2013年07月06日
出る杭なら打てばいい
日本人って、「自分や身内」「友人や知人」 と 「他人」 で、あからさまに態度を変える国民なんですってね。
同じ事でも、身内に起こった場合は、同情も応援もするが、これが他人となると手のひらを返してバッシングに走る。
なんとも未成熟な国民です。
連日、報道されているフィギュアスケートの安藤美姫選手の出産騒動もしかり。
マスコミや一般人が一緒になって、賛否を問う論争を繰り広げています。
僕に言わせれば、賛否を問うこと自体が、安藤選手に対して失礼きわまりないことです。
なぜ、出産をしたひとりの女性に対して、素直に祝福ができないのですか?
もし、これが身内や友人であれば、きっと応援するはずです。
昨晩、僕は馴染みの居酒屋で、女友だちと酒を飲んでいました。
彼女の職業は、画家です。
たぶん、女性で、しかも見た目が若い(失礼) ので、周囲から好奇な目で見られたんでしょうね。
カウンターにいた1人のオジサンが、すぐに彼女に、からんできました。
「で、どんな絵を描くの?」
「号、いくら?」
と、はなから上から目線です。
最初は彼女も、真面目に返答していたのですが、だんだん困惑した表情を僕に送ってくるようになりました。
「そりぁ~、ダメだ! あそれじぁ、有名な画家にはなれないよ」
とかなんとか、完全に評論家きどりです。
おいおい、オッサン!(もしかしたら僕より年下かも)
あんたは、何様なんだい?
初対面で、しかも彼女の絵を1枚も見たことがなくて、よくも、そこまで意見できるものだ。
もし、このあとも無礼な詰問が続いたら、僕はこのオッサンの襟首をつかんで、店の外へ連れ出したことでしょうね。
ところが、世間というのは、恐ろしいもので、無礼なオッサンてのは、この人だけじゃなかったのです。
入れ替わりで入ってきた客(男性、オジサン) も、彼女の隣に座るやいなや、彼女が画家だと知ると、まったく同じ質問を始めました。
「へ~、どんな絵を書くの? 号、いくら?」
バカ言ってんじゃ、ねーよ!
どいつもこいつも、自分の価値観に納まらないと、かならず否定的な意見をする。
ついに、このオッサン、彼女を侮蔑(ぶべつ)する決定的なセリフを吐いたのです。
「で、それで、生活できてるの?」
これだから、あんたら飲み屋に集まるオヤジたちは、若者に嫌われるんだよ!
(僕も飲み屋に集まるオヤジの1人ですが・・・)
ったく、情けないったら、ありゃしない!
<あんたは、いいよな。好き勝手に絵なんて描いて暮らせてよ。こっちは、下げたくもない頭を下げて、家族のために、やりたくもない仕事をしてるんだぜ>
とでも、言いたいのですか?
でも、それ以前の問題ですよ。
成熟した人間が発する言動とは、思えませんもの。
彼女は、日頃から、こんなことを言っています。
「もし、私が出る杭なら、いつでも叩いてほしい。陰でコソコソ言われるくらいなら、叩かれたほうが楽だから」
「出る杭は打たれる」 といいますが、「出過ぎた杭は打たれない」 ともいいます。
いずれにしても、それが身内や友人なら、誰も叩こうとはしないでしょうね。
ミキティー! おめでとう!
そして、応援しています。
2013年07月04日
ホタル、とんだ!
