2012年10月31日
『続・群馬の逆襲』 を読むべし!
<いかにも世界屈指の温泉大国・群馬らしいオジサンがいます。自称 「元売れない(オヤオヤ、ご謙遜!) シンガーソングライター」 で、この10年ほど 「温泉ライター道」 まっしぐらの小暮淳さんです。>
「ねえ、今度、小暮さんのことを書いていい? 秋に続編が出るんですよ」
と、元新聞記者でジャーナリストの木部克彦さんから電話をいただいたのは、今年の夏のことでした。
木部さんといえば、2010年に 『群馬の逆襲』(彩流社) が、ベストセラーになった作家であります。
当時、僕の 『ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) も、そこそこ売れていたものだから、顔をあわせると、
「いゃ~、小暮さんの本、売れていますね~」
「何を言っているんですか~、木部さんの本にはかないませんよ」
なーんていう会話をしながら、酒を酌み交わした思い出があります。
その木部さんが2年間の沈黙を破り、満を持して、ついに、あのベストセラーの続編を出版しました!
『続・群馬の逆襲 ~今こそ言おう 群馬・アズ・ナンバーワン~』(言視舎、1,400円+税) であります。
そして、冒頭の文章が、第3章の 「GO!GO!温泉パラダイス」 で5ページにわたり書かれている温泉バカ一代男、小暮淳についての書き出しの部分です。
いゃ~、やっぱり、木部さんは、文章がうまい!
そして、笑わせてくれます。
「勝手に書いちゃったけど、怒らないでね」
なんて言ってましたけど、とーんでもない!
木部さんの文章を読んでいると、僕もこの “小暮淳” という男に会ってみたくなりましたよ(笑)。
本文に、こんなくだりがあります。
<この小暮さん、本だけではあきたらず、朝日新聞に温泉宿の連載を始めて、まあ、これもそうそう珍しくはないですよね。でも、この連載に毎回毎回 「セルフヌード?」 を載せるという暴挙に出ているのです。(中略) オジサンの全裸入浴写真が、朝刊を開くと目に飛び込んでくるのです。>
う~ん、確かに言われてみれば、“暴挙” かもしれませんね。
でも木部さんは、ちゃんとその後に、なぜ僕が中年体型をさらしてまで、必ず全裸の入浴写真を掲載するのかについても、克明に書かれています。
さらに、僕が作詞作曲した 『GO!GO!温泉パラダイス ~湯の国 群馬県篇~』 の歌詞、1番から6番までの全文を掲載してくださいました。
これは、快挙ですぞ!
たぶん、続編もベストセラーになること、間違いありません。
そうなると、僕のことも、歌の歌詞も、世に知れ渡るということです。
ひいては、それは、群馬県の魅力、群馬の温泉の素晴らしさが、全国へ知れ渡るということであります。
さあ、みなさん、今すぐに書店へ走ってください。
そして、『続・群馬の逆襲を』 買って、
読むべし!
読むべし!
読むべし!
2012年10月30日
月夜野温泉 みねの湯 「つきよの館」⑩
たぶん、僕が今までで、一番行っている温泉旅館は 「つきよの館」 です。
なんでなんでしょうか・・・ね?
地図にも載らない小さな温泉で、最初に訪ねたとき、道に迷ってしまったからでしょうか?
だけど、たどり着くと、とってもアットホームで、女将さんもスタッフもみんな温かくて、「また来よう!」 と思えるからかもしれません。
そして、あの絶景の “天空の湯舟” が、何度訪ねても感動が薄れないからでしょうね。
今日はNHK文化センターの温泉講座 「続・探訪!ぐんまの小さな温泉」 で、受講生たちと 「つきよの館」 を訪ねてきました。
実は、この講座、今月から2012年度の後期講座<秋編>がスタートしたのであります。
前期は、4月から6ヶ月。
後期は、10月から3ヶ月です。
後期講座の受講申込は、在講生の継続受講が優先され、空きが出た人数だけ、キャンセル待ちの受講生が補充されるシステムになっています。
ところが今回も、全員継続となり、バスの座席に欠員はありませんでした。
(何年もキャンセル待ちをしている方、本当に申し訳ございません)
と、いうことで、慣れ親しんだ知った顔ばかりを乗せて、バスは関越自動車道を北へと走りました。
沼田ICを下りて、最初に向かったのは、沼田市にある国指定天然記念物の 「薄根の大クワ(桑)」 であります。
みなさんは、知ってましたか?
この大クワ、根元周囲約5.7m、樹高約13m、枝張りは東西約18メートルで、日本一の大きさ!
しかも、樹齢は推定1500年!
新潟県佐渡市の 「羽吉の大クワ」、北海道小樽市の 「恵美須神社の大クワ」 とともに、日本の 「クワの三名木」 に数えられています。
その中でも、ダントツの立派さを誇っているのだと、解説をしてくれた樹木医が言っていました。
バスはさらに北上して、天狗の霊峰 「迦葉山(かしょうざん)」 へ。
子供の頃以来ですから、約45年ぶりにシンボルの大天狗面を見てきました。
あの時、オヤジが免許取り立てで、サイドブレーキをかけずに車から降りてしまったため、車内に残された僕ごと車が坂道を下ってしまった、イヤ~な記憶を思い出してしまいました。
で、どうなったって?
はい、周囲にいた大人たち4、5人が追いかけて車を止めました。
オヤジですか?
はい、唇まで真っ青になって、突っ立っていました。
あのとき、崖から車が落ちていたら、今の僕はいませんでしたね。
望郷ラインの紅葉は、今が見頃です。
例年に比べると遅い色づきですが、三峰山は全山が燃えるように染め上がっていましたよ。
そして、紅葉狩りのあとは、お待ちかねの温泉です。
「あ~ら、せんせ~い! ようこそ、お越しくださいました~!」
女将の都筑理恵子さんが、いつものようにジョークを飛ばしながら、お出迎えです。
「ったく、女将は! 今日は本当に先生で来たから、まっ、いいか」
と、この時ばかりは、女将のジョークを素直に受け入れました。
食堂でコーヒーをいただき、まずは一息ついて、それから全員、我先にと “天空の湯舟” へ。
「うわぁ~、先生の言うとおりだぁ~」
「正面に見えるのが、大峰山ですか?」
と、大はしゃぎの受講生たち。
「いえ、正面は新幹線の上毛高原駅がある味城山ですよ。その右側が大峰山、その隣が吾妻耶山です」
プッカ、プッカ、プカ~リ・・・
みんなで、湯の舟に乗って、天空のお散歩です。
眼下には棚田が広がる、山里の風景。
やっぱり、ここは、僕の指定席ですね。
いつ訪ねても、何度訪ねても、ここからの眺めは、身も心も芯から癒やしてくれますもの。
「先生お気に入りの女将さんもいるしねッ!」
誰かが言ったひと言に、全員が爆笑。
笑い声が、浴室の中を響き渡りました。
受講生のみなさん、後期講座も、どうぞよろしくお願いいたします。
2012年10月29日
湯宿温泉 「太陽館」②
“現場百篇”
“取材は、し過ぎることはない”
これは、僕の仕事上での私訓です。
温泉旅館の場合、「湯」 を守るご主人、「宿」 を守る女将さんがいます。
どちらか片方だけの話を聞いただけでは、どうしても温泉旅館の側面しか見えてきません。
代々、湯の歴史を継いできたご主人の話。
宿を訪れる客人たちを見続けてきた女将さんの話。
両方の話を聞くことにより、立体的な温泉旅館の記事が書けるというものです。
ですから、僕は1つの宿に、何度でも足を運びます。
と、いうことで今日は、今月2度目となる湯宿(ゆじゅく)温泉 「太陽館」 を訪ねてきました。
前回は、5代目主人の林正史さんにお会いして、創業から今日までの宿の歴史と、温泉旅館に生まれ育ち、5代目を継ぐまでの人生話を聞いてきました。
で、今回は、女性目線から見た温泉話が書きたくて、行ってきました。
お話しを伺ったのは、4代目女将の林せつ子さんと、5代目若女将の林翠(みどり)さんです。
せつ子さんは、兵庫県の出身。
翠さんは、千葉県の出身です。
ああ~、もう、それだけでワクワクしますよね。
なんで、こんな群馬の山奥の温泉旅館に嫁いで来たの?ってね。
せつ子さんは、昭和40年代に先代の元へ嫁いできましたが、それまで関東圏に来たのさえ初めてだったといいます。
翠さんも同様。群馬県に来たこともなく、知っている温泉地名は草津温泉と伊香保温泉だけ。
もちろん “湯宿温泉” なんて、聞くのも初めての温泉地だったと言います。
そんな2人が昭和と平成に、別々に群馬の温泉旅館に嫁いできて、女将と若女将として出会い、今、共に宿を守っています。
もう、それだけで、僕なんて 「ああ、宿の数だけ物語があるなぁ~」って、話にのめり込んでしまいます。
温泉旅館には、
“湯があり、歴史があり、そして人がいる”
んですよね。
群馬県内には、まだまだ知らない温泉の物語が、たくさん眠っています。
2012年10月28日
谷川温泉 「旅館 たにがわ」④
先月、『みなかみ18湯』 の上巻を出版しましたが、それ以前から、すでに下巻の取材が始まっています。
下巻に掲載予定の温泉宿は、上巻で紹介した水上温泉と猿ヶ京温泉を除く16温泉地、41軒の宿であります。
※(上巻の「掲載予定温泉・宿一覧」では42軒となっていますが、都合により41軒になりました)
現在、19軒の取材を完了。
残り、あと22軒となりました。
えっ、まだ半分も終わってないの?かって!
