2011年04月30日
浴槽の中の温泉
先日も、ラジオ出演の時に、アナウンサーから、こんなことを訊かれました。
「小暮さんの本には、ふつうの温泉雑誌や温泉本には出ていない源泉のデータが詳しく載っていますが、あれはどうしてですか? 旅館の方は嫌がりませんか?」
時々、訊かれる質問です。
今日は、なぜ僕が温泉分析書に基づくデータを必ず本に載せるかについて、お答えします。
まず、僕の本には、「源泉名」「湧出量」「泉温(源泉の温度)」を記載しています。
実は、たかだか、この3点においてでも、宿主は把握していない場合があります。
そのため僕は、取材を申し込む際に「温泉分析書のコピーを用意してください」とお願いします。
もし、ニセモノ温泉(水道水を沸かしているとか…)だったら、提出できませんので取材を拒否することになります。
「源泉名」とは、「○○温泉 △△の湯」と表記されます。
○○温泉は、温泉地名です。△△の湯が、泉源(源泉の湧出地)1つ1つに付けられた名前です。
△△の湯は、泉源の所有者が自由に名づけることができるので、なかには自分の名前を付けたりと、ユニークなものもあります。
「湧出量」は、○○ℓ/分と表記し、1分間に何リットル出ているかが分かります。
「泉温」は、湧出時の温泉の温度です。
さらに僕は、湧出方法(温泉の湧き方)も掲載します。
地下から自然に湧いた「自然湧出」、ボーリングした温泉が自力で湧き出た「掘削自噴」、ボーリングしてポンプで汲み上げている「動力揚湯」の3種類があります。
いかがですか?
少し温泉に興味のある人なら、その温泉地の源泉が、どのような状態でどのくらい出ているかが分かりますよね。
僕は、これは最低限必要な入浴者のための情報公開だと思っています。
これに泉質と効能が加わります。
が! ここまでは、すべて源泉の湧出地でのデータなんです。
レストランで言うならば、食材が作られた時の情報です。
いつ店に届いて、どう調理したかは、公表されていない状態です。
足元湧出温泉を除けば、私たちは温泉を源泉の湧出地では入浴していません。
実際に入る場所は、“浴槽”です。
ですから僕は、さらに「温泉の利用形態」という項目を設けました。
これが一番、旅館の人が嫌う項目かもしれませんね。
でも、とっても大切な情報なんですよ。
水を加えているのか?(加水の有無)
熱を加えているのか?(加温の有無)
放流式(かけ流し)なのか? 循環式なのか? ろ過しているのか?
加水には、湧出量が少なくて加えている場合と、源泉の温度が高いために加えている場合があります。
加温は、源泉の温度が低い場合や冬場など、季節によって熱を加えている場合があります。
放流式、循環ろ過式は、読んで字のごとくです。
さらに詳しく開示するならば、入浴剤や消毒剤の投入の有無もありますが、現在、僕は、そこまでは開示していません。
が、良心的な温泉地には、必ず脱衣所に公開されていますので、気になる人はチェックしてみてください。
源泉はどこで湧いていて、どのように引き湯され、浴槽の中でどのような状態であるのか?
これらのデータを参考にしながら、推測することができます。
温泉地のガイドブックではなく、温泉好きが欲しかった本を作りたかったため、著書では最低限の情報を掲載することにしました。
より詳しいデータの読み方や賢い温泉の選び方などは、僕のセミナーや講座でレクチャーしています。
「小暮さんの本には、ふつうの温泉雑誌や温泉本には出ていない源泉のデータが詳しく載っていますが、あれはどうしてですか? 旅館の方は嫌がりませんか?」
時々、訊かれる質問です。
今日は、なぜ僕が温泉分析書に基づくデータを必ず本に載せるかについて、お答えします。
まず、僕の本には、「源泉名」「湧出量」「泉温(源泉の温度)」を記載しています。
実は、たかだか、この3点においてでも、宿主は把握していない場合があります。
そのため僕は、取材を申し込む際に「温泉分析書のコピーを用意してください」とお願いします。
もし、ニセモノ温泉(水道水を沸かしているとか…)だったら、提出できませんので取材を拒否することになります。
「源泉名」とは、「○○温泉 △△の湯」と表記されます。
○○温泉は、温泉地名です。△△の湯が、泉源(源泉の湧出地)1つ1つに付けられた名前です。
△△の湯は、泉源の所有者が自由に名づけることができるので、なかには自分の名前を付けたりと、ユニークなものもあります。
「湧出量」は、○○ℓ/分と表記し、1分間に何リットル出ているかが分かります。
「泉温」は、湧出時の温泉の温度です。
さらに僕は、湧出方法(温泉の湧き方)も掲載します。
地下から自然に湧いた「自然湧出」、ボーリングした温泉が自力で湧き出た「掘削自噴」、ボーリングしてポンプで汲み上げている「動力揚湯」の3種類があります。
いかがですか?
少し温泉に興味のある人なら、その温泉地の源泉が、どのような状態でどのくらい出ているかが分かりますよね。
僕は、これは最低限必要な入浴者のための情報公開だと思っています。
これに泉質と効能が加わります。
が! ここまでは、すべて源泉の湧出地でのデータなんです。
レストランで言うならば、食材が作られた時の情報です。
いつ店に届いて、どう調理したかは、公表されていない状態です。
足元湧出温泉を除けば、私たちは温泉を源泉の湧出地では入浴していません。
実際に入る場所は、“浴槽”です。
ですから僕は、さらに「温泉の利用形態」という項目を設けました。
これが一番、旅館の人が嫌う項目かもしれませんね。
でも、とっても大切な情報なんですよ。
水を加えているのか?(加水の有無)
熱を加えているのか?(加温の有無)
放流式(かけ流し)なのか? 循環式なのか? ろ過しているのか?
加水には、湧出量が少なくて加えている場合と、源泉の温度が高いために加えている場合があります。
加温は、源泉の温度が低い場合や冬場など、季節によって熱を加えている場合があります。
放流式、循環ろ過式は、読んで字のごとくです。
さらに詳しく開示するならば、入浴剤や消毒剤の投入の有無もありますが、現在、僕は、そこまでは開示していません。
が、良心的な温泉地には、必ず脱衣所に公開されていますので、気になる人はチェックしてみてください。
源泉はどこで湧いていて、どのように引き湯され、浴槽の中でどのような状態であるのか?
これらのデータを参考にしながら、推測することができます。
温泉地のガイドブックではなく、温泉好きが欲しかった本を作りたかったため、著書では最低限の情報を掲載することにしました。
より詳しいデータの読み方や賢い温泉の選び方などは、僕のセミナーや講座でレクチャーしています。
2011年04月28日
熱いぜ! 竹ちゃんマン
一昨晩、震災のため先月休会となっていたプロジェクトK(僕が所属するプロのクリエイター集団)の例会が、2ヵ月ぶりに開催されました。
場所は前橋市内の、いつもの居酒屋。
出席メンバーは、アートディレクター1人、サインアーティスト1人、デザイナー1人、カメラマン2人、ライター2人でした。
乾杯の後、先日発表になった「小暮淳キャラクターコンテスト」の表彰式となり、グランプリの栗原俊文くん(デザイナー)に賞金が授与されました。
作品は、僕の横顔の似顔絵を木版画タッチで表現した秀逸なイラストで、文句なしのグランプリ受賞となりました。
準グランプリの小宮雅子さん(イラストレーター)は宮崎県在住のため、この日は欠席。
当会代表のK氏から「前もって賞金は現金書留で郵送済み」との報告の後、小宮さんから寄せられたコメントの発表がありました。
「小暮さんに初めてお会いしたのは、だいぶ前のことですが、その時に感じた笑顔と大きな口のイメージを表現しました。私の感じている小暮さんのイメージが、みなさんのイメージだったことを知り、大変嬉しく思います」
というような内容だったと思います。
キャラクターの今後の活用について、あれこれと雑談のあと、いよいよ、今秋出版予定の温泉本シリーズ第3弾の話になりました。
生ビール、ハイボール、熱燗、冷酒が次々と空になり、みんなのボルテージは上がりっぱなしです。
僕の本のアートディレクターでもあり、プロデューサーでもあるK氏から、次回本の表紙カメラマンの発表がありました。
「今回はSさんにお願いしようと思います」
と、その時です。
まるで “ねるとん” みたいに「ちょっと、待った!」の声が飛び込んで来ました。
「Kさん、待ってください。僕に撮らしてくださいよ。ギャラなんか、いらないですから、小暮さんの写真は僕が撮ります。お願いします!」
そう食いついたのは、僕の前著 『群馬の小さな温泉』 の表紙&グラビア写真を撮った初代、海パンカメラマンこと竹沢佳紀くんです。そう、伝説の熱い男! あの竹ちゃんマンです。
彼は、いかに自分が小暮を撮ることに秀でているカメラマンであるかを、K氏にアピールを始めました。
「金じゃ、ないんですよ。僕は小暮さんと仕事がしたいんですよ。小暮さんを撮らせたら、僕の右に出るカメラマンはいませんよ!」
竹ちゃんとK氏のやりとりを聞いていた僕は、いつしか目頭が熱くなっていました。
「小暮さんとの仕事が楽しい」とまで言ってくれた。
そういえば、「源泉巡礼記」(月刊 Drli-J)の連載が終わってからは、ここんとこ一緒に組んで仕事をしてなかったものなぁ…。
その熱い、熱い、情熱の嵐。しかと受け止めたぜよ!
