2011年05月31日
酔いどれて吉祥寺
車でラジオを聴いていたら、お笑い芸人かタレントが、「吉祥寺の井の頭公園でストリートパフォーマンスをやってまーす!」なんてトークをしていました。
吉祥寺か……。
我が青春の街だなぁ~、Aちゃんは今、何しているんだろーなぁ……。
なーんてことを考えていたのですよ。
Aちゃんは美大の学生で、よく吉祥寺の路上で絵を売っていた女の子です。
彼女との初めてのデートも吉祥寺。それもパルコ屋上の簡易シアターで映画を見たっけ。
確か、鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』だった。
もう、30年も前の話です。
「井の頭公園のどのへんでやってるの?」
「伊勢屋っていう焼き鳥屋の方から入って……」
伊勢屋だー?
そりゃ、支店の公園口店のことだよ。
確か本店は、新しくなったと聞いている。
何度か本店も世話になったし、公園口店も前回世話になった。
あそこのシュウマイが、うまいのなんのって、ハンパねーんだから。
ああ、食いたくなってきた。
と、いうことで、僕の頭の中は、吉祥寺でいっぱいになってしまったのでした。
吉祥寺は、1~2年に一遍だけど、今でも行く街です。
仲間と夕方までにたどり着いて、伊勢屋で飲みながら時間つぶして、酒の力を借りて、勢いつけて、いざ出陣!
目指すは、ライブハウスの「マンダラ2」であります。
『なぎら健壱 マンスリーライブ』
我が人生の師であり、笑いの師、遊びの師であるなぎらさんに、パワーをいただきに行くのであります。
マンダラは、今でも昭和なんです。
館内はタバコの煙がもうもうだし、みんな酒を浴びるようにあおっているし、ヤジは飛ぶし、なぎらさんも返してくれるし……ね。
ライブ終了時には、みんなグデングデンで電車に乗り込んで、そのまま群馬まで飲み続けるのが恒例であります。
で、そんな僕の “酒の師匠” でもある、なぎら健壱氏の著書 『酒(しゅ)にまじわれば』 (文春文庫) が、ここ数日、晩酌の肴になってます。
酒場を漂流するなぎらさんの、おかしくも、ほろ苦い、エピソードの数々。
これぞ呑兵衛! という酒エッセイの傑作であります。
では今夜も、チビチビとページをめくりながら、我が家の酒場で酔いどれるとしますか!
2011年05月30日
怒れ! 湯愛人
激怒します!
いえいえ、僕だけではありませんよ。
群馬県内の温泉地および関係者は、みーんな怒っています。
まったくもって、群馬県はやってくれました。
みなさんは、群馬デスティネーションキャンペーン用の群馬県観光ポスターの最新版をご覧になりましたか?
そう、あの群馬観光大使の中山秀ちゃんと井森美幸ちゃんが出ているヤツです。
前回バージョンは、確か 『グンマの休日』 と題した映画「ローマの休日」のパロディーだったと思います。
で、今回、新バージョンが、またまた県内いたるところに張り出されたのであります。
タイトルは 『群馬旅弁当』 。
弁当の食材に見立てて、群馬の名産や名所が弁当箱の上にのっています。
富岡製糸工場とか、ラフティングとか、リンゴ、ブドウ、豚肉、うどん……
へぇ~、こんなのも群馬の名産なんだぁ~?
なーんていうマイナーな物も、てんこ盛りにされています。
「小暮さん! このポスター見ました? ちょっとヒドクありませんか! 温泉がのってないんですよー!」
そう、ポスターを指さして興奮気味に話すのは、某温泉協会の女子職員さんです。
「まっさか、そんなことはないでしょう……、どれどれ……あれー?」
ない!
ない!
ないのです!
“温泉大国” “湯の国ぐんま” の観光ポスターなのに、草津の湯畑1つ、宝川の露天風呂1つ、温泉関係の写真が1点も載ってないのです。
「ねーーっ、ヒドイでしょーう!」
と、彼女は怒り心頭であります。
「顔の効くところで、小暮さんから県に、きつーく言ってやってくださいよ。本当、アッタマきちゃうんだから!」
なんだか、彼女の怒りが僕にも伝染してきて、こっちまでムカムカしてきましたよ。
いゃー、情けない。
「群馬は温泉、温泉は群馬」と、講演やセミナーやエッセーやコラムでも、ことあるごとに群馬の温泉の魅力を語ってきた僕としても、この県の観光ポスターの取り組みには、ガッカリしました。
かねてから僕は、“温泉は群馬の最大のブランド” だと言い続けてきました。
さらには、「群馬には温泉しかない!」とまで、言い放ってきました。
すると、県の観光関係の人たちは必ず、「いやいや、小暮さん、“しか”っていうことはありませんよ」と言い返してきます。
でも、「温泉しか」というのは、最大の賛辞なのですよ!
「温泉がある」 なんていう中途半端な愛情じゃないんだから!
ましてや「群馬には温泉もある」という、コンビニ的な姿勢には、まったくもって閉口します。
“なんでもある” は、“なんにもない” と同じことですぞ!
こんなことですから、いつまでたっても群馬のブランド力は、全国下位なんです。
怒れ! 湯愛人たちよ
2011年05月29日
アオキマリコ現象 ふたたび
ここ数年、発症していなかったので、先日は不意をつかれました。
かの有名な「本屋便意症状」のことです。
またの名を “アオキマリコ現象” とも言います。
今から20年以上も前のことです。
正確には1985年、某雑誌に東京都在住の青木まりこ(ペンネーム)と名のる29歳女性からの投書が載りました。
「なぜ、本屋へ行くとトイレに行きたくなるのでしょうか? それも大です。私だけでしょうか?」
という内容でした。
すると、「僕も」「私も」「俺も」と全国から同じ現象が起きるという投書が殺到!
ついには、この現象を最初の投書者である女性の名をとって「アオキマリコ現象」と名づけられました。
で、僕もまさに同じ現象に悩んでいた1人でしたから、当時、編集していた雑誌で、この現象を取り上げたりもしたのです。
が、「紙やインクの匂いが便意を誘発するのでは?」という諸説はありましたが、いまだに原因は不明。
この本屋好き、図書館好きには大敵の「アオキマリコ現象」ですが、なぜか花粉症のように長年発症しつづけると、徐々に症状は軽くなって、やがて免疫ができるのか発症しにくくなるのです(医学的な根拠はありません)。
僕も歳を取ってからは、花粉症も治まり、「アオキマリコ現象」も鳴りをひそめていました。
だから、勝手に完治したと思い込んでいたのです。
うかつ、でした!
先日、図書館で調べ物を始めた途端です。
図書館に入って、ものの5分と経っていないのに、急に下っ腹に異変が起き、続いて猛烈な便意が襲って来たのです。
ままま、まさか?
これはアオキマリコか?
そんな……
もう一刻も猶予はありません。
手にした本を書棚に返して、脱兎のごとくトイレへ飛び込みました。
完全なる再発です。
それも以前より増して、発症スピードと便意力がアップしています。
ライターという職業柄、図書館や本屋は頻繁に利用する場所なので、大変困っています。
どなたか、治療方法もしくは特効薬を知っていたら、ぜひ教えてくださいな。
2011年05月28日
茶釜の蓋はどこへ行った?
今日は小雨のぱらつく中、館林市の茂林寺まで行ってきました。
何をしにかって?
もちろん「分福茶釜」を見にです。
何で「分福茶釜」を見に行ったのかって?
それは、蓋(ふた) を確認しにであります。
みなさんは、昔話の「分福茶釜」の話は、知っていますよね?
子供の頃、絵本で読んだと思います。
茶釜から顔と手足を出したタヌキが綱渡りをする、あの「分福茶釜」であります。
当然、お伽話でありますから、茶釜は踊りませんが、このお伽話には元になった別の話があるのです。
今から約580年も昔、室町時代のことです。
榛名山のふもと(たぶん伊香保温泉) で茂林寺の正通和尚は、茶釜を持った四角い顔の坊さんと出会い、寺へ連れて帰りました。のちに、この坊さんは、顔が四角いことから「守鶴」和尚と呼ばれるようになるのですが、持参した茶釜が実に不思議な茶釜だったのです。
ある夏のこと。
寺で千人法会があり、千人分のお茶を用意することになりましたが、守鶴和尚の茶釜だけは、湯が無尽蔵に沸いてなくなることがなかったといいます。
寺に来て161年が経ったある日、守鶴和尚はこつ然と姿を消します(161年目にですぞ!)。
後世、この守鶴和尚はタヌキの化身だと伝わり、この話を元に「分福茶釜」のお伽話が創られたといわれています。
で、
ならば、守鶴和尚は、どこから来たのか?
