温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2022年08月30日

丑の刻参り


 ≪プーチンわら人形に五寸釘≫

 そんな見出しを付けたニュースが新聞やテレビをにぎわしたのは、今年5月の中頃でした。
 千葉県松戸市の神社の御神木に、プーチン大統領の顔写真を貼り付けたわら人形が、五寸釘で打ち付けられていたという事件です。

 事件?
 と呼ぶには、あっけない結末に終わってしまった珍事でした。
 市内に住む72歳の男性が、すぐに逮捕されたのです。
 まぬけにも、賽銭泥棒防止用の防犯カメラに顔が映っていたため、御用となりました。


 で、この場合、逮捕容疑って何罪?

 呪詛(じゅそ)罪なんてないし、殺人未遂でもありません。
 脅迫? 名誉棄損? でもありませんよね。
 たぶん、プーチン大統領は、被害届を出していないと思いますから。

 逮捕容疑は、建造物侵入と器物損壊でした。


 この、ご時世ですからね。
 容疑者の気持ちも分かります。
 戦争を止めないプーチンが、憎かったんでしょうね。

 でも、やり方が、まずかった!
 彼は、いくつかの過ちを犯しているのです。


 彼が、やろうとしてしていたのは、「丑の刻参り」 です。
 「丑の刻参り」 とは?
 「呪い釘」 とも 「呪い人形」 ともいわれる、日本に古来伝わる呪詛の一種です。
 人の寝静まった “丑の刻” (午前1~3時) に、神社の境内の樹木 (特に御神木) に、板か藁(わら) で作った人形を呪う相手に見立て、釘を打ち込む儀式です。

 この場合、「呪い釘」 は古釘であること。
 大きいもの (五寸釘) を使用すると効き目があるとされています。


 すでに、ここで容疑者は、2つの過ちを犯しています。
 犯行時間帯が昼間でした。
 そして、使用した釘が新しかったのです。

 これでは、完璧な呪詛は成立しません。


 さらに、「丑の刻参り」 には、絶対に守らなければならない鉄則があるのです。
 ●釘を打つ現場を人に見られてはいけない。
 ●打ち込んだ釘を後日、人に発見されてはいけない。
 というものです。

 これを仕損じると、効果はなくなり、「恨み返し」 といって本人に返ってくるのだといいます。


 容疑者は、バッチリと防犯カメラに映り、しかも、すぐに釘もわら人形も発見されています。

 ということで、すべては 「丑の刻参り」 を真似た素人の犯行だったというわけです。
 だって、プロは違いますもの!

 えっ?
 なんでプロの手口を知っているのかって?

 ええ、以前、取材をしたことがあるんですよ。


 では、つづきは、またの機会に……
   


Posted by 小暮 淳 at 11:50Comments(2)謎学の旅

2022年08月27日

河童神社


 「だったら、河童神社を知っていますか?」

 先日のさる会合で、カメラマンのFくんが言いました。
 彼が、「だったら」 と言ったのは、それまで延々と僕がカッパ伝説の話をしていたからであります。

 このところ、カッパがマイブームとなっています。
 数年前に民話の著書を出版して以来、なんだかんだと講演会に呼ばれるようになりました。
 そのネタとして、群馬県内のカッパ伝説を調べたのがきっかけでした。

 つい先日も、玉村町のカッパと妙義山のカッパの話を紙芝居用の原稿に書き下ろしたばかりです。


 ひと口に、群馬のカッパ伝説といっても多種多様です。
 人間にいたずらをする話が最も多いのですが、なかには恩返しをする殊勝なカッパもいます。

 これらをエリアに分けて分布すると、南毛 (県南部) は、人間や家畜を川に引きずり込んだり、いたずらをする悪いカッパ。
 一方、北毛 (県北部) は、助けてくれたお礼に、万能薬の処方箋を教える良いカッパの話が多いのです。


 そんな話をしていたら、突然、Fくんが言ったのでした。

 「河童神社? なんだい、それ?」
 「いえ、あるということは知っているんですが、行ったことはないんですよ」
 と言われれば、僕の中のミステリーハンターとしての血がうずくではありませんか!

 もう、居ても立ってもいられません。
 百聞は一見に如かず!
 行くっきゃ、ありませんって!


 ということで、大ざっぱな位置情報を頼りに、ひとっ走り行って来ました。
 場所は桐生市。
 市街地から桐生川沿いを北上すること、約30分。

 ここ梅田地区は、昔からカッパ伝説が多い所で知られています。

 車道は、どんどん細くなり、ついには対向車とは、すれ違えないほどの狭さに。
 やがて、目印のT橋が見えてきました。
 たもとに車を停めて、下を覗き込むと……

 ありました!

 何が?

 …………

 ええ、謎の巨石群です。
 大きな岩と岩の間に、なにやら人型の物体が見えます。
 よーく、目を凝らして見ると……

 カッパです!
 それも2体。
 男のカッパと、女のカッパです。
 (男のカッパはイチモツがあり、女のカッパはオッパイがある)

 さて、どこから下りて行くのか?

 あたりを見渡すと、河原に下りる道はありません。
 ただ、個人のお宅の庭からハシゴのような階段が続いています。
 しかし、ロープが張られて、立ち入り禁止となっていました。

 もしかして、この神社って、個人の所有物?
 そもそも神社なのかも分かりません。


 帰ってからネットで調べてみると、かつては鳥居もあり、「河童神社」 の看板もあったようですが、手入れがされていないため、風化して、朽ち果ててしまったようであります。
 残念!
 ぜひ、再建してほしいものです。

 これも後日、分かったことですが、桐生川には 「河童淵」 というカッパが棲んでいた淵があったそうです。
 もしかしたら、あの巨石群があるあたりが、河童淵だったのかもしれませんね。

 謎学の旅は、つづく。
    


Posted by 小暮 淳 at 13:47Comments(2)謎学の旅

2022年07月23日

消えた東村を追え!


 きっかけは、オヤジが残した一冊の本でした。
 ※(当ブログの2022年3月9日 「父の遺書 ~消えた東村~」 参照)


 かつて群馬県には、5つの “東村” がありました。
 群馬郡東村
 利根郡東村
 佐波郡東村
 勢多郡東村
 吾妻郡東村

 しかし、昭和と平成の大合併により、すべて消滅しました。


 なぜ、群馬県には同じ名前の村が5つも存在したのでしょうか?
 調べてみると、全国でも同名町村が、こんなにもあった都道府県は珍しいことが分かりました。

 なぜ、存在したのか?


 一般にいわれているは、その郡の東端にあった村だからという説。
 でも、これは信憑性に欠けます。
 だって、西村も北村も南村もないからです。

 なぜ、東村のみ存在したのでしょうか?