だって、下巻の取材にかかって、まだ3ヶ月足らずですよ。
これでも、例年に比べれば、かなりハイペースで取材を敢行しているのであります。
と、いうことで今週も谷川温泉に入り込んで、せっせせっせと取材をこなしてまいりました。
その晩は、ご厚意により谷川温泉の 「旅館たにがわ」 に泊めていただきました。
今さら、女将さんにも支配人にも聞くことはないんですけどね。
もう、何年も前から、たびたび取材で伺っていますから。
今年だけでも、訪ねるのは3度目であります。
4月に、NHK温泉講座の受講生らと訪ねました。
6月には、朝日新聞の取材で、女将さんをインタビューしました。
だからって、手を抜かないところが、僕のいいところです!(自画自賛)
それはそれ、これはこれです。
書店に並ぶ本の執筆ですもの、電話取材で済ませるわけにはいきません。
ちゃんと訪ねて、温泉に入って、女将さんやご主人と話をして、ときには一緒に酒も飲んで、泊まってから書く!
これが小暮流の温泉取材であります。
「あんなに大きく出るんなて、思ってもいませんでした。恥ずかしいわ~! お客さんからも 『女将さんの写真、大きく出てましたね』 て、声をかけられましたよ」 と、2代目女将の久保容子さん。
なんのことを言っているのかといえば、6月20日に朝日新聞群馬版に掲載された連載 『湯守の女房』 のことです。
実は、僕も、あの掲載にはビックリしました。
写真が、破格のサイズで掲載されたのですよ。
しかも、アップ!
通常は、女将さんたちの写真は庭園や浴室で、引きのアングルが多いのですが、なぜか久保さんだけは、客間で度アップだったのです(女将がカメラマンの好みだったのかもしれませんね)。
だもの、目立ちました。
でも、「それだけ反響もありました。ありがとうございました」 と、喜んでいただけたようで、執筆者としても嬉しい限りです。
「旅館たにがわ」 といえば、太宰治ゆかりの宿です。
(詳しくは、当ブログの谷川温泉「旅館たにがわ」①~③を参照)
今回は、本館内に開設された 「太宰治ギャラリー」 をメインに話を聞いてきました。
もちろん、写真もギャラリーがメインです。
いつもだと入浴シーンにしか僕は登場しませんが、今回はサービスショットとして浴衣姿で文豪を気取って、ポーズなんかつけた写真もカメラマンにお願いして撮ってもらいました。
乞う、ご期待ですぞ!
『みなかみ18湯』(上毛新聞社) の下巻は、2013年4月に出版される予定です。
2012年10月27日
“ありがたい” のは、どっち?
“淳の言う事を聴くこと!”
実家に行くと、アニキの字で書かれた紙が、あちらこちらにペタペタと貼られていました。
ご無沙汰しました。
数日、ブログを書けない理由がありまして・・・
2日前の夜のこと。
出張先の旅館でくつろいでいると、実兄より深刻な電話が入りました。
急用ができたために、翌日より東京へ帰ると言う。
ついては、「オヤジの面倒を見てくれ」 と!
このブログの読者は、ご存知のことと思いますが、僕の実家(前橋市内)では、米寿を迎えたボケ老人のオヤジを3つ年下のオフクロが介護しながら暮らしていました。
ところが先月、介護疲れからオフクロがダウンして、入院してしまいました。
運良く(悪く?) 帰省していた実兄が、急きょ、そのままオヤジの面倒を看てくれていたのです。
(僕は2人兄弟です。ちなみに兄の職業は、フリーの建築家です)
と、いうことで、翌日、前橋に戻るやいなや、兄とバトンタッチをして、僕とボケ老人の2日間にわたる “珍生活” が始まったのであります。
「そこに居るのは誰だ? 淳か?」
「そーだよ、悪いかい?」
「なんで、いるん?」
「アニキが東京へ帰っちまったからだよ!」
「どーして?」
理由なんて、もう何十回と話しているんですよ。
でも、その記憶は5分と持ちません。
パソコンで言えば、脳に “上書き保存” ができないのです。
逆に、痴呆を発症する前の記憶は、しっかりしていますから、人の名前も出来事も古いことは覚えているし、散歩や買い物へ行っても迷子にもならず、ちゃんと帰ってきます。
ただ、ちゃんと帰ってきますが、“上書き保存” ができませんので、「どこへ行ってきたのか」「何を買いに行ったのか」「何を買ったのか」 は、思い出せません。
「○○○(兄の名) は、帰っちゃったのか?」
「そーだよ」
「じゃあ、俺はひとりだ」
「だからオレが、いるんだろーが!」
「淳が、いてくれるの?」
「そーだよ」
「でも、帰るんだろ?」
「いるよ」
「どこで、寝るん?」
「じーさんの隣で寝るよ!」
「そりゃ、本当かい。嬉しいよ~。ありがたいね。一人はイヤだもの……」
そんなオヤジは、まるで保育園児であります。
いや、保育園児なら、まだマシです。
学習してくれますものね。
でも、オヤジは絶対に学習をしません。
残念ながら、これからもずーーーっと。
「夕飯はどうするんだろうなぁ・・・」
「オレが作るって!」
「そうか、ありがとうよ」
ところが、夕飯を食べ終えると・・・
「帰るんか?」
「居るよ!」
「どこで、寝るん?」
「じーさんの隣だよ!」
もー、こんな会話を寝るまでに、何十回と繰り返すのであります。
壊れたレコードじゃないんだからさ、いい加減にしてほしいのですが、これだけは仕方がありません。
根気良く、何回でも答えて、寝かし付けるだけです。
一夜明けて・・・
「なんで淳が居るんだ?」
から一日が始まり、
「今日の俺の予定は?」
“そんなの知るかよ! 勝手に過ごせばいいじゃんかよ。
飯だけは作って、やるからよ!”