はたまた、茶釜はどこから持ってきたのか?
知りたいですよねぇ~?
だから調べました!
すると、あらららららら~、っとオッタマゲテしまうような守鶴和尚と茶釜の前世物語があったんですよ!
それも、茶釜を持ち出すとき、茶釜の蓋を落としてしまった事実まで突き止めました。
だから、もし、その前世物語が本当なら、現在、茂林寺に現存する茶釜の蓋は “ニセモノ” ということになりますよね。
と、いうことで今日は、『民話と伝説の舞台』 を連載している「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) のY編集長とともに、茶釜の蓋を確かめに行って来たのであります。
その結果、現存する茶釜には蓋があることにはあるのですが、これは誰が、どう見ても、合わせ物でした。
では、ホンモノの蓋はどこに?
それを探すのが、僕の仕事なのであります。
この結末は、「ちいきしんぶん」に掲載されます。
また、後々には、シリーズの出版化も予定されています。
ご期待くだされ!
2011年05月27日
四万温泉 「長静館」
「いゃ~、これはハードな仕事ですねぇ」
と、僕と一緒に入浴していたデザイナーのクリちゃんが、しみじみと言いました。
分かってもらえたんですね。うれしいなぁ~!
とかく、温泉ライターだなんて聞くと 「うらやましいですねぇ、温泉に入るのが仕事だなんて」という輩が多いのですよ。
でも世の中、ラクな仕事なんて、ありませんから。
温泉ライターも、しかりです。
湯あたり、御免!
ということで、昨日も朝から、超ハードな入浴取材となりました。
午前9時、ゲートの開門を待って、四万温泉の共同湯「山口露天風呂」へ、浴衣姿でタオルを持って出かけました。
9時ジャスト! ゲート前の床屋のオヤジが、「はいはい、今開けますよ」とカギを持ってやって来ました。
冬場は凍結のためクローズしていますが、この時季は新緑が見事で、絵になるスポットです。
サササッと浴衣を脱いで、湯舟の中へ。
熱からず、ぬるからず、いい湯加減です。
カメラマン氏が、あっちへ行ったり、こっちへ来たり。
毎度のことですが、僕の股間が写らないようにと、苦労してくださっています。
山口露天風呂の撮影が終わるやいなや、次の現場へ。
一般客が入る午前10時までに、有料の日帰り入浴施設 「清流の湯」 での撮影を終えなくてはなりません。
一路、温泉口地区へ移動。
「清流の湯」では、四万温泉協会事務局長の田村悟志さんが、すでに待っていました。
「露天風呂の撮影は、無事終わりましたか? では、こちらへ」
と浴室へ通され、さっき浴衣から着替えたばかりの服を、またもや脱いで、脱兎のごとく湯舟の中へ。
あれれれっ、れー!
撮影をしている途中から、清掃が始まってしまいましたよ。
それも、やって来たのは、うら若き女性従業員です。
ま、撮影の邪魔にならなければ、どこで誰が何をしていてもかまわないのですが、こっちはスッポンポーンなのであります。
湯舟から出たり入ったり、浴槽を移動したり、その都度、チラッ、チラッと、おねえさんの視線が気になります。
ええっい!
こちとらプロの温泉ライターよ。
全裸が恥ずかしかったら、商売にならんのよ。
えーい! こうなったらプロの意地とやらを見せてやれ!
ホレホレーっと、フルチンのまま、掃除をしているおねえさんの前を堂々と通過してやりました。
(決して、セクハラなんかじゃありませんよ。あくまでもプロの意地です)
で、濡れた体に服を着たのもつかの間、すぐに移動です。
次は、温泉口地区にある「長静館(ちょうせいかん)」にて、料理と入浴シーンの撮影です。
「長静館」を訪ねるのは、3年ぶり。
前回は確か、JRの「小さな旅」の取材でした。
3代目女将の新井直美さんとも、久しぶりの再会です。
しっかり僕のことを覚えてくださいましたよ。
相変わらず、若くて可愛い女将さんであります。
歳の頃は、たぶん僕と変わらないはずなのに、実年齢よりは絶対10歳以上は若く見られるはずです。
初めて会ったときから僕は、ひと目でファンになってしまいました。
「長静館」の魅力は、女将の初々しさだけではありません。
とにかく“湯”に対する宿の姿勢がいいんですね。
「お湯が分かる人に来てほしいから」と、温泉宿に不必要な付加価値部分は、すべて排除した宿なんです。
だから館内も、とってもシンプルなつくりです。
新鮮な湯を源泉かけ流しで、充分に満足してもらえるためにと、客室を減らしました。
なのに、1人でも宿泊OKなんですよ。
もちろん、お湯は、同館所有の自家源泉です。
「つねに湯を最上の状態で、お客に提供したい」という女将の願いが、湯を通して、ちゃんと体に伝わってくるのが分かります。
掛け値なしで、四万温泉の中でも、ベスト5に入る湯守のいる宿ですぞ!
2011年05月26日
四万温泉 「鍾寿館」③
昨日の昼から今日の午後まで、またまた四万温泉に入り込んで、取材活動を行ってきました。
いつもはカメラマンと2人だけなのですが、今回はデザイナーのK君も一緒です。
いや、K君は、もう匿名でなくてもいいんでしたね。
先日、発表された「小暮淳 イメージキャラクターコンテスト」で、見事グランプリに輝いた栗原俊文くんです。
僕らは、「クリちゃん」もしくは「クリ」と親しみをこめて呼んでいます。
新進気鋭、群馬のデザイン界の若きホープであります。
午前中に前橋市内でクリちゃんと合流し、彼の車に乗り換えて、一路、四万温泉へ。
四万温泉協会の駐車場で、カメラマンのK氏と待ち合わせです。
いや、K氏も匿名でなくていいんでした。
毎回、僕の温泉本のプロデュース兼アートディレクター兼カメラマンをしていただいている、プロジェクトK代表の桑原一さんであります。
今回、桑原氏の発案で、次回の僕の本のデザインは、クリちゃんにお願いすることになったのです。
で、デザインする者、一度は現場を見たほうが、良い本を作れます。
ということで、3人揃って、四万温泉街をブラブラすることになりました。
なので、昼間の旅館取材は、なし!
気楽な、四万散歩となりました。
まずは、そば打ち名人の主人がいる「旅館 若山」で、そばをごちそうになりました。
言っておきますが、タダそばを食ったわけではありませんよ。
これも取材です。
しっかり、撮影もしました。
その後は、飲泉所と足湯場と共同湯めぐり。
「平日の昼真っから、いいなぁ~」 という声も聞こえてきそうですが、これもれっきとした仕事なのです。
その後、奥四万湖や四万川ダムを撮影して、夕方までに、この日、お世話になる旅館「鍾寿館(しょうじゅかん)」へ入りました。
「鍾寿館」は、四万温泉の中でも、僕が10回以上泊まっている常宿の1つです。
4代目主人の田村徹さんは、温泉協会の前会長であり、今でも何かにつけて「淳さん」「徹さん」と呼び合い、公私共にお付き合いをさせていただいている方であります。
それと「鍾寿館」は、世界でたった1つだけの「小暮淳ギャラリー」のある旅館であります。
クリちゃんは、この日、初めて僕の “絵” を見ました。
感想は? 「……」でしたね。
ま、ギャラリーと言ったのは大袈裟でした(スミマセン)。
ロビーから2階へ向かう、階段途中の踊り場に3点の作品が飾ってあるだけです。
水彩画と文字絵と直筆原稿です。
水彩画は、「上毛かるた」のパロディー画。
文字絵とは、僕の造語ですが、絵の具で書いた文字です。
と、四万温泉と上毛かるたの思い出を書いたエッセーの原稿用紙であります。
まことに、世間をおちょくったような話ですが、水彩画も文字絵も、このとき初めて描いたものです。
(徹さん、あなたはエライ! よく買い取ってくださいました)
いつもはカメラマンと2人で、ちびちびとやる酒も、昨晩は若いクリちゃんがいましたから、ハイペースでがんがん飛ばしました。
旅館に着くなり缶ビールを5本空け、夕食時には生ビールと冷酒を2本、さらに食後に徹さんから地酒の冷やが3本も差し入れがあり、それはそれは上機嫌な3人だったのであります。
本のデザインや出版、さらには販売について……
夜も更けるまで、熱く熱く語り合ったのでありました。
※特筆すべきは、「鍾寿館」には、湯量豊富で高温の自家源泉が2本もあること。
内風呂、露天風呂、貸切風呂など、全部で9浴室!
