温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2019年05月31日

みなかみに、皆カミング!


 現在、僕は群馬県内4温泉地(町) の 「温泉大使」 を委嘱されています。
 その、さきがけとなったのは、みなかみ温泉大使であります。
 2016年5月に任命されました。

 今週、久々に公務をしてきました。
 毎年、この時期に開催される、みなかみ町観光協会の定期社員総会です。
 僕は、就任した翌年から出席しています。


 総会というと、堅苦しい事業や予算の報告や計画の発表がお決まりですが、みなかみ町の総会は、それだけではありません。
 毎年、著名なゲストを招へいして、特別講演会を開いています。
 僕は、これを楽しみにしています。
 ※(大使就任の翌年は、僕が講演をさせていただきました)

 今年は、(株)読売巨人軍取締役会長の久保博氏であります。
 あまりのビッグ過ぎるゲストに、始まるまでドキドキ、ソワソワと落ち着かなかったのですが、何を隠そう! 僕は野球オンチなのであります。
 高校野球は地元が出場した時ぐらいは応援しますが、それでもスポーツニュースで結果を知る程度です。
 プロ野球となると子供の頃から一切、テレビ観戦をしたことがありません。
 スポーツニュースさえ見ません。
 ※(セリーグとパリーグがあることぐらいは知っています)

 それでもゲストは、数々の伝説を生んできた巨人軍の会長であります。
 野球の話だけに留まらず、経営手腕や幅広い交友関係、多岐にわたる趣味の話など、あっという間の90分でした。

 何よりも勉強になったのは、その話術です。
 僕も講座やセミナーなどで、講師をさせていただいている端くれとして、話法は一番、興味のあるところです。
 間の取り方や話の展開のスムーズさ、笑いを取るところと、思わずメモを取らせるところの緩急の使い分けなど、実に見事です!
 大変、勉強になりました。


 総会の最後は、お決まりの懇親会であります。
 協会や町の職員、旅行関係者、そして温泉旅館の経営者らと酒を酌み交わしながら、今後のみなかみ町の発展について、熱く語り合いました。

 気が付いたらホテルを飛び出して、温泉街をハシゴ……。
 なんと、4次会まで付き合ってしまいました。
 でも、いい酒でした!

 ぜひ、みなさんも18の湯が湧く “みなかみ18湯” へ、皆カミング!
  


Posted by 小暮 淳 at 18:26Comments(2)大使通信

2019年05月29日

どこかで 誰かが⑭ 一族の輪


 今年になって2月にオヤジ、今月になってオフクロを見送りました。
 ということは、立て続けに葬儀を挙げたということで、小暮一族のみなさんには、大変お世話になりました。
 長年生きてきて、こんな短期間に、親類縁者の方々とお会いした年は初めてです。

 これもひとえに、すぐにオフクロを呼んでしまった淋しがり屋のオヤジの我がままと思って、お許しください。


 「つい最近まで元気そうだったのに、ビックリしました」
 と遠方に暮らす、いとこから声をかけられました。
 「……?」
 なんで、このいとこはオヤジの近況を知っているんだろう?と思っていたら、
 「いつもジュンちゃんのブログで、伯父さんと伯母さんのことはチェックしていたのよ」
 とのことでした。

 他のいとこも、
 「叔父さんが亡くなった後も、叔母さんは元気そうだっのにね。施設で歌をうたっていたブログ、読んだよ」
 とのことでした。

 つれづれなるままに、気ままに書いていたこのブログが、思わぬところで一族の近況報告の場として活用されていたことに、あらためて驚きました。


 「ジュンさん、ジュンさんの記事、読みましたよ!」
 声をかけてくれたのは、最近結婚した姪の旦那さんでした。
 彼は、都内で美容師を営んでいる青年です。
 「えっ、東京でかい?」
 「はい、うちのお店に置いてある雑誌です。えーと、確か写真に撮ったんだよな……。あっ、あったあった! これです」
 と、スマホの画面を見せてくれました。
 のぞき込むと、有名な旅行雑誌の表紙が写っていました。
 「この中で、ジュンさんの本が紹介されていたんです」
 と今度は、拙著の紹介記事が掲載されたページの写真を見せてくれました。

 『金銀名湯 伊香保温泉』 小暮淳・著 上毛新聞社/1,296円

 群馬の温泉の特集でもしていたのかもしれませんね。
 うれしい限りです。
 こうやって、どこかで僕の本が紹介されていて、誰かが人知れず見ていてくれるのですから。

 「ありがとう」
 と言うと、
 「エへへ、お客さんに雑誌を見せて、『最近、親戚になった人なんです』 と自慢しちゃいました」
 と、照れながらスマホをしまいました。


 オヤジとオフクロは、いなくなってしまったけど、一族の輪は少しずつですが広がっているようです。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:00Comments(0)つれづれ

2019年05月27日

マロの独白 (48) ご主人様は男です!