 ということは、“東” は東西南北の方位ではなく、別の意味があるのではないか?
 “別の意味” とは何だ?
 現地へ行けば、その謎が解けるかもしれない。

 だったら、5つの東村を片っ端から訪ねてやれ!


 ということで、僕の謎学の旅が始まりました。

 まずは最初に消えた東村へ。
 昭和29(1954)年に、群馬郡東村は前橋市に編入されました。
 場所は、現在の利根川の西。
 古市町、新前橋町、小相木町、光が丘町、朝日ヶ丘町、江田町、上新田町、下新田町、川曲町、稲荷新田町、大利根町、箱田町、前箱田町、後家町の14町です。

 どの町から歩けばいいのか?

 こういった場合、まずは、現在の中心地からスタートします。
 箱田町には、その名もズバリ 「東公民館」 があります。
 しかも公民館には、前橋市立図書館の分館が併設されています。

 取材の勘は、的中しました!

 分館には、中央の図書館では蔵書されていない、地元の人が書いたローカルな本にめぐり合えるからです。
 手にした本のタイトルは、『あずま・てくてく』。
 編集と発行は、東公民館と東地区自治会であります。

 重箱の隅をつつくには、これ以上のバイブルはありません。

 さっそく、この本で仕入れた情報をもとに、旧東村の歴史を残す名所を歩くことにしました。
 神社仏閣はもちろん、現在でも “東” の名を残す場所をめぐって来ました。


 残る東村は、4つ。

 はたして、5つの東村に僕が立てた仮説は、当てはまるのでしょうか?
 次の東村を訪ねたいと思います。

 謎学の旅は、つづく。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:29Comments(2)謎学の旅

2022年06月27日

今日の朝日新聞 “海ないのに 「珍百景」 で話題”


 「浦島太郎伝説」 の話題が止まりません!

 火付け役は、今月6日に放送されたテレビ朝日系のバラエティー番組 『ナニコレ珍百景』。
 “海がないのに竜宮伝説がある”
 と、群馬県伊勢崎市の 「龍神宮」 が話題になりました。


 実は僕、17年前から雑誌や新聞、著書などで、この摩訶不思議で奇妙奇天烈な伝説を取材し紹介してきました。
 そして昨年からは紙芝居にして、地元・伊勢崎市の神社で上演も行っています。

 コツコツ、コツコツと地道な活動ですが、どこで誰が見ているのか分からないものです。
 しかも、よりによって全国ネットの人気番組が取り上げてくれるとは!

 そのことが、今日の朝日新聞群馬版でも大きく取り上げられました。


 《伊勢崎に浦島太郎伝説》
 《海ないのに 「珍百景」 で話題》
 《江戸時代の古文書にも記述》

 記事では、まずテレビ番組 『ナニコレ珍百景』 で放送されたことに触れ、SNSなどで話題になっていると報じています。
 次に、伝説の舞台を写真入りで紹介。
 僕のコメントも掲載されました。

 <「ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台」 (ちいきしんぶん) の著者でライターの小暮淳さんはこう語る。「地下に深い淵があり、竜宮城へつなかっているといわれているのです」>


 続いて、物語のあらすじを紹介。
 テレビ番組放送後の反響にも触れています。
 そして最後は、僕と一緒に毎月、伊勢崎神社で紙芝居 『いせさき宮子の浦島太郎』 を上演している紙芝居師の石原之壽さんのコメントで締めくくられています。

 <「海なし県の浦島太郎伝説はとても面白く、地元の子どたちも紙芝居を毎回楽しんでくれる」 と話している。>


 海のない群馬県で誕生した浦島太郎伝説。
 さて、今後はどんだけ話題になるのでしょうか!?

 世に出した一人として、その行く末が楽しみでなりません。


 ※次回の 「神社かみしばい」 は、7月9日・10日の開催です。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:45Comments(0)謎学の旅

2022年06月06日

ついに出た! 「ナニコレ珍百景」



 苦節17年、やっと世に出ました!

 昨夜、放送されたテレビ朝日の 『ナニコレ珍百景』。
 ご覧になりましたか?
 ついに、口承は伝説となり、一地方の民話がテレビで全国に紹介されました。

 海のない群馬県に伝わる竜宮伝説です。


 僕は今からさかのぼること、17年前。
 2005年10月に、自身が編集長を務めるタウン誌に、こんな記事を書きました。

 <いつも車で通るたびに、気になっていた。伊勢崎市宮子町、オートレース場の先に 「龍宮」 という信号がある。その交差点から程近く、広瀬川に架かる橋の名は 「龍宮橋」 である。>

 この記事のタイトルは、「浦島太郎の墓が伊勢崎市にあった!?」。

 ついに僕は、海のない群馬県で、浦島太郎とおぼしき人の墓を探し当てたのです。


 2011年5月。
 高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) に連載された 『民話と伝説の舞台』 というシリーズの中で、僕はまた伊勢崎市の竜宮伝説を取り上げました。
 記事のタイトルは、「竜宮へ行った男が持ち帰った3つの品」。

 この記事では、地元の 「龍神宮を守る会」 から古文書のコピーを預かり、男が竜宮城から持ち帰った物が現在どこにあるのかを探りました。


 2018年8月。
 連載されたシリーズは 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ライフケア群栄) として書籍出版されました。


 そして昨年の1月。
 伊勢崎市の竜宮伝説は、紙芝居になりました。
 作/小暮淳、画/須賀りす、演/壽ちんどん宣伝社
 題名 『いせさき宮子の浦島太郎』

 毎月、伊勢崎神社の境内で開催している街頭紙芝居は、昭和レトロブームに乗り、マスコミにも取り上げられ、話題となりました。
 もしかしたら、このウワサが赤城おろしの空っ風に乗って、江戸の都まで届いたのかもしれませんね。

 ついに群馬の浦島太郎は、全国デビューしました!


 苦節17年……
 昨晩は、ただただ嬉しくて、涙なしではテレビを観れませんでした。

 ありがとうございます。

 と誰に言ったらいいのか分からないのですが、この伝説を世に出そうと書き続けて来た者としては、お礼を言わずにはいられません。
 どこのどなたかは知りませんが、本当にありがとうございます。

 “継続は力なり”

 苦労が報われた瞬間でした。


 ※次回の 「神社かみしばい」 は、6月18日(土)・19日(日) に開催します。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:30Comments(2)謎学の旅

2022年05月05日

エイ舞う形の群馬県


 「つる舞う形の群馬県」

 と言えば、群馬県民なら誰でも知っている郷土玩具 『上毛かるた』 の 「つ」 の札。
 そして、『上毛かるた』 の札の中でも最も有名な札ではないかと思います。

 確か競技会では、同点の場合は、この札を取ったチームの方が勝者となるルールでした。
 それほどの肝になる札であります。
 ので、群馬県民は、幼少の頃から何の疑いを抱かずに育ってしまいました。

 そう、群馬県は 「鶴の形をしているんだ」 と……


 ところが他県民に言わせると、
 「どこが鶴やねん!」 (なぜか関西弁)
 と突っ込まれます。

 言われてみて、改めて地図で群馬県の形を見てみると……
 鶴と言われれば鶴ですが、白鳥と言えば白鳥だし、鴨と言われれば鴨のようにも見えます。

 いったい、いつ、誰が、「鶴」 に見立てたんでしょうか?


