2012年11月29日
沢渡温泉 「まるほん旅館」⑤
今さら行かなくても、記事は書けるんですけどね。
でも、僕の私訓が “現場百遍” である限り、「見ずに」「聞かずに」原稿を書くわけにはいきません。
と、いうことで、高速道路をすっ飛ばし、国道353号をひた走り、沢渡温泉の勝手知ったる 「まるほん旅館」 まで行ってきました。
サトボウこと、16代目主人の福田智さんと “湯浴み対談” をするためにです。
「最近は、めっきり訪問取材は減りましたよ。以前なら必ずライターとカメラマンの2名、多いときは編集者も同行して3名で来ましたものね。今は電話取材で済ませて、写真はメールで送ってくれっていうパターンがほとんどですよ」
でしょうね。
僕が編集長なら、このご時世に交通費を使わせてまでライターとカメラマンを現地へ飛ばしませんって。
ま、それがイヤだったから、僕はフリーのライターになったんですけどね。
「群馬県内じゃ、小暮さんほど温泉地を回っている人はいないでしょう?」
「ええ、たぶん……、おかげさまで今日の取材で、今年105カ所目の温泉になります」
そんな雑談を交わした後、僕とサトボウとカメラマンは、大浴場へと向かいました。
別の名を 「ひのき張り湯小屋風呂」 といいます。
今年の3月、『おとな日和』(パリッシュ出版) という雑誌で、温泉愛好家の山田べにこさんと対談した際に、僕が “群馬の温泉ベスト1” に選んだ近代温泉遺産とも呼ぶべき、湯殿であります。
何がいいかって、キシキシと音を立て鳴る木造の渡り廊下を歩いて、いきなり2階から浴室へ下りるという大胆不敵な建築様式です。
初めての人は、必ずや度肝を抜かれます。
脱衣場は、無し。
男も女も湯舟の脇の棚で衣服を脱いで入る、完全混浴風呂です。
で、この湯舟に入って、2人で仲良く対談をしましょう!
という企画なのであります。
まー、僕も話好きですが、サトボウも負けず劣らずのおしゃべりですから、2人が話し出したら止まりません。
身ぶり手ぶりで話す2人ですから、カメラマンは大喜びでシャツターを切っていました。
でも時々、「すみませ~ん、股を閉じてもらえますか! すぐに開いてしまうものですから」 と注意が入ります。
話に夢中になるがあまり、ついついガードがゆるくなって、股間が開いてしまうのです。
それもこれも、僕の絶対にゆずれない “こだわり” のせいなのであります。
<たとえ撮影でも、タオルを湯舟に入れない>
それゆえ、毎回、毎度、僕と組むカメラマンには苦労をおかけしています。
股間が写らない工夫って、大変なんですよ。
「はい、オーケーです」
の声と同時に、湯舟から飛び出して、床に転がりました。
だって、撮影していた浴槽は、2つあるうちの熱いほうだったのです。
たぶん42~3度だと思いますが、それでも、ぬる湯派の僕にとっては、かなり熱く感じられましたよ。
さすがサトボウは、毎日入っているだけあり、涼しい顔をしています。
「どうぞ、ゆっくり入っていてください。私は戻っていますから」
と服を着て、階段を上がって行ってしまいました。
やっぱ、現場百遍ですな。
もう、何十回と訪れていますが、それでも知らない話が聞き出せましたよ。
また人間は、お互い裸になると、気を許し合うものなんでしょうね。
とっても、いい、納得のいく取材でした。
福田さん、ありがとうございました。
※この対談の様子は、来年新春1月9日の朝日新聞群馬版に掲載予定です。
2012年11月28日
塩河原温泉 「渓山荘」②
天気雨のことを 「キツネの嫁入り」 なんて言いますが、これが雨ではなくて雪だとなんて言うでしょうか?
勝手に僕は、「タヌキの婿入り」 と名づけました。
昨日はNHK文化センター主催による野外温泉講座の後期講座第2回目でした。
講座地は、川場村の塩河原温泉です。
川場村は、昔から 「脚気(かっけ)川場」 と言われるくらい良質の湯が湧く湯治場です。
その中でも塩河原温泉は、日本百名山の一座、武尊山(ほたかさん)を水源に流れ出す清流、薄根川沿いに100年以上前から自噴し続けています。
世は “美人の湯” ブームです。
俗にアルカリ性の高い温泉を “美人の湯” と呼んでいるようですが、なんとここは源泉名自体が 「塩河原温泉 美人の湯」 なのであります。
さらにアルカリ性を表すpH値は、9.66とかなりの強アルカリ性泉です。
(pH8.5以上をアルカリ性泉といいます)
「ということですから、女性の皆さん、今日は大いに期待してくださいね」
とバスの中で、僕が解説を始めました。
すると、ワーとかオーとか歓声が上がりました。
この講座の受講生は、半数以上を女性が占めています。
「ええ、美しい人はより美しく、そうでない人もそれなりになれますよ」
古いCMのコピーで返すと、
「なーんだ!」
と落胆の声に変わりました。
関越自動車道、沼田ICを下りた時から、チラチラと雪が舞い出していました。
川場村に着く頃には、完全に雪模様・・・
でも明るいんです。
「ヘンな天気ですね」
「陽が射しているのにね」
とバスを降りた受講生たちは、空を見上げては口々に不思議がっていました。
風花(かざはな) が舞っているのにしては、量も多く、何時間も止みません。
こんな天気ってあるんでしょうか?
「雨なら “キツネの嫁入り” ですが、雪だから “タヌキの婿入り” でしょう」 なーんて冗句を飛ばしながら湯屋へ向かいました。
前回、ここを訪れたのは雑誌の取材でしたから、2年半ぶりことです。
その時の記事で、僕は温泉のことを次のように書いています。
<ヒノキの内風呂と自然石に囲まれた露天風呂は、シンプルだが飽きのこない造りだ。そして、この日の湯も実に重かった。手ですくうときの、ズッシリとした手応え。ゆっくりと肌を落ちる粘着感も健在である。>
そして昨日の湯も、独特のヌル・ツル・スベ感は健在でした。
「うわぁ~、本当ですね。ヌルヌルしますよ」
「こんな湯は、初めてですね」
と、露天風呂のなかで受講生男子(オヤジ) たちが、感嘆の声を上げています。
見上げれば、相変わらず陽の光に照らされながら、雪が舞っていました。
で、僕はふと、思いました。
これは “タヌキの婿入り” などではないぞ!
この光景は、“タヌキ(オヤジ) の湯入り” だな・・・と。
おかげさまで、タヌキたちの肌はツルスベになり、みんなイケメンオヤジになりましたとさ。
2012年11月26日
ビールもテレビも生がいい
今日は、群馬テレビの出演日でした。
僕は今年の4月から、群馬テレビのニュース番組 「ニュースジャスト6」 のコメンテーターをしています。
この番組では、月に1回(2回の月もあります) 、番組のゲストとして出演して、ニュースのコメントをしたり、得意の温泉話をしています。
もちろんニュース番組なので、生放送です。
でも僕は、この生放送というのが、大好きなんですよ。
“生放送 = ライブ” ですからね。
若い頃から音楽活動をしていた僕は、ステージに立って、直接お客さんとやり取りするのが大好きなんです。
だって、ライブって、1回こっきりの出たとこ勝負の世界だもの。
やり直しが利かない、切羽詰った感が、たまりません。
この辺、ちょっと “アート” に似ていると思います。
僕は昨年の1年間、NHKFMラジオで 「群馬は温泉パラダイス」 という番組を持っていました。
こちらも、基本は生放送です。
局の都合や僕のスケジュールにより、収録して放送した事もありましたが、やはり収録ではテンションが違います。
<もし失敗したら、またやり直せばいいんだ> という安堵感が、モチベーションを下げてしまいます。
今年の春には、NHKテレビの 「ほっとぐんま640」 という番組で、四万温泉を舞台に温泉講座の収録しましたが、こちらはラジオよりさらに難しかった!
