2016年03月30日
MBSに出演します!
関西のみなさーん、こんにちは!
今日は、近畿地方の方を中心に、お知らせです。
しっかし、なんですな~。
大新聞の全国版の反響というのは、スゴイもんですねぇ。
先日(3月22日) の毎日新聞に載った記事。
方々から連絡や問い合わせなど、電話やメールをいただきましたが、反響はそれだけではありませんでした。
なんでも拙著の出版元によれば、新聞掲載日から急にamazonでの注文が増えたとかで、対応に追われているとのことでした。
所詮、一地方の群馬の温泉ですからね。
僕的には、群馬の人が、もっと群馬の温泉のこと知って欲しくて、シリーズ化してまで執筆を続けているんですけどね。
されど、群馬は全国屈指の温泉大国なのであります。
当然ですが、県外の人にも知っていただければ、県のPRにもなるし、ブランド力も向上するというものです。
ひいては、群馬県民の温泉力も上がる!
となれば、自称 “群馬温泉大使” としての役割も果たせるというわけです。
さてさて、どこでどう話が展開するか、分からないものであります。
突然、関西のラジオ局から出演の依頼がありました。
なんでも番組のパーソナリティーが新聞記事を読んで、僕の活動に興味を持ったとかで、ディレクターから連絡があったのであります。
でも、これは、群馬の温泉の魅力を全国の人に知ってもらうチャンスですぞ!
ということで、快く出演をお受けいたしました。
関西のみなさん、お初にお耳にかかりますが、よろしくお願いいたします。
●放送局 MBSラジオ(毎日放送) 1179kHz
●番組名 「子守康範 朝からてんコモリ!」
6:00~8:00
●出演日 2016年4月1日(金) 6:45~7:00
●ゲスト 小暮 淳(温泉ライター)
2016年03月29日
磯部温泉 「桜や作右衛門」
<芹生(お) うる 沢のながれの細まりて かすかに落つる 音のよろしさ>
駐車場に車を停めて、日本庭園を眺める敷地内に入ると、すぐ右手に歌碑が建っています。
歌人の若山牧水は、大正6年6月に妙義山登山のために訪れ、大正8年4月にも磯部温泉に滞在しています。
2度目の来遊の際、ここ旧林屋に12日間滞在し、多くの歌を詠み、歌集 『磯部鉱泉にて』 を残しました。
旧林屋は明治8年(1875) に、林亭という屋号で料亭兼旅館として創業。
のちに対岳楼林屋と改名。大正、昭和には林屋、はやし屋と屋号を変えながら140年間の歴史を刻んできた磯部屈指の老舗旅館です。
2年前の平成26年3月、現在の館主に経営が移行され、「桜や作右衛門」 として生まれ変わりました。
僕が、ここを訪ねるのは2度目であります。
昨年の夏、磯部温泉の取材の途中で立ち寄り、日帰り入浴だけしました。
やっぱり記事にするには、ちゃんと泊まって、あこがれの歌人よろしく湯を浴み、酒を浴びなければ、いい文章は書けません。
ということで、昨日は夕刻から入り、カメラマン氏と撮影取材を行ってきました。
<霰(あられ) なす 樫の古葉にうちまじり 散りいそぐかも 庭のさくらは>
野天岩風呂は、その名も「樫の湯」。
そして、日替わりで男女が入れ替わる、もう1つの露天風呂が 「湯ざくら」。
どちらも、牧水の歌にちなんで名づけられています。
桜の花は、やっとつぼみが赤くほころび出したところです。
「1週間、早かったな」
「いや、この暖かさです。今週末には咲くでしょう」
湯の中で、そんな言葉を交わしつつ、頭の中は “花より団子” ならぬ湯上がりの生ビールのことでいっぱいだったのであります。
昨晩は、碓氷川のせせらぎを聴きながら、春の宵を酔いしれたのであります。
<川ばたの 並木の桜つらなめて けふ散りみたる 麦畑のかたに>
2016年03月27日
理想の生き方
「小暮さん、しっかりしてくれよ。俺より年下なんだからさ」
オヤジの手を引いて散歩をしていると、時々、声をかけてくる近所のMさん。
御年94歳。オヤジより3つも年上です。
それでいて、町工場を営む現役のエンジニアであります。
今日も散歩の途中、軽トラの運転席から身を乗り出して、オヤジを叱咤激励したのであります。
「今のは誰だい?」
「Mさんだよ。ほら、角の工場の」
「・・・」
老人には個体差があるのです。
それは他人に言われるまでもなく、家族が一番分かっているのです。
でもね……
やっぱり、Mさんのように、いくつになってもボケもせず、現役でバリバリと仕事をしている老人をみると、つい羨ましくて、嫉妬してしまうんですよね。
ついつい卑屈になってしまいます。
そんな僕の心を救ってくれた言葉がありました。
ベストセラー 『嫌われる勇気』 の著者で、哲学者の岸見一郎氏が新聞に書いていた言葉です。
<人間の不幸は、過去を後悔し、未来を心配することから来ている。認知症の人は毎日リセットするわけですから、ある意味理想の生き方かもしれません。>
なるほど、言われてみれば、その通りであります。
認知症のオヤジには、「腹減った」 と 「眠い」 の感情しかありません。
過去の記憶もないし、未来への不安もないのです。
町工場を営むMさんには、きっと仕事への後悔や、今後の人生への不安がたくさんあることでしょうね。
でも、オヤジにはない!