とも思ったのですが、
「朝飯を食ったらさ、散歩へ行こうか?」
と言うと、
「行こう、行こう!」
と、大はしゃぎ。
完全に、保育園児なのであります。
「ほら、止まって!」
と横断歩道でオヤジの腕をつかまえます。
「はい、いいよ」
と言えば歩き出します。
まるで、「待て」「良し」で歩く、我が家の愛犬マロ君と一緒なのです。
2人で県庁まで歩いて、書店に寄って本を買って、デパートの地下で昼の弁当を買って、バスに乗って帰りました。
書店では、「淳の本が、いっぱい売ってるね。店員さんに教えてあげようか」 なーんて、僕が喜ぶようなことも、ちゃんと言えるんですよ。
何歳になっても、ボケちまっても、やっぱり親なんですね。
息子の仕事のことは、自慢のようですよ。
もしかしたら、一緒にいられて “ありがたい” のは、僕のほうかもしれません。
<読者のみなさんへ>
ブログが1日空いたら、出張取材へ出かけたと思ってください。2日以上空いたら、オヤジと遊んでいると思ってくださいね。
2012年10月24日
色紙にサイン
まさか自分の人生に、こんなことをする日が来るとは思ってもいませんでした。
生まれて初めて、色紙にサインを書きました。
昨日は、群馬県の某団体からの依頼で、前橋市の 「前橋テルサホール」 にて、基調講演をしてきました。
講演時間は、2時間。
テーマは 『群馬の温泉に学ぶ地域資源活用』 であります。
う~ん、やっぱり毎回、このテの講演の演目は、カタイですなぁ~。
だから、勝手にタイトルを 『ブランド力最下位の群馬県を温泉だけで1位にする』 と変えさせていただきました。
所詮、内容は温泉ですからね。
テーマも、ゆる~いほうがいいんですよ。
会場には、書籍の販売スタッフとして、僕が顧問を務める 「温泉療養研究所」 の I 所長とKさんが助っ人に駆けつけてくださいました。
温泉本の他にエッセーなど、5種類の書籍がコーナーに並びました。
なかなか、圧巻の光景であります。
午後1時、講演30分前。
講師控え室に入ると、依頼主から、いきなり色紙を渡されました。
「この会場のスタッフに、先生の大ファンがおりまして、ぜひ色紙にサインをいただきたいということなのですが、よろしいでしょうか?」
ナヌ? 色紙にサインだ!
おいおい、オレは生まれてこのかた、色紙にサインを頼まれたことも、書いたこともないのだよ。
だって、色紙のサインといえば、「○○さん江」って観光地の食堂やレストランの壁に飾ってある芸能人のクシャクシャっとした読めない文字のことですよね。
そんなの書けませんって!
僕は、ライターですよ。
色紙用のサインなんてありません。
書籍のサイン会では、著書に、似顔絵の落款(らっかん) を押して、普通に名前を書くだけです。
と、僕がしげしげと色紙を眺めて悩んでいると、
「できれば、一言、お言葉をいただきたいのですが・・・」
ひぇ~~っ!
お言葉ですか?
でもここは、色紙にサインをするのが初めてだと悟られぬよう、毅然とした態度で臨まなくてはなりません。
「はい、いいですよ。どんな言葉がいいかなぁ……」
なーんて、著名な作家を気取って、考えるフリなんかして、時間をかせぎます。
“宿の数だけ 物語がある”
結局、新刊本の帯のコピーを書いて、その場をしのぎました。
「いゃ~、いいお言葉ですね。飾っておきます」
と、おだてられ、気分も上々。
そのテンションのまま、ステージに上がり、みっちり2時間の講演をしてきました。
講演終了後、会場のホールを出ると、すでに出口の書籍販売コーナーでは、黒山の人だかり。
サイン待ちの行列ができていました。
嬉しいものですね。
こうやって、温泉に興味を持っていただき、さらに本まで買っていただけるなんて。
まさに、ライター冥利というものです。
今回の講演対象が、某団体の女性部だったということもあり、とにかく、飛ぶように本が売れました。
女性って、なんで、あんなにお金持ちなんでしょーか?
「全部ください」 と言って、5冊まとめて大人買いする人の、なんと多かったことか!
その都度、「全部にサインしてください」 と言われ、こちらは汗だくになって、てんてこ舞いです。
それでも大切な読者様ですから、1冊1冊丁寧にサインを書かせていただきましたよ。
講演会を聴講してくださった皆さん、そして著書を買っていただいた皆さん、本当にありがとうございました。
これからの取材活動の大変励みになりました。
そして、もちろん昨晩は、本の売り上げ金を持って、手伝ってくれた I 所長とともに、打ち上げと称して、夜の街へ消えたことは、言うまでもありません。
2012年10月22日
あこがれの湯酒屋で
昨日、無事に 「みなかみオンパク」 のフィナーレイベントが終了しました。
(※「オンパクフィナーレ」の詳細は、当ブログ10月19日「歌って踊って♪オンパク フィナーレ」参照)
みなかみ町長さんをはじめ、観光協会のみなさん、大変お疲れさまでした。
そして、今月10日に開催していただいた出版記念祝賀会に続いて、またしても拙著の 『みなかみ18湯〔上〕』 の発売記念の祝いも兼ねていただき、なんとお礼を申し上げてよいか、本当に感謝感謝であります。
また、会場には、このブログの読者もたくさん駆けつけてくださいました。
「ああ、ライターという職業に就いていて、本当に良かった~!」
と心底、喜びをかみしめていましたよ。
読者のみなさんにも、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。
3時から開演したイベントも、5時には閉会となりました。
もう、ノドはカラカラです。
早く温泉に入って、キューッとビールを流し込みたいものです。
と、いうことで、猿ヶ京温泉の会場をあとにして、昨晩の宿となる上牧温泉「辰巳館」へ移動。
とりあえず、ひとっ風呂浴びて、浴衣に着替え、半纏(はんてん) を羽織って、観光協会の人たちと、水上温泉の温泉街(湯原地区) へと繰り出したのであります。
まずは軽く食事をしなが、生ビールとハイボールを2杯ずついただき、火照(ほて)った身体を冷ましに、夜の温泉街をプラリプラリと・・・。
「射的をやりませんか?」
とM嬢が、いきなり遊技場の中へ。
「いいでしょう、勝負といきましょう!」
と男性陣も場内へ。
おいおい、たかが、生ビールとハイボールで酔っ払っちまったか?!
というか、射的なんてやるのは、何十年ぶりだ?
なかなか当たりません。難しいものですね。
それでも全員の共同作業で、商品をゲット!
子供だましのオモチャですが、「では、孫のみやげにいただきます」 と僕がいただきました。
「小暮さんが、好きそうな店があるんですよ」
と言って、F社長が、率先して路地裏へと入って行きました。
「ここなんですがね……」
と指差した先には、超昭和チックな場末のスナックのような居酒屋のような飲み屋がありました。
あれ、ここ、知っている!
この1年間、取材でこの界隈に入り込んでは、店の前を通るたびに 「ああ、いいなぁ~、こんな店で飲んでみたいなぁ~」 と、昼間の外観を眺めていたのです。
「私もね、今回が2回目なんですよ。地元でも知る人ぞ知る、飲み屋ですよ」
と、F社長は得意げに、扉をあけたのであります。
う、う、うおおおおーーーっ!
ち、ち、小さい、せ、せ、狭ーーい!
僕が知る限り、今までで一番小さい飲み屋かも知れません。
カウンターが1つ。
それも左右対称のL字型。
右に4人、左に4人座れば、もう身動きが取れません。
一番奥の人がトイレに行くときは、全員起立!