いつしかK氏も、根負けしたようで「分かった、分かった。勝手に、好きに撮れ! そのかわり使うか、使わないかは、仕上がり次第だぞ」と、しまいには彼を取材へ連れて行くことを認めてしまいました。
今回の本には、巻頭に紀行エッセーが入ることになっています。
僕が温泉街を歩き、外湯に入り、酒を飲み、スマートボールをしたり、スナックでカラオケをしたりと、昭和の温泉情緒を体験するものです。
このとき、竹ちゃんが僕を追いかけて写真を撮ることになりました。
相変わらず、熱い男であります。
でも、そこが竹ちゃんのいいところだし、僕が大好きなところなんですね。
2人の丁々発止の間中、僕の頭の中では「竹ちゃんマンのテーマ」が鳴り響いていましたよ。
“がんばれ、熱いぞ、ぼくらの仲間
海パン 竹ちゃんマン”
(「赤胴鈴之助」のメロディー)
竹ちゃん、ありがとうよ。嬉しかったぜ。
いい仕事、しようなっ。よろしく!
場所は前橋市内の、いつもの居酒屋。
出席メンバーは、アートディレクター1人、サインアーティスト1人、デザイナー1人、カメラマン2人、ライター2人でした。
乾杯の後、先日発表になった「小暮淳キャラクターコンテスト」の表彰式となり、グランプリの栗原俊文くん(デザイナー)に賞金が授与されました。
作品は、僕の横顔の似顔絵を木版画タッチで表現した秀逸なイラストで、文句なしのグランプリ受賞となりました。
準グランプリの小宮雅子さん(イラストレーター)は宮崎県在住のため、この日は欠席。
当会代表のK氏から「前もって賞金は現金書留で郵送済み」との報告の後、小宮さんから寄せられたコメントの発表がありました。
「小暮さんに初めてお会いしたのは、だいぶ前のことですが、その時に感じた笑顔と大きな口のイメージを表現しました。私の感じている小暮さんのイメージが、みなさんのイメージだったことを知り、大変嬉しく思います」
というような内容だったと思います。
キャラクターの今後の活用について、あれこれと雑談のあと、いよいよ、今秋出版予定の温泉本シリーズ第3弾の話になりました。
生ビール、ハイボール、熱燗、冷酒が次々と空になり、みんなのボルテージは上がりっぱなしです。
僕の本のアートディレクターでもあり、プロデューサーでもあるK氏から、次回本の表紙カメラマンの発表がありました。
「今回はSさんにお願いしようと思います」
と、その時です。
まるで “ねるとん” みたいに「ちょっと、待った!」の声が飛び込んで来ました。
「Kさん、待ってください。僕に撮らしてくださいよ。ギャラなんか、いらないですから、小暮さんの写真は僕が撮ります。お願いします!」
そう食いついたのは、僕の前著 『群馬の小さな温泉』 の表紙&グラビア写真を撮った初代、海パンカメラマンこと竹沢佳紀くんです。そう、伝説の熱い男! あの竹ちゃんマンです。
彼は、いかに自分が小暮を撮ることに秀でているカメラマンであるかを、K氏にアピールを始めました。
「金じゃ、ないんですよ。僕は小暮さんと仕事がしたいんですよ。小暮さんを撮らせたら、僕の右に出るカメラマンはいませんよ!」
竹ちゃんとK氏のやりとりを聞いていた僕は、いつしか目頭が熱くなっていました。
「小暮さんとの仕事が楽しい」とまで言ってくれた。
そういえば、「源泉巡礼記」(月刊 Drli-J)の連載が終わってからは、ここんとこ一緒に組んで仕事をしてなかったものなぁ…。
その熱い、熱い、情熱の嵐。しかと受け止めたぜよ!
いつしかK氏も、根負けしたようで「分かった、分かった。勝手に、好きに撮れ! そのかわり使うか、使わないかは、仕上がり次第だぞ」と、しまいには彼を取材へ連れて行くことを認めてしまいました。
今回の本には、巻頭に紀行エッセーが入ることになっています。
僕が温泉街を歩き、外湯に入り、酒を飲み、スマートボールをしたり、スナックでカラオケをしたりと、昭和の温泉情緒を体験するものです。
このとき、竹ちゃんが僕を追いかけて写真を撮ることになりました。
相変わらず、熱い男であります。
でも、そこが竹ちゃんのいいところだし、僕が大好きなところなんですね。
2人の丁々発止の間中、僕の頭の中では「竹ちゃんマンのテーマ」が鳴り響いていましたよ。
“がんばれ、熱いぞ、ぼくらの仲間
海パン 竹ちゃんマン”
(「赤胴鈴之助」のメロディー)
竹ちゃん、ありがとうよ。嬉しかったぜ。
いい仕事、しようなっ。よろしく!
2011年04月27日
猪ノ田温泉 「久惠屋旅館」⑤
今日は、ちいきしんぶん(ライフケア群栄)の取材で、猪ノ田(いのだ)温泉の一軒宿「久惠屋(ひさえや)旅館」へ行って来ました。
1月に訪れていますから、今年に入って2度目の取材であります。
やっぱり、遅かった!
すでにカタクリの花が、みんな落ちてしまっていました。
2年前、出版の取材で訪れたときは、開花期ドンピシャで、駐車場をはさんで山の斜面と旅館の庭に、紅紫色の花が咲き乱れていたのです。
今日も、かすかな期待はあったものの、残念……。
ダラリと葉を地面に落とした、花のない姿が、ちらほら残骸のように残っているだけでした。
「今年も見事でしたよ」
と女将の深澤信子さん。
「ああ、見たかったんですけど、来るのが遅過ぎましたね」
と肩を落とす僕。
「黄色いのだけ咲いてますけどね」
そういって女将は、庭の花壇を指差しました。
えええーっ、黄色いカタクリですかーーーー?
確かに花壇の中で、品の良い黄色いカタクリが咲いていました。
「これ、園芸種でしょ?」
と僕。
すると女将は 「ムフフフっ」 と、目だけで笑って見せました。
なーんだ。
でも、女将の茶目っ気が、とっても可愛くて、心がほっこりしたのです。
なんだか今回も、大歓迎されてしまいました。
女将、若女将、そして主人まで勢揃いして、お出迎えです。
「もう何回も来てますから、記事はお任せでいいですかね?」
決して、手抜きをしようっていうんじゃありませんよ。
「いつもいつも、ありがとうございます。よろしくお願いします」
ということで、取材は完了!
お茶を飲みながら、世間話が始まりました。
震災のこと、その後のキャンセルのこと、それでも少しずつ客が戻ってきたこと、GWはまずまずの予約状況であること、などなど……。
元気に湯を守り続けている主人と女将と若女将の明るい笑顔に、安心しました。
2月に掲載された朝日新聞の記事の話になりました。
今でも新聞を持って、やって来る人がいるとのこと。
嬉しいですね、ライター冥利に尽きます。
掲載日に、「新聞を読んだのですが、すぐに行けないので、源泉入り石けんを送って欲しい」という電話があったそうです。
最近になって、その人が旅館を訪ねて来たといいます。
そして、こんなことを言って帰りました。
「ありがとうございます。送っていただいた石けんのおかげで、首にあった腫瘍が、きれいに消えてなくなりました」と!
「小暮さん、温泉って、本当に不思議なものですよね」
と主人。
「本当ですね。だから何百年と人は温泉を大切に守り続けてきたんですね」
と僕。
主人は毎日、泉源地に手を合わせているといいます。
女将は毎日、入浴の際、湯に「ありがとう」と感謝の言葉をかけているといいます。
2011年04月26日
探訪!ぐんまの小さな温泉
本日、開講!