どっちが幸せかは分からないけど、オヤジのほうが “理想の生き方” に近いということです。
2016年03月25日
帰ってきたサトヤマン
高崎市のみなさーん、こんにちは!
またまた地域限定のお知らせであります。
2006年12月~2010年8月、高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(発行/ライフケア群栄) に連載された 『里山をゆく』。
覚えていらっしゃいますか?
このウォーキングエッセイは、連載当時から大変人気がありました。
というのも、取材方法が、ちょっと変わっているのです。
一般の山岳ガイド本は、登山口~山頂までのルート案内ですが、これは違います。
朝、家を出てから帰るまでという、気の長いお話なのです。
しかも、取材方法に “しばり” があります。
マイカー禁止! 公共交通機関の利用または徒歩のみ!
これにより、ぐーーっと登山行程が難しくなります。
ま、登る山が里山 (標高1,000m以下の低山) ですからね。
毎回、登行距離自体は短いのですが、スタート地点の登山口までたどり着くのが至難の業なのであります。
電車やバス、乗り合いタクシー、そして交通機関のない乗り継ぎ地点までは、ひたすら歩きます。
そう、あの人気テレビ番組の 「路線バスの旅」 を地でやっていたのです。
まあ、そんな苦労が実ってか、この人気シリーズは後に、上毛新聞社より 『電車とバスで行く ぐんまの里山てくてく歩き』(1,200円+税) というタイトルで、出版されました。
おかげさまで、増刷までされ、現在でも書店にて絶賛発売中であります。
あれから約6年・・・
な、な、なんと! その 『里山をゆく』 が、読者からの根強いエールに応えて、ふたたび帰って来ることになりました!
と、いうことは、あの2人、そう、僕と担当編集者のY氏の “サトヤマン”コンビも復活したのであります。
「でもさ、あれから6年も経っているんだよ。体力、自信ないなぁ~」
「大丈夫ですよ。そのぶん小暮さんは、やせたから」
と言いながら、今週、シリーズ復活第1回目の企画会議が開かれたのであります。
「やっぱり、電車とのつなぎが悪いですね」
「下山口から駅までは何キロある?」
「えーと……、6キロですね」
「だったら歩きましょう」
「ですね。途中、旧市街地を抜けますから、大衆食堂を見つけて酒を飲みましょう」
と結局は、下山後の酒盛りの算段になってしまうのでした。
♪ 帰ってきたぞ、帰ってきたぞ サトヤマン ♪
2016年03月23日
あずまや温泉 「あずまや高原ホテル」
2009年4月に開講したNHK文化センター前橋教室の野外温泉講座。
おかげさまで、僕が講師を務めて丸7年が経ちました。
なんでも全国で温泉講座があるカルチャースクールは、大変珍しいんですってね。
さすが、温泉大国群馬であります。
そんな珍しさもあってか、昨年からは県外からの受講生が増えつつあります。
今回も、わざわざ駅前ホテルに前泊して神奈川県から参加してくださった新入生がいました。
これって、講師としては、メッチャうれしいことなのであります。
ということで、昨日は平成27年度最終講座の講義に行ってきました。
バスで高速道路を飛ばして出かけたのは、長野県上田市のあずまや温泉であります。
この講座では、県内と隣県の名湯と秘湯をめぐっています。
上田市といえば、今や大河ドラマで話題の 「真田の里」 であります。
インターを降りてからは、道の両脇に六文銭の旗や真田の文字が書かれた看板が、やたらと目立ちました。
あずまや高原ホテルは、日本百名山の一座、四阿山(あずまやさん) の 中腹、標高1,452メートルの高原にある “雲の上の一軒宿”(とパンフレットには書いてある)。
でも、そのコピーに、嘘偽りはありません。
まー、とにかく眺望が素晴らしい!
