2015年09月30日
高齢者予備軍
「私は開演の1時間前に来たんですけど、すでに先生は会場にいて、マイクのテストをしていたんです。大変驚きました。また事前に会場の下見にも来ていらっしゃるんですよ。その熱心さに、感動しました」
なーんて以前、講演会の主催者がスピーチしてくれたことがありましたが、全然違うんですよ。
ただ単に、ヒマなだけなんです。
もしくは、心配性なんですね。
会場の場所を確認したり、雰囲気をつかんでイメージトレーニングをしないと不安な性分なのですよ。
※(2015年2月2日 「下見はイメージトレーニング」 参照)
ということで、今日も来月開催される講演会の打ち合わせを兼ねて、前橋市北部の公民館を訪ね、会場の下見をしてきました。
3年ほど前からでしょうか。
企業や団体に加えて、群馬県内の公民館からの講演やセミナー依頼が増えました。
なんでも公民館というのは横のネットワークが強いらしくて、「○○公民館でもやりましたよね。ついては、うちでもお願いします」 なんていう具合に、講師の情報が広がっていくようです。
たまに一般公開される講演会もありますが、大概の場合、地域のお年寄りを対象にしたセミナーがほとんどです。
「高齢者教室」 とか 「高齢者大学」 と呼ばれる学習講座です。
で、その対象年齢はというと、ほとんどが “60歳以上” なんです。
えええーーーっ! 60歳で高齢者なんですかーーーっ!!!
と、僕も最初はビックリしました。
確かに、サラリーマンなら定年退職する年齢ですが、まだまだ現役で頑張っている人たちが多い年齢であります。
だからか最近は “高齢者” という言葉が敬遠され 「いきいき教室」 や 「はつらつ教室」 なんてネーミングを変えて開催されているところもありますが、対象年齢は同じです。
実は僕、この夏に誕生日を迎えまして、満57歳になりました。
そうなんですよ、年々、その対象年齢に近づいているわけです。
ということは、僕もすでに高齢者予備軍?(ちょっとショック!)。
ま、実際、講演会場に来られ受講者というのは、70代~80代が中心なんですけどね。
でも、やっぱり気にさわるんですよ。
高齢者という言葉が……。
なんとかなりませんかねぇ~。
せめて対象年齢を、あと10歳引き上げるとか……。
2015年09月29日
越後湯沢温泉 「高半」
「先生、火曜定休ですよ」
「えっ、あちゃ~! まただよ」
ついてないとは、このことだ。
またしても共同浴場の 「山の湯」 に入ることができませんでした。
※(2012年10月16日 「越後湯沢温泉 「白銀閣 華の宵」 参照)
ということで、今日は月に1回の温泉講座日でした。
早いもので、NHK文化センター主催のこの講座も、今年で7年目になります。
今回は久々に群馬県を飛び出して、お隣の新潟県へ行って来ました。
越後湯沢温泉といえば、開湯900年の歴史を誇る越後を代表する名湯であります。
そして、何よりも文豪・川端康成の名作 『雪国』 の舞台として知られています。
で、『雪国』 といえば、川端康成が滞在して、執筆した老舗宿 「高半」 ということになります。
今回は、温泉に浸かるだけではなく、文学にも浸りに行ったのであります。
バスは関越自動車道を北へ走り、湯沢ICから温泉街へ。
まずは、湯沢町の歴史民俗資料館 「雪国館」 で、歴史と文化に触れることに。
でもね、僕は気が気ではないのです。
何がって、ええ……、その……。
だって、歩いてすぐのところに、日本酒が飲めるところがあるんですもの。
ま、僕としては、この資料館は以前にも来たことがありますし、しっかり 『雪国』 は読んで予習もしてきたので、今回はサラッと見学することにして、酒好きの有志を募って、ひとっ走りして越後湯沢駅まで行って来ることにしました。
そう、越後湯沢駅には、のん兵衛御用達の利き酒ギャラリー 「ぽんしゅ館」 があるのです。
500円で、100銘柄以上もの新潟の酒の中から、5種類も飲めるのですよ!(お猪口は小さいですが)
〆張鶴や影虎など、とりあえず駆けつけ5杯飲んで、バスに戻りました。
「高半」 は、温泉街を見下ろす高台に建っています。
川端康成も、この素晴らしいロケーションを眺めながら、執筆をしていたのですね。
その、昭和9年~12年にかけて滞在した 「かすみの間」 が、館内には展示室とともに残されています。
<島村が内湯から上がって来ると、もう全く寝静まっていた。古びた廊下は彼の踏む度にガラス戸を微かに鳴らした。その長いはずれの帳場の曲がり角に、裾を冷え冷えと黒光りの板の上に拡げて、女が高く立っていた。> ( 『雪国』 より)
さっそく、我も文豪に成り切って、歴史ある名湯に浸かったのであります。
越後湯沢には、いくつもの源泉が湧いていますが、戦後にボーリングした源泉は単純温泉や塩化物温泉なのです。
でも、ここは昔ながらの “たまごの湯” と呼ばれる硫黄温泉であります。
ほのかな香りと、そのシルクのようなやわらかな浴感を、存分に堪能してまいりました。
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皆様のご支援を宜しくお願い致します。
本日、最終日です。
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2015年09月27日
赤兎馬が来た!