早くも、来年に出版予定の本の表紙撮影が行われました。
おかげさまで、2009年から上毛新聞社より出版している “群馬の温泉シリーズ” も、今春発売された 『みなかみ18湯 〔下〕』 で5冊目となりました。
シリーズの本文写真は、同行取材をしているアートディレクターの桑原一氏が撮ってくださっていますが、表紙とグラビアに関しては、毎回、プロのカメラマンにお願いしています。
今までの担当カメラマンは、下記のみなさんです。
第1弾 『ぐんまの源泉一軒宿』(2009年) 綱島 徹 氏
第2弾 『群馬の小さな温泉』(2010年) 竹沢 佳紀 氏
第3弾 『あなたにも教えたい 四万温泉』(2011年) 酒井 寛 氏
第4弾 『みなかみ18湯 〔上〕』(2012年) 酒井 寛 氏
第5弾 『みなかみ18湯 〔下〕』(2013年) 酒井 寛 氏
そして来年、シリーズ第6弾の表紙およびグラビアの写真を担当するカメラマンは・・・
一昨日の夕方。
僕は、群馬県内の某温泉の宿で、ビールを片手に、彼の到着を待っていました。
「小暮~! なんだよ、もう飲んでんの?」
「あたりまえでしょ、お前も、どう? 少し入ったほうが、いい写真が撮れるぞ!」
と言って、僕は缶ビールを1本、彼に手渡しました。
「へへへ、そうかな~。日没までは、まだ、だいぶ時間があるしなぁ……」
「アルコールで清めて、煩悩(ぼんのう) と邪念を払う。そして、残された感性のみでシャッターを押す!」
「まったく、小暮は相変わらずだなぁ~! 昔と、ちっとも変わっちゃいない」
とかなんと言いながら、これからの撮影の成功を祈願して、豪快に飲み干したのであります。
彼の名は、綱島徹。
僕と彼は、中学から高校をともに過ごした、いわば悪友同士であります。
午後6時30分
宿を出て、すでに事前にロケハンを済ませておいたベストポイントへ。
「まだ、明るいな。これじゃ、宿の明かりも見えない」
と、三脚を立てながら彼が言う。
午後7時
「まだですね。西の空が明る過ぎる」
7時30分
カシャー、カシャー、カシャー ・・・・・
やっと薄暮の山間に、シャッター音が鳴り響き出しました。
8時10分
「小暮、時計持ってる? 2分間を計ってくれ?」
暗闇の中で、彼の声だけがします。
カッ・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・シャ!
長い長い、開放状態での撮影です。
「次、1分30秒」 「次は1分ちょうどで、たのむ」
なんとも、不思議な時間が、2人の間に流れました。
急に、学生時代のことや一緒に東京へ出た日のこと、大人になってからも2人で旅をしたこと……
暗闇の中で、時計の針とともに、想い出を追いかけていました。
と、その時です。
スーーーーーーーッ
と、光が視界の中を横切りました。
<あっ、妖精かも?>
と一瞬、思いましたが、それはホタルでした。
※(なぜ妖精かと思ったのかは、当ブログの2010年11月16日「妖精目撃」を参照)
ホタルが1匹、光の線を描きながら、僕らの前を通り過ぎて行ったのでした。
8時30分
「カンパーイ!」
宿の協力を得て、僕らだけの遅い夕食が始まりました。
「お疲れさまでした。とりあえず、OKだね」
と、僕が言えば、
「たぶん、な。ま、出版までは、あと1年あるんだ。何度でも撮りに来るさ」
と彼。
「そうか、すまんな」
「なーに、大変なのは、これから小暮のほうだ」
「そっか(笑)」
これから1年かけて、また長い長い、温泉行脚(あんぎゃ) の旅を続けなくてはならないのです。
読者のみなさーん!
ご期待くださいね。
シリーズ第6弾で、僕の温泉ライターとしての集大成をお見せしますよ。
2013年07月03日
塩ノ沢温泉 「やまびこ荘」②
“温泉は生きている”
つくづく、そう感じます。
2年前の大震災以降、湯量が突然増えた温泉。減った温泉。
温度が下がった温泉。逆に熱くなった温泉。
経営者たちの心情も、悲喜こもごも・・・
温泉は生きているんですね。
昨日、群馬県上野村にある塩ノ沢温泉の一軒宿 「やまびこ荘」 を訪ねてきました。
最後に行ったのは、NHK文化センターの温泉講座でしたから、もう、かれこれ3年前になります。
3年経てば、温泉や宿の事情が、変わっていても不思議はありません。
経営母体は同じでしたが、「国民宿舎」 では、なくなっていました。
支配人も替わり、従業員も替わり、すっかり、リニューアルされていました。
※(建物は、そのままです)
新しいスタッフに話を聞く前に、とにもかくにも、まずは、温泉をいただくことに!
カメラマン同伴ですから、撮影も兼ねています。
内風呂と露天風呂と洞窟風呂とサウナ。
3年前と、浴室は変わっていません。
でも、僕は湯舟に浸かった途端、 「あれ?」 っと一瞬、違和感を受けました。
<以前より、サラリとしている>
<湯が軽くなったような感じ>
と・・・
案の定、湯上がりに最新の温泉分析書を見せてもらうと、泉質自体が変わっていたのです。
以前は、含鉄・二酸化炭素-ナトリウム-カルシウム-塩化物・炭酸水素塩冷鉱泉でした。
かなり、ややこしい泉質名ですが、旧温泉名でいえば、食塩泉の部類です。
塩分を多く含んでいて、なめると塩辛く、保温効果があるため 「あたたまりの湯」 とも呼ばれる温泉でした。
でも、最新の分析書では、塩分の含有量が減少し、メタほう酸や炭酸水素ナトリウム(重炭酸ソーダ) を含む温泉として、登録を受けています。
う~ん、遠からず、僕の浴感は当たっていたようですね。
やっぱり、“温泉は生きている” んです!