平成23年度 NHK文化センター前橋教室の温泉講座 「探訪!ぐんまの小さな温泉」が、本日より開講しました。僕が講師を務めるこの講座も、今年で3年目になります。
初年度は 「群馬の温泉遺産を訪ねる」、昨年度は 「探訪!ぐんまの源泉一軒宿」 とタイトルと内容を替えて講座を行ってきました。
おかげさまで、人気講座のようです。
すでにキャンセル待ちは5人いるとのこと。
今回、バスを中型に変更する案も出ましたが、秘湯と呼ばれる小さな温泉は道が狭く険しいため、小型バスしか入れません。よって、今回も定員25名の小型バスでの開講となりました。
定員の内訳は、ドライバー1人とNHK文化センターの担当者1人と僕、残り22人が受講生です。
前講座の受講生を優先受付したため、定員の空きは、たったの3名でした。
よって新受講生3人と、知った顔ばかり19人で、今年度の温泉講座が開講!
でも今年度は、変化がありました。
今までは圧倒的に、女性天国だったのです。
初年度なんて、男性受講生は2人でしたから。今回は10人と飛躍的に男性が増え、僕と担当者を入れれば12人。男女比はピッタリ半々になりました。
男風呂が、にぎやかになりましたよ~!
第1回目の今日は、上牧温泉「辰巳館」へ行って来ました。
以前にも書いたことがありますが、辰巳館は僕の遠い親戚であります。
4代目社長の深津卓也さんとは、公私共にお付き合いしていただいています。
だからでしょうか、玄関に着くなり、社長、会長、大女将、若女将が勢揃いでお出迎えです。
ロビーで社長のあいさつの後、会議室へ移動して、今度は会長による“山下清画伯と辰巳館”についての講話をいただきました。
※裸の大将、山下清と同館の関係については、当ブログ内の「上牧温泉 辰巳館」を参照。
入浴の後、囲炉裏端にて若女将による名物料理 「献残焼(けんさんやき)」 の説明を聞きながら、昼食となりました。
午後はまた、入浴タイムです。
帰りのバスの中で、僕が帰りのあいさつを終えると、拍手が沸きました。
良かった、良かった。
みなさん、大変満足してくださったようです。
温泉に入って、食事をして、泊まるだけなら、誰でもできます。誰でもやってます。
でも、ただ温泉に入るだけではなく、温泉の歴史や文化、湯を守る人たちの話を聞いて、本来の温泉と人間の係わり方を知ることが、この講座を開講する意味です。
今日、こうして、また温泉講座を開講できたことを、大変嬉しく思います。
受講生のみなさん、今年もよろしくお願いします。
キャンセル待ちのみなさん、ごめんなさいね。
すぐには空きが出そうもありませんが、辛抱強くお待ちください。
次回、5月講座は、沢渡温泉 「まるほん旅館」 を訪ねます。
2011年04月25日
温泉と作家
僕はあまり衝動買いというものをしません。
衣・食・住に、無頓着だからだと思います。
服は、あるものを着ます。わざわざ引っ張り出してまで着ません。目の前にあるものを、何も考えず着ています。
食事は、あるものを食べます。外でお腹が空いたときは、速くて安い店を探して、サッと入って、サササッと済ませます。
家だって、雨風がしのげれば、それで良し。真夏だって、平気でクーラーのない部屋で仕事をするくらいですから。
でも、ただ1つだけ、衝動買いしてしまうモノがあります。
本です。
ヒマがあると書店をうろつくクセがありまして、目的もなくウロウロと何時間でも徘徊しています。
結局、何も買わずに帰ることが多いのですが、これが“温泉”という文字が目に入ると、即手に取り、レジカウンターへ出してしまいます。
もしかすると、これって“温泉中毒”ですかね。
時に、推理小説だって、温泉地名がタイトルにあれば買ってしまいます。
と、いうことで、常に机の上には、未読本が積まれています。
それも雑読なもんで、1冊ずつ読まないものだから、みーんな読みかけ。
書庫に片付けようにも、「これ、まだ読み切ってないんだ」と、そのままの上に、新しく買った本が次々に積まれていきます。
でも今日、1冊、読破しました(これで書庫行き決定!)。
今年1月に出版された 『作家と温泉』(河出書房新社) です。
夏目漱石、志賀直哉、壇一雄、谷崎潤一郎、坂口安吾など、著名な作家が愛した温泉地とのエピソードが載っているのですが、こんな場合、とりあえず僕は群馬の温泉から読み出します。
「与謝野晶子・鉄幹と法師温泉」、「竹久夢二と伊香保温泉」、「つげ義春と湯宿温泉」、珍しいところでは温泉嫌いの画家「横尾忠則と草津温泉」なんて、情熱的で面白かったですよ。
“温泉の旅が本格的に始まるのは、キャンバスに向かってからである。肉体の旅が終わって、いよいよ魂の旅が始まるのである”
なーんて、さすが横尾忠則らしい言葉です。シビレました。
でも僕が、この本で一番、興味深かったのは、「太宰治と四万温泉」です。
太宰治が昭和15年に四万温泉を訪ねていることは、四万通には知られていることです。
泊まった旅館は「四萬館」。それも師匠の井伏鱒二と滞在しています。
その時の2人のエピソードが、実にいいんですよ。
どんなエピソードかって?
興味のある人は、ぜひ買って読んでみてください。
四萬館には、今でも太宰治ゆかりの部屋が残されているといいます。
近々、取材をかねて、泊まってこようと思います。
2011年04月24日
またもや ダブルランクイン!
やりましたーーー!
ついに新刊 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 が、発売3ヵ月にして初の売り上げベスト10入りしました。
しかも、昨秋出版した 『群馬の小さな温泉』 も返り咲き!
ベスト10内に、ダブルランクインであります。
ダブルランクインは、1月末の発表以来、これまた3ヵ月ぶり。
前回は、『ぐんまの源泉一軒宿』 が6位、『群馬の小さな温泉』 が9位でした。
さて、今回は?
本日の上毛新聞、10面「読書」欄の発表によると……
前橋・煥乎堂本店調べ(4月10日~16日)。
週間ベスト10 「単行本・新書」部門にて、
6位、『群馬の小さな温泉』(小暮淳、上毛新聞社、1000円)
8位、『ぐんまの里山 てくてく歩き』(小暮淳、上毛新聞社、1260円)
と、ありました。
いゃあ~、気持ちのいいものですな。
自分の名前が、ランキングに2ヵ所も出ているっていうのは。
まさに、物書き冥利に尽きるというものです。
ところが、人間とは実に欲深いものであります。
いえいえ、このままでも充分なんですよ。もちろん上出来なんです。
でも、どうせなら、あと1冊……
『ぐんまの源泉一軒宿』 もリターンして、トリプルランクイン!なーんて。
いえいえ、本心じゃ、ないんです。
そーなったら、もっと嬉しいんじゃないかなぁーと……
とりあえず、今夜は祝杯を挙げたいと思います。
ご購入いただいた読者のみなさま、本当にありがとうございます。
2011年04月23日
キャラクターが決定!
おまたせしました!
