2018年10月30日
遺伝子のゆくえ②
<久々に録画していたお父さんのテレビみたら、白髪も悪くないかも>
突然、深夜に嫁いだ娘から、長いメールが届きました。
<多分、長女だからかな。白髪、絶対嫌って何度も言っちゃったよね。>
長女は家族で唯一、毛染めを止めた僕の白髪に、反対し続けていました。
<私のお父さんのイメージは黒髪。ずっと黒髪が良かったけど、(テレビの中で) 「ありのままで行こう」 って言ってたの見たら、白髪でも良いかなって、嬉しくなって同調できた。>
思わず、ジーンとしてしまいました。
僕は、いつでも自分勝手。
今まで、何をするにも家族の同意なんて求めませんでした。
それが自分らしい生き方だと思っていたから。
まさか、こんなに永い間、長女が僕の白髪について、心を痛めていたとは知りませんでした。
しかも、十年も一緒に暮らしていない娘なのに……
さらにメールは続きます。
<K(長女の息子) も私の影響で 「(GO!GO!) 温泉パラダイス」 が大好きだからね。>
「GO!GO! 温泉パラダイス」 とは、僕が作った群馬の温泉応援ソングです。
なぜか急に、白髪の話題から音楽に変わりました。
<お父さんの遺伝子かな~、M(長女) もR(長男) もS(次女) もK(孫) も、歌上手だからね♪>
なんて言われても、僕は娘も息子も孫の歌なんて、聴いたことありません。
改めて僕は、家族のことなんて、なーんにも知らないことに気づきました。
「みんな、歌、上手いんだ。そうなんだ」 って。
最後に、こんな言葉が添えられていました。
<お父さんが死ぬまでに、家族でバンドをやろう!>
またまた、驚いてしまいました。
思えば、長女は中学~高校と吹奏楽部で、フルート奏者でした。
次女は小さい頃からピアノを習い、高校時代はドラムを叩いていました。
まあ、この2人については心配ありませんが……
<KもRの家族も頑張るから、家族バンドやろうよ!!!>
もうダメです。
涙腺があぶなくなってきました。
でもね、名前の出てこない家族がいるんです。
家内と長女の亭主です。
遺伝子が違うからですかね?
まあ、2人には、カスタネットとトライアングルでも叩いてもらいましょうかね。
<ボーカルは、お父さんね>
この夢、叶うといいなぁ~。
2018年10月28日
つぶれない理由
新刊 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) が出版されて、約3ヶ月が経ちました。
各メディアが取り上げてくださったおかげで、売り上げも好調のようであります。
出版元からは、ちくいち、書店からの追加注文などの販売報告が入ってきます。
「やっぱり大手書店からが多いですか?」
B書店やT書店、K書店という大型書店では、レジ前で大々的にディスプレーをして販売をしてくださっています。
ところが出版元の担当編集者からは、意外な答えが返ってきました。
「それが○○堂さんなんですよ。早くも3回目の追加注文が入りました」
「えっ、○○堂って、あの古くて小さな本屋さんですよね?」
「そうなんですよ、ビックリしました」
○○堂とは、高崎市の旧市街地の商店街で、昔から商っている、いわゆる “町の本屋さん” です。
失礼な話、いつ前を通っても客の姿を見たことがありません。
「よくつぶれないな~」
と誰もが不思議に思う、町に残る絶滅危惧商店であります。
「なんで、そんなに注文が来るんでしょうね? 理由を訊きましたか?」
「どうも学校や病院からの注文らしいですよ」
そ、そ、そーだったのか~!!!
“さおだけ商売” だったんですね。
かつてベストセラーになった 『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』 という本を思い出しました。
町の中には、客がいないのに、なぜかつぶれずに商いを続けている店というのがあります。
布団屋さんとか、帽子屋さんとか……、今の時代 “町の本屋さん” も、そんな 「さおだけ屋」 だったのです。
その昔、といっても僕が20代の頃ですから、30年以上も前の話ですが、東京の下町にある商店街の小さな書店でアルバイトをしたことがありました。
駅からも離れていたため、客は地元商店街の人たちだけでした。
それも売れるのは、雑誌だけ。
それでも、つぶれませんでした。
しかもバイトは僕のほかに、もう一人いましたし、経理のオジサンまで雇っていました。
レジカウンターは、社長と奥さんが交替で、まるで銭湯の番台のように、日がな一日座っていました。
でも、忙しかったんです。
バイトを2人も雇うぐらい、毎日、仕事がありました。
では、その理由は……
配達です!