 こんにちワン! マロっす。
 ここんちの飼い犬、チワワのオス、12才です。
 (もう少しで13才になります)
 寄る年波には、だんだん勝てなくなりました。

 「おい、ジジマロ!」
 なんて、ご主人様には呼ばれています。
 「ジジマロは、ひどすぎませんか?」
 「じゃあ、ジジイマロだ!」
 だなんて……、でもね、確かに、足腰が弱くなって、散歩の途中で、よくコケるんですよ。
 そのたびに、ご主人様から 「ジジマロ、しっかりしろよ!」 と、檄が飛んできます。


 実は、先日の散歩の時に、おかしな出来事がありました。
 ご主人様は、まだブログで紹介していないようなので、オイラが読者のみなさんに、こっそり教えちゃいますね。

 散歩の途中に、学童保育所があるんです。
 毎日、午後の3時半を過ぎると、近くの小学校の児童が、ゾロゾロと集団下校しながら帰ってきます。
 いつもは、「あっ、チワワ!」 「かわいい!」 「触ってもいいですか?」 なんて、子どもたちの注目はオイラなんですけどね。
 その日に限って、ヘンな雰囲気になっちまったんです。

 学童保育所の庭では、男の子たちが、野球をして遊んでいました。
 ご主人様とオイラは、いつものようにフェンス沿いの道を歩いていました。
 すると、こんな声が聞こえてきたんでやんす。

 「あの人、女だよな?」
 「どの人?」
 「犬連れている人」
 「男だよ! オレ、あの人、知ってるもん」
 「えー、女だよ」
 「絶対に、男!」


 なのに、ご主人様は顔色ひとつ変えずに、そのまま通り過ぎたのです。
 「ご主人様、今の聞きました?」
 「ああ」
 「ご主人様のことですよね?」
 「だな」
 「いいんですか、あんなこと言われて?」
 「べつに」
 「オレは男だ!って、言ってやればいいのに」
 「そんなこと、どっちでもいいだろう」

 そして、こんなことを話してくれました。
 ご主人様は、子どもの頃から今日まで、ずーーーーっとロン毛なんだそうです。
 だから小さい頃から、よく女の子と間違えられたといいます。
 今でこそ白髪ですが、それでもロン毛なので、子どもたちには、老婆と間違われたようです。


 「世の中、何十年経っても変わらないな」
 ポツリと、ご主人様が言いました。
 「髪が長いと女とか、赤い服は女とか、男らしくとか、女らしくとか、古過ぎないかな?」
 「……」
 オイラには、ちょっと難しくって、よく分かりません。
 その後も、ご主人様の話は続き、LGBT(性的少数者) や世の中の差別や偏見にまで及びました。

 「人間だけだぞ、そんな考え方をしている動物は」
 「えっ、人間だけですか?」
 「だって犬は、外見ではオスかメスかなんて、分からないじゃないか」
 「確かに……(でも、犬同士は臭いで分かりますけど)」


 オイラ、だんだん不安になってきちゃいました。
 もしかして、ご主人様って、ナントカ少数者なんでしょうか?
 だって最近は、その手のテレビドラマが多いじゃないですか!
 (スカートをはいた男性教師とか、家政夫のナントカとか……)

 ご、ご、ご主人さまーーーっ!!
 オイラ、ご主人様が男でも女でも、それ以外でも、生涯添い遂げますからね~!
 (でも心配でやんす)
   


Posted by 小暮 淳 at 18:37Comments(2)マロの独白

2019年05月26日

西に薬湯あり


 <「でも、あそこは温泉じゃなくて沸かし湯でしょ?」 温泉の話をしていると時々、そんなことを言う人がいます。決まって年配の男性です。沸かし湯とは、温度の低い温泉を加熱して使用していることを指す言葉。この人たちは、温泉はすべて温かいものだと思い込んでいるのです。> 『西上州の薬湯』 「あとがき」 より