しかも加水なし、加温なし、完全放流式(かけ流し)。
うち、いくつかの浴槽は、泉源より低い位置にあるたるめ、“自然流下” にて給湯しています。
確かな湯守(ゆもり)のいる宿だからこそ、できる技であります。
いつもはカメラマンと2人だけなのですが、今回はデザイナーのK君も一緒です。
いや、K君は、もう匿名でなくてもいいんでしたね。
先日、発表された「小暮淳 イメージキャラクターコンテスト」で、見事グランプリに輝いた栗原俊文くんです。
僕らは、「クリちゃん」もしくは「クリ」と親しみをこめて呼んでいます。
新進気鋭、群馬のデザイン界の若きホープであります。
午前中に前橋市内でクリちゃんと合流し、彼の車に乗り換えて、一路、四万温泉へ。
四万温泉協会の駐車場で、カメラマンのK氏と待ち合わせです。
いや、K氏も匿名でなくていいんでした。
毎回、僕の温泉本のプロデュース兼アートディレクター兼カメラマンをしていただいている、プロジェクトK代表の桑原一さんであります。
今回、桑原氏の発案で、次回の僕の本のデザインは、クリちゃんにお願いすることになったのです。
で、デザインする者、一度は現場を見たほうが、良い本を作れます。
ということで、3人揃って、四万温泉街をブラブラすることになりました。
なので、昼間の旅館取材は、なし!
気楽な、四万散歩となりました。
まずは、そば打ち名人の主人がいる「旅館 若山」で、そばをごちそうになりました。
言っておきますが、タダそばを食ったわけではありませんよ。
これも取材です。
しっかり、撮影もしました。
その後は、飲泉所と足湯場と共同湯めぐり。
「平日の昼真っから、いいなぁ~」 という声も聞こえてきそうですが、これもれっきとした仕事なのです。
その後、奥四万湖や四万川ダムを撮影して、夕方までに、この日、お世話になる旅館「鍾寿館(しょうじゅかん)」へ入りました。
「鍾寿館」は、四万温泉の中でも、僕が10回以上泊まっている常宿の1つです。
4代目主人の田村徹さんは、温泉協会の前会長であり、今でも何かにつけて「淳さん」「徹さん」と呼び合い、公私共にお付き合いをさせていただいている方であります。
それと「鍾寿館」は、世界でたった1つだけの「小暮淳ギャラリー」のある旅館であります。
クリちゃんは、この日、初めて僕の “絵” を見ました。
感想は? 「……」でしたね。
ま、ギャラリーと言ったのは大袈裟でした(スミマセン)。
ロビーから2階へ向かう、階段途中の踊り場に3点の作品が飾ってあるだけです。
水彩画と文字絵と直筆原稿です。
水彩画は、「上毛かるた」のパロディー画。
文字絵とは、僕の造語ですが、絵の具で書いた文字です。
と、四万温泉と上毛かるたの思い出を書いたエッセーの原稿用紙であります。
まことに、世間をおちょくったような話ですが、水彩画も文字絵も、このとき初めて描いたものです。
(徹さん、あなたはエライ! よく買い取ってくださいました)
いつもはカメラマンと2人で、ちびちびとやる酒も、昨晩は若いクリちゃんがいましたから、ハイペースでがんがん飛ばしました。
旅館に着くなり缶ビールを5本空け、夕食時には生ビールと冷酒を2本、さらに食後に徹さんから地酒の冷やが3本も差し入れがあり、それはそれは上機嫌な3人だったのであります。
本のデザインや出版、さらには販売について……
夜も更けるまで、熱く熱く語り合ったのでありました。
※特筆すべきは、「鍾寿館」には、湯量豊富で高温の自家源泉が2本もあること。
内風呂、露天風呂、貸切風呂など、全部で9浴室!
しかも加水なし、加温なし、完全放流式(かけ流し)。
うち、いくつかの浴槽は、泉源より低い位置にあるたるめ、“自然流下” にて給湯しています。
確かな湯守(ゆもり)のいる宿だからこそ、できる技であります。
2011年05月24日
沢渡温泉 「まるほん旅館」③
今日はNHK文化センターの温泉講座、「探訪! ぐんまの小さな温泉」の第2回講座日でした。
今回の温泉は、沢渡温泉。
江戸時代より、「草津のなおし湯」と呼ばれてきた名湯であります。
取材では何度も訪ねている温泉ですが、これがまた講座で行くとなると、ひと味もふた味も違うんですね。
これも仕事には変わりないのですが、なんとなく遊びに来ている感覚なのです。
湯上りに、受講生らと飲むビールの味も格別です。
沢渡温泉で一番古い老舗旅館 「まるほん旅館」 を訪ねるのは、昨年出版した 『群馬の小さな温泉』 のグラビア撮影以来ですから、かれこれ1年ぶりになります。
でも16代目主人の福田智さんとは、昨年11月に行われた僕の出版記念パーティーに来てくださったので、約半年ぶりの再会ということになります。
「ここの湯はね、僕が知るかぎり、県内で5本の指に入る絶品の湯ですから、しっかり肌で覚えて帰ってくださいね」
と真面目に講義をしました。
「湯の中に浮遊する析出物を “湯の花” と言いますが、ここの湯は違います。“湯の葉” です。まさに湯葉のように幅広の湯花が浮いてますから、これもチェックしてくださいね」
などなど、説明の後、各自浴室へ。
そもそも 「まるほん旅館」 の名物、総ひのき湯小屋風呂は、完全混浴です。
今日は講座ということもあり、福田さんにお願いして、午前は女性専用、午後は男性専用としていただきました。
その間、午前は男性が、午後は女性が、隣の共同浴場を借りることになりました。
僕は合間を見て、主人の福田さんと話をしていました。
とても気になっていたことがあったからです。
それは、今回の震災後、温泉が止まってしまったと言う話です。
福田さんによれば、地震の直後、まるで魔法にかかったように、ピタッと湯が出なくなってしまったそうです。
ところが、あわてて隠居中の先代に相談しに行くと、「あわてるでない、じきに湯はもどる」 とひと言。
3日後、先代の言うとおり、温泉が湧き出したそうです。
なんとも不思議な話です。
でも福田さんは、こんなことも言いました。
「東北地方の温泉では、完全に湯が止まってしまったところ、または温度が下がってしまったところもあるんです。うちは、本当に運が良かった。しかも、湯量は震災前より、今のほうが増えたんですから」
と。
またまた不思議な話です。
震災は自然のなす業です。
温泉もしかり、なんですね。
温泉のありがたみを知る時代が、来たようですよ。
2011年05月23日
てくてくなんとか
今年の1月に出版した 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 の売れ行きと評判が、とっても好調のようです。
山好きのブログでも 「この本はスグレモノ」 との書き込みがあり、何よりも下山後に温泉に入れて、ビールが飲める本だと、中高年男性にウケているみたいです。
某書店主も 「なかなか、いい本です」 と、書評で推薦してくださっていました。
ありがとうございます。
どーも、「てくてく」という言葉が当たったようです。
実は、製作中からタイトル案は二転三転していました。
とりあえず仮題として「里山さんぽ」と名づけていたのですが、それには絶対に“登山”と呼びたくないという著者のこだわりがありました。
そもそも連載の動機が、不純なのですから……
山が登りたいのではなく、温泉に入ってビールが飲みたいがために始めた企画なのです。
苦行のような登山なんて、はなからまっぴら御免で、里山は登るのではなく、歩くものという安易な考えから始めたのですから。
ということで、「てくてく」という、だらけた感がピッタリではないかと、決定しました。
もくろみは大成功でした。
最近は、「里山本」と言わずに、「てくてく本」と呼ぶ人が多くなりました。
僕の母なんかは、「友だちにあげるから、“てくてく” 何冊が持ってきてくれるかい?」なーんて、いつの間にか“本”まで省略していました。
昨晩、旧友から、こんなメールが届きました。
「義母が小暮さんの講義に参加してきたそうで、『とっても楽しい先生だったわ』 と言っていました」
突然で驚いてしまいました。
30年来の友人ですが、ここ何年も会っていません。
先日の前橋市中央公民館(前橋プラザ 元気21) で行った高齢者学習講座の受講生の中に、彼の奥さんのお母さんがいらしたようなのです。
で、こんなことも書いてありました。
「義母は、てくてくなんとかの本を予約しなくっちゃと、息巻いていましたが、新刊ですか?」
なーるほど!