僕が今年度の最終講座に、ここを選んだのも、雪解けの今頃の景色が美しいと聞いたからです。
「天気が良くて、よかったですね。うちの売りは、この景色ですから」
とは、出迎えてくれたホテルのフロント係のスタッフさん。
「この講座って、ほとんど雨に降られたことがありませんよね」
と受講生の一人が言えば、
「先生が、晴れ男なのよ」
他の受講生が、すかさず言葉を継ぎました。
言われてみれば、本当に天気には恵まれている講座です。
「うわーーーーーっ!」
露天風呂で、喚声が上がります。
雲ひとつない青空の中、正面には噴煙を上げる浅間山の雄姿。
遠くには、巨大な城壁のように連なる雪の北アルプス連峰。
まさに掛け値なしの絶景大パノラマが広がっています。
湯は、サラリとした単純温泉。
露天風呂は2段になっていて、上は熱め、下はぬるめ。
上段の風呂には、「うつかるの湯」 と書かれた立て札が・・・
但し書きによれば、“うつかる” とは信州弁で、壁などにもたれかかることだとか。
なるほど、景色に向かって湯舟に沈むと、背中側の壁が斜めになっていて、ちょうどいい具合にもたれかかれるのであります。
これは素晴らしい!
長年、各地の温泉を入り歩いてきましたが、“背もたれ傾斜” のある湯舟は初めてであります。
感心するとともに、その心地よさから、ついつい長湯になってしまいました。
もちろん、のぼせる前に上がり、早々に受講生たちと湯上がりビールを楽しんだことは、言うまでもありません。
さて来月は、いよいよ8年目に突入であります。
おかげさまで本講座は、すでに予約で、ほぼ満席とのこと。
でも若干(1~2名) の空きはあるようですので、興味のある方はセンターまで、お問い合わせください。
2016年03月22日
ごめんなさい、全国版でした!
西日本のみなさーん、こんにちは!
はじめまして、小暮です。
と、いうことで、ごめんなさい!
今日の毎日新聞に掲載された記事、東日本版だとばかり思っていました。
(だって、担当の記者さんが、そう言ったんだもの)
で、その記者さんが、今日になって、あわてて連絡をしてきました。
「すみません、全国版でした」 ってね。
(別に、謝ることはないんですけど)
僕も今日は一日出かけていて、ブログをチェックしていなかったのがいけないんですけどね。
先ほど帰って来て、コメント欄を見て、ビックリ仰天!
西日本の読者からのコメントが入っているではないですか!
と、いうことですので、今日掲載された記事は、全国版でした。
お詫びして、訂正いたします。
いやいや、しっかし、朝から電話やらメールやら、来るわ、来る来る。
県内外の友人、知人から温泉関係者まで。
特に、温泉関係の方からは、
「小暮さん、よく言ってくれた! さっそく記事をコピーして、みんなに配るよ」
とまで言ってくださいました。
と思えば、毎日新聞以外の新聞社の方々からも、次々に電話やメールが届きました。
(やっぱり、チェックしているんですね)
みなさん、お忙しいのにマメにご連絡をいただき、ありがとうございます。
そして、今回の記事を読んで、初めて僕のことを知って、さっそくブログに遊びに来てくださった全国の温泉ファンのみなさん、これをご縁に末永くお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
ただただ、みなさんに感謝です!
2016年03月21日
明日の毎日新聞
東日本のみなさん、こんにちは!
今日は、広域の読者に向けて、お知らせであります。
しっかし、なんですな。人生というのは、時々、思いも寄らぬ事が降って湧いて来るものであります。
過日、ブログに 「新聞社から取材を受けた」 と書いたのを覚えていますか?
そう、“消えゆく温泉” について語った日です。
※(2016年3月4日 「温泉が消える!」 参照)
で、あの時、毎日新聞社から取材の依頼がありました。
ま、過去にも俗に “三大紙” と呼ばれる大新聞社から取材や連載の依頼を受けたことはありましたので、「はいはい、どうぞ」 と気軽に受けたのであります。
でも、なんかヘンなのであります。
いつもは講演やセミナーなどのイベント会場へ取材に来るのですが、「じっくり話が聞きたいからと」 と喫茶店に呼び出されました。
それも1度ないし、2度もです。
しかも途中で、異例の原稿チェック(校正) が入りました。
さすがに僕も、なんだか今までの取材と雰囲気が違うことに気づき、記者に尋ねました。
すると、なんと!
地方版ではなく、本社扱いの東日本版での掲載だといいます。
※(東日本=関東甲信越、静岡~北海道)
てっきり僕は、三大紙からの取材だけに、当然、群馬版での掲載だと思い込んでいたのでビックリ!
これは大変なことになったぞ~! もっとマシな事を話さなくっちゃ!
と、あわててみても、時すでに遅しであります。
記者いわく、
「突発的な大事件などによる紙面変更がない限り、22日の火曜日に掲載されます」
とのことでした。
内容は、年々姿を消していく温泉を守りたいと、講演やセミナー、NPOなどの活動をしているヘンなオジサンが、群馬県にはいます! というものです。
ご興味がある方は、ご覧ください。
2016年03月18日
河童をめぐるエトセトラ
高崎市民のみなさーん、こんばんは!
