2010年12月31日
年末読書考
先日、さるライター女史と会食したときのこと。
「趣味が、読書ってヘンですよね。本って、食事をしたり歯を磨いたりと同じで、ふつうに日常に組み込まれているものですよね」と、おっしゃっていました。
……確かに、そう言われてみれば、そんな気もします。
特に僕や彼女は文筆業ですから、“本を読む”という行為は日常の中で、当たり前のこととして行っています。
僕らにとって、読書は半分は仕事なのですから。
1つの文章を書くために、何冊もの本を読むことがあります。「楽しいか?」と問われれば、そんな楽しい作業ではありませんね。
その観点からすれば、「趣味=娯楽」ですから、読書は趣味ではなくなってしまいます。
悲しいかな、昔は僕にとって、読書は趣味だったのですよ。
10代、20代は間違いなく、読書が“趣味”でした。
温泉めぐりだって、山歩きだって、“趣味”だったんです。
ところが「好きなことは仕事にする」という、おかしな信念があるため、みーんな仕事にしてしまうのです。
イヤな癖であります。
結果、現在、「無趣味」となってしまいました。
いえいえ、興味がある事は、いつもあるんですよ。
でも、やがて、それも仕事にしてしまうんではないかと、声にして「趣味は○○です」って言えないのです。
例えば、「酒」です。
僕にとって、親友のような存在です。
趣味にしても良いのですが、イヤ~な予感がするんですね。
そう、頭の片隅のどこかで、『群馬の地酒を10倍うまく飲むコツ』 なんて本を書きたいなぁ~、なーんてね。
これはもう、職業病かもしれませんな。
ところで、読書です。
僕らフリーランスには、休日がありません。
土日も祝日も、盆休暇もなく、仕事があれば仕事、なければ毎日が日曜日です。
よって、読書は仕事のバロメーターとなります。
「最近、本を読んでないな」と思えば、仕事が忙しいのです。
逆に、仕事がなければ、朝から晩まで、何かしらの書物を読んでいることになります。
で、現在、僕のデスクの上には5冊の本が積まれています。
今か今かと、読まれる時を待ち望んでいるのです。
5冊のうち、温泉関係が3冊、小説が2冊。
温泉関係は、趣味でもありますが、半分以上は仕事と勉強のためです。
残りの2冊が、いわば僕の“趣味”です。
まったく仕事に関係ないジャンルを読んでいるときが、至福の時間です。
よって、ミステリーやサスペンスになりますかな。
大好きな冷酒をチビリチビリやりながら、ページをめくるときの快感ったらありまん。
さ、今日は、さすがの僕も、仕事の店じまいを済ませました。
これより、“趣味”の時間です。
大好きなミステリーのページをめくりながら、除夜の鐘を聴こうかと思います。
みなさん、今年1年、大変お世話になりました。
良いお年をお迎えください。
平成22年 大晦日 小暮 淳
2010年12月30日
2010 メモリアル温泉(下)
7月に入ると、出版本の取材もほとんど終わり、雑誌の連載と温泉講座で週に1~2回出かける程度になりました。
まぁ、あの猛暑ですからね~。
真夏の温泉めぐりは、けっこうキツイのですよ。どうしても、出動回数は少なくなります。
夏の思い出と言えば、やっぱり、この人との取材です。
はい、ご存知、海パンカメラマンこと、竹沢佳紀くんとの撮影旅行です。通称、「竹ちゃんマン」。
今年9月に出版した拙著 『群馬の小さな温泉』 の表紙ならびにグラビアページは、彼の作品です。
表紙の撮影場所は、昨日明かしましたよね。
で、グラビアページはどこか?
答えは、沢渡温泉「まるほん旅館」であります。
温泉マニアには、ちょっと簡単過ぎましたかね。総ヒノキ張りの湯小屋、八角形の湯舟は、あまりにも特徴的ですから。
巻頭1枚目の神棚の写真、いいでしょ~う!
きっちり“霊験あらたか”な湯の存在を表現していますよね。
いい仕事するじゃないか、竹ちゃん!
(この日の撮影ロケ珍話は、当ブログ内「竹ちゃんマンの逆襲」をお読みください)
NHK文化センターの温泉講座「探訪!ぐんまの源泉一軒宿」では、7月~11月にかけて、意欲的に県内の小さな温泉地を訪ねて回りました。
丸沼温泉「環湖荘」(片品村)、塩ノ沢温泉「やまびこ荘」(上野村)、川古温泉「浜屋旅館」(みなかみ町)、奥嬬恋温泉「干川旅館 別邸花いち」(嬬恋村)、川場温泉「悠湯里庵」(川場村)
そして来月、またしても受講生からの熱いリクエストに応えて、極寒・豪雪の宝川温泉「汪泉閣」(みなかみ町)で、本年度の最終講座を迎えます。
今年1月の万座温泉の二の舞にならなければ良いのですが……。
宝川温泉は、何度も行っているのですが、思えば僕も真冬は初めての経験であります。
さてさて、あの巨大な露天風呂は、豪雪の中では、どうなっているのでしょうか?
楽しみでもあり、恐ろしくもあり、ですな。
そして、年末12月は、ほとんどが忘年会でした。
来年、四万温泉協会とのコラボ仕事が決まっていることもあり、打ち合わせを兼ねて四万温泉を使わせていただきました。
「鍾寿館」(山口)、「花の坊」(ゆずりは)、「柏屋旅館」(温泉口)のご主人、女将さん、スタッフのみなさん、大変お世話になりました。
さてさて、迎える2011年(平成23年)は、どんな年になるのでしょうね。
絶対に、いい年にしてみせますぞ!
脱兎のごとく、全力で突っ走ろうではありませんか。
湯と、宿と、人を訪ねて。
まぁ、あの猛暑ですからね~。
真夏の温泉めぐりは、けっこうキツイのですよ。どうしても、出動回数は少なくなります。
夏の思い出と言えば、やっぱり、この人との取材です。
はい、ご存知、海パンカメラマンこと、竹沢佳紀くんとの撮影旅行です。通称、「竹ちゃんマン」。
今年9月に出版した拙著 『群馬の小さな温泉』 の表紙ならびにグラビアページは、彼の作品です。
表紙の撮影場所は、昨日明かしましたよね。
で、グラビアページはどこか?
答えは、沢渡温泉「まるほん旅館」であります。
温泉マニアには、ちょっと簡単過ぎましたかね。総ヒノキ張りの湯小屋、八角形の湯舟は、あまりにも特徴的ですから。
巻頭1枚目の神棚の写真、いいでしょ~う!
きっちり“霊験あらたか”な湯の存在を表現していますよね。
いい仕事するじゃないか、竹ちゃん!
(この日の撮影ロケ珍話は、当ブログ内「竹ちゃんマンの逆襲」をお読みください)
NHK文化センターの温泉講座「探訪!ぐんまの源泉一軒宿」では、7月~11月にかけて、意欲的に県内の小さな温泉地を訪ねて回りました。
丸沼温泉「環湖荘」(片品村)、塩ノ沢温泉「やまびこ荘」(上野村)、川古温泉「浜屋旅館」(みなかみ町)、奥嬬恋温泉「干川旅館 別邸花いち」(嬬恋村)、川場温泉「悠湯里庵」(川場村)
そして来月、またしても受講生からの熱いリクエストに応えて、極寒・豪雪の宝川温泉「汪泉閣」(みなかみ町)で、本年度の最終講座を迎えます。
今年1月の万座温泉の二の舞にならなければ良いのですが……。
宝川温泉は、何度も行っているのですが、思えば僕も真冬は初めての経験であります。
さてさて、あの巨大な露天風呂は、豪雪の中では、どうなっているのでしょうか?
楽しみでもあり、恐ろしくもあり、ですな。
そして、年末12月は、ほとんどが忘年会でした。
来年、四万温泉協会とのコラボ仕事が決まっていることもあり、打ち合わせを兼ねて四万温泉を使わせていただきました。
「鍾寿館」(山口)、「花の坊」(ゆずりは)、「柏屋旅館」(温泉口)のご主人、女将さん、スタッフのみなさん、大変お世話になりました。
さてさて、迎える2011年(平成23年)は、どんな年になるのでしょうね。
絶対に、いい年にしてみせますぞ!
脱兎のごとく、全力で突っ走ろうではありませんか。
湯と、宿と、人を訪ねて。
2010年12月29日
2010 メモリアル温泉(中)
出版本の取材が大詰めを迎えたため、5月、6月、7月は超多忙の日々を送りました。
特に6月は、1ヵ月間で17温泉をめぐるというハイペースでの取材活動でした。
2日に1日は温泉地にいたことになりまね。ほとんど家にはいませんでした。
5月の一湯目は、尻焼温泉でした。
現在、3軒の旅館がありますが、すべて源泉は異なります。
手前から「関晴館」(旧・関晴館別館)、長笹沢川を渡り「ホテル光山荘」、少し離れて根広集落に「白根の見える丘」(旧・白根ハイツ)があります。当然、一日では回れませんので、2度に分け、4日間かけて取材に入りました。
ここで特筆すべきは、「ホテル光山荘」の湯でしょうか。
唯一、自家源泉を所有しています。
その湯は、ひと言で言えば “熱涼しい” 摩訶不思議な湯。
入るときはガツーンと強烈な熱さを持って迎えるのに、沈んでいるとクールな清涼感がある。さらに湯上りが爽快で、なぜか汗をかかないのです。真夏に熱い湯に入りたい向きには、おすすめの湯であります。
素朴さが忘れられないのが、桜川温泉の「ふじやまの湯」。
宿の前を流れる桜川の流れは、まさに清流で、湯上りに浴衣のまま何度も眺めに出かけたくらいです。
その晩は、中村さん一家が、すべて手作りの味でもてなしてくれました。
僕は、あの豪勢な旅館料理というのが、ニガテなんですね。量も多くて、食べ切れません。
でも、ここの料理は、そのまま田舎のばあちゃんちのごちそうなんです。
奇をてらわず、山の食材だけを使い、煮物や酢の物など、ふつうの家の食卓のようで、取材を忘れてなごむことができました。
夕げの席で聞いた、2代目女将の中村せんさんの話も良かった!