ラジオの場合は収録でも、全編通して録音しますが、テレビの場合はカットごとの別撮りですから、何度でも撮り直します。
「では、今のところ、もう一度いきます」 とか、「今度は、パネルと手元の部分だけ撮ります」 なんて、同じシーンでもアップやロングなど、アングルを変えて撮るのですから、逆に緊張が増してしまいます。
<ああ、失敗したら、どうしょう。また撮り直しだぁ~> なんてね。
それに比べて、生放送は一発撮りですから、世話がありません。
トチろうが、セリフをかもうが、生放送なのですから、必ず時間には終わります。
台本も無いし、アナウンサーやキャスターとのやり取りだけですから、自分に都合の良い話の流れに持っていけます。
「ハーイ、お疲れさまでした」
と放送終了を告げるディレクターの声を聞くときの解放感は、ライブステージを終えた後の充足感に似ています。
僕はライターですから、取材に出かけます。
見方によれば、これもライブなんですね。
そして、講演やセミナー、講座も、すべてライブです。
ライブは、筋書きのないドラマなんだよね。
だから僕は、ビールもテレビもラジオも、やっぱり生が好きなんです!
2012年11月25日
39年の夢の軌跡
「あっ、小暮くん!」
声がする会場の入口を見ると、コートを着た背の高いオジサンが立っていた。
えーと、誰だっけなぁ・・・
ギョロっとした目、浅黒い顔、確かに記憶にある。
M君か? でも彼はもっと太っていたよな・・・
でも、それは中学生の頃の話か。
間違いない、やっぱりM君だよ。
「Mです。小暮君、会いたかったよ。ブログも読んでいるよ」
そう言って2人は、39年ぶりの固い握手を交わしたのであります。
昨夜、市内某所にて、中学時代のクラス会が開かれました。
5年ぶりのクラス会です。
でも前回、M君は海の上にいて、来られませんでした。
僕ら3年8組は、2年~3年にクラス替えがなかったため、2年間同じクラスメイトです。
でもM君は、3年の1学期にやってきた転校生でした。
それも、小笠原諸島から。
「小暮君は、すごいなぁ~。僕は文章を書く人を尊敬するよ。文章の難しさを知っているからね。恥ずかしながら、僕も以前に本を出版したことがあるんだ」
「へぇー、どんな本なの?」
M君は高校まで群馬県で暮らし、大学を卒業してからは小笠原諸島の父島へ帰り、役場の職員をしていたといいます。
海が好きで、船が好きで、全国をめぐって客船の写真を撮り続けたそうです。
そして31歳のとき、日本の客船を紹介した本を出版しました。
ネットで彼の著作を検索してみると、確かに様々な書き込みがありました。
<M氏は、この分野の第一人者>
<僕にとって、この本はバイブルです>
<今後、この手の本は出てこないでしょう>
などなど、彼と彼の著書を絶賛する声ばかりです。
そういえば、僕の記憶の中のM君は、いつも船の絵を描いていたっけ。
ノートや教科書の隅には、必ず船のイラストが描かれていました。
「凄いのは、M君のほうだよ。だって見事に、あの頃の夢をかなえてしまったじゃないか。初志貫徹とは、このことだ」
そう僕が言うと、
「そんなこと初めて、他人から言われたよ」
と、嬉しそうに笑った。
僕らは、1次会の席で意気投合して、2次会、3次会の席でも隣同士で酒を酌み交わしました。
「でも、今は小笠原に住んでいないんだよね。どうしたの?」
と僕が問えば、
「自分が許せなくなっちゃってね。このままでは生涯、役場の一職員で終わってしまうと……。20年間勤めたんだけど、42歳の時に役場を辞めて、内地の船会社に再就職したんだよ」
そう言って、彼は名刺を差し出した。
株式会社○○丸 東京営業所 所長
「所長じゃないか! これは驚いた、まだ夢を追いかけているんだ」
「夢というほどのものじゃないけど、やっぱり船が好きなんだよね」
3次会では、M君と肩を組みながら、懐かしの青春ソングを大声で歌った。
時々2人は、顔を見詰め合って、そして笑った。
たった1年間だけ一緒だったクラスメイト。
その後、39年間、一度も会わなかった2人。
「同級生ってさ、親戚のおじさんやおばさんの存在に似ているよね。いつもは記憶の中にないけれど、会うとすっごくなつかしいもの」
クラスメイトの誰が言った言葉。
M君、また5年後のクラス会で、夢の続きを語り合おうね。
2012年11月23日
群馬の外湯めぐり
古湯(ことう) と呼ばれる歴史ある温泉地には、必ずといっていいほど外湯(共同湯) があります。
言っておきますが、有料の日帰り入浴施設のことではありませんよ。
あれは、観光客相手の “商売” です。
僕がここで言う外湯とは、何百年という温泉地の歴史の中で、地元の人たちが守り継いでいる共同湯のことです。
ですから基本、無人で無料です。
では、本当にタダなのかといえば、外湯を維持するために組合が作られていて、組合費が払われています。
よって、地元の人たちが負担しているわけです。
いわゆる、よそからたまに来て、湯に入っている僕たちは、地元の人たちのお風呂を借りている状態なのであります。
この辺のところを、きちっと承知した上で、外湯は利用したいものです。
なかには、無人でも 「善意の箱」 と呼ばれる募金箱が置かれている外湯もありますので、この場合は、地元の人たちへの感謝の気持ちを込めて維持管理費を入れてくださいね。
群馬県内にも、草津温泉をはじめ、外湯を持つ古い温泉地がいくつかあります。
と、いうことで、次回の 「ニュースジャスト6」(群馬テレビ) では、『群馬の外湯めぐり~今も残る湯治場風情~』 と題して、群馬県内の外湯事情についてお話をします。
お時間のある方は、ぜひ、ご覧ください。
●放送局 群馬テレビ(地デジ3ch)
●番組名 「ニュースジャスト6」
NJウォッチのコーナー
●放送日 (月)~(金) 18:00~18:45
●出演日 11月26日(月)
●テーマ 群馬の外湯めぐり
~今も残る湯治場風情~
2012年11月22日
湯ノ小屋温泉 「ペンション トップス」
温泉宿と聞くと、たいがいの人は旅館やホテルを思い浮かべます。
でもスキー場などに隣接する温泉地によっては、ペンションやロッジでも温泉を引いている宿は少なくありません。
群馬県最北端の温泉地、湯ノ小屋温泉。
一般的に 「湯ノ小屋温泉」 というと、奈良俣ダムから流れる楢俣川に注ぐ木ノ根沢に点在する数軒の旅館を指しますが、実は藤原スキー場へ続く道筋にある民宿やペンション、ロッジへも源泉が引かれているため、こちらのエリアも現在は湯ノ小屋温泉といいます(「奥利根温泉」と呼ばれたこともあったそうです)。
昨日から僕は、このエリアに入り込み、温泉を引いているペンションやロッジを取材して回りました。
そして昨晩は、ご厚意により、スキー場の奥の高台に建つ 「ペンション トップス」 に泊めていただきました。
数日前に30センチもの雪が降ったとかで、所々にうず高く残雪がありました。
下の駐車場に車を置いて、坂道を歩きます。
宿の周りは、白樺と唐松の林。
金色に色づいた唐松の松葉が、冷たい北風に吹かれて、ハラハラと舞い落ちてきます。
坂道は、ゴールドのカーペットを敷きつめたように、キラキラと西日を受けて光り輝いていました。
「寒かったでしょう。お茶を入れますから、さあ、こちらで暖まってください」
と玄関で迎えてくれたのは、オーナーの渡辺保子さんです。
かなりの高齢とお見受けしましたが、とっても上品でかくしゃくとしています。
「スタッフは何人ですか?」
と聞けば、
「私だけですよ。6年前に主人を亡くしたものですから・・・」
「えっ、お一人でやられているんですか!」
「忙しいときは、人を頼みますけど、ふだんは一人ですよ。まあ、昔ほど忙しくはありませんけどね」
と言って、微笑んだ顔が、なんとも親戚のおばちゃんと会話しているようで、心がなごんでいきます。
お歳を聞いて、ビックリ!