「ハハハ八、驚いたかい? お客さんには 『厨房(ちゅうぼう) のほうが広いじゃねーか!』 ってイヤミを言われるんだよ」
と、瀬川映子似のママが 「せがわえいこでぇーす」 とモノマネをしながら登場しました。
もう、それだけで充分だ。
来た甲斐があったというものだよ。
おしんこをつまみながら、コップに注がれた日本酒をあおれば、気分は完全に 「酒場放浪記」 の吉田類状態であります。
「小暮さんも温泉街の飲み屋だけを集めた本を書いたらいかがですか?」
とM嬢に言われて、
「いいね、それ、いただきだな。温泉街の居酒屋だから “湯酒屋” と名づけよう!」
「いいですね、『小暮淳の湯酒屋放浪記』 なんて」
とF社長におだてられて、気分も上々。
しばらく、このネタで杯をを重ねました。
「私で5代目なんだよ。はい、これは奥で私の母が揚げた天ぷら。味がついているから、そのままで食べてね」
とママがカウンター越しに出した皿には、まるで桜エビのかき揚げのような、ピンク色の天ぷらがのっていました。
「中は、紅しょうがなのよ」
これがウマイのなんのって、ひと口食べたら手が止まらなくなってしまいました。
味付けは、紅しょうがだけなんですよ。
「こうゆうのが、ごちそうっていうんですよね」
と言いながら、パクパク!
いつしか酒は、芋焼酎をロックで、グビグビ!
気が付けば、早くも午前様です。
でも、なんだか、すごーく、いい夢が見れそうな夜でした。
湯酒屋「安兵衛」 のママさん、素敵な夜をありがとうございました。
2012年10月20日
錦秋の湯めぐり in 群馬
先月までの猛暑を思うと、「今年は、このまま秋なんて来ないのではないだろうか・・・」 と不安になっていましたが、ちゃんと季節はめぐって来るのですね。
紅葉前線も着々と、南下しているようであります。
今週、みなかみ方面へ行ってきましたが、紅葉にはまだ早かったようであります。
群馬は、来週から月末あたりが見頃と、なりそうですね。
と、いうことで、僕がコメンテーターを務める次回の群馬テレビ 「ニュースジャス6」 では、『錦秋の湯めぐり』 と題して、絶景の紅葉を訪ねながら温泉に入れる県内のスポットをご紹介します。
まあ、群馬県は一部の平野部を除いて、ほとんどが山岳地帯ですから、どこへ行っても紅葉は楽しめるというもの。
改めて紅葉の名所なんて取り上げなくても、群馬県民ならお気に入りの紅葉スポットを各自が持っていることでしょうね。
でも、どうせなら、“もみじ狩り” に温泉をプラスしたいという贅沢な人のために、穴場の温泉地を紹介します。
今回は、湖や沼、渓谷に湧く温泉です。
これから行楽を予定している人は、ぜひ参考にしてください。
●放送局 群馬テレビ(地デジ3ch)
●番組名 「ニュースジャスト6」
●放送日 (月)~(金) 18:00~18:45
●出演日 10月24日(水)
●テーマ 「錦秋の湯めぐり」
~群馬の紅葉と温泉 ~
2012年10月19日
歌って踊ろう♪オンパク フィナーレ
先月、9月20日から、みなかみ町で開催されている 「みなかみオンパク」 が、いよいよあさって最終日を迎えます。
オンパクとは、「温泉泊覧会」 の略です。
みなかみ町で開催されるのは、昨年に続いて2回目。
もちろん群馬県では、初の試みであります。
期間中、みなかみ町全域の温泉地や観光地で、さまざまイベントが開催されています。
9月20日のオープニングは、水上温泉で 「温泉スリッパ卓球大会」 が行われてました。
そのほか、料理体験や居酒屋&スナックはしご歩きツアー、温泉ヨガ、旅館のお仕事体験などなど、全37イベントを開催中!
そして、最終日の10月21日(日) は、「オンパク フィナーレ」 が開催されます。
会場は、猿ヶ京温泉「猿ヶ京ホテル」。
当日は、僕もゲストとして参加します。
イベントでは、僕の著書 『みなかみ18湯〔上〕』 が当たる 「群馬の温泉クイズ」 を行います。
僕が出題する温泉クイズに応えて、本をゲットしてください。
また後半では、『GO!GO!温泉パラダイス』 を全員で合唱しながら踊ります。
ちゃんと僕が、歌と踊りのレッスンを指導しますから、気軽に参加してくださいね。
最後は、著書の販売とサイン会を行います。
入場は無料です。
ぜひ、みなさん遊びに来てくださいね。
会場で、お待ちしています。
歌って踊ろう♪ 「オンパク フィナーレ」
●日時 2012年10月21日(日)
15:00開場 15:30開演
●会場 猿ヶ京温泉 猿ヶ京ホテル
●料金 無料
●定員 50名
●問合・申込 みなかみ町観光協会
TEL.0278-62-0401
2012年10月18日
達人に聞く
昨年開催された 「群馬DC(デスティネーションキャンペーン)」 にあわせて、前年から群馬県が発行している観光情報誌 『ググっとぐんま』。
僕は、創刊号から編集にたずさわっています。
現在は、主に温泉ページの担当をしていますが、人物シリーズも創刊当時から執筆しています。
初年度の2010年は、「○○人」シリーズでした。
「草津人」「尾瀬人」 と題して、その土地で長年、観光に尽力してきた人物を取材しました。
昨年はタイトルが 「○○のつくりびと」 と変わり、テーマごとに、物作りにこだわった匠(たくみ) たちを紹介しました。
たとえば 「山のつくりびと」 では、“幻のキノコ”といわれる黒まいたけの栽培人。
「川のつくりびと」 では、群馬のブランド魚 ギンヒカリの養殖人。
また、「空のつくりびと」 では、30畳の巨大凧(だこ) を作って大空へ揚げる夢追い人など、群馬で活躍する職人たちの技と素顔にスポットを当ててきました。
そして今年のシリーズタイトルは、「○○の達人」 です。
達人とは?
広辞苑によれば、
①学術または技芸に通達した人。
②広く物事の道理に通じた人。人生を達観した人。
とあります。
春夏秋冬、号によってテーマがありますので、そのテーマに沿った “達人” を探して、インタビューに出かけて行きます。
たとえば、夏号のテーマは 「高原」。
赤城高原をフィールドに活躍する世界ランカーの “ディスクドッグの達人” を紹介しました。
秋号のテーマは、「橋」。
ご存知、みなかみ町の諏訪峡大橋で行われている “バンジージャンプの達人” を紹介しました。
そして今回、冬号のテーマは 「温泉街」 であります。
温泉街にも、各ジャンルに様々な達人がいます。
湯の達人、接客の達人、料理の達人、販売の達人などなど・・・
その中で、今回スポットを当てたのは?
と、いうことで今週、久しぶりに草津温泉を訪ねて、取材をしてきました。
えっ、いったい誰を取材したのかって?