なんでも口に出して、言ってみるものですね。
「赤兎馬」 「赤兎馬」 「赤兎馬」 と連呼していたら、
本当に、赤兎馬がやって来ました!
赤兎馬(せきとば) とは、鹿児島の芋焼酎のことです。
かつて蔵元が九州だけの限定販売をしていたことから、“幻の焼酎” と呼ばれていました。
最近は本州でも、お目にかかれるようになりましたけど。
基本、僕は日本酒党であります。
ところが昨年、赤兎馬に出合って以来、この酒の魅力にハマってしまったのです。
決して、焼酎を好きになったわけではありません。
“赤兎馬” に恋してしまったのです。
※(赤兎馬との出合いは、2014年7月14日 「赤兎馬の酔夢」 を参照)
で、この恋心をブログだけではなく、事あるごとに誰彼なしに、告げていたのです。
そ、そ、そしたらーーーーーっ!!!!!
先日、本当にホンモノの赤兎馬が届いたのであります。
「日頃、お世話になっているから」 と、知人の男性から。
ま、酒をもらうことは多々ありますから、手渡された包みからして日本酒だとばかり思っていましたよ。
ところが、開けてビックリ!
一瞬、息が止まるかと思いました。
人は、感動すると、言葉が出なくなるものですね。
「ど、ど、どうして、これを?」
と、お礼の言葉より先に、驚きのほうが口を突いて出てしまいました。
「お好きだと聞いていましたから」
「でも、よく手に入ったね?」
「ええ、知り合いの酒屋に頼んで探してもらいました。酒屋も感心していましたよ。『いい酒を知っている人だ』 って」
いやいや、なんだか嬉しいじゃありませんか。
たかが酒、されど酒であります。
酒をめぐる、人と人の輪ができています。
結局、お礼の言葉が一番最後になってしまいました(申し訳ない)。
O君、ありがとう!
毎晩、その芳醇な旨みと香りを、じっくりと味わいながら楽しんでいるよ。
さーて、今晩もそろそろ “恋人” に会いに行くとしよう!(悦)
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2015年09月26日
猿ヶ京温泉 「料理旅館 樋口」③
「絶景ですね~!」
九州から来た友人が、ロビーに入って来るなり感嘆の声を上げました。
眼下には、エメラルドグリーンの水をたたえた赤谷湖が、神秘的にたたずんでいます。
「でしょう! ここで飲む湯上がりのビールが、これまた最高なんだよ」
と、ひと足先に宿に着いた僕は、すでに湯を浴びて、生ビールをいただいています。
昨日は猿ヶ京温泉にて、僕が副代表を務めるクリエイティブ集団 「プロジェクトK」 の総会が開かれました。
会場は、かれこれ10年以上前から公私共にお世話になっている料理旅館の樋口さん。
美人女将と主人が作る卓越した創作料理に定評がある人気の宿です。
客室は、たったの5部屋。
うち4部屋を僕たちが貸し切ってしまいました。
残り1部屋も一般客が泊まっていましたから、この日も満室です。
会の創設10周年となる記念すべき総会に参加したメンバーは、県内外から11名。
この1年間の活動状況の報告と、今後の予定を話し合った後、部屋を替えて宴会となりました。
地元で採れる旬の食材をふんだんに使った料理は、見た目にも鮮やかで、繊細な盛り付けです。
この日を楽しみにしていた女性メンバーたちは、まるで10代の乙女のようにキャッキャッとはしゃいで、完全に女子会モードです。
男衆の目当ては、もちろん酒。
地酒の瓶がズラ~リと並び、こちらは完全なる戦闘モードであります。
群馬特産ギンヒカリのお造り、上州麦豚の角煮など、酒との相性もバッチリ!
メートルもテンションも、上がりっぱなしです。
ちなみに 「上州麦豚の角煮」 は、拙著 『みなかみ18湯(上)』(上毛新聞社) の中でも紹介している、僕のお気に入りの思い出の一品であります。
この味に触れると、「ああ、樋口に来たんだぁ~」 と実感するんですね。
懇親会の後は、部屋に河岸を替えて、お決まりの二次会となりました。
夜が更けるまで、仕事のこと、人生のこと、そして、ちょっぴりと年甲斐もなく “夢” なんかも熱く語り合ったりしちゃったのであります。
実に気の置けない、ゆかいな仲間たちなんです。
また来年、会いましょうね!
そして、ご主人、女将さん、大変お世話になりました。
楽しい夜を、ありがとうございました。
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2015年09月24日
公開講演会のお知らせ④
みなさんは、覚えていらっしゃいますか?