「何もないところだから、せめて花を見せてあげたい」と、宿のまわりをお花畑にしています。
それも、タイツリソウやシラネアオイといった珍しい山野草が、ふつうに咲いているのです。
浴室から眺める、山野草の群生は一見の価値ありですぞ!
6月に入り、上牧温泉、谷川温泉、うのせ温泉、湯檜曽温泉、湯の小屋温泉と、水上温泉郷をじっくりと時間をかけて回りました。
どこも湯良し、宿良し、人良しで、なかなか充実した取材旅行だったのですが、実は個人的に、今年一年で絶対に忘れられない宿があります。「ああ、この仕事をしていたから、出会えた喜びなのだ!」と実感した出会いでした。
それは、うのせ温泉の「旅館みやま」です。
詳しくは著書に書きましたので、そちらをお読みください。
大正11年に、若山牧水が「みなかみ紀行」で泊まった沼田の旅館「鳴滝」が、移築されていたという事実。
それだけで、牧水ファンの僕は、その晩、興奮して、なかなか寝付かれませんでした。
また、今回の取材では、湯宿温泉「金田屋」のご主人が、特別に若山牧水が泊まった部屋で酒宴を開いてくださいました。本当にありがとうございした。
これも役得というものでしょうね。最高の宴でありました。
ちなみに、拙著 『群馬の小さな温泉』 の表紙は、湯宿温泉の共同湯「窪の湯」越しに眺めた、「金田屋」の2階客室であります。
下編へつづく。
特に6月は、1ヵ月間で17温泉をめぐるというハイペースでの取材活動でした。
2日に1日は温泉地にいたことになりまね。ほとんど家にはいませんでした。
5月の一湯目は、尻焼温泉でした。
現在、3軒の旅館がありますが、すべて源泉は異なります。
手前から「関晴館」(旧・関晴館別館)、長笹沢川を渡り「ホテル光山荘」、少し離れて根広集落に「白根の見える丘」(旧・白根ハイツ)があります。当然、一日では回れませんので、2度に分け、4日間かけて取材に入りました。
ここで特筆すべきは、「ホテル光山荘」の湯でしょうか。
唯一、自家源泉を所有しています。
その湯は、ひと言で言えば “熱涼しい” 摩訶不思議な湯。
入るときはガツーンと強烈な熱さを持って迎えるのに、沈んでいるとクールな清涼感がある。さらに湯上りが爽快で、なぜか汗をかかないのです。真夏に熱い湯に入りたい向きには、おすすめの湯であります。
素朴さが忘れられないのが、桜川温泉の「ふじやまの湯」。
宿の前を流れる桜川の流れは、まさに清流で、湯上りに浴衣のまま何度も眺めに出かけたくらいです。
その晩は、中村さん一家が、すべて手作りの味でもてなしてくれました。
僕は、あの豪勢な旅館料理というのが、ニガテなんですね。量も多くて、食べ切れません。
でも、ここの料理は、そのまま田舎のばあちゃんちのごちそうなんです。
奇をてらわず、山の食材だけを使い、煮物や酢の物など、ふつうの家の食卓のようで、取材を忘れてなごむことができました。
夕げの席で聞いた、2代目女将の中村せんさんの話も良かった!
「何もないところだから、せめて花を見せてあげたい」と、宿のまわりをお花畑にしています。
それも、タイツリソウやシラネアオイといった珍しい山野草が、ふつうに咲いているのです。
浴室から眺める、山野草の群生は一見の価値ありですぞ!
6月に入り、上牧温泉、谷川温泉、うのせ温泉、湯檜曽温泉、湯の小屋温泉と、水上温泉郷をじっくりと時間をかけて回りました。
どこも湯良し、宿良し、人良しで、なかなか充実した取材旅行だったのですが、実は個人的に、今年一年で絶対に忘れられない宿があります。「ああ、この仕事をしていたから、出会えた喜びなのだ!」と実感した出会いでした。
それは、うのせ温泉の「旅館みやま」です。
詳しくは著書に書きましたので、そちらをお読みください。
大正11年に、若山牧水が「みなかみ紀行」で泊まった沼田の旅館「鳴滝」が、移築されていたという事実。
それだけで、牧水ファンの僕は、その晩、興奮して、なかなか寝付かれませんでした。
また、今回の取材では、湯宿温泉「金田屋」のご主人が、特別に若山牧水が泊まった部屋で酒宴を開いてくださいました。本当にありがとうございした。
これも役得というものでしょうね。最高の宴でありました。
ちなみに、拙著 『群馬の小さな温泉』 の表紙は、湯宿温泉の共同湯「窪の湯」越しに眺めた、「金田屋」の2階客室であります。
下編へつづく。
2010年12月28日
2010 メモリアル温泉(上)
今年の “温泉納め” は済みましたか?
なかには、年末年始を温泉地で過ごすのが恒例という人もいるでしょうね。
とりあえず僕は、先日の四万温泉「柏屋旅館」にて、本年の温泉行脚は終了しました。
と、いうことで今年の総決算、「2010 メモリアル温泉」を発表いたします。
今年、心に残った温泉を、回想してしてみたいと思います。
僕は年間、80~100ヵ所の温泉をめぐっています。
さて、今年は? と手帳を1月からめくって、数えてみました。
結果、ちょうど80温泉でした。
例年よりは、やや少なかったようですね。でも、歳も歳ですから、今後は数で勝負より、質の良い温泉を訪ねるように、心がけたいと思っています。
さてさて、2010年の1月は、なんと言ってもキョーレツだったのが、極寒の万座温泉です。
NHK文化センターの平成21年度講座「ぐんまの温泉遺産を訪ねる」の最終講座で訪ねました。
「ふだんは行けない、豪雪地の露天風呂に入ってみたーい!」という受講生らのリクエストに応えて、追加講座として急きょ組み込んだプログラムです。
いやいや、標高1800メートルの“雲上の露天風呂”は、半端じゃありませんよ!
一番の老舗旅館「日進館」に、お邪魔したのですが、外は吹雪吹雪、氷の世界~♪(by井上陽水)
露天風呂での視界はゼロ!
あれよあれようちに、湯舟からでている顔と頭は、横殴りの猛吹雪に襲われ雪ダルマになってしまいました。
それでも受講生たちは、今でも 「あの、万座温泉は最高でした」と言います。強く思い出に刻まれたようですね。
2月、3月、4月と3回連続で、前橋カルチャーセンターの温泉講座「ぐんま温泉探訪」で、薬師温泉「旅籠」・四万温泉「積善館」・倉渕川浦温泉「はまゆう山荘」を訪ねました。
新しい講座ということで、講師の僕もやや緊張気味のスタートでしたが、開けてみたら気さくな受講生ばかりで、和気あいあいの講座になりました。教室なのに、湯上りにビールを飲む習慣がついてしまったのも、この講座からでした。
4月は出版本の取材が多く、ひと月で13温泉を訪ねました。
やぶ塚温泉では、初めて「開祖 今井館」を取材。
天保2年(1831)創業というから、江戸時代にはすでに鉱泉宿を営んでいたという、まさに“開祖”であります。
うっすらと生成り色した湯が、まるでローションのように肌をすべる独特な浴感に驚かされました。
湯で驚いたといえば、もう1つ。
鎌田温泉の「畔瀬(はんぜ)」の硫黄泉でしょうか。
片品地区というのは、ほとんどがアルカリ性の単純温泉なのですが、なぜかここの湯だけはプラス硫黄の含有量が多いのです。硫黄臭に加え、湯の花も多く浮遊しています。
毎分190リットルという恵まれた湧出量を、加水も加温もせずに、たった1軒の宿だけで使い切ってしまう贅沢。
一般にはあまり知られていない温泉ですが、掘り出し物の上質な湯であります。
中編へつづく。
なかには、年末年始を温泉地で過ごすのが恒例という人もいるでしょうね。
とりあえず僕は、先日の四万温泉「柏屋旅館」にて、本年の温泉行脚は終了しました。
と、いうことで今年の総決算、「2010 メモリアル温泉」を発表いたします。
今年、心に残った温泉を、回想してしてみたいと思います。
僕は年間、80~100ヵ所の温泉をめぐっています。
さて、今年は? と手帳を1月からめくって、数えてみました。
結果、ちょうど80温泉でした。
例年よりは、やや少なかったようですね。でも、歳も歳ですから、今後は数で勝負より、質の良い温泉を訪ねるように、心がけたいと思っています。
さてさて、2010年の1月は、なんと言ってもキョーレツだったのが、極寒の万座温泉です。
NHK文化センターの平成21年度講座「ぐんまの温泉遺産を訪ねる」の最終講座で訪ねました。
「ふだんは行けない、豪雪地の露天風呂に入ってみたーい!」という受講生らのリクエストに応えて、追加講座として急きょ組み込んだプログラムです。
いやいや、標高1800メートルの“雲上の露天風呂”は、半端じゃありませんよ!
一番の老舗旅館「日進館」に、お邪魔したのですが、外は吹雪吹雪、氷の世界~♪(by井上陽水)
露天風呂での視界はゼロ!
あれよあれようちに、湯舟からでている顔と頭は、横殴りの猛吹雪に襲われ雪ダルマになってしまいました。
それでも受講生たちは、今でも 「あの、万座温泉は最高でした」と言います。強く思い出に刻まれたようですね。
2月、3月、4月と3回連続で、前橋カルチャーセンターの温泉講座「ぐんま温泉探訪」で、薬師温泉「旅籠」・四万温泉「積善館」・倉渕川浦温泉「はまゆう山荘」を訪ねました。
新しい講座ということで、講師の僕もやや緊張気味のスタートでしたが、開けてみたら気さくな受講生ばかりで、和気あいあいの講座になりました。教室なのに、湯上りにビールを飲む習慣がついてしまったのも、この講座からでした。
4月は出版本の取材が多く、ひと月で13温泉を訪ねました。
やぶ塚温泉では、初めて「開祖 今井館」を取材。
天保2年(1831)創業というから、江戸時代にはすでに鉱泉宿を営んでいたという、まさに“開祖”であります。
うっすらと生成り色した湯が、まるでローションのように肌をすべる独特な浴感に驚かされました。
湯で驚いたといえば、もう1つ。
鎌田温泉の「畔瀬(はんぜ)」の硫黄泉でしょうか。
片品地区というのは、ほとんどがアルカリ性の単純温泉なのですが、なぜかここの湯だけはプラス硫黄の含有量が多いのです。硫黄臭に加え、湯の花も多く浮遊しています。
毎分190リットルという恵まれた湧出量を、加水も加温もせずに、たった1軒の宿だけで使い切ってしまう贅沢。
一般にはあまり知られていない温泉ですが、掘り出し物の上質な湯であります。
中編へつづく。
2010年12月27日
納詣のすすめ
いつからだろうか、もうかれこれ10年以上前からだと思います。
年末に、納詣(のうもうで)をするようになったのは……。
みなさんは、年が明けると初詣をしますよね。
「今年一年が良い年でありますように」って。
「恋人ができますように」とか「希望の大学に受かりますように」とか「家族が健康で過ごせますように」とか。
さらに、もっともっと具体的なお願いをする人もいます。
で、1年経つと、昨年の願い事のことは忘れて、また同じ願い事をしている。
毎年毎年、その繰り返しです。
あるとき、僕は、その矛盾に気が付いてしまったのです。
神社仏閣は、願い事を叶えなくても、毎年大勢の顧客が賽銭を投げ込みに来てくれる、ボッタクリ商売なのではないか?