震災の影響もあり、選考が延びていました「小暮淳 イメージキャラクターコンテスト」の投票結果が昨日、発表になりました。
このコンテストは、僕が所属するプロジェクトK(プロのクリエイティブネットワーク)主催による僕のイメージキャラクターを制作するためのコンテストです。グランプリ作品は、過去に出版した『ぐんまの源泉一軒宿』『群馬の小さな温泉』、そして今秋出版予定の温泉シリーズ第3弾の販売をフォローする商品やグッズに採用されます。
僕を知るデザイナーやイラストレーターから11案の応募があり、34名の審査員により投票がされました。
もちろん僕も審査員の1人に加わりました。
結果、次の2人の作品が、選ばれました。
●グランプリ
栗原 俊文さん(デザイナー) 群馬県前橋市在住
●準グランプリ
小宮 雅子さん(イラストレーター) 宮崎県宮崎市在住
おめでとうございます。
2人には、賞金と商品化への権利が与えられました。
2人とも、僕のことを良く知っているだけあり、表面的な模写だけでなく、性格や雰囲気までも描写されています。
どちらも、「あっ、これオレだ!」とひと目で分かる作品です。
栗原さんの作品は、温泉に入っている僕の横顔です。
似ているだけでなく、そのタッチが木版画調と大変凝っています。
実は、僕もこの作品に一票を投じました。
そのまま版画として使えるので、ゴム印にして、色紙や本にサインするときに押したくなる作品です。
ぜひ、栗原さんと交渉してみたいと思います。
小宮さんの作品は、これは文句なしの完成度。
前評判では、完全にグランプリ候補作品でした。
かなり僕をデフォルメした、アニメタッチで描かれています。
永井豪のマンガに出てきそうな、ニチャケたオヤジであります。
ただし、小宮さんだけは唯一、“温泉小暮” ではなく、“登山小暮” での応募でした。
デカイ頭に登山帽をのせて、リュックを背負って、ピョンピョンと軽やかに飛び跳ねているイラストであります。
これはこれで、シールやワッペンに使用したい作品です。
渋めな“温泉小暮” と ヤンチャな“登山小暮”
この2パターンのキャラクターを使用して、今後の販売ツールを展開することになりました。
応募された方々、また審査にご協力してくださった方々、ありがとうございました。
お礼申し上げます。
2011年04月22日
もう1つの泉質
「小暮さんは、温泉に入っただけで、何という泉質か分かってしまうんですか?」
そんなことを訊かれることがあります。
が、そんなことはありません。
まあ、腐卵臭がするから硫黄泉とか、なめると塩辛いから塩化物泉とか、きわめて特長のあるものは別として、残念ながら“入るだけで”というレベルには達していないんですね(TVチャンピオンの郡司勇さんなら可能でしょう)。
僕の場合はもう少し、観察します。
湯口に付着した析出物を触ってみたり、浮遊物や沈殿物をすくってみたり。
カルシウムが多いとか、マグネシウムが多いとか、その程度の観察ですけどね。
ただ、1つだけ、入浴しただけで、てきめんに分かってしまう温泉があるんです。
それは、“塩素泉” です。
えっ、そんな泉質の温泉ってあるんですか?って
はい、ありません。
言葉を作ってしまいました。
でも分かりますよね。塩素消毒された温泉のことです。
きっと、みなさんも感じたことがあるはずです。
日帰り入浴施設の大浴場へ入ると、プ~ンとカルキ臭い、プールのようなにおいを感じたことが。
まあ、あれほど、あからさまに塩素をぶち込んでいれば、誰でも分かりますよね。
においがした時点で、アウトです。
“においがする”ということは、かなりの高濃度の塩素が含まれている証拠ですから、ぜひ、湯上りにはシャワーを浴びてください。
塩素は紫外線と同じ、人間の肌にとっては、老化促進剤になってしまいます。
(水道水に一度浸かっただけでも、約15万個の皮膚細胞が死ぬといわれてます)
特にアレルギー体質の人は、入浴を避けたほうがいいでしょうね。
実は、僕の肌は、もっと敏感なのです。
以前、温泉講座で、「肌が弱い」ということを話したところ、受講生の1人から「よく先生は、それで温泉ライターをやっていられますねぇ」と言われたことがありました。
確かに、おっしゃるとおりです。
僕のまわりにも、肌が弱くて、美容師やケーキ屋、そば屋の夢を断念した人がいます。
この人たちにとって、アレルギー体質は致命傷のようですが、僕にとっては、これがとても役立っているのです。
いわば、良い温泉を見分ける “リトマス試験紙” になっているんですね。
一見、無味無臭のきれいな温泉に見えても、僕の体は、すぐに反応します。
途端に、体中が、かゆくなってしまうんです。
どんなに微量の塩素でも、反応します。
「今日の湯は、大丈夫ですか?」
僕をよく知っているカメラマンは、撮影の途中で、必ず、そう訊きます。
「いや、やばいね」と答えると、
「では、早めに撮影を切り上げましょう」
と心得ているのです。
最近は、山のいで湯にも “塩素泉” は登場しています。
もったいない話です。
せっかく、こんなに良い湯が出ているのに、浴槽を大きくしたがゆえに、塩素消毒をせねばならないなんて……
そう思うことがあります。
“いい温泉は、湯舟が小さい!”
これが僕の持論です。
2011年04月21日
鎌田温泉 「梅田屋旅館」②
今日は少し遠出をして、1年ぶりに鎌田温泉の老舗宿「梅田屋旅館」を訪ねて来ました。
いやいや、4代目女将の星野由紀枝さんは、相変わらずお美しいのであります。
息子さんたちが旅館を継いでいるくらいですから、お歳だってそれなりなのでしょうが、老舗旅館の女将とは“こうあらん”という気品が漂う人なのであります。
以前から出版や雑誌の取材で、何度もお世話になっている宿です。
昨年11月に前橋市のホテルで開催された、僕の出版記念パーティーにも、長男の修一さんが出席してくださいました。
まずは、そのお礼を言うのが、今日訪ねた第一の目的です。
当然、取材は二の次であります。
ついでに取材をしてきました。
今回は女将のインタビューです。
まあ、もう何度も訪ねているし、何度も泊まっているし、聞くことなんてないと思っていたのですけど、これがどうして、女将さんと面と向かって話し出すと、次から次へと初めて聞く苦労話や喜び話が出てくるものです。
現在、梅田屋旅館では、福島原発事故による避難住民を十数名受け入れています。
群馬県内でも、真っ先に受け入れを表明したのが片品村でした。
「村長の英断に拍手。喜んで受け入れさせていただきました」
と女将さん。
女将さんの座右の銘は、「秘湯は人なり、旅は情けなり」です。
何度取材しても、「情けをかける宿でありたい」と話します。
明治44年創業、今年でちょうど100年です。
やはり老舗旅館の風格なんでしょうかね。
震災後、ご多分にもけず、梅田屋も自粛によるキャンセルが相次いだといいます。
それでも、やって来てくれたお客さんたちがいました。
「ありがとう」と「おかげさま」の心が、ジワジワと広がったのでしょう。
すでにキャンセル電話は鳴り止み、ゴールデンウィークの予約状況もまずまずの様子です。
「旅館は人と人をつなぐところ」
そう女将さんは言います。
僕も同感です。
温泉は、湯と人に出会うところです。
そして宿は、旅人に情けをかけるところだと思うのです。
2011年04月20日
いで湯伝説③ 「源頼朝」
今日は温泉発見人、御三家の1人、源頼朝について少し。
やっぱり県内で有名なのは草津温泉でしょうか。
建久4年(1193)、鎌倉幕府が開かれた翌年、源頼朝が浅間山麓での狩りの途中で、白根大明神(草津温泉の入り口にある)まで馬を乗り入れた際に、谷底に白煙が立ち上るっているのを発見したと伝わります。
その源泉が「白旗の湯」です。
湯畑へ何度も行ったことのある人でも、白旗源泉の湧出場所に気づく人は少ないようです。
草津のシンボル、湯畑の端に、もう1つ小さな湯畑があります。
ちょうど共同湯「白旗の湯」の前です。
木の囲いに覆われているので、見過ごしがちですが、湧出量1,500ℓ/分の立派な泉源であります。
中をのぞくと、小さな祠があり、頼朝を祀っています。
ちなみに「白旗」とは、源氏の象徴の白い旗から採ったものです。
同じ頃、沢渡温泉にも頼朝は現れています。
建久2年といいますから、草津を訪れた2年前になります。
やはり浅間山麓でイノシシ狩りをした際に、発見したと伝わります。
伝説によれば、酸性度の強い草津の湯に入った後に、沢渡の湯に入ると、荒れた肌があまりにもきれいになったことから、沢渡温泉は草津の“なおし湯”“ながし湯”“仕上げ湯”とも呼ばれるようになったとのことです。
でも、草津を発見した年より前だったという、なんとも整合性のなさが、伝説の伝説たるゆえんなのでしょうな。
ところが、今でも沢渡温泉には、頼朝ゆかりの品が残されています。
共同浴場の隣にある「龍鳴館」の男性浴室に、「頼朝の腰掛け石」なるモノがあります。
どうみても普通の石なのですが、そうだと言われれば「そうですか」と言うしかありません。
所々に傷があるのですが、これは水害や大火を被った跡だといわれれば、やはり「そうですか」と言うしかないのです。
日帰り入浴もできますので、興味のある人は、自分の目で見て確かめてください。
信じるか、信じないかは、あなたしだい!