もう1人のバイトは、自転車で個人宅専門に回っていましたが、僕は学校や企業に入り込み、注文を取り、配達をしていました。
その量は、ハンパじゃありません。
毎日、段ボール箱を4、5個も車に積んで出かけていました。
○○堂さん、ありがとうございます。
あの頃の僕のように、わざわざ足を運んで、注文を取って来てくださったのですね。
そうやって頑張っている本屋さんが、まだまだ全国にはあること、忘れてはいけませんね。
2018年10月26日
風のルーツ
♪ 口笛吹きながら 歩いた小径(こみち)
遠くに霞み見える 越後の山々よ
私は今もなお 忘れはしない
あの日の風の やさしきささやきを ♪
長年、ずーっと気になっていることがあります。
なぜだろう?
なんで、こんなときに、そんな言葉が浮かぶんだろうか?
と……
いつの頃からかは、記憶が定かではありませんが、何十年も前からだと思います。
フッと、ひと息ついたような時、何をするでもなく、ボーっと宙を眺めているような時に限って現れます。
「風」 という漢字です。
それも、漢字が浮かび上がるのではなく、頭の中で、一画ずつ、習字をするように、イチ、二、サン……と、つぶやきながら書き出します。
別に、野外で風に吹かれているわけでもないのに。
場所と時間を選ばず、気が付くといつの間にか、「風」 という字を書いているのです。
これって、なんなんでしょうね?
花占いや夢占いがあるように、もし “漢字占い” というのがあるのなら、占ってみたいものです。
実は今年の夏、ひょんなことから “風のルーツ” を見つけました。
有志たちが開いてくれた 「還暦ライブ」 が、きっかけでした。
30数年ぶりに、昔作った自分の曲のファイルを何冊も引っ張り出して、歌ってみました。
その時、気づいたのです。
タイトルに 「風」 が付いた歌が多いことに……
その中の1曲が、冒頭に記した 『風のささやき』 という歌です。
で、この曲を歌ってみて、分かったのです。
「あっ、だから僕は、“風” が好きになったんだ!」
おのちゅうこう(本名:小野忠孝)、という作家をご存じですか?
群馬県白沢村(現・沼田市) 出身の児童文学者で、詩人です。
代表作に 『風は思い出をささやいた』 という著書があります。
確か、主人公が都会で、故郷への思いを馳せる話でした。
その、きっかけとなったのが、そよ吹く風だったのです。
10代の頃、東京で同郷の作家が書いた小説と出合い、風吹く群馬の景色を思い出していた記憶があります。
きっと 『風のささやき』 という歌も、作家と著書へのオマージュとして作ったのでしょうね。
今年は、おのちゅうこう生誕110年の年に当たります。
書庫を探し回り、“風のルーツ” を確かめたいと思います。
♪ れんげの花摘んだ 少女が微笑(わら)う
川原の土手の上 初恋の人よ
私は今もなお 忘れはしない
あの日の風の やさしきささやきを ♪
2018年10月24日
尾瀬戸倉温泉 「ホテル玉城屋」
僕が講師を務めるNHK文化センターの野外温泉講座 「名湯・秘湯めぐり」。
おかげさまで今年、10周年を迎えることができました。
そして今月からは、平成30年度の後期講座が始まります。
ということで昨日は、後期講座の第1回が開講され、秋の紅葉と温泉を満喫してきました。
訪れたのは、群馬県片品村。
標高が上るにつれ、山の色も濃くなってきます。
バスの中では、
「ほら、右」 「今度は左」
と、紅葉に映える渓谷美を楽しみながら、温泉地を目指しました。
午前10時。
施設のオープンを待って、寄居山温泉 「ほっこりの湯」(片品村鎌田) の玄関に並びました。
pH8.5のアルカリ性単純温泉で、まずは肩慣らし、いや、肌慣らしであります。
ツルンとした心地良い浴感は、朝風呂に最適です。
窓ガラス超しに広がる山里の風景を眺めながら、一日のスタートを切りました。
「先生! 先生の本が売ってますよ」
湯上がりにロビーでくつろいでいると、受講生が呼びに来ました。
売店に行くと、レジ前に本が積まれていました。
しかもポップ付きです。
“トンネルを抜けると そこは湯源郷”
2015年に出版した『尾瀬の里湯』(上毛新聞社) であります。
「はい、みなさ~ん! まだ、この本を持っていない人は、買ってくださ~い」