また、賽銭を投げる顧客側も、“とりあえず”の願い事であり、宝くじ同様で「叶えばいいなぁ」程度の気持ちで初詣を行っているのではないか?
そう!
大切なのは “願う事” ではなく、“叶える事” なのですよ。
願うだけなら、誰でもできる。
でも、人生の妙というヤツは、叶えるところにあるのだと!
と、いうことで、僕は年末になると、納詣に出かけるようにしています。
大晦日の神社なんて、行ってごらんなさいな。
まー、ガラガラに空いてますよ。
社務所の人たちが、数時間後に訪れる大群衆を迎えるための準備に、せわしなく走り回っているくらいです。
で、僕は賽銭箱の前に立ち、一年間の夢の達成度に値段を付けます。
“まあまあ”なら10円、“そこそこ”なら50円、“納得”なら100円を賽銭箱へ投げ入れます。
鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼の後、報告をします。
「私は、この一年で○○と××と△△をしました。現在、□□に着手しておりますが、これも必ずや来年中には叶えてみせます」
なーんてことを、包み隠さず報告するのです。
必ずしも仕事のことだけではありません。
孫が産まれたこと、家族が健康でいられたこと、子供の進学が決まったことなどを報告するのが、納詣です。
願い事をするのではなく、叶えた事を報告する「納詣」。
みなさんも、今年から始めてみては、いかがですか?
2010年12月26日
クリスマスちんどんナイト
みなさんは、どんなクリスマスを過ごされましたか?
家族と、恋人と、友人と、ひとりぼっちと、今までにいろいろなクリスマスを過ごしてきましたが、昨夜は、まさかのチンドンでした。でも、これも、今年という1年を象徴している締めくくりではあります。
数年前から、我がバンド「じゅん&クァパラダイス」は、群馬の温泉PRのために 『GO!GO!温泉パラダイス』 という歌を演奏しています。曲がドドンパのリズムということもあり、たびたび、高崎チンドン倶楽部さんとイベントでコラボをしていました。
そして、迎えた2010年11月6日。
「第8回 全国アマチュアちんどん競演会 in 前橋」 にて、ゲストとして僕と踊り子(オンパラシスターズ)の3人が参加。
高崎チンドン倶楽部が演奏する 『GO!GO!温泉パラダイス』 に合わせて歌い、踊ったところ、なななんと!優秀賞(第3位)に輝いてしまったのです!
と、いうことで、昨夜は、高崎チンドン倶楽部さんより、我々3人が忘年会にご招待されたというわけ。
う~ん、それにしても、昨夜はクリスマスであります。
シスターズの2人だって、大切な人との思い出の夜が予定されていたはず。
なのに……
「もちろん、行きまーす!」
「小暮さんも、デートは事前に済ませておいてくださいね!」
なーんて、完全に “色気よりチンドン” モードなのです。
こーなれば、仕方ありません。
僕も “大切な人との思い出の夜” は来年にお預けにして、3人で寒風の中、高崎市役所前のイルミネーションを抜けて、柳川町へと出かけました。
(昨夜、我が家では、主不在のクリスマス会が行われたようです)
貸切のスナックでは、早くも盛り上がりを見せていました。
我々の到着を待って、高崎チンドン倶楽部の座長・杉浦芳郎氏より、1年を振り返ってのあいさつ、そして乾杯!
高崎チンドン倶楽部の座員は、15名もいるそうです。
初めてお会いする人もいるため、簡単な自己紹介となりました。
「ええー! ○○さんて、そーいう顔してたんですか!?」
「もしかして、座長の素顔見るの初めてです。イメージ違う~!」
と、シスターズからは驚きの声が上がります。
そーです、僕らが会うときは、いつも座員たちは化粧をしているいるんですから。
座長なんて、ちょんまげのズラ姿ですものね。
こんだけお付き合いしていて、素顔を知らなかったというのも不思議な関係です。
こうやって、イベントやステージ以外で会って、親睦を深めることも大切ですね。
宴もたけなわとなり、シスターズはカラオケで、ピンクレディーを踊り出しました。
2人は、ちょうど世代なのですな。
僕ですか?
僕は、いつもは歌いませんが、機嫌が良いときだけ歌いたくなる、とっておきのバラードを歌わせていただきましたよ。
えっ? 曲のタイトルですか?
玉置浩二の 『メロディー』 に決まっているじゃありませんか。
この歌をうたったら、僕は帰ることにしています。
たまには、こんなクリスマスの夜も、いいものです。
高崎チンドン倶楽部のみなさん、今年1年間、大変お世話になりました。
来年は、グリーンドームでの “着物女性1000人集合、大オンパラ踊り” を実現させましょう!
夜中、家に帰ったら、冷たくなったチキンとケーキが、僕を待っていました。
2010年12月25日
謎学の旅⑮ 「夜遊びが過ぎた地蔵さん」
おかしな地蔵さんが、いたものです。
館林市木戸町に、光明山常薬寺というお寺があります。
境内には2階建ての鐘楼堂、かやぶきの阿弥陀堂、宝暦4年(1754)建立の銅板ぶき本堂があり、幽玄壮大な雰囲気に包まれています。
が、その光景の中で、ひと際異彩を放っている地蔵さんがいます。
山門をくぐり抜けると、まるで通せんぼをするように立ちはだかる地蔵さんの名は、「やきもち地蔵尊」。
台座の上で、片ひざを立てた粋なお姿で、柔和なお顔をしているが、なんと彼は捕らわれの身なのだ。
頑丈な木の柵に囲まれて、身動きができずにいるのです。
なぜ?
こんな伝説が残っています。
実は、この男地蔵さん、ここより500メートル北にいる女地蔵に恋をしてしまい、夜な夜な矢場川の土手を伝って、会いに行くようになってしまったのです。
この夜遊びに手を焼いた住職や寺の世話人たちが、二度と会い行けないようにと、地蔵さんの周囲に頑丈な柵を作り、外出を阻止してしまいました。
それ以来、夜遊びをしなくなったので、団子や焼き餅をあげて供養したとのことです。
なかなか、切ない話であります。
同じ男として気持ちは分かりますが、この地蔵さんは独身のご様子。
不倫をしていたわけではないのですから、好きにさせてやれば良いと思うのですがね。
それとも、地蔵界では、地蔵同士の恋愛は、ご法度なのでしょうか?
いずれにせよ、気になるのは、お相手の女地蔵であります。
彼が、それほどまでに夢中になるのですから、よっぽどイイ女なのでしょうな。
と、いうことで、この目で確かめに行きました。
栃木県境を流れる矢場川沿いにある深諦寺にいる女地蔵さんの名は、「日限り地蔵尊」。
別名、「エロ地蔵」とも呼ばれている地蔵界のプレイガールであります。
でも、この地蔵さんは、どんな恋の病でも、日を限ってお願いすると、必ず願い事が叶うといわれているのです。
まさに、現代で言う “パワースポット” であります。
どれどれ……
お顔を拝見……
と、覗き込むと。
あれれれー?
社の中には、2体の石仏が鎮座していらっしゃるではありませんか!
どちらの方も上品なお顔立ちの美人ではあるが……
もしかしたら、三角関係のもつれ?
やきもちを焼いたのは、女地蔵のほうだったのか?
確かに男地蔵さん、なかなかのイケメンであります。
かなりのドンファンだったのでしょうな。
捕らわれの身も、仕方ないか!
謎学の旅はつづく。
2010年12月24日
ブログ読んでます。
20数年前に、原稿用紙と鉛筆1本で、この業界へ飛び込んで、執筆活動を続けてきた僕は、依然としてパソコン音痴であります。
文字を打つことと(それも仮名打ち)、メールを送受信する以外のことは、いまだにできません。
そんな僕がブログを始めるなんてーーーー!!!!!
と、逃げて逃げて逃げ回った末に、「書くだけだよ」という条件付きで、今年の2月からこのブログを始めました。
早いもので丸10ヵ月が過ぎようとしています。
ブログを書くようになって、変わったことは?
はい、1つだけあります。
“ドッキリする場面” が増えたことです。
だって、初対面の人が、僕のスケジュールや人間関係を知っているんですもの。
「えっ、どうして知っているんですか?」と聞けば、必ず「ブログ読んでます」と答えが返ってきます。
講演や出演依頼をしてくる担当者は、必ず読んでますね。
ま、僕がどんな人物かネットで検索して、ブログにたどり着くのでしょう。
先月の出版パーティーでのこと。
壇上にカメラマンの竹沢佳紀くんを上げて、ひと言言わせたところ
「海パンカメラマンの……」と自己紹介しました。
会場が、ドッと沸いたところを見ると、みなさんブログを読んでいられるということのようです。
さらに二次会場では、初対面の人たちが彼のことを「竹ちゃんマン」と呼んでいました。
彼のことを「竹ちゃんマン」と呼ぶのは、僕のブログの中の世界だけです。
竹ちゃんは、ブログ界のヒーローなんですね。
一番驚いたのは、某温泉の某旅館を訪ねた時のことです。
たった今会ったばかりの客室係の若い女性から、「いつもブログ読んでます」と声を掛けられ、心臓が止まるかと思いました。
見れば、まだあどけない20歳前後の娘さんですよ!
