温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2022年07月02日

ANAK


 ♪ お前が生まれた時 父さん母さんたちは
    どんなに喜んだことだろう
    私たちだけを 頼りにしている
    寝顔のいじらしさ
    ひと晩中 母さんはミルクを温めたものさ
    昼間は父さんが あきもせず あやした ♪
    (杉田二郎 『ANAK (息子) 』 より)


 僕には3人の子どもがいます。
 今は全員、家を出て暮らしています。

 内訳は上から女、男、女。
 真ん中の長男だけが男の子です。
 そして唯一、同じ市内に住んでいます。

 とは言っても、互いが顔を合わせるのは年に数回のこと。
 盆暮れ正月と法事ぐらいでしょうか。
 それでも僕は時々、息子にメールを送ります。

 <元気にやってるか?>
 <たまには顔を出せ>

 返事は、決まって <元気> <あいよ> といった素っ気ない言葉だけです。
 それでも親子なんて、なんとなく、つながっていればいいと思っていました。


 先日、そんな彼が、ふらりと実家に顔を出しました。
 「お父さん、いるの?」
 階下から息子の声がします。
 「いるよ」
 と返事をすると、2階の僕の仕事部屋まで上がって来て、こう言いました。

 「今度、呑みに行こうか?」


 驚きました!
 あまりに驚き過ぎて、言葉が返せません。

 彼が生まれてから30年、僕から彼を誘ったことは多々ありますが、彼から 「どこかへ行こう」 なんて誘われたことは、ただの1度もありません。
 しかも、酒だ!?
 僕が知る限り、彼は酒を呑みません。

 その彼が、一緒に酒を呑もうと言うのです。


 やっと継げた二の句は、「ああ、いつでもいいよ」 でした。
 「分かった、また連絡する」
 そう言い残して、彼は階段を下りて行きました。


 今週、その “Xデー” は来ました。

 夕刻、彼が車で迎えに来てくれました。
 向かったのは、僕の行きつけの居酒屋です。
 車の中では、彼の仕事の話が中心です。

 彼の職業は、カーディーラーの営業マン。
 連日帰りが遅く、休みも平日だといいます。
 そんな貴重な休みの日を、のんべんだらりと生きている呑兵衛のオヤジのために使ってくれていることに、ただただ感謝です。

 「でも、お前、呑めないだろ?」
 「いや、少しは呑めるようになったんだよ」
 「少しって?」
 「サワー、1杯か2杯」
 「ははは、そりゃ、呑めるうちに入らんな」
 とかなんとか親子の会話は途切れずに、店までたどり着きました。


 「あら、ジュンちゃんの息子さん? いい男じゃな~い!」
 とママの洗礼を受けて、まずは親子で乾杯。

 とにもかくにも、親子で、しかも居酒屋で、しかも2人きりで肩を並べて酒を呑むなんて、人生初の出来事であります。
 否が応でも、ピッチが上がります。
 駆けつけ3杯の生ビールを呑み干し、日本酒の冷やをグラスであおりました。


 「バカに日に焼けてるな?」
 まじまじと彼の顔を見て、僕が言いました。
 このひと言が、この日の酒を極上の美酒に変えてくれました。

 「ああ、農業を始めたんだ。今日も朝から畑で畝(うね)を作ってきた」

 えっ、えええ?
 コイツ、何を言ってるんだ?
 何が農業だよ?
 お前、サラリーマンだろ?


 聞けば、脱サラをして農業を始めた友人を今年から、休みの日ごとに手伝っているのだといいます。
 「へー、お前がな……」
 「今度、俺が作った野菜を食べさせてやるよ」

 それから何時間も彼の農業デビューの話を聞きました。


 思えば、数年前。
 彼が僕に、こんなことを言ったことがありました。
 「お父さんは、仕事が楽しそうだね」

 「お前は、楽しくないのか?」
 と訊くと、彼はポツリと言いました。 
 「だって、数字がすべてだもの」


 今は、土をいじるのが楽しいと言います。

 なんでも、いいんだよ。
 夢中になれることがあれば。

 人生は、長いんだ。
 あわてることも、あせることもない。
 今やりたいことが、今やるべきことなんだ。


 「そうか、お前が作った野菜で酒を呑む日を楽しみにしているよ」

 ほんの少しだけ、親子が親子以上に近づいた夜でした。


 息子よ、ごちそうさま!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:18Comments(0)酔眼日記

2022年06月28日

老翁A


 ♪ じれったい じれったい
    何歳(いくつ)に見えても アンタ誰でも
    じれったい じれったい
    ジジイはジジイだ 関係ねぇぜ
    特別じゃない どこにもいるぜ
    ア・ン・タ 老爺A
    (中森明菜 「少女A」 のパクリ)


 行きつけの居酒屋で、最近、顔を合わせる爺さんがいます。
 僕から見て “爺さん” なのですから、見た目、70代後半から80代前半です。

 この爺さん、何度かカウンター席で隣同士になったことがあり、少しだけ素性が分かってきました。
 ・一人暮らし
 ・生涯独身
 ・資産家

 まあ、どこにもいるような爺さんなのですが、一つだけ他の客から煙たがれていることがあります。
 それは、やたらと他人に年齢を訊くのです。
 過去には僕も訊かれましたが、そのトークが毎回、同じなんです。


 先日も初めて来店した年配の男性客に対して、
 「お見受けのところ、私とご同輩のようですが、おいくつですか?」
 と、ぶしつけに声をかけました。

 一瞬、ムッとする男性。
 そして、こう切り返しました。
 「まあまあ、いくつでもいいじゃありませんか。こういう場では、年齢は関係ありませんよ。楽しく呑みましょう」

 少し離れた席で吞んでいた僕は、「また始まったぞ」 と次の展開を予想していました。


 この爺さん、他人に年齢を訊くのは、落語でいえば “まくら” のようなものなんです。
 本題は、この後の自慢話にあります。

 「では、私はいくつに見えますか?」

 おいおい爺さん、女性じゃないんだから、いきなり年齢当てクイズかよ!
 どう見ても70代後半~80代前半に見えますって。
 当然、男性は、
 「私と同世代でしょ?」
 と答えます。

 すると爺さん、
 「ということは、あなたはおいくつですか?」
 「76ですけど」
 と、まんまと相手の歳を聞き出してしまうのです。
 (これが、いつもの手口です)


 さて、ここから爺さんの十八番が始まります。
 「私はね、78歳なんですよ」
 (見た目、そのままです)
 「見えないって、言われるんですよ」
 (だから、見た目そのままだって)
 「いくつに見えます?」
 (78歳だよ)
 「65歳だって言われるんですよ」
 (絶対に見えません)

 男性客は、すでに背中を向けていました。
 これ、いつものパターンなんですね。


 面倒くさい爺さんなんですけど、この会話が、ちょっとクセになっています。
 新しい客が爺さんの隣に座ると、「早く訊かないかな」 「あ、訊いた!」 「次は自慢話だぞ」 「出た~!」 って、カウンターの隅で、ほくそ笑んでいる自分がいます。

 ママいわく、
 「あの人、さみしいんだよ」

 居酒屋は、まさに人間交差点 (ヒューマン・スクランブル) であります。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:19Comments(0)酔眼日記

2022年06月21日

高嶺の酒


 さすがにメチルアルコールには手を出しませんでしたが、若い頃は酔えれば何でも浴びていました。

 20代前半。
 よっぽどの祝い事でもなければ、店に出かけて呑むなんてことはしませんでした。
 みんな貧乏学生でしたからね。

 下宿に集まり、持ち寄った酒を呑む。
 それが “呑み会” でした。
 当時の主流は、焼酎。
 まだまだ今のように、焼酎がオシャレではなかった時代のこと。
 “労働者の酒” なんて呼ばれていた頃ですから、貧乏な僕たちにも愛飲されていました。