えっ、マジですか~~!と、何度も何度も聞き返してしまいました。
来年が傘寿(80歳の祝い) だなんて、信じられません。
でも、信じられないのは、外見の若々しさだけでは、なったのです。
夕食の料理はすべて、ママ(僕は、彼女のことをそう呼ぶことにきめました) の手作りです。
グラタンやローストビーフ、ロールキャベツなど、手の込んだ洋食がテーブルに並びました。
「美味しいですね」
とローストビーフをほお張った僕が言うと、
「常連さんは、みんな私の料理を楽しみにやって来るのよ。オープンから30年以上も通い続けている人もいるわ」
と嬉しそうに話します。
ママは、生まれも育ちも東京・浅草。
結婚後は、都内でご主人とインテリア関係の会社を経営していました。
昭和56(1981) 2月のこと。
ご主人が突然、会社をたたんでしまいました。
「新聞記事で、ここの温泉付き分譲地の広告を見たのよ。ここでペンションをやるって。言い出したら聞かない人だったからね」
なんと、その年の12月には、ペンションをオープンしてしまったといいます。
ビールを1本飲み終えると、ママが 「一緒に飲もう!」 って、芋焼酎のボトルを抱えて隣に座りました。
「だったら小暮さんとママのツーショット写真を本に載せましょう!」
とカメラマンにおだてられて、気を良くした2人は奥のテーブルへ移動。
「いいですね~、完全にスナックのママと客ですよ(笑)」
でも、ママも僕もまんざらじゃありません。
ああ、ママがあと30歳若かったら……
いえいえ、そんなことはありませんよ。
今のままで十分、恋の相手に不足はありませんって。
1杯が2杯、2杯が3杯、4杯・・・
気が付いたら、ボトルが1本空いていました。
「今度は、日本酒にしましょうか?」
いえいえ、もう結構。ベロンベロンです。
それにしてもママは、酒が強い!強すぎる!
「いつも、こうやって飲んでいるんですか?」
と訊けば、
「ええ、お酒が飲めるお客さんとはね。朝までだって付き合いますよ」
だってさ。
こりゃ、ダメだ~。
僕とは、レベルも年季もケタ違いだ。
ほうほうの体で、部屋に戻って、蒲団にもぐり込んだのであります。
2012年11月20日
湯田中温泉 「よろづや」
記念すべき、今年の100湯目温泉は、信州の湯田中温泉でした。
今日は、前橋カルチャセンター(けやきウォーク前橋) の野外温泉講座、『小暮淳と行く 湯けむり散歩』 の第3回講座日。
3回目ともなると、受講生の顔も覚え、気心も知れだし、和気あいあいとしたバス旅行を楽しんで来ました。
午前8時30分に、けやきウォーク前橋の駐車場を出発したバスは、関越自動車道~上信越自動車道をひた走り、「湯田中・渋温泉郷」を目指します。
信州中野ICで下りたバスが、最初に向かったのは、地獄谷野猿公苑です。
そーです。あのテレビでも有名な、温泉に入る生意気なニホンザルがいるところ。
世界で唯一、ここだけということもあり、今日も出会った観光客は、我々以外はすべて外国人でした。
みなさん、興味津々の様子で、しきりにカメラのシャッターを押していました。
僕ですか?
僕は、もう自分が温泉に入ることばかり考えていましたよ。
だって、これから向かう旅館は、湯田中温泉でも創業から200年以上の歴史がある老舗中の老舗旅館 「よろづや」 なのですから!
そして、「よろづや」 と言えば、ズバリ!桃山風呂でしょう!
まるで寺院のような伽藍(がらん)建築は、国の有形文化財に登録されています。
講座で湯田中へ行くなら、ぜひ、ここと決めていた、一度は入りたい湯殿だったのであります。
ですから、野猿公苑のサルなんて、上の空で眺めていたのです。
バスが宿に着き、部屋に荷物を置くなり、僕はタオルを握り締めていました。
「あら先生、もうお風呂へ行くんですか? いつも私たちに言っているじゃありませんか! 宿に着いたら休息を取る。甘いお菓子は血糖値を上げ、お茶は水分補給だって!」
そーでした、そーでした。
まずは、心拍数を整えて、体を休めてから・・・・
なんですが、今日は短縮形で行きます。
もう、居ても立ってもいられないんですよ。
みんな、ゴメン! 僕は、引き止めても行きます。
いざ、桃山風呂へ!
いやいやいや~、脱衣所の欄間の彫刻からして凄いんです。
たまらず、服を脱ぐ前に、湯殿の扉をあけてしまいましたよ。
こ、こ、これでーーーーっす!
前々から写真で見て、恋焦がれていた入母屋造り唐破風様式の伽藍建築大浴場が目の前にありました。
湯けむりの中に浮かび立つ太い木の柱。
連格子の高い天井。
その中央に楕円形の湯舟があり、惜しみなく湯がかけ流されています。
もう、見ているだけでヨダレが、ダラダラと出てきそうです。
いい湯というのは、語りかけてくると言いますが、まさに “会話” を楽しんでまいりました。
湯口~中央~湯尻と、浴槽の位置により湯の温度が異なる、昔ながらの湯守(ゆもり) の技が利いています。
ああ、こういう出合いがあるから、この仕事は辞められないのです。
昼食の席に着くと、他の風呂へ行っていた受講生ら(女性)が、「どうでしたか?」 と僕に感想を求めてきました。
(※桃山風呂は男女入替制で、女性陣は午後からの入浴予定でした)
「もちろん、星3つです!」
そう言って今回も、湯上がりに用意された生ビールを飲み干しました。
2012年11月19日
爪を切る
昨日と今日、叔父の通夜式ならびに告別式が、しめやかに執り行われました
親族の葬儀に列席することは、今までにもたびたびありましたが、通夜からとか、告別式のみということが多かったものですから、「納棺の儀」 というものをちゃんと見たことがありませんでした。
小さい頃から大変世話になった叔父であり、また実姉であるオフクロが高齢であるということもあり、今回初めて湯灌(ゆかん)と納棺に立ち会いました。
映画 『おくりびと』 なんかを観て、なんとなくは分かっていたんですけどね・・・
でも、聞くと見るとでは大違いです。
2人の納棺師は、ともに若い女性でした。
叔父の体に1枚の布をかけると、慣れた手つきで全身を洗い出しました。
手、足、胴、そして顔や髪の毛までも洗剤で洗います。
ヒゲを剃り、濡れた髪の毛は、ちゃんとドライヤーで乾かしていました。
この後、湯灌ベッドから蒲団に移された叔父に着物が着せられたのですが、そこで、思わぬ光景を目の当たりにしました。
髪の毛をセットし、化粧がほどこされ・・・
そこまでは、なんとなく想像の範疇(はんちゅう) でしたが、その次に納棺師がしたことは!
爪を切り出しました。
足の指10本、手の指10本、その1本1本を丁寧に切り出したのです。
これには、息を呑みました。
日本人とは、なんと死者を敬(うやま)う民族なのでしょうか!
