温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2011年12月31日

今年の10大ニュース


 年末になると、テレビや新聞で 「今年の10大ニュース」 というのを発表しますよね。
 実は、僕はもう30年以上も前(10代の頃)から、大晦日の日に必ず自分の10大ニュースというのを発表してきました。

 何に発表しているんだって?
 当然、日記にですよ。
 別に他人には公表していません。

 でも、このブログを始めてからは、日記を書くのを止めてしまったので、今年はこのブログにて発表いたします。
 あくまでも個人の10大ニュースですので、超私的出来事も入っていますが、その辺はご了承ください。

 それでは、温泉ライター小暮淳の2011年 「今年の10大ニュース」 を発表しまーす!



 第10位  おかげさまで10万アクセス (10月)

 2010年の2月から始めたこのブログのアクセス数が、今年の10月で10万アクセスを突破しました。
 これも、ひとえに読者の方々のおかげと感謝しております。
 ありがとうございます。


 第9位  家族で温泉旅館に宿泊 (10月)

 一般の家庭では、家族で温泉旅行へ行くことは珍しいことではありませんが、僕は温泉ライターです。
 この仕事を始めた10年前から、温泉は僕の仕事場になってしまったため、家族との立ち入りは禁止区域だったのです。
 今回は、月夜野温泉 「つきよの館」 の女将と僕の家内が古い友人だったという理由により、特別、家族と泊まってきました。
 僕にとっては、画期的なことだったのです。


 第8位  FMラジオ番組を担当 (4月)

今年の1月に、NHK-FMラジオの特番に出演したのがきっかけで、4月から1年間、『群馬は温泉パラダイス』 という温泉番組を受け持つことになりました。
 次回の放送は、新年1月24日の午後6時~です。


 第7位  情報サイトで100回コラム連載 (11月)

 まったくもって、ブログとは誰が読んでいるか分からないものです。
 作家で経済評論家の邱永漢先生の事務所から連絡があり、先生の情報コラムサイト 『ハイハイQさんQさんデス』 にて、温泉コラム 「温泉で元気」 の連載をスタートしました。
 おかげさまで、全国の読者からメールをいただいております。
 ※ 「温泉で元気」 は、当ブログの 「お気に入り」 より閲覧することができます。


 第6位  朝日新聞に連載開始!(2月)

 「捨てる神あれば拾う神あり」 とは、良く言ったもので、昨年暮れに某誌とトラブルがあり連載を降りたところ、朝日新聞より連載のお誘いがありました。
 隔週の連載ということもあり、早くも 『湯守の女房』 は次回1月18日掲載で、第20回を迎えます。
 また来年は、2月から新連載もスタートしますので、ご期待ください。
 ※『湯守の女房』 は、当ブログの 「お気に入り」 より閲覧することができます。


 第5位  ド肝を抜いた3面広告 (9月)

 うちらの業界で俗にいう 「9.22事件」 のことです。
 僕の本の出版に合わせて、四万温泉が上毛新聞の全3面をジャックしました。
 いや~、圧巻でしたね!
 今でも、どこへ行っても、語り草になっております。


 第4位  手に汗握るツーショット (11月)

 ブログの読者なら、すでにご存知でしょうが、今年銀婚式を迎えまして、恥ずかしながら大人の七五三をやってきました。
 全身、びっしょりと汗をかきました。
 ※当ブログ 「25年ぶりのツーショット」 参照。


 第3位  念願の里山本を出版 (1月)

 ちいきしんぶん(ライフケア群栄) に4年間にわたり連載していた 「里山をゆく」 と 「ぶらり水紀行」 が、上毛新聞社より 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 として出版されました。
 おかげさまで、そこそこ売れているようで、早くも増刷されました。


 第2位  大震災と風評被害 (3月)

 今年の日本の重大ニュースのトップは、誰もが東日本大震災をあげることでしょう。
 今でも、あの大津波の映像を見ると、怖気立ちます。
 群馬県は、直接の被害は少なかったものの、計画停電や自粛の影響、風評被害により、観光地は大打撃を受けました。
 特に、僕の愛する温泉地は、震災直後、キャンセルの嵐が吹き荒れました。
 「電話が鳴ると怖くて出られなかった」 という女将さんの話を方々で聞きました。


 第1位  温泉シリーズ第3弾を出版 (9月)

 そして、堂々の1位は、やはり 『あなたにも教えたい 四万温泉』 を出版したことでしょうかね。
 1つの温泉地の全旅館を訪ね、すべて取材し、すべて風呂に入っての著書というのは、もちろん僕自身としても初めての試みではありますが、出版物としても類を見ない温泉本となりました。
 各方面からも、高い評価をいただいております。
 これだけの企画本というものは、到底著者1人の力では成し得ることはできません。
 出版社およびカメラマン、デザイナーなどのスタッフ、そして四万温泉協会および37軒全宿の協力なしには、完成しえなかったことであります。
 著者として、改めてお礼を申し上げます。
 ありがとうございました。


 いかがでしたか、ざっと今年1年間の出来事を振り返ってみました。
 ひと言で言えば、忙しい1年間でした。
 でも、実りある充実した年でもありました。

 さて、みなさんは、どんな1年だったでしょうか?
 ぜひ、自分の今年の10大ニュースを発表してみてください。


 今年1年間、大変お世話になりました。
 来年もよろしくお願いいたします。

 どうか良いお年をお迎えください。

               2011年12月 大晦日
                  小暮 淳  
  


Posted by 小暮 淳 at 16:03Comments(2)つれづれ

2011年12月30日

2011 メモリアル温泉 (下半期)


 7月
 秋に出版した 『あなたにも教えたい 四万温泉』 の取材も、いよいよ大詰め!
 旅館の取材は、6月までにほとんど終え、コラムや表紙、導入部分の取材に奔走したのが7月でした。

 四万温泉 「はつしろ旅館」 に泊まり込んでの表紙撮影は、思い出に残る一夜でした。
 カメラマンの酒井寛氏の飽くなき挑戦!
 夕に、夜に、朝に、と何度も何度も宿を抜け出しては、ベストショットを狙います。
 そのプロ根性むき出しの姿には、ただただ感動しました。
 おかげさまで、みなさんご存知の、あの幻想的な表紙写真が誕生したのです。

 ちなみに表紙の写真は、新湯川に架かる萩橋の上から見た 「河原の湯」 であります。


 8月
 本の取材も終わり、お盆休暇が入ったために新聞の連載も休み。
 ということで、ほとんど中仕事をしていました。

 唯一、尻焼温泉の 「関晴館」 に温泉講座で行ってきました。
 テレビの撮影が来ていて、河風呂に入った受講生3人が、旅番組に映りました。


 9月
 新聞の取材で、沢渡温泉 「龍鳴館」、月夜野温泉 「つきよの館」 へ。
 温泉講座で赤城温泉 「赤城温泉ホテル」 を訪ねました。

 そして、この月のメーンイベントは、なんと言っても 『あなたにも教えたい 四万温泉』 の発刊記念祝賀会が、四万温泉の 「四万たむら」 にて、盛大に開催されたことです。
 県内のテレビ、ラジオ、新聞、雑誌などマスコミ関係の方々。
 また県内の観光にたずさわる協会の方々。
 はたまた日本温泉協会からも出席いただき、それはそれは華々しい祝賀会となりました。

 四万温泉のみなさんをはじめ、たくさんの方からのお祝いのメッセージをいただきました。
 本当にありがとうございました。


 10月
 思い出といえば、初めて僕が家族を連れて、仕事以外で温泉旅館に泊まったということでしょうか。
 月夜野温泉 「つきよの館」 の女将のご厚意により、1泊してきました。
 やっぱり温泉に家族といるというのは、仕事場を覗かれているようで、なんだか照れ臭いですね。
 でも、家族の喜ぶ顔を見ることができて、幸せな一夜ではありました。


 11月
 新聞取材で、桜川温泉 「ふじやまの湯」 と川中温泉 「かど半旅館」 を訪ねました。
 どちらも、拙著 『群馬の小さな温泉』 『ぐんまの源泉一軒宿』 の取材以来ですから、大変なつかしく話をしてきました。

 そして、この月から、早くも次回作の取材が始まりました。
 トップを飾って取材を受けてくださったのは、猿ヶ京温泉の 「猿ヶ京ホテル」でした。
 3代目主人の持谷明宏さんと、じっくりと赤谷湖と猿ヶ京温泉の歴史について語り合えたことが、ただただ嬉しくて!
 その時にいただいた 『猿ヶ京温泉史』 は、僕のバイブルの1冊となっています。


 12月
 今月は、なんと先週までに、6温泉11旅館へ行ってきました。
 赤城温泉、水上温泉、月夜野温泉、猿ヶ京温泉、上牧温泉、八塩温泉と師走の風の中を駆けめぐりました。


 さてさて、今年も余すところ1日であります。
 みなさんは、今年はいくつの温泉をめぐることができましたか?