 たまにウィスキーのボトルが登場しましたが、ほとんどがサントリーの 「レッド」。
 このクラスの酒が、手を出せる限界でした。
 本当に稀にですが、「バイト料が入ったぞ!」 と 「ホワイト」 を抱えて来る輩がいると、奪い合いとなり、一瞬で消えてなくなったものです。

 そんな僕らの楽しみは、盆暮れの帰省明けでした。
 地方に散らばった仲間たちが、故郷から帰って来ます。
 各々の手には、親からくすねて持って来た贈答品の酒が……
 「角」 「オールド」 「リザーブ」 なんていう銘酒は、まるで戦利品のように神々しかったのであります。

 「うめぇ~なぁ~」
 なんとも言えぬ至福の夜を迎えたものでした。


 時は巡り、大人になっても、相変わらず呑兵衛は吞兵衛のままであります。
 しかも、まったく進歩なし!
 老いてもなお、“質より量” の毎日を送っています。

 そんな僕に、ある日突然、衝撃の一夜が訪れました。
 某テレビ局のリポーターとして、夜の街をロケした時です。
 店の主人とのツーショットシーン。

 カウンターをはさんで、僕と店主が向かい合い、お店の歴史話を聞くという設定です。
 「手元に何もないのも不自然ですので、小暮さんに何か出してもらえますか?」
 ディレクターに言われ、店主が琥珀色の液体が入ったグラスをカウンターに置きました。
 「はい、それでは本番行きます。まず、一口飲んでから話し出してください。3、2、(キュー)」

 ところが一口飲んだところで、あまりの美味しさに、セリフが飛んでしまいました。
 「うま~い!」
 「カット! もう一度、お願いします」
 と言われても、僕の耳にはディレクターの声なんて入って来ません。

 「めちゃくちゃ、おいしいんですけど、これ何?」
 台本に無いことを話していました。
 「山崎です」

 それを聞いて驚いたのは、僕よりもディレクターのほうでした。
 「これ、開けちゃったんですか?」
 「いえいえ、売り物じゃありません。私個人のボトルですから、ご安心ください」


 どうりで、うまいわけだ!
 と言っても、僕はウィスキーの味は、よく分かりませんし、「山崎」 自体、初めて飲みました。
 なのに、“どうりで” と思ったのは、その値段です。

 確か、市場では何万円もするのでは……


 と思っていたら先日、目ん玉が飛び出るようなニュースが飛び込んで来ました。

 《「山崎55年」 8100万円 米で落札》
 《日本産ウイスキー 高評価》 

 新聞によれば、サントリースピリッツの長期熟成シングルモルトウイスキー 「山崎55年」 が米ニューヨークで競売にかけられ、60万ドル (約8100万円) で落札されたとのことです。
 ちなみに2020年に日本で販売され時は、1本330万円だったといいます。


 僕がロケで飲んだ 「山崎」 は何年物だったか知りませんが、それでもセリフが飛ぶほどにうまかった!
 55年となると味の想像がつきませんが、8100万円という価格には驚かされました。

 死ぬまでに一度、飲んでみたいような、怖いような……
 まさに、高嶺 (高値) の酒であります。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:37Comments(0)酔眼日記

2022年06月10日

老いては弟子に従え


 「先生は鈍感なんだから」
 そう言われて、しょげてしまった僕に、
 「いいんですよ先生は、それで」
 「何のために弟子がいると思っているんですか」
 「我々に任せてください」
 次々に声をかけられました。

 まだボケるには、ちと早過ぎます。
 でも人間、人より劣る根っからダメな部分というものは、生涯消せないものです。

 決して、老いたからではなく、鈍感なのは、僕の生まれつきの欠点なのであります。


 先日、「弟子の会」 なるものが、市内の居酒屋で行われました。
 集まったのは、僕の講演や講座、著書をきっかけに県内外から集まった “自称・弟子” のみなさんです。
 会の結成は2016年11月ですから、かれこれ6年になります。
 2ヶ月に1回、こうやって顔を合わせて、温泉談議に花を咲かせています。

 この日は、話し合うべき案件がありました。
 その案件について僕は、まったくトンチンカンな解釈をしていたのです。
 勘違いもはなはだしく、弟子たちに笑われてしまいました。

 「俺って、本当、鈍いよね」
 その時は、自分のダメさ加減に、ほとほと嫌気がさしました。


 案件は、その場で一件落着。
 いつも通りの楽しい酒宴となりました。

 弟子たちの笑い声と心地よい酔いに包まれいたら、なんだか急に目頭が熱くなってきました。
 ダメなことをダメと言ってくれて、ダメはダメのままでいいと言ってくれる人たち。
 しかも、そのダメな部分を補うために自分たちがいると、言ってくれるのです。

 こんな幸せな事って、あるでしょうか?

 “持つべき物は弟子”
 “老いては弟子に従え”


 まだまだ老いに身を任せる歳ではありませんが、この人たちに囲まれて老いれるのであれば、老いるのも悪くはないな……

 ほてった頬を夜気に冷ましながら、傘をさしてトボトボと歩く帰り道。
 「ありがとう」
 見上げた雨空に、そう、つぶやかずには、いられませんでした。

 感謝!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:35Comments(2)酔眼日記

2022年06月07日

人生の追加メニュー


 親友と呼べるかは分かりませんが、学生時代から付き合っている腐れ縁の旧友なら何人かいます。
 そのうちの一人、T君から久しぶりに “差し呑み” の誘いがありました。

 「富山に行けなかったからさ。その代替ということで」

 富山とは、富山市で毎年春に開催されるチンドンフェスティバルのことです。
 一緒に行く予定でしたが、コロナの影響で今年も開催が中止となってしまいました。


 T君は中学~高校の同級生。
 互いに夢を語り合い、共に夢を追いかけて、花の都・東京へ出ました。

 恋をして、恋に破れ、夢に振り回され、夢に破れ……
 そのたびに、酒を酌み交わして、早や半世紀。


 夢も仕事も別々の2人ですが、一度だけ神様が、人生にいたずらを仕掛けてくれたことがありました。
 それは彼が、僕の本の出版担当者になったことです。

 「あの時は、驚いたな」
 「いや、なんだか照れくさくて、やりにくかったよ」
 「でも楽しかった」
 「ああ、仕事で温泉に行って、夜通し酒を呑んだのなんて、後にも先にも、あの時だけだ」

 ※2014年4月刊 『新ぐんまの源泉一軒宿』 (上毛新聞社)


 呑むほどに、酔うほどに、昔話に花が咲きます。
 河岸を変えて、思い出の居酒屋へ行くことに。
 30代に2人でよく通った、夫婦だけで商っている小さな店です。
 でも10年ほど前に移転したと聞いていたので、街中を探し回りました。

 暖簾をくぐると、懐かしいママと主人の顔が……
 ちゃんと、僕らのことを覚えていてくれました。
 それが嬉しくて、酒のピッチも上がります。


 気が付けば、僕らも60代。
 T君は一度、定年退職をして、現在、再雇用期間中。
 それも、あと数年で終わります。

 「小暮は、いいな」
 「何がさ?」
 「定年がなくて」
 「ということは、死ぬまで働けってことだよ」
 「俺、何しようかな……」

 人生100年時代の大きな課題が、話のテーマとなりました。
 就職をして、結婚して、子供も生まれ、家も建て、子供も育って……

 「人生のメニューは、ほぼほぼ終えたよな」
 とT君。
 だから僕は、言ってやりました。

 「また夢を追うか?」
 「あの頃のように?」
 「そう、こうやって拳を振り上げてさ、『世の中を変えてやる~!』 って(笑)」


 程なくして、僕らの “人生の追加メニュー” が決まりました。

 「また旅をしようよ」
 「だな」
 「あの頃のように、知らない街で待ち合わせて、酒を呑んで、知らない街で別れる」

 かつて僕らの旅は、小説となり新聞に掲載されたことがありました。
 ※(当ブログの2019年5月21日 「掌編小説 <浅田晃彦・選>」 参照)


 「では、そういうことで、よろしく!」
 「こちらこそ!」

 旧友って、いいもんですね。
 いつでも、どこでも、会えばすぐに、あの頃に戻れるのですから。
    


Posted by 小暮 淳 at 12:05Comments(0)酔眼日記

2022年04月28日

ハッスル餃子とロゼのワイン


 ある時は、タオル片手に湯処をめぐる 「温泉ライター」。
 また、ある時は、民話や伝説の謎を追う 「謎学ライター」。
 しかし、その正体は?