それは、雑誌が発行されてからのお楽しみであります。
※( 『ググっとぐんま』冬号は、12月1日発行予定)
いずれにせよ、1つのことを極めた達人たちの話は、実に面白いのです。
取材をしている僕が、「へぇ~、そうなんだぁ~!」 と驚いてしまう話は、間違いなく読者の関心を引きます。
何歳(いくつ) になっても、ワクワク、ドキドキできる仕事は、楽しいものです。
今から、次はどんな達人に会えるのか、待ち遠しいですね。
2012年10月17日
拝啓 朝日新聞社 様
拝啓 朝日新聞社 様
日頃より、大変お世話になっております。
また、この度(本日、10月17日の群馬版) は、隔週刊の連載記事に加え、拙著新刊 『みなかみ18湯〔上〕』(上毛新聞社刊) の記事まで大きく載せていただき、誠にありがとうございます。
そのご厚意に、感謝いたします。
昨年の 『あなたにも教えたい 四万温泉』 に続いて、2度目の著書紹介であります。
ライバル紙でもある他紙から出版した本を、毎回、こうやって取り上げてくださる度量の大きさに、ただただ感服いたします。
僕が貴社より、連載執筆のお話しをいただいたのは、ちょうど2年前の今頃でした。
担当記者の I 氏より連絡をいただき、お会いしました。
「今までに他の新聞や雑誌では書いたことのない切り口で、温泉エッセーを連載したい」 とのことでした。
初対面ながら、その晩は I 氏と意気投合し、酒を飲みながらの編集会議となりました。
それまで僕は、小さな温泉地でかたくなに湯を守り続けるご主人ばかり取材してきました。
いわゆる湯守(ゆもり) の存在を、世に知らせたいと思っていたからです。
ですから、宿を守っている女将さんの存在には、あまり興味を抱いていませんでした。
「だったら、その湯守に嫁ぎ、湯守の女房として温泉宿を守っている女将さんにスポットを当ててみたらどうだろうか?」
どちらからともなく、そんな意見が、酔っぱらった口から突いて出てきたのです。
「それ、それで行きましょう!」
ということになり、翌年の20011年2月より、隔週水曜日での連載が始まりました。
エッセーのタイトルは 『湯守の女房』。
おかげさまで現在、第32回と回を重ねております。
また、今年の2月からは、連載1周年を記念して、「湯守の女房」番外編 『おやじの湯』 もスタートしました。
こちらは、隔月で連載しています。
今日、第5回が掲載されました。
連載にあたっては、I 氏から 「小暮さんでなければ、絶対に書けない記事をお願いしたいんです」 との提案がありました。
この “絶対に書けない” という言葉に、突き動かされました。
なぜなら、一見の記者やライターでは書けない記事ということですから。
プロのライターとしては、これ以上のやりがいはありません。
僕には書けて、他のライターでは書けない記事とは・・・
それは、湯守を裸にすることでした。
これならば、絶対に一見の取材では、不可能であります。
何度も何度も訪ね、ともに酒を酌み交わしたご主人だからこそ、「僕と一緒に温泉に入ってください」 という取材申し込みができるというものです。
「それ、それで行きましょう!」
と、この時も I 氏の二つ返事で連載が決まったのでした。
おかげさまで、すでに5人のオヤジたちを全裸にして、湯の中で対談をしました。
そんなコアな取材に同行し、写真撮影をしてくださっている I さん。
いつもいつもありがとうございます。
これからも、わがままな執筆者ですが、末永くお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。
“小暮さんが出版 4冊目の温泉本”
今日の新聞記事を見ていたら、朝日新聞のその度量の大きさに、どうしてもお礼を言わずにはいられなかったのです。
本当に、ありがとうございます。
今後とも、よろしくお願いいたします。
敬具
2012年10月16日
越後湯沢温泉 「白銀閣 華の宵」
今日は、月に1度の前橋カルチャーセンター(けやきウォーク前橋) の温泉講座日でした。
今年度、2回目の講座地は、越後湯沢温泉です。
越後湯沢といえば、川端康成の名作 『雪国』 の舞台。
その昔、学生の頃に読んだ記憶はあるのですが、内容をよく思い出せません。
それじゃー、講師として、ダメじゃん!
と思い、書庫から探し出して、にわか読者ではありますが、一応、ストーリーだけは頭に叩き込んで、講座に臨みました。
“国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。”
康成が訪れた昭和9年と現在では、何もかもが別世界となってしまっているんでしょうね。
まして、こちらは高速道路での国境越えであります。
しかも、季節は秋。
雪国感は、まったくつかめないままの湯沢入りであります。
この講座名は、「小暮淳と行く 湯けむり散歩」 といいます。
“散歩” と付いているくらいですから、ただ温泉に入るだけではなく、受講生らと一緒に温泉街や周辺の名所旧跡も歩くんですね。
今日は、ちょっと足を延ばして 「清津峡」 を散策してから、宿へ向かいました。
今回は、JR上越線の越後湯沢駅前にある 「白銀閣 華の宵」 にお世話になりました。
昭和27年創業の純和風旅館です。
駅前の一等地とは思えないほどに、静寂した庭と佇まいを持つ情緒のある旅館です。
宿についたら、まずは、ひとっ風呂です。
越後湯沢温泉には、10本以上の源泉がありますが、泉質は、宿や入浴施設により異なります。
こちらのお宿は、単純温泉。
ややぬるめの湯が、半循環で掛け流されていました。
全国の温泉を仕事でめぐっているバスの運転手さんと一緒になり、しばし湯の中で、温泉談義に花が咲きました。
もちろん、とりあえず、ひとっ風呂浴びたのは、昼食のビールを美味しくいただくためであります。
この講座は、女性の受講生が圧倒的に多いこともあり、他の講座に比べると、湯上がりビールを飲む女性が多いのが特徴です。
「カンパーイ!」
と、講座一番の楽しみが始まりました。
食後は、午後3時まで、各自フリータイムです。
「はい、『山の湯』 へ行く人、いますか?」
と受講生に声をかけましたが、誰も返事がありません。
「山の湯」 は、湯沢で一番古い外湯(共同浴場) です。
川端康成が 『雪国』 を執筆した宿にほど近く、康成自身も入浴したといわれています。
やっぱり、温泉講座としては、行かないわけにはいかないでしょう。
ところが・・・
「私たちは、宿でゆっくり温泉に入っていますから、先生ひとりでどーぞ!」
なんて言われてしまい、仕方なく、僕は1人で部屋を出たのであります。
がっ ! ! !
宿の人に訊けば、なななんと! 火曜日定休だと。
ガーーーン!
受講生らを前に、勇んで出てきた手前、引き返すわけには行きません。
仕方なく、宿から歩いて15分ほどの場所にある 『雪国』 のヒロインの名前が付いた「駒子の湯」へ。
こちらは、塩化物温泉です。
浴室は、年寄り客でいっぱいでした。
なんでも、ここは正式名を下湯沢共同浴場といい、昔から地元の人たちの社交の場なのだといいます。
宿にもどり、午後3時からは、全員で温泉街の散歩へ。
湯沢町歴史民俗資料館 「雪国館」 まで行き、名作 『雪国』 とヒロイン駒子の世界に、ドップリとひたってきました。
その足で一行は、越後湯沢駅へ。
ご存知、駅校内は 「CoCoLo湯沢 がんぎ通り」 と呼ばれるみやげ物屋がならぶ観光名所です。
でも僕は、買い物に夢中になっている女性陣を尻目に、「利き酒ギャラリー 越の室」 へまっしぐら~!
新潟といえば酒です。
常々話は聞いていたものですから、ぜひ一度行ってみたいと思っていたんですよ。
越後の93の酒蔵の酒が一同に揃う利き酒ギャラリーに。
500円を払って、コイン5つとお猪口(ちょこ) をもらって、いざ出陣!
好きな酒の前にお猪口を置いて、コインを入れてボタンを押すと酒が出てくる仕組みです。
久保田も〆張鶴も八海山もいいけれど、どうせなら聞いた事もない酒蔵の酒をと、端から目に付いた酒をグビリ、グビリ、グビリ・・・
いやいや、どれも、ウマイのなんのって!
5杯なんて、あっという間であります。
「あら、先生、ほろ酔いね~」
「ええ、まあ……」
なんていう会話をしつつ、駅前で迎えに来たバスに乗り込んだのでした。
えっ?
そっれって、本当に温泉講座なのかって?
僕の講座は、これでいいのだーーーーーーっ!