と僕が言えば、ほとんどの受講生が、
「持ってまーす!」
と応えました。
が、1人だけ、「今買っても、サインしてもらえますか?」 と。
もちろん快く、その場でサインをいたしました。
「これから行く温泉も、この本に載っていますよ」
10年間の講座で、県内ほとんどの温泉地は訪ねています。
でも、まだあったんですね。行ってなかった温泉が。
尾瀬戸倉温泉(片品村戸倉) です。
片品村の最北端、尾瀬の玄関口にある温泉地です。
宿は旅館やホテル、ペンション、民宿が約20軒ありますが、今回、お世話になった 「ホテル玉城屋(たまきや)」 は、その中でも北の端にある、尾瀬に一番近い温泉宿であります。
宿の創業は定かではありませんが、現主人の萩原繁司さんで16代目。
慶長5年(1600)年、関ヶ原の戦いの後、会津方面からの出入りを警戒するために、時の沼田城主、真田信幸が設けた 「戸倉の関所」があった場所で、代々この地で旅籠を営んでいたといいます。
その当時から温泉は湧いていて、旅人からは 「関所の湯」 と呼ばれていました。
その湯は、ナント! pH10.1というアルカリ性単純温泉です。
県内でもトップクラスのアルカリ度を誇っています。
「うお~! ビックリした」 「ヌルヌルのツルツルじゃないですか!」 「すごい! 肌が湯を弾いて、一瞬にして散っていきます」
と、受講生らは湯舟に入った途端、狂喜乱舞であります。
「先生、これからも、いい温泉に連れて行ってよね」
「もちろんですよ。ご期待ください!」
湯上がりのビールで喉をうるおしながら、後期講座の第1回を無事に終了しました。
2018年10月20日
さらば、浮き草暮らし
NPO法人 「湯治乃邑(くに)」 を設立して丸3年。
貧乏団体にとって、その運営は波瀾万丈、紆余曲折、青息吐息の3年間でした。
何よりも事務所が定まらない。
設立当時は、家賃がタダの長屋で開業しましたが、雨漏りがひどくて引越し。
その後、工場の2階に間借りしたり、知り合いの会社や公共施設の会議室を仮事務所としながら転々としていました。
でも、やっと、これで地に足が着きそうです。
高崎市内の交通至便な場所にある古民家をリフォームしたシェアオフィスを借りました!
(うれしい! うれしい!! 本当にうれしい!!!)
これで、浮き草暮らしとは、おサラバじゃ~!
そして、これからは毎月の役員会議も、安心して開けます。
ということで昨日は、事務所開きを兼ねたオフィス開設お披露目パーティーが行われました。
NPOメンバーのほか、シェアオフィスの店子たち、大家さん、隣近所さん、地域の地区長さんらも集まっていただき、新しい門出を祝いました。
「おじゃまします。なんて、元は私の家だったんですよね。でも、なんだか見違えちゃって。一度は解体することに決めていたんですけど、こうやって、みなさんに利用していただいて、うれしいです」
と大家さん。
「過疎の町が、にぎやかになって大いに結構! ご活躍を期待しています」
と区長さん。
「これからも、よろしくお願いいたします。では、カンパ~イ!」
僭越ながら、理事長である僕が乾杯の音頭をとらせていただきました。
“消えゆく群馬の温泉を守りたい”
“湯治場としての温泉地を復活させたい”
たくさんの夢をのせて、「湯治乃邑」 は再始動しました。
みなさん、これからも応援をお願いいたします。
※今年も11月17日(土) 15時~ 高崎市産業創造館にて 『第3回 公開パネルディスカッション』 を開催いたします。
パネラーは、熊倉浩靖氏(高崎市商科大学特任教授)、森博昭(一般社団法人 四万温泉協会事務局長)、と僕です。
入場は無料。
詳細は、当ブログの2018年10月5日 「第3回 公開パネルディスカッション」 をご参照ください。
2018年10月19日
ちょっと、ひと休み
最近のブログを読んだ、友人・知人・読者の方々から、「元気がない」 「たそがれている」 と心配するメールや言葉をかけていただきました。
なんだか、心配をおかけしてしまったようで、申し訳ありません。
でも僕は、元気です!
ただね、ちょっぴり疲労感があるのです。
まだまだ燃え尽きてはいないのですが、かすかに脱力感を伴っています。
というのも、正直に言えば、50(歳代) の坂はきつかった!