いゃ~あ、伝説って、面白いですね。
やっぱり県内で有名なのは草津温泉でしょうか。
建久4年(1193)、鎌倉幕府が開かれた翌年、源頼朝が浅間山麓での狩りの途中で、白根大明神(草津温泉の入り口にある)まで馬を乗り入れた際に、谷底に白煙が立ち上るっているのを発見したと伝わります。
その源泉が「白旗の湯」です。
湯畑へ何度も行ったことのある人でも、白旗源泉の湧出場所に気づく人は少ないようです。
草津のシンボル、湯畑の端に、もう1つ小さな湯畑があります。
ちょうど共同湯「白旗の湯」の前です。
木の囲いに覆われているので、見過ごしがちですが、湧出量1,500ℓ/分の立派な泉源であります。
中をのぞくと、小さな祠があり、頼朝を祀っています。
ちなみに「白旗」とは、源氏の象徴の白い旗から採ったものです。
同じ頃、沢渡温泉にも頼朝は現れています。
建久2年といいますから、草津を訪れた2年前になります。
やはり浅間山麓でイノシシ狩りをした際に、発見したと伝わります。
伝説によれば、酸性度の強い草津の湯に入った後に、沢渡の湯に入ると、荒れた肌があまりにもきれいになったことから、沢渡温泉は草津の“なおし湯”“ながし湯”“仕上げ湯”とも呼ばれるようになったとのことです。
でも、草津を発見した年より前だったという、なんとも整合性のなさが、伝説の伝説たるゆえんなのでしょうな。
ところが、今でも沢渡温泉には、頼朝ゆかりの品が残されています。
共同浴場の隣にある「龍鳴館」の男性浴室に、「頼朝の腰掛け石」なるモノがあります。
どうみても普通の石なのですが、そうだと言われれば「そうですか」と言うしかありません。
所々に傷があるのですが、これは水害や大火を被った跡だといわれれば、やはり「そうですか」と言うしかないのです。
日帰り入浴もできますので、興味のある人は、自分の目で見て確かめてください。
信じるか、信じないかは、あなたしだい!
いゃ~あ、伝説って、面白いですね。
2011年04月19日
AKBみたいな女の子
今日は、NHK-FMラジオの新番組 「群馬は温泉パラダイス」 の第1回放送日でした。
オンエアは午後6時からですが、打ち合わせに間に合うように1時間前に放送局へ行きました。
ジャーーーーン!
お相手のキャスター、金井一世(いよ)さんの登場です。
初めてお会いするのですが、いきなりビックリしてしまいました。
イメージが違い過ぎます。
あらかじめNHK番組案内表のアナウンサー・キャスター紹介を見て、「きれいなお姉さんだな~」と思っていたのですよ。
少し、緊張なんかもして、待っていました。
そして、やって来た人は……
きゃ、きゃ、きゃわいいーーーー!
なんという可愛さなんでしょーか!
“きれいなお姉さん” は、実は “超可愛いお嬢さん” だったのです。
NHKのキャスターというと、どうしてもイメージしてしまいますよ。
美人だけど、シャープな感じのタイプを…
でも、一世ちゃん ( “さん”ではなく、“ちゃん”です) は、そのままAKB48なんです。
打ち合わせの時から、オジサンは、ソワソワドキドキが止まりません。
まともに顔なんて、見られません。
当然、目なんて合わせられませんて。
お歳をお聞きすれば、僕の娘であります。
「困った…、困った…」
これが本番前の正直な、僕の感想です。
「分からないことがあったら、何でも聞いてね」
「はい、よろしくお願いします」
なーんて言われたら、オジサンは、でんぐり返しをしちゃうじゃありませんか。
だって、これから2人だけの世界へ行くんですよ。
あの、狭~いスタジオの中へ。
ついに最後まで、一世ちゃんと目を合わせられずに、25分間の生放送が終了。
終始、僕の頭のなかでは、
“会いたかったー、会いたかったー、会いたかったー、yes!”
のメロディーが鳴り響いていたのであります。
いい歳をして、今日はかなり、のぼせ上がってしまいました(反省)。
次回の放送日は、5月17日(火) 午後6時~です。
来月は、これ以上血圧が上がらないように、頭を冷やしてからスタジオに入りたいと思います。
“会いたかったー!”
2011年04月18日
マル得トーク
クーポンマガジン Deli-J(デリジェイ) 5月号が発行されました。
1月号に続き、5月号にもコラムを寄稿しました。
この冊子は上毛新聞を定期購読している家に配布されているフリーペーパー「月刊 でりじぇい!」のクーポン版です。
もう、届いたお宅もあるかと思いますが、まだのお宅は取次販売店に催促または問い合わせてみてください。
で、僕が担当連載しているコーナータイトルは、「小暮淳のマル得トーク」というコラムです。
以前もブログに書きましたが、このコーナーの執筆者がスゴイんですよ(僕を除いて)。
ソムリエの田崎真也さん、経済アナリストの森永卓郎さん、交通ジャーナリストの清水草一さん、メイクアーティストの藤原美智子さん、そして僕(?)というそうそうたるメンバーなのであります。
今回は「マル得トーク」の2回目ということで、「いい温泉には、いい湯守(ゆもり)がいる」というテーマで書かせていただきました。
ボーリング技術が飛躍的に進歩した平成以降は、なかなか自然湧出・自然流下の宿が少なくなってしまいましたが、それでもまだまだ群馬県には、確かな腕を持つ“湯守”のいる宿が残っています。
そんな宿を見分けるには、利用する側にも多少の知識が必要となります。
今回のコラムでは、その入門編ではありますが、賢い温泉宿の選び方・見抜き方のようなことを「マル得トーク」しました。
相変わらず、プロフィール写真は裸です。
最近は新聞でも、プロフィール写真は裸になってしまいました。
別に好き好んで裸になっているわけではないのですが、温泉ライターがスーツにネクタイというのもヘンですからね。
当分、裸写真で出ようかと思います。
次回は8月号の掲載になります。
お楽しみに!
2011年04月17日
ぐんまの温泉に泊まろう!
何日か前、群馬県観光国際協会理事長の田村亮一さんが新聞紙上で、「まずは群馬の人が群馬の温泉へ足を運んでほしい」とコメントしていた記事を思い出しました。
今日の上毛新聞に、「がんばれ日本!ぐんま温泉プラン」と題した特別キャンペーンの広告が載りました。
主催は群馬県観光国際協会。
「ぐんまの温泉に泊まろう! 緊急特別格安キャンペーン実施中!」とし、県内各地の温泉地への宿泊を呼びかけています。
協会を通じて予約をして宿泊をすると、宿泊1件につき800円の義援金が寄付されるというものです。
●予約受付期間 / 4月1日~5月31日(火)
●宿 泊 期 間 / 4月1日~6月30日(木)
●予 約 受 付 / (財)群馬県観光国際協会
TEL.027-243-7274
まずは、支援する側が元気でなければなりません。
頑張っている心と体を温泉で癒やしてください。
と、もう1つ。
四万温泉でも、独自の「大震災募金付宿泊プラン」を実施しています。
プランに参加する旅館(35軒)に泊まると、宿泊料金の10%が「中之条町 被災者を助ける会」に募金されるというものです。
●料金・条件・特典対象期間 / 4月1日~7月31日(日)
●申し込み ・ 問い合わせ / (社)四万温泉協会
TEL.0279-64-2321
※詳しくはホームページをご覧ください。http://www.shimaonsen.com
震災後、自粛の嵐が吹き荒れ、県内の観光地および温泉地は未曾有のキャンセルが続いています。
復興への道には、この自粛を自粛することが最大の近道だと思います。
ぜひ、経済の活性化のためにも、群馬の温泉へお出かけください。
温泉ライター 小暮淳としても、皆さんによろしくお願い申し上げます。
「入って残そう、群馬のいで湯」
今日の上毛新聞に、「がんばれ日本!ぐんま温泉プラン」と題した特別キャンペーンの広告が載りました。
主催は群馬県観光国際協会。
「ぐんまの温泉に泊まろう! 緊急特別格安キャンペーン実施中!」とし、県内各地の温泉地への宿泊を呼びかけています。
協会を通じて予約をして宿泊をすると、宿泊1件につき800円の義援金が寄付されるというものです。
●予約受付期間 / 4月1日~5月31日(火)
●宿 泊 期 間 / 4月1日~6月30日(木)
●予 約 受 付 / (財)群馬県観光国際協会
TEL.027-243-7274
まずは、支援する側が元気でなければなりません。
頑張っている心と体を温泉で癒やしてください。
と、もう1つ。
四万温泉でも、独自の「大震災募金付宿泊プラン」を実施しています。
プランに参加する旅館(35軒)に泊まると、宿泊料金の10%が「中之条町 被災者を助ける会」に募金されるというものです。
●料金・条件・特典対象期間 / 4月1日~7月31日(日)
