2018年07月30日
介護日和
「この部屋は小さくて、いいですね。私とあなた、ふたりきり。いいですね」
認知症の老人は、突然、脈絡もなく、意味不明なことを言うものなのです。
今年94歳になるオヤジは、認知症の症状が出始めてから、かれこれ10年近くになります。
その症状は、年々重くなる一方で、今では、まったく自分以外の人間は、どこの誰だか分かりません。
(なぜか、自分のことは名前も生年月日も分かります)
平日は、デイやショートステイのサービスを利用しながら、実家にてアニキが面倒を看ています。
週末は、できるだけアニキの負担を軽減するためと、アニキを東京の家族の元へ帰すために、我が家にオヤジを引き取って面倒を看ています。
(オフクロは重度の老衰のため、現在はリハビリ施設に預けています)
問題は、この猛暑です。
昨年までは、難なくこなしていましたが、今年は暑過ぎて、オヤジの熱中症が心配で、介護を苦労しています。
というのも、オヤジを預かっている我が家の和室(6畳) には、エアコンがありません。
例年ならば、日中の暑いうちは僕の仕事部屋に居てもらい、寝るときになると和室へ移動していました。
が、今年のこの暑さです。
夜中でも30℃を下らない熱帯夜であります。
ということで、先週までは僕が実家へ行き、オヤジの部屋に泊まっていました。
でもね、それでは、やっぱりダメなんです。
いくら僕がオヤジの面倒を看ているといっても、アニキにとっては休養にならないのですよ。
東京に帰っているときは、それで良いのですが、こちらに居るときは、気が休まらないようです。
「やっぱり、オヤジを連れてってくれよ」
と言われれば、弟としては従うしかありません。
で、この週末を迎えました。
<最悪、オヤジを俺のベッドに寝かせて、一緒に添い寝をするか……>
と腹をくくっていたのですが、幸か不幸か、台風が日本を直撃しました。
台風の進路に当たって被害が出た地域の方々には、大変申し訳ないのですが、関東地方は接近しただけだったため、適度なお湿り雨となり、気温もグッと下がり、久しぶりに涼しい数日間となりました。
よって、この週末はエアコンいらずで、扇風機の風だけで快適に過ごせました。
そんな台風が去った日曜日の夕暮れ、セミが一斉に鳴き出した時でした。
オヤジが、突然、冒頭のセリフを言ったのです。
目も見えない、耳も聞こえない、耄碌爺さんだとばかり思っていたので、ビックリしました。
“ふたりきり”
って、誰と誰のことを言っているのでしょうか?
オヤジと僕の今年の夏は、まだ始まったばかりです。
2018年07月28日
先行販売のお知らせ
浦島太郎の墓は群馬にあった!
なぜ分福茶釜にはフタがないのか?
カタツムリの魂が宿ったダイロ石
舌切り雀のお宿が群馬にある理由
運命を分ける二つの森
なぜ河童は七年に一度現れる?
などなど、民話と伝説に隠された真実を追った伝奇エッセー 『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) が、いよいよ8月8日に発売されます。
書店やネットでの販売は、それ以降になりますが、それまで待てない “謎学ファン” のために、イベント会場にて先行販売されることになりました。
現在、前橋市の 「フリッツ・アートセンター」 にて、絵本作家の野村たかあきさんの原画展 『落語三席』 が開催中(8月26日まで) です。
会期中、さまざまなイベントが開催されますが、そのうちの1つとして、僕と野村さんのトークショーが行われます。
※(当ブログ2018年7月4日「ふたりのトークショー」参照)
ということで発売にさきがけて、この会場で新刊の先行販売&サイン会を同時開催いたします。
お時間のある方は、ぜひ、遊びに来てください。
もちろん、野村さんの絵本も販売されています。
「落語的対談 野村たかあき対小暮淳 第一回戦」
●日時 2018年8月5日(日) 午後3時~
●会場 フリッツ・アートセンター 前橋市敷島公園内
●観覧 無料 (定員制・要予約)
●問合/予約 TEL.027-235-8989
※『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』 の問合せは、TEL.027-370-2262 (ちいきしんぶん) まで。
2018年07月27日
やっぱり温泉といえば群馬なのです
“群馬といえば温泉、温泉といえば群馬”
そう、言い続けてきました。
これって、見栄でも、ハッタリでもありません。
正真正銘、「日本一の温泉県」 なのであります。
では、その根拠は?