今までにない急勾配で、背負っている荷物も大きくて……
まるで軽トラに鉄骨を積んで、山道をエンジン全開でふかしながら上っているようでした。
それが上りきると、途端に平坦な道になって、視界が一気に開けたのです。
「おお、こんな高いところまで、良くもまあ、上ってきたなぁ~」
ってね。
そしたら、なんだかドッと疲れが出てきて、「少しくらい休んでもいいかな」 っていう気になっちゃったのです。
前方には、緩やかな上り坂が続いています。
六十路であります。
ここらで少し休憩して、荷物を半分降ろして、これからは、ゆっくりと走ろうかと……
「あら、ジュンちゃん、大丈夫?」
馴染みの酒処Hのカウンターの席に座れば、すかさずママが声をかけてくれます。
「大丈夫だよ、ちょっと疲れただけ。ひと息ついたら、また走り出すから」
「人生、そんなことも、あらーね」
「だってオレたちには、定年も老後もないんだぜ。ここらで燃料を補給しなくっちゃ、次のステージに進めないよ」
と言えば、
「そのとーり! カンパ~イ!!」
と、隣の常連客が、グラスを差し出しました。
「ありがとう、乾杯!」
いい時も、悪い時も、嬉しい時も、悲しい時も、そして疲れた時だって、いつだって、ここに来れば、分かり合える仲間がいるのです。
店内を見渡せば、常連客は同世代。
リタイア組も現役組も、みんなみんな長い坂道を上る仲間たちです。
人生100年、まだまだ先は長いぞ!
2018年10月17日
冬はニオイに御用心!
初めて万座温泉(群馬県嬬恋村) に行ったときのこと。
さる旅館の内風呂に入って、大変驚いた記憶があります。
浴室の換気扇が、足下で回っていたのです。
また、排気窓も天井近くではなく、浴槽脇の床の高さで開いていました。
のちに知ったのですが、万座温泉は “硫黄の含有量が日本一” の温泉地だったのです。
硫黄の含有量が多いということは、それだけ有毒ガスである硫化水素を多量に含んでいるということです。
ちなみに、よく 「硫黄臭がする」という表現を使いますが、正しくは 「硫化水素臭」 です。
硫黄自体は、無臭です。
でも、硫化水素臭という言葉は、あまり馴染みがないので、僕もつい分かりやすく表現するために 「硫黄の臭い」 と言ってしまうことがあります。
そんなとき、テレビなどでは画面の下に、“硫化水素臭” と正しくキャプションを入れてくださいます。
ま、一般的には 「硫黄臭」 と言ったほうが、温泉のイメージが伝わりやすいですけどね。
今日の新聞に、こんな記事が載っていました。
<北海道足寄町の温泉施設の浴室で2013~14年、2人が死亡、1人が意識不明となった事故で、道警は硫化水素中毒が原因とみて50代の施設経営者の男を業務上過失致死傷容疑で近く書類送検する方針を固めた。>
温泉施設の浴室内で発生した硫化水素による中毒事故で、刑事責任が追及されるのは初めてのことだそうです。
5年も前の事故ですが、僕は良く覚えています。
その時も、初めて万座温泉に言ったときのことを思い出しました。
なんで、あんなところに換気扇が付いていたのか?
今となれば、当然のこととして理解しています。
硫化水素は、空気より重いからです。
よって、浴槽の周りに溜まりやすいのです。
だから換気扇や換気窓が足下に付いていたです。
この施設経営者は、そんな基本中の基本をおこたっていたということです。
また記事には、こんな事実が添えられていました。
<国は、温泉に含まれる硫化水素を空気に触れさせて濃度を抑えるため、注水口を湯面より上に設置するよう安全対策を定めているが、同施設の注水口は浴槽の底にあり、対策を怠っていた。>
まさに本末転倒、お粗末な管理です。
確かに、浴槽の底から温泉を引き入れる給湯法は、湯の鮮度を保つ上では理想的ですが、それは一般の温泉の場合です。
硫化水素を含む硫黄泉で、空気に触れない給湯法を利用していたとは、やはり管理者としては、お粗末と言わざるをえません。
これからの季節、浴室は密閉されがちになります。
温泉の“ニオイ ” には敏感になって、少しでもおかしいと思ったら、施設に告げてくださいね。
もちろん換気が充分な露天風呂だって、油断は禁物です。
温度差によるヒートショックが、待ち受けています。
いずれにせよ、冬は温泉に御用心ですぞ!