●申し込み ・ 問い合わせ / (社)四万温泉協会
TEL.0279-64-2321
※詳しくはホームページをご覧ください。http://www.shimaonsen.com
震災後、自粛の嵐が吹き荒れ、県内の観光地および温泉地は未曾有のキャンセルが続いています。
復興への道には、この自粛を自粛することが最大の近道だと思います。
ぜひ、経済の活性化のためにも、群馬の温泉へお出かけください。
温泉ライター 小暮淳としても、皆さんによろしくお願い申し上げます。
「入って残そう、群馬のいで湯」
2011年04月16日
四万温泉 「つるや(鶴屋)」
今、『奇跡の軌跡』(文芸社刊) という本を読んでいます。
著者は、鶴屋旅館の3代目主人、関良則さんです。
16年前、倒産寸前の温泉旅館を立て直すために四万温泉に帰ってきた、若き経営者の起死回生の奮闘記です。
僕は温泉や旅館の歴史が好きなので、この手の本は楽しく読ませていただいています。
関さんとの出会いは、2000年に開催された四万温泉協会主催のイベント 『探四万展(さがしまてん)』 であります。
彼は運営する協会の青年部員で、僕は招待されたアーティスト兼シンポジュームのパネリストとして参加しました。
今週、久しぶりに再会をして、昔話に花を咲かせてきました。
その時、「確か、本を出されましたよね?」と僕が話題を持ち出したところ、「ぜひ、記事の参考にしてください」と1冊いただいてきたのです。
四万温泉で「つるや」といえば、デザイナーズ旅館として若い人たちにとても人気の旅館です。
やはり2000年頃からでしょうか、雑誌『じゃらん』やテレビでも、たびたび取り上げられるようになり一躍有名になりました。
1泊何万円もする高級部屋に次々と予約が入り、すぐに満室となる伝説の旅館となったのです。
関さんは、強烈な信念と柔軟な発想の持ち主です。
本は、そんな彼の成功への挫折と再生の軌跡をたどって書かれています。
しかし僕が今回、彼を訪ねたのは、高級旅館への軌跡を知るためではなく、以前から気になっていた立地の謎を解くためだったのです。
「つるや」を訪れたこのある人なら気づいたと思いますが、四万温泉の一番奥にある旅館です。
さらに、建物は薬王寺という寺院の境内にあります。
露天風呂へ行くのに、寺の参道を渡るのです。
「実は、うちの敷地に、後から寺が建ったんですよ」
と関さんは、その謎を解き明かしてくれました。
関家の敷地内に寺が建立され、初代(関さんの祖父)が宿坊を始めたのが、そもそもの鶴屋旅館のスタートだったとのこと。
そして、寺の紋が「鶴」だったことから鶴屋となったいきさつなど、興味ある話をたくさん聞くことができました。
斜面に建てられた宿の眼下には、日向見薬師堂(国の重要文化財)のかやぶき屋根が見えます。
“鹿覗きの湯” と名づけられた露天風呂には、けもの道が通り、運が良ければカモシカが入浴を覗きにきます。
このような立地条件の中で、旅館業を営めること自体が、自然と歴史に恵まれた“奇跡の宿”だと思うのです。
2011年04月15日
現場百遍 取材何遍
「現場百遍」って言葉、好きなんですね。
刑事ドラマなんか見ていると、捜査に行き詰っている若手刑事に、初老のベテラン刑事が良く言ってますよね。
「現場百遍だ!行き詰ったら現場にもどれ!」
なーんてね。
実は、取材の現場も同じなんです。
僕は以前、雑誌の編集人を何冊かやったことがあります。
だから、スタッフの子たちには、良く似た言葉を言いました。
「電話取材で済ませるな!」
「直接会って話を聞いて来い!」
「自分が納得するまで何度でも行って来い!」
なーんてね。
とは言っても、締め切りや予算の関係から、じっくりと手間隙かけてなんて雑誌は作っていられないんですけど。
だから制約のある編集業から抜け出して、フリーランスの道を選んだのも理由の1つです。
「現場百遍」ならぬ、取材が納得ゆくまで何遍でも通えるライターになろうと……
広く浅くまとめてしまう雑誌編集に、嫌気が差したのが本音かな。
狭くても深く知ることができる執筆活動に魅力を感じたのです。
だから僕は、同じ温泉、同じ旅館に何度でも足を運び、ご主人や女将さんと何度も会い、何遍でも話を聞く取材スタイルを作りました。
まずは自分が納得しなければ、読者は絶対読んでくれませんもの。
で、今日は伊勢崎市宮子町にある「龍神宮」へ行って来ました。
かつて何度も訪ねて、いくつかの媒体に記事を書いたことのある場所です。
海なし県でありながら「浦島太郎伝説の地」と言われ、龍宮城へ続く入り口が今も存在する神社。
※詳しくは、当ブログのカテゴリー「謎学の旅」⑤「浦島太郎の墓」参照。
最初に訪ねたのは6年前。
当時、僕が編集していた雑誌に記事を書きました。
「龍神宮を守る会」の井上清さんという方を訪ね、江戸時代中期に書かれた「口口相承龍宮本記」なる所蔵書を見せてもらいました。
その書には、天文16年(1547)に浦島太郎のモデルとなった人物が龍宮城へ行って来たことが記されているのです。
そして、そのとき持ち帰った玉手箱が、今でも存在することをつきとめました。
3年後の2008年、今度は新聞の取材で訪れると、井上清さんは1年前に59歳という若さで亡くなっていました。
残念ながらその時は、その後の新しい情報や会の活動の様子は誰にも聞けませんでした。
そして今日、またまたフリーペーパーの依頼を受け、再三の現場取材を敢行してきました。
井上清さんの死去により、実質「龍神宮を守る会」は消滅していましたが、清さんの従兄弟という人から話を聞くことができたのです。
そして新たなる不思議を発見!
龍宮城から持って帰った品は、玉手箱だけではなかったという事実。
乙姫様から、あと2つの品をもらっていたのです。
さて、それは何と何か?
その品のゆくえは?
今も存在するのか?
あっという結末が、平成の現代にも残されていたのです。
つくづく、取材は現場百遍なのだと思いました。
※この結末は、4月29日発行の高崎市のフリーペーパー「ちいきしんぶん」にて掲載されます。
刑事ドラマなんか見ていると、捜査に行き詰っている若手刑事に、初老のベテラン刑事が良く言ってますよね。
「現場百遍だ!行き詰ったら現場にもどれ!」
なーんてね。
実は、取材の現場も同じなんです。
僕は以前、雑誌の編集人を何冊かやったことがあります。
だから、スタッフの子たちには、良く似た言葉を言いました。
「電話取材で済ませるな!」
「直接会って話を聞いて来い!」
「自分が納得するまで何度でも行って来い!」
なーんてね。
とは言っても、締め切りや予算の関係から、じっくりと手間隙かけてなんて雑誌は作っていられないんですけど。
だから制約のある編集業から抜け出して、フリーランスの道を選んだのも理由の1つです。
「現場百遍」ならぬ、取材が納得ゆくまで何遍でも通えるライターになろうと……
広く浅くまとめてしまう雑誌編集に、嫌気が差したのが本音かな。
狭くても深く知ることができる執筆活動に魅力を感じたのです。
だから僕は、同じ温泉、同じ旅館に何度でも足を運び、ご主人や女将さんと何度も会い、何遍でも話を聞く取材スタイルを作りました。
まずは自分が納得しなければ、読者は絶対読んでくれませんもの。
で、今日は伊勢崎市宮子町にある「龍神宮」へ行って来ました。
かつて何度も訪ねて、いくつかの媒体に記事を書いたことのある場所です。
海なし県でありながら「浦島太郎伝説の地」と言われ、龍宮城へ続く入り口が今も存在する神社。
※詳しくは、当ブログのカテゴリー「謎学の旅」⑤「浦島太郎の墓」参照。
最初に訪ねたのは6年前。
当時、僕が編集していた雑誌に記事を書きました。
「龍神宮を守る会」の井上清さんという方を訪ね、江戸時代中期に書かれた「口口相承龍宮本記」なる所蔵書を見せてもらいました。
その書には、天文16年(1547)に浦島太郎のモデルとなった人物が龍宮城へ行って来たことが記されているのです。
そして、そのとき持ち帰った玉手箱が、今でも存在することをつきとめました。
3年後の2008年、今度は新聞の取材で訪れると、井上清さんは1年前に59歳という若さで亡くなっていました。
残念ながらその時は、その後の新しい情報や会の活動の様子は誰にも聞けませんでした。
そして今日、またまたフリーペーパーの依頼を受け、再三の現場取材を敢行してきました。
井上清さんの死去により、実質「龍神宮を守る会」は消滅していましたが、清さんの従兄弟という人から話を聞くことができたのです。
そして新たなる不思議を発見!
龍宮城から持って帰った品は、玉手箱だけではなかったという事実。
乙姫様から、あと2つの品をもらっていたのです。
さて、それは何と何か?
その品のゆくえは?
今も存在するのか?