義母さんは、当日会場で 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 だけが完売してしまったハプニングのことを言っているのですね。
で、義母さんは、会場で本を買いそびれてしまった。そのことを娘ムコに話したようです。
だから僕は、彼にこうメールを返しました。
「予約をしなくても、現在、どこの書店でも絶賛販売中です。ぜひ買って、義母さんにプレゼントしてあげてください」
と。
いやいや、親孝行なムコさんではありませんか!
そのキューピットに僕がなれたなんて、嬉しいですね。
それにしても、“てくてくなんとか” とは、恐れいりました。
でもタイトルなんて覚えていただかなくても、いいんですよ。
通じれば、いいんです。
2011年05月22日
4つの顔と4つの祝い事
たまには、超プライベートなネタを披露します。
ま、仕事にはまったく関係ないことなんですが、お付き合いください。
今月は、小暮家の祝い事が、いくつも重なりました。
まず、僕の母が84歳の誕生日を迎えます。
と、僕の長男が19歳の誕生日を迎えました。
で、僕と妻の結婚生活が、満25年(銀婚式)となりました。
それでもって、長女の息子(僕の孫です)が、初節句を迎えたのです。
合理的な一族ですから、一遍に済ましてしまおう!ということになり、今日、全員が集まることになりました。
場所は市内の料理屋。
昼をはさんで、会食をする運びに。
時おり激しく降る雨の中、僕と息子が両親を迎えに実家へ。
少々ボケ老人の父(86歳)も、今日は絶好調の様子。
孫の顔と名前が、ちゃんと一致していましたよ。
会場にて、妻と長女と孫と次女と合流。
仕事の都合とかで、長女の夫は欠席(一緒に飲みたかったのに残念!)
総勢8名の大食事会が始まりました。
思えば、こうやって全員が一堂に顔を合わせるのは、お正月以来です。
まずは、母に乾杯!
僕が小さい頃から病弱な人で、いつも入退院をくり返していましたから、まさかこんなに長生きしてくれるとは思いませんでした。
「自分でもビックリだよ」と、いままでの人生で今が一番健康だと、喜んでいます。
ボケもなく、足腰も丈夫で、何不自由なく、父の介護をしています。
次に、息子に乾杯!
今年から大学生になりました。
身長も、とっくに抜かれています。今では、こっちが見上げながら話しています。
なのに、いつまでたっても、海や山で泣きながら僕の後を追いかけてきた姿が離れないんですね。
いよいよ、来年は成人です。やっと一緒に酒が飲めます。
息子と娘婿と3人で飲めるなんて、なんだか夢のようです。
今から来年が楽しみでなりません。
恥ずかしながら、僕と妻にも乾杯です。
25年って、長いような短いような……。
ただ、互いの顔を見れば、うなづいてしまうような変わりようです。
あの頃、キミは若かった。はい、僕も夢と希望とロマンに満ちあれている若者でしたね。
お疲れさまでした!これからも、よろしくお願いいたします。
で、ドン尻にひかえしは、孫の奏(かなで)君9ヵ月であります。
彼もミルクで乾杯しました。
これで小暮家4代が揃い踏みです。
父母、息子夫婦、孫たち、そして曾孫(ひまご)……。
子孫繁栄の図の完成!
母が買い物をしたいというので、全員が2台の車に分乗して「けやきウォーク」へ。
一族の大移動です。
乳母車から腰の曲がった老婆まで、なんとも圧巻であります。
ふと、全員の後姿を見ていて思ったんですよ。
「ありがとう」ってね。
だって、こんないい加減な僕が、こんないい加減な人生の中で、1人で4役も演じさせてもらっているんですから。
父母の前では「息子」を演じ、妻の前では「夫」を演じ、子どもたちの前では「父」を演じ、孫の前では「ジジ」を……
感謝、であります。
なんとも照れくさい1日でした。
明日からは、またいつものフリーライター小暮淳にもどって、仕事をバリバリこなしたいと思います。
あ~、疲れた!
2011年05月21日
H.R.B で夜更けまで
二日酔いにて、失礼します。
それでも、以前ほど飲みに出かけなくなったものです。
馴染みの店というのも、めっきり少なくなりました。
最近は、安くって、品数があって、店主に気をつかわない、そんな居酒屋にときどき出没しています。
たとえば、JR前橋駅の北、旧東急イン(今でも僕らは、ついそう表現してしまいます)の坂を下りたところにある小料理屋 『H』。
おもに朝日新聞の担当者および関係者との懇親に利用します。
カウンター席しかない、小さな飲み屋です。
だから何度か通っているうちに、常連さんはみーんな顔なじみになってしまいます。
ここの店は何がいいか?って、とにかく安い!
いつ行っても、何を飲んでも、全部食べても、いまどき3,000円ポッキリなんです。
最初は、信じられませんでした。
生ビールを好きなだけ飲んで、冷酒は一升瓶のまま出てきて好きなだけ浴びていいんです。
料理だって、ママの手作りが、おまかせで、次から次へと出てきます。
一軒目に立ち寄ったら、お腹いっぱいに食べさせてくれるし、ハシゴの途中なら「お腹空いてないから」と言えば、おつまみ程度にそこそこ出してくれます。
でも、一律3,000円!
明瞭会計が、いいんですよ。
僕が所属するフリーのクリエイティブ集団「プロジェクトK」が、毎月の月例会議で利用している居酒屋が、JR前橋駅東南のショッピングモール「けやきウォーク」そばにある 『R』 です。
ま、以前から僕が他の会合でたびたび利用していた店なんですけど、その会の活動が終息してしまったため、「プロジェクトK」の代表に紹介してさしあげたのです。
だから僕は、だいぶ前から通っています。
女将さんも、僕の本を店で売ってくれてたりします。
まー、ここの魅力は 料理が「うまい!安い!盛りがいい!」の三拍子揃っているとこ。
それもそのはずで、昼間は定食屋さんなのです。
ラーメン、焼きそば、餃子にコロッケ …… なんでもござれ~、なんですね。
コシのある焼きそばは、つまみにバッチリだし、小腹が空けば、半ラーメンでってOK。
とにかく融通が利くところが、いいんですよ。
で、昨晩は、JR新前橋駅前の居酒屋 『B』 へ出没して来ました。
『B』 は上毛新聞の本社に近いこともあり、当然、出版部との打ち合わせ場所に良く使います。
だいたい僕は、待ち合わせの時間より、早く行ってしまうんですね(ヒマですから)。
店が準備中でも入れてもらいます。
まだ客のいない店内、マスターがお品書きを書いている横で生ビールを先に1人で飲む優越感ったらありません。
「料理は、まだ出ませんけど」とマスター。
「いいのいいの、連れが来るまではビール飲んでるから。気をつかわないで、仕事してて」と僕。
そう言って、読みかけの文庫本を取り出すのです。
昨晩は、県の観光雑誌の完成打ち上げと、今秋出版予定の温泉本の中打ち(制作の途中報告と打ち上げ)でした。
この店のマスターは、僕が以前、編集人を務めていた雑誌のスタッフのお兄さんなのです。
まだお若いのに、腕がいい!