2018年10月15日
天高く老若男女が駆ける秋②
曇天が続く毎日の中で、奇跡的に晴天に恵まれました。
「みなさんの日頃の行いが良いようで……」
主催者代表のスピーチも、お約束のフレーズから始まりました。
昨日は、僕が暮らす地区の市民運動会でした。
この町に移り住んで25年。
子供が小さい頃は育成会役員として、子供が卒業してからは育成連合会の理事として、そして今回は自治会代表として、運動会に参加してきました。
僕の役どころは、昨年に続いて 「受付係」 であります。
過去には、選手の誘導をする 「競技係」 や用具の運搬をする 「用具係」、競技の判定を行う「審判係」、採点の集計をする 「記録係」 など、さまざまな係をしてきました。
それらに比べれば、受付係はラクなのであります。
忙しいのは、会場から開会式が始まるまでの30分間だけ。
来賓者にプログラムや記念品を配ってしまえば、もう後は、やることがありません。
昨年は物足りなさも感じましたが、今年は、この “体にやさしい係” が、ありがたいと思えたのです。
こんなところにも、還暦過ぎの寄る年波を感じます。
暇に任せて、青空をゆっくりと流れて行くイワシ雲を眺めていました。
ムカデ競走に出た長女の姿が浮かびます。
マラソンでは、わき腹を押さえながらトラックに入ってきた長男の姿が重なりました。
それを乳母車の中で見ていた次女の姿……
同じ会場なのに、僕の目に映る人たちは、知らない人ばかりです。
それでも大会のファイナルを飾るリレーでは、トラック脇まで駆け寄り、大声を上げて、我が町内に声援を送っていました。
「ガンバレ~! Aまち~!!」
縁あって住んだ町です。
3人の子供たちを育ててくれた町です。
思えば、まだまだ恩返しが残っています。
いずれは僕も、この町の人たちに見送られるのですから、これからも微力ながら町のためになりたいと思っています。
“天高く 老若男女が 駆ける秋”
2018年10月13日
マロの独白(42) 入れ歯が欲しい
こんにちワン! マロっす!!
ここんちの飼い犬、チワワのオス、12才です。
お久しぶりでやんした。
どのくらい久しぶりかというと、最後にオイラが登場したのが8月の中旬ですから、なんと!2ヶ月ぶり。
月日が経つのは早いもんでやんす。
暑い暑いと騒いでいたら、今朝なんて、寒くて寒くて、寝床から起きられませんでしたよ。
みなさんは、お元気でしたか?
オイラは相変わらずでやんす。
この12年間、毎日が日曜日。
食事と散歩と、おやつと昼寝の毎日です。
なのに、年だけは取るんですね。
そうそう、知ってましたか?
ご主人様が還暦を迎えたんですよ!
だからオイラ、
「おめでとうございます。これでオイラとお仲間ですね」
って言ったら、逆ギレされちゃいました。
「なにが仲間なんだよ。オレはマロほどジジイじゃない!」
ですって。
確かに、犬の12才は人間でいえば70歳ぐらいかもしれませんけど、そのへんはアバウトなんでしょ?
だから、こう言って差し上げました。
「お言葉ですが、ご主人様とそんなには変わらないと思いますけど」
ってね。
そしたら、ますます怒り出して、
「だったらマロ、口開けて、歯を見せて見ろ!」
と言うので、言われた通りにすると
「ほーら、ほとんど歯がないじゃないか」
と、オイラが一番気にしていることを攻めてきたのです。
ご主人様のイジワル~~~!
オイラだって、好きで歯がないわけじゃないやい!
気が付いたら、無くなっていたんだもの。
硬いものは噛めないし、おやつのジャーキーはポロポロと口から落っこちちゃうし、不便極まりないのです。
「ご主人様は、歯はあるのですか?」
「ほれ、全部、自分の歯だよ! ま、1本だけ差し歯があるけどな」
「えっ、差し歯ってなんですか?」
「ニセモノの歯だよ。歯医者さんに作ってもらったんだ」
「歯が作れるんですか? だったらオイラにも作ってください」
「マロが差し歯を? それは無理だな。数が多過ぎる。マロの場合、差し歯じゃなくて、総入れ歯だろう」
そう言うと、ご主人様ったら、リビングのソファーの上で、笑い転げるんでやんす。
「聞いたことねーな、犬の入れ歯なんて~! アッハハハハハハ」
みなさんは、どう思いますか?
オイラ、真剣に悩んでいます。
入れ歯、欲しいなぁ~!
2018年10月12日
コンプリートのチャンス!
やっと秋めいてまいりました。
10月ですから、“やっと” であります。
今年は、夏が長かったですね。
そのぶん、なんだか秋が短そうですが。
読者のみなさんは、そんな貴重な秋の夜長をいかがお過ごしですか?
食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋……
やっぱり、「読書の秋」 がいいですね。
それと、「行楽の秋」 も楽しんじゃいましょう!