 と思っていたら先日、興味深い新聞記事を見つけました。

 《県の形の例え 昔は 「エイ」 》

<本県の形の例えに、魚のエイが持ち出された時期があった。NPO法人 「日本郷土かるた協会」 の山口幸男理事長によると、1883~1914年版の県統計書には 「海鷂魚(かいようぎょ) (エイ)」 に似ているとある。>
 (2022年5月2日付 読売新聞群馬版より)

 なぜ、海なし県なのに魚類の発想があったのでしょうか?
 山口理事長は、こう推測します。

 <明治初期の県上層部にはエイが身近な西日本出身者が多かったため>


 そう言われて、改めて群馬県の地図を見てみると……
 うん、うん、見えます!
 それも鶴とは逆向きに泳ぐ、エイの姿に見えます。
 いわゆる鶴の首 (東毛地区) が、エイでは尾になるわけです。

 では、なぜ、「エイ舞う形の群馬県」 にならなかったのか?
 山口理事長は、こう推測します。

 <県内の学校は明治初期から 「県は鶴の形」 と教えてきており、山口理事長は、県内出身者が県政の中心を担うようになり 「鶴」 に変わったとみる。>


 いや~、「鶴」 で良かった!
 そのまま西日本出身者が上層部に居残っていたら、「つ」 の札は別の札になり、「え」 の札の 「縁起だるまの少林山」 は無く、代わりに 「エイ舞う形の群馬県」 になっていたのですからね。

 待てよ……
 ていうか、エイも鶴も群馬には棲息していませんって!

 もっと群馬らしい動物に例えた方が良かったんじゃありません?
 同じ鳥でも、県の鳥 「ヤマドリ」 とか?


 でも、もはや手遅れです。
 僕らの脳には、しっかり “つる舞う形” として、すり込まれていますものね。
 悲しい群馬県民の性(さが)であります。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:07Comments(0)謎学の旅

2022年05月01日

白い糸の伝説


 《人は生まれながら 赤い糸で結ばれている
  そして いつかは その糸をたどって めぐり会う
  しかし その糸は 細くて 弱い》
   (NSP 「赤い糸の伝説」 より)


 “赤い糸” といえば、それは、運命的な恋の相手との出会いのこと。
 その相手とは、小指と小指が見えない糸で結ばれているそうです。

 なーんて、若い頃は、理想の相手を夢見ていたものです。
 でもね、そんなロマンチックなものじゃ、ありませんって!(笑)
 たとえ結ばれていたとしても、引っ張れば切れちゃうし、グチャグチャに絡まるし、気が付いたら色が変わっていたりしますからね。

 “あばたもえくぼ” で、本当は黒い糸が赤く見えていただけなのかもしれません。


 閑話休題


 実は先日、呑み屋のカウンターで常連客らと、ひょんなことから 「白い糸」 の話になりました。
 話の発端は、こんな感じです。

 「夜泣き、疳(かん)の虫、宇津救命丸」
 「なに、それ?」
 と比較的若い客。
 「昔の薬のコマーシャルだよ」
 すると年配の客が、
 「あったね、子どもに飲ませる薬」

 「夜泣きは分かるけど、疳の虫って何?」
 「疳の虫、知らないの?」
 「いや、聞いたことはあるけど、見たことはありません」
 すると、
 「見たことあるよ」 「俺も見た」 「私もある」
 そして、誰かが、
 「昔、出して遊んだよな?」
 と言えば、
 「遊んだ!」 「やった!」 「出した!」
 と、大いに盛り上がりました。


 疳の虫とは、いわゆる赤ちゃんの 「ぐずり」 のこと。
 昔は原因が分からなかったので、赤ちゃんや小さな子の体の中には、疳の虫がいると信じられていたのです。
 だから、どこの町にも、ちょっと、うさん臭い 「まじない師」 がいて、「虫切り」 「虫封じ」 「疳封じ」 なんていう儀式が行われていました。

 その時に用いられたのが、“塩” でした。


 「手に塩をすり込んでな」
 「そうそう、するとニョロニョロって」
 「ええ~、何が出て来るの?」
 「糸だよ、白い糸」
 「そう、それが疳の虫の正体なんだよ」

 でも、あれって、何だったのでしょうか?
 白い糸の正体って?


 ということで、この歳になっても僕の体の中に疳の虫がいるのか、実験してみることにしました。
 やり方なら覚えています。

 ①まず石けんで、よく手を洗う。
 ➁両手に適量の塩を塗り、よく揉む。
 ➂きれいに塩を洗い流し、タオルで水分を拭きとる。
 ④親指を中に入れて、両手を強く握る。
 ⑤そのまま約3分待つ。
 ⑥両手をゆっくりと広げる。

 すると不思議や不思議、両手の指の先からニョロニョロと白くて細い糸のような物が、揺れているではありませんか!
 長いものでは1~2cmほどありました。


 というのは、子どもの頃の話です。
 今回、同じようにやってみましたが、僕の手の指先からは、何も現れませんでした。
 大人になって、疳の虫もどこかへ行ってしまったようです。


 ぜひ、みなさんも挑戦してみてください。
 もしかすると、まだ疳の虫が棲んでいるかもしれませんよ?