それも創作和食なんです。
納豆や豆腐、山菜などを使ったシブ~イ肴は、冷酒に良く合います。
と、いうことで、まーどのくらい飲んだか分かりません。
気が付いたら担当者のT氏は、すでに帰宅。
プロデューサーのK氏は、酔いつぶれ。
仕方なく僕がK氏を代行車屋に引き渡して……
はい、そこまでは覚えているのですが、その先は・・・
どこをどう、這いずり回って帰ってきたのか・・・
ただ、なんとなく、途中、コンビニでアイスを買って食べた記憶が残っています。
それも、大好物の「アイスまんじゅう」を・・・
でも、目が覚めたら、ちゃんと自宅の自分の部屋のベッドにいましたよ。
めでたし、めでたし。
2011年05月19日
温泉研究家って誰ね?
今日は午前10時~正午まで2時間、前橋市中央公民館(前橋プラザ 元気21 内)にて、学習講座の講師に招かれ、講義をしてきました。
主催は、高齢者学習団体の「明寿大学 悠々クラブ」。
現在、330名の受講者が毎月、学習に励んでいるそうです。
で、僕は平成23年度の第1回学習講座 『群馬の温泉宿』 の講師に選ばれました。
さすが、お年寄りは早い!
僕は主催者との打ち合わせがあるので、開演1時間前に会場へ行ったのですが、すでに人、人、人……です。
受付の隣に、著書販売コーナーをセッティングしているうちから、手が伸びて、本を買っていきます。
クラブの平均年齢は、約70歳です。
日本は、世界一の長寿国なんですよね。改めて、実感しました。
午前10時、講義スタート。
会場は満席です。
予定以上に受講者が増え、本日のパンフレットが足らなくなったとか。
210名の方が集まってくださいました。
満席というのは、気持ちいいものですね。
壇上からの眺めに、しばし見惚れてしまいましたよ。
で、司会者が僕のプロフィールを紹介します。
なぬ? ナナナント言った?
「温泉研究家の小暮淳先生です!」
おいおい、オレは温泉の研究なんて、したことないぜ。
ででで、会場のたれ幕を見ると、と、と!
ギェッ、確かに名前の隣に、しっかりと “温泉研究家” の肩書きが書いてあるではありませんかー!
と、いうことで、講義のしゃべり出しは、肩書きの訂正と、フリーライターという職業の説明から始めることにあいなりました。
講義は、1部と2部に分けて行いました。
1部は「温泉の基礎知識」、2部は「群馬の温泉」について、約50分ずつ。
1部を終え、休憩時間になり、出口向かうと……
すでに著書販売コーナーは、黒山の人だかりです。
「もう、ないの?」の声。
「すみません、売り切れです」とスタッフの声。
まさかのハプニングです。
温泉の講義なので、温泉本は余裕をもってたくさん用意したのですが、山歩きは年寄りには興味がないだろうと勝手に判断して 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 は、そんなに持って行かなかったのですよ。
仕方なく、アナウンスを流しまた。
「申し訳ありません。 すでに 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 は完売いたしました。買えなかった方は、帰りに煥乎堂書店に寄って購入してください」
おかげさまで、今回もたくさんの人が著書を買ってくださいました。
ありがとうございました。
でも、さすがに高齢者ですから、“大人買い” した人はいませんでしたね。
2011年05月18日
大人買いする読者
3年前くらいからでしょうか。
講演、講話、講義、セミナーといった本業外の仕事が頻繁に入るようになりました。
ま、本業がライターですから、著書が売れればいいわけで、その宣伝になると思い、依頼に対してはイヤな顔をせずに、お受けしています。
テレビやラジオへの出演も、同じ理由です。
いかんせん、フリーランスの個人事業主なもんで、事務所もなければ、マネージャーもいません。
すべて僕が対応して、返事をして、資料等を用意して、当日は台車を自ら転がして、著書の販売も行っています。
(たまーに、主催が出版元の講演のみ販売スタッフを出してくれるので、その時は手ぶらで行きます)
最初の頃は、著書を並べて置いても、全然売れなかったのですよ。
それが最近は、温泉本を続けて出版したこともあり、「今日、直接買おうと思って、書店で買うの我慢してたんですよ」というサイン入り本を求める読者が増えてきました。
その代わり、「この本は持っているわ、ほかに出てないの?」という読者が現れ出したため、昨年からは、以前に出版した温泉本以外の著書も販売するようになりました。
やはり、僕にとっては、著書販売が本業ですから、過去本までさかのぼって買っていただけるとは、願ったり叶ったりで、大変嬉しいことであります。
さらに過去本は、現在では書店売りをしていないので、いまや読者にとっても、講演やセミナーでのみ手に入るプレミアム本なのであります。
先日、高崎市で行われた講演会場では、販売専属のスタッフを出していただき、ズラ~リと僕の著書が5冊も並びました。
おかげさまで、講演後には本を求める人たちの列ができるほどでした。
で、見ていると、本を買い求める人は、2通りに分かれます。
講演を聞いて、初めて僕を知って、とりあえず温泉本を買って帰る人。
すでに僕の読者で、書店で売っている温泉関係の本は持っていて、まだ読んだことのない過去本を買って帰る人。
の2パターンです。
が、今回、初の “大人買い” が出ました!
“大人買い” とは、商店で「この棚全部」とか「ここからここまでください」という、お金のない子どもにはできない、アノ大胆な買い物の仕方です。
年の頃は、50代後半か60代前半の男性でした。
初めは販売コーナーを行ったり来たりしていたのですが、他の客がいなくなったすきに、またやってきて 「全部、ちょーだい」 と言って、ポンと1万円札をよこしたのです。
おおっ、スゲ~! 大人買いだー!
このオッチャン、よっぽどのオイラの熱烈なファンぜよ。
マイッタな~、全部にサインするの大変だし、握手なんかも求められちゃったら、男同士だし気持ち悪いかも……
なーんて思いながら、精算を見ていたら、そのオッチャンは、ササッと全部の本を両手で抱えて、何も言わず帰っていっちゃいました。
とんだ拍子抜けでしたが、著者冥利に尽きる、大変嬉しい出来事でありました。
よーし!
明日は、聴講者200名の大講演会です。
それも2時間という長丁場の温泉講座の講義であります。
はたして、講演後の著書販売コーナーで、2度目の “大人買い” が出るか?!
明日が楽しみです。
2011年05月17日
熟女好きからロリコンへ
きゃ、キャ、きゃわいいいいいい !!!!!
愛くるしいのであります。
と、いうことで、今日はNHK-FMのラジオ番組 「群馬は温泉パラダイス」 の生放送日でした。
1ヶ月ぶりにお会いする金井一世(いよ)キャスターは、前回に増してロリロリ光線を大放出!
フリフリのスカートのすそをひるがえしながら、クルンとターンを決めて、スタジオに入って行ったのであります。
まてまて、どうもおかしいぞ!
僕は、仲間内でも、つとに有名な熟女好きのはず。
風吹ジュンとか原日出子とかがドストライクの、いたってノーマルな歳相応の好みだったはずです。
これは、いったい、どーいうことですか?
我ながら、ロリコンの気があったことに驚いています。
と、いうことで、オンエアが始まるやいなや、オッチャンの鼻の下は机の上にとどいてしまいましたとさ。
楽しい楽しい、夢見心地の30分間でありました。
4月から始まった、この温泉番組は、毎月第3火曜日の午後6時から約30分間、生放送でお送りしています。
先月のテーマは、ズバリ「群馬の温泉」と題して、群馬の温泉の特徴についてお話しました。
2回目の今日は、「温泉とは?」~温泉は冷たくても温泉なの?~という一世ちゃんからの素朴な疑問にお応えして、温泉の定義や泉質の種類など、温泉を知るうえでの基礎知識のお話をしました。
話の持ち時間が正味25分と短いこととと、生放送ということもあり、最後は少し早口になってしまいましたね。
僕の前には、もちろん一世ちゃんがいて、2人の間にはマイクと時計が置いてあります。
オンエア、1分前……
一世ちゃんの手が、スルスルっとのびてきて、あれれっ、僕に握手を求めるのかな?とドキドキしていると、時計にペチョンと付箋紙を貼り付けました。
なになに?