このブログを読んでいる主催者から、思わぬ講演依頼が来たという話を。
※(2015年6月12日の 「ブログの効用⑥ 思わぬ依頼」 参照)
そのテーマというのが、“介護” なんです。
今までに何十回と講演やセミナーを行ってきましたが、そのほとんどは温泉の話です。
まさかの展開に、依頼の話が来た時は戸惑いましたが、介護の現状を知ってもらえるいい機会なので、引き受けることにしました。
いえね、実はオフクロに 「こんな話が来ているんだけど」 と相談したんですよ。
そしたらオフクロったら、「こんな私たちでも何かの役に立てるんなら、お前の苦労を洗いざらい話しておくれよ」 と言って、さめざめと泣くんです。
それで、話すことにしました。
で、今日、主催者との打ち合わせがあり、詳細が分かりましたので、ご報告します。
ぐんまリビングフェア 2015
●開催日 2015年10月10日(土)~12日(月祝) 10:00~17:00
●会 場 ヤマダグリーンドーム前橋 ※入場無料
●講演日 10月12日(月祝) 12:20~12:50
メインイベントエリア内ステージ
●テーマ 「不孝をすると親は長生きする」
講師:小暮 淳(NPO法人「湯治乃邑」理事長、温泉ライター)
2015年09月23日
なんで、わかるの?
いつものように自転車に乗って、買い物へ出かけた帰り道のこと。
ショッピングセンター脇の歩道を、鼻歌まじりで走行していると、突然、
「あ゛あ゛ーーーーー!!!!」
と、前方からやってきたオジサン(60歳代) が、大声を上げたのです。
キキキキーーーー!
僕は、思わず急ブレーキをかけました。
「あんた、あんた、えーと、誰だっけ?」
いきなり誰だっけと言われても、僕は、こんなオジサン知りませんって。
もしかして、あぶない人?
と、身構えて警戒していると、
「あっ、そうだ、温泉の人だ! あんた、テレビに出ているでしょ?」
「あ、はい……」
キョトンとしていると、そのオジサンは矢継ぎ早に 「どこの温泉がいいか?」 とか、「私は○○温泉が好きだけど、あそこは、どうなんだい?」 などと質問攻めに遭ってしまいました。
でも、ここは路上です。
別に家路は急いでないけれど、完全に “通せんぼ” されている状態に、困惑してしまいました。
と思えば、先日は、ATMの列に並んでいるときのこと。
前のオバサンが、僕の顔をジロジロと眺めています。
「どうか、されましたか?」
と声をかけると、
「テレビ、出ているよね。いつも見てますよ」
また初めて寄ったコンビニのレジでも、オバサン店員が、
「小暮さんですよね? 温泉の?」
でも、こんな時に限って買った商品が、日本酒とさきイカだなんて、最悪だ!
のん兵衛伝説が広まってしまう~(涙)。
でも、みなさん、どうして僕だってわかったのですか?
僕の顔って、そんなにも特徴がありますかね?
テレビに出ているっていっても、月に1回ですよ!
僕は、もし街で芸能人に会っても、「ああ、似ている人がいるなぁ~」くらいにしか思いませんもの。
まして、声をかける勇気なんて、絶対にありません。
先日、このことをテレビ局の担当ディレクターに話しました。
すると彼の言うことには、
「それだけ熱心に観てくれている視聴者がいるということですよ。うれしいことじゃないですか!」
ですね。
僕も、そう思います。
でも、なんで、わかったんだろう・・・
うれしいやら、はずかしいやら、こわいやら、複雑な心境です。
2015年09月21日
「けーろー」 の日
大型連休の中日。
みなさんは、どこで、どんなふうに過ごしていますでしょうか?
(なんでもシルバーウィークって言うんですってね。今年初めて知りました)
僕は相変わらず、“貧乏暇なし” を絵に描いています。
他人様が遊んでいる時に、働くのがフリーの悲しい性なのですね。
ところで今日は、「敬老の日」 であります。
日頃から老人を敬っている僕には、取り立てて必要のない日なのですが、やはり両親のことは気になります。
で、ハッと気づいたのであります。
昨日、9月20日はオヤジの誕生日であることに!(危機一髪、思い出しました)
と、いうことで、「敬老の日」 を待たずに、昨日朝一で会いに行って来ました。
家庭の事情により、先月からしばらくの間、両親を施設に預けています。
オフクロは車イス生活ですが、頭はしっかりしているので一般棟に。
オヤジは肉体的には健康優良爺なのですが、認知症が進んでいるため専門棟に居ます。
専門棟のエレベーターを降りて、ビックリ!
いきなりオヤジが立っています。
さらに驚いたのは、隣に車イスに乗ったオフクロがいるではありませんか。
「かあさん、どうしたの?」
「だって今日は、おとうさんの誕生日でしょう。介護師さんに言って、連れてきてもらったの」
と、うれしそうに笑うオフクロ。
2人を、よーく見れば、しっかりと手をつないでいます。
(おうおう、仲のよろしいことで)
「お前は、誰だ?」
早くもボケの先制攻撃が始まりました。
「ジュンだよ」
「なんで、いるんだ?」
「じいさんの誕生日だからだよ」
「えっ、オレのか? 今日は9月20日か?」
(自分の誕生日は覚えているようです)
「そうだよ。おめでとう。いくつになったんだい?」
「・・・、わからない」
「91歳だよ」
「そうか……、91歳か……」
去年までは毎年、アニキと一緒に、オヤジの好きな寿司と焼酎で祝っていたんですけどね。
そのアニキも現在、足を骨折して入院中なのであります。
おまけに施設は、飲食物の持ち込みは一切禁止されています。
ごめんな、オヤジ。
なんのプレゼントもなくて。
退所したら、好きなだけ焼酎を飲ましてやるからな。
そう告げて、オフクロの車イスを押しながら、専門棟を出ようとした時です。
オヤジが、僕のシャツの裾を握って話さないのです。
「ジュン、お前は、これからどこへ行くの?」
「帰るんだよ」
「どこへ?」
「家に決まっているだろ」
そう言うと、オヤジは、さらにシャツの裾を強く握って、
「オレも帰る。帰りたい。帰ろう」
マイッタ!