なんで、こんなオッチャンのブログなんか読んでるのー?
経営者に言われて、チェックしているのでしょうか?
それとも温泉の勉強のつもりで読んでいるのでしょうか?
何よりも、“お忍び”でなくて良かった(ホッ)。
正真正銘の仕事での温泉旅館訪問であります。
「壁に耳あり、障子に目あり、ブログに口あり」です。
やたらな事は、書けませんぞ!
文字を打つことと(それも仮名打ち)、メールを送受信する以外のことは、いまだにできません。
そんな僕がブログを始めるなんてーーーー!!!!!
と、逃げて逃げて逃げ回った末に、「書くだけだよ」という条件付きで、今年の2月からこのブログを始めました。
早いもので丸10ヵ月が過ぎようとしています。
ブログを書くようになって、変わったことは?
はい、1つだけあります。
“ドッキリする場面” が増えたことです。
だって、初対面の人が、僕のスケジュールや人間関係を知っているんですもの。
「えっ、どうして知っているんですか?」と聞けば、必ず「ブログ読んでます」と答えが返ってきます。
講演や出演依頼をしてくる担当者は、必ず読んでますね。
ま、僕がどんな人物かネットで検索して、ブログにたどり着くのでしょう。
先月の出版パーティーでのこと。
壇上にカメラマンの竹沢佳紀くんを上げて、ひと言言わせたところ
「海パンカメラマンの……」と自己紹介しました。
会場が、ドッと沸いたところを見ると、みなさんブログを読んでいられるということのようです。
さらに二次会場では、初対面の人たちが彼のことを「竹ちゃんマン」と呼んでいました。
彼のことを「竹ちゃんマン」と呼ぶのは、僕のブログの中の世界だけです。
竹ちゃんは、ブログ界のヒーローなんですね。
一番驚いたのは、某温泉の某旅館を訪ねた時のことです。
たった今会ったばかりの客室係の若い女性から、「いつもブログ読んでます」と声を掛けられ、心臓が止まるかと思いました。
見れば、まだあどけない20歳前後の娘さんですよ!
なんで、こんなオッチャンのブログなんか読んでるのー?
経営者に言われて、チェックしているのでしょうか?
それとも温泉の勉強のつもりで読んでいるのでしょうか?
何よりも、“お忍び”でなくて良かった(ホッ)。
正真正銘の仕事での温泉旅館訪問であります。
「壁に耳あり、障子に目あり、ブログに口あり」です。
やたらな事は、書けませんぞ!
2010年12月23日
四万温泉 「柏屋旅館」
昨日は、午前1本、高崎市で打ち合わせを済ませ、その足で、みなかみ町へ向かいました。
訪ねたのは、みなかみ町観光協会。
職員で、温泉ソムリエの施井(しい)真希子さんに、お会いするためです。
先月の祝賀パーティーに臨席してくださったお礼を言い、来春発行の群馬県観光情報誌 「ググっとぐんま」の制作協力の依頼と、段取りの打ち合わせをしました。
また、彼女は、どーしても僕の温泉話を一度聴きたいとかで、
「2月の水上温泉での講演会には、何とかコネ使って、必ずもぐり込みます!」
とのこと。
いやいや、若くて、元気で、美人で、実に行動的で、頼もしい女性であります。
ほんのちょっとの打ち合わせのつもりが、温泉話で盛り上がってしまい、気が付けば夕方の4時半。
あわてて、峠を越えて、四万温泉へ移動して、四万温泉協会の事務所へ。
終業時間の5時15分に、ギリギリのセーフで滑り込み、なんとか要を済ませることができました。
天気予報が見事に当たって、雨が降り出しました。
夜半には、雪に変わりそうな気配です。
そのまま、温泉口にある「柏屋旅館」へ。
以前にも書きましたが、四万温泉は四万川沿いに約4㎞連なる細長い温泉地です。
5つの地区からなり、温泉口は、その名の通り、四万温泉の最初の温泉街です。
その中でも、柏屋さんは一番手前。四万温泉で、最初に旅人を出迎えてくれる旅館です。
昨晩は、忘年会でした。
何の? ……うーん、ちょっと一言では難しいのですが、僕の2冊の温泉本を世に送り出した人たちと、この1年間の労をねぎらい合おうという会です。
アートディレクターのK氏、編集に携わったT氏、それと楽天トラベルとのタイアップを企画した広告担当のK氏と僕の4人。
7時までに次々と、宿に到着。
ひと風呂浴びて、すぐに宴が始まりました。
二次会は、宿主人の柏原益夫さんも加わり、日本酒を浴びました。
実は、柏原さんは四万温泉協会長なのであります。
話は、四万温泉の過去・現代・未来について、熱のこもったトークが展開しました。
「四万温泉は5つの温泉街があるんだから、“四万五入” なんていうキャッチはどう?」と僕。
「さすが、プロのライターですね。四捨五入に引っ掛けて、四万五入ね。いいですね」と柏原さん。
「さらに6つの共同湯があるから、“四万五入六湯” と続けましょう」と僕。
「そりゃあ、語呂がいいや。決まりだ!」と、広告のK氏が絶賛します。
すると今度は、アートディレクターのK氏が、こんな提案をしました。
「来年は、小暮さんの似顔絵を入れたタオルを作りませんか?」
「いいね、本とセットにして売れば、ファンは買うでしょう」とT氏。
「似顔絵のキャラクターを公募して、コンペにしますか?」とK氏。
「講演会でも、飛ぶように売れること間違いなしだ!」などなど、酔いに任せ、次から次へと自由奔放なアイデアが飛び出します。
気が付けば、夜中の2時をとっくに過ぎていました。
床に入っても、夢見るオヤジたちは、熱く熱く語り合っていたのでした。
一夜明けて、今朝の四万温泉は、雪が降り続いていました。
訪ねたのは、みなかみ町観光協会。
職員で、温泉ソムリエの施井(しい)真希子さんに、お会いするためです。
先月の祝賀パーティーに臨席してくださったお礼を言い、来春発行の群馬県観光情報誌 「ググっとぐんま」の制作協力の依頼と、段取りの打ち合わせをしました。
また、彼女は、どーしても僕の温泉話を一度聴きたいとかで、
「2月の水上温泉での講演会には、何とかコネ使って、必ずもぐり込みます!」
とのこと。
いやいや、若くて、元気で、美人で、実に行動的で、頼もしい女性であります。
ほんのちょっとの打ち合わせのつもりが、温泉話で盛り上がってしまい、気が付けば夕方の4時半。
あわてて、峠を越えて、四万温泉へ移動して、四万温泉協会の事務所へ。
終業時間の5時15分に、ギリギリのセーフで滑り込み、なんとか要を済ませることができました。
天気予報が見事に当たって、雨が降り出しました。
夜半には、雪に変わりそうな気配です。
そのまま、温泉口にある「柏屋旅館」へ。
以前にも書きましたが、四万温泉は四万川沿いに約4㎞連なる細長い温泉地です。
5つの地区からなり、温泉口は、その名の通り、四万温泉の最初の温泉街です。
その中でも、柏屋さんは一番手前。四万温泉で、最初に旅人を出迎えてくれる旅館です。
昨晩は、忘年会でした。
何の? ……うーん、ちょっと一言では難しいのですが、僕の2冊の温泉本を世に送り出した人たちと、この1年間の労をねぎらい合おうという会です。
アートディレクターのK氏、編集に携わったT氏、それと楽天トラベルとのタイアップを企画した広告担当のK氏と僕の4人。
7時までに次々と、宿に到着。
ひと風呂浴びて、すぐに宴が始まりました。
二次会は、宿主人の柏原益夫さんも加わり、日本酒を浴びました。
実は、柏原さんは四万温泉協会長なのであります。
話は、四万温泉の過去・現代・未来について、熱のこもったトークが展開しました。
「四万温泉は5つの温泉街があるんだから、“四万五入” なんていうキャッチはどう?」と僕。
「さすが、プロのライターですね。四捨五入に引っ掛けて、四万五入ね。いいですね」と柏原さん。
「さらに6つの共同湯があるから、“四万五入六湯” と続けましょう」と僕。
「そりゃあ、語呂がいいや。決まりだ!」と、広告のK氏が絶賛します。
すると今度は、アートディレクターのK氏が、こんな提案をしました。
「来年は、小暮さんの似顔絵を入れたタオルを作りませんか?」
「いいね、本とセットにして売れば、ファンは買うでしょう」とT氏。
「似顔絵のキャラクターを公募して、コンペにしますか?」とK氏。
「講演会でも、飛ぶように売れること間違いなしだ!」などなど、酔いに任せ、次から次へと自由奔放なアイデアが飛び出します。
気が付けば、夜中の2時をとっくに過ぎていました。
床に入っても、夢見るオヤジたちは、熱く熱く語り合っていたのでした。
一夜明けて、今朝の四万温泉は、雪が降り続いていました。
2010年12月21日
来春、2講座が同時開講!
現在、毎月第4火曜日に開催しているNHK文化センターの 『探訪!ぐんまの源泉一軒宿』 は、来年1月の「宝川温泉」をもって、平成22年度の講座は終了します。
替わって、4月から平成23年度の新講座 『探訪!ぐんまの小さな温泉』 が開講します。
(ははは、もうお分かりですね。NHKさんは、毎年、僕の著書名をそのまま講座名にしています)
定員は22名。小さな温泉地を巡るため、小型バスでの移動となります。
新講座の受付は、現在受講いただいている方が優先となり、次いでキャンセル待ちの方が優先されます。
なかなか空きの出ない人気講座ですが、ご希望の方は問い合わせてみてください。
来春は、もう1講座、新講座が開講します。
センター移転のため休講していた前橋カルチャーセンターの 『小暮淳と行く ぐんま温泉探訪』 が、来年4月よりリニューアルオープンします。
『温泉めぐりと健康ウォーク』(仮)と講座名を変えて、群馬県内にとどまらず、長野・新潟・栃木など隣県の温泉へも足を延ばします。
バスの発着は、以前の前橋駅前からセンターのある「けやきウォーク前橋」に変更されるため、駐車場の心配はいりません。
定員は30名。中型バスに僕が乗り込み、受講生らとともに名湯を訪ねます。
一般公募は来年2月より。3月には講師による(僕です)、講座の無料説明会が開かれます。
こちらの講座は、毎月第2木曜日の開催を予定しています。
両講座とも、詳しいことは下記まで、お問い合わせください。
たくさんの温泉好きの参加を、お待ちしておりまーす!