 昨日(5月25日付) の上毛新聞19面に、拙著 『西上州の薬湯』 の大きな広告が掲載されました。
 出版されたのは3年前ですから、なんで今頃? 最新刊じゃないの? とも思いましたが、忘れた頃に、こうやって目にすると、あらためて新鮮な思いで、自分の本を振り返ることができます。

 “霊験あらたか、伝説と効能の湯力”

 大きなキャッチコピーが付いた表紙の写真が、でかでかと載っています。
 写真には、なんとも怪しそうな毒々しい色をした露天風呂が写っています。
 レンガの粉を溶いたような赤褐色の温泉です。

 群馬の温泉ファンならば、すぐに分かると思います。
 相間川温泉(高崎市) です。
 塩分と鉄分の多い、濃厚な湯です。
 昔から塩分の多い温泉は殺菌力があり、鉄分の多い湯は貧血や婦人病に効くといわれています。

 が、この両方を併せ持った温泉は、“のぼせの湯” ともいわれ、入浴には注意が必要です。
 実際の温度より体感温度が低く感じられるため、ついつい長湯となり、湯あたりを起こしやすくなるからです。


 この塩分が多くて、よく温まる温泉が多いのが西上州の特徴です。
 そのままズバリ、「塩」 の字が付いた八塩温泉(藤岡市) は、塩分濃度の高さから昔、製塩所があったといいます。
 現在は 「塩」 の字は付いていませんが、磯部温泉(安中市) はかつて 「塩の窪」 と呼ばれていました。
 また、今は休業中ですが坂口温泉(高崎市) も昔は 「塩ノ入」 と呼ばれていました。
 どちらも皮膚病に効く湯治場として栄えてきました。

 いずれにせよ西上州の温泉は、ほとんどが温度の低い冷鉱泉ですから、温めて入浴するようになったのは最近(たぶん明治以降) で、それ以前は “霊泉” として飲用したり、患部に塗ったり、浸したりして使用していたようです。

 医学が進んだ現代でも、入浴目的だけでなく、薬用として利用されている温泉が多いのも、西上州ならではの特徴だといえます。
 猪ノ田温泉(藤岡市) や野栗沢温泉(上野村) などは、アトピー性皮膚炎に特効のある温泉として、今でも医者に見放された患者が遠方より湯治に訪れています。


 西上州には、他の地域では見られない独特な温泉文化が根付いています。
 もし興味を抱かれた方がいましたら、ぜひ、書店で買い求めて、西上州の薬湯をめぐってみてください。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:51Comments(0)著書関連

2019年05月24日

リア充で行こう!


 僕は自他共に認めるアナログ人間です。
 ですからケータイも、いまだガラ系です。
 でも、今のところ不便は感じていません。

 スマホを持っていませんので、SNSのことは良く分かりません。
 フェイスブック、インスタグラム、ツイッター、ラインという言葉は聞いたことがありますが、使ったことがないので、どんなメリットがあるのかは知りません。


 先日、ライブの打ち上げ会でのこと。
 平均年齢57.8歳のバンドメンバー5人が、旅館の一室に集まり、茶碗酒を酌み交わしました。
 そこで、メンバー1アナログ人間の僕が、勇気をふるって、質問をしました。

 「あのさ、“いいね” って何? もらうと、うれしいの?」

 すると最年少メンバー(といっても40代後半ですが) が、笑うことなく、やさしく教えてくれました。
 「自己承認欲求っていうやつですよ」

 彼の話により、行列のできる店に並んで、話題のグルメやスイーツを写真に撮って、ネットにアップしたものに「いいね」 と答えてもらうことが、自己の欲求を承認してもらえたという喜びになることを知りました。
 それで、みんな夢中になって 「いいね」 欲しさに、できるだけ人がうらやましがるような画像や映像を撮っているようです。

 「それって、楽しいのかな? 俺には分からないな」
 と素直な感想を述べると、話を聞いていた2番目に若いメンバー(といっても50代後半ですが) が、
 「小暮さんは、分からなくっていいんだよ。“リア充” だから」
 と言いました。
 「りあじゅう? なんだい、それ?」

 なんでも “リア充” とはネット用語で、現実(リアル) が充実している人のことをいうそうです。
 では、現実がリアルならば、ネットの世界はバーチャル(仮想) ということなのでしょうか?

