送りした用紙で払われています」


 「な~んだ! 良かった!」
 と思ったのは、束の間でした。

 まったく記憶にないのです。
 刹那、恐怖が襲ってきました。

 もしかして、認知症が始まったのか?
 (ガーーーーーン)


 臆病の僕は、その日以来、自分に対して疑心暗鬼な日常を送っています。


 “物忘れ” と “認知症” の違いとは?
 よく例えとして言われるのが、「昨日の昼食について、思い出せるかどうか」 です。
 「何を食べたか?」 を思い出せないのは、物忘れ。
 「食べたかどうか?」 を思い出せないのが、認知症。
 とのことです。

 で、僕の場合は、どっちなんでしょうか?
 お金を振り込んだかどうかの記憶がありません。

 ああああ~、イライラする~!


 えっ、そんなこと、どうでもいいじゃないかって?
 確かに、振り込んだつもりで振り込んでなかったよりは、救いがあると思います。

 それにしても、オレオレ詐欺じゃなくって、良かった!
 犯人に払っていないつもりでいて、実は払っていたなんて、笑い話にもなりませんものね。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:49Comments(2)つれづれ

2023年12月09日

スマホを持たぬ者、市民にあらず


 前橋市から大きな封筒が届きました。
 中には 「市民との協働のまちづくりにあなたのご意見を」 と書かれた22ページにわたるアンケート用紙が入っていました。
 なんでも15歳以上の市民の中から無作為に抽出された5,000人のうちの一人に、僕が選ばれたようであります。

 もちろん、健全なる郷土を愛する一市民として、快くアンケートに答えました。


 アンケート内容は、みなさんがお察しの通りの、よくある質問ばかりです。
 環境や交通、教育など、住みやすさに関する設問が延々と続きます。

 なのに最後に、こんな設問がありました。
 <あなたはスマートフォンやタブレットを利用していますか?>

 なぜに突然?
 と思いましたが、反射的に僕は4番の 「まったく利用しない」 に○を付けました。

 ページをめくると、さらに設問は続きます。
 <3または4と答えた方へお聞きします。スマートフォンやタブレットを利用しない理由は何ですか?>

 なぜに執拗に問うのか?
 と思いましたが、迷うことなく6番の 「自分の生活には必要ないと思っているから」 に○を付けていました。


 さらに設問は続きます。
 <あなたは、スマートフォンやタブレットを使って、どのようなサービスを利用したいと思いますか?>

 ここで、はたと手が止まりました。
 え?
 この設問って、利用している人限定じゃないの?
 なのに 「利用しない」 と答えた人にも、しつこく訊ねているのです。

 選択肢の一覧には、インターネットやオンラインを使った様々なサービスが並んでいます。
 <当てはまるものすべてに○を付けてください>


 だから~、僕は、さっきから、利用しないし、必要ないと答えているんですよ!
 と、いらだち始めていると、最後の一行が目に入りました。

 「利用したいと思わない」
 迷わず○を付けました。


 ははは~ん、そういうことなんですね。
 三段落ちなんです。
 「利用していない」 (なぜ?) → 「必要ないから」 (今後は?) → 「利用したいとは思わない」
 まるでスマホを買わせたいがための営業マンとの会話のようです。

 これに対して、すでにスマホを利用している人への設問は、一切ありませんでした。


 現在の日本国民のスマホ保有率は、96.3%です。
 もしかして行政は、残りの3.7%が許せないのですか?
 この数字を100%にしたとき、一網打尽に市民を統括した何かを始めようとしているのではありませんか?

 な~んてね、勘ぐってみたりもしましたが、素直にアンケートに答えました。


 “スマホを持たぬ者、市民にあらず”
 っていう意味じゃ、ありませんよね(笑)。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:11Comments(2)つれづれ

2023年12月04日

190万の壁


 ついに、カウントダウンが始まりました。

 何のことかって?
 群馬県の人口総数ですよ!


 現在の人口は、190万359人(11月1日時点) です。
 前月より481人 (0.03%) も減少しています。
 ここ数カ月は、500人前後ずつ減少が続いているんです。

 ということは、早ければ次回の調査 (12月1日) で180万人台になる可能性が!