 来年は、今年以上にハードな温泉行脚の旅になりそうですよ。
 そのぶん、楽しみと喜びが大きいというものです。
 また秋には、新刊を出版します。
 みなさん、楽しみに待っていてくださいね。
  


Posted by 小暮 淳 at 15:42Comments(3)温泉雑話

2011年12月29日

2011 メモリアル温泉 (上半期)


 先週の水上温泉取材を最後に、今年の温泉行脚の旅は、すべて終了しました。
 いやぁ~、今年も行きまくり、入りまくりましたねぇ~!

 延べ温泉出動回数は、ジャスト90温泉(旅館) でした。

 うち、四万温泉が全37旅館ですが、それでも、残り53温泉(旅館)は、それ以外を訪ねたことになります。
 4日に1日は、温泉にいたことになりますね。

 で、今年も恒例! 「メモリアル温泉」 を発表したいと思います。
 まず1月~6月の上半期は、52温泉(旅館) へ行きました。


 1月
 トップを飾ったのは、新年早々6日に新年会でお世話になった上牧温泉 「辰巳館」 です。
 僕が所属するフリーランスのクリエイター集団 「プロジェクトK」 のメンバー、10数名で押しかけました。

 また、NHK文化センターの温泉講座で、豪雪の宝川温泉 「汪泉閣」 へ行ったのも1月でした。
 僕は反対したんですけどね、「どーしても、雪の露天風呂に入りた~い!」 という受講生たちのリクエストに応えての強行ツアーとなりました。
 とにかく、雪の量がすごかった!
 バスが、除雪車の後をついて走ったという、感動的(?)なシーンに、みんな大喜びでした。


 2月
 今年は、2月から朝日新聞で 「湯守の女房」 という連載が、隔週でスタート!
 記念すべき第1回目は、猪ノ田温泉 「久惠屋旅館」 でした。
 その後、倉渕温泉 「長寿の湯」、松の湯温泉 「松渓館」 と続き、おかげさまで次回(1月18日) で第20回を迎えます。
 読者のみなさん、ありがとうございます。


 3月
 3.11 の大震災の日、僕がいたのは大胡温泉 「三山センター」 でした。
 女将さん、息子さん、従業員のみなさんと、庭に飛び出て、松の木の根元で震えていたのを、昨日のことのように思い出します。

 3月は、震災の影響で、連載や他の執筆も激減!
 それでも、風評被害に悩む温泉地のことが心配で、9温泉を訪ねています。
 四万温泉からは、「こんなときですから、ぜひ、取材に来てください」 と、こころよく僕の訪問を受け入れてくれました。


 4月
 僕が講師を務める温泉講座の新講座 「探訪!ぐんまの小さな温泉」 がスタートしました。
 記念すべき第1回は、またしても上牧温泉の 「辰巳館」 でした。
 なんだか、今年は辰巳館づいていて、その後も何回も訪ねては泊めていただいています。

 5月
 四万温泉は 「豊島屋」 「くれない」 「旅館 若山」 「鍾寿館」 「長静館」 を訪ねました。
 そのほか、新聞取材で小野上温泉 「旅館 花山」、温泉講座で沢渡温泉 「まるほん旅館」 へ行きました。

 6月
 6月は、1ヶ月間で10温泉を訪ねています。
 うち、3温泉が、新聞取材です。
 隔週の連載なので、月によっては3回掲載される月もあるのですよ!(ちょっと、キツイ)
 湯檜曽温泉 「林屋旅館」、鹿沢温泉 「紅葉館」 と滝沢温泉 「滝沢館」 です。
 キツイと言っても、やっぱり温泉取材は楽しいものです。

 特筆すべきは、四万温泉の最奥、日向見薬師堂のさらに奥にある 「中生館」 に泊まったことです。
 もう、僕の念願の旅館だったわけですから・・・

 何が?

 足元湧出温泉ですよ!

 夏期限定の露天風呂 「かじかの湯」 は、湯舟から源泉が湧いているのです。
 ポコ、ポコ、ポコ……と、生まれたばかりの湯が、お尻をくすぐるんですよ。

 “四万に秘湯あり”

 まさに、源泉をひとりじめしてきました。

 <つづく>
   


Posted by 小暮 淳 at 21:21Comments(0)温泉雑話

2011年12月28日

きっかけは小説だった


 「小暮さんは、小説は書かないのですか?」
 という質問を、時々されます。

 ん~、・・・

 と、いつも返事に困ってしまいます。

 書かないのではなく、書けないのが正直な答えであります。
 が、「書いたことがないのか?」 と問われれば、
 これが、あるのです。

 とっても恥ずかしい話ですが、カッコつけて、虚栄を張っていた時期があったのですよ。


 今から4半世紀くらい昔の話です。
 結婚していましたが、無職でした。
 理由は、“やりたい仕事がない” という、なんとも無責任な理由からでした。

 対世間的には、「主夫」 ということにしておいたのですが、
 実は本人は真剣に、小説を書いていたのであります。

 来る日も来る日も、仕事へ出かける家人を見送ってから、原稿用紙に向かって、
 ウンウンとうなって、悶々とした日々を送っていました。

 ある日のこと、そんな僕を見かねた家人から、1枚の新聞切り抜きを手渡されました。

 “編集者 求む!”
 という求人広告でした。

 「どうせ、『働いて』 って言っても、『好きじゃない仕事はしない』 とかなんとか言って、絶対に勤めには行かないんでしょう? だったら、これなんかどう? 文章書きたいんでしょ? あなたに、うってつけの仕事だと思うけど……」

 「面接するだけだよ。勤めるかどうかは、オレが面接して決めるから」
 「何を偉そうなことを言っているのよ! あんたって人は、まったく自分を何様だと思ってるの!」

 まっ、そんな夫婦のやり取りがあったわけです。

 ところが、面接の当日。
 奇跡が起きたのです。
 その日の某新聞に、なななんと!
 僕の小説が、入選で掲載されたのです。

 そーじゃなくても、生意気な僕ですが、新聞に小説が載った日には、鼻がますますピノキオになって、それはそれは、面接に来たとは思えない態度で、面接を受けに行ったのであります。

 当然、本人は、就職する気なんて微塵もなかったのですが、家人との約束の手前、とりあえず面接だけ受けて、後で 「落とされた」 と言えばいいくらいに考えていたのです。

 「で、小暮君は、履歴書に小説を書くって書いてあるけど、どんな小説を書くの?」
 と、当時の編集長に訊かれて、
 「あの~、ここって○○新聞ありますか?」
 と、態度のデカイ僕。

 スタッフの女の子が、新聞を持って来ました。
 「この新聞が、今の私の質問と関係があるのかな?」
 と言われ、おもむろに新聞を開いて見せました。

 「こんな小説、書いてます!」

 カッコイイーーーーっ!