はい、それを説明をするために、僕は講演やセミナーの講師をしているのです。
でも、そのほとんどは群馬県内で、群馬県民に “日本一の温泉県” の自覚を持ってもらうために行っています。
でもでもでもでも! 久しぶりに昨日は、他県民に向けて、群馬の温泉の魅力を話すことができました。
主催者は、某法人団体です。
そして講演の対象者は、関東・甲信越ブロックの方々です。
会場は、交通の便の良い高崎駅ビルに併設された 「ホテルメトロポリタン高崎」。
演壇の上に立つと、聴講者の前には、都県名が書かれたプレートが見えます。
栃木県、新潟県、長野県、山梨県……
いずれ劣らぬ、関東・甲信越を代表する温泉県ばかりです。
メラ、メラメラメラ!
僕の中から一気に闘志が湧き上がります。
各県の温泉の素晴らしさをたたえつつも、最終的には、いかに群馬の温泉がズバ抜けて素晴らしいかに話を持っていきました。
今回は、講演終了後に、著書の販売をさせていただきました。
嬉しいものですね。
他県の人が、群馬の温泉に興味を持ってくださり、本まで買ってくださるなんて!
さあ、全国のみなさん!
“日本一の温泉県”
群馬に、いらっしゃ~い!!
2018年07月25日
上の原温泉 「水上高原ホテル200」④
暑い! あつい!! アツーーーイ!!!!
こんな体温より暑い街には、いられな~い!
そうだ、高原へ行こう!!
ということで、昨日は標高996メートル、白樺林に囲まれた別天の温泉地へ行ってきました。
上の原温泉(群馬県利根郡みなかみ町藤原) のリゾートホテル 「水上高原ホテル200」。
“200” と表記して、「トゥーハンドレッド」 と読みます。
なんで “200” かって?
敷地面積が、200万坪あるからなんです。
“200万坪” といわれても、ピンとこないですよね。
だから以前、取材で訪ねた時に総支配人に訊いたことがありました。
彼、いわく
「芦ノ湖と同じ広さです」
「?」
「東京ドームだと164個分です」
「?」
「う~ん、そうですね、江ノ島10個分というのでは」
「ああ、なるほど」
と返事をしたところで、やっぱりイメージは湧いてきません。
ま、いずれにせよ、ケタ違いの広さであることには間違いありません。
冬はスキー場、夏はゴルフやテニス、トレッキングをはじめとするアウトドアスポーツが楽しめます。
今回は、僕が講師を務める野外温泉講座で訪れました。
「す、涼し~い!」
「気持ちい~い!」
バスから降りた受講生たちは、高原の空気を全身に浴びながら、口々に感想を言い出しました。
でも、ロビー前の寒暖計を見ると、29℃もあるんです。
たぶん湿度が低いんでしょうね。
それと、白樺林を抜けて来る高原の風。
とっても爽やかであります。
ここ上の原温泉は、リゾート地として有名ですが、実は、温泉マニアには知る人ぞ知る名湯なのであります。
アルカリ度を示すpH値は、なんと! 9.26。
アルカリ性の単純温泉と単純硫黄泉の2本の源泉が湧出しています。
その浴感は、まさにトロトロのヌルヌルであります。
湯上がりは、肌がツルツルのスベスベになることから別名 「ツルスベの湯」 なんて呼ばれています。
「美人の湯」 「美肌の湯」 と呼ばれる温泉が多い、みなかみ地区ですが、その中でもダントツに存在感のある温泉です。
「ああ、帰りたくなーい!」
受講生らの願いも空しく、バスは白樺林を抜けて、高原を下り、灼熱の下界へ舞い戻ったのでありました。
2018年07月22日
四万温泉 「やまの旅館」
<レトロ温泉街 懐メロに沸く>
一夜明けた今日、上毛新聞に昨日、四万温泉(群馬県吾妻郡中之条町) で開催された 『レトロ通りの懐かしライブ』 の記事が載りました。
<KUWAバンは四万温泉がテーマの 「四万のうた」 や県内各地の温泉名が登場する 「温泉パラダイス」 を披露した。> と、僕らのバンドのことも書かれていました。
午後1時、メンバーと楽器を車に積み込み、出発したときの前橋の気温は38℃!
渋川~中之条と北に向かうにつれ、外気温は1℃、また1℃と下がります。
そして、山と清流に囲まれた温泉街の駐車場に着いたときの気温は、30℃!