2004年、夏。
長野県の某温泉地が、入浴剤を投入していたという週刊誌のスクープ記事から火がついた全国の温泉偽装問題は、まだ記憶に新しいことでしょう。
この騒動を機に、それまで、おざなりになっていた温泉分析書等の掲示が義務づけられ、源泉の検査も10年ごとに実施されることになりました。
よって、現在では、どこの温泉にも、ここ数年以内に検査した新しい分析書が開示されているはずです。
ぜひ、みなさんも、以前行ったことのある温泉に、もう一度、足を運んでみてください。
そして、自分の目と肌で、湯に変化がないか、どうか、確かめてみてください。
“温泉は生きている”
って、実感するかもしれませんよ!
2013年07月01日
盛況御礼
四万温泉は、一昨年に 『あなたにも教えたい 四万温泉』(上毛新聞社) という本を書いたくらいですから、もう、数えきれないくらい訪ねている僕のホームグランドみたいな温泉地です。
かれこれ四半世紀は、通っています。
でも、昔から仕事よりもイベントなどの関係者で行くことが多い温泉なんです。
著書の中でも書きましたが、2000年10月に、四万温泉協会主催による 『探四万展(さがしまてん)』 というイベントに参加したことが、僕の人生を大きく変えました。
このイベントで僕は、コピーライターとしてコラムと水彩画を出展。
併せて、中之条町の 「ツインプラザ」 で開催されたシンポジウムでは、パネリストの1人として出席しました。
このことがきっかけとなり、僕は温泉の魅力に取り付かれてしまいました。
いわば、僕が温泉ライターになった原点ともいえる温泉地です。
で、昨日は、長年付き合いのある四万温泉協会より招待されて、温泉街で開催されたストリートライブ 『レトロ通りの懐かしライブ』 に、ゲスト出演してきました。
もちろん、僕1人ではありませんよ。
我が、スーパーローカルおやじバンドの 「KUWAバン」 のメンバー3人と一緒です。
午後4時からのステージで、イベントのトリを務めました。
※(会場には、このブログの読者も何人か駆けつけてくれました。ありがとうございました!)
いつもだと、このあと、協会青年部が主催する打ち上げ会場に合流して、早々に酒を浴びるのですが、昨日は勝手が違いました。
もう1ステージ、こなさなくてはなりません。
夜、積善館で開催される 「積善館ライブ」 に出演するため、メンバー全員が、しばしの間、酒は我慢です。
ヘロヘロになってステージに上がったら、演奏も歌詞も飛んでしまいますからね。
それでも夕食の時に、ビールくらいはいただきましたけど。
午後8時45分。
積善館 ロビー。
日曜日の夜だというのに、満席のお客様!
ほとんどの宿泊客が県外からということで、MCを務めた僕は、曲の合い間に、群馬の温泉のPRをさせていただきました。
もちろん、自分の著書の宣伝も忘れませんって!
深夜11時過ぎ。
ステージの片付けも終えて、メンバーとスタッフが、積善館本館の1室に集合。
「カンパ~イ!」
「お疲れさまでした!」
「大盛況でしたね」
「いい汗を流しました」
と、本格的に飲み出したのであります。
酒って、いつ飲んでもウマイんですけどね。
ライブのあとに、仲間と飲む酒は格別、“美味” なんでありますよ。
1本、2本と次々に缶ビールが空いていき、追って1本、2本と日本酒のビンもカラになっていきます。
気付けば、朝はもうすぐ、そこまで来ています。
いい酒、いい友、いい温泉。
なんともハッピーな一日でした。
一夜明けて、昼に前橋へ。
バンドのメンバーと訪ねたのは、須賀りすさんの個展会場です。
一昨日、上毛新聞に大きく、『誕生日の夜』 のDVD発売の記事が載ったものですから、こちらの会場も連日、大盛況のようであります。
「新聞を見ました」 と言って、DVDを求める人が多く、用意していた在庫が完売しそうなので、急きょ、追加発注をしたそうです。
「1人で、10セットも予約注文していった方がいました」
と須賀さんも、うれしい悲鳴を上げていました。
絵本の原作者としても、うれしい限りです。
みなさん、ありがとうございます。
僕からも、お礼を申し上げます。
なんとも、せわしない2日間でありました。
でも、全部、遊びなんですよね。
明日からは、少し身しめて、仕事をしようと思います。