●NHK文化センター前橋教室 (群馬県昭和庁舎3F)
TEL.027-221-1211
●前橋カルチャーセンター (けやきウォーク前橋2F)
TEL.027-223-5121
2010年12月20日
水上温泉で講演します。
以前は、ケータイの画面に名前が出ない、登録外の電話番号は受けないようにしていたのですが、温泉本を出版するようになってからは、そうもいかなくなりました。
どこで聞きつけて、どこから電話番号を知ったのか、知らない人からの着信が増えたからです。
と、言っても、怪しい電話ではありません。
ほとんどは、メディア出演や執筆、それと講演会の依頼です。
先日、来年2月の講演依頼の電話がありました。
依頼先は、(社)群馬県旅行業協会です。
過去には、群馬県温泉協会や長野県温泉協会からの依頼で講演をしたことはありましたが、これまた新たな団体からの依頼です。
現在、2ヵ月に1回くらいの割合で、講演やセミナーをお受けしていますが、ほとんどは市町村からの「高齢者教室」「女性セミナー」等です。一般企業からの依頼も、年に1~2回あります。
詳しい内容が決まったということで、今日の午後、協会事務所を訪ね、事務局長と打ち合わせをしてきました。
僕が講演を頼まれたのは、平成22年度の年間行事の1つ「会員大会」<観光業務戦略会議>の第2部、基調講演とのこと。
県内外の旅行業、観光業、サービス業に携わる会員の代表が約100名集まり、勉強会を開くのだそうです。
まぁー、僕なんか呼んでしまって、大丈夫なのでしょうか?
素人さんの前では、知ったかぶって好き勝手に、面白おかしく温泉話をしていますが、今回は、旅行・観光のプロたちです。
たぶん、いつもの “知ったかぶり” は通用しないでしょうな。
「先生の2冊のご本を拝見させていただきました。私たち観光に携わっている者でさえ、知らない温泉ばかりでした。ぜひ、秘湯と呼ばれる小さな温泉地のお話を聞かせてください。これからの観光のヒントをいただきたいのです」と事務局長。
「そーですか、では……
講演の最後に、歌をうたいましょう!」
と言ったときの事務局長の驚いた顔ったら、ありませんでしたよ。
観光といえば、群馬の温泉の応援歌 『GO!GO!温泉パラダイス』 を熱唱しないで帰るわけにはいかんでしょう!
と、いうことで、当日は歌詞カードを配り、カラオケを流して、歌って踊って騒いで、ついでに講演会後の「懇親会」と「二次会」にも出席して、その日はそのまま水上温泉に泊まることにしました。とさ……
あーあ、結局、僕の場合 “温泉+酒=宿泊” になってしまうんですね。
でも、これって、仕・事・で・す・か・ら~~~!(本当かなぁ…)
記
●日 時/平成23年2月7日(月) 14:20~15:30
●会 場/水上温泉 「源泉湯の宿 松乃井」
コンベンションホール
TEL.0278-72-3200
●演 題/『守り継ぐ湯 語り継がれる宿』(仮)
●対 象/旅行会社・旅館・ドライブイン関係者 ほか
2010年12月19日
ランクイン、みたび!
帰って来ました~!
ふたたびの、いや、三度目のランキング入りであります!
今日の上毛新聞(10面)、読書欄 「週間ベスト10」(前橋・煥乎堂本店調べ)の単行本・新書部門で、拙著 『群馬の小さな温泉』 が9位に返り咲きました。
このところ、ずーっとランキング外だったので、担当の出版部長さんもトーンダウン気味だったのですよ。
「なんだかさ、書店によっては、前の『源泉一軒宿』のほうが売れているんみたいよ」
なーんてね、ちょっぴり腐りムードだったわけですよ。
今週は、その出版部との忘年会もありますから、これはまた祝い酒となりそうです。
でも、どうしてまた、ここに来て再燃したのでしょうね?
年の瀬になると、人は温泉が恋しくなるのでしょうか?
それとも、年末年始を温泉地で過ごしたい人たちの駆け込み予約ですか?
いづれにしても、本が売れるということはいいことです。
ところで、ランキングをのぞくと、すぐ上の8位に、『群馬の逆襲』(彩流社)がいます。
はい、そーです。
著者は「メディア懇親会」の仲間である、木部克彦氏であります。
それにしても、発売から半年以上経つのに、根強い人気ですねぇ。
あやかりたいものです。
その木部氏が、先日の忘年会の席で、こんなスピーチをしました。
「毎週日曜日に、新聞の売り上げランキングを見て、自分の本のタイトルを見つけるのが楽しみなのですが、必ず私の本の上に、小暮さんの本がいるんですよ。あっ、また抜かれてるって(笑)」
いえいえ木部さん、このところは、完全に木部さんの本のほうが“目の上のタンコブ”のように、常にランキング上位にいますよ。
木部氏は先月、またまた 『高知の逆襲』(彩流社) というシリーズ本を出版されました。
スゴイですねぇ、1年に2冊ですよ。
その取材力、その執筆力に敬服いたします。
でも、待っていてくださいよ。
年明けには、“小暮の逆襲” が始まりまっせ!
1月21日に新刊 『ぐんまの里山 てくてく歩き』(上毛新聞社) をリリースします。
これで来年は、『群馬の小さな温泉』とのダブルランクインを目指しますぞっ!
木部氏、お覚悟!
ふたたびの、いや、三度目のランキング入りであります!
今日の上毛新聞(10面)、読書欄 「週間ベスト10」(前橋・煥乎堂本店調べ)の単行本・新書部門で、拙著 『群馬の小さな温泉』 が9位に返り咲きました。
このところ、ずーっとランキング外だったので、担当の出版部長さんもトーンダウン気味だったのですよ。
「なんだかさ、書店によっては、前の『源泉一軒宿』のほうが売れているんみたいよ」
なーんてね、ちょっぴり腐りムードだったわけですよ。
今週は、その出版部との忘年会もありますから、これはまた祝い酒となりそうです。
でも、どうしてまた、ここに来て再燃したのでしょうね?
年の瀬になると、人は温泉が恋しくなるのでしょうか?
それとも、年末年始を温泉地で過ごしたい人たちの駆け込み予約ですか?
いづれにしても、本が売れるということはいいことです。
ところで、ランキングをのぞくと、すぐ上の8位に、『群馬の逆襲』(彩流社)がいます。
はい、そーです。
著者は「メディア懇親会」の仲間である、木部克彦氏であります。
それにしても、発売から半年以上経つのに、根強い人気ですねぇ。
あやかりたいものです。
その木部氏が、先日の忘年会の席で、こんなスピーチをしました。
「毎週日曜日に、新聞の売り上げランキングを見て、自分の本のタイトルを見つけるのが楽しみなのですが、必ず私の本の上に、小暮さんの本がいるんですよ。あっ、また抜かれてるって(笑)」
いえいえ木部さん、このところは、完全に木部さんの本のほうが“目の上のタンコブ”のように、常にランキング上位にいますよ。
木部氏は先月、またまた 『高知の逆襲』(彩流社) というシリーズ本を出版されました。
スゴイですねぇ、1年に2冊ですよ。
その取材力、その執筆力に敬服いたします。
でも、待っていてくださいよ。
年明けには、“小暮の逆襲” が始まりまっせ!
1月21日に新刊 『ぐんまの里山 てくてく歩き』(上毛新聞社) をリリースします。
これで来年は、『群馬の小さな温泉』とのダブルランクインを目指しますぞっ!
木部氏、お覚悟!
2010年12月18日
3分の1は敵
「小暮クン、自分の生き方を貫こうとすれば、それは常に3分の1の敵を持つということだよ」
と、唐沢政道画伯は、おしゃるのです。
昨晩は、「ぐんまカルタ制作実行委員会」の忘年会でした。
「ぐんまカルタ制作実行委員会」とは、2008年10月に発売された 『新・ぐんまカルタ』(定価 1,000円) の制作に係わった8人で結成した会です。
なんで、今さら、群馬でカルタを作ろうと思ったのか?
群馬には、超メジャーな「上毛かるた」があるのに?
きっかけは、5年前にさかのぼります。
当時、僕は某情報誌の編集長をやってました。
ある日、1人のスタッフから 「編集長と絶対気の合う人がいますよ。会いに行きませんか?」と、ある写真展の案内状を手渡されました。そして、その案内状に書かれていた展示会のタイトルは……
「写真で見る上毛かるた」
(たぶん、そんなタイトルでした)
なぬっ?
僕は当時、異常に「上毛かるた」という言葉に敏感に反応していたのです。
それは……
さらに、さかのぼること2年前。
僕が、別の情報誌の編集長をやっていた時のことです。
お正月企画として、「上毛かるた」の札にまつわる群馬の名産品を集めた特集を組みました。
例えば、「す」「も」「の」の札は、赤城山・妙義山・榛名山といった銘柄の日本酒をそろえたり、「つる舞う形の群馬県」は『鶴サブレ』、「繭と生糸は日本一」は『まゆこもり』といった銘菓を集めました。
ところが……
この企画が、「上毛かるた」を発行する某財団法人の逆鱗に触れたようで、クレームおよび雑誌の発行停止命令まで受けてしまったのです。
なぬぬぬぬぬつー! おいおい、「上毛かるた」って群馬県民の共有の財産じゃないのかよ?
著作権の侵害だ? こんだけ歴史があって、県民に浸透していて、誰もが親しんでいるカルタが、1団体の所有物だと!
ということで、僕の長きに渡る闘いの日々が始まったのでした。
そこへ、スタッフから手渡れた例の案内状です。
さっそく写真展の会場へ行き、代表者の池田壱臣氏と面会しました。
すると案の定、氏へにも展示会の中止命令が某財団法人から出されていました。
「関係ねーよ、俺は闘うよ」と、池田氏から頼もしいお言葉。
「だったら、誰でもが自由に使える、著作権を持たない、新しいカルタを作りませんか?」と僕。
「実は、同じことを考えていたんだよ」と池田氏。
僕らは初対面で意気投合し、その場で「ぐんまカルタ制作実行委員会」を結成!