 え、疳の虫じゃなくて、そりゃ、「癇癪(かんしゃく)の虫」 だって!?
 お後が、よろしいようで……
   


Posted by 小暮 淳 at 11:41Comments(0)謎学の旅

2022年03月09日

父の遺書 ~消えた東村~


 “遺書” とは、遺言書のことではありません。
 故人が遺した書物のことです。


 「生きている者には、ときどき、死者が必要になることがあるんだ。」

 宮部みゆきの小説 『小暮写眞館』 の中に、こんな一節があります。
 確かに、ときどき、そう感じることがあります。


 オヤジは晩年、認知症を患い、10年間の介護生活の末に他界しました。
 享年94歳でした。
 大往生だったと思います。

 オヤジを見送って、丸3年が経ちました。
 一昨年の夏、三回忌を前に、僕とアニキで遺品を整理することになりました。
 衣服や雑貨類はすべて処分することになり、問題は膨大な量の蔵書です。
 無類の読書家だったオヤジは、その生涯を本に囲まれて暮らしていました。

 「お前が必要な本だけ、持って行け。残りは、俺が目を通して、適当に処分するから」
 そうアニキに言われて、興味のある本だけ十数冊もらって帰りました。


 1年半もの間、その書籍類は、部屋の片隅に積まれたままになっていました。
 先日、仕事で調べごとをしているときに、フッと思い出しました。
 「確か、オヤジの遺書の中にあったような……」

 探すと、ありました!
 『群馬の地名 ―郡名から大字名まで―』 (みやま文庫)
 昭和46年の発行ですから半世紀前の本です。

 すでに背表紙は剥がれ落ち、表紙は色あせて、セピア色に変色しています。
 それでも裏表紙に残るオヤジのサイン (マジックで名前が書かれていました) だけは、ハッキリと読めます。


 調べようと思っていたページを開いて、ビックリしました。
 オヤジも調べていたようで、鉛筆による書き込みが多数されています。

 <明治二十二年第一次町村合併一覧表>

 いわゆる明治の大合併による群馬県内の町村名の一覧です。
 この一覧にオヤジは、その後の合併年と合併後の郡名を追記しています。

 「ほほう、オヤジも好きだね。っていうか、オレと同じことを調べていたんじゃねーの?」
 なんて考えながら、ペラペラとページをめくっていた時です。
 「あれ? こんなに東村ってあったっけ?」

 今は無き、“東村” の多さに目を見張りました。

 僕が知っいる東村は、平成の大合併で消えた3つだけです。
 ●佐波郡東村 → 現・伊勢崎市
 ●勢多郡東村 → 現・みどり市
 ●吾妻郡東村 → 現・東吾妻町

 ところが、この本によれば、僕が生まれる以前に消えた東村が、あと2つあったのです。
 ●群馬郡東村 → 現・前橋市
 ●利根郡東村 → 現・沼田市


 なぜ群馬県には、こんなにも “東村” が多かったのでしょうか?
 ちょっと気になり、調べてみると……

 ギェギェ、ギェギェギェ~!
 嘘か真か、5つの地域に共通する信仰と伝説が浮上しました。
 これは、もう、追いかけるしかありませんぞ!

 オヤジ、ありがとう!
 オレは、謎学の旅に出るぜ!
  


Posted by 小暮 淳 at 10:32Comments(0)謎学の旅

2022年02月05日

座敷わらしの足音


 「小暮さん、ついに出ました!」

 開口一番、興奮気味に、そう言いました。
 声の主は、ご存じ、新聞記者のKさんです。
 このブログでは、もう、お馴染みですね。


 彼は妖怪や未確認生物など、不思議なものが大好き。
 群馬に赴任早々、僕の著書と出合い、強引に面会を求めてきたほどのガッツの持ち主です。
 その彼が、今、夢中になっているのが 「座敷わらし」 です。

 <さて私が泊まった部屋は、座敷わらしがよく出るといわれる廊下のすぐ近く。深夜3時。私はもう一度風呂に入った。わらしはいるのだろうか。>
 <出会った人には幸運をもたらすという座敷わらし。目撃した宿泊客は 「可愛いです。お菓子をあげるとすごく喜びます」。私はついぞ会えず、残念な気持ちで帰路に就いた。>
 (2022年1月4日付 朝日新聞群馬版 「座敷わらし 会えるかな」 より)


 場所は群馬県猿ヶ京温泉 「わらしの宿 生寿苑」。
 温泉ライターとしてはもちろん、テレビ番組のミステリーハンターとしても、たびたび僕が紹介してきた温泉宿です。
 K記者は、この話に俄然、奮起!
 カメラを片手に、意気揚々と出かけて行ったのであります。

 ところが、ICレコーダーに 「ピクニッ」 という謎の言葉を残しながらも……
 <でも恥ずかしがり屋なのかなあ。姿は見せてくれなかった。次回は絶対に会おうね。>
 というエンディングに終わってしまったのです。
 ※(このブログの2022年1月8日 「ピクニックに連れてって……」 参照)


 そして、リベンジの時が来ました。
 彼は、宿に再取材を申し込んだのです。

 「ご主人も、あの声には驚いていましたよ。こんなにハッキリと聞いたのは初めてだと」
 「で、ついに出たって?」
 「そうなんです。夜中ですよ。私の部屋の前の廊下を、タタタッて、足音が聞えたんです」
 「足音?」
 「ええ、あれは絶対に子どもの足音です!」
 「ということは?」
 「座敷わらしです!」

 彼の興奮は、ピークに達したようです。
 これは、クールダウンをさせねば……

 「足があるということは、幽霊ではない」
 「座敷わらしは、妖怪ですから」
 「……」

 「でも足音は聞いたけど、姿は見てないんだよね?」
 「そこなんですよ、残念なのは」
 「座敷わらしは、見た者だけが出世をしたり、お金持ちになったり、幸運をもたらすんだよね?」
 「ええ」
 「前回は声、今回は足音。なかなか会えませんな」

 少しはクールダウンしたかと思いきや、
 「もう一度、行って来ます!」


 この懲りないところが、根っからの記者魂なんですね。
 いいぞ、Kさん! 行け行け~!

 次回は、座敷わらしとのツーショット写真入りの記事を待っています。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:47Comments(0)謎学の旅

2022年02月02日

伝説の巨人を追え!


 ダイダラボッチやデーラン坊など、群馬県内には、いくつもの巨人伝説があります。
 でも、その舞台や物証が残っている伝説といえば、妙義山の 「百合若大臣」 しかいません。

 百合若大臣 (ゆりわかだいじん) とは?
 伝説上の英雄で、弓の名手です。
 そもそもは室町時代に北九州で作られた話で、のちに浄瑠璃や歌舞伎によって全国に広まりました。
 物語はシンプルな復讐劇なのですが、百合若という主人公の体が大きく、力持ちであったことから流布する過程で巨人話に脚色されたようです。
 伝説は全国に残されていますが、なぜか関東地方にだけ巨人化した話が多いのです。


 実は、この話、拙著 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) の中に収められています。
 そのタイトルは、「巨人が射抜いた岩は、どこへ落ちたか?」。

 本書では、巨人が矢で射抜いた岩山、その時に踏ん張った足跡、今も宝物として大切に保管されている弓と矢、その矢が落ちた場所、さらには矢と射抜かれた岩の飛行ルートを追いました。
 荒唐無稽な創話でありながらも、つじつまを合わせが巧みにされている秀逸な民話であることが分かります。


 「小暮さん、リポートしていただけませんか?」
 先月、テレビ局のディレクターから電話がありました。
 予定していた番組の撮影が、“まん防” のため中止となってしまったといいます。
 急きょ、代替案として浮上したのが、三密を避けた、ソロリポートによる撮影だったようです。

 「小暮さんの著書に書かれた百合若大臣が放った矢の飛行ルートを追いましょう!」

 それは面白い!
 すべて物証が残っている民話なのだ。
 映像として世に送り出すチャンスでもあります。

 二つ返事で引き受けると、数日後、台本が送られてきました。


 そして昨日、妙義山麓にて、ロケを行ってきました。
 足跡、射抜いた岩山の空洞、弓矢、そして……

 あっと驚く、エンディングが待ち受けています。

 乞う、ご期待!