 「えっ、俺って、リア充なの?」
 「十分、リア充でしょう! 本を書いて、サイン会開いて、読者と握手して。それって、他人から見たら “リアルいいね” ですよ」


 確かに、本を書いて他人に認められることに、自己承認欲求を満たしている部分があることは、否定できません。
 でも、これって仕事ですよ!?
 仕事だったら、誰だって認められたいと思うのではありませんか?
 そして、みんな仕事をしています。
 多かれ少なかれ、認められているから現在の仕事を続けているんじゃありませんか?
 ということは、誰でもみんな “リア充” を感じながら生きているんじゃありませんか?
 それとも、現実の充実感が足りないので、ネットで “いいね” を補てんしているのでしょうか?

 あまりゴタゴタ言うと、メンバーから 「小暮さんは分からなくっていいの!」 と再三、釘を刺されそうなので、なんとなく納得をしたふりをして、この話題を終えました。


 でもね、やっぱり、ネット上でほめられるよりも、直接、言葉で言ってもらえるほうが、うれしいですよね。
 バンドのメンバーに新曲を披露したときの、「この曲、いいじゃん!」 のひと言は、“いいね” の百倍以上うれしいに決まってますもの。

 だから、これからも僕は、リア充で行こう!と思います。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:21Comments(2)つれづれ

2019年05月23日

美酒爛漫の朋


 1年365日、晩酌は欠かしません。
 「たまには休肝日が必要かも……」
 なんて思うこともありますが、好きなものは好きなのだから止められません。

 そんな僕が、「ぐんまの地酒大使」 に任命されてしまったのですから、“鬼に金棒”です。
 何が鬼に金棒なのかって?
 はい、言い訳であります。
 「仕方ない、酒を飲むことが仕事なのだから」
 と、日々、言い訳を重ねながら生きています。

 だからといって毎日、うまい酒を飲んでいるわけではありません。
 晩酌は習慣だし、宴会は付き合いであります。
 ほんとうに “うまい” と思える酒は、年に数えるほどしかありません。


 一昨晩、久しぶりに美酒に酔いしれてきました。
 2ヶ月に1回、奇数月に開催される 「弟子の会」 による定期交流会です。
 「弟子の会」 とは、僕のことを勝手に “先生” とか “師匠” とか呼んでくださる殊勝な人たちの集まりです。
 早い話が、僕の講演やセミナーなどで知り合った温泉ファンであります。

 「カンパーイ!」
 「この会も続いているね、もう何年になるかな?」
 「2年半ですよ」
 「ということは、今日は15回目ということだ」
 「続いてますね」

 毎回、交流会の会場は、自称 “弟子” たちが当番で探して、予約を入れてくれます。
 必ずしも居酒屋とは限らず、寿司屋だったり、焼肉屋だったり、すき焼き屋やおでん屋だったこともありました。
 で、今回は、なんと! ラーメン屋です。
 が、「ラーメン屋でも、つまみが充実していて、飲めるんですよ!」 とのことで、集合しました。


 いいですね~!
 ラーメン屋なのに、もつ煮と生ビールから始まり、焼き鳥とホッピーへと杯が進みます。
 話題も温泉から時事ネタまで、途切れることがありません。

 「うまし!」
 酒を飲むたびに僕が大声を上げるものだから、自称 “弟子” たちが笑います。
 この場合の 「うまし」 とは、おいしいという意味だけではなく、“たのしい” “ありがとう” の感謝を込めた言葉です。

 だって、たかが温泉ですよ。
 その温泉について、本を書いていただけで、こんなにも素敵な仲間(朋友) が集まってきたのです。
 ただただ、感謝しかありません。

 美酒に酔いながら、「うまし!」 を連呼し続けた夜でした。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:16Comments(2)酔眼日記

2019年05月21日

掌編小説 <浅田晃彦・選>


 断捨離というわけではないのですが、ヒマにまかせて仕事部屋の整理を始めました。
 すると、ひょんなところから31年前に書いた掌編小説が掲載された新聞が出てきました。
 掲載されたこの日、僕は雑誌社へ面接に行き、採用が決まり、ライターとしての人生を歩み出しました。
 人生のターニングポイントとなった記念すべき掌編小説を全文、ご紹介いたします。
 ※(小説執筆のきっかけとなったエピソードについては、当ブログの2010年11月21日 「出雲市15時48分」 を参照ください)