今日は、地域限定でお送りします。
旧高崎市内の約9割の家庭や事務所に無料配布されている 「ちいきしんぶん」(発行/ライフケア群栄)。
現在、僕はこのフリーペーパーに 『民話と伝説の舞台』 というエッセイを不定期連載しています。
このエッセイは、群馬県内に今も残る民話や伝説の舞台となった現場へ行き、史実か創話かを検証する時空ミステリーであります。
で、次回の掲載日が決定したので、ご報告いたします。
4月1日(金)号です!
シリーズ16回目の謎は……。
「この世とあの世を行き来する国道」 と題して、摩訶不思議な伝説の世界へ読者を誘います。
さて、そこはどんに場所なのでしょうか?
乞う、ご期待ください。
と、いうことは、次々回の取材のはじまりであります。
と、いうわけで、今日は編集室にて、企画会議が行われました。
テーブルの上には、すき間なく広げられた資料、資料、資料の山。
群馬県内全市町村に伝わる民話や昔話がジャンル別、地域別にまとめてあります。
で、編集長と相談した結果、次々回のターゲットは “河童” に決定!
そう、あの伝説上のキュウリを食べるという川にいる生物、カッパであります。
これが調べると、いるわ、いるわ、県内全域にわたり伝説が残っているのです。
みなかみ町、中之条町、富岡市、みどり市、玉村町……などなど。
でもね、昔話だけ伝わっていても、この企画はダメなんです。
“今” がなくてはなりません。
現場があり、物的証拠があり、信じる人たちがいてこそ、時空のミステリーが存在するのであります。
「たくさんありますね」
「そうだね。どこでも良さそうだけど、どこも、これ!という決めてに欠けるよね」
すると編集長が、
「小暮さん、これ、どうですか!」
と大きな声を上げて、資料の一文を指差しました。
<伝承にはないが、川に水死がでると、「今年は七年目にちがいない」 といって、子どもには川遊びをさせなかった>
「7年目?」
「ええ、なんでもカッパは村人に、『7年に1度出てやる』 と言い残して消えたらしいんですよ」
「それで水死者がでると、今でもカッパのしわざと思うわけだ」
「しかも、今でも村人の家には、カッパが残していったものがあるらしいですよ!」
「決まりだな、次はこれでいこう!」
と、いうことで僕らは近々、カッパを追って謎学の旅に出かけることになりました。
2016年03月16日
倉渕温泉 「長寿の湯」④
“秘湯は人なり”
この言葉は今から10年前、ある人に出会ってから使い出した言葉です。
その人とは、倉渕温泉(群馬県高崎市倉渕町) の一軒宿 「長寿の湯」 の女将、川崎節子さんです。
当時の雑誌に、僕は女将さんとの出会いを次のように書いています。
<「女将さんに、つかまるなよだって! 私はさ、話好きだからね」 そう言って、声高に笑ってみせた。いい宿の条件は、人それぞれだと思う。温泉があり、情緒があれば、まずは文句はない。でも、やっぱり人情が旅のスパイスだ。宿に着くなり、女将の人柄に魅了されてしまった。>
「女将さん、ご無沙汰しています。病気をされたと聞きましたが、もう大丈夫なんですか?」
僕は昨日、2年半ぶりに宿を訪ねました。
女将さんは昨年の夏、体調を崩して入院していました。
「女将さんの笑顔を見て、ホッとしました。元気で良かった!」
と言えば、
「うん、私はね。でも犬が死んじゃったの。それとね、小暮さんと写っていた、あのおじいさんも去年、亡くなったのよ」
とショックを隠せない様子。
“あのおじいさん” とは、2011年2月に朝日新聞に掲載された 『湯守の女房』 という僕の連載記事のことです。
この記事の取材時、湯舟で一緒になった常連客と写真を撮ったのです。
今でも新聞のコピーが、宿のロビーに掲示されています。
<「ここは湯もいいが、やっぱり女将が一番いいね」>
記事には、常連客の言葉が載っています。
「とりあえず、ひと風呂浴びてきます。話は食事の時でいいですか?」
「ああ、それでいいよ。今日は他に泊まり客はいないからさ」
と言っていたのですが、いざ夕食をいただきに食堂へ行ってみると、他に男性客が1人いました。
「どれが美味しいの?」
40品目以上ある壁のメニューを見ています。
「全部だよ。私が作るんだからね」
そう言って女将さんは、いつものように声高に笑うのでした。
予約ではない、飛び込みの宿泊客のようです。
こんな急な客でも女将さんは、嫌な顔せず、満面の笑みで気さくに迎えてくれるんですね。
「では、取材は食事の後にしましょう」
ということで、まずは湯上がりの生ビールをジョッキで飲み干したのであります。
女将さんの元気に、カンパ~イ!