 と、その時は、そんな自分に酔っていたのですよ。
 なにせ、まだ20代の若造ですからね。

 と、編集長は、僕の小説を読み出して、しばらくすると、こう言いました。

 「文章がうまいのは、分かったよ。でも、これはフィクションだ。雑誌は、ノンフィクションなんだよ。君に、書けるかな?」
 と言われ、
 バカにされたと思って、カーーッと頭に血が上った僕は、
 「もちろん、書けますよ。簡単っす!」
 と、返事をしてしまったのです。


 いやいや、今となれば、世の中を何も知らない青二才のたわごとであります。
 本当に、お恥ずかしい。

 でも、その甲斐あって、その後僕は、その編集の世界で、もまれもまれて、今日まで生きながらえてきたのです。
 今となれば、あんなにも生意気だった青二才に、手取り足取り、編集のイロハを教えてくださったK編集長には、ただただ感謝しております。
 あの時は、本当に失礼しました。
 そして、ありがとうございます。


 そんないきさつがあり、僕は2度と小説を書かなくなってしまったのです。
   


Posted by 小暮 淳 at 22:06Comments(2)執筆余談

2011年12月27日

夢のタイムカプセル


 「少年の日、僕は今を夢見てた」


 これは、僕の人生で、ときどき登場するコピーです。

 どんな、ときか?
 それは、夢が叶ったときです。

 最初に使ったのは、27歳で初のソロコンサートを開催したときでした。
 DMやチラシなどに刷り込んだのを覚えています。

 次に登場したのは、確か37歳のとき。
 初のエッセー本を出版したときです。

 そして3度目は、47歳でした。
 初のエッセー展という、言葉をパネルにした展示会を開催したときです。
 前橋・宇都宮・安城(愛知県)・横浜の4会場で開催され、当時は、現地の新聞が取り上げてくれるなど、ちょっぴり話題になりました。

 思えば、すべて 「7」 の歳に訪れているんですね。


 で、どうして、こんな言葉を使うのかというと・・・

 まず 「少年の日」 とは、過去の自分です。
 そして 「今を」 というのは、未来の自分を指します。

 過去に僕は、未来の自分宛てに、“夢のタイムカプセル” をいくつも送っているのです。
 そして、そのタイムカプセルには、夢の叶う日の 「日付け」 が記されています。
 もちろん、受取人は、「未来の自分」です。


 誰でも、夢を見ますよね。

 でも、たいがいの人は、見るだけで終わってしまう。
 だから、夢が叶っているのか、叶わなかったのかの確認をしない。
 そして、夢を見たことさえ忘れてしまう。

 大きな夢じゃなくてもいいんです。
 あこがれ、程度でもいいんですよ。
 思ったり、感じたりしたら、すぐに 「実現する日」 の日付けをつけて、未来の自分へ投函するのです。

 当然、未配達もたくさんありますよ。
 誤配もあるかもしれません。

 でもね、10年に1通くらい “夢のタイムカプセル” が届くことがあるんですね。
 だから、僕は今でも、せっせせっせと未来の自分へお手紙を書いているんです。


 たとえば、2000年の10月。
 四万温泉でイベントがあり、僕は作家&パネリストとして参加しました。
 そのとき、僕は四万温泉の湯と自然の豊かさに惚れ込んでしまいました。

 「いつか、四万温泉の本を書いてみたい!」

 そう強く心に念じ、未来の自分へ “夢のタイムカプセル” を送りました。

 そしたら、ちゃーんと、今年の秋に届いたんですよ!
 日付けも、ほぼ 「10年後」 と合っていました。


 でも、最近、思うんです。
 若い頃に比べると、未来の量がだんだん少なくなってしまったなぁ~、と。
 あまり欲張って “夢のタイムカプセル” を未来の自分にたくさん送ると、全部開ける前に、死んじゃうんじゃないかってね。

 でも、いいんです。
 そのときは、僕を知っている誰かが、そのタイムカプセルを開けてくれればね。


 そして、そこには、こう書かれているはずです。

 「僕は今を夢見てた」
   


Posted by 小暮 淳 at 15:28Comments(4)つれづれ

2011年12月26日

牛が寝れば姫も眠る


 この時季、夕暮れになると、ついつい赤城山を眺めてしまいます。

 「赤城の寝牛」 って知ってますか?

 晩秋から初冬にかけて、日の傾きとともに赤城山という巨大なキャンパスに浮かび上がる、自然が創り出す壮大なトリックアートです。
 鍋割山を胴体に、その峰々がたくみに影を落としながら、足・頭・角を描き出します。
 その姿は、あたかも牛が横臥して寝ているよう。

 時間は午後の4時過ぎくらいから。
 見える場所は、赤城山の南面。
 前橋市内からが、完成度が高いようです。
 利根川沿い、群馬県庁舎展望台あたりがオススメという人がいますが、僕はJR両毛線の天川大島駅~駒形駅あたりから見るのが好きですね。

 見る場所、時間によっても微妙に形が変化するのも面白い。

 でも、子供の頃から見ていますけど、ピーンと2本の角がキレイに立つ影絵は、まだ数えるほどしか見れていませんね。
 今日も犬の散歩の途中で見ましたが、頭の輪郭があやふやでした。


 で、“寝る” といえば、もう1つ思い浮かべるのが 「子持の眠り姫」 です。

 赤城山の西麓から子持山越しに小野子山を眺めると、女性が仰向けに寝ているように見えるんですよ。
 ええーっ、本当?
 と話を聞いた時は疑心暗鬼だったのですが、何年か前に、取材の帰りに偶然、見ることができました。

 「ありゃりゃ~、イヤラシィ~!」

 というのが、感想です。

 小野子山の稜線が、右から女性の額・鼻・あご・胸に見えるんですよ。
 それも、かなりリアルな女性の横顔です。
 キュンと上を向いたあごなんて、とってもキュートです。

 何よりも胸が、イヤラシィ~!

 位置がちょっと首に近くて気になりますが、デカイんです。
 胸というより、オッパイですね。
 それも、かなりボインです(表現が古い)。

 で、この女性、南に移動しながら眺めていると、だんだんと、お腹がふくらんでくるんです!
 ご懐妊してしまうんですね。
 (だから子持の地名が付いたという説もある)


 ちなみに、子持山でなく小野子山なのに、なぜ 「子持の眠り姫」 というのかというと、見える場所が旧子持村だからだそうです。
 こちらは、季節や時間帯は関係なく、一年中昼間なら見られますので、ぜひ、自然のトリックアートを見つけに出かけてみてくださいな。
 ( 「赤城の寝牛」 は、この時季限定です)
   


Posted by 小暮 淳 at 20:59Comments(4)つれづれ

2011年12月25日

正しい年賀状


 今年も残りわずかとなりました。
 みなさんは、もう年賀状は出されましたか?

 僕は、やっと半分書きました。

 なんだか年々、出す年賀状が増えていくのですよ。
 で、決まって 「あっ、この人出してない!」 と正月明けにあわててしまうことに。
 だから今年も年賀状の枚数を、昨年より増やしました。

 “前年度の年賀状 + 今年出会った人 = 年々増え続ける”

 であるわけですから、この先、キリがありません。
 どこかで線引きをして、フルイにかけて、人員整理をしないと大変なことになりかねませんぞ!

 では、どこで 「出す人」 と 「出さない人」 を区別するのか?


 以前、といっても、もう10年以上も前ですけど、某紙に頼まれて、年賀状に関するコラムを寄稿したことがありました。
 その時、僕が書いたコラムのタイトルが、
 『正しい年賀状の出し方』
 というものでした。

 今、読み返してみると、こんなことが書かれています。
 もらって迷惑、不快になる年賀状について・・・

 ①招待状や喪中ハガキじゃないんだから、スミ1色の活字だけの印刷は
   やめてほしい。
   せめて近況報告の1行でも、手書きが加わっていれば救われるけど、
   宛て名や住所まで印字だったり、シールだったりすると、その人の
   イヤイヤ出している顔まで
   想像できて、ゲンナリしてしまう。

 ②お互いプライベートの付き合いをしているのだから、会社のハガキを
   そのまま使うのはやめてほしい。


 そして、一番困る年賀状として、誰から来たか分からないハガキをあげています。

 ③印刷しかも家族の名前が、ズラ~リと並んだ旦那や子供との連名のハガキ。
   結婚した年だけは(旧姓)があるからわかるけど、何年かして、しかもその後、
   疎遠になってしまっている女性から突然、また来るようになったハガキは困る。
   せめて、「私はこれ」 と名前を○で囲んでおいてほしい。


 さらに、極めつけとしてあげているのが、写真付き年賀状です。

 ④子供だけが写っている写真を毎年送りつけてくる困った親バカちゃんは、
   いったい子供が何才まで送ってくるつもりなのでしょうか。
   「息子も20才になりました」 なんて、成人した子供の写真を送ってこられたら
   どうしましょう。


 と、つらつらと書かれています。
 でも、今は、めっきり子供の写真を送りつけてくる人は少なくなりましたね。
 もう、子供が大きくなってしまったのでしょうな。
 代わって増えたのが、お孫ちゃんやペットの写真です。

 なかには家族の集合写真を送ってくる同級生もいます。
 でも、これは笑っちゃいます。
 卒業以来、一度も会っていないのですから、その空白の年月を物語る彼の前頭部の光沢が、年々広くなっていくのですよ。

 子供の成長記録より、本人の 「老化記録」 を送ってくださるのは、楽しいので大歓迎であります。


 さ、グダグダとくだらないことを言ってないで、残り半分の年賀状を書くことにしましょうかね。

 ちなみに、来年の僕の年賀状は、似顔絵入りです。
 友人・知人・親戚・仕事関係のみなさん、楽しみに待っていてくださいね。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:36Comments(1)つれづれ

2011年12月24日

師走の温泉夜話


 先日、我らのたまり場、酒処「H」 のママから、
 「お年賀に、ジュンちゃんの本を使いたいんだけど・・・」
 という電話をいたただきました。

 嬉しいじゃ、あ~りませんか!