 ジャーン!
 そうです、夜な夜な呑み屋に現れる神出鬼没の 「酔っぱライター」 であります!


 ということで、行って参りました。
 今春、リニューアルオープンした前橋市街地の “昭和レトロの聖地”、「呑竜(どんりゅう)横丁」。

 呑竜横丁とは?

 昭和22(1947)、戦後間もなくのこと。
 復興計画に基づき、大蓮寺の墓地跡地に復員兵の生計を立てることを目的とした 「呑龍仲店」 が誕生しました。
 飲食を中心に、雑貨や総菜、青果の店が雑多に軒を連ねていたため、地元では通称 「呑龍マーケット」 と呼ばれていました。

 僕の子どもの頃は、あの一画は “大人の世界” で、暗黙の “立ち入り禁止エリア” でした。
 確か、大人たちは 「小便横丁」 なんて言っていた記憶があります。
 まあ、言うならば、前橋のゴールデン街だったのです。


 昭和57(1982)年1月。
 そんな “大人の聖地” を、存続の危機が襲いました。
 仕込み時間の夕刻、一軒の飲食店から出火。
 またたく間に火の手は広がり、マーケットは全焼してしまい、25店舗が焼き出されました。

 ところが、各店主たちの努力もあり、たった1年半で再建。
 名称も 「呑龍」 から 「呑竜」 へと改名。
 新たな “のんべえ横丁” がスタートしました。


 時代は昭和から平成へ。
 バブル経済がはじけ、出店者の撤退、空き店舗の増加、建物の老朽化……
 いつしか横丁は、昔のような華やかさを失っていました。

 そこで一念発起、有志たちによるプロジェクトが結成され、このたび 「呑竜横丁」 が華々しくリニューアルオープンしました。


 となれば、当然、「酔っぱライター」 の出動です!

 僕は現在、群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』 のスーパーバイザー (監修人) をしています。
 と同時に、リポーターとしても時々出演しています。

 「小暮さんにピッタリの企画なんですけど、出演していただけますか?」
 とディレクターからの誘いに、
 「酒、呑めるの?」
 「ええ、横丁を端からハシゴしていただきます」
 と言われてしまえば、断わる理由はありません。

 2つ返事+ 「ギャラは要りません」 の言葉を添えて、引き受けました(ウソ)。


 時々刻々と夕闇が迫るアーケード横丁。
 通りの提灯が一斉に灯りました。

 「はい、スタート!」
 ディレクターの声に背中を押され、のれんをくぐります。

 1軒目は、オリジナル 「呑龍ビール」 の小瓶を片手に、焼き鳥を頬張るシーン。
 2軒目は、カウンター席で常連客にまざって、日本酒を酌み交わします。
 ママ手作りのフキの煮物とポテトサラダに、撮影を忘れて箸が進みました。


 「次は、ここでギョーザを食べていただきます」
 とディレクターが指さした店の看板に目をやると、懐かしい文字が!

 『ハッスル餃子』

 いゃ~、懐かしいなんてもんじゃありませんよ。
 昭和の前橋っ子にとっては、憧れのギョーザです。

 ハッスル餃子とは?
 昭和43(1968)年創業のメイド・イン・群馬の “ご当地餃子” であります。
 僕の子どの頃は、前三百貨店の地下・食料品売り場でのみ販売されていました。
 今でいう実演販売で、目の前で焼いた熱々のギョーザを持ち帰り、夕飯のおかずにするのが最高の贅沢でした。


 「前三のハッスル餃子を、ご存じなんですか?」
 ギョーザを焼く若い店主に訊かれました。
 「このポスターだって知ってるよ!」
 壁に貼られたレトロなポスターは、当時、前三百貨店の地下売り場の店頭に貼られていたポスターと同じです。

 その前三百貨店が閉店したのが、37年も前のこと。
 店主が知らなくても無理はありません。

 「はい、ギョーザにはワインが合うんですよ。それもロゼ」

 へへへ~、ギョーザにワインなんて初めてです。
 が、これが意外とマッチ!
 聞けば、具の割合は野菜が9割。
 軽くてヘルシーな味わいで、パリッ、モチモチの皮とのバランスも絶妙です。


 さらに数軒、横丁をさまよいながら千鳥足で歩く僕を、カメラは追いかけ続けます。
 最後は、締めのラーメン店へ。
 食レポも1テイク (一発撮り) でOK!

 「小暮さんは素面(しらふ)よりアルコールが入っていたほうが、雰囲気があっていいですね」
 とディレクターに言われ、
 「だったら、これ、シリーズにしません?」

 この問いに何て答えたのかは、酔っていて覚えていませんが、視聴者の評判によっては、アリかもしせませんよ。


 ※『ぐんま!トリビア図鑑』、「楽しい横丁・吞竜仲店 (仮)」 は、5月24日(火) 21時~の放送です。
    


Posted by 小暮 淳 at 12:01Comments(0)酔眼日記

2022年02月23日

フェチも歩けば靴をなめる


 昨晩は久しぶりに、ゆかいな仲間が集まりました。
 当ブログでは、お馴染みの 「弟子の会」 の面々です。

 弟子の会とは、僕のことを勝手に 「先生」 とか 「師匠」 と呼ぶ、温泉好きの集まりです。
 当然、会えば温泉話に花が咲くのですが、最近は、たびたび下ネタに脱線します。
 とは言っても、みなさん、50代以上の良識ある紳士淑女たちですから、そんなにお下品な話はいたしません。
 やんわりと、それとなく、ちょっぴりエッチで色気のあるテーマで盛り上がるわけです。


 昨晩は、なぜか、フェチ話になりました。
 「異性のどんな所に感じるか?」
 という、年がいもないテーマに、紳士淑女らは大いに興奮したのであります。

 「髪ですね。きれいな髪の人は、男女を問わず触りたくなります」
 「私は、汗のにおい。ジャージに付いたにおいを、こうやって、ウ~ンって嗅ぎたい」

 まあ、人それぞれ感じる所はいろいろで、聞いていて楽しいのです。

 「先生は、どこよ?」
 と問われれば、僕だって胸を張って、こう答えました。
 「ふくらはぎ」

 この部位だけは、譲れません!
 若い頃から今日に至るまで、僕がこだわり抜いている唯一のフェチなのですから!


 「そういえば最近、変な事件がありましよね? 靴をなめて捕まったという」
 Sさんのひと言で、話のテーマは全部 “靴フェチ” に持っていかれてしまいました。


 《女子中学生の靴なめた疑い》
 《高崎署が男逮捕》

 数日前の地方新聞の片隅に、そんな見出しを付けた小さな記事が載っていました。

 <逮捕容疑は1月30日午後5時5分ごろ、高崎市内の商業施設で、商品を見ていた西毛地域に住む女子中学生に近づき、床にはいつくばって左足に履いていた運動靴のつま先をなめる暴行をした疑い。>


 何が変なのかって、まず、<床にはいつくばって>  という行動です。
 一見、女子中学生のスカートの中を覗こうとする痴漢行為かと思いきや、はいつくばってしまう。
 実は、お目当ては女子中学生ではなく、女子中学生が履いていた “運動靴” だったということ。

 運動靴ですよ!
 ハイヒールに異常に興奮して、盗んで捕まったというフェチ泥棒の話は聞いたことはありますが、色気もそっけもない中学生の運動靴というのが、スゴイ!