2016年03月13日
救えた命
数日前の毎日新聞に、興味深い記事が載っていました。
<自殺の名所で知られるアメリカ・サンフランシスコの金門橋で、飛び降り自殺をしかけているところを発見され、警察官に強制的に追い返された人たちの、その後を調べたところ、数年後の生存率は9割を超えていた>
この記事を書いた精神科医は、「自殺者の行動は矛盾に満ちている」 と言います。
たとえば、自殺する当日に、残り少なくなった洗剤やシャンプーを補充したり、かかりつけの病院で糖尿病や高血圧の薬をもらっていることがあるそうです。
今日、死ぬのであれば不要なことをしているのです。
「こうした矛盾が示唆するのは、“覚悟” ではなく “迷い” だ」 と。
たった1度の自殺を食い止めただけで、その後の運命は大きく変わるということです。
テレビでは連日、中学生の自殺報道をしています。
去年の12月、広島県の中学3年生の男子が、誤った万引き記録に基づく進路指導を受けた後に自殺したというニュースです。
またしてもマスコミは、鬼の首を取ったように、学校側の管理体制を糾弾しています。
確かに学校側に落ち度があり、それを認めています。
でも医療機関が薬の投与を誤って、患者を死に至らせたミスに比べたら、直接の死因ではありません。
原因なのです。
もちろん、事故にしろ事件にしろ、原因の究明は必要です。
が、いつもいつも原因の究明ばかりで、一向に自殺の防止策が語られないのはなぜでしょうか?
いじめによる自殺のときと、まったく同じであります。
僕は、またまた憤りを感じています。
原因を解明して、取り除いたところで、自殺はなくなりません。
「なぜ自殺をしたのか?」 を論じる前に、「なぜ自殺を防げなかったのか?」 という対策のほうが急務だと思うのです。
広島県の中3男子だって、もし、まわりの大人たちが気づいて、自殺を阻止できていたならば……。
今頃は、疑いも晴れて、希望する高校に合格していたかもしれないのです。
またしても残念でなりません。
2016年03月11日
あの日から5年 大胡温泉
<グラリと、とてつもない大きな揺れが東日本を襲った。「長年生きてきたけど、こんな揺れは初めてだよ」 と叫ぶ、女将の中上ハツヱさんをはじめ、息子で2代目主人の富男さんらとともに、屋外へ駆け出した記憶が昨日のようにありありと目に浮かぶ。>
( 『新ぐんまの源泉一軒宿』 より)
5年前の今日、みなさんは、どこで、誰と、何をしていましたか?
僕は毎年、あの日と同じ場所で、同じ人たちと、黙とうを捧げています。
「ご無沙汰して、すみません」
半年ぶりに現れた僕を、女将さんは、あの日と変わらぬ着物姿で出迎えてくれました。
「小暮さん、最近来ないねえって、いつも話しているのよ。電話してみようか?って言うと、『忙しい人なんだから、やめろよ』 って、そのつど息子に怒られてるのよ」
そう言って、満面の笑みを浮かべるのでした。
申しわけありません!
決して忙しぶっているわけじゃないんですよ。
そして、女将さんをはじめ、スタッフのみなさんのことを忘れていたわけでもありませんって。
いつもいつも、気にはかけていたのです。
だから絶対に、この日だけは会いに行こうと決めていたのです。
もう5年も経ったのですね。
まだ5年という人もいるでしょうけど、僕には5年も経ったことのほうが信じられません。
あの日、あの時、ふらりと湯を浴みに立ち寄った温泉で、あの未曾有の激震を体験しました。
たまたま僕以外に客はおらず、女将さんと息子さんと、従業員の方と全員で旅館の外へ飛び出し、駐車場の松の木の根元で、揺れがおさまるまで身をかがめていました。
「まだ黙とうまで時間がありますから、湯をいただいてきます」
とタオルを手に、離れの浴棟へ。
今日も、あの日と同じ、ガツーンと手応えのある熱めの湯が待っていました。
これまた、あの日と同じ、貸切状態。
窓を開け放ち、湯の中から池のまわりを囲む桜並木を眺めていました。
「今年は桜が咲くのが早いかもしれないな」
あの日、同じことを思った記憶がよみがえってきます。
湯から上がり、脱衣場で服を着ていると、男性客が入ってきました。
「小暮さんが来ていると聞いたもので……」
「あ、は、そうですか」
と面食らう僕。
最初はビックリしましたが、話を聞けば読者様でした。
なんでも僕の講演を聞きに来てくれたこともあるそうで、著書も持っていて、湯めぐりを楽しんでいるのだといいます。
気が付けば、服を着るのも忘れ、温泉談義を始めていました。
「黙とう!」
午後2時46分。
大広間に居合わせた浴客らとともに、テレビに向かって黙祷を捧げました。
あの日から5年。
被災地の人たちにとっては、長い長い5年間だったことでしょうね。
もう5年、まだ5年……。
日本全国で、思い思いの5年間を振り返っていることでしょう。
日本人として、あの日あの時を忘れないために、僕はここに来るのです。
2016年03月10日
かわいそうな現代人
『保育園落ちた 日本死ね!!!』
ブログをきっかけにネット上で話題となり、ついには国会へと波紋が広がっています。
いわゆる “待機児童” の問題です。
実は、僕の孫も現在、待機児童なのであります。
二浪の末、やっと今春から保育園に入れることになりました。
その間、娘夫婦は、昼間はムコが働いて、夜間は娘が働いて、交互に孫の面倒を看ていたようです。
同時進行の共働きが不可能なので、仕方なく時間差で共働きをしているのが現状です。
でも、おかしな話ですよね。
昔のほうが子どもの数が多かったのに、待機児童の話なんて聞きませんでしたよ。
ま、僕らが子どもの頃は、幼稚園や保育園に通わない子も大勢いましたけどね。
それにしても、不思議です。
なぜ今、こんなにも保育園と保育士の数が足りないのでしょうか?