 ※放送は2月15日(火) 21:00~、群馬テレビ 「ぐんま!トリビア図鑑」
   


Posted by 小暮 淳 at 10:21Comments(0)謎学の旅

2022年01月08日

ピクニックに連れてって……


 みなさんは、覚えていますか?
 レコーダーの中から謎の声が聞こえたという話を?
 ※(当ブログの12月13日 「謎の声 ピクチー」 参照)


 あれは昨年12月、とある朝のこと。
 突然、知人の新聞記者、Kさんからの電話で起こされました。

 「小暮さん、これを聞いてください!」


 Kさんは僕の勧めで、座敷わらしが出るという温泉旅館に泊まりました。
 その夜は何事もなく、順調に取材を終えたといいます。
 ところが翌日、新聞社に帰り、昨晩の録音を再生してみると……

 <だがインタビューの際に使ったICレコーダーを再生したら子どものような可愛い声が一瞬入っていた。意味は分からないが、「ピクニッ……」 と聞こえる。>
 (2022年1月4日付 朝日新聞群馬版 「座敷わらし 会えるかな」 より)

 さらに記者は、こう記します。

 <座敷わらしはいたんだ。怖いというより何だかうれしくなった。「ピクニックに連れてって」 とでも言っていたのだろうか。でも恥ずかしがりやなのかなあ。姿は見せてくれなかった。>


 そうか、彼には 「ピクニッ」 って聞こえたんですね。
 あの時、僕には 「ピクチー」 と聞こえました。
 「ピクチー」 だから意味不明だったのであって、「ピクニック」 と言おうとしていたのであれば、なんとなく意味も通ります。

 でも、座敷わらしって、江戸時代の子どもですよね?
 ピクニックなんて言葉、知っているんでしょうか?

 いえいえ、座敷わらしは何百年もの間に、時代の変化を確実に学習しています。
 その証拠に、この宿に居つく座敷わらしは、コーラが好物なんです。

 <部屋に帰る途中、飲料水の自動販売機コーナーに寄った。お金を入れると 「僕、コーラ」 と声がするというが、何も聞えなかった。こちらが意識しすぎると、警戒して近寄ってこないのだろうか。>


 昨日、またKさんから電話がありました。
 もう一度、旅館に泊まってくると言います。
 何が何でも座敷わらしに会いたいのだと。

 「今回は群馬版でしたけど、次回は全国版に書きます。座敷わらしは、絶対にいますよ!」


 僕も過去に数回、その宿に泊まっていますが、まだ一度も座敷わらしには会っていません。
 彼に先を越されるのも悔しいですが、同じ謎を追うミステリーハンターとしては、応援したいと思います。

 行け行け、K記者!
 座敷わらしを捕獲せよ!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:33Comments(0)謎学の旅

2021年12月13日

謎の声 「ピクチー」


 「朝、早くに、すみません。今、大丈夫ですか? 小暮さん! これを聴いてくださいよ!」

 電話の主は、新聞記者のKさん。
 声のトーンからして、ただ事ではない様子です。


 2日前の夕方、やはり彼から電話がありました。
 「今、S温泉のS苑に来ているんです」
 「おお、ついに泊まることにしたのか!?」
 「ええ、小暮さんがテレビで言っていた座敷わらしに会いに来ました」
 「Kさんなら会えるかもよ。霊感、強そうだし」
 「今からワクワクしています」
 「で、プライベートなの? それとも取材?」
 「仕事です。今夜、ご主人から話を聞けることになりました」

 そんな内容のやりとりでした。


 「いいですか、これから流しますから、よーく聴いてください」
 
 電話の奥から話声が聞こえてきました。。
 あまり良くは聞き取れませんが、彼の声に重なって、もう一人、ご主人らしき男性の声が聞こえます。
 取材した時に録音した音声のようです。

 「キーン」

 会話の途中に、突然、変な音が入りました。
 僕には、何か金属音のように聞こえました。

 「今のところです。もう一度、再生しますよ」

 今度は、かん高い女の人の叫び声のようにも聞こえます。

 「分かりました?」
 「ああ、聞こえた。声のようでもあり、なんだか高音のノイズにも聞こえるね」
 「子どもの声ですよ、子どもの声!」
 「ああ、言われてみれば……」
 「なんて、聞こえましたか?」
 「えー、そこまでは……」

 「僕には、“ピクチー” って聞こえます」

 「ピクチー? ピクチーってなんだよ」
 「分かりません」


 “ピクチー” って、何だろう?
 そう思い、ネットで検索してみました。
 一件だけヒットしました。
 豆菓子の商品名です。

 まさか、座敷わらしが、こんなマニアックなお菓子を、ねだるでしょうか?

 もしかしたら、“ピクチー” は彼の聞き違いで、似たような別の言葉だったのかも?
 たとえば、“ピクシー” とか?

 でも、“ピクシー” は、ポケモンのキャラクターの名前でした。
 いくら座敷わらしが子どもだからいっても、現代のアニメを知っているとは思えません。


 はたして、謎の声が発した 「ピクチー」 という言葉の意味は?