「8℃も違う!」
と喜んだものの、それでも30℃あるわけですから、楽器の搬入やライブ中は、汗だくとなり、常にキーンと冷えた缶ビールが手放せません。
「お疲れさまでした!」
「今年もライブ、大成功でしたね」
「カンパ~イ!!」
夕方、5時。
陽が少し西に傾き出した清流沿いの宿に、片づけを終えたメンバーが集まり、“打ち上げ” 前の “仮祝い” が始まりました。
温泉協会がメンバーのために用意してくださった宿は、温泉街の目抜き通り 「桐の木平商店街」 にある 「やまの旅館」 であります。
「やまの旅館」 といえば、四万温泉ファンの中でも “四万通” が通うレトロ旅館です。
「カメラ、フィルム 山野」 の看板が、かつて、ここが温泉街唯一の写真館であったことを伝えています。
そして、見逃せないのが 「内湯 やまの旅館」 の文字です。
“内湯” とは、“外湯” に対して使われていた言葉です。
「うちは共同湯に行かなくても宿の中に風呂があります」 という、古き良き湯治場風情の名残なのであります。
「さ、ひと風呂浴びて、汗を流してから出かけますか?」
平均年齢56歳のオジサンたち6人が、一同に浴室へ向かいました。
「くー、たまらん!」
「いい湯だ!」
「四万の病を癒やす湯ですぞ。今日の疲れなんて、一浴しただけで取れちまいますよ」
そしてオジサンたちは、夜の温泉街へと消えて行ったのであります。
2018年07月20日
蚊のいない夏
昔、といっても僕が子どもの頃のこと。
夏休みになると、決まって母親に、こう言われました。
「午前中の涼しいうちに、宿題をしちゃいなさい」
って。
ラジオ体操から帰って来て、朝食をとって、マンガを読みながらグダグダとしていると、言われたものです。
というのも、どこの家にもクーラーがない時代のこと。
午後になると気温がグングン上がり、30℃を超える日もあったからです。
そう、当時は “30℃” というのが 「真夏」 を表すキーワードだったのです。
だから勉強は、気温が上る前の午前中にしてしまえと言ったのです。
午後になって30℃を超えると、親たちは子どもに、今度は、こんなことを言いました。
「外へ行くんなら、帽子をかぶりなさいよ。日射病になっちゃうよ」
って。
そう、まだ “熱中症” なんて言葉がなかった時代だったんです。
“30℃超え” にビビッていた昭和の頃は、怖いのは高温ではなく、直射日光だったのです。
時は流れて、あれから半世紀……。
なんですか、このクソ暑さは!?!?!?
「午前中の涼しいうち」 が、どこかへ行ってしまいました。
朝の7時で、すでに30℃超えですからね。
今の親は、子どもになんて言うのでしょうか?
「いつでもいいから冷房の効いた部屋で宿題をやりなさい」 ですかね。
それにしても、今年の暑さは異常です。
何が異常かって、だって、蚊がいないんですもの!
例年ならば、蚊取り線香や殺虫剤が手放せないのに、僕はまだ今年、蚊に刺されていません。
不思議だな~、不思議だな~と思っていたら、先日、ラジオで識者が、こんなことを言っていました。
「蚊は、35℃を超えると活動がにぶり、40℃を超えると死んでしまう」 と!
それを聞いた僕は、つい、ツッコミを入れてしまいました。
「蚊だけじゃねーよ! 人間もだよ!!」
みなさん、不要不急の外出は避けましょう。
これは異常気象などではなく、すでに災害ですぞ!
2018年07月18日
特集/足湯鼎談
中之条町のみなさ~ん、こんにちは!
あなたの町の観光大使です。
四万温泉のみなさ~ん、こんにちは!
あなたの湯の温泉大使です。
そう、僕は群馬県吾妻郡中之条町の観光大使と、中之条町にある四万温泉の温泉大使をしています。
その2つの大使のダブル公務ともいえる 「中之条町町勢要覧2018」 が発行されました。
町民のみなさんは、もう、ご覧になりましたか?
特集/足湯鼎談(ていだん) 「世のちり洗う四万温泉」を!