      出雲市 『15時48分』

 山口は山陽というよりは山陰の気候に近いようだ。
 今日、瑠璃光寺近くの土産物屋で店のおばさんが 「これが山口らしい天気なのよ」 と、どんよりとした曇り空を見上げて言っていた。
 部屋の電話が鳴ったのは、ふたつめの缶ビールを口にした時だった。声の主は、親しい友人のTだった。
 「よく、ここが分かったな?」
 「君の奥さんに聞いたのさ」
 なるほど、それにしてもTは私の唯一の酒飲み友だちで、日常頻繁に会っている奴である。この旅が終わったら土産を渡しがてら、また会って飲む約束まで交わしている。そのTが、わざわざ旅先の宿まで電話をして来るのだから余程の話があるに違いない。
 「で、何だい?」
 「そこには、まだしばらくいるのかい?」
 「いや、そろそろ出ようと思っているけど」
 「どの辺を回って帰るつもりだい?」
 「せっかく、ここまで来たんだから山陰をゆっくり回ろうかと思っているんだ」
 「山陰か…」
 彼の言葉が、しばし途切れた。
 ─奴は何が言いたいのだろうか─
 私には皆目見当がつかないまま彼の次の言葉を待った。
 「う、うん。何処かで会えないかな?」
 「おいおい、ここがどこだか分かってるのかい! 山口だよ」
 彼が今いる前橋からここ山口は少なくとも千キロは離れている。会えないこともないが、ちょうど1週間前、私が前橋を発つ時、駅まで私を車で送ってくれたのは、今電話で話しているTなのである。離れ離れに暮らす恋人同士でもあるまいし、何の意味があるというのだろうか。
 「急にあさってから2日、休みが取れてね。とにかく何処で会うのが一番いいか、今晩じっくり考えてみるよ。明日夜8時に、もう一度そこに電話をするから、じゃあ」
 と私の返事も待たずして電話は切れた。

 その夜、私なりに時刻表を広げて、彼が何処を指定してくるのか思案してみたが、これといっためぼしい場所は浮かばなかった。そのかわり今回の彼の突発的な行動の意味は、古い友人として、なんだか分かるような気がした。
 高校時代から無類の旅好きで鉄道マニアだった彼は、写真部に籍を置き、休みとなればカメラを片手に旅に出ていた。そんな彼の自慢は、日本の全都道府県をすべて行き尽くしたということだった。
 その彼も今は結婚して、平凡なサラリーマンという生活を送っている。以前のように気ままに旅をすることもなくなったという訳だ。
 引き換え今では私の方が何かと旅づいていて、今回の山口行きにしても、彼は私を見送る側になってしまったのだ。
 そういえば別れ際に、前橋駅で彼が私に羨望を込めて言った台詞が、やけに意味ありげに思い出される。
 <今夜、君はブルートレインの中なんだ>
 彼の旅の虫が騒ぎ出したのかもしれない。

 翌日、私は日帰りで長門峡を散策して、8時までに宿に戻り、彼からの電話を待った。
 電話が鳴ったのは、8時を5分とは過ぎていなかった。
 「グッドアイデアはあったかい?」
 「ああ! すごいのがあったよ」
 彼の声が踊っている。
 「明日、君は山口から11時51分の 『おき4号』 に乗ってくれないか。そして出雲市で降りてくれ、15時48分だ。僕は岡山から 『やくも7号』 に乗るから、出雲市で再会だ!」
 「それで君の乗る 『やくも7号』 は、出雲市には何時に着くんだい?」
 「それがね、なんと同じ15時48分なんだよ」
 「何だって! それは本当かい」

 後は何を話したのか、よく覚えていない。
 「明日の夜は、したたか飲もう」 なんて、いつもと変わらぬ会話をしたようだ。
 時刻表を取り出し、『おき4号』 と 『やくも7号』 を捜す。本当だ、確かに両車とも15時48分出雲市に同時入車である。
 彼は昨夜、胸をときめかせながら時刻表を捲っていたに違いない。そして、この出雲市15時48分を見つけた時 「これしかない」 と確信した。同時に私をしてやったと思ったに違いない。事実、私は彼にしてやられた思いがした。
 「30歳になったら2人で旅をしたいな。日本海がいい。新鮮な海の幸を肴に酒を飲もう」
 そんな、いつか交わした口約束を彼は本当に叶えてしまった。旅好きで鉄道マニアの彼らしい答え方で。
 窓の外の山口の街は、雨に煙っていた。やはり山陽というよりは山陰の気候に近いようだ。
   <1988年5月18日付 上毛新聞より>
  


Posted by 小暮 淳 at 15:05Comments(2)執筆余談

2019年05月20日

素敵な世の中


 『注文の多い料理店』 といえば、ご存じ、宮沢賢治の名作です。
 どうみても、これをパロったとしか思えない 『注文をときどき間違える料理店』 というレストランがオープンするという新聞記事を読んで、思わず笑ってしまいました。

 新聞の記事で笑えるなんて、なんて素敵ことでしょうか!