「今の人たちは、かわいそうだね。共働きをしないと生活ができないんだからさ。昔は、どこの家も、お父さんが一人働けば、一家全員が食べていけたのにね」
これは、今年89歳になるオフクロの言葉です。
「しかも昔は、もっと子どもの数が多かったんだよ。5人兄弟、6人兄弟なんて当たり前だった。なのに、お父さん一人の稼ぎで生活ができたんだからね。大変な世の中になったもんだ」
確かに、オフクロの言うとおりなんです。
僕のうちも、友だちのうちも、商売をしている家を除けば、共働きの親なんて、いませんでした。
オフクロいわく、
「専業主婦が当たり前の世の中だったし、主婦が勤めようと思っても仕事がなかったけどね」。
では、昔のお父さんは、今のお父さんの何倍も稼いでいたのでしょうか?
この問いに対して、オフクロは、
「昔は、今みたいに、お金がかからなかったんだよ」。
冷蔵庫や電子レンジ、エアコンなどの電化製品はもとより、クルマも電話もなかったわけですからね。
「食費と家のローンしか出費はなかったんだよ」
便利になったぶん、出費もかさむ世の中になったということです。
はてさて、不便でも金をかけずに手をかけて暮らしていた昔が良かったのか?
便利だけど、お金がかかる現代のほうが暮らしやすいのか?
その中間の、ちょうどいい時代というのは、いつだったんでしょうね。
2016年03月09日
マロの独白⑬ 円が無い
こんにちワン! マロっす。
ここんちの飼い犬、チワワのオス、9才です。
お久しぶりでやんした。
しっかし、なんですね。
世の中、金、金、金の話ばかりで、イヤになっちゃいますね。
横領、賄賂、詐欺、強盗、賭博・・・みーんな金ですもんね。
なんで、こんなにも人間界は、いつも金に振り回されているのですか?
オイラたち犬族をはじめ、人間以外の生き物は、金とは無縁の世界にいるので、さっぱり分かりませんって。
「ねえねえ、ご主人様? どうして人間は、そんなにもお金が好きなんですか?」
「だね、オレには良く分からないけど、みんな裕福になりたいんじゃないのかな」
「へー、人間はお金があると裕福になれるのですか?」
「まあ、一般的には、そういうことになっているんだよ」
うちのご主人様は、あまりこの手の話題には興味がないようです。
「どうして、お金があると裕福になれるのですか?」
「だって、いろんな物が買えるだろう。お前のドッグフードだって、もっとお金があれば、もっと美味しい物が食べられるんだよ」
「えっ! 世の中には、もっと美味しい食べ物があるんですか!?」
そういうことだったんですね。
オイラは生まれて9年間、ここんちの食事しかしたことがないから知らなかったのですが……。
「お金って、すごいですね!」
そう言うと、ご主人様は返事に困ってしまったようで、口をつぐんでしまいました。
だから、ちょっと質問を変えてみました。
「お金って、なんでも買えるのですか?」
「まあ、たいがいのものはな」
「買えない物もあるんですか?」
「ああ、あるよ。目には見えないものが多いけどね」
「たとえば、何ですか?」
なんだか、ご主人様は困った様子です。
きっと犬のオイラでも分かるような例を挙げようと、思案しているようであります。
「そーだなぁ……。たとえば……」
「たとえば?」
「マロだな」
「えっ、オイラですか? でもオイラはペットショップで売られていたんですよ。お金で買えるじゃないですか?」
「でも、お前は売れ残った」
「そうですけど」
「だから福引の景品になった」
「そのとおりです」
「そして、うちが当てたんだ」
「はい、だから、こうしてオイラはここにいます」
※(経緯については当ブログの2015年6月6日 「マロの独白②」 を参照)
「これを “縁” というんだ」
「その縁というやつは、お金では買えないということですね」
「そうだよ、バカに物分りが早いじゃないか!」
て、いうか、うちのご主人様は、“円”には“縁”が無いものだから、無理やり屁理屈を言ってるんですよ。
でも、なんだか、ご主人様の言いたいことは分かるような気がします。
ただ世の中には、もっと美味しいドッグフードがあったとは……。
一度、食べてみたいワン!