(ウィ~~、ヒック、ヒック)
2012年10月15日
赤城温泉 「赤城温泉ホテル」⑥
赤城温泉(旧湯之沢温泉) は、小暮家ルーツの湯であります。
※(ルーツの湯については、当ブログの「赤城温泉 赤城温泉ホテル」①~⑤を参照ください)
昨晩、旧湯之沢温泉「あづまや」 こと、赤城温泉ホテルにて、『小暮家いとこ会』 が開催されました。
僕の父は、8人兄弟。
その甥や姪たちは、18人います(いました)。
この18人で、30年前に結成した会が 『小暮家いとこ会』 です。
18人には結婚して配偶者がいますから、実質の会員数は、その倍になります。
しかし、すでに4人が死去。
ですから現在の会員数は、32人です。
昨晩は、うち15人のいとこたちが再会をしました。
また、特別会員でもある僕の父と伯母が、ともに今年、米寿(88歳)を迎えたこともあり、2人をゲストに招いて、『米寿を祝う会』も兼ねて行われました。
と、いうことで、昨日は、僕とアニキで、かのボケ老人を連れ出して、3人で会場を目指して赤城山を登ったのであります。
「どこへ行くんだい?」
「赤城温泉だよ」
「赤城温泉? ああ、湯ノ之沢か・・・」
オヤジが子供の頃は、まだ湯ノ沢温泉と言っていました。
「俺は小学生の1年から6年まで、毎年夏休みは湯ノ沢で過ごしていたんだ」
オヤジの母親(僕の祖母) は、赤城温泉の出身なのです。
「なんで行くんだ?」
「オヤジの米寿の祝いにだよ」
「誰が祝ってくれるん?」
「オヤジの甥や姪たちだよ」
「どうして?」
「いとこ会だよ。みんなが集まって、オヤジを祝ってくれるんだよ」
「・・・そうか・・・」
ああ、イヤだ!イヤだ!
5分と経たないうちに、同じ質問が車内で繰り返されます。
そのたびに、僕とアニキが交互に大声を上げて、説明しなければなりません。
しまいには・・・
「どこへ行くの?」
とオヤジが言えば、
「いいよ、もう、行けば分かるよ!」
と、アニキも僕も、根負けしてしまったのでした。
現在、「いとこ会」の最年長は、父の姉の長男で、東京都在住の元大学教授(73歳)です。
最年少は、父の弟の長男で、神奈川県在住の雑誌デザイナー(53歳)です。
僕は、下から2番目の若輩者であります。
小暮家一族の風貌には、共通の特徴があります。
全員が、いくつになっても “白髪頭” なのです。
女性はもちろんのこと、88歳を迎えたオヤジでも、フサフサのシルバーヘアであります。
実は僕も白髪頭なのですが、事情により黒く染めています。
※(白髪頭の事情については、当ブログ2012年3月27日「白髪へのトラウマ」参照)
「それでは○○オジと××オバの米寿を祝しまして、カンパーイ!」
もう、話の内容といったら、 40年も50年も60年も前の思い出話ばかりです。
オヤジも、今日のことは何ひとつ覚えていませんが、戦前のことなら事細かに覚えていますから、それはそれは饒舌(じょうぜつ) に昔話を披露していました。
これで、いいのです。
老いることに対して、逃げることなく、本人も家族も親戚も、みんなで受け止め、分かち合うことが、我が一族の流儀なのであります。
こうやって代々、絆を築き上げてきたのですから・・・
何よりも、僕にとっては、父と兄と3人で、一緒に温泉に入り、川の字になって寝たことが、生涯忘れられない思い出となりました。
いとこ会のみなさん、本当にありがとうございました。
僕にとっても、アニキにとっても、忘れられない一夜になりました。
<追伸>
オヤジは、もう昨夜のことは、すべて忘れています。
2012年10月13日
ああ、憧れの社員旅行
6年前から、僕は某社の社員旅行(正確には「合同懇親旅行」だそうです) に、参加させていただいています。
毎年、この時期にお誘いの案内が来るのが、もう楽しみで楽しみで!
というのも、フリーで仕事をするようになって、17年。
それ以前にサラリーマンをやっていた頃はありましたが、小さなタウン誌ですから、忘年会はあっても社員旅行というものは存在しませんでした。
だから僕にとって、社員旅行は未知の世界だったのです。
それが6年前に初体験をしてからというもの、「えっ、世の中には、こんなに楽しいことがあったの~!」 とカルチャーショックを受けてしまい、もう毎年毎年、この日が来るのを楽しみにしながら1年間を過ごすようになってしまったのです。
で、平成24年度、今年の合同懇親旅行が、今日だったのです。
毎年、行き先は異なりますが、やることは変わりません。
ただ、ひたすらに飲んで!飲んで!飲み続けるだけです。
午前7時15分。
バスは、高崎駅東口を出発。
乗車のときに、まず、つまみの入った袋が渡されます。
席に着くと同時に、缶ビールが配られます。
「お~、朝から酒を飲むのは、さすがに正月以来だなぁ~」
と言いながら、隣の席のY社長がプルタブを勢いよく抜きました。
「小暮さん、いつもありがとうございます。では、乾杯!」
と、約12時間飲み放題の旅が始まったのであります。
バスの車内を見渡せば、ほとんどの人が飲み放題のスタートを切っています。
そして、関越自動車道に乗る頃には・・・
「ビールは腹にたまりますから、日本酒にしませんか?」
と、すでにY社長は、一升瓶を抱えているではありませんか!
「いいですねぇ」 と、僕が紙コップを差し出せば、
「では私も…」「では僕も…」 と、早くも午前8時前に、宴会モードに突入です。
バスは、関越自動車道を降りて、都心へ。
案の定、渋滞であります。
そ、し、て、
「止めてくださ~い。トイレ、トイレ!」
と1人の乗客が大声で叫びました。
これぞ、恒例の 「1時間おきのトイレ探し」 であります。
ところが、バスの運転手さんというのは、本当に道を知り尽くしたプロ中のプロなのですね。
しばらくすると、交番の脇の公衆便所の隣に、ピタリとバスを停車させました。
お見事です!
いつ、なんどきでも、乗客の安全と健康を考えて、運転をしてくざさっているのです。
都心のド真ん中の道の端の公衆便所の場所を把握していることに、乗客はヤンヤヤンヤの拍手喝采でありました。
バスは横浜に入り、 『カップヌードル ミュージアム』『横浜ロイヤルパークホテル(昼食)』『横浜レンガ倉庫』『三渓園』 とめぐり、無事に午後7時前に、高崎市駅前まで帰って来ました。
車内ではカラオケやクイズなど、フリーの生活では考えられないような、それはそれは楽しいひと時を過ごしたのであります。
特筆すべきは、20歳の新人バスガイドのアオイちゃんが、一生懸命に歌ってくれた初代コロンビアローズの 『東京のバスガイド』 の初々(ういう)しくも、けなげな歌声です。
おじさんだって良く知らない古い歌を、酔っ払った乗客のリクエストに応えて歌う姿には、ただただ感動してしまいました。
(リクエストしたのは僕です)
アオイちゃん、ありがとう。
また来年も、歌ってくださいね。
♪「発車オーライ」 明るく 明るく 走るのよ♪
ってね!
2012年10月12日
記録 と 記憶
先日の祝賀会場では、何人もの方から 「いつもブログ読んでいます」 と、声をかけられました。
さる会社の社長さんからは、こんなことを言われました。
「毎日毎日、よく続いていますね。写真を使わないから続くのでしょうか?」
毎日だなんて、ときには書けない日もありますよ。
でも、できる限りは書くように心がけています。
(まして新刊本のプロフィールに、ブログを「日々更新中」なんて、入れてしまいましたからね)
2010年の2月~ですから、かれこれ2年半以上も書いていることになります。
で、社長さんの言うところの “続く理由” ですが、はたして写真を使わないからでしょうか?
実のところ、その答えは分かりません。
なぜなら、写真を使ってブログを書いたことがないからです。
と、その前に、僕はカメラを持っていないのです。
※(なぜ僕がカメラを持たないのか?については、当ブログ2011年12月14日「カメラマン崇拝」をお読みください)
思うに、「写真」 と 「文章」 では、大きな違いがあります。
写真は、記録を残す作業です。
文章は、記憶を記す作業です。
だから仮に、同じ1日をブログに表現するとしても、写真は記録がなければ残すことができませんが、文章の場合は記憶がある限り自由に記すことができます。
「あっ、あの時の写真を撮っておけば良かった!」
という後悔は、文章の場合は一切ありません。
記録がなくても、記憶があれば、事が済んでしまいます。
だから僕は、手軽な仕事として 「ライター」 という職業を選んだのかもしれませんね。
えっ?