 <認知症の人が接客する “1日限定” のレストランが26日、大津市の和菓子店 「叶匠壽庵・壽長生の郷」 でオープンする。頼まれた注文を忘れたり、できた料理を別のテーブルに運んだりしても、笑顔で 「ま、いっか」。誤りや違いを温かく受け入れる社会なら、認知症の人も働くことができる──。願いを込めた店の名前は 「注文をときどき間違える料理店」。> 2019年5月18日付の読売新聞夕刊より

 主催するのは、認知症介護指導者が代表者を務める介護関係者のグループ。
 同様の取り組みが、認知症への理解が広がることを目的に、2年前から東京で始まり、現在は全国各地に広がっているといいます。

 当日は、若年性を含む80歳代までの認知症の人が約10人、ウェーターを務めながら注文の聞き取りや配膳などをします。
 店内では、注文を間違っても良いことになっていますが、家族や介護スタッフが付き添ってサポートするとのこと。


 ここまで読んで、もう笑いがこらえられなくなってしまいました。
 だって、僕の頭の中には、死んだオヤジがエプロンをして、トレーを片手で持ちながら、店の中をウロウロと徘徊している動画が映し出されていたのです。

 「えっ、なんですか? 聞こえませんねー。もーいちど、いいですか?」
 なんて、何度も何度も注文を聞き返しています。
 きっと、しまいには、お客さんに運ぶはずの料理を、我慢できなくて途中で食べてしまうことでしょうね。


 記事の最後は、主催者のこんなコメントで締めくくられていました。
 <ちょっとしたミスにも優しい社会には、認知症になっても活躍できる場所がきっとある。>

 便利にはなったけれど、なにかと世知辛い世の中であります。
 でも、このように人のミスを笑って許せる場所が、もっともっと増えていけば……

 きっと令和は、素敵な世の中になると思うのです。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:35Comments(0)つれづれ

2019年05月18日

どこかで 誰かが⑬ 連載の力


 <「はつらつ温泉」 初めて読みました。いいお話ですね。>
 知人の男性から、メールが届きました。

 「はつらつ温泉」 とは、高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 に毎月連載しているコラムのことです。
 彼が読んだのは、今週発行号に掲載された第37話の 「好きな温泉探し」 のようです。
 この回では、僕が講師を務める温泉講座について書きました。
 泉質や効能を知ることも大切ですが、講座では “いい温泉探し” をするのではなく、みんなで自分の “好きな温泉探し” の旅をしているという内容です。

 早いもので、この連載もスタートから丸3年が過ぎ、4年目に入りました。
 で、ふと思ったのであります。
 彼は高崎市在住で、僕が 「ちいきしんぶん」 という冊子に連載をしていることも知っているのに、<初めて読んだ> と知らせてきたのです。

 たまたま見たのかもしれませんが、それにしても <初めて読む> までに3年の月日を要したということです。
 そう考えると、つくづく “連載” とは、続けることに意味があるのだと思いました。
 だって、もし、今年の3月で 「丸3年でキリがいいから」 と連載を打ち切っていたら、彼は永遠に僕のコラムを読めなかったし、メールを送ってくることもなかったわけです。


 このブログにも書きましたが、以前、イギリスに暮らす友人が、偶然、日本から送ってもらった雑誌の中に、僕の書いた記事が載っていたことに感動して、わざわざ国際電話をかけてきたことがありました。
 ※(当ブログの2018年8月10日 「どこかで誰かが⑩ロンドンの旧友」 参照)
 このときも、「単発の記事ではなく、連載だったから彼の目に留まったのだ」 と思いました。

 そう、連載の持つ “力” が、偶然の確率を大きくして必然に変えるのだと!