 お年賀に、温泉本とは、正月から粋でいいですね。
 こんな風に、自分の本を利用していただけるとは、これは著者冥利につきるというものです。

 「そりぁ~、喜んで! 10冊でも20冊でも100冊でも、お持ちしまっせ」
 ということで、昨晩、温泉本を 「H」 まで配達に行ってきました。


 当然、配達だけで帰れるほど、僕の心は強くありません。
 まだ5時半だというのに、数名の常連さんが、すでに赤ら顔でやっています。
 なら、僕だって、少しぐらいはね。

 と、まずは軽く1杯、生ビールで乾いたノドをうるおしつつ、出された料理に箸をのばしつつ、2杯目も飲み干した頃、ケータイが鳴りました。
 A新聞社の I 記者からであります。

 「もう、小暮さん飲んでるの? 上野村の元村長が亡くなっちゃってさ、急きょ、その原稿書いてから行くから、1時間くらい遅れます。まだ居ますよね?」

 居るも居ないも、まだ飲み出したところであります。
 これから、やっと日本酒に手を出すところですから……。
 と思ったら、ドーーーンとカウンターの上に一升瓶が置かれましたよ。

 さすが、ママったら、のん兵衛の気持ちを分かっておりまする。

 こうなりゃ、ジャンジャンやりましょう!
 「昨日は冬至だし、明日はクリスマスイブだもんね」
 とかなんとか、意味不明の理由をこじつけて、常連たちと宴の始まりです。


 「小暮さんて、温泉ライターの小暮さん?」
 と、カウンターの先から、見知らぬ人の声がしました。
 「そーよ、知っているの?」
 とママの声。
 「知っているもなにも、俺は温泉フリークだぜ! 本だってもってるよ」

 と、ここまで会話を聞けば、本人が出て行かないわけにはいきません。
 ご挨拶、ご挨拶。

 そしたら、他の2名のお客さんも僕の本を持っていると言い出した!
 なに?
 ここにいる客は、全員僕の本を持っているの?!
 スゲーっ!

 あとの残りは、遅れてきたI 記者とママと僕本人だもの、100パーセント本の所有者だ!
 いゃあ~、うれしいの、なんのって、これまたライター冥利であります。

 と、いうことは、みんなみんな温泉が、だーい好き!
 ならば、今夜は、ほろ酔い気分で “温泉夜話” とシャレ込みますか~!


 ついつい僕も気分を良くしてしまい、あんな話やこんな話、「あらまっ」 という裏話や 「へぇ~」 と驚きのトリビア話などを、まるでセミナーか講演会の気分で、披露してしまいましたとさ。

 気がつけば、午前様であります。
 またまた、はしゃぎ過ぎてしまいました。

 でも、みんな温泉が好きで、温泉の話も好きで、美味しいお酒と料理と、美人のママと、ゆかいな仲間が集まれるということは、幸せなことであります。
 「ああ、この仕事をしていて、楽しいなぁ」
 と思えた夜だったのであります。


 ママさん、常連さん、みんなみんな、ありがとうございます。
 みなさんのおかげで、こうして今年も楽しく暮れようとしています。
 また来年も楽しく飲みましょうね。

 良いお年を、お迎えください。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:16Comments(7)酔眼日記

2011年12月23日

水上温泉 「水上ホテル聚楽」


 「じゅらくよ~」

 と聞いて、モンローの悩殺ポーズを思い浮かべた人は、たぶん50歳以上でしょうね。
 僕も、「ホテル聚楽」 と聞けば、

 「じゅらくよ~」
 という昭和44年の流行語にもなったテレビCMを思い出してしまいます。

 でも当時は、あの女性がホンモノのマリリン・モンローだと思っていましたが、そっくりさんだったのですね。
 (今思えば、当然、ホンモノであるわけがないのですが・・・)

 そんな聚楽チェーンの歴史や 「水上ホテル聚楽」 の歴史を、たっぷりと総支配人の松島好次さんに聞いてきました。


 水上ホテル聚楽は、昭和37年にホテル聚楽の第1号として誕生。
 前身は 「ゆばら荘」 といい、聚楽が買収をして、改装オープンしました。

 みなさんは、知っていましたか?
 今では、ホテルなどでは当たり前となっている “バイキング” スタイルの食事は、聚楽から始まったということ!

 昭和48年に、全国のリゾートホテルの中で、本格的な朝食と夕食のバイキングをいち早く始めたのだそうです。
 毎晩公演される 「世界のショー」 なんていうのも、当時は話題になりましたよね。

 で、そのバイキングの準備段階を取材してきました。

 いや~、広い!
 とりあえず1会場だけ見学しましたが、客が多いときは、もう1会場増やすとのこと!

 総支配人によれば、
 「必ず、実演をする。そして必ず、体験をさせる」
 この2つが、人気の秘密なのだそうです。

 実演とは、寿司やステーキなど、プロの料理人がその場で調理することです。
 そして、体験とは、お客本人が、自分で作る料理のことです。

 たとえば、チーズフォンデュ。
 ミニセットで、手軽に楽しめちゃうわけです。

 それと、ソフトクリーム。
 これは、子どもなら、誰でも一度はやってみたいですよね!
 自由に、いくつでも、勝手に作っていいわけですから、これはハマリますよ。
 大人だって、自分でクルクルしながら、大きなソフトクリームを作って食べてみたいと思いますものね。


 いやいや、この他にも、館内を回りながら、イベント会場や客室などの説明、従業員教育のことなど、実にためになる話を2時間にわたりお聞きしました。

 なによりも県内からの宿泊客が40パーセントという、そのリピーター率の高さ!
 その企業努力と営業内容の濃さは、この不景気で苦戦しているホテル観光業の方は、一度、ここに研修に来たらいかがでしょうかね。
 そのくらい、従業員も館内も、活気にあふれていました。


 そして、最後は、ベーカリーです。
 ホテル内にパン屋さんがあるんですね。
 宿泊客はもちろんですが、町内の人たちまでもが、ホテル内のパンを買いに来ます。
 “ホテルのパン” というブランドが、人を呼んでいるようです。

 実際に、僕も食べましたが、美味しかったですよ。
 でも、食パンは予約制なので、すでに完売していました。


 群馬に住んでいて、温泉地へこんだけ足を運んでいても、まだまだ知らないことが、たくさんあるものですね。

 いやぁ~、取材って、おもしろいですねっ!
 これだから、ライターは辞められませんって!
    


