2011年02月05日
四万温泉 「白岩館」「もりまた旅館」
四万温泉との付き合いは、もうかれこれ20年以上になります。
最初に泊まった旅館は、積善館でした。若女将や副社長(当時)が友人だったこともあり、年に数回は遊びに行ってました。
四万温泉に頻繁に通うようになったのは11年前から。2000年10月に開催された四万温泉協会主催による「探四万展(さがしまてん)」というイベントに参加してからです。これは、四万温泉にアーティストを呼んで、四万温泉をテーマにして作品を作ってもらい、展示および商品化するというものでした。
僕は、コピーライターとして参加。エッセイと水彩画を出展しました(現在、僕の作品は鍾寿館のロビーに展示されています)。
あれから10年経った昨年。
ある考えが、浮上しました。
僕の愛すべき四万温泉に、ぜひ恩返しがしたい。
もとはといえば、僕が温泉ライターとなったきっかけも 「探四万展」 に参加したことにあります。
現在、四万温泉には37軒の旅館・ホテル・民宿があります。
そのすべての宿を訪ねて、すべての宿を文字で表現してみたくなったのです。
当然、僕ひとりの力では無理です。
たくさんの人の理解と協力なしでは、成し上げることはできません。
しかし、願いとは、強く強く念じていれば、叶うものなのですね。
四万温泉協会はじめ、旅館経営者の全面協力を得て、こうやって昨年の暮れより、四万温泉の全宿制覇を目指して、取材に入っています。
四万温泉は、5つの地区に分かれています。
それらの地区は、四万川の右岸と左岸に交互に温泉街を形成しています。ですから、地区から地区へ行くには、橋を渡らなくてはなりません。
ところが一番手前の「温泉口」と「山口」の地区だけは、四万川の左岸に連なっていて、その境界線が判然としないのです。
どこまでが「温泉口」で、どこからが「山口」なのか?
どうでもいいことなのですが、僕にとっては素朴な疑問でした。
でも、今回の取材で、スッキリしました。
境界線を見つけたのです。
「白岩館」と「もりまた旅館」
2軒並んでありますが、左の「白岩館」が温泉口地区、右の「もりまた旅館」が山口地区でした。
どちらも、客室7部屋と8部屋という小さな宿です。長期滞在の湯治客相手のお宿です。
「白岩館」の主人、島村岩雄さんは3代目。昭和10年の創業。
「ここは昔、四万村(しまむら)と呼ばれていて、島村姓は一番古い名字なんですよ」と、教えてくれました。
なるほど、また1つ、知られざる四万のこぼれ話をゲットすることができました。
お隣の「もりまた旅館」の主人、森五郎さんは大正14年生まれ。御歳85歳にして、現役の湯守であります。
開口一番、「四万のことなら、俺に何でも聞いてくれ!」
元気なおじいちゃんであります。僕の父とほぼ同世代なのに、この違いは、やはり温泉に毎日入っているからでしょうか。
現在は、役場に勤める長男の嫁で若女将のきよ子さんと、2人で切り盛りをしています。
「この歳まで元気でいられるのは、もちろん温泉のおかげさ! 話なんかいいから、湯に入って来い。とにかく、うちは湯がいいんだ。ただ、熱いぞ!」
そう主人に追い立てられて、浴室へ行ってみて、驚きました。
ザバー、ザバーと勢い良く、滝のように浴槽から湯があふれ出ているのです。それも熱い!
源泉の温度は56.7℃、そのまま流し入れられています。
入るときだけホースから水を入れましたが、もったいないので、あとは我慢、我慢。
でも「熱っ」と思うの、最初の数秒だけで、すぐにツーっと染み入るように湯が体に入り込んできて、慣れてしまいました。
いい湯というものは、体液に近い還元系だと聞きますが、まさに母親の胎内にいるような心地よさなのであります。
四万温泉には、43本の源泉があります。
そして、そのほとんどが自然湧出泉です。
夏までには、43本すべての源泉を、制覇してみせますぞっ!