 彼の書く新聞記事の掲載が待たられます。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:07Comments(0)謎学の旅

2021年10月05日

地獄へ行く覚悟


 <ある日の事、小学校6年生になっていたその人は、先代さんに言ったそうです。
   「お坊さんはいいなぁ。お金には困らまいし、死んだら天国 (子どもの認識における仏の国。豊かで幸せな場所、という意) に行けるんだから…」
  すると先代さんは、小学生のその人に対し、
   「そうではないんだよ。坊さんっていうのは、天国に行ってはいけないんだ。そうではなくって、お坊さんは、死んだら地獄へ行かなければいけないんだ」
  と応えたとのこと。>


 先週、テレビの取材で群馬県内のさる天台宗のお寺を訪ねました。

 僕は現在、群馬テレビの 『ぐんま!トリビア図鑑』 という番組のスパーバイザー (監修人) をしていますが、同時に番組のレポーターもしています。
 年に何本もありませんが、自分がレポーターをする番組については、ロケハンも行います。

 「ロケハン」 とは、ロケーションハンティングの略。
 ロケ=撮影(本番)、に入る前の下見です。
 同時に、出演者などに取材も行います。

 同行したのは、番組のディレクターと放送作家です。
 3人で県内2ヶ所の寺を回り、撮影場所の確認や出演者との打ち合わせを済ませてきました。


 冒頭の話は、その時行った寺の住職からいただいた 「法話集」 に載っていた一話です。
 『地獄へ行く覚悟、ありますか?』 というショッキングなタイトルに目が留まり、真っ先に読み始めました。


 <(エッ!?)
  頭に疑問符を浮かべる小学生に対し、先代さんは続けて、次のように諭したそうです。
   「死んだら自分だけ天国に言ったりせず、地獄へ行って、そこで苦しんでいる人たちの事を、(どうかお助けください、お救いください!) と、仏さまに一生懸命お願いするのが、お坊さんの役目なんだよ」 と…。>


 この後、法話では、著者 (住職) の心の葛藤が記されています。

 <死んでから地獄に行く覚悟かぁ…。
  今までの俺にはなかったよなぁ。
  お浄土に行くことしか考えてなかったしなぁ。
  先代さんは今、どこでどうしていらっしゃるだろう?>

 そして著者は、ある見解を導き出します。
 それは、逆説です。

 <「死後の地獄行き」 を念じながら生涯を尽くしたような人が、結果として、安らかな極楽往生を果たし、やがては仏と成り、地獄に手を差し伸べたりするものかもしれません。>


 いやはや、僧侶とて、人の子なんですね。
 仏門に入ったからといって、すぐに悟りが開けるものではないんですね。

 最後に著者は、こう言葉をつづっています。

 <よおし、俺も死んだら地獄へ行くぞ!>

 なんとも明るい住職であります。


 番組では、住職と僕が、“疫病退散” をテーマに一問一答いたします。
 内容の詳細は、後日、発表いたします。

 ※放送は11月2日(火) よる9時~です。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:20Comments(0)謎学の旅

2021年09月29日

落語 『末期の酒』 動画配信開始!


 お待たせしました!
 本日より、落語 『末期の酒』 がYouTubeにて、動画の配信が始まりました。
 ※(動画配信までの詳細は、当ブログの2021年9月26日 「『末期の酒』 再演」 参照)

 ぜひ、お楽しみください。


 一席目 『末期の酒~牢番編』  https://youtu.be/rrRiHMlsYM8

 二席目 『ねずみ穴』  https://youtu.be/Dy1OA-kQi-c

 ※つながらない場合は、「都家前橋 末期の酒」 で検索してください。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:15Comments(0)謎学の旅

2021年09月26日

『末期の酒』 再演


 『末期の酒』 という話を覚えていますか?

 昨年9月、僕は高崎市のフリーペーパー 「ちいしんぶん」 に、≪忠治外伝 末期の酒 「牡丹」 を探しに≫ という記事を書きました。
 嘉永3(1850)年に国定忠治が関所破りの罪で、大戸 (群馬県東吾妻町) の処刑場で磔(はりつけ)の刑に処せられた際、“末期の酒” に選んだのが 「牡丹」 という酒だったという内容でした。

 この記事が発端となり、忠治ファンや地酒マニアの間で、小さなムーブメントが起き始めました。


 今年3月、群馬テレビ 「ぐんま!トリビア図鑑」 で、『伝説のお大尽 「加部安」 とは?』 放送。
 番組では、僕がリポーターとなり、当時 「牡丹」 を醸造していた 「加部安」 こと加部安左衛門の酒蔵跡を訪ねました。
 この番組の冒頭とエンディングに流れたのが、落語の 『末期の酒』 でした。

 『末期の酒』 は、前橋市在住の噺家、都家前橋(みやこや・ぜんきょう) さんの創作落語です。
 前橋さんと僕は、飲み屋の常連同士。
 昨年、「ちいきしんぶん」 の記事を見せたところ、いたく感動して、この話を落語にしてくださったのでした。


 さて、群馬テレビで放送されると、「末期の酒」 は、各方面で反響がありました。
 今年4月、朝日新聞が ≪国定忠治の最期の一献 落語に≫ と見出しを付けて、大々的に報道しました。
 これに触発され、がぜん奮起したのが、都家前橋さんであります。

 「番組で放送されたのは、ほんのさわりの部分だけ。ちゃんとした落語に仕上げたい」
 と一念発起!
 めでたく、このたび完成しました。

 題して、『末期の酒 ~牢番編~』


 ということで昨日、前橋市内の某会館にて、完成お披露目会を兼ねたユーチューブ用の収録が行われました。
 コロナ禍の緊急事態宣言下のため、関係者のみの入場で行われましたが、僕も “発案者” という特別枠にて、観覧させていただきました。

 忠治が処刑前夜、末期の酒を所望します。
 出された酒は、はたして本当に 「牡丹」 なのか?
 ばくち打ちの忠治らしく、役人と最期の賭けをします。
 その丁々発止の妙技が、笑いを誘います。

 さて、その結末は、いかに!?


 ユーチューブでの配信日が決定しましたら、お知らせします。
 乞う、ご期待!


 ※(落語ができるまでの概略は、当ブログの2021年2月27日 「忠治と落語」 を参照)
   


Posted by 小暮 淳 at 12:32Comments(2)謎学の旅

2021年08月26日

ヒーロー or ダーティー


 2020年9月
 僕は高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 に、『忠治外伝 末期の酒 「牡丹」 を探しに』 という記事を書きました。
 嘉永3(1850)年、国定忠治は関所破りの罪で幕府にとらえられ、大戸 (東吾妻町) の関所近くの処刑所にて磔(はりつけ)の刑に処せられました。
 その時、忠治が “末期の酒” に選んだのは 「牡丹(ぼたん)」 という酒だったことを記しました。

 2021年3月
 僕はスーパーバイザーを務める群馬テレビの番組で、自らがリポーターとなり 『伝説のお大尽 「加部安」 とは?』 という回を放送しました。
 忠治が “末期の酒” に選んだ 「牡丹」 という酒を造っていた蔵元が、「加部安」 という人物だったのです。

 この一連の流れに、たくさんの方々が興味を持ってくださいました。
 その一人が前橋在住のアマチュア落語家、都家前橋(みやこやぜんきょう)さんでした。
 創作落語 『末期の酒』 を作り上げました。
 その話題は、<国定忠治の最期の一献 落語に> と見出しを付けて、新聞でも報道されました。
 (2021年4月14日付 朝日新聞群馬版より)


 国定忠治は、群馬県民なら誰もが知る “郷土のヒーロー” です。
 もちろん、僕にとっても忠治はヒーローなのですが、必ずも万人にとってヒーローか?というと意見の分かれるところです。
 彼は、江戸時代の侠客(きょうかく)ですからね。
 “やくざ者” であることにも違いありません。

 はたして国定忠治は、ヒーローなのか? ダーティーなのか?