死者に対してここまでする国は、日本以外にはないのではないでしょうか。
あらためて、日本人の持つ文化の奥深さを知った思いがしました。
ここまでは、プロの仕事です。
ここから親族が呼ばれ、みんなで旅立ちの支度(したく) を手伝います。
足袋を履かせ、脚絆(きゃはん) と手甲を着け、三途の川を渡れるようにと六文銭が描かれた紙を持たせます。
そして、叔父の体は棺の中に納められ 、「納棺の儀」 は終了しました。
長期間の闘病生活で、かなりやつれてはいましたが、若い頃と変わりない鼻筋の通ったキレイな顔をしていました。
ここまで、してもらえるのなら、死ぬのも怖くないかな・・・
なんて、一瞬でも思えた体験でありました。
でも僕は、湯灌は湯灌でも、温泉の湯がいいですね。
ですから、葬儀自体を温泉地で行ってほしいものです。
実は、そんな話をジャーナリストの木部克彦さんにしたことがありました。
そしたら、さっそく著書 『続・群馬の逆襲』(言視舎) の中で書かれてしまいました。
<「(前略) 酒エ飲んだくれて、湯船で息絶えたら、『温泉葬』 にしておくんなさい。遺影はもちろん、湯につかっている写真だいねえ……」>
とは、僕が彼に言ったセリフであります。
2012年11月18日
100温泉にリーチ!
<年間約80カ所の温泉地を訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを連載中>
これは、よく僕のプロフィールに書かれている文章です。
数年前から、使っているのですが、そろそろ数字を変更しなければなりません。
昨年(2011年) に訪ねた温泉地数は、過去最高の94カ所(延べ回数)でした。
ところが今年は、すでに、この数字を超えています。
今日現在、99カ所の温泉地をめぐっています。
あと1カ所で、100温泉地。
いよいよ、リーチがかかりました!
今年(2012年) は、1月6日の下仁田温泉からスタートしました。
その後、四万温泉、霧積温泉、猿ヶ京温泉、梨木温泉とめぐり出し、先週の真沢温泉で99カ所目となりました。
今年は、まだ1カ月以上も残っていますから、まだまだ記録は更新しそうです。
では、なぜ、そんなに急激に増えたのでしょうか?
自分なりに、ざっと検証してみました。
まず現在、僕は、隔週刊と月刊の連載を持っています。
これが、3回×12カ月=36カ所
これに、野外温泉講座が毎月、2回行われています。
よって、2回×12カ月=24カ所
この何年かは、毎年1冊のペースで温泉本を出版しています。
この平均取材数が、約40カ所あります。
これらを足すと、ちょうど100回です。
でも現実は、これに単発の取材やプライベートでも温泉地へは行きますから、優に100回は超えてしまうという計算になります。
「いゃ~、そんなに温泉ばかり入って、大丈夫ですか?」
と、体を心配してくださる方がいますが、仕事だから仕方がありません。
だって、せんべい屋は、毎日、せんべいを焼いていますよ。
セールスマンは、毎日、セールスに飛び回っています。
だもの、温泉ライターが温泉ばかり入っているのは、当たり前なのであります。
体のことを心配してくださるのは、ありがたいのですが、何の職業にしたって、同じことです。
ただ、好きで飛び込んだ世界ですから、飽きないですね。
だって、温泉ライターは温泉に入るだけが仕事ではありませんもの。
歴史や文化に触れたり、ご主人や女将さんから話を聞いたり、温泉にまつわるエトセトラを探して、取材して、書くのですから、飽きることはありませんって!
今週、いよいよ記念すべき100カ所目を迎えます。
さて、次の温泉地は、どこだっけ? と手帳をめくってみると・・・
おおお~、あさっての○○温泉です。
同行者たちと、記念の乾杯をしたいと思います。
2012年11月17日
さみしいよ
「たぶん最後だろうから、会いに行きたいよ」
一昨日、50日間の療養生活を終えて、退院してきたオフクロが、僕の顔を見るなり開口一番、そう言ったのです。
帰宅する車の中で、アニキから知らせを聞いたようです。
この日、僕とアニキは、オフクロの退院準備に午前中から追われていました。
オフクロの蒲団を干したり、部屋を片付けたり、それまでの親不孝を帳消しにしてもらおうと、かいがいしく動き回っていたのです。
「じゃあ、迎えに行ってくら。オヤジを頼むぞ」
そう、アニキが僕に言って、実家を出ようとしたときです。
電話が鳴りました。
「はい、小暮です」
と、何十年ぶりかに、僕が実家の電話機を取りました。
「○○(オフクロの旧姓)です。おばさんは、いますか?」
と、聞き覚えのあるような、ないような声。
オフクロの旧姓を名乗るということは、親戚に違いありません。
「××子です」
えーと、えーと、××子さんは・・・
あっ、いとこの嫁さんだ!
オフクロは今まで入院していて、今日、これから退院してくることなどを、簡単に伝えました。
すると、
「そーですか・・・、だったら帰ったら、おばさんに伝えておいてください。義父が危篤だと」
義父とは、オフクロの弟。僕の叔父です。
長い間、闘病生活を送っていました。
今日になり、容態が急変したとのことです。
叔父には、2人の息子がいます。
長男は神奈川県、次男は埼玉県に暮らしています。
連れ合いの叔母は、2年前に他界しました。
××子さんは、長男の奥さんです。
「私どもも、主人が会社から戻り次第、向かいます」
そう告げて、電話は切れました。
オフクロと叔父は、2人だけの仲の良い姉弟です。
80歳を過ぎても、叔父は 「ねーちゃん、ねーちゃん」 と、うちのオフクロを大変慕っています。
「すぐに会わせてやりたいのは、やまやまだけどなぁ。たった今、退院してきたばかりだからなぁ……」
とアニキ。
「じぁあ、1本だけ仕事を済ませたら、オレがオフクロを叔父さんが入院している病院まで連れて行くよ」
と言い残し、僕は新聞社へ原稿を届けに出かけました。
午後4時。
僕はオフクロを車に乗せて、高崎の病院へ。
「私は、△△雄(叔父の名前) のことが、ずーっと気になっていたんだよ。でも、自分が入院しちゃったからさ、会いに行けなかった。きっと、△△雄は 『ねーちゃんが来ない、ねーちゃんが来ない』 って、毎日心配していたと思うよ。早く行ってあげたいよ。その病院は、遠いんかい? まだかい?」
と車の中で、しゃべり続けるオフクロに、
「うるさいな、ちょっと黙っててくんないかい。オレだって初めて行く病院なんだよ」
とイライラのし通しでした。
やっとこさっとこ、不慣れな道を走り、病院を見つけ出し、駐車場に入ったときです。
ケータイが鳴りました。
実家にいるアニキからでした。
「今、病院に着いたよ」
というと、「間に合ったか?」 との返事。
何に間に合ったというのだろうか?
「ああ、今、駐車場だよ」
「遅かったか・・・。たった今、叔父さんが息を引き取ったと、○○子さんから電話があった」
「ウワァ~~~!」
と、嗚咽(おえつ)するオフクロの声が、車内に響きました。
病室へ行くと、まだ誰も親族は来ていません。
ベッドに駆け寄り、叔父の亡がらにすがりつくオフクロの声だけが、病院の廊下まで聞こえてきました。
「△△雄、ねーちゃんだよ。ごめんね、遅くなっちゃって。もっと早く来てあげたかったんだけどさ、ねーちゃんも入院していたんだよ。ごめんね、ごめんね、ごめんね・・・・」
崩れ落ちるオフクロの背中を見つめているのが、精一杯でした。
その後、知らせを受けた数名の親族がやってきましたが、長男と次男がいません。
看護師によれば、「ご長男さんは、今、向かっているとの連絡が入りました。でも遠いですからね。あと、3時間くらいかかりそうですよ」 とのことでした。
「私が、ずーと△△雄のそばに居てやる」
とオフクロは言い張りますが、さっき退院して来たばかりの病人です。
いつ、また過労がたたって入院してしまうかもしれません。
ここは、オフクロに我慢してもらうことにして、親族の1人にオフクロを実家まで送り届けてもらい、長男が到着するまで僕が病院に残ることにしました。
「わかったね、オフクロ。これから通夜も告別式もあるんだから、今日のところは家に帰って体を休めておくれよ」
と、ぐずるオフクロを無理やり、親戚の車に乗せました。
「さみしいよ。たった2人だけの姉弟だもの。みんな、いなくなっちゃうんだもの……。さみしいよ」
なんとも、やるせない気持ちで、僕は叔父の待つ病室へ戻りました。
叔父さん、ありがとう。
オフクロが退院する日まで、待っていてくれたんですね。
2012年11月16日
自称 、おんせん県
大分県が、「おんせん県」 を名乗り出したんですってね。
それも、「うどん県」 で脚光を浴びた香川県のマネなんですってね。
2匹目のドジョウが出たということは、3匹目も4匹目も出るんですかね?