最初に泊まった旅館は、積善館でした。若女将や副社長(当時)が友人だったこともあり、年に数回は遊びに行ってました。
四万温泉に頻繁に通うようになったのは11年前から。2000年10月に開催された四万温泉協会主催による「探四万展(さがしまてん)」というイベントに参加してからです。これは、四万温泉にアーティストを呼んで、四万温泉をテーマにして作品を作ってもらい、展示および商品化するというものでした。
僕は、コピーライターとして参加。エッセイと水彩画を出展しました(現在、僕の作品は鍾寿館のロビーに展示されています)。
あれから10年経った昨年。
ある考えが、浮上しました。
僕の愛すべき四万温泉に、ぜひ恩返しがしたい。
もとはといえば、僕が温泉ライターとなったきっかけも 「探四万展」 に参加したことにあります。
現在、四万温泉には37軒の旅館・ホテル・民宿があります。
そのすべての宿を訪ねて、すべての宿を文字で表現してみたくなったのです。
当然、僕ひとりの力では無理です。
たくさんの人の理解と協力なしでは、成し上げることはできません。
しかし、願いとは、強く強く念じていれば、叶うものなのですね。
四万温泉協会はじめ、旅館経営者の全面協力を得て、こうやって昨年の暮れより、四万温泉の全宿制覇を目指して、取材に入っています。
四万温泉は、5つの地区に分かれています。
それらの地区は、四万川の右岸と左岸に交互に温泉街を形成しています。ですから、地区から地区へ行くには、橋を渡らなくてはなりません。
ところが一番手前の「温泉口」と「山口」の地区だけは、四万川の左岸に連なっていて、その境界線が判然としないのです。
どこまでが「温泉口」で、どこからが「山口」なのか?
どうでもいいことなのですが、僕にとっては素朴な疑問でした。
でも、今回の取材で、スッキリしました。
境界線を見つけたのです。
「白岩館」と「もりまた旅館」
2軒並んでありますが、左の「白岩館」が温泉口地区、右の「もりまた旅館」が山口地区でした。
どちらも、客室7部屋と8部屋という小さな宿です。長期滞在の湯治客相手のお宿です。
「白岩館」の主人、島村岩雄さんは3代目。昭和10年の創業。
「ここは昔、四万村(しまむら)と呼ばれていて、島村姓は一番古い名字なんですよ」と、教えてくれました。
なるほど、また1つ、知られざる四万のこぼれ話をゲットすることができました。
お隣の「もりまた旅館」の主人、森五郎さんは大正14年生まれ。御歳85歳にして、現役の湯守であります。
開口一番、「四万のことなら、俺に何でも聞いてくれ!」
元気なおじいちゃんであります。僕の父とほぼ同世代なのに、この違いは、やはり温泉に毎日入っているからでしょうか。
現在は、役場に勤める長男の嫁で若女将のきよ子さんと、2人で切り盛りをしています。
「この歳まで元気でいられるのは、もちろん温泉のおかげさ! 話なんかいいから、湯に入って来い。とにかく、うちは湯がいいんだ。ただ、熱いぞ!」
そう主人に追い立てられて、浴室へ行ってみて、驚きました。
ザバー、ザバーと勢い良く、滝のように浴槽から湯があふれ出ているのです。それも熱い!
源泉の温度は56.7℃、そのまま流し入れられています。
入るときだけホースから水を入れましたが、もったいないので、あとは我慢、我慢。
でも「熱っ」と思うの、最初の数秒だけで、すぐにツーっと染み入るように湯が体に入り込んできて、慣れてしまいました。
いい湯というものは、体液に近い還元系だと聞きますが、まさに母親の胎内にいるような心地よさなのであります。
四万温泉には、43本の源泉があります。
そして、そのほとんどが自然湧出泉です。
夏までには、43本すべての源泉を、制覇してみせますぞっ!
2011年02月04日
そろそろ講演準備
2月7日(月)に水上温泉 「松乃井」にて、基調講演を行います。
当日まで、あと3日しかありません。
と、いうことで、今日の午前中、あわてて本の納品を兼ねて打ち合わせに行って来ました。
訪ねたのは、今回の講演の主催者である(社)群馬県旅行業協会の事務局です。
本当は、もっと早く、なんでも準備しなくてはならないのでしょうが、出張取材が立て込んでいて、気が付いたら今日になってしまいました。
当日は、著書の販売をしてくれるとのこと。また、講演後に抽選会があり、僕の本がプレゼントされるということで、ダンボール箱2個に著書を詰めて、エッチラ、エッチラと事務局まで届けてきたのです。
通常ですと、会場まで著者自らが車で運ぶか、出版元が販売に行くのですが、今回は主催者側の買取もあったもので、前もって届けました。そして、最大の理由は、会場が豪雪地の水上温泉ということ。
実は……
僕の車は、スタッドレスを履いていないのですよ。
そう言うと、「ええー?」と、よく驚かれるのですが、僕の場合、取材はすべて編集者かカメラマンが乗せて行ってくれるものですから、真冬でもノーマルタイヤのままなのです(お恥ずかしい話…)
と、いうことで当日は、水上まで電車で行くことにしました。
手荷物は少なめにして、カラダ1つで行ってきます。
ただ、注意しなくてはならないことが1つだけあります。
はい、酒です。
電車に乗ると、酒を飲むクセがあるんですねぇ~。
分かっています。講演が終わるまで我慢することを誓いますって。
そろそろレジュメを作らんとなりません。
レジュメとは、講演内容を要約してまとめたものです。
講演を依頼されたことのある人は、ご存知かと思いますが、依頼を承諾すると先方から依頼書が届き、まず、「演題」と「プロフィール」、「顔写真」 を提出します。
次に、少し間をおいて「レジュメ」を制作して送ると、当日、会場にてプリントが聴講者に講演の資料として配付されます。
えっ、じゃあ、なんで今頃になってレジュメを作るんだって?