4ページにわたり、3人のおじさんとおばさんが、熱く熱く四万温泉について語っています。
3人とは、歴史と民俗の博物館 「ミュゼ」 館長の山口通喜さん、一般社団法人 「四万温泉協会」 副会長で 「中沢旅館」 女将の中沢まち子さん、と僕です。
山口さんは四万温泉の歴史や文化を、中沢さん四万温泉の今昔や慣習など、そして僕は四万温泉の湯の魅力について語っています。
ちょうど僕らは、同世代。
取材当日は、あまりに和気あいあい過ぎて、話が止まらなくなり、大いに脱線してしまい、スタッフに大変ご迷惑をかけてしまいました。
ま、それだけ楽しいエピソードが満載の鼎談記事となっています。
※(取材当日の様子は、当ブログの2017年10月18日「四万を語る」を参照)
中之条町民はもちろん、町外の人でも、これを読めば四万通になり、もっともっと四万温泉を好きになること間違いなし!
■発行・編集/中之条町役場 TEL.0279-75-2111
2018年07月17日
マロの独白(40) 最年長だワン!
こんにちワン! マロっす。
ここんちの飼い犬、チワワのオス、12才です。
お久しぶりでやんした。
えっ、気づかれました?
そーなんです!
オイラ、誕生日が来て、先週、12才になりやした~!!
あんまり、うれしくはないんですけどね。
だって犬の12才って、人間様でいえば、完璧に60歳以上ですよね。
誕生日の日、朝からいイヤ~な予感が、してたんですよ。
「おい、マロ! おめでとう」
「あ、ご主人様! ありがとうございます」
「ほれ、誕生日プレゼントだ」
そう言って、おやつにオイラの大好物のクッキーとジャーキーをくださいました。
「で、マロは、いくつになったんだ?」
「はい、12才になりました」
「えーーーっ、じゅうにさいだ~!」
「ご主人様、ちょっと大げさじゃありませんか。11才だったんだから、次は12才でしょ?」
「まあな、でも、そんなになるのか……。マロがうちに来て……」
オイラは、埼玉県のブリーダーの家で生まれ、その後、群馬県内のペットショップに引き取られました。
他の仲間たちは、次から次と買われて行くのに、オイラだけ生後6ヵ月になっても、売れ残っていました。
そして、ついには、正月初売りの福引き景品になってしまったのです。
それも、2等です。
(ちなみに1等は、トイプードルでした)
で、ここの家の奥様と次女様が、当ててくださったのであります。
「あの時は驚いたな~。家に帰ってきたら、犬の鳴き声がするんだもの」
「そうそう、ご主人様の驚きようったらありませんでしたよ。犬嫌いだったんですものね」
「しかも、ブサイクな犬だった」
「ブサイクは、余分です!」
でも事実、オイラは “ブサイク” だったから売れ残ったんです。
だって、チワワなのに目は小さいし、鼻は白いし、顔も面長なんです。
「これ、なんていう犬だ?っていうのが、ご主人様の第一声でしたね」
「テレビのCMで見るようなチワワには、見えなかったからな」
「それでも、家族の一員として迎えてくださいました」
「だって、うちに来ちゃったものは、しょうがないだろう」
あれから11年半になります。
気が付いたら、オイラも老犬です。
「ご主人様、これからも末永く、よろしくお願いいたしやす」
「いやいや、こちらこそ、先輩!」
「先輩ですか?」
「ああ、俺は来月、誕生日が来ても、まだ還暦だもの。マロは、古希だろ?」
「まだです!」
「ハハハ、いずれにしても、我が家の最年長であることには違いない」
「……ええ、まあ……」
「よっ、長老! これからも長生きしてくれよな」
なんか、オイラ、とっても幸せだワン!
2018年07月13日
無事、下山しました!
“出版は登山に似ている”
さしずめ著者にとっての 「登頂」 は、脱稿(原稿を書き終えること) です。
達成感という絶景を味わいます。
しかし登山とは、山頂に立つことではなく、無事に帰ること。
下山して、初めて登山が完結します。
では、出版において下山とは?
編集者、カメラマン、デザイナーたちとの制作です。
完成に向けて、チームワークを駆使して、一歩一歩丁寧に仕上げていきます。
今日、最後の制作会議を終えました。
「すり合わせ」 という作業です。
1校、2校と校正を終えたゲラ刷り(校正用に刷った印刷物) の最終チェックを行いました。
「お疲れさまでした」
「それでは、これでお願いします」
表紙、本文、奥付等のチェックを終え、ここから先は、すべてをデザイナーと編集者に託します。
後は、野となれ山となれ!