「りんご県」 とか 「みかん県」 とか 「ぎょうざ県」 とか 「やきそば県」 とか・・・・
でも 「りんご県」 「みかん県」 は、名乗り出ないと思いますよ。
だって、自信がある県ですもの。
“自他共に認める” ものは、自ら名乗り出たりしませんって。
人は、自信がないものに対して、「自称」 という言葉を使います。
自称とは、“(本当はそうでないのに)自分のことを自分で○○だと言うこと” です。
その点、今回の騒動では、草津温泉のコメントがフルっていましたね。
「日本一は自分で名乗るものではなく、認めてもらうもの」(観光協会・談)
とは、カッコイイ!
さすが自然湧出量全国一の貫禄です。
源泉の数や湧出の量が日本一を主張するどこかの県とは、レベルが違います。
数や量ですか?
掘削した穴の数や汲み上げた湯の量で勝負するのですか?
やっぱり、温泉の中の温泉。
キング・オブ・オンセンといえば、自然湧出泉でしょう!
その泉源から湧き出る量が日本一なのですから、草津温泉の自信たるや大したものです。
向かうところ敵なし!
それゆえ、言えるコメントです。
“名乗るものではなく、認めてもらうもの”
今回の騒動は、どうしても中国のやり方(手口) を彷彿してしまいます。
なんでもかんでも商標登録して、自分たちのモノにしてしまうやり方です。
でも、言葉だけを独占したところで、所詮、「自称」 は 「自称」です。
中身が伴わなければ、決して他人は認めてくれませんよ。
さて、では、真の日本一の温泉県は、どこなのでしょうか?
当然、それを決めるのは、県外の人たちです。
派手な宣伝やPRをするのもいいけれど、真実を伝える努力を惜しまないでほしいものです。
2012年11月15日
真沢温泉 「真沢の森」③
こんなことって、あるんですね。
1冊の本が、縁を結びました。
昨日は、H温泉のT館にて、来春出版予定の新刊の表紙撮影が行われました。
今回のカメラマンも、引き続き酒井寛氏であります。
撮影はスムーズに進み、もちろん納得のいく写真を撮ることができましたよ。
読者のみなさん、ご期待ください!
その後、カメラマンとは現地で別れ、僕は真沢(さなざわ)温泉の一軒宿 「真沢の森」 へ。
昨晩は、取材も兼ねて、泊めていただきました。
「これに、サインしていただいてもよろしいですか?」
と支配人の武川恵二さん。
武川さんは支配人でもありますが、江戸時代から代々この地で源泉を守ってきた湯守の5代目でもあります。
祖父の代までは 「真沢鉱泉」 といい、痔(ぢ) や皮膚病に効く湯治場として近在の人々に親しまれていました。
戦後、長い間、閉鎖されていましたが、湯を惜しむ声から平成10年に、「美人の湯」 として復活しました。
その5代目湯守である武川さんが、会うなり差し出したのは、なんと、僕の著書 『ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) とサインペンでした。
「えっ、サインですか?」
「ええ、妻が小暮さんのファンなものですから。取材に来たらサインをもらってほしいと」
そう言われて、気を良くした僕は、奥様の名前入りでサインを書かせていただきました。
「うわ~、これは喜びます! うちの家宝にして、大切にします。ありがとうございます」
えっ、ちょっと、ちょっと! 家宝とはバカに大袈裟じゃありませんかね。
ただの、サイン本ですよ。
ところが、武川さんは、こんなことを言ったのです。
「だって、この本が私と妻を引き合わせた赤い糸なんですから・・・」
まったく、言っている意味が分かりません。
ところが武川さんと奥様には、僕の本を家宝にするだけの理由があったのです。
今年の4月26日のこと。
「真沢の森」 に、1人の女性が泊まりました。
その女性は、埼玉県から来た温泉ファンで、僕の本を手にしていたといいます。
武川さんは、ひと目見たときからビビビッときたそうです。
夕食のとき、僕の本を話題にして、話が盛り上がり、意気投合。
それはそれは、楽しい夜を過ごしたようです。
そして、10日後の5月6日。
ふたたび、彼女が泊まりに来ました。
武川さんのことも気に入ったようですが、温泉の素晴らしさにも惹かれたようです。
で、で、でーーーーっ!
な、な、なーーーんと!
武川さんは、その晩、プロポーズをしてしまったと言います。
「そう、だから交際期間は、なし!」
「この宿以外でデートをしたこともない」
と、ビックリ発言の連発です。
そして、めでたく今月の7日に入籍をしました。
みなさんは、この話、どう思われますか?
そんなことって、あるの~? ていう感じですよね。
でも、これが幸福をもたらす、小暮淳の “ブックパワー” です!(笑)
「だから、小暮さんは、私たち夫婦の愛のキューピットなんですよ」
と、嬉しそうに満面の笑みをたたえる武川さん。
あー、うらやましい!
だって、その奥様って、武川さんより16歳も年下なんですよ。
僕も自分の本を持って、湯めぐりをしようかしらん。
えっ、僕の場合は、不倫相手探しの旅になっちゃうって!
そーですね。
武川さんは、オジサンだけど(失礼)、独身でした。
武川支配人、奥様、おめでとうございます。
真沢温泉は 「美人の湯」 でもありますが、これからは 「縁結びの湯」 って呼んでもいいかもしれませんね。
お幸せに!
2012年11月13日
今年も楽天とタイアップ!
今年もやって来ました!
恒例、「上毛新聞社×楽天トラベル」 のタイアップ企画です。
2009年『ぐんまの源泉一軒宿』、2010年『群馬の小さな温泉』、2011年『あなたにも教えたい 四万温泉』 に続いて、群馬の温泉シリーズ第4弾の 『みなかみ18湯〔上〕』 も、いよいよ日本最大級の宿泊サイト「楽天トラベル」に特集ページとして登場しました!
この企画は、僕の著書の出版元である上毛新聞社と楽天トラベルによる特別企画です。
要は、僕の著書で紹介している宿の情報がネットで調べられ、宿泊予約ができるという優れモノです。
今回は、僕の著書で取材している水上温泉と猿ヶ京温泉の中から、31軒の宿を紹介しています。
もちろん、宿の紹介だけではなく、著書と著者についても紹介されています。
ぜひ、一度、ご覧になってみてください。
~楽天トラベル特集~
『みなかみ18湯』
宿の数だけ物語がある
〔上巻〕 水上温泉・猿ヶ京温泉
●アクセスはこちら!
http://travel.rakuten.co.jp/movement/gunma/201210/
2012年11月12日
カツ丼と焼きそば
「何が食べたい?」
「何でもいい」
「じゃあ、ラーメンにしようか!」
「えーっ、ラーメンなの?」
「だって今、“何でもいい”って言ったじゃないかッ!」
こんな会話が原因でケンカとなり、別れたカップルがいたとか、いないとか・・・・。
わがまま女にも困ったものですが、ま、このカップルの場合、まだラーメンを注文したわけではありませんから、この後、どーにでも選択の軌道修正が利くというものです。
でも、これがボケ老人相手では、そうはいきません。
と、いうことで、昨日も一日、実家で痴呆のオヤジを介護している兄に代わって、僕が朝からボケ老人の面倒を看に行ってきました。
「腹減ったなぁ~、昼飯はまだかなぁ~」
と、隠し持っていた菓子鉢に手を突っ込んで、バリバリと音を立てながらスナック菓子を食べてるオヤジを発見!