この時ばかりは、返す言葉がすぐには見つかりませんでした。
オヤジの目が、小さい子どもが親をしたうように、ウルウルと揺れているのです。
「ああ、もうすぐ帰れるよ。今日は無理だけどね」
うしろ髪を引かれながら、専門棟を後にしました。
今日は朝から 「敬老の日」 が、どうしても僕には、オヤジの声と重なって 「“けーろー”の日」 に聞こえてしまうのです。
2015年09月18日
マロの独白⑦ 人気者でいこう!
こんにちワン!
マロっす。
ここんちの飼い犬、チワワのオス、9才です。
お久しぶりでやんす。
みなさん、お元気でした?
オイラっすか?
オイラは、ちょっとストレスがたまり気味なんですよ。
だって、この空模様ですからね。
大好きな散歩に、なかなか連れて行ってもらえません。
て、いうか、日々、東奔西走しているご主人様を見ていると、そんな我がままは言えないんですけどね。
今日もご主人様は、ぼやいていましたよ。
「ったく、洗濯物が乾きゃしない!」
そう言って、そそくさと部屋干しされた半乾きの洗濯物を大きな袋に詰め込むと、出かけて行きました。
と思ったら、しばらくすると、同じ袋を2つ抱えて帰って来たのです。
<あらら、ご両親のところ(施設) には、行かれなかったのですか?>
と問えば、
「行って来たさ。ほれ、もう、こんなにも次の洗濯物が出ているんだぜ!」
そう言うと、洗濯機の中に放り込みました。
「今日も、この天気じゃ、乾かないな~」
そんなご主人様を見ていると、やっぱりオイラ、<散歩へ連れて行け、ワンワンワ~ン!> とは言えませんよ。
でもね、うれしいことだってありますよ。
ご主人様の言うことには、オイラって、人気者なんですって!
このブログを読んでいるご主人様の友人や知人から、オイラ宛てにメールが届くらしんです。
“マロ君へ” って。
でもね、内容はオイラ宛じゃないんですよ。ご主人様へなんです。
そして、最後に “ご主人様にお伝えください” と結ばれているらしいっす。
ご主人様ったら、
「なんだよ、最近、こんなメールばっかりじゃないか。遠回しなメールだな。まっ、いっか。そんだけマロが人気者だっていうことだよ」
ですって。
デヘへへへ~、なんか、うれしいっす!
オイラって、そんなに人気があるんですかね。
読者のみなさま、これからも、ご主人様ともども、このマロもよろしくお願いいたしやす。
人気者でいこう!
2015年09月16日
磯部温泉 「見晴館」
う~ん、嫌いじゃないんですねぇ……。
いえ、はっきり言って、好きなんです。
こういう、小さな宿。
風情があって、落ち着いていて、まさに “旅の宿” を感じます。
温泉街から一本道をへだてた高台の石畳。
入口には、“旅籠や” の文字。
佇まいも、玄関も、ロビーもこじんまりしていますが、清潔感があり、コンパクトにまとまっています。
客室は2階に、わずか10部屋。
広さも10畳ほどですが、「見晴館」 の名にふさわしく格子窓越しに温泉街を望み、なんとも旅情に満ちています。
いえね、僕が部屋に入って、真っ先に気に入ってしまったのは、広縁なんです。
最近の旅館やホテルは、これがないところも多いんですよ。
昭和の頃の旅館には、必ずありました。
小さな宿ですから、広縁も広くありません。
それでもトイレと洗面所の間に、小さいながら丸テーブルとイスが2脚置かれています。
障子窓を開けると、たった今歩いてきた石畳の道が見下ろせます。
「ああ、気に入っちゃった! ここでビールが飲みたいなぁ~」
と開口一番、本音をもらす僕。
するとカメラマン氏が、
「久しぶりに、撮りましょうか?」
と、冷蔵庫から瓶ビールを取り出してきました。
“久しぶり” というのは、かつて同じロケーションで撮影したことがあるからです。
あの時も、石畳の温泉街を眺めながら、ビールを飲みました。
※(拙著 『みなかみ18湯』下巻のP92を参照)
ということで、2年ぶりに広縁でビールを飲むシーンを撮影しました。
とにかく居心地の良い宿なんです。
小さい宿というのは、浴室へ行くにも、食事処へ行くにも、動線に無駄がなくていいですね。
また、その館内をきびきびと動き回っているご主人や女将さんの姿にも、とっても好感がもてました。
もちろん、夜は名物の「ふわふわ豆腐鍋」 を存分に堪能。
そのフワフワで、トロトロの食感は、クセになりそう。
溶け出した豆腐のスープも、最後の一滴まで残さずにいただきましたよ。
群馬には素敵な宿が、まだまだたくさんありますね。
2015年09月14日
アグネスの言うとおり
僕の青春の2大アイドルといえば、“麻丘めぐみ” と “アグネス・チャン”。
中学時代の僕の部屋は、壁の隙間がないほどに2人のポスターで埋めつくされていました。
あの頃にあこがれたアイドルって、永遠に不滅なんですね。
今でも2人の大ファンであります。
もちろん、出演するテレビ番組は、必ずチェックしていますよ。
と、いうことで、昨日の早朝(5:10~)。
フジテレビの 『テレビ寺子屋』 にアグネス・チャンが講師として出ていました。
彼女は歌手であり、タレントでありながら教育博士の肩書きを持ち、執筆や講演活動も行っている才女であります。
ま、そんな知的なところも昔から好きだった理由なんですけどね。
で、講話の内容は、“女性が輝くと男性は幸せになる” というテーマでした。
昔に比べたら男女平等が根付いている現代ですが、実情の日本はまだまだ男尊女卑の世界が残っています。
特に、職場。
女性の進出が進んでいる職場でも、組織全体としては男尊女卑の慣習が根深く残っています。
賃金の格差などは、最たるものです。
でもアグネスは、「男女が平等になれば、男性も得する」 のだと言います。
日本では、一家の中で男性が大黒柱として働いているケースが一般的です。
それゆえ、お父さんたちは妻子を養うため、会社でどんなにイヤな目に遭おうと、我慢するしかありません。
でも、もし、妻にも同等の稼ぎがあったら?