 昨日の朝日新聞に興味深い記事が掲載されました。
 執筆されたのは、たびたび僕の活動を取材し取り上げてくれている小泉信一記者であります。


 <国定忠治 ならず者か英雄か>
 <伊勢崎市、生誕200年の催し中止から11年>

 記事によれば平成22(2010)年5月、忠治生誕200年の記念イベント開催をめぐり、当時の市長が 「歴史的に評価が分かれている人物に税金をかけるのはいかがなものか」 と難色を示したため、イベントは中止となりました。

 忠治への評価への風当たりの強さは、戦後まもない頃にもありました。
 ご存じ、『上毛かるた』 です。
 初版を発行する際、県民から 「忠治を読み札に採用して欲しい」 との要望が寄せられましたが、「日本の封建制度を支えた侍ややくざは不可」 とするGHQ (連合国軍総司令部) の意向をくみ、採用されなかったいいます。

 それでも戦後、歌舞伎をはじめ講談や浪曲、映画と数えきれないほどの作品に忠治は登場します。
 やはり忠治には、根強いヒーローとしての人気があったのです。


 記事では最後に、対照的なヒーローとして清水次郎長にも触れています。
 故郷の静岡市は昨年、生誕200年を記念して動画を配信。
 任侠を 「chivalry(騎士道)」 と訳した英語字幕版まで制作し、「ジロチョー」 を世界に発信しています。

 はたして、この違いは?
 県民性の違いなのでしょうか?


 確かに忠治はダーティーではあるけれど、多くの貧しい人々を救っています。
 十分にヒーローだと思うんですけど。

 完全無欠の潔癖なヒーローより、アウトロー的要素を持ち合わせているほうが、カッコイイと思いません?
 みなさんは、どう思われますか?
   


Posted by 小暮 淳 at 11:40Comments(0)謎学の旅

2021年08月16日

怪談 「猫の怨念」 他一話


 今日8月16日は盆明け、送り火の日です。
 今頃、ご先祖様たちは、ナスの精霊牛に乗って、黄泉の国へ帰る準備をしていることでしょう。

 お盆最後の日ということなので、今年も恒例の怪談話をお届けします。
 身の毛もよだつ、恐ろしい生き物たちの話です。



 【亀の呪い】

 ある村のはずれに廃寺があり、境内の奥に小さな池がありました。
 この池には、何万年も生き続けているという大きな亀が棲んでいました。
 でも誰一人、この亀の姿を見た者はいませんでした。

 ある夕暮れ時のこと。
 一人の若者が、この廃寺の前を通りかかると、ガサゴソ、ガサゴソと草を踏みしめるような音が聞こえてきました。
 「もしかしたら伝説の亀が現れたのかも……」
 と若者は、恐る恐る池に近づきました。
 すると、池のほとりの草むらの中から長い鎌首を持ち上げた大きな亀が、こちらをにらめつけています。

 「で、で、出た~!」
 大声を上げた途端、若者は腰を抜かして、動けなくなってしまいました。
 「もうダメだ、おいらは、あの亀に食い殺されてしまう」
 と覚悟を決めて、念仏を唱え出しました。

 ところが、一向に亀は、こちらへやって来ません。

 ノッソ……ノッソ……

 それを見て、若者は言いました。

 「亀の歩みは “のろい”」



 【猫の怨念】

 大阪・道頓堀の一角に大きな屋敷がありました。
 夜、その屋敷の前を通ると、赤ん坊の泣き声が聞こえてくると噂になっていました。

 ある晩のこと、酔っぱらいが屋敷の前を通りかかりました。
 「オギャー、オギャー」
 屋敷の中から赤ん坊のような泣き声が聞こえてきます。
 「こんな夜中に、赤ん坊が一人で庭にいるわけがない。どれどれ、確かめてやろう」
 と酔っぱらいは、塀をよじ登りました。
 そして、塀の上から屋敷の中をのぞくと……

 一匹の黒猫が、こちらを見て、鳴いています。
 「オギャー、オギャー」
 酔っぱらいは言いました。

 「そこに猫が “おんねん”」


 おあとが、よろしいようで。
 チャンチャン!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:38Comments(2)謎学の旅

2021年08月08日

第3の刺客


 「昭和6年9月に発生した西埼玉地震では、群馬県内でも甚大な被害が記録されていますね」
 「昭和20年2月、なぜかB29が2機も邑楽町に墜落しているんですよ」
 「サツマイモの発祥は、群馬県だったって知ってます?」


 群馬テレビの人気謎学番組 『ぐんま!トリビア図鑑』。
 僕は、この番組のスーパーバイザー (監修人) を務めています。
 今週、企画会議が開かれ、末席をけがしてまいりました。

 休憩なしの2時間半、今回も奇想天外なアッと驚くネタの数々が飛び出し、白熱した会議になりました。


 放送開始から丸6年、これまでに放送された番組は、250回を超えています。
 それでも毎回、会議でネタが枯渇することはありません。

 群馬に生まれ育って半世紀以上。
 長年、群馬県内のタウン誌、情報紙、フリーペーパーの編集人をしてきた僕でさえ、会議では 「へぇ~、知らなかった」 の連発です。
 群馬の “トリビア” は、無尽蔵に眠っているんですね。


 さて、スーパーバイザーとしての意見やコメントだけでなく、僕も毎回、取れたての生きのいいネタを提供しています。
 今回、僕が “まな板の上” にのせ、調理する食材は?

 ズバリ、疫病退散の刺客です!


 一向に新型コロナウイルス感染拡大の収束は見えません。
 あれだけ期待され、鳴り物入りで登場した 「アマビエ」 も力不足だったようです。
 2匹目のドジョウ、「ヨゲンノトリ」 にいたっては、見る影もありません。

 ならば、第3の刺客を送り込もう!
 ということになりました。

 では、その刺客とは?

 もう妖怪に頼るのは、やめました。
 実在した人物、しかも法力をもって疫病魔を退散させたという偉いお坊さんです。
 群県内には、ゆかりの寺がいくつもあります。


 「小暮さん、今回もレポーターをお願いしますね」
 とディレクター氏。
 「えっ、ネタの提供だけじゃないの?」
 「はい、ミステリーハンターとして出演していただきます」

 ということになりましたので、オンエアを楽しみにしていてください。
 放送日が決定しましたら、ご報告いたします。

 乞う、ご期待!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:24Comments(0)謎学の旅

2021年07月27日

コーラが好きな座敷わらし


 今月13日に群馬テレビでオンエアされた 『ぐんま!トリビア図鑑』。
 「二つの秘密 河童と座敷童」 は、ご覧になりましたか?