「そーいうもん食べてるからさ、ちゃんと食事のときにメシが食えなくなるんだよ。取り上げるぞっ!」
と、僕が威嚇(いかく)すると、
「わかった。ゴメンよ、もーしないよ。だから、昼を食べさせておくれよ」
と懇願します。
さて、何を作って食べさせようかと考えましたが、実家の台所は、勝手が分かりません。
また、作ったところで、食の細いオヤジが、どんだけ食べてくれるかも分かりません。
やっぱり、スーパーにオヤジを連れてって、本人が食べたいものを買って食べさせるのが一番です。
「何が食べたい? 自分が食べたいものを選びなよ?」
と、オヤジを惣菜コーナーの前に立たせました。
「何でも、いいよ。そんなに食べられないし……」
「残せば、オレが食べてやるから! 好きなものにしなよ」
「そーか、だったらカツ丼がいいな」
「大丈夫? カツ食べられるの?」
「うん」
と、いうことで、カツ丼を購入。
たぶん食べきれないだろうから、僕が半分手伝うとしても、これでは僕が足りない。
「オヤジ、うどんも少し食べるか?」
「ああ、俺は麺類が大好きだからな」
という会話にて、無事、昼飯の買い物は終了しました。
実家に戻り、カツ丼を半分皿に盛り、うどんも少しだけ椀に入れて、差し出しました。
「うまいか?」
「ああ、うまい」
「そーか、全部食べられるか?」
「あいよ」
ところが、すぐにオヤジの箸は止まってしまいました。
「どーしたの?」
「もう、食べられない。お腹いっぱいだ」
テーブルの上を見れば、カツもうどんも手つかずです。
食ったのは、味がしみたごはんだけ。
「もう、ごちそうさまなの?」
「ああ、ごちそうさまだ。俺は、寝る」
そう言って、昼寝をしに部屋へ戻ってしまいました。
おーーーい、じいさん!
食べたかったのは、カツ丼のカツで、自分は麺類が大好きだったんじゃないのかよーーー!
ここでケンカにならないのが、男女のカップルとボケ老人相手との違いでしょうね。
夕刻、オヤジの部屋へ行くと、またまたボリボリ、モグモグと口を動かしています。
「腹、減ったんか?」
「ああ、減った。夕飯はまだかなぁ……」
「今買ってきてやるから、間食はやめろよ」
「わかった……」
「で、何が食いたいの?」
「……、何でもいい」
「何でもいいじゃ、分からんよ。食べたいもの言いなよ」
半強制的におどしをかけると、
「俺は麺類が好きだからなぁ~」
「じゃあ、焼きそばは、どうだ?」
「ああ、焼きそばがいいね」
と、いうことで、またまた僕はスーパーへ買出しへ。
まずは、自分のためにビールを1本。
焼きそばを1パックと、自分のつまみとして、メンチカツと唐揚げを買って帰りました。
「メンチカツもあるけど、少し食べてみるか?」
と、昼間のカツ丼の一件があるので、とりあえず訊いてみました。
すると、「食べる」 と言う。
ならばと、少し大きめにメンチカツを切って差し出しました。
しばらくして、
「ああ、お腹いっぱいだ~。俺は、もう、歯磨いて、寝る」
と言い出した。
えっ、ちょっと、待てよ、じいさん!
食ったのは、おかずにやったメンチカツだけじゃねーかよ。
焼きそばは、まったく食べてねーじゃんかよ!
えっ、俺は麺類が好きだって言ったよなぁ~?
焼きそばがいいね、って言ったよね!
おい、おいおい、逃げるのかよ。
待てよ、歯なんて磨くんじゃねーよ。
なにが、「おやすみ」 だよ。
アニキが帰ってきたら、言いつけるからな!
すっげー、叱ってもらうからな!
ああ、たった1日で、1年分くらいのストレスを溜め込んでしまいました。
これだもの、オフクロはオヤジと一緒にいるだけで、ぶっ倒れてしまったのですよ。
そのオフクロが今週、1ヶ月半ぶりに退院して実家に帰ってきます。
はたして、大丈夫なんでしょうかね。
2012年11月10日
奈女沢温泉 「釈迦の霊泉」②
やっぱり、そうだったか!
医学的に治療効果のある温泉のことを 「療養泉」 といい、その主成分により大きく9つの泉質に分類されています。
単純温泉、二酸化炭素泉、炭酸水素塩泉、塩化物泉、硫酸塩泉、含鉄泉、硫黄泉、酸性泉と、放射能泉です。
この最後の放射能泉だけ、群馬にはありませんでした(過去形)。
と、群馬県が発行するガイドブックにも書かれています。
僕もね、実際に群馬県内の温泉をくまなくめぐってみましたけど、やっぱり放射能泉はありませんでしたよ。
放射能泉とは、ラジウム温泉のことです。
そのラジウムが壊変した物質が、ラドンです。
ラジウム温泉といえば、玉川温泉(秋田県) や三朝(みささ)温泉(鳥取県) が有名ですが、ぬぁ、ぬぁ、ぬぁ~んと!
実は群馬県にも、存在したのですよ!
いや、存在したというより、“判明した” と言ったほうが正しいかもしれませんね。
だって、今回、3年ぶりに奈女沢(なめざわ)温泉へ行くまでは、知りませんでしたもの。
と、いうことで今週、昔から万病を治すことから 「群馬の密湯」 と呼ばれる(ウソ、僕が付けました) 奈女沢温泉の一軒宿 「釈迦の霊泉」 へ取材に行ってきました。
「お久しぶりです。また、よろしくお願いいたします」
と、2代目女将の今井経子さんが玄関の前で、出迎えてくれました。
まずは、
「どうぞ、御神水です」
と差し出された、コップ一杯の源泉水をいただき、飲み干しました。
こちらでは、源泉水のことを 「御神水」 といいます。
先代がお釈迦様の導きにより、霊泉を発見しことによります。
ですから、浴室は 「霊泉場」 であります。
「これを見てください」
と、女将が見せてくれたのは、何かの賞状のような紙でした。
なになに・・・
「ラドン濃度測定証明書」
えっ、マジっすか!?
「ええ、一昨年、うちのことを “ラジウム温泉” だと書かれた本を見つけたんです。その本には “ラドン濃度は未調査” と書かれていました。それで、いい機会だから、検査していただいたんですよ」
なーるほど、実は、僕も前々から疑ってはいたんですよ。
奈女沢温泉だけは、放射能泉じゃないかってね。
だって、3年前に訪れたときに、摩訶不思議な体験をしましたから!
あんな経験は、初めてでした。
(不思議な体験については、拙著 『ぐんまの源泉一軒宿』 または当ブログ2010年8月28日「奈女沢温泉 釈迦の霊泉」参照)
実は、不思議な体験は、入浴だけではありませんでした。
「御神水」 を家に持ち帰り、毎日飲み続けていたら、医者通いまでしていた高血圧が、正常値まで下がってしまったのです!
これには、主治医もビックリ!
実際に、全国から寄せられる感謝の手紙の中には、「高血圧が治った」 という人が多いようですね。
今回も、10リットルの御神水をいただいて帰りました。
毎日、ガブガブと飲んでおります。
さて、今回も血圧は下がるでしょうか?
えっ、なに?
そんなモノに頼るより、酒とタバコと不摂生な生活習慣を正せだと?
・・・・・・・・・
それができるくらいなら、ライターなんていうヤクザな商売は、やっていませんって!(なぜか、開き直り)
2012年11月09日
『たのやく』 をゲットせよ!
『たのやく』 という雑誌を、ご存知ですか?