 そして驚いたのは、履いている靴をなめる行為は、暴行罪にあたるということです。
 (脱いだ靴なら器物損壊罪なのだろうか?)


 気になるのは、容疑者 (52歳) の動機であります。
 新聞には、このように記載されていました。

 <同署によると 「間違いありません」 と容疑を認め、「自分の性欲を満たすためだった」 などと供述しているという。>


 「髪」 だ 「汗」 だ、「ふくらはぎ」 だと騒いでいた僕らは、なんて凡人なのでしょう。
 フェチの世界は、奥が深くて広~いんですね。

 容疑者は、犬の生まれ変わりなのかもしれません。
 きっと彼の家の縁の下からは、運動靴に限らず、さまざまな履物が見つかることでしょうね。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:17Comments(0)酔眼日記

2022年01月06日

H始め


 Hを 「エッチ」 と読まないでください。
 Hは 「エイチ」 です。

 「H」 は、ご存じ呑兵衛の聖地、酒処 『H』 のことであります。


 昨年の暮れ、ママからメールが届きました。
 <年内は30日まで。新年は4日から営業します>

 でも年内は、なんだかんだと忙しくて、ついに顔を出せずじまい。
 メールの返信のみのあいさつとなってしまいました。


 さて、明けて新年。
 本来なら初日の4日に駆けつけたいところだったのですが、これまた、のっぴきならない野暮用に邪魔されてしまい、一日遅れの “H始め” となりました。

 「あけましておめでとうございます」
 「あ~ら、ジュンちゃん」
 「今年もよろしくお願いします」
 「こちらこそ、よろしくお願いします」

 開店時間 (午後4時) の5分前に、一番客として入店。
 コートとマフラーを脱いで、お気に入りの一番奥の席へと向かいます。

 「ここ、大丈夫なの?」
 カウンターを見ると、奥から2番目の席から5番目の席までは、マットが敷かれ、グラスがセットされています。
 すでに予約が入っているようです。
 「ふふふ、今日はジュンちゃんが来るような気がしてたのよ」
 確かに、一番奥の席は空いています。

 「さすが、Hねーちゃん! 客のかゆい所に手が届く!」
 「ふふふ……。で、何にするの? 寒いけどビールでいいの?」
 「とりあえずビールからの、熱燗で」
 「ラジャー!」


 僕は、この席から見る風景が大好きなんです。
 L字型にのびるカウンター席と店内が見渡せ、窓の外の通りの往来まで眺められる特等席……

 入口のガラス扉に、大きな正月飾りが飾られているのが目に入りました。
 かなり立派な飾り物です。

 「立派な正月飾りだね。だいぶ奮発したんじゃないの?」
 「ふふふ、ないしょだよ。あれ “百均” なんだから」
 「えーーーっ、まさか100円じゃないよね」
 「まさか! ふふふ、でも百均なの」

 何気ない会話だけど、この瞬間が日常のしがらみから解き放される至福のひとときなのであります。


 熱燗を一合ほど呑み、体もほどよく温まった頃、予約者の一人、Hちゃんが現れました。
 次いでFくん、Yちゃん、Aくんと続々来店し、だいぶ、にぎやかになりました。

 これで奥から5席が埋まりました。
 残りは3席。

 そこへCちゃんとTさんのカップルとM先生が現れ、あっという間に満席となりました。
 と思ったら、タッチの差で遅れてやって来たRさん。

 ママがカウンターの中で手を合わせ 「ゴメン」 のジェスチャーをします。
 それを見ていた心優しいTさんは、
 「大丈夫だよ。Rさんは細いから。ほら詰めて」
 と隣のCちゃんを促します。

 これにて一件落着、満員御礼となりました。
 開店からわずか2時間であります。


 「カンパ~イ!」
 「今年もよろしく!」

 HのHは、平和のH。
 僕とHの、のほほんとした一年が始まりました。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:20Comments(0)酔眼日記

2021年12月22日

サンタクロースは赤兎馬に乗って


 還暦を過ぎてからというもの、目に見えて、体のそこかしこに老化現象が起きています。
 歯は抜ける、視力は衰える、血圧は上がり、肩こり、頭痛にも悩まされています。

 ついつい、「ああ、歳は取りたくない」 とグチってしまうのですが……


 でも、よくよく考えてみれば、歳を重ねたからこそ得られたモノの方が多いことにも気づきます。
 たとえば僕の場合、それは “読者” の存在です。

 フリーランスのライターになって25年。
 それ以前の編集者の時代を入れれば、もう30年以上も文章を書いているんですね。
 書籍にして世に出した本は、15冊になります。
 それ以外の新聞や雑誌に著した記事も原稿用紙に換算したら、いったい、どれくらいの量になるのだか……
 想像もつきません。

 では、それらを今日まで僕に書かせてきた原動力は何か?
 それは、“読者” の存在以外にありません。


 「物書きは、読まれてナンボ。読まれない文章は、日記と同じ」

 そう自分に戒めて生きて来た30数年です。


 古い読者は、僕の好きな酒まで知っているんですね。
 先日、イベント会場に来てくださった読者さんから、プレゼントをいただきました。
 紙袋の中から取り出してみると、それは、「赤兎馬(せきとば)」 でした。

 赤兎馬は、鹿児島県の芋焼酎です。
 その昔は、九州から外へは出回らなかったこともあり “幻の焼酎” と呼ばれたこともありました。


 僕は、言わずと知れた呑兵衛です。
 酒であれば、なんでも呑みます。
 大好物は日本酒ですけど、「ぐんまの地酒大使」 を仰せつかっている手前、特定の銘柄を挙げて 「好きです」 とは言えません。

 でも、「焼酎なら問題ないだろう」 ということで、このブログでも、たびたび 「赤兎馬」 の名を挙げてきました。


 赤兎馬とは、三国志に登場する名馬の名前です。
 一日に千里を走るといわれています。

 さしずめ、サンタクロースが赤兎馬に乗って、ひと足早いクリスマスプレゼントを届けてくれたということでしょうか?


 読者って、本当にありがたいものですね。
 もちろん、このプレゼントのお礼は、きっちり仕事でお返ししたいと思います。

 やっぱり、歳は重ねてみるものです。

 読者のみなさん、いつも応援、ありがとうございます。
 感謝!
   


Posted by 小暮 淳 at 09:22Comments(0)酔眼日記

2021年08月12日

赤兎馬は万里を越えて


 「弟子の会」 から 「赤兎馬」 が届きました。


 「赤兎馬(せきとば)」 とは、鹿児島県の芋焼酎です。
 一時は、なかなか九州から外へは出回らなかったため、“幻の芋焼酎” なんて呼ばれたこともあったそうです。
 ですから当時はまだ関東地方の酒屋や居酒屋では、大変珍しいお酒でした。

 僕が赤兎馬に初めて出合ったのは、今から7年前のこと。
 その時の感動をブログに、こう記しています。
 <水のような口当たりなのに、すぐに芳醇な旨みがググーっと口の中いっぱいに広がって、飲み干した後も、やわらかな甘みの余韻がズーっと口の中に残っているのであります。>
 (当ブログの2014年7月14日 「赤兎馬の酔夢」 参照)


 「弟子の会」 とは、なぜか僕のことを “先生” とか “師匠” とか呼ぶ殊勝な読者の集まりです。
 講演やセミナー、著書、ブログ等を通じて知り合った面々が、互いに連絡を取り合い、定期的に僕を囲んで酒を酌み交わしながら温泉談議を楽しんでいます。
 発足から今年で丸5年になります。


 赤兎馬は、そんな弟子たちからの誕生日プレゼントでした。
 「先生はケーキより酒でしょ!」
 とのことのようです。

 「先生、泣かないでよ、涙もろいんだから!」
 と言われて、その場では泣きませんでしたが、家で一人、赤兎馬のボトルを開け、グラスに注いだ時、ポロリと目から熱いしずくが流れ落ちました。


 ありがとう!
 持つべきものは、弟子であります。

 何にも伝授するものはありませんが、これからも一緒に温泉の楽しさを追求していきましょうね。


 「赤兎馬」 の由来は、三国志に登場する名馬の名前です。
 1日で千里走るといいます。

 中国には、こんなことわざもあります。
 <縁ある人は万里の長城を越えてでも会いに来る>

 まさに縁とは、異なもの不思議なものです。
 でも縁は偶然などではなく、万里の長城を越えた時点で、必然へと変わります。


 今宵も赤兎馬に乗って、酔夢の旅へ出かけたいと思います。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:48Comments(0)酔眼日記

2021年08月07日

鳴らない風鈴


 世知辛い時代になりました。
 令和の世の中からは、風流や風情というものが消えてしまうのでしょうか?