泣いても笑っても、出版日は来るのです。
そして僕らは、「下山」 を無事に終えました。
でも、下山口で振り返っても見えるのは、うっ蒼と生い茂った森だけです。
そう、たった今、スタッフ全員で抜けて来た深い森が見えるだけ。
あと、もう少し歩かなくてはなりません。
山のふもとの町のバス停まで……
そこから振り返った時、僕らが制覇した山の全容が見えるはずです。
(その間に、印刷~製本と作業が行われます)
そしてバスに揺られ、電車を乗り継ぎ、我が家に帰る頃、本が書店に並びます。
☆ 小暮淳・著 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん/定価 1.000円税込) は、8月8日の発売です。
●問合・予約/ちいきしんぶん TEL.027-370-2262
2018年07月12日
もっと恍惚の人
「確か、昔、読んだよな。たぶん、あったような気がしたけど……」
オヤジの介護をしていて、突然、僕は、ある本が読みたくなって、書庫へ駆け込みました。
書庫といっても、たたみ2畳ほどの小さな納戸です。
天井までの書棚が2つあるだけです。
その棚の奥の奥に、セピア色した文庫本を見つけました。
有吉佐和子・著 『恍惚(こうこつ) の人』(新潮文庫)
読んだ記憶はありますが、内容は、まったく覚えていません。
ただ、老人介護の話だったという以外は……
「昔は、どうだったんだろうか? 今とは勝手が違ったのだろうか?」
急に、自分が抱えている介護との比較がしたくて、読み始めました。
小説が出版されたのは、昭和47年(1972)。
当時、ベストセラーとなり社会に大きな影響を与えました。
物語は、ショッキングなシーンから始まります。
主人公の嫁・昭子は、仕事帰りに、町を徘徊する舅(しゅうと) の茂造と出くわします。
「腹が減った。何か食べさせてくれ」
「おかあさんは、どうしたんですか?」
「婆さんは、いくら言っても起きてくれない」
あわてて家に帰り、離れをのぞくと、姑(しゅうとめ) が亡くなっています。
舅、84歳。姑、75歳。
このとき初めて、息子夫婦は、茂造が認知症であることに気づきます。
そして、経験したことのない介護生活が始まります。
でも、これは半世紀近く前に書かれた小説です。
当時はまだ “認知症” という言葉はなく、「ボケ」 「痴呆(ちほう)」 「耄碌(もうろく)」 という言葉が使われています。
そして驚いたのは、当時の平均寿命です。
男性は69歳、女性は74歳なんですね。
今より10歳も若かったことになります。
「うんうん、分かる、分かる。そうそう、そうなんだよな」
と、時代は変われど、介護の実状は変わりません。
でも時には、
「甘い、甘い。うちのジイサンは、そんなもんじゃねーぞ!」
なんて、ツッコミを入れたりしながら読んでます。
ふと、本から目を離すと、寝息を立てているオヤジがいます。
息子の信利が妻に言った言葉が、めぐります。
「俺もうっかり長生きすると、こういうことになってしまうのかねえ」
2018年07月10日
あわてん坊な読者
以前、「キレる中高年」(2018年2月14日) というブログを書いたところ、多くの反響をいただきました。
なぜ中高年はキレやすいのか?
定年退職した喪失感からの苛立ちとか、諸説あるようですが、一説には、認知症の始まりとの指摘もあります。
心当たりのある方は、ご注意くだされ!
ブログでは、中高年が、やたらと店員に “怒鳴る” “せかす” といった理不尽なクレームをつけるという行動について書きましたが、僕ら編集・出版業界にもクレームは付きものです。
ま、たいがいは出版や編集の担当者が処理してくださるのですが、時として、僕のように記名で記事を書いている場合は、筆者まで持ち込まれることがあります。
その場合、確かに内容の誤りだったり、表記の間違いだった場合は、素直に認め、後日、訂正と詫びの一文を掲載いたします。
でも、時として、熱心な上に、あわてん坊も読者もいたりするのです。
先日、某新聞に連載している記事に対して、読者から編集室に、こんな指摘がありました。
<「明朗活発」 は、「明朗闊達」 の間違いではないでしょうか?>
というものです。
僕は、「明朗活発」 という四字熟語を使いました。
確かに、読者の言うように “明朗” と聞くと、“闊達” と連想する人が多いと思いますが、“明朗” には、たくさんの四字熟語があります。
「明朗快活」、「明朗会計」 なども、よく使う言葉です。
ちょっと辞書を引けば、分かることなのですが、手間をはぶいて、つい電話やメールをしてしまうのですね。
以前、僕の著書に対しても、出版元に抗議の手紙が届いたことがありました。
若山牧水の 『みなかみ紀行』 に触れた一文に対してでした。
<大正11年10月21日。前夜は四万温泉に宿泊した歌人の若山牧水(37歳)は朝、宿を出て中之条から電車に乗って午後、渋川に着いた。ふたたび電車に乗り沼田で下車し、その晩は「鳴滝」という旅館に泊まっている。>
これに対して、読者は、
<若山牧水は電車に乗りません。電車は当時、ありませんでした。>
とのことでした。
最初は、なんのことを言っているのか分かりませんでした。
だって、牧水自身が紀行文の中で、そう書いているのですから……
よくよく手紙を見ると、みなかみ町在住の読者でした。
しかも大正生まれのご高齢の方です。
さっするに、昭和3年に開通した上越線と勘違いしているのではないでしょうか?