いい、質問です。
はい、僕は以前は、ちゃんと1ヶ月前までにレジュメを完成させて、主催者へ送っていたのです。
が、毎回毎回、レジュメがレジュメの意味をなさないのですよ。
要は、話が脱線して戻らなくなったり、前説が長くなり過ぎたり、前半で熱く語り過ぎて時間が無くなってしまったり……と、理由はさまざまなのですが、レジュメ通りに講演をしたためしがありません。
ということで、最近は、レジュメを提出していないのです。
それでも、講演をお受けした以上は、自分用のレジュメくらい作っておかないと……。と、重い腰を上げました。話の進行表程度のものを、手描きで作ります。
ま、それでも当日になれば、全然見ないで話を進めてしまうんですけどね。
現在、僕の話のネタは2パターン用意してあります。
1つは、素人さん用です。公民館の教室や企業のセミナーでは、温泉の基礎知識から話し出します。
もう1つは、業界用です。
過去にも、群馬県や長野県の温泉協会からの依頼で、研修会講師を頼まれたことがありました。
この場合、基礎知識は要りません。もっと、発展的な温泉地の現状と将来をテーマに話をします。
さて、今回の聴講者は、旅行業に携わる方々です。
なかには、温泉で仕事をしているのプロの方もいます。
となれば、話の内容も変えなくてはなりません。
…… う~ん ……
難しいですなぁ。
ま、なんとかなるでしょう。今晩、考えてみます。
それより、今から、講演後の懇親会が楽しみでなりません。
せっかく水上温泉まで電車で行くのですから、日帰りではもったいないじゃあーりませんか!
しっかり、その晩は、部屋を取ってもらいました。
これで、心置きなく、酒が飲めるというものです。
めでたし、めでたし。
当日まで、あと3日しかありません。
と、いうことで、今日の午前中、あわてて本の納品を兼ねて打ち合わせに行って来ました。
訪ねたのは、今回の講演の主催者である(社)群馬県旅行業協会の事務局です。
本当は、もっと早く、なんでも準備しなくてはならないのでしょうが、出張取材が立て込んでいて、気が付いたら今日になってしまいました。
当日は、著書の販売をしてくれるとのこと。また、講演後に抽選会があり、僕の本がプレゼントされるということで、ダンボール箱2個に著書を詰めて、エッチラ、エッチラと事務局まで届けてきたのです。
通常ですと、会場まで著者自らが車で運ぶか、出版元が販売に行くのですが、今回は主催者側の買取もあったもので、前もって届けました。そして、最大の理由は、会場が豪雪地の水上温泉ということ。
実は……
僕の車は、スタッドレスを履いていないのですよ。
そう言うと、「ええー?」と、よく驚かれるのですが、僕の場合、取材はすべて編集者かカメラマンが乗せて行ってくれるものですから、真冬でもノーマルタイヤのままなのです(お恥ずかしい話…)
と、いうことで当日は、水上まで電車で行くことにしました。
手荷物は少なめにして、カラダ1つで行ってきます。
ただ、注意しなくてはならないことが1つだけあります。
はい、酒です。
電車に乗ると、酒を飲むクセがあるんですねぇ~。
分かっています。講演が終わるまで我慢することを誓いますって。
そろそろレジュメを作らんとなりません。
レジュメとは、講演内容を要約してまとめたものです。
講演を依頼されたことのある人は、ご存知かと思いますが、依頼を承諾すると先方から依頼書が届き、まず、「演題」と「プロフィール」、「顔写真」 を提出します。
次に、少し間をおいて「レジュメ」を制作して送ると、当日、会場にてプリントが聴講者に講演の資料として配付されます。
えっ、じゃあ、なんで今頃になってレジュメを作るんだって?