賛同するメンバーを集め、2ヶ月に1回の会議を続け、3年後に夢を実現!
『新・ぐんまカルタ』 を世に出しました。
「上毛かるた」の札で、現在の群馬県の実情にそぐわないものは改定し、どうしても入れたかった詩人・萩原朔太郎の札なども、新たに加えました。
あれから2年。
時は年末。またカルタの季節がやって来ました。
「おかげさまで、ここに来てまた、各書店から注文がきています」と、池田会長よりあいさつがあり、カンパイとなりました。
絵札の描画を担当してくださったパステル画家の唐沢政道画伯と、隣同士で杯を酌み交わしました。
若造の僕は、巨匠の広い胸を借りて、つい、思い通りに行かぬ己の人生へのグチをこぼしてしまいました。
「小暮クン、それでいいんだよ。僕らはモノを創っているんだ。自分を曲げて生きるんなら、何も絵描きや物書きにはならんだろう。僕らの周りには、常に3分の1の敵がいることを忘れてはいけないよ。そいつらがいるからこそ、僕らの創作への意欲と情熱がかきたてられるというものさ。アッハハハハ」
またしても、人生の大先輩に、道の歩き方を教えていただきました。
画伯、ありがとうございました。
と、唐沢政道画伯は、おしゃるのです。
昨晩は、「ぐんまカルタ制作実行委員会」の忘年会でした。
「ぐんまカルタ制作実行委員会」とは、2008年10月に発売された 『新・ぐんまカルタ』(定価 1,000円) の制作に係わった8人で結成した会です。
なんで、今さら、群馬でカルタを作ろうと思ったのか?
群馬には、超メジャーな「上毛かるた」があるのに?
きっかけは、5年前にさかのぼります。
当時、僕は某情報誌の編集長をやってました。
ある日、1人のスタッフから 「編集長と絶対気の合う人がいますよ。会いに行きませんか?」と、ある写真展の案内状を手渡されました。そして、その案内状に書かれていた展示会のタイトルは……
「写真で見る上毛かるた」
(たぶん、そんなタイトルでした)
なぬっ?
僕は当時、異常に「上毛かるた」という言葉に敏感に反応していたのです。
それは……
さらに、さかのぼること2年前。
僕が、別の情報誌の編集長をやっていた時のことです。
お正月企画として、「上毛かるた」の札にまつわる群馬の名産品を集めた特集を組みました。
例えば、「す」「も」「の」の札は、赤城山・妙義山・榛名山といった銘柄の日本酒をそろえたり、「つる舞う形の群馬県」は『鶴サブレ』、「繭と生糸は日本一」は『まゆこもり』といった銘菓を集めました。
ところが……
この企画が、「上毛かるた」を発行する某財団法人の逆鱗に触れたようで、クレームおよび雑誌の発行停止命令まで受けてしまったのです。
なぬぬぬぬぬつー! おいおい、「上毛かるた」って群馬県民の共有の財産じゃないのかよ?
著作権の侵害だ? こんだけ歴史があって、県民に浸透していて、誰もが親しんでいるカルタが、1団体の所有物だと!
ということで、僕の長きに渡る闘いの日々が始まったのでした。
そこへ、スタッフから手渡れた例の案内状です。
さっそく写真展の会場へ行き、代表者の池田壱臣氏と面会しました。
すると案の定、氏へにも展示会の中止命令が某財団法人から出されていました。
「関係ねーよ、俺は闘うよ」と、池田氏から頼もしいお言葉。
「だったら、誰でもが自由に使える、著作権を持たない、新しいカルタを作りませんか?」と僕。
「実は、同じことを考えていたんだよ」と池田氏。
僕らは初対面で意気投合し、その場で「ぐんまカルタ制作実行委員会」を結成!
賛同するメンバーを集め、2ヶ月に1回の会議を続け、3年後に夢を実現!
『新・ぐんまカルタ』 を世に出しました。
「上毛かるた」の札で、現在の群馬県の実情にそぐわないものは改定し、どうしても入れたかった詩人・萩原朔太郎の札なども、新たに加えました。
あれから2年。
時は年末。またカルタの季節がやって来ました。
「おかげさまで、ここに来てまた、各書店から注文がきています」と、池田会長よりあいさつがあり、カンパイとなりました。
絵札の描画を担当してくださったパステル画家の唐沢政道画伯と、隣同士で杯を酌み交わしました。
若造の僕は、巨匠の広い胸を借りて、つい、思い通りに行かぬ己の人生へのグチをこぼしてしまいました。
「小暮クン、それでいいんだよ。僕らはモノを創っているんだ。自分を曲げて生きるんなら、何も絵描きや物書きにはならんだろう。僕らの周りには、常に3分の1の敵がいることを忘れてはいけないよ。そいつらがいるからこそ、僕らの創作への意欲と情熱がかきたてられるというものさ。アッハハハハ」
またしても、人生の大先輩に、道の歩き方を教えていただきました。
画伯、ありがとうございました。
2010年12月16日
里山本の発行日決定!
うー、ん。
なかなかの難産でしたが、やっと分娩台に乗った感じです。
破水が始まり、胎児が頭を出しましたよ。
「胎児の頭 = カバーデザイン」です。
今回は、僕の著書では初のこころみ。全面イラストによる表紙デザインです。
里山風景写真の実写とイラストととの合成も考えたのですが、どうしても写真が野暮ったくなってしまうんですね。
また、山の写真は、それだけで “山岳本” のイメージが強くなってしまいます。
と、いうことで、群馬県内でもクレーアートの第一人者であります、イラストレーターの飯塚裕子女史にお願いして、粘土細工にて僕の人形を作っていただきました。
山道を歩いている僕、温泉に入って酒を飲んでいる僕……。
これらが、すべて立体の粘土でできているんです。
(僕を知っている人は笑ってしまうはず!)
背景は、女史独特のほんわかした“なごみ画”が全面に広がります。
山、川、滝、湖、電車、バス、郵便ポスト、リュックに登山靴……
登山ではなく、ハイキングでもなく、僕が書きたかった“ゆる~い”里山歩きのイメージを表現してくれました。
ま、何でもモノづくりはそうですが、作り手同士の意思の疎通がないと、なかなかイメージどおりの作品はできません。
そのへん、女史とは15年に渡る長い付き合いの中で、何度も仕事を通して、お互いの感性を確かめ合ってきた仲であります。
「これはもう、裕ちゃんの立体(粘土)で行くしかないね!」
最初から、そう考えていました。
でも著者が考えていても、出版とは、その通りに行くとは限りません。
本が売れないことには、出す意味がないのですから、出版元の意見が最優先となります。
もちろん、デザイナーとの相性もあります。
そんないくつもの提案、企画、制作の過程を経て、今、やっと分娩台の上で産み落とされようとしています。
長い長い、妊娠生活でした。
“十月十日”なんて、もんじゃありませんでしたよ。
構想は数秒でも、連載は4年、制作期間は7ヶ月を要して、やっと誕生です。
あとは、来週の色校(刷り色の校正)を残すのみとなりました。
年内に印刷、正月明けには書店へ配送されます。
一緒に山を歩いてくれたカメラマンの吉田勝紀さん
イラストレーターの飯塚裕子さん
デザイナーの浅村正志さん
そして
僕の連載を「本にしたい」と声をかけてくださった、上毛新聞社出版部長の富澤隆夫さん
そしてそして
見えないところで、校閲やアポ取り、書店営業など尽力してくださったたくさんのみなさん
ありがとうございます!
小暮淳の初のウォーキングエッセー 『ぐんまの里山 てくてく歩き』の発行日が、2011年1月21日(大安)に決定しました。
ぜひ、最寄の書店またはコンビニにて、お求めください。
なかなかの難産でしたが、やっと分娩台に乗った感じです。
破水が始まり、胎児が頭を出しましたよ。
「胎児の頭 = カバーデザイン」です。
今回は、僕の著書では初のこころみ。全面イラストによる表紙デザインです。
里山風景写真の実写とイラストととの合成も考えたのですが、どうしても写真が野暮ったくなってしまうんですね。
また、山の写真は、それだけで “山岳本” のイメージが強くなってしまいます。
と、いうことで、群馬県内でもクレーアートの第一人者であります、イラストレーターの飯塚裕子女史にお願いして、粘土細工にて僕の人形を作っていただきました。
山道を歩いている僕、温泉に入って酒を飲んでいる僕……。
これらが、すべて立体の粘土でできているんです。
(僕を知っている人は笑ってしまうはず!)
背景は、女史独特のほんわかした“なごみ画”が全面に広がります。
山、川、滝、湖、電車、バス、郵便ポスト、リュックに登山靴……
登山ではなく、ハイキングでもなく、僕が書きたかった“ゆる~い”里山歩きのイメージを表現してくれました。
ま、何でもモノづくりはそうですが、作り手同士の意思の疎通がないと、なかなかイメージどおりの作品はできません。
そのへん、女史とは15年に渡る長い付き合いの中で、何度も仕事を通して、お互いの感性を確かめ合ってきた仲であります。
「これはもう、裕ちゃんの立体(粘土)で行くしかないね!」
最初から、そう考えていました。
でも著者が考えていても、出版とは、その通りに行くとは限りません。
本が売れないことには、出す意味がないのですから、出版元の意見が最優先となります。
もちろん、デザイナーとの相性もあります。
そんないくつもの提案、企画、制作の過程を経て、今、やっと分娩台の上で産み落とされようとしています。
長い長い、妊娠生活でした。
“十月十日”なんて、もんじゃありませんでしたよ。
構想は数秒でも、連載は4年、制作期間は7ヶ月を要して、やっと誕生です。
あとは、来週の色校(刷り色の校正)を残すのみとなりました。
年内に印刷、正月明けには書店へ配送されます。
一緒に山を歩いてくれたカメラマンの吉田勝紀さん
イラストレーターの飯塚裕子さん
デザイナーの浅村正志さん
そして
僕の連載を「本にしたい」と声をかけてくださった、上毛新聞社出版部長の富澤隆夫さん
そしてそして
見えないところで、校閲やアポ取り、書店営業など尽力してくださったたくさんのみなさん
ありがとうございます!