ということで書店では、どこも “秋の行楽フェア” を開催中です。
現在、書店で購入することができる僕の著書は、10冊あります。
『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい四万温泉』 『みなかみ18湯(上)』 『みなかみ18湯(下)』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯』 『西上州の薬湯』 『金銀名湯 伊香保温泉』 の“群馬の温泉シリーズ”(上毛新聞社) が8冊。
それと、アウトドア本の 『ぐんまの里山てくてく歩き』(上毛新聞社) と、最新刊の謎学本 『民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) であります。
なかなか一軒の書店に全冊が揃っていることはありませんが、この時期はコンプリート(全部そろえる) のチャンス!です。
ふだんは、別の棚に陳列されている本も、フェアの間だけは一堂に特設コーナーに並びます。
たとえば、紀伊国屋書店の前橋店 (けやきウォーク前橋内) では、入口正面にズラ~リと温泉シリーズが全8冊、平積みで陳列されています。
そして、隣の登山ガイドのコーナーでは 『ぐんまの里山てくてく歩き』 が、さらに、その先のレジ前では話題本として 『民話と伝説の舞台』 が積まれています。
いかがです?
僕の本が、すべて揃っているんです。
このチャンスに、コンプリートしてみませんか!?
※今回は、読書の秋にひっかけて、著書の宣伝をさせてもらいました。
2018年10月10日
“還活” の成果と誤算
還暦を迎えて、2ヶ月が経ちました。
30歳の誕生日は、仲間とワイワイ騒いでいる間に過ぎました。
40歳の誕生日は、布団の中で脱力感を抱えながら目覚めました。
50歳の誕生日は、温泉宿で冷酒に酔いながら眠りに就きました。
今までの人生で、これほどまでに意識して迎えた誕生日はなかったと思います。
60歳、還暦。
正直に言いましょう、僕は、この日が来るのを恐れていました。
逃げたい気持ちを抑えながら、50代後半を生きていました。
たかが還暦、されど還暦。
たぶん、子供の頃に何かで見た “赤いちゃんちゃんこ” を着たおじいさんの姿が脳裏にこびり付いていたからなんでしょうね。
また、その昔は、「60歳を過ぎた老人は、姥捨て山に捨てられる」 という話を、まことしやかに信じていたのかもしれません。
現在は違うにしても、でも “年寄り” には違いありません。
間違っても、“若者” ではありませんし、“中年” の時期も過ぎました。
厳密に言うならば、まぎれもなく “中高年” の 「高」 の人です。
やはり、還暦を迎えるにあたり心の準備が必要でした。
だから僕は、この2、3年をかけて 「還活」 を行ってきました。
「かんかつ」 とは、還暦活動の略であります。
就活や婚活と同じように、迎えるための準備をすることです。
ただ、就活や婚活のように、目に見える活動はしませんでした。
すべて、メンタル面の強化であります。
① 何事にもあわてず冷静に行動する
② 何事も他人と比べない
③ 老いることを否定しない
④ 老いることを楽しむ
⑤ そして、今までの人生に感謝する
読者の人は、ご存じだと思いますが、毛染めを止めて、白髪にしたのも “還活” の一環であります。
おかげさまで成果があり、Xデー(8月8日の誕生日) は心穏やかに迎えることができました。
また、祝ってくれた人たちからの 「おめでとう」 の言葉にも、素直に 「ありがとう」 と言えたのです。
あれから2ヶ月……
“還活” に、誤算がありました。
それは、闘争心が萎えてしまったことです。
「ふざけるな!」 「なに、クソ!」 「今に見ていろよ!」
何かにつけて、心の中で拳を握り締めるクセが、消えてしまったのです。
「ま、いっか」 「それも、ありだね」 「ありのままの僕を見てください」
といった具合に、心の中に、まったく波風が立たなくなってしまいました。
あれ~?
らしくないぞ。
これで本当に、いいのだろうか?
“還活” のし過ぎだったのでしょうか?
このままでいいのか、どうしたものか、また新たな悩みにさいなまれています。
2018年10月08日
イルカに乗ったひまわり娘
1年に一度だけ、出会う男女がいます。
まるで彦星と織姫のように・・・
今年も参加して来ました!
“12時間飲酒マラソン”
という名の旅行です。
かれこれ10年以上前から僕は、仕事でお世話になっている某社の社員旅行に参加しています。
とにかく、これが楽しい!!
フリーランスで仕事をしていると、集団で同じ行動をすることに慣れていませんから、逆に年に1回の “集団行動” が物珍しくて、楽しいんです。
しかも、無礼講!
何が無礼講かって?
そりゃあ、朝から酒が飲めるからです。
それもノンストップで、12時間!
午前7時20分
高崎駅東口を出発したバスは、信州・戸隠を目指します。
バスのシートに着席するやいなや、前方から配られる缶ビールや缶チューハイ!
1本が2本、3本も飲めば、お腹はタッポンタッポンです。
サービスエリアにバスが停まるたびに、溜まった水分を出してはいるものの、追いつきません。
「トイレが近くなるので、お腹に溜まらないのをお願いします」
と言えば、今度は紙コップと一升瓶が回り出します。
もちろん、昼食時だって、止まりません!