Posted by 小暮 淳 at 16:40Comments(5)温泉地・旅館

2011年12月22日

水上温泉 「水上館」


 昨日から水上温泉に入り込み、今日の昼まで取材活動を続けていました。
 そして昨晩は、ご厚意により 「水上館」 に泊めていただきました。


 水上館・・・

 なんとも懐かしい響きです。

 水上館の玄関ロビーを通り抜けるのは、約20年ぶりであります。
 その昔、僕は 「月刊 上州っ子」 というタウン誌の編集をしていました。
 水上館は、水上温泉で唯一のスポンサーで、毎月、本を届けに通っていたのです。

 3代目編集長として7年間たずさわりましたが、平成7年に廃刊させてしまいました。
 (読者のみなさん、ごめんなさい)

 で、今回、どうしてもそのことをお話ししたかったのです。

 そしたら、3代目社長の木村嘉男さんは、
 「えっ、本当? 上州っ子なの! うわぁ~、懐かしいな~!」
 と、それはそれは驚いてくれて、それからは、取材も忘れて、
 「こんなロゴだったよね」
 「はい、そうです」
 「表紙はこんな絵だったよね」
 「はい、そうです」
     ・
     ・
     ・
 「温かい雑誌だったよね」
 「はい、ありがとうございます」

 もう、僕は胸の奥のほうから、熱いものが込み上げてきて、言葉に詰まってしまいましたよ。

 「ありがとうございます」
 しか言えません。

 <人の心に残る雑誌を作っていたんだ>
 と、昔の自分をほめてあげたくなってしまいました。


 1時間以上も社長さんと話しこんでしまいました。
 「もう、今晩は仕事のことは忘れて、ゆっくり温泉につかって、のんびりと体を休めてください」
 と、やさしい言葉をかけられて、席を立とうとした時です。

 またも社長さんは、
 「小暮さんは、月刊 上州っ子だったんだ。懐かしいなぁ、いい雑誌だったよね。今、ああいう雑誌はないねぇ」
 と、しみじみとおっしゃってくださったのです。


 昨晩は、風呂に入っても、食事をしても、布団の中に入ってからも、ずーっとずーっと、やさしい響きをもって、社長さんの言葉が、僕を酔わせてくれました。

 本当に、ありがとうございました。

 心の奥が、ほっこりと温かくなった夜でした。
  


Posted by 小暮 淳 at 20:49Comments(4)温泉地・旅館

2011年12月20日

八塩温泉 「神水館」②


 今日は、今年度最後の温泉講座日でした。

 ファイナルを飾ったのは、八塩温泉です。
 なぜ、八塩温泉なの?

 はーい、近くにある桜山公園の天然記念物 「冬桜」 が、身ごろだからです。
 ふだんは、あまり歩かない講座ですが、今日は受講生のみなさん、たいへん良く歩きました。

 寒風吹き抜ける桜山山頂からは、武甲山など埼玉県側の眺望を堪能!
 遠く、茨城県の筑波山までもが、きれーいに 見えましたよ。
 雲ひとつない、紺碧の空・・・
 「しんどかったけど、来て良かった~!」
 と言ってもらえると、講師としても嬉しいものです。
 (年配の方が多い講座なので、心配だったのです)


 冷えた体を温めるには、温泉が一番!
 バスは、桜山の外周をぐるりと回って、一路、「神水館」へ。

 僕が 「神水館」 を訪ねるのは、1年半以上ぶりです。
 昨年の秋に出版した 『群馬の小さな温泉』 の取材で泊めていただき、5代目主人の貫井昭彦さんに大変お世話になりました。
 ぜひ、今日は、その時のお礼を言いたかったのですが、残念ながら仕事で不在でした。
 でも、その代わり、女将さんと先代の主人、大女将が出迎えてくださいました。

 まあ、バスの中でも、受講生たちには、ちゃんと注意をしておいたんですけどね。
 ここの宿には、温浴用と冷浴用の2つの風呂があるということを。
 温浴用は、源泉を加水・加温したもの。
 そして、冷浴用は、源泉がそのまま、かけ流されています。

 なんと、源泉の温度は約15℃!


 ここ八塩には、昔から 「塩の湯口八ヶ所」 と呼ばれ、8つの塩泉が湧いていました。
 それゆえ、物資不足の戦時中には、この塩泉から食塩を精製したこともあったといいます。

 「神水館」 にも、敷地内に自家源泉が湧いています。
 塩分濃度が非常に高く、200万年以上前に地中に閉じ込められた海水が、現在も湧き出しているのだといわれています。

 で、この冷たい源泉風呂と温めた温浴用風呂を交互に入るのが、昔から効能を高める正しい入浴法とされています。

 でも……

 つ、つ、つ、つめたーーーーい!

 真夏ならいざしらず、今は冬ですぞっ。
 だから、受講生たちには 「自分の体と相談して、無理をして入らないように」 と言っておいたのですよ。

 でも、なんだか、雰囲気が怪しいんです。
 <ねえねえ、先生が見本を見せてくれないと、我々が入れないじゃありませんか~>
 という、視線。

 えっ?
 冗談でしょう?
 バスの中で、ちゃんと言ったよね?
 「無理はするな」って・・・

 ・ ・ ・   ・ ・ ・

 みんなの視線が気になります。

 「わかった、わかったよ! 見本ね? 見せて差し上げましょう。これが正しい入浴法だという立派な見本を!」

 と、いうことで、講師として、正しい入浴法の見本を見せることになってしまったのであります。

 そろーり、左足。
 「うひゃ~」
 そろーり、右足。
 「ううーーっ」
 腰まで浸かって、深呼吸。

 「がんばれ、せんせー!」
 と声援が飛ぶ。

 「おお、任せておけ。もうヘソまで沈んだ。残るは、心臓附近を通過するだけぜよ」

 エエエーーイ!(気合)

 拍手、拍手、拍手の嵐が吹き荒れる。
 これで、なんとか講師の面子は保たれたのである。

 が、それを見ていた僕なんかより年齢が先輩の受講生ら4、5人が、次から次へと飛び込んだ。
 さすが、“亀の甲より年の功” “一日の長” であります。
 鍛え抜かれた肌の皮の厚みが、違う!

 源泉風呂から温浴風呂へ入ると、、今度は全身がピリピリ、チクチクと騒ぎ出し、カッカカッカと熱くなってきた。
 そして湯上がりは、いつまで経ってもポカポカと体がほてっていましたとさ。
 めでたし、めでたし。


 ※冷鉱泉の源泉風呂に入るときは、充分体調に気をつけて、決して無茶はやめましょう。
   (温泉の入浴にプライドは必要ありません)
  


Posted by 小暮 淳 at 21:00Comments(2)温泉地・旅館

2011年12月19日

末期ガンが消えた?


 先月末からコラムサイト 『ハイハイQさんQさんデス』 で、毎週水曜日と土曜日に連載しているコラム 「温泉で元気」 も早いもので現在、第6回が掲載されています。

 おかげさまで連載スタート以来、全国からメールやブログにコメントをいただいております。
 ありがとうございます。

 つくづく、みんな温泉が好きで、温泉には興味を持っているんだなぁ~、と実感しています。
 なかには、「群馬が温泉大国だとは知りませんでした」 という他県の方からの言葉もあって、改めて、もっともっと頑張らないと群馬のブランド力は上がらないぞぉー!っと、身を引き締め直したりもしています。

 先日、こんなメールが編集部経由で転送されてきました。
 「ぜひ、その温泉を教えてください」
 というものでした。

 今月の10日(土) に掲載された第4回 「霊験あらたかな湯」 というタイトルのコラムに対してでした。

 群馬県民で、温泉好きの人なら知っているでしょうが、“末期ガンが消えた!” という看板を掲げる某温泉のことです。
 薬事法に抵触する恐れがあるということで、県の薬務課でも気をもんでいる温泉ですが、事実、たくさんの患者が訪れていて、なかには好転している人もいます。

 実際、僕も入浴しましたが、とても不思議な体験をしました。
 それは、“浮遊” です。

 ピリピリピリっと、弱い感電のような刺激が肌の表面を走り抜けたと思うと、やがて、誰かに体を抱えられたように体が勝手に、フワァ~と浴槽の中で浮かび上がったのです。
 特に両手は、自分の意思とは反して、ユラユラと動きだしました。

 コラムでは、そんな体験と医学的な根拠など、現代の湯治場として全国から患者が訪れていることを書きました。


 で、メールをくれた読者は女性の方で、ご主人がガンを患っているとのこと。
 「行ってみて、ただの温泉だったとしてもいいんです。主人を連れていきたいので、ぜひ教えてください」
 と、懇願するメールでした。

 もちろん、僕はすぐに返事を送りました。


 世の中には、「藁(わら) にもすがる思い」 という言葉があります。

 実は、僕に温泉の相談をしてくる人で一番多いのは、平成の現代においても “病気が治る温泉” についてなのです。
 「湯のいい温泉」 ではなく、「病気の治る温泉」 ですよ!

 私の知人でも何人かは、藁にもすがる思いで、僕が紹介した温泉に通っています。

 どうして、お医者さんじゃないの?
 薬じゃダメなの?