小暮淳の初のウォーキングエッセー 『ぐんまの里山 てくてく歩き』の発行日が、2011年1月21日(大安)に決定しました。
ぜひ、最寄の書店またはコンビニにて、お求めください。
2010年12月15日
四万温泉 「竹葉館」
四万(しま温泉)には、「四万17軒」 という言葉があるのを、ご存知ですか?
現在、四万温泉には37軒の旅館と民宿があります。これに対して、源泉の数は43本。
1軒あたりの源泉所有率は、全国でもトップクラスです。
その豊富な湯量の源泉を所有したり、古くから旅館業オンリーで“湯”を客人に提供してきた老舗宿のことを「四万17軒」と地元では呼んでいます。
昨日は、その17軒の1つ、昭和17年創業の湯治宿「竹葉館(ちくようかん)」にお邪魔して、話を聞いてきました。
四万温泉は、5つの地区に分かれています。
もっとも歴史の古いのが「新湯(あらゆ)」「山口」、その後「温泉口」「日向見(ひなたみ)」「ゆずりは」と、温泉街が広がりました。
「竹葉館」は四万川の下流、一番手前の「温泉口」にあります。
ゆるやかな坂道の途中、昨日から降り続いた雨に濡れた路面が、朝日を浴びてキラキラと光り輝いています。
旅館の建物は、創業当時のまま。
古き良き、湯治文化を今に伝える老舗宿です。
四万温泉は、草津や伊香保と異なり、近在の百姓湯治場として栄えた温泉地です。
寒湯治、春湯治、夏湯治と、農閑期になると農民たちが味噌やしょう油、米、漬け物などを抱えて長期滞在にやってきました。
時代の変化とともに、湯治文化も衰退し、いつしか温泉地は湯治場から観光地へと変貌してしまったのです。
そんな平成の現代において、四万温泉で今も湯治客中心に商いをつづけている宿が「竹葉館」です。
「昭和40年代は、まだ湯治客がたくさん四万温泉にやってきていましたよ。夏の前半は都会の人、後半は農家の人たちで、予約表は毎年、ビッシリと埋まっていました」と、2代目主人の折田勝美さんは言います。
最低でも1週間、長い人は半月~数ヶ月と滞在して、疲れや持病を癒やしたといいます。
「今は2~3泊の人が多いね。それでも糖尿病や胃腸病を癒やしに、長期滞在するお年寄りもいます」
同館は、半自炊の宿です。
旅館で用意する食事は、ご飯とみそ汁だけ。おかずは、調理場を使って、宿泊客が自分で作って食べます。
だから当然、食料の持ち込みは可。酒類もです。
浴室は四万川を望む男女別の内風呂が1つずつあるだけ。
湯は、対岸の源泉地からパイプが川を渡り、そのまま湯口に注ぎ込まれる様子が湯舟の中から見えます。
もちろん加水なし、加温なし、完全かけ流しです。
源泉の温度が高いのでは夏は熱いかもしれませんね。窓の開閉のみで温度調節をしています。
「それでも熱いときは、みなさん水道のホースを抱えて入っています(笑)」と主人。
でも、この時季は、ちょうど良い湯加減でした。
ぬるからず、熱からず、まさに長湯のできる湯治向きの温度です。
今度、スタッフと食料を持ち込んで、自炊しながら取材活動をつづけてみようと思います。
合宿みたいで、楽しいでしょうね。
現在、四万温泉には37軒の旅館と民宿があります。これに対して、源泉の数は43本。
1軒あたりの源泉所有率は、全国でもトップクラスです。
その豊富な湯量の源泉を所有したり、古くから旅館業オンリーで“湯”を客人に提供してきた老舗宿のことを「四万17軒」と地元では呼んでいます。
昨日は、その17軒の1つ、昭和17年創業の湯治宿「竹葉館(ちくようかん)」にお邪魔して、話を聞いてきました。
四万温泉は、5つの地区に分かれています。
もっとも歴史の古いのが「新湯(あらゆ)」「山口」、その後「温泉口」「日向見(ひなたみ)」「ゆずりは」と、温泉街が広がりました。
「竹葉館」は四万川の下流、一番手前の「温泉口」にあります。
ゆるやかな坂道の途中、昨日から降り続いた雨に濡れた路面が、朝日を浴びてキラキラと光り輝いています。
旅館の建物は、創業当時のまま。
古き良き、湯治文化を今に伝える老舗宿です。
四万温泉は、草津や伊香保と異なり、近在の百姓湯治場として栄えた温泉地です。
寒湯治、春湯治、夏湯治と、農閑期になると農民たちが味噌やしょう油、米、漬け物などを抱えて長期滞在にやってきました。
時代の変化とともに、湯治文化も衰退し、いつしか温泉地は湯治場から観光地へと変貌してしまったのです。
そんな平成の現代において、四万温泉で今も湯治客中心に商いをつづけている宿が「竹葉館」です。
「昭和40年代は、まだ湯治客がたくさん四万温泉にやってきていましたよ。夏の前半は都会の人、後半は農家の人たちで、予約表は毎年、ビッシリと埋まっていました」と、2代目主人の折田勝美さんは言います。
最低でも1週間、長い人は半月~数ヶ月と滞在して、疲れや持病を癒やしたといいます。
「今は2~3泊の人が多いね。それでも糖尿病や胃腸病を癒やしに、長期滞在するお年寄りもいます」
同館は、半自炊の宿です。
旅館で用意する食事は、ご飯とみそ汁だけ。おかずは、調理場を使って、宿泊客が自分で作って食べます。
だから当然、食料の持ち込みは可。酒類もです。
浴室は四万川を望む男女別の内風呂が1つずつあるだけ。
湯は、対岸の源泉地からパイプが川を渡り、そのまま湯口に注ぎ込まれる様子が湯舟の中から見えます。
もちろん加水なし、加温なし、完全かけ流しです。
源泉の温度が高いのでは夏は熱いかもしれませんね。窓の開閉のみで温度調節をしています。
「それでも熱いときは、みなさん水道のホースを抱えて入っています(笑)」と主人。
でも、この時季は、ちょうど良い湯加減でした。
ぬるからず、熱からず、まさに長湯のできる湯治向きの温度です。
今度、スタッフと食料を持ち込んで、自炊しながら取材活動をつづけてみようと思います。
合宿みたいで、楽しいでしょうね。
2010年12月14日
四万温泉 「三木屋旅館」
「あら、もう、あれから2年も経つんですか?」
四万(しま)温泉「三木屋旅館」の3代目女将、田村洋子さんに前回、お会いしたのは2008年の夏でした。
JR東日本の「小さな旅」の取材で、お世話になりました。
今回は、僕の出版本の取材に全面的に協力してくださることになり、昨晩は泊めていただきました。
しかし、昨日は、あいにく雨模様の一日……。
半日、歩き疲れた僕とカメラマン氏が「三木屋旅館」たどり着いたのは、すでに日没近く。
それでも女将は、「雨の中、大変でしたね。お疲れでしょう。取材は、いつでもいいですから、とりあえず部屋でくつろいでください」と、満面の笑みで迎えてくれたのです。
こんな時、つくづく「ああ、温泉宿っていいなぁ」と感じてしまいました。
部屋に通され、旅装を解いて、浴衣に着替え、2階の窓から外を望めば、オレンジ色の光に四万川のせせらぎがライトアップされています。
各旅館から流れ込む湯のけむりと、山肌に立ち上る雨けむり……。
なんとも幻想的な景色が、眼前に広がります。
「どうします? 先に露天風呂の撮影を済ませちゃいます?それとも……」と僕。
「やっぱり、とりあえず “それとも” でしょう」とカメラマン氏。
まー、部屋に着いたら、とりあえずのビールは、お約束の1つです。
僕も、ちょっとカメラマン氏を、からかってみただけなのです。
こちらの露天風呂は、一浴の価値大ありですぞ!
宿の裏手からサンダルに履き替えて、傘をさして、石段を上ります。
すると路地のような小さな道を渡り、ふたたび石段を上ります。
要は、裏山の斜面に浴室があるのです。
小屋の中には、男女別の2つ浴室があります(夜間は貸切になります)。
高台からの眺めは、絶景です。
対岸の山並みと深い森を眺めながら、総木造りの湯舟に浸かると、下方から清流の音が聴こえてきます。
カメラマン氏が撮影していることも忘れて、ついウトウトとしてしまいました。
「オーケーです。もう、いいですよ。小暮さん、終わりました!」
ああ、このまま、今日の仕事は終わりにしましょうよ~。
えっ、まだ終わってない?
そーでした。
このあと、女将さんとご主人に、大正元年創業の老舗旅館の歴史話をお聞きする約束をしていたのです。
「仕事を終えたら、また、ゆっくり入りに来ましょう」とカメラマン氏。
ハイハイ、分かりました。
なんだか、因果な商売ですな。
仕事の入浴とプライベートの入浴を、使い分けなくてはならないなんて。
ま、全部プライベートだったら、とっくに僕は、自己破産していますけどね。
2010年12月13日
温泉本第3弾、始動!
来年のことを言うと、“鬼が笑う”といいますが、僕らの業界では、鬼さんを一年中くすぐりっぱなしであります。
週刊誌なら週単位、月刊誌なら月単位の制作ですが、出版本となるば、企画 → 段取り → 取材 → 執筆 → 編集 → 校正 → 印刷 ……といった長い長い道のりをたどります。鬼さんの笑いになんて、付き合ってはいられません。
ということで、本日より、来年秋に出版される温泉本第3弾の取材に入ります!
「一軒宿」、「小さな温泉」ときて、次は?
みなさんから、良く聞かれる質問ですが、それは当然、企業秘密であります。
でも、群馬にはまだまだ、温泉地がたくさんありますよね。
2冊の本で紹介した温泉地は、2つ合わせても、まだ68温泉地です。
いつか(数年のうちに) 群馬県内のすべての温泉地を世に出すことが、僕の夢(?)いや、使命ですかね。
では、これより、9ヶ月間の長い長い温泉行脚の旅へ出かけてきます。
今夜の宿は、どこかって?