あっという結末が、平成の現代にも残されていたのです。
つくづく、取材は現場百遍なのだと思いました。
※この結末は、4月29日発行の高崎市のフリーペーパー「ちいきしんぶん」にて掲載されます。
2011年04月14日
四万温泉 「佳元」
先週に続いて今週も、昨日の昼から四万温泉に入り込み、取材活動をしてきました。
今回は、「ゆずりは」「日向見」という四万温泉でも奥之院にあたる地区です。
にぎやかな「山口」や「新湯」地区とは違った、のんびりと風情を味わう宿が多いエリアです。
昨晩は、ゆずりは地区にある「時わすれの宿 佳元(よしもと)」に泊めていただきました。
「佳元」は平成5年創業という、四万温泉では新しい宿ですが、以前、取材に寄ったことがあり、その時からとても気になっていたのです。なので、「ぜひ、今回は泊まらせてください」と、温泉協会に頼んでおいたのです。
何が気になっていたのかって?
はい、焼酎です。
この宿には「焼酎バー」があるんですよ!
あれ、小暮さんは日本酒党ではないのですか?だって……
はい、でも焼酎も好きなんですよ。特に “芋” がね。
ということで、取材は泊まりで、ご主人のインタビューはバーのカウンターで、とお願いしたのです。
ズラリと並んだ焼酎の銘柄は、なんと160種類!
しかも芋・麦・米……よりどりみどり。
なんでも女将が奄美大島の出身とかで、黒糖焼酎も種類が豊富なんです。
おすすめは、なんと言っても、バーの名前にもなっている本格芋焼酎の「兎乃(うの)」。
焼酎好きのご主人が、芋焼酎の本場、鹿児島を何度も訪れて、蔵元に造らせたオリジナル焼酎なのです。
ラベルだけではなく中身までが、オリジナル。
これを広口のグラスに、ドボドボッと注いで、丸い大きな氷を1つ入れて、ロックでいただくのが ウ・マ・イ!
カウンターを挟んで、僕とご主人の大人のトークショーです。
カメラマンは、後方からベストショットを狙って、シャッターを切り続けています。
会心の1枚が撮れたようですよ。
「こちらの宿のメインフォトは、これで決まりです!」
と、かなりはしゃぎ気味でカウンターへ走り寄り、画像を2人に見せてくれました。
オレンジ色の光の中に、ズラリと浮かぶ焼酎の瓶……
その前には、ヒゲの似合うマスター(ご主人)と、カウンター席には浴衣に丹前姿のシブイ中年の男性客(僕です)……
「いいじゃないですか、これで行きましょう!」
と、いうことで、カメラマンもカウンターに加わり、いよいよ、焼酎の飲み比べの始まりです。
ご主人の鹿児島の飲み屋で出会った女将とのラブロマン話を聞きながら、最後は黒糖焼酎の甘い香りに酔いしれました。
「“酒と食と会話” が、うちのテーマのなんです」と、ご主人の田村佳之さん。
まさに、その通りの宿であります。
今回は、「ゆずりは」「日向見」という四万温泉でも奥之院にあたる地区です。
にぎやかな「山口」や「新湯」地区とは違った、のんびりと風情を味わう宿が多いエリアです。
昨晩は、ゆずりは地区にある「時わすれの宿 佳元(よしもと)」に泊めていただきました。
「佳元」は平成5年創業という、四万温泉では新しい宿ですが、以前、取材に寄ったことがあり、その時からとても気になっていたのです。なので、「ぜひ、今回は泊まらせてください」と、温泉協会に頼んでおいたのです。
何が気になっていたのかって?
はい、焼酎です。
この宿には「焼酎バー」があるんですよ!
あれ、小暮さんは日本酒党ではないのですか?だって……
はい、でも焼酎も好きなんですよ。特に “芋” がね。
ということで、取材は泊まりで、ご主人のインタビューはバーのカウンターで、とお願いしたのです。
ズラリと並んだ焼酎の銘柄は、なんと160種類!
しかも芋・麦・米……よりどりみどり。
なんでも女将が奄美大島の出身とかで、黒糖焼酎も種類が豊富なんです。
おすすめは、なんと言っても、バーの名前にもなっている本格芋焼酎の「兎乃(うの)」。
焼酎好きのご主人が、芋焼酎の本場、鹿児島を何度も訪れて、蔵元に造らせたオリジナル焼酎なのです。
ラベルだけではなく中身までが、オリジナル。
これを広口のグラスに、ドボドボッと注いで、丸い大きな氷を1つ入れて、ロックでいただくのが ウ・マ・イ!
カウンターを挟んで、僕とご主人の大人のトークショーです。
カメラマンは、後方からベストショットを狙って、シャッターを切り続けています。
会心の1枚が撮れたようですよ。
「こちらの宿のメインフォトは、これで決まりです!」
と、かなりはしゃぎ気味でカウンターへ走り寄り、画像を2人に見せてくれました。
オレンジ色の光の中に、ズラリと浮かぶ焼酎の瓶……
その前には、ヒゲの似合うマスター(ご主人)と、カウンター席には浴衣に丹前姿のシブイ中年の男性客(僕です)……
「いいじゃないですか、これで行きましょう!」
と、いうことで、カメラマンもカウンターに加わり、いよいよ、焼酎の飲み比べの始まりです。
ご主人の鹿児島の飲み屋で出会った女将とのラブロマン話を聞きながら、最後は黒糖焼酎の甘い香りに酔いしれました。
「“酒と食と会話” が、うちのテーマのなんです」と、ご主人の田村佳之さん。
まさに、その通りの宿であります。
2011年04月13日
講座延期のお知らせ
今月より開講予定だった前橋カルチャーセンター主催の温泉講座 『小暮淳と行く 湯けむり散歩」』 が、震災の影響と多発する余震を考慮して、2ヵ月後に延期されることになりました。
すでに申し込まれている方には、ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません。
ご理解のほど、よろしくお願いいたします。
6月~9月の開催を予定しています。
6月上旬に、新たに講座案内の新聞折り込みが入りますので、ご覧ください。
詳しくは、同センターまでお問い合わせください。
●問合・申込/前橋カルチャーセンター(けやきウォーク前橋2F)
TEL.027-223-5121
すでに申し込まれている方には、ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません。
ご理解のほど、よろしくお願いいたします。
6月~9月の開催を予定しています。
6月上旬に、新たに講座案内の新聞折り込みが入りますので、ご覧ください。
詳しくは、同センターまでお問い合わせください。
●問合・申込/前橋カルチャーセンター(けやきウォーク前橋2F)
TEL.027-223-5121
2011年04月12日
先急いでいる文明に
九州に住む友人から、次のようなメールが来ました。
「先急いでいる文明に対抗するのは文化だと思います」
東京都知事が、今回の震災のことを “天罰” と言って、顰蹙(ひんしゅく)を買いましたよね。
被災地の人たちにしてみれば、“天罰” を受ける筋合いのない天災であります。
知事の発言に憤慨するのも当然です。
ただし、天罰の前に、先ほどの友人の言葉を付けたらどうでしょうか?
“先急いでいる文明に天罰が下った” のだとしたら……。
実は、ここ数年、なんだか今回の震災を案じるように「昭和ブーム」が続いていたことが、とても気になります。
映画 「ALWAYS 三丁目の夕日」 あたりから始まった昭和ブームは、ただ単に懐かしさを求めているだけではなく、不便でも人が人らしく暮らしていた時代への回帰願望が、我々日本人のなかにあったのではないでしょうか。
昭和30~40年代に少年期を過ごしてきた僕らは、集まると、よく「あの頃は良かった」話をします。
でも、本当に良かったのかと問い続けると、「実に不便な時代だった」ということになるのです。
自家用車も電話もエアコンも無かった時代です。
さらに貧富の差は激しく、一般家庭には、まだまだ冷蔵庫もカラーテレビも洗濯機も高嶺の花でした。
今でも覚えているのですが、小学生のとき「○○が家にある人ごっこ」というのが流行ったことがありました。
「カラーテレビがある人?」「はーい」
「自家用車が家にある人?」「はーい」
そして一度も手を挙げられなかった子は、みんなから「貧乏、びんぼう、ビンボウ」と言葉の罰ゲームを浴びせられるのです。
幸か不幸か、僕のうちは自営業だったので、比較的早く電話と自動車は入りましたが、カラーテレビは遅いほうだったと思います。それまでは、よく近所のうちへテレビを見に行った記憶があります。それを見かねて、オヤジが無理してカラーテレビを買ったのだと思います。
「あの頃は良かった」と言っても、本当にあの頃へもどることは、もうできません。
でも……
時速300キロで走る新幹線はいりません。
24時間開いているコンビ二はいりません。
山奥でも通じる携帯電話はいりません。
…………はいりません。
…………はいりません。
…………はいりません。
文明は、人間の暮らしを豊かにする未来を創ります。
文化は、何十年何百年と人間が手をかけて作り上げるものです。
豊かな未来を創ることも必要ですが、先急ぐ必要はありません。
この震災を機に、我々人間が一緒に歩めるスピードで、文明を築き上げていきたいものです。
メールには、もう1行、こんな言葉が添えてありました。
「まさしく小暮さんの力が必要な時だと思います」
僕なんかの力が、何に役立つというのでしょうか。
先急いでいる文明に対して、小さなクサビとなれるのでしょうか。
もし僕にできることがあるのなら、惜しみなく力を差し出します。
「先急いでいる文明に対抗するのは文化だと思います」
東京都知事が、今回の震災のことを “天罰” と言って、顰蹙(ひんしゅく)を買いましたよね。
被災地の人たちにしてみれば、“天罰” を受ける筋合いのない天災であります。
知事の発言に憤慨するのも当然です。
ただし、天罰の前に、先ほどの友人の言葉を付けたらどうでしょうか?