 以前、「吊り忍」 について書いたことを覚えていますか?
 江戸時代の植木職人が作り出した伝統工芸品で、夏の風物として庶民に愛されてきた観賞用の小さな盆栽です。
 竹やシュロの皮などを芯にして、これにコケを巻き付け、その上に 「しのぶ」 というシダ科の植物をはわせた 「しのぶ玉」 を軒下などに吊るします。
 ※(詳しくは当ブログの2021年7月28日 「なぜか、吊り忍」 を参照)

 風に揺れ、緑の葉が風にそよぐ姿が、なんとも涼しそうであります。


 吊り忍の下には、風鈴を吊るすのが定番です。
 それも江戸風情を醸すならば、ガラス細工に限ります。
 そして絵柄は、“金魚” がいいですね。

 <ジュンちゃん、金魚の風鈴が届いたよ~>

 行きつけの酒処 「H」 のママから、うれしいメールが届きました。
 ママとは夏の初めに、「吊り忍」 の話で大いに盛り上がったのであります。
 さっそく、吊り忍と金魚の風鈴をそろえてくれたようです。


 もう、「H」 に向かう道すがら、ワクワク、ドキドキが止まりません。

 「あった~!」

 店の数十メートル手前から、のれんの横でひらひらと揺れる赤い風鈴と青い短冊が見えました。
 そして、その上には、まだ小さいけど、一丁前に枝葉を伸ばした 「しのぶ玉」 が飾られています。


 「ママ~、すごいね! 素敵だね! これで商売繁盛だ!」
 そう叫びながら店内に入った僕でしたが、ママの反応は微妙に期待外れでした。
 「うん、吊るしたことには、吊るしたんだけどね……」
 と、なんだか寂しそうなんです。

 ちょっと、待てよ?
 なんか変だぞ!

 吊り忍と金魚の風鈴、確かに主役は揃っている。
 なのに、何かが足りない……

 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーーー!!!!! 音がない!」


 そうなんです。
 風に揺れている風鈴が、“無音” なのです。

 「ママ、どうしたの?」
 「どうしたも、こうしたもないよ。わたしゃ、もうグレちゃうよ」


 カクカク、シカジカ……ママが言うことにゃ、常連客から忠告をいただいたのだと言います。
 その常連客が住む町内では、最近、回覧板が回ったといいます。
 内容は、<風鈴を吊るさないでください> というもの。
 その町内では 「うるさい! 迷惑だ!」 という、ご近所トラブルが発生しているというのです。

 「でさ、鳴らないようにしたわけよ」


 ゲッ、ゲゲゲーー!
 そ、そ、そんな~!
 いつから日本人は、そんなに了見が狭くなっちまったんですか!?

 音の鳴らない風鈴だ?

 聞くところによれば、盆踊りや花火大会にも 「うるさい!」 とクレームを入れる人が増えているんですってね。
 ああ、江戸の庶民が聞いたら未来を嘆くぜ!


 「はい、お疲れさま」
 「カンパイ!」

 カウンター席から表通りを眺めると、白いのれんの横で、ゆらゆらと赤い風鈴が風に揺れています。

 聴こえます、聴こえますって。
 ジッと耳を凝らしていると、ほらね。

 チリン、チリン……チリン、チリチリン……


 世知辛い時代になりました。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:23Comments(0)酔眼日記

2021年07月28日

なぜか、吊り忍


 ♪ 貴女がくれた 吊り忍
   今も枯れずに あるものを
   カタカタ カタカタ はたを織る
   糸も心も つづれ織り ♪
   <谷村新司 『蜩』 より>


 「吊り忍」 って、知っていますか?

 「しのぶ」 は、シダ植物の一種、シノブ科の多年生のシダです。
 「吊り忍」 は、竹やシュロの皮などを芯としたものに山コケを巻き付け、その上に 「しのぶ」 の根茎をはわせた 「しのぶ玉」 を軒先などに吊るした観賞用の植木です。

 風鈴のように軒下に吊るすと、青々とした緑に涼を感じる江戸庶民の夏の風物詩でした。
 庭師が出入りの屋敷に、御中元として届けたのが始まりともいわれています。


 なんで急に、「吊り忍」 の話をしたのかって?
 だって、本当に久しぶりに (たぶん、子どもの頃以来に)、「吊り忍」 を見たからです。


 「あれ、ジュンちゃんのほうが、先に来ちゃったよ」
 なんて、店に入るなり、残念そうな顔でママに迎えられてしまいました。
 ご存じ、僕がコロナ前からコロナ中でも、足しげく通っている酒処 「H」 であります。

 「なに、誰か来るの?」
 「いや~、ジュンちゃんを驚かそうと思っていたのになぁ。まさか、今日、来るとは……」
 とママは、本当に残念そうです。
 「なになに? 隠さないで言ってよ!」
 と、しつこく問い詰める僕に、ママは根負けして、
 「すぐ分かっちゃうことだから、しょうがないね。話すよ、あのね、今日、これから 『吊り忍』 が届くのよ」

 「ええっ、えーーー! この間話していた、あの 『吊り忍』 が~!?」


 実は、ちょうど1週間前のこと。
 この店の常連客と、“昭和の夏の風物詩” をテーマに、大いに盛り上がったのであります。
 お大尽の家には木製の冷蔵庫があったとか、スイカは風呂桶やたらいに水を張って冷やしたとか、どこの家でもスズムシを飼っていたとか……

 そのとき、「吊り忍」 の話も出ました。
 ところが、知らない人が多かったのです。
 若い人が知らないのは分かるのですが、シニア世代でも東北や九州など出身地によっては知らないようです。

 そのとき、たまたま知っていたのが僕とママでした。
 2人とも群馬県出身です。
 「これって江戸発祥の関東圏の文化なのかね?」
 という結論に達しました。


 「だからさ、この店に吊るそうと思ってね」

 なんて話していたら、宅配便のお姉さんが箱を抱えて、店に入って来ました。
 「キターーーー!!」
 と雄叫びを上げると同時に僕は、
 「ねえねえ、お姉さん、『吊り忍』 って知ってる?」

 当然、若いお姉さんは知るよしもありません。
 「ママ、早くお金払って、箱を開けて、お姉さんにも見せてあげなよ」
 僕のお節介に、宅配便のお姉さんも興味津々です。

 「へ~、これが、その、つり……、つり……」
 「そう、『吊り忍』。なんとも風流でしょう! これをね、こうやって窓辺に飾るわけよ。どう、涼しそうでしょう!?」

 なーんてね、昭和自慢を始めてしまいました。


 「あとは、風鈴だね」
 とママが、しのぶ玉を宙にかざします。
 「吊り忍」 の下には、風鈴を吊るすのが定番です。
 「音は鉄の南部風鈴がいいけど、見た目の涼しさなら赤い金魚が描かれたガラスの風鈴がいいね」