全国に236店舗ある東横インに置かれている客室専用誌です。
(ホテルに泊まったことはありましたが、僕は知りませんでした)
実は、この雑誌の11月号に、拙著 『みなかみ18湯〔上〕』(上毛新聞社) が掲載されています。
それも巻頭特集で4ページにわたり、記事がそっくりそのまま転載され、しかも後半ページにて著書と著者の紹介が4分の1ページのサイズで紹介されているのです。
いゃ~、僕の知らないところで、いろいろなことが起きているんですなぁ~!
出版元からの連絡で知りました。
もしかして、この雑誌って、全国の東横インのホテル全室に置かれているんでしょうかね?
だとすれば、凄い宣伝になりますよね。
この雑誌、よくよく見ると、独特の編集方法で作られています。
すべての記事が、雑誌や書籍からの「転載記事」なのです。
<転載にご協力してくださった各出版社様>
という項目に、こんな文章がありました。
<「たのやく」(楽しく読めてときどき役立つ本) は様々なジャンルの雑誌・書籍から 「楽しく役立つ」記事をセレクト、出版社に承諾を得て掲載しています。そうした 「転載記事」主体の雑誌は他に類がありません。しかも読めるのはホテルの客室だけ。>
とあります。
まさに、他に類がありません。
いゃ~、業界の端くれにいる者としては、目からウロコであります。
これは、“他人のフンドシ” などでは、ありませんよ。
まったく新しい、独創的な編集ノウハウであります。
こんな一文もありました。
<たのやくは出版文化を応援します!>
ひぇ~~、泣けますね。
うれしいじゃ、あーりませんか!
出版業界に、心強いサポーターが現れた気分です。
これからも、ジャンジャン転載しまくってください!
で、僕の本の他に、どんな本がが転載されているのかっていうと・・・
これが、凄いんです!
週刊東洋経済や週刊ダイヤモンド、信州の情報誌KURAをはじめ、ナンプレや漢字パズルなどの娯楽雑誌まで様々のジャンル全27媒体から記事が転載されています。
中には、吉田類さんのブログなんてのもありました。
ぜひ、興味のある人は、ゲットしてみてください。
(バックナンバーの購入、定期購読も可能のようです)
●『たのやく』(発行/株式会社たのやく出版)
定価300円(税込)
TEL.03-5789-1289 FAX.03-3473-0891
E-MAIL : info@tano-yaku.com
2012年11月08日
四万温泉 「なかざわ旅館」③
昨年秋に出版した 『あなたにも教えたい 四万温泉』(上毛新聞社) の企画は、この旅館から始まりました。
今日、四万温泉へ行ってきました。
まさに、全山紅葉!
絵にも描けない美しさを存分、目に焼き付けてまいりましたよ。
訪ねたのは、新湯地区にある 「平成の旅籠 なかざわ旅館」 です。
「小暮さーん、お久しぶりです。その節は、大変お世話になりました。四万の人たちは、みんな喜んでいますよ」
と、満面の笑みで迎えてくれた2代目女将の中沢まち子さん。
まち子さんは、現在、四万温泉協会の 「地域づくり委員会」 の委員長でもあります。
話題になった 「スイーツめぐり」 や 「温泉ガイド」 「提灯さんぽ」 などのイベントを企画して、積極的に四万温泉のPR活動を行っているパワフルウーマンであります。
そうそう、実は僕が 『あなたにも教えたい 四万温泉』 を書くきっかけとなったのも、まち子さんとの会話からでした。
2年前の9月のこと。
僕は、JRから依頼された雑誌の取材で、「なかざわ旅館」 に泊まっていました。
食後、食事処に残って、まち子さんと呑みながら話しているときでした。
「四万温泉の全部の旅館を取材して、1冊の本にしたら面白いよね」
と僕が言うと、
「大賛成! それ、絶対作りましょうよ!」
と、まち子さんも賛同して、大盛り上がりしたでした。
(その時の様子は、当ブログ2010年9月3日の「四万温泉 なかざわ旅館」参照)
そしたら、なななんと、本当に1年後には、本になってしまったのです。
まさに “ヒョウタンから駒” であります。
なんでも、思いついたことは、言ってみるものですね。
今日は、そんな思い出話から始まり、旅館の歴史や女将の苦労話、そして現在の委員会活動などを聞いてまいりました。
いゃ~、それにしても、まち子さんは、いつお会いしても明るいですねぇ~!
取材中も笑顔が絶えることがありません。
これだもの、全国からファンが訪ねてくるのですね。
もちろん、僕もファンの1人ですよ。
取材が終われば、お待ちかねの入浴タイム。
ここの湯がまたいいんですよ!
4つある浴室の湯舟は、すべて源泉かけ流し。
でも、それだけじゃ、ないんです!
湯口(源泉の注ぎ口) が、湯縁と湯床の2カ所にあるという超高度な技が効いているんですね。
初めて入ったときは、その感動から鳥肌が立ったくらいです。
これは、湯を知り尽くした湯守がいる証拠です(まち子さんのお父さんが湯を守っています)。
えっ、どういうことかって?
なぜ、湯口が2つあるのか?については、僕の著書 (または当ブログの2011年1月15日「四万温泉 なかざわ旅館②」) をお読みください。
六角窓を持つ、名物の展望風呂から望む四万川対岸の山並みは、それはそれは美しい眺めであります。
「あ~、やっぱり四万の湯はいいなぁ~」
と、しばし極上の湯の中で、紅葉狩りを楽しんでまいりました。
2012年11月07日
上牧温泉 「旅籠 庄屋」
僕は昨年から、みなかみ町にある18の温泉地(宿泊施設のある温泉) の全75軒の宿泊施設(みなかみ町観光協会加入旅館) を1年半かけて、すべての宿をまわり、すべての “湯” に入って、本を書くという荒行に挑戦しています。
今年9月に、前半の2温泉地、水上温泉と猿ヶ京温泉の全宿(旅館・ホテル・民宿) 34軒を 『みなかみ18湯〔上〕』 として上毛新聞社より出版しました。
下巻に掲載予定の温泉地は、16カ所。
掲載予定の宿泊施設は、41軒です。
8月より後半の取材活動に入っていますが、今日現在、41軒中22軒の取材を終えました。
残り、あと19軒。
“終わりのない旅はない”
そう、自分に言い聞かせながら、この長い長い温泉巡礼の旅を楽しんでいます。
と、いうことで、昨日から2日間は、旧月夜野町の上牧(かみもく)温泉に入り込み、取材活動を続けてきました。
そして昨晩は、ご厚意により 「旅籠 庄屋」 に泊めていただきました。
上牧温泉には、現在5軒の宿がありますが、「旅籠 庄屋」 を訪れるのは初めてです。
それだけで、もう、どんな話が飛び出してくるのか、ワクワクしながら伺ったのであります。
とにかく門構えからして、圧巻であります。
両脇の提灯にも、「上州 月夜野 清水街道 旅籠」 の文字が・・・
門をくぐると、正面に古民家を解体した木材で建てられたという見事な 「せがい出し梁(はり)造り」 の母屋が現れます。
「せがい出し梁造り」 は、群馬特有の養蚕農家に伝わる建築様式です。
「せがい」 とは、舟の舵(かじ) を漕ぐところのこと。
張り出した軒が似ているので、そう呼ばれているようです。
宿に着くと、「お待ちしていました」 と2代目女将の岡部綾子さんが出迎えてくれ、玄関脇の炉が切られた間で、茶を淹れてくれました。
着物姿と囲炉裏、窓の外に見える日本庭園が、似合い過ぎるくらいに似合っています。
「20年以上経って、やっと庭園らしくなってきました」
と女将さん。
もみじが色づいて、石灯籠や白壁の土塀と相まって、一幅の日本画のようであります。
同館の前身は古くからこの地にあった 「上牧荘」 といい、昭和41(1966)年に女将の祖父が買い取り、経営を引き継ぎました。
同55年に、自宅として現在の母屋を建築。
その後、老朽化により 「上牧荘」 を廃業・解体。同61年より自宅を改造して「旅籠 庄屋」 を開業しました。
部屋数は、たったの4室。
昨晩、僕とカメラマンは、中庭に建つ蔵部屋に泊めていただきました。
これが素晴らしい!