アグネスは、アメリカの夫婦の例を話します。
「そんなにイヤな会社だったら辞めれば。私が頑張って働くから」
夫は、その間に次の職を探したり、資格を取得するために学校へ行くことができます。
そうだよ! アグネスの言うとおり!
実は僕も、人生を乗り換えることができた男性なんです。
20年前に会社を辞めました。
その時に、背中を押してくれたのは、家内のひと言です。
「そんなにイヤだったら、辞めちゃえば」
お恥ずかしい話、当時も(今もですが) 家内のほうが僕よりも、収入が多かったんです。
だから、その日から僕が、家事と育児を担当することにしました。
そして、空いた時間を文筆業に費やすことにしました。
男女が平等になれば、もっと女性が社会で輝き、男性は自由になれて、幸せになれるということなんですね。
やっぱ、アグネスは賢いなぁ~!
昔のレコードを引っ張り出してきて、聴こうかしらん。
♪ 丘の上 ひなげしの花で~ ♪
2015年09月12日
H くん、ハーイ!
♪ おやじがすべてだなんて言いませんよ
僕一人でやった事だってたくさんありましたよ
一つだけ言ってみたいのは
おやじが人を疑うことを教えてくれたことを
おやじは悲しいくらいに強い人でしたよ ♪
(『おやじの唄』 by 吉田拓郎)
僕は現在、週に2回、オヤジとオフクロが入所している施設を訪ねています。
2人の洗濯物を回収、および納品するためです。
オフクロは車イスの生活ですが、頭はシッカリしているので一般棟。
オヤジは体は健康なのですが、かなり頭が壊れているので、そんな仲間たちが大勢いる専門棟にいます。
専門棟のエレベーターを降りると、ロビーがあり、たくさんの老人たちがたむろしています。
一瞬、どの人が自分の親か分かりません。
なぜか、老人はみんな同じに見えるのです。
その中で、まず白髪で、やせている男性を目で追います。
すると、
「いつもご苦労さまです。H さんは、ほら、あそこにいますよ」
職員が声をかけてくれます。
「H くん、元気ですか?」
僕の問いかけに、
「ハーイ」
と、元気な返事が返ってきました。
いつからでしょうか、僕とアニキは、オヤジのことを名前で呼ぶようになっていました。
「H さん、息子さんが来ましたよ」
職員の言葉に、
「えっ、オレには息子がいるのか?」
と、いつものボケをかまします。
でもね、毎回じゃないんですよ。
調子がいいときは、「W (兄の名前) か、ジュンか?」 って言う時だってあるんです。
目が見えないので、顔は分からないんですけどね。
「ジュンだよ」
「何でここにいるんだい?」
「洗濯物を取りに来たんだよ」
「誰の?」
「H くんのだよ」
「そうかい、ありがと」
今では、こんな会話が当たり前のこととして受けいられるようになりましたが、最初は抵抗がありました。
だって、あの強くて、恐くて、厳しかったオヤジが、幼稚園児みたいになっちゃって、しまいには息子から 「H くん」 なんて呼ばれているんですらね。
不思議なものですね。
親なのに、接しているときは、完全に “我が子” のように見えるんですよ。
「じぁね、H くん。また来るからね」
そう言って僕がエレベーターに向かうと、オヤジは、ずーって手を振っているのです。
エレベーターの扉が閉まるとき、なんだか我が子との別れのように、胸の奥のほうがキュンと痛くなるのです。
♪ おやじがすべてだなんて言いませんよ
僕一人でやったことだってたくさんありましたよ
一つだけ言ってみたいのは
おやじが人を愛することを教えてくれたことを
おやじはみじめなくらいに一人ぼっちでしたよ ♪
2015年09月10日
夢の架け橋プロジェクト ご支援のお願い
読者のみなさまへ
NPO法人 『湯治乃邑(くに)』 では、群馬県吾妻郡東吾妻町の浅間隠温泉郷地域活性化支援の一環事業として、当域を流れる温川に丸太橋を架ける支援事業を推進しています。
※(当ブログの2015年8月21日 「夢の架け橋」 参照)
現在、地域住民との協力の中、作業を進めておりますが、本プロジェクトを施工するにあたり費用がかかります。