ていうことは、記憶が曖昧(あいまい)ならば、文章の捏造(ねつぞう)もあるのかって?
そりぁ~、もちろん!
主観という範疇(はんちゅう)内での捏造は、ままあることです。
ですから “正確さ” という上では、写真が残す記録にはかなわないわけです。
「記録」 と 「記憶」
どちらも表現する上では大切なことですが、とりあえず僕はカメラを持っていませんので、「記憶」 に頼って生きています。
2012年10月11日
やっぱり酒浴! 刊行記念祝賀会
いゃ~、祝賀会というのは、何度やってもいいものですねぇ!
2010年11月14日
『群馬の小さな温泉』 出版記念& 『ぐんまの源泉一軒宿』 1万部達成祝賀パーティー
(会場/群馬ロイヤルホテル)
2011年9月29日
『あなたにも教えたい 四万温泉』 発刊記念祝賀会
(会場/四万温泉「四万たむら」)
そして、昨日・・・
2012年10月10日
『みなかみ18湯』 上巻刊行記念祝賀会が、猿ヶ京温泉の猿ヶ京ホテルにて、盛大に行われました。
実は僕、日頃の不規則&不摂生な生活がたたり、ここ数日、体調をくずしておりました。
だましだまし、なんとか昨日まで仕事をこなしながら生活していたのですが、よりによって、祝賀会当日の朝にダウン!
身体がダルくてダルくて、自分の身体ながら 「こりゃ、ヤバイぞ~!」 と本気で思ったほどです。
たぶん、自分の祝賀会じゃなかったら、代役を立てて休んだことでしょうね。
でも、本を書いたのは僕ですからね。
熱があろうが、死にそうだろうが、僕が行かないわけには始まりませんって!
と、いうことで、朝一番で主治医の元へ・・・
「先生、助けてぇ~! 今日これから出張なんですよ、絶対に休めないんですぅ~」
と泣きつくと、
「しょうがねぇーなー、熱はないようだから、元気が出るヤツを1本打っとくか?!」
と、先生は天使のようにささやくのでした。
「ぜひ、ガッーンと効くヤツを1本お願いします」
と、美人看護士さんから太くて長~い注射を打ってもらいました。
おかげさまで、猿ヶ京温泉に着く頃には、今朝までの体調不良がウソのような絶好調にまで回復していました。
午後3時、開会。
みなかみ町観光協会代表理事の須藤温氏の主催者あいさつの後、、みなかみ町長の岸良昌氏をはじめ町議や県議の方々から祝辞をいただきました。
乾杯の音頭は、みなかみ町観光協会理事で、会場となった猿ヶ京ホテルの社長でもある持谷明宏氏が発声。
同時に、会場内は、一斉に名刺交換の場と替わりました。
毎回のことなので、上着の内ポケットには、ドッサリと名刺を束で忍ばせておいたのですが、それでも歓談時間中に、持参した何十枚もの名刺が、すべてなくなってしまいました。
歓談の後、著者のあいさつスピーチと、制作スタッフの紹介。
そして、最後はお決まりのバンド演奏によるご当地ソングの披露となりました。
今回は、この本の出版のためにバンドリーダーの桑原氏が書き下ろした 『みなかみひとり』 と お約束の 『GO!GO!温泉パラダイス』 を熱唱してきました。
さあ、堅苦しい式典が終われば、関係者が残っての二次会の始まりであります。
観光協会の職員、および理事のみなさんと、本の制作スタッフらが、もう一度、高らかに 「カンパーイ!」。
話の内容は、今回の苦労話よりも、すでに次回の 「下巻刊行記念祝賀会」 の話で大盛り上がりとなりました。
実は、僕がスピーチのときに 「下巻が発刊されたあかつきの祝賀会は、盛大に “ビールかけ” といきましょう!」 と言ったものだから、皆さん本気になって 「だったら会場はどこにする?」 なんて言い出したのです。
運良く(悪く)、その場に法師温泉の専務や宝川温泉の社長がいたものだから、
「そうだ、法師のあの浴室でビールを掛け合うべぇ!」 とか、
「どうせなら宝川の露天風呂を貸し切って盛大にやっちまうか!」 など、
聞いている僕のほうが恐ろしくなるようなスケールの大きな話が、笑いとともにポンポンと飛び出したのであります。
でも、うれしいですね。
たった1冊の温泉本の出版が、こんなにもたくさんの人たちに喜ばれるなんて。
しみじみと、“温泉ライター冥利に尽きる晩” だと、酔いにまかせながら美酒を浴び続けました。
もちろん、この後、一行は三次会と称して、夜の温泉街へ繰り出したことは、言うまでもありません。
2012年10月09日
湯ノ小屋温泉 「清流の宿 たむら」②
「他人に教えたくないこと」 と 「他人に教えたくなること」って、結局は同じことなんだと思います。
他人に教えるのは惜しいくらいお気に入りということですから、返せば、他人に自慢したくなるくらい素晴らしいということです。
僕の場合、ライターが仕事ですから、他人に教えたくないと思えるほどの宿は、シッカリ記事に書いて、他人にも教えることにしています。
先月、初めて泊まって以来、すっかりファンになってしまった湯ノ小屋温泉の小さな宿 「たむら」。
宿もいいが、ご主人と女将さんが、素朴で明るくて、癒やされるのであります。
だったら、自分だけの秘密にしていないで、ドーンと新聞に書いて、みんなに教えてあげよう!と思い、今日は朝から群馬県最北端の温泉地へと、ひとっ走りしてきました。
とにかく、女将さんの田村妙恵(たえ) さんの笑顔が素敵なんです。
最初は、雪深い最北の地で、この南国のような大らかな人柄に違和感さえ感じていたのです。
そしたら・・・
鹿児島県の奄美大島の出身だったのですね。
温暖な土地で育った人は、やっぱりどこか空っ風に吹かれて育った北関東人とは違います。
なんだか、そばにいると暖房器具のような温もりを感じるんですよ。
「人生はいつも行き当たりバッタリ!」
「無理はせず、流れにまかせて生きる!」
「成るように、成る!」
いいな、いいな、この楽天的な人生観!
なぜ、南国の奄美大島に生まれ育った女将さんが、群馬の山奥で民宿をやっているのかって?
その波乱万丈、奇妙奇天烈な人生話を聞きに行ってきたのであります。
※今日のインタビュー記事は、10月31日の朝日新聞群馬版に掲載予定です。
2012年10月08日
ハハハ、ゲンキデス。
母親とは、ありがたいものです。
50歳を過ぎた息子でも、可愛いらしいんですよ。
このところ会う人、会う人から
「お母さんの具合は、いかがですか?」
と訊かれます。
えっ、なんで知ってるの?