長火鉢に炭を入れ、鉄瓶で湯を沸かして、茶を淹れます。
照明は、すべて電球で、温かい色の光に包まれています。
1階は茶の間、2階が和室の寝室となるメゾネットタイプ。
子供の頃、父の実家の蔵で遊んだ記憶が蘇ってきたのであります。
そして、特筆すべきは 「湯殿」 です。
あえて 「湯殿」 と呼びたくなる浴室は、まるで湯治場の湯小屋といった風情。
2つある浴室は、どちらも貸切ですが、小さいながらに実に良くできているのです。
まず、脱衣場がありません。
湯舟の脇に、脱衣棚があるだけ。
洗い場と脱衣棚は、さりげなく衝立(ついたて) のみで、仕切られています。
窓は、すべて木枠の昔窓です。
湯気抜きの高い天井窓も、湯殿情緒を醸し出しています。
湯縁はもちろん、湯床までもが、全面総ヒノキ張り。
そして、当然、源泉は掛け流しです。
1日限定4組の小さな宿だからこそできる、贅沢(ぜいたく) の極みであります。
朝な夕なに、この贅沢な湯と、空間と、時間を存分に堪能してきました。
女将さん、ご主人、大変お世話になりました。
取材協力、ありがとうございます
2012年11月05日
坂口温泉 「小三荘」③
今月から某紙にて、新連載が始まります。
(まだ企業秘密なので、紙名もタイトルも公表できません)
そのため、今日は朝から初取材に行って来ました。
訪ねたのは坂口温泉(旧吉井町) の一軒宿、「小三荘」です。
今年は、3月に朝日新聞の取材で訪れていますから、8ヶ月ぶり2回目の取材となります。
「もう、あんなに大きく出るんですもの、恥ずかしかったわ~」
と女将の山崎照代さんと、4代目主人の孝さんが出迎えてくれました。
確かに、あの記事では、女将さんの写真が大きく掲載されました。
でも、それだけ反響もあったということで、僕のことを恨んでいる様子はありません。
(写真を撮ったのはカメラマンで、記事を組んだのは新聞社の制作スタッフですから、僕に一切の責任はありませんよ)
館内を歩くと、あちらこちらに僕の書いた過去の記事が、ペタペタと貼られています。
うれしいですねぇ~。
これぞ、ライター冥利に尽きるというものです。
しかも、今は無き、廃刊となっている古~い雑誌の記事までが、ちゃんとカラーコピーをラミネート加工して掲示されていました。
僕が、最初に 「小三荘」 を書いた記事です。
思わず、立ち止まって、かつての自分の文章をじっくりと読んでしまいましたよ。
なんだか、照れくさいんですけど、「ああ、僕の温泉ライターへの原点が、ここにあるんだ」 と、ジワ~っと込み上げて来るものがありました。
こんな古い記事を大切にしていただいて、本当にありがとうございます。
「つい、昨日のことだよ」
温泉の効能について、あれこれ話をしているときでした。
ご主人が、こんな話をし出しました。
大阪ナンバーの車が宿の前に止まり、中から初老の男性がポリ容器を持って降りてきて、「どうしても家内に、ここの湯を塗ってあげたいから、源泉を分けてほしい」 と言ったそうです。
もちろん、ご主人は源泉をポリ容器に詰めてあげたといいますが、理由を聞いて、改めて昔より 「薬師の湯」 と呼ばれてきた温泉の素晴らしさ知ったといいます。
この男性は、子供時代を、この近くで育ったといいます。
あせもや湿疹、かぶれなど、皮膚疾患は、ここの湯で治していたことを思い出したそうです。
現在、奥さんが皮膚病を患っていて、医者に通っても一向に良くならないので、坂口温泉のことを思い出して訪ねて来たのだといいます。
これですよ、これっ!
これぞ、開湯300年を誇る群馬を代表する西上州の薬湯パワーです!
その昔、明治時代までは 「塩ノ入鉱泉」 といわれ、別名 「たまご湯」 と呼ばれていました。
塩気があり、トロンと肌にまとわりつく濃厚な浴感から、そう呼ばれていたようです。
かすかに、腐卵臭がすることも、由来かもしませんね。
今日の湯も、相変わらず、トロトロトロ~ンと、あたかもゲル状の乳液のように、まとわり付いてきましたよ。
滅多に撮影中は入浴しないカメラマン氏も、「これこれ、この感触だよね~」 と言って、今日は存分にその浴感を堪能していました。
“西上州に名薬湯あり” ですね。
2012年11月04日
貯金箱の中の夢
ある日のこと。
夜遅く、僕が台所で、酒のつまみを作りながら、晩酌をしていると、大学生の息子がやってきました。
なにやら、ガサゴソと手当たり次第、引き出しを開けています。
「何を探しているんだ?」
「缶切りって、どこだっけ・・・あっ、あったあった!」
と、脱兎のごとく、2階の自分の部屋へ上がって行ってしまいました。
しばらくして、パックリと大きくフタの開いた、缶製の貯金箱を手にして下りてきました。
ゴミ袋に投げ入れるなり、ため息をついています。
「どーした?」
「金が足りない」
「何に使うんだ?」
どうせマンガかゲーム、友人との交友費だろうと思っていました。
ところが、彼の口からは予想外の答えが返ってきました。
「オーストラリアへ留学しようと思って……」
ぬわ、ぬわ、ぬわんだとーーーーーッ!
オーストラリアだ~~~ッ!
いいじゃ、ないの。とっても、いいことだ。
若い時に海外へ出て、見聞を広げることは、大いに価値のあることだよ。
お父さんだって、若い頃はな・・・・
と、言いかけて息子を見ると、もう台所にもリビングにも姿がない。
去り際に、「お母さんに相談してみる」 と言った言葉だけが、耳に残っていました。
それから数日後の雨の夜のこと。
僕は、呑みに出ることになっていました。
でも、この雨では歩いて行くのは、やっかいです。
「誰か、お父さんを飲み屋まで送ってくれる人?」
といっても、長女は嫁いでしまっているので、現在、我が家で車の免許を持っているのは、家内と息子だけです。
家内は、聞こえていても、聞こえないふりをしています。
「ああ、いいよ」
と息子が名乗り出てくれました。
「すまないな、送ってくれ」
と言って、彼の車に乗り込みました。
「留学の話、どうなった? 母さん、なんと言っていた?」
「うん、子供の頃からお年玉を貯めていてくれた、僕名義の貯金があるって」
「そーか、それは良かった」
と、ホッとする僕。
「でも、それだと短期しか行けないんだよ。できれば、もう少し長く行きたいんだけど……」
「で、あと、いくら必要なんだ?」
「11万」
「そーか・・・、えっ、11万!」
みなさんは、たかが11万円と思われますか?
とーんでもない。
僕には、そんな余分なお金は、ありませんって。
家のローンと息子の学費、もう、手一杯であります。
(呑みに出る金は、交際接待費ですから別)
息子に送り届けてもらった飲み屋にて。
「なーに、小暮さんなら11万円なんて、簡単じゃないですか!」
と、仲間のひとりが言い出した。
「だって、著書を110冊売れば、いいだけでしょ」
なるほどなぁ~、って、そんな簡単なわけがありません!
それって、売り上げ額だけの計算じゃありませんか。
印税として、僕の手元へ入ってくる金額は、その数パーセントですよ。
要は、その10倍以上売り上げなくては、ならないということです。
息子よ!
そんなにオーストラリアへ行きたかったら、明日から父の本を売り歩いてきなさい!
それが自分のためでもあり、ひいては親孝行にもなるのだよ。