それは、明日の、このブログで。
行ってきま~す!
週刊誌なら週単位、月刊誌なら月単位の制作ですが、出版本となるば、企画 → 段取り → 取材 → 執筆 → 編集 → 校正 → 印刷 ……といった長い長い道のりをたどります。鬼さんの笑いになんて、付き合ってはいられません。
ということで、本日より、来年秋に出版される温泉本第3弾の取材に入ります!
「一軒宿」、「小さな温泉」ときて、次は?
みなさんから、良く聞かれる質問ですが、それは当然、企業秘密であります。
でも、群馬にはまだまだ、温泉地がたくさんありますよね。
2冊の本で紹介した温泉地は、2つ合わせても、まだ68温泉地です。
いつか(数年のうちに) 群馬県内のすべての温泉地を世に出すことが、僕の夢(?)いや、使命ですかね。
では、これより、9ヶ月間の長い長い温泉行脚の旅へ出かけてきます。
今夜の宿は、どこかって?
それは、明日の、このブログで。
行ってきま~す!
2010年12月12日
赤城温泉 「赤城温泉ホテル」②
赤城温泉「赤城温泉ホテル」の10代目主人、東宮秀樹さんから、お便りをいただきました。
「先日、ご出版の宴のお誘いを頂き、ご出席させていただく予定を立てておりましたにもかかわらず、ご出席できず大変申し訳ございませんでした」という、大変丁寧なお手紙でした。
秀樹さん、ありがとうございます。
丁寧かつ達筆のお便りに、胸の奥のほうがジーンと熱くなるのを感じました。
逆に、恐縮してしまいます。
秀樹さんの人柄が、そのまま文字と行間から伝わってくる、実に心温まる一文でした。
先日の出版パーティーでは、2冊の著書『ぐんまの源泉一軒宿』と『群馬の小さな温泉』で取材・掲載した計86軒の宿へ案内状を送らせていただきました。
季節は紅葉の真っ盛り、宿としては一年でも最も忙しいハイシーズンです。
出席してくださったご主人や女将さんもいらっしゃいましたが、この書き入れ時に宿を空けるのは、所詮無理というもの。
まして僕が取材をした宿は、一軒宿や小さな温泉のお宿ばかりです。従業員もいない、家族だけでやっている宿がほとんどなのですから。
その無理を承知で、取材協力してくれたお礼を込めて、案内状を出させていただいたのです。
取材で「赤城温泉ホテル」を訪れたのは、今年の4月でした。
泊めていただき、秀樹さんとは東宮家と小暮家の話で盛り上がりました。
以前もブログに書きましたが、僕と秀樹さんは、はとこ同士です。
秀樹さんの祖父、8代目主人の東宮欣一さんが、僕の祖母と姉弟なのです。
だから、僕のルーツをたどれば東宮家、それもここ「あづまや」(赤城温泉ホテルの旧名)にたどり着くのであります。
開湯500年の歴史を持つ茶褐色の湯は、僕のばあちゃんが産湯をつかったルーツの湯。
僕のオフクロも子供の頃に、湯治に通った一族の湯なのであります。
その湯を、平成の今も守り継いでいる湯守(ゆもり)が、10代目の秀樹さんです。
秀樹さん、大変でしょうが、我が一族の湯を守り継いでくださり、誠にありがとうございます。
死んだばあちゃんに代わって、お礼を申し上げます。
2010年12月11日
NHK「群馬の力」に生出演!
昨日の夕方から、NHK前橋放送局にて、アナウンサーの鈴木桂一郎さんと、打ち合わせをしてきました。
何のか?
はい、新春一発目の仕事として、1月4日のNHK-FM 「群馬百年インタビュー・たすきでつなげ群馬の力」という番組に、生出演することになったのです。昨夜は、鈴木氏との顔合わせと、簡単な進行の打ち合わせでした。
ラジオ出演にしては、バカに念入りじゃないかって?
はい、この番組は40分のロングインタビュー番組で、毎月テーマを決めて、毎週火曜日に放送されています。
2011年の1月のテーマは『温泉の力』。
と、いうことで、シリーズ1回目は、「群馬の秘湯・源泉・一軒宿」と題して、僕がお話をすることになりました。
40分間といえば、ちょっとしたセミナーの講義の長さです。
局側が用意した構成表も、A4用紙にして5枚もあります。
今回は、サラッと流れだけを話し合い、今後は鈴木氏とメールのやり取りで内容を詰めることにしました。
最終すり合わせは、当日のオンエア前ということで、昨夜は解散しました。
かなり掘り下げたマニアックな質問も用意されていて、ラジオでは今までにないトークになりそうです。
NHKということで、こちらも気をつかっていたのですが、鈴木氏のほうが 「塩素問題は私も気になっていたんですよ。どうぞどうぞ、話しちゃってください」なんて言われたものだから、こちらのほうが戸惑っています。
講演会ならいざしらず、メディアでは流せないタブーが業界にはたくさんありますからね。
ま、お正月ですから、みんなが温泉に行きたくなるような楽しい温泉話をしてきますよ。
生放送および再放送される日時は、下記のとおりです。
●放送局/NHK-FM 81.6MHz
●番組名/群馬百年インタビュー「たすきでつなげ群馬の力」
温泉の力 『群馬の秘湯・源泉・一軒宿』
●日 時/2011年1月4日 午後5時20分~6時 (生放送)
1月7日 午後5時20分~6時 (再放送)
2010年12月10日
月夜野温泉 みねの湯 「つきよの館」③
「小暮さんも、ぜひ、ご一緒に、どーぞ」
なーんて、女将の甘い言葉に誘惑されて、月夜野温泉「つきよの館」へ行ってきました。
本当に、僕は関係ないんです。
アートディレクターのK氏とウェブデザイナーK君の仕事なんですから、完全に僕は、温泉と料理をたかりに行ったハイエナのようなヤツなんです。
宿に着くなり、K氏とK君は、ノートパソコンを開いて、取材の打ち合わせ始めました。
2人は、同館のホームページの制作を依頼されているのです。
僕は……、はい、用ナシですから、することがありません。
温泉入って、湯上りの生ビール飲んで、あとは何しようか?
一応、暇つぶしに文庫本を持参してきたのですが……。
では、2人の邪魔にならないように、風呂でも行ってくるか…と、腰を上げようとしたときです。
「そーだ! 小暮さんの入浴シーンを入れましょう!」とK氏。
「そーですね」とK君。
「温泉ライター、小暮淳氏も絶賛! 秘湯の一軒宿、でどう? あ、何かひと言コメント入れてください」
「別に、いつも本では裸ですから、ホームページくらい、なんてことないけど」と僕。
「そのほうが、小暮さんも気がラクでしょう?」
ははは、これはK氏の気づかいなんですね。
これで、今夜のお泊りは、タダ酒じゃなくなるというストーリーです。
“モデル” というお仕事をしに、わざわざやって来たのですから。
そこへ女将、登場。
「小暮さんに、モデルになってもらおうと思って」とK氏。
「まぁ、うれしい! 小暮さんのブログを見て来た、というお客さんもいるんですよ。“原稿執筆の常宿” とかなんとか書いておいてくださいよ」と女将。
結局、その晩は、着物姿の女将と浴衣姿の僕が、♪熱燗徳利の首つまんで、もう一杯いかがなんて、みょうに色っぽいね~♪の図を演じ、バシバシと写真に撮られ、ホームページに載せることになってしまいました。
「つきよの館」は、夏にホタルを観に来て以来、半年ぶりのお泊りです。
女将の都筑理恵子さんとは、長い付き合いになってきました。
今でも食堂には、何年も前に僕が書いた雑誌の記事が飾ってあります。
うれしいですね。
女将さん、ごちそうさまでした。
このご恩は、ホームページの友情出演という形でお返しします。
月夜野温泉「つきよの館」のホームページは、新年1月中に開設される予定です。
ぜひ、みなさん、クリックを!
なーんて、女将の甘い言葉に誘惑されて、月夜野温泉「つきよの館」へ行ってきました。
本当に、僕は関係ないんです。
アートディレクターのK氏とウェブデザイナーK君の仕事なんですから、完全に僕は、温泉と料理をたかりに行ったハイエナのようなヤツなんです。
宿に着くなり、K氏とK君は、ノートパソコンを開いて、取材の打ち合わせ始めました。
2人は、同館のホームページの制作を依頼されているのです。
僕は……、はい、用ナシですから、することがありません。
温泉入って、湯上りの生ビール飲んで、あとは何しようか?
一応、暇つぶしに文庫本を持参してきたのですが……。
では、2人の邪魔にならないように、風呂でも行ってくるか…と、腰を上げようとしたときです。
「そーだ! 小暮さんの入浴シーンを入れましょう!」とK氏。
「そーですね」とK君。
「温泉ライター、小暮淳氏も絶賛! 秘湯の一軒宿、でどう? あ、何かひと言コメント入れてください」
「別に、いつも本では裸ですから、ホームページくらい、なんてことないけど」と僕。
「そのほうが、小暮さんも気がラクでしょう?」
ははは、これはK氏の気づかいなんですね。
これで、今夜のお泊りは、タダ酒じゃなくなるというストーリーです。
“モデル” というお仕事をしに、わざわざやって来たのですから。
そこへ女将、登場。
「小暮さんに、モデルになってもらおうと思って」とK氏。
「まぁ、うれしい! 小暮さんのブログを見て来た、というお客さんもいるんですよ。“原稿執筆の常宿” とかなんとか書いておいてくださいよ」と女将。
結局、その晩は、着物姿の女将と浴衣姿の僕が、♪熱燗徳利の首つまんで、もう一杯いかがなんて、みょうに色っぽいね~♪の図を演じ、バシバシと写真に撮られ、ホームページに載せることになってしまいました。
「つきよの館」は、夏にホタルを観に来て以来、半年ぶりのお泊りです。
女将の都筑理恵子さんとは、長い付き合いになってきました。
今でも食堂には、何年も前に僕が書いた雑誌の記事が飾ってあります。
うれしいですね。
女将さん、ごちそうさまでした。
このご恩は、ホームページの友情出演という形でお返しします。
月夜野温泉「つきよの館」のホームページは、新年1月中に開設される予定です。
ぜひ、みなさん、クリックを!