 その昔、雑誌社の記者を辞め、フリーランスのライターになることを決心した若き日のこと。
 「絶対、新聞や雑誌に連載を書けるライターになる」
 と、心に誓いました。
 単発の無記名記事ばかり書いていた駆け出しの頃です。

 “使い捨てライター” なんて、呼ばれたくないと……


 あれから四半世紀。
 なんとかライターを職業として今日まで暮らして来たけれど、どこまで走り続けられるのやら。
 生涯現役ライターの道は、まだまだ続きそうです。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:09Comments(2)執筆余談

2019年05月17日

湯の町に咲いた艶やかなオンパラの花


 バンドのメンバーが、ホテルの玄関前に車を横付けにして、楽器を運び入れようとしたとき、
 「あっ、オンパラですね」
 と、ホテルマンに声をかけられたと言います。
 「ビックリしちゃっよ。いきなり “オンパラ” だもの」
 すると、もう一人のメンバーが、
 「俺も 『オンパラの方ですね』 なんて言われちゃった」
 「だいぶ、有名になったもんだね(笑)」


 「オンパラ」 とは、群馬の温泉応援ソング 「GO!GO!温泉パラダイス」 のことです。
 歌っているのは、オリジナルご当地ソング専門のローカルオヤジバンド 「じゅん&クァ・パラダイス」 であります。
 もうかれこれ10年以上も前から県内のイベントや温泉地の祭りで歌っているため、業界(?) では通称 「オンパラ」 と呼ばれています。

 この歌には、県内27温泉地名が織り込まれていて、入浴マナーの所作を取り込んだ踊りの振り付けがされています。
 そのため、いつしか県内温泉地では、祭りや盆踊りの会場で踊られるようになりました。
 その集大成が、先日、ヤマダグリーンドーム前橋で開催された 「群馬デスティネーションキャンペーン(DC)」 のレセプションで披露された 「群馬女将の会」 による大オンパラ踊りだったのです。
 ※(前回2019年5月15日のブログを参照)


 で、一夜明けた一昨日のこと。
 ふたたび、伊香保温泉のホテルで開催された某旅行会社関東支部連合会の懇親会会場に、余興として呼ばれました。
 でも今度は、バンド編成であります。
 そして踊りは、伊香保温泉の女将さんたちの集まり 「お香女(かめ)会」 のみなさんと旅館の若旦那衆。
 さらに今回は、芸者さんとコンパニオンまでが加わったものだから、それはそれは大盛り上がりでした。

 「演奏中、ずーと芸者のうなじばかり見ていたよ」
 「俺は、コンパニオン」
 とメンバーは、ステージ上で、鼻の下を伸ばしっぱなしでした。

 いいですねー!
 ボーカルの僕は、それどころではありませんでしたよ。
 歌詞を間違えないように、踊りを間違えないようにと汗だくになって、ステージ狭しと飛び回っていたのですから!


 ライブ終了後、打ち上げの酒宴の席で、メンバー全員と撮影したビデオを観賞しました。
 「おお、やっぱ、芸者さんは色っぽいね~」
 「いやいや、コンパニオンの娘も可愛いですよ~」

 見つめる画面の中では、色とりどりの手ぬぐいが、歌に合わせて宙を舞っています。
 ステージいっぱいに、艶やかなオンパラの花が満開であります。
  


Posted by 小暮 淳 at 13:22Comments(0)ライブ・イベント

2019年05月15日

グリーンドームにオンパラの花が咲いた!


 ♪ GOGO温泉パラダイス YUYU湯の国ぐんま県
   GOGO温泉パラダイス YUYU湯の国ぐんま県 ♪


 咲いた! 咲いた!
 ステージいっぱいに咲き誇った色とりどりの手ぬぐいの花。
 そして、それを見つめる人、人、人、人…………

 “立錐の余地も無い” とは、まさに、こういう状態なんでしょうね。
 目の前には約800人の観衆が、あたかも渋谷スクランブル交差点の人波のように押し寄せています。


 昨日、ヤマダグリーンドーム前橋にて、2020年4~6月に展開する大型観光企画 「群馬デスティネーションキャンペーン(DC)」 を発信する全国販売促進会議が開催されました。
 この歓迎レセプションの席で、なんと! 長年、僕が県内のイベントや温泉地で歌い続けている 『GO!GO!温泉パラダイス』 を全国から集まった観光関係者の前で、独唱することになったのです。

 いつもはバンドで演奏しながら歌っている曲です。
 やっぱり、こんな大きなステージに1人では、さみしいし、心細いなぁ……
 と思っていたら、県内の温泉旅館の女将さんや若旦那たちが、手ぬぐいを持って駆けつけてくれました。
 その数、41人!