「ビールと日本酒、どちらにしますか?」
と言われれば、
「まずは、ビールで」
と答え、やがて、そばに手がのびる頃には、
「やっぱり、日本酒がいいでしょう」
と勧められ、断りもせず、ただ、ひたすらに酔い続けるのであります。
午後は酔眼にて、善光寺参りを済ませ、またしても帰りのバスの中で、飲酒マラソンは続きます。
「小暮さん、そろそろ、今年も始めましょう」
と幹事が、カラオケに曲を入れます。
♪ 誰も知らない 南の国から イルカに乗った少年がやって来る ♪
いつからか恒例になってしまった城みちるの 『イルカに乗った少年』。
若い人は分からないかもしれませんが、70年代のアイドルです。
そして、みちるといえば、そう! 当時、恋人だった伊藤咲子を忘れてはいけません。
ということで、いつしか僕が、この歌を歌うと社員の女性が 『ひまわり娘』 を歌うようになりました。
♪ 誰のために咲いたの それはあなたのためよ ♪
そしてバスの中では、かけ声が飛び交います。
「みちる~!!」
「さっこ~!!」
現実には、一緒になれなかった2人です。
せめて年に一度、当時、青春を共に生きたオジサンとオバサンたちが、歌だけでも2人を引き合わせてあげようと、毎年歌い続けています。
たぶん、来年も、再来年も……
みんながみんな、それぞれの青春を思い出しながら……
2018年10月05日
第3回 公開パネルディスカッション
NPO法人 「湯治乃邑(くに)」
おかげさまで設立から3周年を迎えました。
恒例の公開パネルディスカッションを今年も開催いたします。
今回のテーマは、“日本の温泉文化をユネスコ世界遺産にしよう!” であります。
ふるって、ご参加ください!
第3回 公開パネルディスカッション
消えゆくぐんまの源泉一軒宿
「湯治場の復活を考える」
~温泉文化を無形遺産に~
●日時 2018年11月17日(土) 15時~17時
●会場 高崎市産業創造館 研修室
●料金 参加無料(要予約)
●主催 NPO法人 「湯治乃邑」
<パネラー>
熊倉浩靖 高崎商科大学特任教授・温泉文化世界遺産研究会特別顧問
森 博昭 一般法人 四万温泉協会事務局長
小暮 淳 温泉ライター・NPO法人 「湯治乃邑」 理事長
●申込 ファクスかメールにてお願いします
FAX.027-212-8822 E-mail:toujinokuni@gmail.com
フェイスブックからも受け付けています
※終了後、懇親会を準備しています。会費3,000円 高崎駅前にて18時頃~
2018年10月03日
霧積温泉 「金湯館」⑧
「群馬県で一番の秘湯は、どこですか?」
と問われれば、僕は迷わず霧積温泉と答えます。
今日は1年ぶりに雑誌の取材で、霧積温泉の一軒宿 「金湯館」 に行って来ました。
金湯館の創業は、明治17年(1884)。
当時は5、6軒の旅館がありました。
さらに周辺には、別荘が約50棟も立ち並ぶ避暑地だったのです。
ところが明治43年(1910)、未曾有の悲劇が温泉地を襲いました。
この年の大洪水で、山津波が一帯を襲い、金湯館ただ一軒が難を逃れました。
昭和30年代になり、1キロ下がった場所で親族が旅館を開業しましたが、平成23年に廃業。
金湯館は、また一軒宿になってしまいました。
「お世話になります」
「こちらこそ、ありがとうございます」
道路のドン詰まり、鼻曲山登山口の駐車場まで、4代目主人の佐藤淳さんが4駆車で迎えにきてくれました。
時間に余裕のある時は、ここから 「ホイホイ坂」 と呼ばれる山道を約30分かけて歩いて登るのですが、今日は日帰り取材です。
わがままを言って、車で迎えに来てもらいました。
だって、ここから先の車道は、一般車両は通行止めの林道です。
急峻なうえ、ガードレールも無く、対向車とのすれ違いもままなりません。
これも、“取材” という特権なのです。
「小暮さんの本、全部売れちゃった。また、送っといて!」
と、開口一番。
玄関で、いつも元気な3代目女将の佐藤みどりさんが出迎えてくれました。
御年、81歳!
まだまだ現役女将です。
宿では、霧積温泉が舞台の森村誠一の小説 『人間の証明』(角川文庫) と、拙著 『新ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) が販売されています。
「どちらも、良く売れるのよ」
なんて女将に言われて、ベストセラー作家と肩を並べたようで、気分は有頂天!
そのままのテンションで、浴室まで直行!