渋川~沼田間には、明治44年から利根軌道という馬車鉄道が開業しており、大正7年には全線が電化されています。
ですから、もちろん牧水は電車に乗れたわけです。
読者には、その旨を告げる手紙を書きました。
ちょっと調べれば分かることですが、人は、ついつい自分の感情に支配され、思いつきで行動してしまうもののようです。
でも、そんな “あわてん坊” の読者さんたちですが、それだけ熱心に僕の記事を読んでくださっているということです。
やっぱり、筆者にとってはありがたい存在なのであります。
これからも、ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。
2018年07月08日
さすが天下のNHK
「今!偶然見てます~」
「今、淳ちゃんを観てます。後で、またメールします」
「今!喋ってます~、出てる~」
オンエア中から、続々とメールが届きました。
そして放送終了後には、
「先生~~~、カッコよかったです~」
とか、
「小暮さんの表情が豊かでしたね」
とか、
「NHK観ました。相変わらずのいい笑顔をしていましたね」
とか、
「昨日のと今日の再放送、両方観たよ」
などなど、友人・知人たちから “見たよメール” が、たくさん届いたのでした。
いつからでしょうか?
温泉本を2、3冊書いた頃からだと思います。
最初は、地元のテレビ局やラジオ局から声がかかり、新刊が出版されるたびに出演依頼が来るようになりました。
それが5、6冊になると、東京のテレビ局からも依頼が来るようになりました。
最初は、民放某局の旅番組でした。
やがて他局も、“群馬特集” が組まれると、お呼びがかかるようになりました。
でも今回は、今までにない反響であります。
昨年もNHKのBSに出させていただきましたが、やはり、まだまだ地上波のほうが視聴率が高いんですね。
しかも放送されたのが、金曜日の夜7時半というゴールデンタイムでした。
さらに、翌日の土曜日の午前中にも再放送が流れましたから、その視聴率の高さといったらありません。
僕が住んでいる町は、前橋市内でも田舎ですからNHKの視聴率は、さらに高いのです。
「おっ、昨日、出てたね!」
「見たよ、色男に映ってたね」
なんて、犬の散歩の途中に、何人もの町民に声をかけられました。
では、家族の反応は?
なかなか冷ややかなものです。
離れて暮らす長男からは、「録画してたの今見たよ」 の1行メールだけ。
嫁いだ長女からは、孫が 「じいじ!かっこいい!」 と大興奮だったというものの、本人のコメントは 「白髪が気になるわ(笑)」 だけでした。
でもね、メールをくれるだけいいのです。
それに引き換え、同居している次女のひと言が気になります。
「見るわけないじゃん! こうやって毎日、見ているんだから」
だって。
えっ、家内ですか?
ええ、まあ……、話題にもなりません。
2018年07月07日
書籍化決定!!
高崎市民のみなさん、こんにちは!
他市、県外、全国のみなさん、はじめまして!
“謎学ライター” の小暮です。
今週発行された高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) 7月6日号に、こんな広告が掲載されました。
<『民話と伝説の舞台』 書籍化決定!! 8月上旬発売予定>
『民話と伝説の舞台』 とは、僕が2007年11月から不定期連載をしている伝奇エッセイです。
今月で第25話を迎えました。
このシリーズに、番外編で掲載された 「謎学の旅」 と題した2話を加えた全27話が、このたび書籍になり出版されることになりました。
科学や医学が進んだ現代でも、いまだに迷信のようなことを信じ、守り続けられている風習や慣習。
民話や伝説にも、先人が口承により伝えた作り話なのに、ゆかりのモノまでもが残されています。
そして、そこには必ず舞台があるのです。
本書では、荒唐無稽な伝説や摩訶不思議な民話の舞台を訪ねて、その謎を解き明かしていきます。
たとえば、こんな内容です。
・姫よ、なぜにあなたは竜になった!?