 「みんな、きっと驚くね」
 「楽しみだね」

 午後4時前に一番乗りした僕とママだけの “真夏の秘め事” でした。


 ♪ 半ば開いた 連子窓
   いつもと同じ 石の道
   カナカナ カナカナ 蜩 (ひぐらし) と
   二度と戻らぬ 日を過ごす ♪
  


Posted by 小暮 淳 at 19:25Comments(2)酔眼日記

2021年07月21日

扇風機にリボン


 最近は、扇風機がない家庭が増えているんですってね。


 昨日は、久しぶりに愉快な仲間が集まりました。
 「弟子の会」 の面々です。

 「弟子の会」 とは、ひと言でいえば、温泉好きの集まりです。
 きっかけは、僕の講演やセミナー、教室の受講生、著書やブログの読者が横の連絡を取り合い、僕のことを “先生” とか “師匠” とか勝手に呼んで、僕を出しにして集い、酒を呑もうという会であります。


 会場は、いつものたまり場、酒処 「H」。
 平日ですから出席は、三々五々であります。
 一番早い人 (僕) は、午後4時前からカウンター席で、だらだらと呑み始めます。
 最後の人は、仕事を終えてですから午後8時近くからという自由参加です。

 昨日は、僕を含めて5人のメンバーが揃いました。


 メンバーは全員が昭和生まれです。 
 それも昭和30~40年代ということもあり、いつしか話題は、古き良き “昭和の風物詩” で盛り上がり出しました。

 「風鈴が、今は騒音だっていうんだからね」
 「そういえばスズムシの鳴き声を聴かないけど、まだ飼っている家ってあるのかな?」
 「金魚て、飼い続けると、すごーく大きくなっちゃうって知ってる?」
 「蚊帳って楽しかったよね。でも今思えば、窓全開にして寝ていたんだよね。防犯的に、どうだったんだろう?」
 「スイカって、風呂桶に水張って、そこで冷やしていたよね」

 などなど、昭和の思い出が尽きません。
 そんな中、最後は、扇風機の話題で盛り上がりました。


 「扇風機には、リボンが付いていたよね」
 の一言に、一同、爆笑。
 「なんでだろう? 別に涼しくなるわけじゃないのに」
 「いや、アレが付いているのと付いていないのでは、涼しさは違ったような気がするよ」

 平成生まれ、または昭和後期生まれの方のために、ご説明しましょう。
 当時、扇風機は “おしゃれ” をしていたのです。
 いわゆるファンの前に、風の風力や風向を視覚的にとらえるための 「吹き流し」 を取り付けるのが流行でした。

 たぶん、電気店で販売するときのディスプレーが始まりだと思われますが、なぜか、購入した後も、あの “ひらひら” のテープを付けっぱなしにしていたのです。
 色は白やブルー。
 涼しさを演出するためでしょうか、必ず寒色系でした。
 (首を振る “ひらひら” に、ネコがじゃれついて遊ぶ姿も昭和の風景でした)


 「決して、涼しさが増すわけじゃないのにね」
 「だったら風鈴だってそうでしょ」
 「スズムシや金魚だって、そうだよ」

 「昭和の人たちは、工夫をしながら夏を楽しんでいたんだね」
 「視覚と聴覚から涼しさを想像していたんだ」
 「あと、嗅覚もね」
 「蚊取り線香とか……」


 外を見ると、店の白い暖簾が風に揺れています。

 「ひと雨くれば、涼しくなるのにね」
 と、ママ。
 それを聞いた僕が言いました。
 「そうだ、この店に 『釣り忍』 を吊るそうよ」

 「つりしのぶ、いいわねぇ~」


 日本の夏、「H」 の夏が始まりました。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:18Comments(0)酔眼日記

2021年06月16日

サヨナラ、まん防!


 ♪ ぼくの名前は のん兵衛
    きみの名前は まん防
    ふたり合わせて “のまん (呑まん) ” だ
    きみとぼくとで “のまん” だ
    1ヶ月もの間 自粛をしたけど
    今日を限りに サヨナラ まん防~ ♪


 ということで、やっとやっとやっと!
 群馬県の 「まん延防止等重点措置」 の要請が解除されました。

 のん兵衛のみなさん、よくぞ、耐えました!
 これで、大手を振って、呑みに出られますぞ!

 と思ったら、まだ時短営業を強いられているんですってね。
 店舗の営業は午後8時までという制約付きです。

 そ、そ、そんな~!
 サラリーマンのみなさんは、会社が終わってから行ったのでは、いくらも呑めないじゃありませんか!

 でもね、フリーランスは大丈夫!
 コロナ禍の現在、“毎日が日曜日” みたいなものですからね。
 時間なら、いくらでもあるわけです。


 朝、目が覚めたときから、もう、ソワソワは始まっています。
 「えーと、店は何時から開いているんだっけな?」
 と問えば、
 「4時」
 とママからメール。

 ほほう、ということは、4時に行ったのでは、いつもの “指定席” は取れんかもしれんな。
 では、1時間前倒しで、作戦決行だ~!

 仕事を昼までに切り上げ、シャワーを浴びて、いざ、出陣!
 午後3時には、カウンター奥のいつもの席に陣取った次第です。
 もちろん、僕が一番乗り!


 「1ヶ月のご無沙汰でした」
 と僕が言えば、
 「長かったね~」
 と言いながら、ママがキンキンに冷えたグラスに生ビールを注いでくれました。

 「ちょっと、待って。今日は、あたしも呑むから」
 と、ママもグラスを取り出しました。
 「では、カンパ~イ!」
 「また、よろしくお願いいたします」
 「こちらこそ」


 「ああ、この景色、この景色。極楽ですよ」
 僕は、ウナギの寝床のように延びる細長いカウンターの一番奥の席に座り、入り口ののれん越しに外の往来を眺めながら呑むのが好きなのです。

 「今日は、ジュンちゃんの好きな、もつ煮を作ったからね」
 「本当!? ありがとう……(感涙)」

 至福の時間が流れます。
 1ヶ月もの間、よく我慢をしたものだ。
 今日は、自分への “ご褒美” だ。

 ほめてやろう!
 「おい、自分、よく頑張ったな」


 「お~、久しぶり!」
 「小暮さん、もう来てるの!」
 「元気にしてた?」
 開店時刻の4時が近づくと、三々五々、常連客が顔を出し始めます。

 午後5時には、すでにカウンターは満席となりました。

 「8時まで、呑むぞー!」
 「オー!!」


 サヨナラ、まん防! 
  


Posted by 小暮 淳 at 11:15Comments(0)酔眼日記

2021年06月05日

居酒屋依存症② ~悪魔のささやき~


 あと3週間、2週間……
 あと10日、8日……

 「まん防」 こと、まん延防止等重点措置の要請が依然続く、群馬県。
 飲食店は、時短営業に加え、酒類の提供までも自粛しています。

 “居酒屋依存症” にとって、こんなにツライことはありません。
 日々、禁断症状と闘いながらカレンダーに☓印を記入して、解禁までのカウントダウンをしています。


 そんな毎日に、次から次へと “悪魔のささやき” が届きます。
 <太田(市)では、何軒か飲めます。>
 <前橋(市)で、飲める定食屋を発見!>

 “呑み友” からの 「おせっかいメール」 です。


 そして、ついに夕方、電話が鳴りました。
 「小暮さん! いま僕は、アジフライを肴にキリンビールを呑んでますよ」
 完全に、勝ち誇ったようなテンションの高い声色です。

 なんでも彼が言うには、“灯台下暗し” で、以前から時々足を運んでいた近所の定食屋が、ふだん通りに酒類を提供していたというのです。

 「へー、それはラッキーだったね」
 「でしょ~! ○○さんも来るらしいですよ。ここの常連なんですって!」

 ○○さんとは、やはり我々の呑み仲間の一人です。
 呑兵衛の嗅覚っていうんでしょうか?
 戒厳令が敷かれた緊急時でも、しっかり闇酒が呑める店を探し出すんですね。


 「気を付けてよ。憲兵に、しょっ引かれないように」
 「憲兵?」
 「そう、“自粛警察” のことだよ」
 「ああ、それなら大丈夫! ここの女将さん、そんなの全然動じないから」
 「動じないの?」
 「そう、このへんで××食堂と言ったら老舗中の老舗だからね。誰も文句なんて言えないよ」
 「へぇ~、それは頼もしい」
 「ところで小暮さん、これから出て来ない? 一緒に呑もうよ!」
 と、悪魔がささやくのです。

 でも僕は、断りました。、
 だって、すでに呑んでいる最中だったのです。


 これが呑兵衛の性(さが)なのであります。
 先手必勝!