“25分過ぎたらまとめへ”
さすが、あどけない顔をしていても、プロのキャスターです。
仕事モードに入っています。
僕も “OK” のサインを出して、オンエアーの開始です。
スタジオを出ると、今日はケータイメールがたくさん入っていましたよ。
昨日、このブログで告知したからですかね?
「温泉へ行きたくなりました」
「楽しく聞きました」
「毎回、お勉強になります」
……等々
友人、知人、旧友のみなさん、ありがとうございます。
次回の放送は、6月14日(火) です。
また1ヵ月間は、ロリコンとは無縁な生活がつづきます。
2011年05月16日
明日、ラジオ番組生放送!
先月からスタートしたNHK-FMのラジオ番組 『群馬は温泉パラダイス』 の2回目の生放送が明日あります。
今回は、「温泉とは?」をテーマに、温泉の基礎知識を分かりやすくお話します。
●放送局/NHK-FM前橋 81.6MHz
●番組名/トワイライト群馬
「群馬は温泉パラダイス」
●出 演 /金井一世 (キャスター)
小暮 淳 (フリーライター)
●日 時 /5月17日(火) 18:00~18:30
2011年05月16日
小野上温泉 「旅館 花山」②
「小暮さんのブログを見て、『宝塚系の美人女将に会いに来た』 というお客様がいましたよ。困りますわ……」
今日、旅館 花山を訪ねて、開口一番の女将のセリフです。
最初に僕が、取材で旅館 花山に泊まったのが昨年の3月。
その時に書いたブログのことを言っているのです。
でも、本当のことですから。
今日だって、同行のカメラマン氏は、3代目女将の新井春代さんに会うなり、
「本当に美人ですね」
と僕に耳打ちしたくらいです。
ウソは書いてないのですから、女将に怒られる筋合いはありません。
と、いうことで、
「“美人の湯” に入ると、女将のように美人になれるという記事を書きましょう!」
と相成りました。
小野上温泉というと、まだまだ日帰り温泉センターのイメージが強くて、旅館があることを知らない人も多いようですね。
それも致し方ないことです。
センターのオープンが昭和53年という、群馬県内の日帰り温泉施設のさきがけ的存在なのですから。
でも当時はまだ、塩川温泉でした。
塩川温泉の「小野上村温泉センター」が、いつしか「小野上温泉センター」と略して呼ばれるようになり、温泉名まで「小野上温泉」と言うようになってしまったのです。
さらに、平成5年に開設されたJR吾妻線の駅名まで「小野上温泉駅」と名づけてしまったのですから、塩川温泉の名前はどこかへ行ってしまいました。
それでも、しばらくは国道の入り口に「塩川温泉」の看板が出ていたんですけどね。
平成18年、渋川市との合併を機に、源泉名と温泉地名を正式に「小野上温泉」と改名しました。
ま、僕としては塩川温泉の名を残して欲しかったんですけどね。
名前の通り、泉質も塩化物泉なのですよ。
昔は、塩辛い味の泉が湧いていて、川のように流れ出していたのでしょう。
残念なことです。
(水上温泉も昔は、湯原温泉と言ってました。残念なことです)
旅館 花山は、宿名のように、館内も館外も花に囲まれています。
それもそのはず、女将の春代さんは、フラワーデザイナーでもあるんです。
と、いうことで今回は、女将が花を生けている姿をメインに撮影しました。
カメラマンのワタちゃんも、張り切る張り切る!
「美人は絵になりますなぁ~」
と鼻の下をのばしながらの撮影でした。
で、昼食は、自慢料理の “そば” をいただきました。
運良く、震災後のキャンセルの影響で、昨年の秋に収穫したそば粉が残っていたのです(実にラッキーでした)。
そう、旅館の隣の畑では、毎年そばを栽培しているのですよ。
部屋の窓から眺める、一面の白いそばの花は、それはそれは綺麗なのです。
秋には、そばの花を見に
冬には、新そばを食しに
またまた出かけたいと思います。
女将さ~ん、ごちそうそまでした。
2011年05月15日
朝日新聞のおかげ?
またしても新旧入れ替えの不思議現象!?
本日の上毛新聞発表の「週間ベスト10」(前橋・煥乎堂本店調べ) によると、なんと、またまた 『群馬の小さな温泉』 が6位に返り咲いています。
で、先週ランクインしていた 『ぐんまの源泉一軒宿』 は、ランク外へ。
またしても新旧入れ替えのシーソーゲームであります。
これはいったい、どーいうことなんでしょーか?
7月に上毛新聞社主催による僕の講演会が開催されるので、先週、その打ち合わせに本社の担当部署を訪ねたときのことです。
担当部長さんは、どっさりと資料をテーブルの上に広げました。
ファイルまたはストックされた資料は、すべて僕関連の記事でした。
過去に開催された講演の様子を知らせる新聞記事や、かつて連載していた雑誌の記事などなど……。
なかには何年も前の古い新聞記事もありました。
「どうです、驚かれたでしょう? 私はこの頃から、ぜひ小暮さんに講演を頼もうと考えていたんですよ。だから、ほら、資料がこんなにも」
と、ペラペラとめくって見せてくれました。
はっきり言って、驚きました。
仕事とはいえ、身内でもないのに僕関連の記事をこんなにも集めたものです。
正直、嬉しさを通り越して、感心してしまいました。
「ところで、小暮さんの本、また売れ出しましたね。たぶん、この記事の影響ですよ」
と言って取り出したのは、今年の2月から連載を始めた朝日新聞の『湯守の女房』 でした。
ほほほー、そんなもんでしょうかねぇ……と、これまた感心していると、
「ええ、新しく朝日さんの読者が小暮さんのファンに加わったからですよ。うちの読者とは、また層が異なりますからね。さらに朝日さんは、ありがたいことに、プロフィールで著書を紹介してくださっている。すべて、うちの本ですよ。朝日さんに、大変感謝しています」
なるほど。
考えてみれば、上毛新聞社で出版している僕の著書を、朝日新聞紙上で宣伝してくれていたわけだ。
そーいえば、昨日の講演後の著書販売&サイン会の席でも、何人かの人から 「朝日新聞、読んでます」 とか 「朝日の記事、毎回楽しみにしているんです」 と、声をかけられましたね。
ふむふむ、確かにこれは朝日新聞のおかげかも?
さっそく僕は、この日のことを朝日新聞の担当者に知らせました。
すると、
「すでに連載5話目にして、バックナンバーを求める読者からの問い合わせが入ってます。早くも看板記事ですよ。うちとしても地方紙との共存は重要です。うれしい話ですね」
とのこと。
さすが天下の大新聞社は、懐(ふところ) がデッカイですなー!
2011年05月14日
じゅんちゃんの温泉講話
今日は、3ヶ月ぶりに講演をしてきました。
場所は、高崎市総合福祉センターの「たまごホール」。
主催は、僕が日頃から取材・執筆等でお世話になっている「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄)です。
「ちいきしんぶん」は、旧高崎市内および隣接地域(吉井町・玉村町) に無料配布されているフリーペーパーです。
ということは、当然、これをポスティングしている方々がいるわけで、その方々がいなければ、僕がどんなに楽しくてためになる記事を書いたところで、誰も読んではくれません。
この方々のことを “クルー” と呼びます(配布員さんのことです)。
で本日、ちいきしんぶん創刊25周年も兼ねて、クルーさんたちの慰労&懇親会「クルーの集い」が華々しく開催されたのであります。
ちいきしんぶんの創業者、有田邦夫社長のあいさつの後、高崎警察署・群馬県警部補、福田晶人さんによる防犯講話、クルーでありピアニストの日下孝美さんのピアノミニコンサートと続き、休憩をはさんで、いよいよ、僕の出番がやってきました。
いつもですと、司会者が僕のプロフィールを読み上げて、「それでは小暮先生、よろしくお願いします」と紹介されるのですが、今回は異例中の異例! いまだかつてない紹介のされ方で、壇上へ上がりました。
「それでは、みなさん、『じゅんちゃーん!』 で呼びましょう。せーの!」
と司会者が会場へ呼びかけると、と、と、と……本当に
じゅんちゃ~ん!