と一瞬戸惑うのですが、すぐにブログに書いたことを思い出します。
僕の友人、知人や仕事関係者は、マメにこのブログをチェックしてくれているようです。
それでも、ドキッと驚かされたのが、初対面の人から母の容態について心配されたときでした。
たった今、名刺交換をしたばかりの人から
「お母様は、その後、お元気になられましたか?」
と言われると “えっ、うちのオフクロって、そんなに有名人なの?”って勘違いしてしまいます。
「いつもブログを拝見していますから」
と言われて、やっと二の句が継げるというものです。
すべて、ブログの効用であります。
※(オフクロが入院した経緯については、当ブログ9月28日「日本中が抱えている」参照)
たくさんの皆さんに、ご心配をしていただき、ありがとうございます。
おかげさまで、オフクロの容態は、日に日に回復に向かっております。
ただし、高齢ということもあり、なかなか退院の目処(めど)が立ちませんが、元気に病院内を歩けるまでになりました。
オフクロが入院しているのは、高齢者専門のリハビリテーション病院です。
どこが悪いわけでもなく、病気を持っているわけでもありません。
高齢老化による体力不足です。
御歳85歳ですから、無理もありません。
またしばらく出張が続くため、今日の午後、病室を訪ねてきました。
3階の個室で、悠々とラジオなんかを聴いていましたよ。
「なんで来たんだい。昨日も来たじゃないか」 とオフクロ。
「また明日から出張だからさ。当分、来られないと思って」 と僕。
「私なら大丈夫だよ。食事も三度三度しっかり食べているし、だいぶ前より元気になっただろう?」
「ああ」
「それより、不規則な生活をしているお前のほうが心配だよ。身体あっての仕事なんだからね。頑張っているのは嬉しいけどさ、無理はしないでおくれよ」
ふと、ベッドの脇を見ると、新聞が開いて置かれています。
見れば僕の新刊本の広告が掲載されているJ新聞と、連載が載っているA新聞です。
「病室へ来る人に見せてあげてるんだけど、息子の自慢しているみたいだから止めたほうがいいね」
と、新聞を片付けようとするオフクロ。
「いいさ、自慢すれば。自慢の息子でいられてオレも嬉しいよ」
と、とりあえず年寄りの楽しみを取り上げては悪いと思い、僕は新聞を元の位置に戻しました。
「テレビも見たんだよ。みんなと食堂で。ちょうど、お前が出ていてね・・・やっぱり、これも自慢になっちゃうね(笑)」
と、嬉しそうに話すオフクロ。
先日、僕がコメンテーターで出演したニュース番組のことを言っているようです。
これら息子自慢のネタのすべては、僕の家内から仕入れているようであります。
そう思うと、実の娘じゃないのに、良くやってくれている家内にも感謝!感謝!
「出張から帰ったら、また来るよ」
「無理しなくていいよ」
ハハハ、ゲンキデス。
2012年10月07日
寄る年波に勝つ!
年々、仕事がキツク感じるようになっています。
たぶん、そう感じるのは、仕事量に対して、体力が追いついていかなくなったからなんでしょうね。
“運動会のお父さん”状態なんだと思います。
ヤル気はあるので、若い頃の自分をイメージしながら走ってはみたものの、結局は足がヤル気に追いついて行かない。
だから、転倒してしまいます。
誰もが 「あっ、俺って、もう若くないんだ」 と、おのれを知る瞬間です。
僕の場合、ライターですから、机の上だけでは、仕事ができません。
よって、必ず取材という “行動” が伴います。
取材しては書く、取材しては書く・・・
この、くり返しです。
ところが最近、このリズムが狂い始めています。
取材すると疲れる → 体が思うように動かない → 原稿がたまる → すると、あせる!
てな具合です。
以前は、取材へ出かけたら、次の取材までは最低丸2日間、開けるようにしていました。
真ん中の1日を使って、原稿を仕上げるためです。
でも、最近は、ダメなんです。
取材から帰った日の晩はもちろんのこと、執筆のために空けておいた翌日も疲れが抜けずに、机に向かえないことが、たびたびあります。
寄る年波なんでしょうか?
実は、物理的な弊害が起きていることも事実です。
雑誌や新聞に書かれている僕のプロフィールを読んだことがある人は、ご存知かもしれませんが、自己紹介文の中に 「年間約80カ所の温泉地を訪ね」 という表現があります。
確か、5年くらい前のプロフィールでは “約60カ所” だったはずです。
徐々に、増えているんですね。
で、今年はどうだろうか?と数えてみると……
な、な、なんと!
昨日の高原千葉村温泉が、延べ79カ所目の温泉地だったのであります。
この調子だと、今年は優に100温泉地を突破すること間違いありません。
100温泉地といえば、約3日に1温泉のスピードです。
1ヶ月では、約10温泉ということになります。
で、手帳を広げて調べてみました。
すると、大まかなところ計算は合っていました。
●出版の取材で、月に平均6カ所。
●新聞の連載が隔週ですから、2カ所。
●毎月の温泉講座が2教室あるので、これで2カ所。
これだけで月に10カ所の温泉地を訪ねていることになります。
でも月によっては、これにプラス、雑誌の取材や研修会の講師、また昨日の高原千葉村温泉のように取材以外の目的で温泉地を訪ねることもありますから、その数は、年々増えていることになります。
と、いうことは、寄る年波だけのせいではなかったということです。
“運動会のお父さん”現象に当てはめれば、若い頃より走る距離が長くなっていることになります。
それじゃ~、無理じゃん!
では、今の状態に、活路はあるのでしょうか?
考えて、考えて、考え抜いた末に出た答えは・・・
“量より質へ” でありました。
月に2~3カ所の温泉へ行って、のんびり、ゆったり、くつろいで、家に帰ってきたら、次の温泉へ行く日を楽しみにしながら、じっくり原稿を書きながら暮らして行く・・・なーんて、いいですね。
えっ?
それじゃ、温泉ライターじゃないって?
だよねぇ~!
“量より質” は理想だけれど、やっぱり温泉ライターは、人の何十倍も温泉に入ってこそ、温泉ライターですよね。
分かりました。
もうしばらく、寄る年波と闘いながら老体にムチを打って、生きて行くことにします。
2012年10月06日
高原千葉村温泉 「高原千葉村」②
いい湯に入ると、幸せを感じて、どうしてもまた入りたくなるものです。
そして、「また入りたい、また入りたい、また入りたい・・・」 と念じていると、温泉の神様は本当に願い事を叶えてくれるんですね。
と、いうわけで昨日は、8月に取材で訪れ “湯の味” をしめてしまった高原千葉村温泉へ、ふたたび行ってきました。
と言っても、今回は取材ではありません。
シッカリと宿泊して、午後の乳白色~午前の抹茶ミルク色まで、時間の経過による温泉の色の変化を味わってきました。
昨晩は、僕が所属するクリエーティブ集団 「プロジェクトK」 の第7回総会が行われたのでありました。
現在、僕は副代表を務めています。
そんなこともあり、“日帰り入浴不可” の高原千葉村温泉のお湯に、メンバーのみなさんに、泊まってゆっくり浸かってほしいと企画しました。
県内外に、デザイナーやカメラマン、ライターなど20名のメンバーが所属していますが、昨晩はうち12名が出席しました。
宿に着いたら、何はともあれ軽く、ひとっ風呂浴びます。
もう、浴室に入っただけで、プ~~ンと硫黄のいい香りがしています。
前回訪ねたのは午前中で、温泉を貯めだして時間が短かったために、白濁は薄く、グリーンがかったメロンソーダのような色をしていました。
でも、今回は午後の入浴ですから、温泉が熟成(酸化) して、見事に乳白色ににごっています。
「いい湯ですねぇ~。温度も丁度いいし、極楽ですよ」
と、先に入っていたカメラマンのF君が、話しかけてきました。
「温泉らしい温泉っていうやつですか。好きだな、この湯」
と、今度はあとから入ってきたカメラマンのS君も、満足の様子です。
そう言っていただけると、ここを総会の会場に推薦した甲斐があったというものです。
午後5時。
会議室にて、総会が始まりました。
代表のK氏より、この1年間の活動内容と経過についての発表があり、結成7年目を迎える次年度の目標と抱負について語られました。
テーマは、“個人の能力・技術力を外へ対して発信”
メンバーのみなさん、1年間ありがとうございました。
そして、また次年度も、よろしくお願いいたします。
総会のあとは、お決まりの懇親会であります。
酒豪ぞろいのアウトロー集団でありますから、それはそれは見事なくらいに種々様々な酒類がズラ~リと並び、にぎやかで楽しい一夜となりました。
明けて、一日のスタートは当然まず、一浴からであります。
案の定、今朝の湯は、まだ白濁が弱く、淡い緑色の微濁湯でした。
でも、湯が新鮮な分、プンプンプ~ンとゆで卵臭が濃厚であります。
「よーし、今日も一日、頑張るぞぉー!」
と、活力を与えてくれる素晴らしい浴感でした。