 K君、今後は、もっと陽の高いうちに誘いなさい!
 夕方までなんて、待てませんって!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:00Comments(2)酔眼日記

2021年05月27日

居酒屋依存症


 「小暮さん、見つけました!」
 「何を?」
 「呑める店ですよ!」

 突然、呑み仲間から電話がありました。
 彼は、かなり興奮しています。
 なにを、そんなに興奮しているのか?
 察しの良い呑兵衛なら、お分かりですよね!?

 そうです!
 「まん防」 による “呑兵衛弾圧” の打開策に奔走する、けなげな “居酒屋依存症” の同胞からの報告なのであります。

 「まん防」 こと、まん延防止等重点措置が施行されて、早や10日以上が経ちました。
 群馬県内の10市町では、飲食店の時短営業に加え、酒類の提供の自粛まで要請されています。

 ということで、居酒屋依存症の民は、“アルコール難民” と化しているのです。


 ひと口に 「呑兵衛」 といっても、鉄道ファンに “撮り鉄” や “乗り鉄” があるように、そのスタイルは異なります。
 まず大きく、「家呑み派」 と 「外呑み派」 に分かれます。

 「家呑み派」 は基本、毎晩家での晩酌を楽しみます。
 たまに外で呑むことはあっても、それは飲み会や宴会であり、複数での飲酒となります。
 一方、「外呑み派」 は、毎日の晩酌も欠かしませんが、“雰囲気” を重んじるため、定期的に外へ呑みに出かけます。
 僕は、後者です。


 外呑みの好みは、様々です。
 スナックやパブなどのにぎやかな雰囲気が好きな人、レストランやラウンジで静かにやりたい人、当然ですがキャバクラなどのお姐ちゃんがいる店へ通う人もいます。

 でも日本酒好きとなれば、居酒屋が定番です!

 ふらりと暖簾をくぐり、いつものカウンター席に座ると、黙っていてもスーッと酒が出てきます。
 名前は知らないけれど、時々見かける常連客との他愛のない雑談……
 これが、「外呑み派呑兵衛」 の醍醐味であります。


 で、息も切れ切れに電話を寄こした “呑み友” も、そんな 「居酒屋依存症」 の一人です。

 「見つけたって、どこよ?」
 「○○町ですよ」
 「○○とは、バカに遠いねえ?」

 彼が告げた町名は前橋市のはずれ、赤城山の中腹であります。
 平成の大合併で、かろうじて前橋市を名乗っていますが、我々のような根っからの “前橋っ子” から見れば、ド田舎です。

 「ええ、仕事の途中で、昼飯を食べに寄った食堂なんですけどね。メニューを見ると、けっこうアルコールが充実しているんですよ。でね、主人に聞いたら、『うちは、ふつうに酒を出してるよ』 って言うんですよ! どうです? 小暮さん、呑みに行きませんか?」

 「呑みに行きませんか?」 と言われても、家から遠すぎます。
 帰りの代行代だって、バカになりません。


 「遠すぎるよ、無理だよ」
 と言えば、彼は大真面目に、こう答えました。
 「だから、誰か一人、酒の呑めないヤツに運転させてですね、呑みに行きましょうよ!」

 呑兵衛の、この執念!
 僕も他人に負けないだけの呑兵衛としての自覚はありますが、上には上がいるものです。


 その後、誘いの電話が来ないので、彼は、あきらめたのでしょうか?
 それとも、もう少し近場の店を探しているのでしょうか?

 今度、誘われたらホイホイと、ついて行ってしまいそうな自分が怖い、“まん防禍” の今日この頃です。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:55Comments(2)酔眼日記

2021年05月16日

いや~ん、もう、まん防


 ♪ ぼくの名前は ヤン坊
    ぼくの名前は マー坊
    ふたり合わせて ヤンマーだ
    君と僕とで ヤンマーだ
    小さなものから大きなものまで
    動かす力だ ヤンマーディーゼル

 「まん防」 と聞いて、ついつい懐かしいCM 「ヤン坊マー坊天気予報」 のテーマソングを歌ってしまったのは、僕だけでしょうか?
 でもでもでもーーーっ!
 「ああ、あの頃は良かった。コロナもなかった」
 などと悠長に思い出にひたっている場合ではありませんぞ!


 つ、つ、ついに、群馬県も今日から新型コロナウイルス対策の 「まん延防止等重点措置」 が適用となり、県内10市町の飲食店は6月13日まで営業時間短縮および酒類の提供が自粛されることになりました。
 ていうことは、これって実質、飲み屋は 「休業しろ!」 ということであります。

 さらに言葉をねじ曲げれば、“呑兵衛大虐殺” ですぞ!

 大変だーーー! 大変だーーー!!
 と右往左往しているところに、一本のメールが届きました。

 <会えるのは明後日まででやんす トホホ>

 なんとも悲痛な叫び声。
 発信は、我らのたまり場酒処 「H」 のママからであります。

 もう、居ても立ってもいられません。
 このままでは呑兵衛の聖地が失われてしまいます。


 ということで昨日は、真っ昼間から “聖地救助隊” の一員として、馳せ参じたのであります。
 午後3時半、一番乗りを果たし、カウンター奥のいつもの席に陣取りました。

 「ママ、今日が最後なんだって?」
 「縁起でもないね、なにが最後だい!?」
 「だって会えるのは、今日が最後だって?」
 「明日から “まん防” が始まるから、その前に会えるのは今日までという意味だよ」

 とかなんとか言いつつ、
 「今日はヤケ酒だね。とりあえずカンパイ!」
 と、いつもと変わり映えしない、平和なひと時が始まりました。


 ところが30分と経たないうちに、一人、また一人と、馴染みの顔が現れました。
 「今日までだって!」
 「だから……」
 その都度、ママと常連とのやり取りがおかしくて、それでいて心がほっこりするのであります。

 サッカー指導員Kちゃん、永遠のマドンナYちゃん、歌舞伎大好き婦人のRさん、いつも仲良しカップルC&T……
 ついには、パイプをくわえて巨匠、M画伯までが “お別れ” を言いに登場です。

 そのたびに 「カンパ~イ!」 が響き渡り、「コロナに負けるな!」 「酒の販売を認めろ!」 「オリンピックなんて、やってる場合じゃないだろ!」 「俺は明日から、どこで呑めばいいんだ!」 ……などなど、思い思いのグチがカウンターの上を転がり出します。


 あと30分、20分、10、9、8、7……
 カウントダウンが始まりました。

 “まん防” 以前に、すでに午後8時までの時短要請が発令されているのであります。

 「次に会えるの、いつよ?」
 「1ヶ月後だよ」
 「いっかげつーーーーーー!!!(涙)」


 いや~ん、もう、まん防!