 こんなに医学が発達した現代でも、温泉の力を信じる人は大勢います。
 もちろん、僕も “湯力(ゆぢから)” を信じている一人であります。


 ※コラム 「温泉で元気」 は、当ブログの 「お気に入り」 から閲覧することができます。 
  


Posted by 小暮 淳 at 18:21Comments(2)温泉雑話

2011年12月18日

寝ずに今夜は下ネタねえさん


 今年も、届きました!
 群馬が全国に誇る高級ブランド葱の「下仁田ねぎ」であります。

 年賀状書いたり、クリスマスソングが聴こえてきたり、年の瀬が押し詰まると 「ああ、今年も暮れたなぁ…」 と感じる風物詩がいくつもありますが、僕は俄然!この 「下仁田ねぎ」 なんですね。
 だって、群馬県民だって、そうそうは食せない代物ですぜ。

 以前、九州の友人に、この 「下仁田ねぎ」 を送ってあげようとして、散々苦労をしました。
 もちろん街のスパーマーケットへ行ってもないし、農産物直売所へ行っても、なかなか “ホンモノ” は置いていません。

 この 「下仁田ねぎ」、ホンモノとニセモノがあるのご存知ですか?
 別名 「殿様ねぎ」 とも呼ばれるため、下仁田以外で作っていても 「殿様ねぎ」 の名で売っていることがあるんですよ。
 でも、「下仁田ねぎ」 はブランド品ですから、松坂牛同様、「下仁田ねぎ」 と呼べるのは下仁田町産のものだけなのです。

 ですから、認定された農家しか作れません。


 結局、僕は下仁田ねぎ農家を探し当てて、直接農家から九州の友人へ “ホンモノ” を送ってもらいました。
 もう、その評判は大したものでしたよ。
 「こんなネギは、初めてです。やわらかくて、甘くって、病み付きにきりました」
 と、お礼の手紙をいただきました。

 で、ここ数年、我が家には、この “ホンモノ” の 「下仁田ねぎ」 が毎年暮れになると届くのです。
 もちろん生産農家からなのですが、これが取材の賜物なんですね。
 地産地消の宿ということで、泊り込んで徹底取材したことがあるんです。
 実は、その宿は農業もやっていて、「下仁田ねぎ」 の生産農家に認定されていたのです。

 生でかじると辛いのに、ちょっと煮ただけでやわらくなり、独特の風味と甘みがあるこのネギが、僕も家族も大好物なんです。
 だから昨晩は、さっそく 「すき焼き」 にして食べました。
 正直な話、我が家の食卓に 「すき焼き」 が出るのは、恥ずかしながら1年で1回、この 「下仁田ねぎ」 をいただいたときだけなのであります(貧乏)。

 それくらい、貴重なネギなんですよ。


 ところで 「下仁田ねぎ」 と言えば、群馬県民なら誰でも、上毛かるたの札を思い出しますよね。

 『ねぎとこんにゃく 下仁田名産』

 ですが、子どもの頃は、ふざけて

 “寝ずに今夜は 下ネタねえさん”

 なーんて言ってましたっけね。


 他にも、『世のちり洗う 四万温泉』 のことは、
 “余の尻笑う 四万温泉” だとか、

 『和算の大家 関孝和』 のことを
 “和算の大家 コルゲンコーワ”
 なんて言って、笑ったことを思い出します。


 で、「下仁田ねぎ」ですが、
 家族だけで食べきれる量ではないので、実家の両親へも持っていってあげました。
 「あら、下仁田ネギじゃないの! 手にはいらないんだよ。ありがたいねぇ」
 と、もちろん大喜びでした。

 年の瀬に、親孝行が1つできました。

 Sさん、毎年おいしいネギを送ってくださり、ありがとうございます。
 来年も、遊びに行きますね。

 どうぞ、良いお年をお迎えください。
  


Posted by 小暮 淳 at 17:49Comments(3)つれづれ

2011年12月17日

大人の忘年会


 子どもの頃から 「便所の100ワット」 なんて呼ばれるくらいのお調子者ですから、宴会となれば率先して幹事を引き受け、会の進行を仕切り、場を盛り上げる役を買って出てしまうタイプであります。

 基本的に、酒は楽しく飲むものであり、はしゃぐのが好きなほうで、時々、度が過ぎてしまいハメをはずして、叱られることもたびたび・・・。

 誰に叱られるのかって?
 ハイ、お店の人や他のお客さんからです。
 「ちょっと静かにしてもらえませんか」ってね(反省)

 とにかく、地声が大きいもので、本人は普通に話しているつもりでも、世間一般には “叫んでいる” ように聞こえるらしいんですよ。
 「小暮さんって、元応援団ですか?」
 なんて言われることもあるくらい、声がでかいんです。
 (友人たちは、僕からの電話は、耳から受話器を離して聞くという)

 でも、さすが50歳を過ぎたあたりから、はしゃぎ過ぎた宴会の翌日は、ドッと疲れが出るようになりました。
 そろそろ、大人の飲み方をしないとなぁ・・・と、反省しきりの今日この頃であります。


 で、昨晩は、久しぶりに “大人の忘年会” に参加してきました。

 場所は、新前橋駅前にあるJ新聞社からほど近い、「T」 という今月オープンしたばかりの酒亭であります。
 「魚がうまい」 とのウワサを聞いて、会場が即、決定!
 夕刻から奥の座敷に陣取って、静かに宴の始まりです。

 顔を合わせたのは、僕の温泉本のプロデューサーであるK氏と出版元のT部長。
 そして、僕の3人という実にアダルトで、はしゃぎようのないメンバーです。

 「今年もまた本を出版することができました。ありがとうございました」
 と僕から2人に一年の礼を述べながら、とりあえず生ビールで乾杯です。

 すぐに日本酒の徳利が並び出し、海の幸を肴に、話はすでに来年の出版話で盛り上がり出しました。

 「来年は、いい意味で小暮さんの読者を裏切ってみたいですね」
 とT部長が言えば、
 「すでに取材は始まっているのですが、今までに増して面白い宿やユニークな主人が多いので、楽しみですよ」
 とK氏が言葉をつなぎます。

 「実は来年は、●新聞から新連載の話が来ているんでよ。僕の本の出版元でもあるJ新聞でも何か連載を書きたいですね」
 と僕が珍しく真面目な口調で話を持ちかけると、
 「ぜひ、お願いしますよ。いいネタはありますか?」
 とT部長。
 「“○○○温泉”なんて、どうですか? まだ、どこにも書いていないし、J新聞らしいシリーズだと思いますけど……」
 「以前に小暮さんが話していたヤツですね。それなら、そのまま出版化できそうですよ」

 とかなんとか、実に発展的で大人の会話をしちゃったりしたのです。


 おおぉぉぉ、気が付けば徳利がズラ~リとテーブルの上に何本も寝転んでいます。
 はしゃがず、あばれず、粛々と大人たちは酒を飲み、語り合った結果であります。

 お陰で、いつもより飲み過ぎてしまい、今日は昼近くまでベッドから抜け出すことができませんでした。

 「大人の忘年会」 も、これはこれで疲れるものです。
  


Posted by 小暮 淳 at 19:01Comments(5)酔眼日記

2011年12月16日

そんな仕事は辞めちまえ!


 昨晩は、テレビニュースを見ていて、久しぶりにムカッ腹が立ちました。

 「1歳の息子を10階から放り投げる」
 「大手ゼネコン社員の男 殺人未遂容疑で逮捕」

 奇跡的に子どもは、マンション下の植え込みがクッションとなり、一命は取り留めたといいます。

 で、その男の動機に、ムカッ腹が立ったんですよ。

 「仕事で悩んでいた」

 ざけんじゃ、ねーぞぉぉぉぉ!

 なんだ、その理由は?
 みんな仕事で悩んでいるんだよ。
 悩まないでできる仕事なんて、世の中に1つもないの!
 でも、仕事は悩むから面白いんじゃねーかい。

 僕なんて、いっつも悩んでいますよ。
 「次のコラム何書こう・・・」
 「ああ、仕事がブッキングしそうだ」
 「俺って、文才ないかも・・・」
 「きゃあ~、明日、閉め切りだぁー!」
 て、ね。

 でも、仕事で悩めるなんて、幸せな証拠ですよ。
 だから、この男、言い訳を摩り替えていますね。

 “仕事で悩んでいた” のではなく、“イヤな仕事を我慢していた” んじゃないかなぁ。

 答えは簡単だ。
 そんな仕事は、辞めちまえばいいんだよ。
 そして、お前さんの好きな仕事を探せ!