この費用資金をクラウドファンディング 『FAAVO群馬』 を利用させていただいていますが、まだ目標金額に達していません。
この事業にご賛同していただき、ご寄付をいただければ幸いです。
●寄付金は一口 3,000円~です。
本趣旨にご賛同していただけます場合は、『FAAVO群馬』 架け橋プロジェクト支援ページにて詳細が記載されておりますので、ログインしていただき、ご支援手続きをお願いいたします。
※フェイスブックにて、架け橋専用ページもありますので、ぜひ、ご覧ください。
https://www.facebook.com/kakehashi.asamagakushi
NPO法人 『湯治乃邑』 理事長 小暮 淳
2015年09月09日
八塩温泉 「神水館」④
昨日は、3年ぶりに八塩温泉(群馬県藤岡市)を訪ね、半日取材。
夜は、「日本秘湯を守る会」 会員宿でもある 「神水館」 に泊まってきました。
3年前に訪れた時は新聞記事の取材で、女将と若女将から話を聞きました。
と、いうことは5代目主人の貫井昭彦さんにお会いして話を聞くのは、2010年に出版した『群馬の小さな温泉』(上毛新聞社) の取材以来ですから、5年ぶりということになります。
あの頃、ご主人は、まだ40代後半でした。
今は僕と同じ五十路であります(お互い、会わない間に歳をとりましたね)。
老舗温泉宿の主人と、温泉ライター。
互いに仕事は異なりますが、温泉を愛する者同士です。
膝を突き合わせれば、もう、止まりません!
熱い熱い、温泉談義のはじまり、はじまり~!
「富岡製糸場と絹遺産群」 の世界遺産登録の前と後の客の変化から始まり、ネットによる誹謗中傷や秘湯の減少、しまいには某ホテルチェーンの温泉地席巻問題に至るまで、白熱した討論が時間を忘れて繰り広げられたのであります。
で、つくづく僕は感じました。
「ああ、この人は、心底温泉を愛しているんだなぁ~」 と!
いい湯守がいる宿か、そうじゃないか、というのは、その宿に行ってみれば、本当は誰でも分かることなんですね。
なのに現代人は、情報過多の世の中にいて、なかなか自分の五感を使って正しい判断ができなくなっています。
設備やサービスばかりが優先して、肝心な温泉の価値判断が二の次三の次にされています。
「ネット社会の今は、素人誰もが総評論家ですから」
と言って苦笑いをしたご主人の言葉が、僕の胸に突き刺さったまま、今でも抜けません。
源泉の温度は約15℃。
身が縮み上がるような冷鉱泉です。
でも、こんな冷たい鉱泉を、何百年も昔から温めて入っていたのです。
“塩の湯口 八ツ所”
これが八塩の由来です。
戦時中は製塩所があったほど、濃厚な源泉が湧いています。
それゆえ入浴には、加水、加温して使用していますが、神水館には八塩温泉で唯一今でも 「源泉風呂」 があります。
これこそが、ご主人の湯守としてのこだわりなのであります。
「うーーーーっ!」
と気合を入れて湯舟に沈めば、あれよあれよのうちに沈殿していた析出物が舞い上がり、あっとい間にレンガ色の湯舟に早変わり。
そして、その味は、「しょっぱーーーい!」 のであります。
もちろん湯上がりは、熱した旧鬼石町特産の名石“三波石”の上でカモ肉を焼いて食べる 「三波石焼き」 に舌鼓を打ちながら、冷えた生ビールをジョッキで豪快にいただきました。
ご主人、女将さん、またまた大変お世話になりました。
この恩は、いずれ活字にしてお返しいたします。
2015年09月06日
爽快! 滝見風呂
僕は、「内風呂派」 であります。
このブログだけでなく、新聞やテレビでも、そう公言しています。
理由は、1つ。
圧倒的に、鮮度、泉質ともに “湯が良い” からです。
それは、湯守(ゆもり) の技が発揮できる浴槽スタイルということです。
一方、露天風呂は屋外ということもあり、湯が「冷めやすく」 「汚れやすく」、おまけに 「菌が繁殖しやすい」 という悪条件が揃っています。
よっぽど湯量があり、しかも源泉の温度が高くない限り、湯守が理想とする露天風呂は造れません。
いかにも客のニーズに応えて、無理やり造った感のある “なんちゃって露天風呂” が多いことか!