さっそく湯を浴むことに。
ぬる湯ファン垂涎(すいぜん) の、絶妙な39℃!
相変わらず絹のような、肌にまとわりつく、なまめかしい湯であります。
しかも、あっという間に全身泡だらけ!
アソコの毛といわず、全身の体毛が “真っ白毛” です。
それを手で払えば、名物 “サンゴの産卵” のはじまり、はじまり~!!
一斉に、泡の粒が舞い上がります。
湯上がりには、これまた山の幸たっぷりの名物 「山菜そば」 をすすりながら、女将の話す昔話に耳を傾けていたのであります。
ご主人との馴れ初めなんて、1度や2度、取材に訪れた新米記者には絶対に聞き出せない、なかなかのレア話ですぞ!
温泉宿は、通えば通うほどに、奥が深くなっていくのであります。
2018年10月02日
われら、逃げ切り組
「あとは、逃げ切るだけだね」
「逃げ切れるかな?」
「でも、ここまで来たら逃げ切るしかないでしょう」
「だよね。他に生きる道は、ないんだから……」
先日の “還暦ライブ” 終了後、ステージで機材の片付けをしていた時のことです。
共に還暦を祝ってもらった友人のS君が、話しかけて来ました。
S君は小学1年生からの同級生で、50年以上の付き合いになります。
長い友人でもありますが、バンド仲間でもあります。
職業はカメラマンなので、仕事の相棒でもあります。
ということで、この50数年間、互いの人生を見てきました。
ひと言で言えば、2人は実に良く似た生き方をしてきました。
夢を追ったものの挫折して、サラリーマンになったものの勤まらず、“落ちこぼれ” であることには違いありません。
現在の職業だって、すべては消去法により、“なりたくないもの” を除外した結果、唯一、引っかかった職業が、カメラマンとライターだったという安易な選択だったのであります。
僕らには、もう1人、50年来の友人がいます。
画家のK君です。
画家になった理由は、2人と同じです。
「ほかに、なれるものが無かったから」
3人が顔を合わせると、決まって “逃げ切り組” の話になります。
「俺たちって、サラリーマンになれなかった落ちこぼれだよな」
「確かに落ちこぼれではあるけれど、負け組にはなりたくないね」
「でも、どう見ても勝ち組にはなれないでしょう」
そんな酒の席で、たどり着いた言葉が 「逃げ切り組」 でした。
ゴールは、“死” です。
それまで、世間に妥協することなく、今の状態を続けられれば、我々の勝ちです。
あれから、また4年が過ぎました。
※(当ブログの2014年10月20日 「目指せ!逃げ切り組」 参照)
3人は、仲良く還暦を迎えました。
さーて、思いっきり逃げるぞ!
誰も転ぶなよ!
ゴールは、まだまだ遠いぞ!
足腰が、だいぶ弱ってきたけど大丈夫か?!
まだまだ、ネバー・ギブアップ!
われら、逃げ切り組だい!!
2018年10月01日
古くて新しい “湯治” に注目~温泉大県ぐんま
<「湯治って、それいつの時代の話?」 そんなこと思っていませんか? 今、群馬で湯治が再び注目されているんです! 運動と組み合わせてリフレッシュ、四万温泉の新しい湯治のカタチ 「ごほうび湯治」 や、温泉ライターおすすめの温泉、地元の人に愛される昔ながらの入浴法まで、“温泉大県” 群馬の湯をとことん楽しみます> (番組HPより)
いよいよ明後日、NHK総合テレビで全国放送されます。
再放送が全国放送というのも異例のようですが、これには理由があります。
6月に首都圏情報 「ネタドリ」 で放送したところ、番組史上記録に残る高視聴率だったことから、番組の枠を超えて全国ネットで再度放送されることになりました。
番組名は、『ごごナマ』
タイトルは、「そうだ、湯治に行こう 極上! 温泉大国ぐんま」
放送日時は、10月3日(水) 15:08~16:00
司会は、俳優の船越英一郎さんと美保純さん
ゲストは、番組のナレーションをしたタレントの井森美幸さんです。
僕も中之条町観光大使&みなかみ温泉大使として、ナビゲーターを務めます。
NPO法人 「湯治乃邑(くに)」 では、設立以来、“消えゆく温泉の再生” と “湯治場の復活” をテーマに活動を続けています。
各分野の識者が集まり、温泉の未来について語り合うパネルディスカッション 「湯治場の復活を考える」 も、今年で3回目を迎えます。
※(開催日等については、当ブログの2018年8月22日 「パネディス、今年も開催します!」 参照)
この全国放送をきっかけに、群馬県が湯治場復活の先進県として、注目されることを願っています。
ぜひ、ご覧ください。