・浦島太郎の墓があった!
・虫歯を治す神さまたち
・オオカミの首をねじ切った大男は実在した!
・分福茶釜のふたは、どこへ行った?
・ウナギを食べない人たち
・カッパは七年に一度現れる
・夜な夜な現れる妖怪チャンコロリン などなど
いかがです?
なんか、ワクワク、ゾクゾクしてきませんか?
僕と一緒に、謎学の旅に出かけませんか?
小暮淳 著 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) 定価1,000円(税込)
●問合・予約/ちいきしんぶん TEL.027-370-2262
2018年07月05日
今年も四万の夏がやって来る!
四万温泉ファンのみなさん、お待たせしました!
また今年も夏の風物詩 『レトロ通りの懐かしライブ』 が、やって来ます!
2012年の第1回から出演している人気バンドといえば?
そうです!
群馬のスーパーローカルオヤジバンド 「KUWAバン」 であります。
僕は、このバンドのボーカルとギターを担当しています。
なつかしのフォーク&オールディーズを演奏するバンドですが、なんといっても、うちのバンドの特徴は、オリジナルソングを多数持っていること。
それも、すべて、ご当地ソングです。
もちろん、今年も 「四万のうた」 をはじめ、「湯源郷」 「焼きまんじゅうろう 旅すがた」 などを歌います。
そして最後は、ご存じ! 群馬の温泉応援ソング 「GO!GO! 温泉パラダイス」 を会場のみなさんと一緒に踊ります。
ぜひ、湯上がりに、ビールを片手に、遊びに来てくだいね!
『レトロ通りの懐かしライブ 2018』
●日時 2018年7月21日(土) 11:00~16:30
●会場 四万温泉 新湯横丁広場(落合通り入口)
●出演 四万温泉認定アーティスト
●観覧 無料
●問合 四万温泉協会 TEL.0279-64-2321
※KUWAバンは今年もトリを務めます。15:40~出演予定。
2018年07月04日
ふたりのトークショー
もし僕に、“師匠” と呼べる人がいるとすれば、それは、野村たかあきさんです。
野村さんは木彫・木版画の工房を持つ作家ですが、講談社絵本新人賞や絵本にっぽん賞を受賞した絵本作家でもあります。
僕は、ちょうど30年前に友人を介して、野村さんと出会いました。
僕が29歳、野村さんが38歳のときです。
野村さんの作品展の会場でした。
その場で意気投合し、その日の晩には、飲みに出かけていました。
そして、翌日からは毎日のように野村さんの工房に、遊びに行くようになりました。
というのも、当時の僕は “主夫” だったのです。
家人を仕事に送り出したら、ほかにやることはありません。
大義名分的には、家で小説を書いていることになっていましたが、それだって、いい加減なものでした。
早い話が、無職だったのであります。
そんなとき出会った野村さんは、格好の遊び相手となりました。
(たぶん、野村さんも当時はヒマだったのだと思います)。
そして会えば、「生きるとは?」「人生とは?」「表現とは?」と、これまた大義名分を付けて、熱く語り合っていたのであります。
その後、僕は編集者となり、独立して、フリーのライターとなりました。
いわば、そのような人生になるように導いてくださった “人生の師” が、野村さんだったのであります。
あれから30年。
「なあ、ジュンちゃん。オレとトークショーをやってくれよ」
「トークショー?」
「ああ、対談だよ」
「何を話すんですか?」
「何でもいいんだよ。二人だけにしか分からないことを話せば」
「あんなこととか、こんなこともですか?」
「そう、そんなことでも、どんなことでもいいんだよ」
ということで、今度、野村さんの絵本原画展の会場で、トークライブを行うことになりました。
当日は、定員制となります。
参加を希望される方は、ご予約をお願いいたします。
野村たかあき原画展 「落語三席」
●会期 2018年7月14日(土)~8月26日(日)
11:00~20:00 火曜休館
●会場 フリッツ・アートセンター
前橋市敷島町240-28 (敷島公園内)
TEL.027-235-8989
落語的対談 「野村たかあき 対 小暮淳」 第一回戦
●日時 2018年8月5日(日) 15:00~(開場 14:30)
●会場 フリップ・アートセンター
●料金 無料 (定員50名、要予約)
●出演 野村たかあき(絵本作家) 、小暮淳(温泉ライター)
2018年07月03日