 て、僕がいうと、きっと、こう言うんでしょうね。
 「家族はどうするんだ?」って。

 だから、好きな仕事をすればいいんだ。
 そうすれば、ストレスのほこ先を子どもへなんて向けやしない。

 いつもお父さんが家の中でも外でも、楽しそうに生きていれば、子どもなんて、その姿を見て勝手に育つものだ。


 僕は、自分の子どもたちに、“人生はイヤなことから逃げていいんだ” と教えてきました。
 「我慢」 には、“していい我慢” と、“しなくていい我慢” があることをね。

 「押し付けられたら、逃げなさい」
 でも、自分が好きで選んだことや人生からは、「決して逃げてはいけない」 ことを。
 でも、自分のためにする我慢って、楽しいものですよ。
 その間は、マラソンのゴールをイメージしながら走っている長距離ランナーの気分と同じですから。

 でも、他人のための我慢は、いつか崩壊します。
 この男も、大手ゼネコン社員というエリート世界の中で我慢し続けていることを、家族に言えなかったんでしょうな。
 家族は家族で、「お父さん、家族のために頑張ってね」 なんて言って、平気でプレッシャーをかけていたことでしょう。


 日本は、12年間連続、自殺者が3万人を突破しています。
 その半数以上が、家族を抱える中高年お父さんたちです。

 言い訳なんてするまえに、逃げろ!

 <自由に生きる方法なんて100通りだってあるさ>
   って、浜田省吾だって歌っているじゃないか。


 とりあえず温泉へ行って、ボーっとしてみんしゃい。
 温泉の神様が、生きるヒントを授けてくれるでしょう。
   


Posted by 小暮 淳 at 15:42Comments(4)つれづれ

2011年12月15日

上牧温泉 「辰巳館」④


 今年も余すところ、あと半月!
 年賀状の受付も始まったし、いよいよ “年末” の感が高まってきました。

 でも、まだ2週間もあるんですよ!
 と、いうことは温泉だって、まだまだ入ります。
 今年は、取材以外に講座も残っていますから、気は抜けません。


 今日は、新聞の取材で、上牧温泉 「辰巳館」 を訪ねて来ました。

 いつもだと、4代目主人の深津卓也さんと、お茶飲んで話を聞いたり、泊まったときは一緒に食事をしながら酒を飲み交わしたりしているのですけど、今回は、女将さんの香代子さんにお会いしてきました。
 女将さんとは、以前から取材や宴会、講座でお世話になったときには、たびたび挨拶だけはしていたのですが、じっくり膝を突き合わせてお話しするのは初めてでした。

 以前から、「あぁ、キレイな女性(ひと)だなぁ…」 とは思っていましたが、改めて間近でお話をしながら拝見すると、ハンパねぇ美しさであることを知らされました。

 それも、“和の美” です。

 「輝け!日本の美しい女将さんコンテスト」 で、群馬県代表の3人に選ばれること間違いなし!
 そして、品があります。
 着物姿が、これまた似合っています。

 えっ? ほめ過ぎだって?

 いえいえ、先ほど、同行したカメラマン氏からも、こんなメールが届きましたよ。
 「今日、撮影した辰巳館の女将なんですが、いまプリントしてみて、これは本にした場合の表紙候補だと思いました」

 ねっ!
 僕だけが思った感想じゃないでしょう。
 辰巳館が驚異的なリピーター率を誇っているのは、女将の美貌も人気の1つだと思いますよ。

 ご興味を抱いた人は、ぜひ、訪ねてみてください。
 「そんなヒマはない」 という人は、来年1月18日発行の朝日新聞 『湯守の女房』第20話の掲載までお待ちください。


 取材と撮影が終われば、あとは温泉に入るだけです。
 ご存知、“裸の大将”こと山下清画伯の壁画がある名物 「はにわ風呂」 でカメラマン氏と2人、師走の疲れをザザザーっと、かけ流してきたのであります。


 さて、今年はあと残り4温泉だ!
 入り切るぞぉ~!
  


Posted by 小暮 淳 at 21:18Comments(0)温泉地・旅館

2011年12月14日

カメラマン崇拝


 すでにお気づきかと思いますが、僕のブログには、タイトルバックとプロフィールの写真を除き、一切、写真の添付がありません。

 なぜか?

 カメラを持っていないからです。

 なぜ持っていないのか?

 はい、それは僕が、カメラマンという職業を崇拝しているからであります。


 長年、僕は編集業にたずさわってきましたから、カメラマンと組んでの仕事を多くこなしてきました。
 いつ頃からでしょうか。経費削減という理由から、新聞社の記者も、雑誌社の編集者も、はたまたフリーのライターまでもが一人二役をするようになり、カメラを持って(持たされて)取材へ出かけるようになりました。

 でも、やはり、プロのカメラマンが撮った写真と、片手間に素人が撮った写真との違いは歴然です。
 クオリティーを追求するなら、当然、プロのカメラマンを起用するべきです。
 ところがバブルがはじけてからというもの、そのシワ寄せは、すべてカメラマンに行ってしまいました。

 さらに、デジタルカメラの登場です!
 ほとんど、専門技術がいらなくなってしまいました。
 フィルムを現像に出すこともなく、撮ったそばから画像を確認することもできます。
 さらにさらに、カメラ付き携帯電話の登場により、総カメラマン時代がやってきました。

 どこへ行っても、パチリ!
 ランチを食べても、パチリ!
 犬を見ても、猫を見ても、パチリ!パチリ!

 「ブログに載せるから」
 パチり!パチリ!パチリ!・・・・・・・・・・

 いやいや、日本全国、子どもから大人まで “パチリ症候群” を発病しています。

 なんだか、写真というものを使い捨てにされているようで、業界にいる者からすると、ちょっと不愉快になるときもあります。

 だから、僕はカメラを持ちません。
 新聞でも雑誌でも書籍でも、取材に行くときは必ずカメラマンと同行します。
 (だから僕の入浴シーンが撮れるのです)


 絵描きや物書きは、必ずしも “現場” へ行かなくても、絵や文を描け(書け)ます。
 資料を使って、小手先の仕事をすることも可能なわけです。

 でも!

 カメラマンは、“現場” へ行かなくては仕事が始まりません!
 100パーセント現場主義である彼ら(彼女ら)を、僕はズーッと崇拝しているのです。

 僕が今日、このような文筆業をしていられるのも、カメラマンという存在があればこそなんです。


 カメラマンのみなさん、あなたたちあっての僕ですから、これからもよろしくお願いしますね。
 僕は、あなたたちが人生を賭けて撮った一瞬が、大好きなんです。

   


Posted by 小暮 淳 at 21:29Comments(2)つれづれ

2011年12月13日

ブログ冥利


 読者の皆さんは、以前このブログで 『生まれて初めて会った人』(11月5日) というタイトルの話を書いたことを覚えていますか?