いい、質問です。
はい、僕は以前は、ちゃんと1ヶ月前までにレジュメを完成させて、主催者へ送っていたのです。
が、毎回毎回、レジュメがレジュメの意味をなさないのですよ。
要は、話が脱線して戻らなくなったり、前説が長くなり過ぎたり、前半で熱く語り過ぎて時間が無くなってしまったり……と、理由はさまざまなのですが、レジュメ通りに講演をしたためしがありません。
ということで、最近は、レジュメを提出していないのです。
それでも、講演をお受けした以上は、自分用のレジュメくらい作っておかないと……。と、重い腰を上げました。話の進行表程度のものを、手描きで作ります。
ま、それでも当日になれば、全然見ないで話を進めてしまうんですけどね。
現在、僕の話のネタは2パターン用意してあります。
1つは、素人さん用です。公民館の教室や企業のセミナーでは、温泉の基礎知識から話し出します。
もう1つは、業界用です。
過去にも、群馬県や長野県の温泉協会からの依頼で、研修会講師を頼まれたことがありました。
この場合、基礎知識は要りません。もっと、発展的な温泉地の現状と将来をテーマに話をします。
さて、今回の聴講者は、旅行業に携わる方々です。
なかには、温泉で仕事をしているのプロの方もいます。
となれば、話の内容も変えなくてはなりません。
…… う~ん ……
難しいですなぁ。
ま、なんとかなるでしょう。今晩、考えてみます。
それより、今から、講演後の懇親会が楽しみでなりません。
せっかく水上温泉まで電車で行くのですから、日帰りではもったいないじゃあーりませんか!
しっかり、その晩は、部屋を取ってもらいました。
これで、心置きなく、酒が飲めるというものです。
めでたし、めでたし。
2011年02月03日
四万温泉 「四万やまぐち館」
△□○
これ、なんて読むか分かりますか?
昨日は昼過ぎから四万温泉に潜入。
今日の昼まで、取材活動を続けていました。
以前にも書きましたが、四万温泉は渓流沿いに4kmつづく、細長い温泉地です。
手前から「温泉口」「山口」「新湯(あらゆ)」「ゆずりは」「日向見(ひなたみ)」の順で5つの温泉街が形成されています。
今回は、もっとも古い温泉街といわれている山口地区を取材しました。
昨日の四万温泉は、数日前に降った雪が凍って、旅館の軒はつらら下がり、道の端は凍結していて、大変危険な状態でした。何度も滑りそうになりましたよ。僕もカメラマンも底に溝のある靴を履いていたにもかかわらずです。ヒールや底が平らな革靴では、散策は不可能です。この時季、訪ねる人は注意してください。
夜は、四万温泉屈指の老舗旅館 「四万やまぐち館」 に泊めていただきました。
社長の田村亮一さんは、群馬県観光国際協会の理事長でもあります。また、昨年から僕がお世話になっている同業異種交流会「メディア懇親会」でも、幾度となく顔を合わせている方で、何よりも、昨年の出版記念パーティーでは、乾杯の音頭をとってくださった方でもあり、僕にとっては、公私共に日々大変お世話になっている恩人なのです。
そして女将は、みなさんよーくご存知の田村久美子さんであります。
グルコサミンのCMで、お馴染みの群馬の温泉地が誇る美人女将であります。
僕自身、「四万やまぐち館」 は取材で訪れたことは、たびたびあったのですが、宿泊するのは昨晩が初めてでした。
社長の配慮もあり、かなりの待遇で、もてなされてしまいました。
社長、本当にありがとうございました。
夕食の後、ほろ酔い気分で、4階のお祭り広場へ。
毎晩、開催されている名物 「女将の紙芝居」 を拝見、拝聴しました。
時節柄、お題目は「雪おんな」。
さすが芸達者な女将さんです。
感情たっぷりの名朗読で、観衆を魅了していました(本当に恐かった!)。
その後は、スタッフによる太鼓演奏と、ふたたび女将が登場し、“懐かしの歌声広場” となりました。
「りんごの歌」や「みかんの花咲く丘」「早春譜」などなど、本当に懐かしい歌(僕の知らないくらい古い歌もありました)のオンパレードで、観客たちは大合唱していました。
イベント終了後、「もうひと風呂浴びて、部屋にもどって飲みなおしましょうか……」とカメラマン氏と話していると、女将が僕らのところへやって来て、「良かったらビールでも、ご一緒にいかがてすか?」と誘ってくださいました。
願ったり叶ったり、ちょうどノドも乾いていたし、こんな美人女将と酒が飲めるなんて、なんたる幸せか!