 再放送を含め3回も放送されたこともあり、たくさんの方が観てくださったようです。
 大変反響がありました。
 「良くまとまっていた番組でした」
 「ナレーションが良かった」
 「ナビゲーターが板についてますね」
 「目撃例があるのが凄い」
 などなど、友人・知人・読者から多くのメールやコメントをいただきました。

 ありがとうございました。


 ディレクターの手腕でしょうね。
 15分という番組の中で、2つの妖怪伝説を紹介し、さらに体験者のコメントを入れ、共通項を見いだす。
 さすがです!

 実は、たった15分の番組を製作するのに、ロケには2日間の時間を費やしています。
 廻したカメラは約8時間にも及びます。
 ということは、番組に採用されなかったシーンが、何倍もあるということです。

 たとえば番組内で紹介した民話、影絵 『カッパのくすり』 も語り部が語る 『座敷わらしの家』 も、カメラは全編収録していますが、実際に使われたシーンは数分です。
 当然ですが、僕がお会いしたカッパを捕まえたお婆の子孫や座敷わらしと暮らした夫婦の末裔の方々へのインタビューも、ほとんどがカットされています。

 残念ではありますが、番組では、これが限界です。
 でも、とっても貴重なインタビューなので、ぜひテレビ局には貴重な資料として保管していただきたいと思います。


 さて、撮影の合間での雑談でのことです。
 スタッフ一同、背筋がゾーッとした話がありました。

 座敷わらしが現れることで有名な旅館の主人と話していた時のことです。
 すでに、この旅館には3人の座敷わらしが棲みついていることが分かっています。
 年長の男の子と年少の男の子、そして年端のいかぬ女の子です。

 でも3人は、“きょうだい” ではありません。
 なんで、そんなことが分かるのかって?
 はい、すべて宿泊客の証言であります。

 目撃例は多数あり、なかには会話をした客もいるとのこと。
 それらの目撃談により、女の子の名前は 「リンちゃん」 ということも分かっています。
 リンちゃんのお気に入りは、クマのぬいぐるみです。

 ロビー脇の畳の部屋には、宿泊客らが置いていったおもちゃやお菓子が山のように積まれています。
 その中央に置かれているのが、クマのぬいぐるみです。
 僕は、その中に違和感のあるモノを見つけました。

 缶コーラです。

 「座敷わらしが、コーラなんて飲むんですかね?」
 素朴な疑問に対して、主人から驚くべき事実が語られました。

 「ええ、2人の男の子のうち、どちらかの子が、コーラが好きらしいんですよ」


 この旅館には、浴場へ向かう長い廊下の途中に、飲料の自動販売機があります。
 深夜、この販売機にコインを入れようとすると……

 《 ボ ク ハ コ ー ラ ガ イ イ 》

 という男の子の声が聞こえたといいます。
 それも複数の客が聞いたことから、いつしか畳の部屋には、おもちゃやお菓子にまざって、コーラが置かれるようになったといいます。


 あったこったか なかったこったか
 (あった事だか 無かった事だか)
 あったこったと話すから
 (あった事として話すから)
 あったこったと きかっさい
 (あった事だと思って 聞きなさい)
 <猿ヶ京温泉 「民話と紙芝居の家」 語り部口上より>
 
   


Posted by 小暮 淳 at 13:06Comments(0)謎学の旅

2021年07月19日

酒井正保先生のこと


 <きっかけは13年前に、さかのぼる。当時、私は群馬県内で無料配布されていた生活情報誌の編集人をしていて、毎月、一号一話、編集後記の代わりにコラムを連載していた。タイトルは 『編集長がゆく』。県内で起きている不思議な現象や奇妙な習慣、荒唐無稽な伝説を追って、その謎を解き明かす旅に出ていた。>
 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) 「まえがき」 より

 このコラムを執筆するにあたり、参考にさせていただいた文献が、民俗研究家・酒井正保先生の著書の数々でした。
 酒井先生の著書との出合いは、さらに十数年前にさかのぼります。


 <民話や伝説に興味を抱くようになったのは、フリーランスのライターになってまもなくの頃。編集を手がけた 『前橋めっけ ~ぼくら、ふるさと探検隊~』(前橋法人会) という小冊子との出合いでした。前橋市に生まれ育ちながら、見るのも聞くのも初めての摩訶不思議な風習や慣習が残されていることを知りました。しかも、それらは何百年も前から伝わる民話や伝説に端を発しているものが多いのです。>
 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) 「あとがき」 より

 群馬県前橋市という一地方都市限定の “謎学本” の編集を任されたのです。
 「あとがき」 にも書きましたが、この土地に生まれ育ちながらも正直、民話や伝説には無縁の生活をしていました。
 そんな手探りでの取材活動の折に出合ったのが酒井先生の著書でした。

 『前橋昔がたり』 (朝日印刷)
 『前橋とその周辺の民話』 (朝日印刷)

 前橋市在住の酒井先生ならではの緻密な取材で集められた、実にコアでマニアックな本でした。
 もう僕は夢中になって、先生の他の本も読み漁りました。
 そして、「いずれ先生のように、地元に根付いた民話や伝説をテーマに本を書いてみたい」 と思うようになったのであります。


 僕は一度だけ、先生にお会いしたことがあります。
 といっても、講演会という一方的な場での面識ですが……
 当時、すでに先生は80歳を過ぎていましたが、その雄弁に語る民話や伝説の奥深さに、グイグイと引き込まれたことを覚えています。
 (当ブログの2011年2月26日 「民話に魅せられて」 参照)


 そんな先生が、今年も新著を出版したという新聞広告を目にしたので、速攻、購入しました。
 『心に残る上州の伝承民話を訪ねて』 (上毛新聞社)

 昨年も 『上州の方言と妖怪の民俗を訪ねて』 (上毛新聞社) を出版していますから、2年続けてということになります。
 確か先生は、90歳を過ぎられているはずです。
 いったい、そのバイタリティーは、どこから湧いてくるのでしょうか?

 そう思ったら、がぜん、僕にも勇気と希望が湧いてきました。
 だって、先生の歳まで、まだ30年もあるのですから!

 まだ書ける、まだまだ書ける!


 酒井先生、いつまでもお元気で、まだ眠っている民話や伝説を掘り起こしてください。
 次回の新著を楽しみにしております。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:12Comments(0)謎学の旅