の大合唱が沸き起こりました。
いやはや、ビックリであります。
これは、もうテンション、アゲアゲで行くしかありません。
で、後で気づいたのですが、本日のプログラムを良く見ると、確かに本当に「じゅんちゃんの温泉講話」と、しっかり書かれているではありませんか!(おいおい、参ったなー)
でも、お陰さまで、楽しく講演をさせていただくことができました。
ありがとうございます。
この明るさとノリの良さが、25年もの長きにわたり発行を続けて来れたパワーの源なんですね。
講演の最後は、「じゅん&クァパラダイス」のコーラス&踊り担当のオンパラシスターズが登場!
(イラストレーターの飯塚裕子さんとフリーライターの吉井こゆみさんです)
そして、お約束の 『GO!GO!温泉パラダイス 湯の国群馬県編』 の歌と踊りのお披露目となりました。
久々の講演は、なんとも賑やかで楽しい日となりました。
ちいきしんぶんのスタッフおよびクルーのみなさん、お世話になりました。
次回の講演は、来週19日(木)に下記で行います。
関係者のみなさん、よろしくお願いいたします。
記
明寿大学 悠々クラブ 平成23年度 学習講座
●日 時/平成23年5月19日(木)
10:00~12:00 (途中10分休憩)
●会 場/前橋中央公民館 多目的ホール
(前橋プラザ元気21 3階)
●演 題/ 『群馬の温泉宿』 講師 小暮淳
2011年05月13日
四万温泉 「豊島屋」
山口地区にある老舗旅館 「豊島屋(としまや)」の5代目主人の田村明義さんとは、10年以上の付き合いになります。
2000年に開催された 『探四万展(さがしまてん)』(四万温泉協会主催) に、作家およぴシンポジュームのパネリストとして参加して以来、協会の青年部の方々とは、何かに付けて交流を深めてきました。
『探四万展』 終了後、12人の作家の作品は、交渉成立した旅館へ買い取られ、所蔵旅館にて展示されることになりました。
ちなみに僕の作品(直筆原稿と水彩画)は、豊島屋の向かいの鍾寿館にて展示されています。
で、豊島屋は、彫刻家の三谷慎さんの作品が展示されています。
三谷さんほどの作家になると、やはり廊下や踊り場というわけにはいきませんので、しっかりギャラリーが設けられ、イベント出展作品以外の作品も展示されています。
そんなこともあり、この10年間は、仕事とプライベートの両方で、たびたびお世話になっています。
四万温泉には田村姓が多いのですが、そのなかでも山口地区は特に多いんですね。
豊島屋も田村さんだし、向かいの鍾寿館も田村さんだし、やまぐち館も田村さん。
老舗といわれる古い宿は、みーんな田村さんです。
これは、山口地区が四万温泉の発祥の地だからなんです。
一般に、温泉の発見伝説は、薬師堂のある日向見地区と伝わっていますが、これは伝説です。
湯はあったとしても、その頃は、まだ宿はありません。
室町時代、永禄6年(1563)に、田村甚五郎清政という武士が、岩櫃(いわびつ)城が真田勢に攻められた際、四万の山中で追っ手を防いで戦い、そのまま留まって温泉を発見して、湯宿を始めたとされています。
その場所が、現在の山口地区です。
その後、甚五郎の孫、彦左衛門が分家して、新湯地区に湯宿を開業しました。
これが田村旅館、現在の「四万たむら」です。
「実は、正直なところ、私が何代目かは分からないんですよ」
と、明義さん。
「豊島屋の名は、安政16年(1868)の古地図には載っているのですが、明治時代に山口地区は大火に遭い、焼け出されてしまったんです。一時は、親戚である田村旅館に身を寄せていましたが、明治28年に現在の場所にもどり再建したと聞いています。この新創業から、私で5代目となります」
知れば知るほど、四万の歴史は深くて、面白いんですね。
田村姓は、四万温泉の祖でありますから、当然、湯の権利を持っています。
自家源泉を所有しているということです。
ここ豊島屋も、「薬王乃湯」という泉温58.3度、湧出量毎分200リットルという立派な泉源を所有しています。
さらに、この高温泉を加水することなく、熱交換式の冷却装置を使用して、上質な源泉そのままの湯を浴槽へ注ぎ入れています。
温泉地の歴史を知ると、湯の状態まで分かってくるんですね。
2000年に開催された 『探四万展(さがしまてん)』(四万温泉協会主催) に、作家およぴシンポジュームのパネリストとして参加して以来、協会の青年部の方々とは、何かに付けて交流を深めてきました。
『探四万展』 終了後、12人の作家の作品は、交渉成立した旅館へ買い取られ、所蔵旅館にて展示されることになりました。
ちなみに僕の作品(直筆原稿と水彩画)は、豊島屋の向かいの鍾寿館にて展示されています。
で、豊島屋は、彫刻家の三谷慎さんの作品が展示されています。
三谷さんほどの作家になると、やはり廊下や踊り場というわけにはいきませんので、しっかりギャラリーが設けられ、イベント出展作品以外の作品も展示されています。
そんなこともあり、この10年間は、仕事とプライベートの両方で、たびたびお世話になっています。
四万温泉には田村姓が多いのですが、そのなかでも山口地区は特に多いんですね。
豊島屋も田村さんだし、向かいの鍾寿館も田村さんだし、やまぐち館も田村さん。
老舗といわれる古い宿は、みーんな田村さんです。
これは、山口地区が四万温泉の発祥の地だからなんです。
一般に、温泉の発見伝説は、薬師堂のある日向見地区と伝わっていますが、これは伝説です。
湯はあったとしても、その頃は、まだ宿はありません。
室町時代、永禄6年(1563)に、田村甚五郎清政という武士が、岩櫃(いわびつ)城が真田勢に攻められた際、四万の山中で追っ手を防いで戦い、そのまま留まって温泉を発見して、湯宿を始めたとされています。
その場所が、現在の山口地区です。
その後、甚五郎の孫、彦左衛門が分家して、新湯地区に湯宿を開業しました。
これが田村旅館、現在の「四万たむら」です。
「実は、正直なところ、私が何代目かは分からないんですよ」
と、明義さん。
「豊島屋の名は、安政16年(1868)の古地図には載っているのですが、明治時代に山口地区は大火に遭い、焼け出されてしまったんです。一時は、親戚である田村旅館に身を寄せていましたが、明治28年に現在の場所にもどり再建したと聞いています。この新創業から、私で5代目となります」
知れば知るほど、四万の歴史は深くて、面白いんですね。
田村姓は、四万温泉の祖でありますから、当然、湯の権利を持っています。
自家源泉を所有しているということです。
ここ豊島屋も、「薬王乃湯」という泉温58.3度、湧出量毎分200リットルという立派な泉源を所有しています。
さらに、この高温泉を加水することなく、熱交換式の冷却装置を使用して、上質な源泉そのままの湯を浴槽へ注ぎ入れています。
温泉地の歴史を知ると、湯の状態まで分かってくるんですね。
2011年05月12日
四万温泉 桐の木平商店街
四万温泉には、「必ず自分好みの宿がある」といわれます。
何百人と収容可能な大きなホテルや旅館から、家族だけで商う小さな民宿まで、旅の目的により自由に宿泊施設を選べるところが、四万の魅力です。
温泉街のメーンストリート、土産物屋や飲食店が並ぶ「桐の木平商店街」。
四万温泉の中でも、歴史の古い新湯地区ですから、なんとも昭和レトロな風情ある宿が今でも残っています。
「四万郵便局前」バス停の真ん前には、2つの看板がかかる不思議なお宿があります。
「カメラ フィルム 山野」と「内湯 やまの旅館」とあります。
旅館なのに、玄関のショーケースにはフィルムやインスタントカメラが売られています。
旅館を始めたのは昭和50年からで、それ以前(昭和初期創業)は写真館を営んでいました。
ショーケースの中は、当時の名残なのです。
館内には資料館よろしく、大正時代の蛇腹式写真機やマグネシウムフラッシュなどが展示されています。
カメラマニアには、たまらない垂涎の品々のようです。
「やまの旅館」の斜向かいの木造2階建ての宿が、四万唯一の「唐沢屋旅館」。
なにが唯一かって?