ということで、凍結した滝と四万川がライトアップされた絶景を見下ろす茶房にて、「お疲れさま」の乾杯をしたのでした。
座に社長も加わり、四万温泉の今昔話に花が咲き、貴重な女将と社長の新婚時代、はたまた女将の若女将時代の奮闘話も聞くことができました。
生きた取材、っていうヤツですかね。
ネタになるような、面白い話がたくさん拾えた、有意義な時間でした。
それにしても、グルコサミンは凄い!
女将の美しさは、半端じゃねーっす(惚れちまうやろ!)。
※ △□○ と書いて「やまぐちかん」と読みます。
2011年02月01日
倉渕温泉 「長寿の湯」
今日は、僕の大好きなオバチャンに会いに行って来ました。
倉渕温泉「長寿の湯」の女将、川崎節子さんです。
はじめてお会いしたのは、確か5年前の今頃。
雑誌の取材で、泊まりました。
「女将さんに、つかまるなよだって! 私はさ、話好きだからね」
宿に着くなり、女将の人柄に魅了されてしまったのです。
それまで、温泉旅館の女将といえば、着物姿で、上品で、ちょっと世界観の違う人たちのイメージでしたから、割烹着を着て、声高に笑う川崎さんは、なんとも庶民的で、すぐに溶け込んでしまいました。
いい宿の条件は、人それぞれだと思います。
湯が良くて、宿に情緒があれば、まずは文句がありません。
さらに料理がうまくて、景観が良ければ、申し分ありません。
でも、そこに人情が加われば、それが旅のスパイスです。
だから、僕はいつも温泉地へは、“湯と宿と人” に会いに行くのだと思っています。
今日の女将も、絶好調でした。
「やーんだ、今日は温泉の取材じゃないの? 私の写真も撮るの? あらら、化粧してないし、髪もそのままよ。時間ある? 大丈夫? 悪いわね、コーヒー入れるから飲んで待っててくれる。すぐ着替えてくるからさ!」
てな具合です。
はじめて会った時と、全然変わっていません。
「ああ、相変わらずの女将さんで、いいなぁ……」と、なんだかホッとすると同時に、嬉しくなっちゃいました。
今回は、新聞連載の取材です。
それも、メインは女将のインタビュー。
山梨生まれで、東京で結婚生活を送っていた川崎さんが、ある日、突然、縁もゆかりもない群馬の山奥の温泉宿の女将になることになってしまった、波乱万丈な孤軍奮闘話を聞いてきました。
このシリーズは、今月9日から朝日新聞に新連載される温泉宿の女将たちを紹介するエッセイです。
が!
なぜか
今回も、僕の入浴写真付きです。
掲載媒体やカメラマンは変わっても、なぜか、僕の入浴シーンの撮影はお約束のようです。
業界では、そのイメージが定着しているのですかね?
ちょっと笑い話があります。
温泉の撮影って、難しいんです。
浴室が湯気で煙るし、カメラのレンズも煙ります。
ま、その辺は、カメラマンの I 氏も心得ているので、難なくこなしました。
が、前回の取材を済ませて、僕が文章を送った時のことです。
I 氏から電話がかかってきました。
「小暮さん、大変です。僕のミスです。小暮さんを撮った写真、すべて股間が写っていました!」
実際にメールで送ってもらった写真を見てみると……
あらららららーーー!
黒々なーんてもんじゃありません。その中に、キノコまで生えているじゃあーりませんか~~!
結局、シリーズ1話から、写真にボカシ修正を入れることになりましたとさ。
そんな教訓がありますから、今日の I 氏は慎重です。
僕の股間が写らないように、低いアングルで撮ったり、位置を変えて撮ったり、工夫をしてくれました。
内風呂の撮影を終えて、今度は露天風呂です。
当然、I 氏も裸です。
左手のタオルで股間を隠し、右手でカメラを構えています。
なんだか、見ていて、危なっかしいんですよ。股間に気をとられすぎて、カメラを湯舟に落とすんじゃないかって、撮られながらヒヤヒヤしてしまいました。
I 氏も、撮影しづらかったようです。
「小暮さん、次からは海パン持ってきたほうがイイですかね?」
もう、爆笑です!
僕は、彼に同じことを告げようとしていたのですよ。
「それがいいね。以前、僕と組んでたカメラマンは、海パンをはいて撮っていたよ」と僕。
いやー、うれしいですね。
次回からは、“海パンカメラマン2号” が登場するんですね。
乞う、ご期待!