2016年03月07日
オヤジ史④ 「未完の書」
“人生は自己表現の場だ”
“人生は保障が大きいほど中身が小さくなる”
これがオヤジの口ぐせでした。
いえね、まだ生きてますよ。
でも 「でした」 と過去形なのは、もう、そんなことは言わなくなってしまったからです。
オヤジの認知症は、日を追うごとに進んでいます。
大正13年(1924) 生まれ。
オヤジは今年、92歳になります。
昔から破天荒で、他人と同じ事、生き方をするのが苦手な人でした。
組織や大勢を嫌い、いつも一匹狼で、独創的な人生を歩んで来た人であります。
そんなオヤジは晩年、自叙伝を書こうとしていました。
現役を退いた後は、過去の資料を集め、着々と執筆活動の準備を始めていました。
が、その矢先、認知症が始まってしまったのです。
2年半前の夏、僕は記憶を失いつつある親父に代わって、ゴーストライターを買って出ることにしました。
定期的にオヤジをテーブルの前に座らせ、録音機をセットして、出生から生い立ち、少年時代、戦時中の話を聞き出しました。
※(当ブログの2013年8月15日 「オヤジ史① 終戦記念日」 参照)
その間にも認知症は進行していましたが、今日のことは覚えていなくても、古いことは鮮明に思い出せるのでした。
終戦後は進駐軍で通訳をしていたこと、その後は英語力を生かして塾を開業したこと、そしてそして、オフクロとのラブロマンスも、息子として初めて知ることができました。
ところが、そこから先の聞き取りが、遅々として進みません。
認知症が進むにつれて、近年の記憶が、どんどん加速を増して消えていくのであります。
昭和も後期になると 「どうだったかなぁ~」 「忘れたなぁ~」 という発言が多くなり、平成のこととなると、ほとんど記憶がありません。
死んだ自分の兄弟の名前はスラスラと出てくるのに、子の嫁や孫の名前は、なかなか出てきません。
ともすれば、僕やアニキにさえも 「お前は誰だ?」 と言う始末です。
そんなわけで、オヤジの自叙伝の制作は現在、頓挫しています。
彼が人生で一番輝いたのは、晩年でした。
国を相手に闘った自然保護活動の詳細が聞けないのは、今となっては残念ですが、資料なら残っています。
わずかでもオヤジの記憶が残っているうちに、少しでも多くの足跡をたどりたいと思っています。
2016年03月05日
あっぱれ!15歳
泣けた!泣けた!泣けた~!
またしても寝不足であります。
昨晩の世界卓球女子団体戦。
準決勝、日本-北朝鮮。
エースの石川佳純、キャプテンの福原愛のあぶなげない試合をのんびりと仕事の手を休めずに見ていました。
2-1で迎えた3番手は、第1試合を惜しくも落としている最年少の伊藤美誠(みま) ちゃんです。
そう、彼女はまだ15歳なんですよ。
中学3年生です。
なのに世界という大舞台で、しかも第1試合を落としたプレッシャーを抱えながら、精神的にも肉体的にも疲弊している小さな体で、果敢にフルセットを戦ったのであります。
もう、その健気な姿にオジサンの涙腺は、ゆるみっぱなしだったのであります。
「そうそう、それでいいんだよ」 「あと1本だ」 「こらえろ、こらえろ」 なーんてね。
手に汗を握りながら、自分の娘を応援している心持ちでした。
相手の北朝鮮の選手は、いや~なカットマンなのです。
実は僕、中学時代は卓球部でしたからね。
カットマンのしつこさは知っているのですよ。
打っても、打っても、スローなカッティングで球を返してくるんですね。
虎視眈々と、こちらがミスするのを待っているのです。
だから、つい、イラッとして攻撃に出てしまう。
それこそが相手の思うツボなのです。
でも美誠ちゃんは、違いました!
ねばって、ねばって、ねばって、チャンスを待ちました。
そして、ついに勝ち取った決勝へのカード!
もうダメです。
目も鼻も、グチョグチョであります。
感動と興奮で、しばらくは床に就くことができませんでした。
いやはや、あっぱれ!15歳!
それにひきかえ、なでしこジャパンはどうした!
澤さんがいなくなると、こうも違うものなのでしょうか?
2016年03月04日
温泉が消える!
「県内温泉の総湧出量に減少傾向が見られる」
と、群馬県温泉協会が発表しました。
群馬県内には455本の源泉があり、その3分の2は掘削泉です。
それらの源泉の湧出量が、掘削時に比べて湧出量が減少しているとのことです。
これについて同協会の岡村興太郎会長は、
「現状に危機感を感じている。この傾向を止めなければならない」
と述べ、温泉源の管理者に対して、湧出量や泉温などの状況を継続的に把握するように呼びかけています。
(2016年3月3日付の上毛新聞より)
では自然湧出泉については、どうなのか?