 なんで、そんなことを大げさに取り上げているのかって?
 「上毛かるた」 ですよ!
 「ち」 の札のことです。

 現在の 「ち」 の札は、『力あわせる二百万』。
 これは、県民人口を詠んでいます。


 すでに、200万人を割ってるじゃないかって?
 そうなんですよね。
 でも、なんでも、かるたの札は四捨五入ではなく、切り上げで詠んでいるらしいのです。
 それによって、なんとか、ここ数年は “二百万” の札でこらえてきたわけです。

 が!
 ついに、こらえられなくなる時が来たようです。

 来年度の改訂版では、『力合わせる百九十万』 に戻ってしまうのでしょうか?
 今月25日の発表を待ちたいと思います。


 ※「ち」 の札の過去推移については、当ブログ2023年10月11日 「力あわせる何百万?」 を参照。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:50Comments(0)つれづれ

2023年11月20日

「膕」 の逆襲


 以前、「膕」 について書いたところ、ブログを呼んだ数人から驚きの声が寄せられました。
 「初めて聞いた」 「名前があることを知らなかった」 「漢字を読めなかった」
 とのことです。
 (2023年11月10日 「膕の誘惑」 参照)

 “月” へんに “國” と書いて、これで 「ひかがみ」 と読みます。
 人体の部位の呼称で、ひざの後ろ側のくぼみのことを言います。


 まあ、あまり普段は見かけない部位なので、馴染みはないかもしれません。
 特に自分の 「膕」 なんて、鏡に映して見る人もいないでしょうからね。
 かなり特殊な部位ではあります。

 でも僕は大好きなんです。
 いつからかって?
 それは物心がついた頃からです。

 前回も書きましたが、とにかく見ていると癒やされるのです。
 なんとも控えめな佇まいに、おしとやかさを感じます。
 また、目立つ正面のひざに対して、日の当たらない陰の存在感がそそります。


 気が付けば、季節は秋を飛び越して、冬の気配です。
 夏のように肌の露出度は高くありません。
 よって、「膕」 をさらしている人も少なくなりました。

 でもね、いるんですよ!
 たま~にですけどね。
 この寒い中、無謀にもファッションとしてミニスカートをはいている若い女性が……


 「お、おおおおーーー!!」
 と、僕の “ひかがみセンサー” が敏感に察知します。
 「前方に、ひざ小僧発見!」
 「了解、後方へ回れ!」
 「ラジャー!」
 と、僕の脳内では指令が飛び交います。

 そして、通り過ぎた女性の後方より 「膕」 を確認。

 すると刹那に視覚から得た情報は、自律神経のうちの副交感神経に伝達され、鎮静作用が始まります。
 なんとも心地よいデトックス効果が得られるのです。


 えっ、何?
 それって、ヘンタイだって?

 そんなことは、ありませんって!
 僕は、いたって健康です。


 ♪ あなたが思うより正常です ♪
  


Posted by 小暮 淳 at 10:56Comments(2)つれづれ

2023年11月14日

僕がランナーをやめた理由


 今月、ぐんまマラソン (群馬県民マラソン大会) が盛大に開催されました。
 33回目だといいます。

 ちょうど30年前のその日、僕は大会に出場する予定でした。
 でも当日の朝、会場には向かいませんでした。
 突然、走る気が失せてしまったのです。

 結果、あの日が人生のターニングポイントとなりました。


 きっかけは、暴飲暴食による肥満でした。
 当時僕は、会社勤めで、ノルマノルマの毎日。
 ストレスを解消するため毎晩、夜の街を飲み歩いていました。

 「こんな毎日を断ち切りたい」

 友人のすすめもあり、一念発起してダイエットを実施。
 手段の1つとして、ジョギングも始めました。
 すると……

 一年と経たずに、メキメキと成果が出ました。
 なんと、10キロ以上もやせたのです。
 ところが……


 ダイエットは成功したのですが、気が付いたらジョギング欲が止まらなくなっていました。
 とにかく、走らなくてはいられないのです。
 しかも走り込む距離も、5キロ、10キロと日に日に延びていきます。

 ランナーズハイっていうんですか?
 走っているとアドレナリンがバンバン出て来て、気持ちがいいんですね。
 もう、寝ても覚めても走ることばかり考えるようになりました。

 いつしか専門誌を読むようになり、記事まで投稿する始末。
 旅行に行けば、早朝にこっそりと旅館やホテルを抜け出して、知らない街を走る楽しみまで覚えてしまいました。
 ( “ランナーあるある” です)

 その頃には、10キロやハーフですがマラソン大会にも出場していました。


 ある日突然、その問いかけは、やって来ました。
 「なんで走るんだ?」

 なんでだろう?
 何のためにだろう?
 走りながらも考えましたが、なかなか答えが出ません。


 30年前の群馬県民マラソン大会の朝。
 出かける用意をしている時でした。
 天啓のように、心の声が聞こえてきたのです。

 “自己満足”

 もしかしたら自分は、走ることにより得られる達成感が欲しかっただけなのではないか?
 本当にやりたいことができないから、他の達成感とすり替えてるのではないか?

 本当にやりたいこととは……


 「走っている場合じゃない!」
 大会を欠場して、後日、会社に辞表を出しました。

 その日以来、僕は走っていません。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:55Comments(0)つれづれ