 呑兵衛には試練の1ヶ月間が始まりました。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:52Comments(0)酔眼日記

2021年03月31日

聖火と忠治と春雷と


 もし、新型コロナウイルスの感染拡大がなかったら……


 午後4時30分
 早々にデスクワークを切り上げ、いつもの店のいつものカウンター席に。

 当然、まだ客は僕一人だけなのですが、すでにカウンターにはズラ~リと料理が並んでいます。
 「あれ、今日は予約で、いっぱいなの?」
 「そう、急にね」
 「ここの席は大丈夫?」
 「うん、ジュンちゃんは予定に入ってるから」
 「でも、なんで急に?」
 「今日、お店の前を聖火ランナーが走るのよ」

 思えば、聖火ランナーなんて、直に見たことがありません。
 前回の東京オリンピックは、僕はまだ幼少期。
 白黒テレビの中で見た、「東洋の魔女」 と呼ばれた女子バレーボールの記憶しかありません。


 午後5時20分
 待ち人、来たり。

 昨晩、僕は某新聞社の記者から取材を受けることになっていました。
 先日、群馬テレビで放送された番組が、事の発端です。
 その番組で、僕がナビゲーターを務め、国定忠治が処刑前に呑んだ 「末期の酒」 を紹介しました。

 そしたら、この話を聞きつけた記者から、「どうしても会って、詳しい話を聞きたい」 と、わざわざ電話をいただいたのであります。
 こんな時、僕は迷わず、酒処 「H」 を指定します。


 午後6時45分
 忠治話も一段落した頃、店の外が騒がしくなってきました。

 覗いてみると、沿道には、傘を差したマスク姿の人、人、人、人、人……

 やがて、ド派手なイルミネーションに飾られたパレードカーが、大音響を奏でながらやってきました。
 どれも大企業のネーミングを掲げています。
 そして、なぜか車の中から沿道に向かって手を振る人、人、人……

 「3密を避け、大声を出さずに、拍手のみでお迎えください。まもなく、聖火ランナーがまいります」

 アナウンスの後、白いユニホームを着て、トーチをかかげた男性がやって来ました。
 「あっ、テレビで見たトーチと同じだ!」
 というのが、正直な感想です。


 なんとなく中途半端で、間の抜けた聖火パレードでした。

 もし、新型コロナウイルスの感染拡大がなく、オリンピックが予定通りに昨年、開催されていたら……
 きっと、もっともっと晴れやかな気持ちで、手を振れたのでしょうね。
 そして、思いっ切り大きな声援を送ったことでしょう。


 ゴロゴロ、ゴロゴロ……

 遠くの空が光り、雷鳴が聞えます。
 小雨となり、傘をさす人も、まばらとなりました。

 「さて、呑み直しましょう!」

 僕は、記者をうながして店に入り、再び、いつものカウンター席に腰かけました。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:48Comments(2)酔眼日記

2021年01月16日

不要不急に物申す!


 全国で新型コロナウイルスの感染拡大が急増する中、群馬県でも現在、9市町に対して接客を伴う飲食店などに営業時間の短縮を要請しています。
 酒類の提供は午後7時まで、店の営業は午後8時までです。

 「7時なんて、仕事が終わってから立ち寄って、呑み始めたら、もうラストオーダーだよ!」
 ということですから世のサラリーマン諸君の悲鳴は、ごもっともです。

 でも、仕方ありませんね。
 今は、緊急事態なのですから。
 素直に従うことにしましょう。


 その上で、物申す!

 酒呑みの心は、酒呑みにしか分からないのです。
 世間では不要不急と思われているようですが、そんなことはありません。

 こんな世の中だからこそ、酒の力が必要な人もいるんです!(キッパリ)


 いったい、誰が決めたんですか?
 音楽、芸術、旅行、文学、演芸、祭事……
 それらを、ひとくくりに “不要不急” のカテゴリーに入れて、“自粛” という檻の中で飼い殺しにしていませんか?

 こと、酒に関しては、午後8時過ぎだとアウトで、その前ならセーフという線引きも納得がいきません。
 要は、時間ではなくて、「3密」 でしょ?
 昼間から大勢で小部屋に集まれば、そのほうが感染は大であります。

 僕に言わせてもらえば、不要不急は 「文化」 なのであります。
 一度絶えてしまった文化を、元に戻すのは大変なことですぞ。


 いったい何が言いたいのか、といえば、国や県の要請は、きっちりと守るから、不要不急とされるモノたちに、もう少し寛容になってほしいということです。
 温か~い目で、見守ってほしいのであります。

 ということで、昨日は陽のある時間から出かけて、正々堂々と “昼酒” を呑んできました。

 でも、いるんですよ。
 僕と同じ考えの呑兵衛が。
 カウンターは、夕方には満席です。
 中には会社を休んでまで、呑みに来たサラリーマンもいます。

 分からんでしょうね~、この気持ち。
 酒を呑まない人には……


 会社を休んでまで、昼から酒を呑むって、分かりますか?
 その人にとっては、酒を呑むことは決して不要不急ではないということです。

 “必要急務” なのです!


 「みんな~、あと20分だからね」
 午後7時40分、ママの声が店内に響きます。
 「はーい!」
 まるで幼稚園児のように、良いお返事です。

 そして、午後8時。
 暖簾が外されました。


 時短要請がなんだ! 自粛がなんだ!
 呑兵衛には、呑兵衛の生き方があるんだ!

 コロナなんかに、負けるもんか~!!!

   


Posted by 小暮 淳 at 12:20Comments(2)酔眼日記

2020年12月23日

レバニラは青春の味なのだ!


 ♪ 東京ララバイ 地下があるビルがある
   星に手が届くけど
   東京ララバイ ふれ合う愛がない
   だから朝まで ないものねだりの子守歌 ♪
               <by 中原理恵>


 「レバニラ炒め」 なのか 「ニラレバ炒め」 なのか?
 時々、交わされる論争です。

 中国語では 「韮菜炒牛肝(猪肝)」 と表記するので、 「ニラレバ炒め」 が正しいようです。
 あくまでも主役はレバーなので、ニラ入りのレバー炒めなのです。

 では、いつから 「レバニラ」 という言葉が使われるようになったのでしょうか?

 一説には、昭和46(1971)年に放送されたテレビアニメ 『天才バカボン』 の中で、バカボンのパパが 「ごちそうはレバニラなのだ!」 と言い間違えたのが最初だったとか……。
 以後、「レバニラ」 という言葉のほうが一般的になったといいます。


 なんで、いきなりレバニラの話をしたのかというと、先日、1本のメールが届きました。
 ご存じ、酒処 「H」 のママからです。

 <今度、来るときは11時までにメールをちょうだい>
 という内容でした。

 なんで11時までに?
 しかも僕は、いつも店に行くときに、前もって連絡なんて入れません。
 その日の気分で、夕方になって、のこのこと出かけて行くのです。

 でも、昨日に限り、別件のメールのやり取りがあり、行くことを告げてしまいました。


 さて、いつもの 「H」 と何が違うのか?

 それは、生ビールを2杯ほど飲み干した頃でした。
 「はい、お待たせ!」
 とカウンターに出された料理は、見まがうことなき、「レバニラ炒め」 であります。

 レバーとニラとモヤシの量のバランスも良く、シャキシャキした歯ごたえとレバーのしっとりとした食感。
 「これだよ! この味!」


 実は以前、ママと青春時代の思い出の味について話をしたことがありました。
 その時、僕がキョーレツに懐かしくて、もう何年も食べていない料理として 「レバニラ」 を挙げたのです。

 その昔、20歳の頃。
 東京・中野区に暮らしていましたが、近くに同郷の友人も下宿していました。
 暇な2人は、互いのアパートを行き来していたので、よく夕飯を一緒に食べました。
 そのとき、行きつけの食堂で食べていたのが、モヤシがたっぷり入ったレバニラ炒めでした。

 そして当時、大ヒットしていたのが中原理恵さんの 『東京ららばい』 でした。
 だから、この歌を聴くとレバニラを思い出し、レバニラを食べると思わず、この歌を口ずさんでしまいます。


 「どう、こんなもんで良かったかしら?」
 そのママの言葉に、涙腺がゆるまずにはいられませんでした。

 僕は返事の代わりに、歌い出しました。

 ♪ 東京ララバ~イ ♪


 <11時まで> とは、食材の買い出しの都合だったのですね。
 “ないものねだり” は、してみるものです。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:58Comments(0)酔眼日記