生涯現役
<「こうなったら、自分の人生も、いやいや死に場所だって温泉以外にねえってもんさね(けっこう芝居がかった言い方になってきます)。酒エ飲んだくれて、湯船で息絶えたら、『温泉葬』にしておくんなさい。遺影はもちろん、湯につかっている写真だいねえ……> (木部克彦著 『続・群馬の逆襲』 言視舎 より)
落語家の桂歌丸さんが亡くなられました。
81歳でした。
僕は、一度だけ師匠にお会いしたことがあります。
15年ほど昔のことです。
知人の落語家さんの真打ち昇進祝賀会の席でした。
東京のホテルの大きな会場でした。
もちろん僕なんて末席ですから、師匠の席とは遠く離れていました。
それでも、まわりの誰もが 「あっ、歌丸さんだ!」 と、ざわつくほどのオーラを放っていました。
「息の続く限り、落語家として桂歌丸を見ていただきたい」
生涯、現役を貫いた人でした。
訃報を知って、真っ先に脳裏を横切ったのが、ジャーナリスト・木部克彦氏が書いた一文でした。
氏は著書の中で僕のことを、“まさに「温泉バカ一代」” と形容してくれました。
そして、冒頭の文章で締めくくっています。
師匠と比べたらおこがましいのですが、僕もやはり “生涯現役” でいたいのであります。
サラリーマンではなく、フリーランスという生き方を選んだのも、仕事に定年がないことが理由の一つです。
でも現在、親の介護をしているからこそ、思うのです。
つくづく、生涯現役で人生を終えることは、大変難しいことだと……
それを貫いた師匠の生き方は、ただただ尊敬いたします。
そして、心よりご冥福をお祈りいたします。
2018年07月01日
コオ先生が教えてくれたこと
30年も前のことです。
僕は、駆け出しのタウン誌記者をしていました。
巻頭のインタビュー記事の取材で、切り絵作家の関口コオ先生のアトリエを訪ねたことがありました。
すでに先生は、切り絵の第一人者であり、個人美術館が建つほどの人気作家でした。
駆け出しの僕は、大変緊張していたのだと思います。
そこで、我がライター人生最大の失態を演じてしまいました。
それは……
今思い出しても、おぞましい出来事です。
なななんと! 2時間のインタビューが、まったく録れていなかったのです。
編集室にもどり、カセットテープを再生しても、何も録音されていませんでした。
まさに、青天の霹靂!
頭の中が、真っ白になってしまいました。
怖くて、怖くて、編集長にも事実を伝えられないまま、一日、また一日と原稿の締切日だけが近づいてきます。
どうしたらいい?
先生に土下座して、もう一度、話してもらおうか?
いえいえ、そんなことはできません。
大先生に対して、あまりにも失礼です。
えーい! こうなったら矢でも鉄砲でも持って来い!
清水の舞台から思いっきりダイビングしてやる!
腹をくくった僕は、わずかなメモと記憶だけを頼りに、巻頭4ページの特集記事を書き上げました。
後は野となれ山となれであります。
そして1ヶ月後、雑誌は書店に並びました。
当然、先生にも見本誌が郵送されているはずです。
毎日、編集室の電話が鳴るたびにおびえていましたが、先生からのクレーム電話はありませんでした。
それから数ヵ月後のこと。
コオ先生の個展が開催されました。
腹をくくり、針のムシロの上に座るつもりで、ご挨拶に行きました。
受付で記帳を済ませて、会場を見渡しましたが、先生の姿は見えません。
「今だ、チャンス!」
とばかりに、会場内を一周して、早々に退場しようと思った、その時です。
壁に貼られた、4枚の紙が目に留まりました。
見覚えのある記事です。
そうです、僕が書いたインタビュー記事でした。
そして、記事に近づいた時でした。
「小暮さん、この度は、ありがとうございました」
振り返ると、コオ先生が立っていました。
「とっても素敵な記事です。私の言いたいことが全部、書かれています。嬉しかったので、貼ってしまいました」
実は、それから後のことは、ほとんど覚えていません。
たぶん、僕は舞い上がり、高揚していたのかもしれません。
もしかしたら想像もしなかった展開に、驚き、涙していたのかもしれません。
でも今思えば、あの出来事がなかったら、僕は、その後、ライターになっていなかったかもしれないということです。
“記録よりも記憶”
“頭で書くな、心で書け”
そう、コオ先生が教えてくださいました。
享年81歳。
昨日、先生の訃報を告げる新聞記事を読みました。
ご冥福をお祈りいたします。
先生、ありがとうございました。