これについても岡村会長は、かつて同協会の会報誌で、以下のように述べています。
「明治25年に発行された群馬県の温泉分析書 『上野鉱泉誌』 によると、この中に県内74ヶ所の温泉分析書と効能が記載されており、そのうち現存する温泉は30ヶ所余りとなっている。」
当然のことですが、消えた40以上の温泉は、すべて自然湧出泉ということになります。
消えた原因について会長は、「昭和30年代以降の温泉掘削技術の進歩」 を挙げていますが、近年はそれだけが原因ではなくなっています。
高齢化による後継者不足や大温泉地の観光地化による経営不振なども、“消えゆく温泉” に拍車をかけています。
そのスピードは留まることを知らず、また1つ、また1つと毎年数軒の小さな温泉宿(地) が消えているのが現状であります。
昨日、某新聞社から 「消えていく温泉について、お話をうかがいたいのですが?」 という取材依頼がありました。
もちろん、二つ返事で承諾しました。
「いよいよ新聞が動き出したか!」 という喜び半分、「それほどに危機的な状況なのだ!」 という不穏な気持ちも同時に湧いてきました。
でも、本当のことを知ってほしい。
僕でお役に立てるならば、知っていることはすべてお話しようと思います。
掲載日等、詳細が分かりましたら、ブログ上にて公開いたします。
2016年03月03日
やさしい判決
どんだけの国民が、安堵したことでしょうか!
認知症の高齢者が列車にはねられ、鉄道会社に損害を与えた場合、家族が賠償責任を負うべきかが争そわれた裁判で、 「家族に責任はなし」 との判決が下りました。
我が家も他人事ではありません。
固唾をのんで、裁判のゆくえを見守っていました。
オヤジは91歳。要介護認定は2ですが、認知症はかなり進んでいます。
過去には、散歩の途中で行方不明になり、他人様や警察の厄介になったこともあります。
現在は、門扉のカギを二重に施錠して、外出禁止にしています。
が……
いつなんどき、包囲網を突破して、街を徘徊するかは分かりません。
だって、すきあらば、突破しようとしていますからね。
「ああ、外の空気が吸いたいな~」
とかなんとか言って、部屋から出てくると、庭を歩いて門の所まで行きます。
そして、
「あっ、カギがかかっている」
そう言っては、あきらめて部屋へともどって行くのですが、いつも、そうとは限りません。
ウロウロ、ウロウロ、ウロウロ・・・
まるで動物園のクマのように、門の前を行ったり来たり。
時には、ガチャガチャとステッキを使って、カギを壊そうともします。
ま、二重のカギうち1つは、ワイヤー式ですからね。
老人の力では、そう簡単には壊れませんけど。
でもね、ツライものですよ。
クマのように徘徊しているのは、自分の親ですからね。
できるものなら、もっと自由に、好き勝手に、どこへでも行かせてあげたいですよ。
そんなおりに下された、今回の “やさしい判決” は、「この国も捨てたものじゃないね」 という介護へのかすかな希望がもてるものでした。
ただ、認知症の問題は、始まったばかりです。
日本は、ますます超高齢化社会を迎えます。
今後、法律は、どこまで国民にやさしくなれるのでしょうか?
2016年03月01日
島からの熱い風
とてもローカル色豊かな新聞が届きました。
『東京七島新聞』
東京諸島(大島、新島、式根島、神津島、三宅島、八丈島、小笠原諸島) で発行されている地方紙です。
送り主は、海事評論家の森田裕一氏。
実は彼、中学の同級生なんです。
今から4年前、クラス会で39年ぶりに再会しました。
「小暮君のブログ、読んでるよ」
そんな彼からの声かけがあり、意気投合し、2次会、3次会と席を共にしました。
※(当ブログの2012年11月25日 「39年の夢の軌跡」 参照)
以来、時々メールの交換をしたり、その後また同窓会でも顔を合わせました。
先日、その彼から突然、分厚い郵便物が届いたのであります。
<島で役場職員をしていた頃からお付き合いのある地元紙に、時折、東海汽船の船の話を書いています。(中略) プロの先生のお目にかけるのは恥ずかしいのですが、ご高覧いただけましたら幸いです。>
同級生なのに、そんな丁寧な手紙まで添えられていました。
そして新聞には、『幸田露伴の乗った船』 と題したエッセイが、2週にわたり連載されていました。
中学生の時、いつも休み時間になると船の絵を書いていた彼。
船に魅せられ、海にあこがれ、大学卒業後は小笠原諸島、父島の役場に就職します。
ところが 「このままでは生涯、一役場の職員で終わってしまう」 と離職。
42歳で船舶会社に再就職しました。
その間に全国の港をめぐり、客船を写真に収め書籍を出版し、専門誌等に執筆を続けています。
“夢を叶えた男”
僕は彼のことを、そう呼んでいます。
次は、どんな夢を叶えようとしているのでしょうか?
またクラス会で飲み明かす夜を、今から楽しみにしています。