 簡単にあらすじを言えば、僕が生まれたときに、僕をオフクロの胎内からこの世に引っ張り出してくれたお医者さんの告別式に会葬したという、ただそれだけの話なんです。

 でも、一般の人はなかなか “生まれて初めて会った人” を知りませんよね。
 お産婆さんか、産婦人科の医師ということになりますが、その後の人生で係わることもないだろうし、産んだ母親だってその人の名前は忘れてしまっているだろうし、ましては、その後の人生で付き合いもないでしょう。

 でも、僕の場合は、その後の付き合いがあったものですから、告別式に会葬してきたのです。

 僕が生まれて初めて会った人の名は、清宮寛先生。
 享年、90歳。

 ブログを掲載した数日後。
 寛先生の息子さんで、僕の主治医である和之先生の病院を訪ねると、
 「小暮さん、ありがとうございます。こんなに素敵な文章を書いていただいて」
 と、なななんと!僕のブログのコピーをカバンから取り出したのです。

 「えっ、先生、ブログを読んでいるんですか?」
 と驚く僕に先生は、
 「父の死後、娘が検索で見つけたと、小暮さんのブログのコピーを持ってきたんです」
 と言いました。

 そして、重ね重ね、
 「ありがとうございます。父は、こんな風に思われて医者冥利に尽きると、家族みんな小暮さんには、感謝しているんですよ」
 と、お礼を言われてしまいました。

 診察を受けに行って、感謝をされるというのもおかしなものですが、その日は、それだけで終わりました。


 昨日、また定期健診を受けに、病院へ行きました。
 すると、診察室に入るなり、

 「おかげさまで、先日、父の納骨が無事に終わりました。
  そのとき、小暮さんのブログのコピーを親族全員に配ったんですよ。
  みんな父のことを、医者冥利に尽きると、小暮さんに感謝していました。
  本当に、ありがとうございます」

 と先生に言われてしまいました。

 看護師さんたちまでもが、
 「私も読ませてもらいましたが、ジーンときちゃいましたよ」
 「目頭が熱くなりました」
 と言い出して、診察を受けに来ているのだか、ブログの話をしに来ているのだか、分からなくなってしまいました。


 帰り道、実家に寄って、そのことを話すと、
 オフクロは僕に、こんなことを言いました。

 「お前、いい仕事をしたね。
 お金になる仕事も仕事だけど、
  人の心に残る仕事が、本当の仕事だよ」

 さらに、こんなことも。
 「お前、徳積みをしたね。神様は、ちゃーんと見ているから、これからも胸を張って今の仕事を続けなさい」


 “本当の仕事”?
 “徳積み”?

 年寄りの言うことは、難しいですな。

 でも、ブログ冥利に尽きる出来事でした。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:51Comments(10)つれづれ

2011年12月12日

今年最後の温泉ラジオ


 今年の4月から毎月、NHK-FMで放送しているラジオ番組 「群馬は温泉パラダイス」。
 早いもので今月で第9回目を迎えます。
 明日の放送では、今年最後ということもあり、「四大温泉と三名湯」 と題して、群馬県内の有名温泉地についてお話しします。

 このところマニアックな話が続いていましたから、ちょっと息抜きですかね。

 群馬の四大温泉とは、群馬県民なら誰でもが良く知っている草津温泉と伊香保温泉と水上温泉と四万温泉です。
 では、三名湯は、ご存知ですか?

 上記の四大温泉から1つが抜けるのですが、それはどこか?
 そして、なぜ抜けるのか?その理由は?

 また、群馬には 「9大温泉地」 という言葉もあります。
 新聞報道などで、たびたび 「県内9大温泉地のゴールデンウィーク中の人出は・・・」 などと使われています。
 さて、この場合の “9大” とは、何温泉のことなのでしょうか?

 そんな素朴な疑問と、知っているようで知らない有名温泉地の裏話などを楽しくお話します。

 おヒマな人は、ラジオのダイヤルを合わせてくださいな。
 今回も、全開MAXで、群馬の温泉の魅力をお届けしまーす!



       群馬は温泉パラダイス
      第9回 「四大温泉と三名湯」

 ●放送局   NHK-FM前橋 81.6MHz(群馬県南部)
          ※他のエリアは周波数が異なります。
 ●番組名   トワイライト群馬
          「群馬は温泉パラダイス」
 ●日  時   12月13日(火) 午後6時~6時30分
 ●出  演   金井一世(キャスター)
          小暮 淳 (フリーライター)
  


Posted by 小暮 淳 at 13:56Comments(2)温泉雑話

2011年12月11日

ブリを食い月を食う


 忘年会シーズンの到来です!

 ま、365日、年がら年中酒を切らしたことのない我が身にとっては、忘年会もなにも関係ないんですけどね。
 でも、“宴” でありますから、みなさんノリもよろしいし、気の置けない仲間との酒会は楽しいものです。

 このところ仕事のブッキングがままあり、関係者にはご迷惑をかけています。
 フリーは体が1つなもんで、同じ日に同時に2つの仕事はこなせないのであります。
 だからって、人を雇う余裕なんてありませんし、雇ったところで、その人に来た仕事ではなく僕に来た仕事となれば、結局、用が足りないのですから意味がありません。

 フリーは、“オンリーワン” の存在だからこそ、価値があるのです。

 で、仕事ならば、なんとかスケジュールを調整して、別日にこなすことができますが、忘年会となると、そうはいきません。
 この時期、ままブッキングがあるのですよ。
 でも、大概は面白そうなほうへ顔を出して、他方は仕事だとかなんだとか体のいい理由をつけて欠席をすることになります。

 ところが昨日の忘年会は、どちらも甲乙つけがたい好メンバー揃いでした。
 おまけに時間も多少ずれている。
 両方に顔を出せば、倍酒が飲めるという意地汚い心根から、2会場の “はしご” をすることにしました。


 午後の早い時間に開会となったのは、我らが 「プロジェクトK」 の忘年会。
 プロジェクトKとは、僕が所属するフリーランスたちのクリエイティブ集団です。

 経費の節約により、会場は代表のK氏自宅。
 各々が酒や食料を持ち込んで、三々五々と始まりました。

 今回のメーンエベントは、なななんと!「寒ブリのしゃぶしゃぶ」 であります。

 なんでも建築家のYっさんのお母さんの実家が新潟だとかで、この日のために一尾まるごと送ってもらったという、とんでもサプライズがテーブルに並びました。

 「うぉぉぉぉぉーーーっ!」
 「ギョギョギョーーーっ!」

 一同、魚だけに、「うぉ」 とか「ギョッ」 とか喚声を上げています。

 なかでも、数日前から、この “ブリしゃぶ” 情報をキャッチしていたライターのK女史は、「やった~!」「バンザイ!」 と狂喜乱舞しながら、その喜びを全身で表現しています。

 なんでも、今年の初めに 「寒ブリのしゃぶしゃぶ」 を食べて以来、“ブリしゃぶ” のとりこになってしまったとのことです。
 ま、メンバーは全員貧乏人ですから、他の者は誰も 「寒ブリのしゃぶしゃぶ」 の味を知りません。

 「うまいんだろうなぁ・・・」 との予測はつきますが、どのくらい美味しいのかはわかりません。

 と、と、ところが!!!!!

 誰もが、ブリをしゃぶしゃぶして、口に入れたとたん、
 「なんじゃこりゃ?」
 という顔をしたと思うと、

 「うっ、めめめめめめめ~!」

 と仰天のリアクションに変わりました。

 いゃあ、ウワサには聞いてましたが、なんですか!この美味は!

 しゃぶしゃぶして、ほどよく脂を落とされたブリちゃんが、舌の上にのせただけで、とろけてしまうのですよ。
 「うわ~、歯がいらねぇ」
 「金持ちになった気分だ~」
 「こんな食い物くったことがねえ」
 と、日頃から食生活の貧しいクリエイターたちは、至福の時間を満喫しました。

 Yっさんのお母さん、ありがとうございました。
 Yっさん、配達ごくろうさんでした。


 さてさて、日もとっぷり沈み、腹の具合も落ち着いたので、僕は、後ろ髪を引かれつつも1次会場を後にしました。

 目指すは、我らが溜まり場の酒処「H」であります。
 Hママが、この地にお店を出して、満10周年が経ったというので、そのお祝い会であります。

 常連客の中には、A新聞の I 記者や絵本作家のN先生のお顔もあります。
 「カンパーイ!」
 と、まずは生ビールで、ごあいさつ。

 すぐに冷酒が回りだし、あっちでもこっちでも高らかに笑い声が上がりました。
 と、その時、外に電話をかけに行った常連さんの1人が、
 「欠けてる!欠けてる!」
 と飛び込んできました。

 すっかり忘れていましたよ。
 昨晩は、皆既月食の夜だったのです。

 とたん、ドドドドーーッと全員が、店の外へ飛び出していきました。

 「おおおおーーーっ!」

 と一同が見上げる師走の夜空で、地球の影が月を左下から少しずつ食っています。
 ケータイで撮ったって写るわけないのに、なぜかみんなシャッターを切るんですね。

 結局、昨晩は何回も外へ出て、神秘的な天文ショーを観賞しました。

 酔眼のなかで、ゆら~り、ゆら~りと揺れるお月さんのきれいだったこと。

 「来年こそは、平穏な年でありたい」
 と願わずにいられない月夜でした。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:31Comments(5)酔眼日記