昭和60年代以降のブームに乗って造られた露天風呂のことです。
時々、猫の額ほどの裏庭や駐車場をつぶして造った小さな露天風呂を見かけますが、そのたびに僕は 「そこまでしなくてもいいのに。あんなに、いい内風呂があるのだから」 と、とても残念な気持ちになります。
僕は内風呂派ではありますが、決して露天風呂の存在を否定しているわけではありません。
湯量が豊富で、自然環境に恵まれた温泉では、創業時から露天風呂がある宿もあります。
自然の地形をそのままに造られた野趣にあふれた露天風呂ならば、大歓迎であります。
群馬の場合は、海なし県ですから、渓谷沿いに造られた露天風呂が多いですね。
で、その中でも、天然の滝を眺めながら入れる風呂となると、群馬広しといえども、数えるほどしかありません。
あえて “天然” と書いたのは、庭園風呂や岩風呂と称して、人工の滝を造っている宿もあるからです。
また、滝見風呂といいながら、実は砂防ダムだったりする場合もあります。
正真正銘の自然にできた滝を、湯舟の中から眺められる宿となると、ほんの数軒しかありません。
と、いうことで、僕がコメンテーターを務めている群馬テレビの 『ニュースジャスト6』 では、次回、とても稀少な滝を眺められる温泉宿を紹介します。
露天風呂だけではなく、内風呂から滝が見られる宿もあるんですよ!
ご期待ください。
●放送局 群馬テレビ(地デジ3ch)
●番組名 「ニュースジャスト6」
NJウォッチのコーナー
●放送日 9月10日(木) 18:00~18:35
●ゲスト 小暮 淳 (温泉ライター)
●テーマ 「爽快! 滝見風呂」
2015年09月05日
大事なことは飲み屋で決まる②
あれから、ちょうど1年が過ぎました。
いまだに体重は、13㎏減少したままです。
“あれから” とは、逆鱗に触れた日のこと。
1年前に、ちょっとした家庭内トラブルがありまして、「晩酌断ち」 をしたのであります。
そしたら、あれよあれよのうちに体重が落ちてしまったのでした。
※(2014年9月12日 「逆鱗の功名」 参照)
今でも晩酌はやめていますが、決して酒はやめていません。
睡眠導入剤代わりの寝酒程度は、毎日しています。
といっても、以前から比べたら、めっきり弱くなりましたよ。
それでも酒は、僕の人生には、なくてはならない宝物なのであります。
酒のあるところ仲間が集まり、そして素晴らしき人生のアイデアを導いてくれる “魔法の水” なのであります。
昨晩は、久しぶりに某紙の編集者たちと、高崎市で飲みました。
なぜか、顔を合わせる早々 「今日は、ハシゴをしよう!」 ということになり、駅前から店を物色しながら歩いたのであります。
結局、そんなに飲めるわけがなく、3軒目で解散となりました。
が、河岸を変えるたびに、僕らの感性は研ぎ澄まされていき、次々と奇抜的なアイデアや企画が飛び出すのであります。
エッセイ連載のテーマと切り口から始まり、しまいには書籍化までたどり着きました。
これ、すべて “魔法の水” の成せる業なり。
思えば、今までも僕は、大事なことは、すべて飲み屋で決めていたのです。
これだもの、晩酌はやめても、酒はやめられませんって!
2015年09月03日
夢殺し
劇団員女性殺害事件
いつになく僕は、憤りを感じています。
たぶん、それは殺害された女性と僕に、2つの類似点があるからだと思います。
現場となったアパートの住所は、東京都中野区中央。
僕が10~20代にかけて、夢を追いかけながら暮らしていた町です。
中央線と総武線が走る、中野駅と東中野駅の中間にある閑静な住宅街です。
中野、阿佐ヶ谷、荻窪、高円寺・・・
この界隈は、昔から音楽や芸術、演劇を目指す若者たちが多く暮らしていました。
僕もご多分に漏れず、いつも大きなギターケースを持って、歩いていました。
もう1つの類似点は、彼女が劇団員だったということ。
恥ずかしながら、僕も小さな劇団に籍を置いていた時代がありました。
※(当ブログの2013年4月15日 『ショッカーの「イー!」』 参照)
ま、僕の場合、音楽の合い間に、片手間にやっていた活動なんで、あまり大きな声で言えないんですけどね。
でも、まわりには舞台役者や俳優の道を夢みて、真剣に稽古をしていた仲間が大勢いました。
アングラから喜劇まで、さまざまでしたが、僕は彼ら彼女らの情熱が大好きで、公演のたびにチケットを買って舞台を観に行っていました。
彼ら彼女らは、いつも貧乏でしたね(僕もですが)。
無名な劇団ほど運営が厳しくて、劇団員自らが運営費を捻出するためにバイトをいくつも掛け持ちしていました。
殺害された彼女も、深夜に居酒屋でバイトをしながら役者を目指していました。
彼女の夢は、突然、命と共に奪われてしまいました。
どんなに無念だったことでしょうか。
今月、彼女が出演するはずだった舞台の題名は、皮肉にも 『見果てぬ夢』。
そんな彼女の命と夢を同時に奪った犯人の一刻も早い逮捕を願ってやみません。
2015年09月02日
兄への手紙
先週、オフクロが入所している施設を訪ねたときのことです。