はい、旅館の大広間が、囲碁と将棋の対局場となっているのです。
2代目主人の唐沢吉明さんは、日本棋院の会員で、アマチュア4段の腕前。
趣味が高じて、平成元年に対局場を備える宿にリニューアルしてしまったのです。
昭和10年、下宿屋として創業。
戦時中は、疎開児童を受け入れていたといいます。
今でも、階段の手すりや踊り場、廊下のそこかしこに、昭和の歴史が刻まれていました。
湯上りに、2階の窓から見下ろす温泉街は、なんともレトロ感にあふれ、情緒がありますよ。
「やまの旅館」の向かい、「唐沢屋旅館」の脇の石段を上り切った高台に、これまた不思議な旅館があります。
「青楓庵 若山」 またの名を「旅館 若山」といいます。
とにかく、何屋だか分からない宿です。
玄関には、こんな文言が……
<立ち食いよし 座って食べてよし 勝手にどうぞ 甘汁 辛汁 お好きにどうぞ わたしゃ二八で打ってます>
おお、そば屋もやってるんだぁ、と思うと、その隣には…
<日本画 刻書 彫物 書 我が家の作品を見て下さい>
との看板があるのです。
確かに、玄関からロビー、階段の踊り場から廊下、部屋の襖(ふすま)から壁にいたるまで、作品、作品、作品だらけなのです。
それもすべて、主人の若山光郷さんの作品!
「生活は、即あそび」
「仕事と思うから苦しい、遊びと思えば楽しい」
がモットーという、実に愉快な人物であります。
さらに、剣道7段というから、これまた凄い!
恐るべし、桐の木平商店街なのです。
ぜひ、歩いてみてください。
四万温泉の底ヂカラを知ることができますよ。
2011年05月11日
四万温泉 「くれない」
四万温泉へは、20年以上通っていますが、まだまだ泊まったことのない宿がいくつもあります。
今回、訪ねた「くれない」も、そのうちの1つ。
もう、前々から、ぜひ一度、泊まってみたかった待望の宿であります。
昨日、やっと、その願いが叶いました。
「くれない」は、四万温泉の中心街、新湯地区の最奥。
日向見川に架かる落合橋のたもと。射的やスマートボールなど、昭和レトロな雰囲気が漂う落合通りの詰まりにあります。
橋の向こうは、ゆずりは地区です。
「くれない」は、書家で絵手紙作家の河村芳子さんが、四万で常宿にしているお気に入りの旅館です。
河村さんは、僕が所属するプロジェクトK(プロのクリエイティブ集団) の顧問をしていただいています。
「料理が美味しくって、いい宿よ」
と、以前から聞かされていましたから、今回は大変楽しみにしていました。
前評判が良いと、ついつい評価の基準が厳しくなってしまい、「なーんだ、この程度か」ということが多いのですが、今回は、さにあらず! 期待以上の感動を味わうことができました。
3代目主人の羽田賢士(さとし)さんとは、かれこれ10年近くの付き合いになります。
といっても、仕事で、たびたびお会いする程度ですが……。
四万温泉の青年部の中でも、異彩を放つ存在です。
料理人としての腕もさることながら、アマチュアカメラマンとしても賞を受賞したり、個展を開いたりと、実に魅力的な人物なのです。
ぜひ、一度ジックリとお話をしてみたかった人であります。
そもそも川魚料理の店として昭和9年に創業した「くれない」。
料理旅館となった今でも、その味へのこだわりは代々受け継がれています。
山菜や竹の子などの山の幸、そして川魚料理に徹底した“生きた自然の味”へのこだわりに感動しました。
なかでも群馬県産高級ニジマス「ギンヒカリ」の味は、絶品でした。
仕事柄、ギンヒカリは養魚場をはじめ。料理も過去に何度か取材したことがあり、“味”に関しては知っているつもりでいました。でも、
「川魚なのにサーモンみたいな味……」
程度の認識しかありませんでした。
ところが、昨晩食したギンヒカリのお造りは、思わず 「うわっ、うーまい!」 と声を上げてしまいました。
なんで、こんなにも味が違うのか?!
僕が首をかしげていると、向かいの席で同時にギンヒカリを食していたカメラマン氏が、
「これは、今、しめたばかりですよ。コリコリじゃないですか!」
と、やはり絶賛しています。
食後に、賢士さんに話を聞くと、
「さすがですね、味の違いがお分かりでしたか」
と、その秘密を話してくれました。
「くれない」の厨房の床下には、生簀(いけす)があり、イワナやヤマメ、ウナギ、スッポン、そしてギンヒカリが飼われています。
そして、その水は四万の名峰水晶山からの伏流水を使用しています。
この水に馴染ますことにより、身をしめて、クセを抜くのだと言います。
川魚を知り尽くした職人だからこそできる、匠の技であります。
生簀の話からはじまり、有名料亭での修業時代の話、そして写真のこと……
話の深まりとともに、地酒の杯も重なって行きました。
魚とは、“酒菜(さかな)” が語源だといいます。
まさに、3代目主人の手にかかると、魚は酒菜へと見事に姿を変えるのであります。
今回、訪ねた「くれない」も、そのうちの1つ。
もう、前々から、ぜひ一度、泊まってみたかった待望の宿であります。
昨日、やっと、その願いが叶いました。
「くれない」は、四万温泉の中心街、新湯地区の最奥。
日向見川に架かる落合橋のたもと。射的やスマートボールなど、昭和レトロな雰囲気が漂う落合通りの詰まりにあります。
橋の向こうは、ゆずりは地区です。
「くれない」は、書家で絵手紙作家の河村芳子さんが、四万で常宿にしているお気に入りの旅館です。
河村さんは、僕が所属するプロジェクトK(プロのクリエイティブ集団) の顧問をしていただいています。
「料理が美味しくって、いい宿よ」
と、以前から聞かされていましたから、今回は大変楽しみにしていました。
前評判が良いと、ついつい評価の基準が厳しくなってしまい、「なーんだ、この程度か」ということが多いのですが、今回は、さにあらず! 期待以上の感動を味わうことができました。
3代目主人の羽田賢士(さとし)さんとは、かれこれ10年近くの付き合いになります。
といっても、仕事で、たびたびお会いする程度ですが……。
四万温泉の青年部の中でも、異彩を放つ存在です。
料理人としての腕もさることながら、アマチュアカメラマンとしても賞を受賞したり、個展を開いたりと、実に魅力的な人物なのです。
ぜひ、一度ジックリとお話をしてみたかった人であります。
そもそも川魚料理の店として昭和9年に創業した「くれない」。
料理旅館となった今でも、その味へのこだわりは代々受け継がれています。
山菜や竹の子などの山の幸、そして川魚料理に徹底した“生きた自然の味”へのこだわりに感動しました。
なかでも群馬県産高級ニジマス「ギンヒカリ」の味は、絶品でした。
仕事柄、ギンヒカリは養魚場をはじめ。料理も過去に何度か取材したことがあり、“味”に関しては知っているつもりでいました。でも、
「川魚なのにサーモンみたいな味……」
程度の認識しかありませんでした。
ところが、昨晩食したギンヒカリのお造りは、思わず 「うわっ、うーまい!」 と声を上げてしまいました。
なんで、こんなにも味が違うのか?!
僕が首をかしげていると、向かいの席で同時にギンヒカリを食していたカメラマン氏が、
「これは、今、しめたばかりですよ。コリコリじゃないですか!」
と、やはり絶賛しています。
食後に、賢士さんに話を聞くと、
「さすがですね、味の違いがお分かりでしたか」
と、その秘密を話してくれました。
「くれない」の厨房の床下には、生簀(いけす)があり、イワナやヤマメ、ウナギ、スッポン、そしてギンヒカリが飼われています。
そして、その水は四万の名峰水晶山からの伏流水を使用しています。
この水に馴染ますことにより、身をしめて、クセを抜くのだと言います。
川魚を知り尽くした職人だからこそできる、匠の技であります。
生簀の話からはじまり、有名料亭での修業時代の話、そして写真のこと……
話の深まりとともに、地酒の杯も重なって行きました。
魚とは、“酒菜(さかな)” が語源だといいます。
まさに、3代目主人の手にかかると、魚は酒菜へと見事に姿を変えるのであります。