“先急いでいる文明に天罰が下った” のだとしたら……。
実は、ここ数年、なんだか今回の震災を案じるように「昭和ブーム」が続いていたことが、とても気になります。
映画 「ALWAYS 三丁目の夕日」 あたりから始まった昭和ブームは、ただ単に懐かしさを求めているだけではなく、不便でも人が人らしく暮らしていた時代への回帰願望が、我々日本人のなかにあったのではないでしょうか。
昭和30~40年代に少年期を過ごしてきた僕らは、集まると、よく「あの頃は良かった」話をします。
でも、本当に良かったのかと問い続けると、「実に不便な時代だった」ということになるのです。
自家用車も電話もエアコンも無かった時代です。
さらに貧富の差は激しく、一般家庭には、まだまだ冷蔵庫もカラーテレビも洗濯機も高嶺の花でした。
今でも覚えているのですが、小学生のとき「○○が家にある人ごっこ」というのが流行ったことがありました。
「カラーテレビがある人?」「はーい」
「自家用車が家にある人?」「はーい」
そして一度も手を挙げられなかった子は、みんなから「貧乏、びんぼう、ビンボウ」と言葉の罰ゲームを浴びせられるのです。
幸か不幸か、僕のうちは自営業だったので、比較的早く電話と自動車は入りましたが、カラーテレビは遅いほうだったと思います。それまでは、よく近所のうちへテレビを見に行った記憶があります。それを見かねて、オヤジが無理してカラーテレビを買ったのだと思います。
「あの頃は良かった」と言っても、本当にあの頃へもどることは、もうできません。
でも……
時速300キロで走る新幹線はいりません。
24時間開いているコンビ二はいりません。
山奥でも通じる携帯電話はいりません。
…………はいりません。
…………はいりません。
…………はいりません。
文明は、人間の暮らしを豊かにする未来を創ります。
文化は、何十年何百年と人間が手をかけて作り上げるものです。
豊かな未来を創ることも必要ですが、先急ぐ必要はありません。
この震災を機に、我々人間が一緒に歩めるスピードで、文明を築き上げていきたいものです。
メールには、もう1行、こんな言葉が添えてありました。
「まさしく小暮さんの力が必要な時だと思います」
僕なんかの力が、何に役立つというのでしょうか。
先急いでいる文明に対して、小さなクサビとなれるのでしょうか。
もし僕にできることがあるのなら、惜しみなく力を差し出します。
2011年04月11日
フクシマの友より
昨晩、福島県在住の友人から電話がありました。
今から20年以上も前の事です。
ひょんなことから中国へ行くことになりました。
それも船で……
実兄に「お前も行くか?」と誘われて、待ち合わせ場所の東京駅へ行くと、これから外国へ行くとは思えないラフな格好の若者が立っていました。
「ジュンちゃん? でしょう! お兄さんに似てるもの」
そう声をかけてきてくれたのが、福島県出身のU君でした。
偶然にも僕と同じ歳だったこともあり、意気投合して、一緒に旅を続けました。
大阪港から鑑真号に乗り込み、3日間かけて上海へ。
杭州で遊び、その後は鉄道で北京まで北上しました。
僕とU君は仲間から離れ、2人して北京市内の大学の学生寮に侵入し、留学生らと過ごしたことが、ついこの間のように思い出されます。
現在、U君は福島県の北部、宮城県境の町で所帯を持って、家族と住んでいます。
3月11日の大震災では、震度6強を記録しています。
「福島っちゅうと、原発事故のことばかりで、地震の被害のことは、ぜんぜん伝わってないでしょ」
彼の住む町は原発から半径70キロの位置にあるため、直接生活への不便はないようですが、農作物の出荷はすべてストップしてしまっているとのことです。
彼は、兼業農家です。果樹園を持っていますが、「当分、作物はダメだ」と言ってました。
「それより、工場が大打撃を受けた」
彼の勤め先はAV機器の部品メーカーです。
まだ完全には、復旧していないようです。
「致命的なのは、輸出だよ」
と、思わぬ現実を話し出しました。
食品でなくても、放射能チェックが厳しくて、なかなか輸出できないのだと言います。
「特に、アジア諸国が厳しい。日本=放射能に汚染された国、っていう先入観が付いてしまった」
と嘆げいていました。
県内観光地は壊滅、温泉地についても「避難住民を受け入れた所はまだいいが、原発の近くは壊滅だな」とのこと。
話を聞けば聞くほど、群馬の程度とは比べ物にならないほどの実被害と風評被害の大きさに驚かされました。
「で、本題なんだけど……」
30分も震災話をした後、U君が話を切り出しました。
なんでも、彼の長男が今春から太田市の自動車メーカーに就職をして、ひとり暮らしを始めたらしいのです。
「息子にさ、何か困ったことがあったら前橋の小暮さんに相談しろって言ったのよ。もしもの時は、よろしく頼みますよ」
とのことでした。
お安い御用であります。
お父さんには、中国旅行でも、日本に帰って来てからも大変お世話になっているのですから。
「もちろん、OKだよ。ただし、息子さんに言っておいてよ。小暮のおっちゃんは、金だけ持ってないぞって。それ以外のことなら、大概のことは大丈夫だ」
そう言って、電話を切りました。
あれから24年。
20代最後の春でした。
鑑真号の甲板から見つめた、東シナ海の海の色が忘れられません。
あの穏やかな海も海。
津波を伴い荒れ狂う海も海。
平成の世が、平に成らんことを切に望みます。
2011年04月10日
参加オヤジバンド募集中!
今日は、イベントの紹介です。
僕が日頃、取材等でお世話になっている四万温泉協会主催による 『四万温泉オヤジバンドフェスティバル』 が、今夏に開催されます。
本選当日は、アッと驚くスペシャルゲストを招き、バンド交流会も計画されています。
もちろん、僕も会場に駆けつけ、審査員をやる予定です。
ただいま、参加バンド募集中!
全国の熱きオヤジたちよ、今年の夏は四万温泉に集まれ!
『四万温泉オヤジバンドフェスティバル』
● 本 選 /2011年7月2日(土)
会場 : 四万温泉 旧中之条町立第三小学校体育館
●応募資格/平均年齢30歳以上で、コピー曲を演奏できるオヤジバンド。
グループサウンズ・J-POPから洋楽まで、新旧、性別、ジャンル、演奏スタイルは問いません。
●応募方法/バンドの雰囲気が伝わる応募者写真と応募作品2曲を収録したCD・MD・VHSビデオ・DVD等に
応募申込書を添えて、下記実行委員会まで送付してください。動画メールなども添付可能です。
※四万温泉ホームページで応募申込書がダウンロードできます。
http://www.shimaonsen.com/
●応 募 先/〒377-0601 群馬県吾妻郡中之条町四万温泉
四万温泉協会 「オヤジバンドフェスティバル」 係
● 審 査 /応募作品から、7月2日実施の四万温泉オヤジバンドフェスティバル出演12組を選出
※6月初旬に合否結果を応募者へ送付
本選 : 四万温泉オヤジバンドフェスティバル進出12組から各賞決定
●審査基準/表現力、演奏力、感性、エンタテイメント、オヤジ力ほか
● 各 賞 /四万温泉賞(温泉宿泊券)、審査員特別賞、参加賞ほか
●応募締切/2011年5月10日(火) 必着
● 問 合 /四万温泉協会 「オヤジバンドフェスティバル」事務局
TEL.0279-64-2321