「お前、紙とペンを持っていないかい?」
「あ、ごめん。カバンを車の中に置いてきちゃった。取りに行ってこようか?」
「いいよ。あとで介護師さんに頼むから」
「何を書くのさ?」
「ふふふ」
そう言って88歳の老母は、楽しそうに笑うのでした。
昨日、また洗濯物を取りに、オフクロを訪ねました。
すると、
「はい、これ。W(兄の名前) に渡しておくれ」
「アニキに?」
「そう」
「なんだい、これ?」
「お手紙だよ」
「へー、読んでもいいかい?」
「いいけど、大した事は書いてないよ」
現在、僕の両親は同じ施設に、しばらくの間お世話になっています。
いつまでか、というと、アニキが退院するまでの間です。
先月、アニキがケガをして、突如、入院することになり、僕一人では両親の面倒を見切れなくなり、短期間ですけど施設に預けることになったのです。
※(これまでのいきさつは、2015年8月10日 「ピンチ到来!」、8月17日 「2つのXデー」 をお読みください)
と、いうことで僕は、その足でアニキが入院している病院へと向かいました。
病室へ、そーっと入っていくと、左足をギブスと包帯でグルグル巻きにした痛々しい格好のアニキが、ベッドで本を読んでいました。
「おー、ビックリした! なんだよ、ジュンか」
「だいぶ退屈そうだね」
「ああ、テレビは有料で金がかかるし、ラジオは電波の具合が悪くてNHKしか入らない。結局、一日中本を読んでいるしかないんだ。ところで、何しに来た? オレのところは来らっといいって、言ってあるだろう」
「これをオフクロから預かってきた。渡してくれって」
「なんだい、これ?」
「手紙だってさ」
そう言って、小さな2枚の紙切れをアニキに渡しました。
オフクロの言うとおり、重要なことは何一つ書かれていません。
「元気にやっていますか?」 から始まり、あとは日記のようにダラダラと自分の今の日常が記されているだけです。
「私もリハビリを頑張っているから、Wも先生の言うことを聞いて、1日も早く退院できるように頑張りなさい」 と締めくくられていました。
「ははは」
と、一読した64歳の老兄が笑いました。
「オフクロらしいな」 と。
「ふふふ」 と 「ははは」
ちょっぴり、僕は2人に、やきもちを焼いてしまいました。
2015年09月01日
榛名湖温泉 「ゆうすげ元湯」 「レークサイドゆうすげ」④
霧の中、湖面に何艘ものボートが浮かんでいます。
今日9月1日は、ワカサギ釣りの解禁日。
しかも震災以来、4年ぶりに釣った魚の持ち帰りが可能になりました。
この日を待ちに待った太公望たちが、早朝の榛名湖に詰め掛けています。
僕は、朝湯を楽しみながら、ぼんやりと眺めていました。
榛名湖温泉に取材で泊まってきました。
榛名湖温泉には、2軒の宿泊施設があります。
「ゆうすげ元湯」 と「レークサイドゆうすげ」。
現在は同じ会社の経営なので、どちらの宿に泊まっても両方の風呂に入れます。
といっても源泉は1つ、同じ泉質です。
なのに色が違います。
元湯は無色透明ですが、レークサイドはカーキ色ににごっています。
元湯は循環ろ過式のため、色がないのだろう……と思っていました。
ところが!
4年前の東日本大震災の発生直後は、これが逆転するというミステリーが起きました。
(現在は、双方とも元の色に戻っています)
温泉とは、本当に不思議なものです。
で、昨晩は 「ゆうすげ元湯」 に泊めていただきました。
榛名湖温泉に泊まるのは、今回で3回目です。
でも本館に泊まるのは、なんと初めてだったのです。
最初は取材でレークサイド、2回目は仲間とバーベキューを楽しみにコテージ。
やっと本丸(?) での、優雅な(?) 夜を体験してきました。
午後に到着後は、レークサイドの浴室および入浴シーン、客室、館内の撮影。
夕方から社長室にて、社長および支配人を交えて、取材を兼ねて座談。
その後、本館の浴室および入浴シーンの撮影を終えてから、いよいよお待ちかねの “のん兵衛タイム” の始まりです。
「日本酒を4本用意しておきましたが、足りますか?」
と社長に、からかわれる始末。
どんだけ、のん兵衛のウワサが流れているのでしょうか!
夕げの席に着くと、今度は支配人が登場。
「まずは、利き酒からどうぞ!」
と、テーブルの上には、ズラリと4つの冷酒グラスが並びました。
・水芭蕉 特別本醸造酒 (永井酒造/利根郡川場村)
・秘幻 吟醸酒 (浅間酒造/吾妻郡長野原町)
・大盃 純米酒 (牧野酒造/高崎市倉渕町)
・群馬泉 純米吟醸 (島岡酒造/太田市由良町)
いずれ劣らぬ群馬の銘酒ぞろいです。
ひととおり飲んでから、「やっぱり榛名山に来たら 『榛名山』 でしょう!」 ということになり、社長が用意してくださった地元高崎市の牧野酒造の大盃を浴びることになりました。
※(『榛名山』 は観光用の名称で、酒自体は 『大盃』 であります)
1杯が2杯、2杯が3杯と杯が進み、まだ8時前だというのに、すっかり出来上がってしまいました。
最近は介護疲れのせいか、仕事で取材に出かけるのが、もっぱらの息抜きとなっています。