 さらにさらに、群馬県のマスコット 「ぐんまちゃん」 をはじめ、「いしだんくん」 や 「おいでちゃん」 などの温泉地のキャラクターたちまでが応援にやって来てくれました。

 ステージ上は百花繚乱の賑わいであります。


 開会式の後の乾杯から始まり、「ぐんま大使」 の中山秀征さんと井森美幸さんのトーク。
 林家つる子さん率いる 「上州事変」 による大喜利。
 お笑い芸人、アンカンミンカンの地元産品の紹介グルメレポートと続き、いよいよ、ファイナルステージを迎えました。

 <続きまして、アトラクションといたしまして、「GO!GO!温泉パラダイス」 の皆様に登場いただきます。
 「GO!GO!温泉パラダイス」 は前橋出身の温泉ライターである小暮淳さんが作詞作曲されたもので、群馬県内の温泉地をユニークに紹介するその楽しいフレーズと賑やかなステージで、県内のイベントや温泉施設でのステージで大変人気を博しています。
 それでは、おねがいいたします。>

 司会の内藤聡さんの軽妙な紹介に導かれて、ステージへ!


 思いっきり歌い、汗だくになって踊った15分間でした。
 女将さんたち、若旦那衆、ありがとうございました。

 また、一緒に躍りましょう!
   


Posted by 小暮 淳 at 10:44Comments(0)ライブ・イベント

2019年05月13日

若いって素晴らしい!?


 「小暮君は、若くっていいな」
 「えっ?」
 「60代は、まだまだ何でもできるもの」
 「はぁ…」


 仕事やプライベートでも、付き合いとなると相手は40~50代が中心です。
 気が付けば、どこへ行っても僕が年長者という場面が、ほとんどの交友関係となりました。
 そんな毎日の中で僕のことを 「小暮君」 と呼んでくださる貴重な先輩方は、この人たちしかいません。

 「ぐんまカルタ制作実行委員会」 の面々です。

 僕ら8人は、わけあって2006年に同会を発足しました。
 そして、念願かなって2008年に 『新ぐんまカルタ』 を発行・発売しました。
 このカルタには、“群馬再発見” というサブタイトルが付いています。
 戦後間もない昭和に作られた 『上毛かるた』 の進化系として、平成の世を生きる群馬の子どもたちのためにと作りました。
 ※(発足までの詳細は、当ブログの2010年12月18日 「3分の1は敵」 を参照)


 あれから11年……
 毎年5月に総会を開き、その後の販売報告を兼ねて顔を合わせ、年に一度だけ杯を重ねてきました。
 最年少だった僕が60代となり、他のメンバーは70代後半~80代となりました。
 すでに3人の同志が、物故者となりました。

 「還暦を過ぎて、だいぶ疲れてきましたけど、まだ大丈夫ですかね?」
 「健康であれば、あと10年は大丈夫だよ」
 「あと10年ですか?」
 「ああ、70歳過ぎると無理が利かなくなる」
 すると、会話を聞いていた最年長メンバーが、
 「80歳を過ぎると、できないことだらけだ」


 「小暮君は、いいな、若くって!」

 そうか、僕って、まだまだ若くて、何でもできるんですね!
 先輩たちの言葉に、俄然、勇気がわいてきました。

 あと10年は、全力疾走させていただきます。先輩!
   


Posted by 小暮 淳 at 22:10Comments(0)著書関連

2019年05月12日

徳を積む


 今日は 「母の日」 です。
 つい先日、オフクロを看取った僕にしてみれば、生まれて初めて “母のいない母の日” を過ごすことになりました。

 はて、去年までは、どうしていたのだろうか?
 記憶をたどると、確か以前は、オフクロの好物の和菓子を買って届けていました。

 ところが4~5年前からは、手を抜いて、著書にサインをして手渡すようになりました。
 というのも、その頃から本の出版日が5月になったからです。
 「何をプレゼントされるよりも、お前の書いた本をもらうのが一番うれしいよ」
 意に反して、今までになくオフクロが喜んだものですから、それからというものは毎年 「母の日」 には、著書を贈っていました。


 「はい、これ。最新刊だよ」
 「あれ、また出したんかい!? 大したものだね。うれしいよ」
 もしかしたら僕は、このオフクロの喜ぶ顔が見たくて、毎年毎年、飽きもせず本を書いていたのかもしれません。

 そして決まって、いつも、こんな会話になります。
 「でもね、かーちゃん。何冊本を書いても、全然お金にならないんだよ」
 と愚痴ると、
 「何を言ってんだい。お前は、また徳を積んだじゃないか!」
 これが、オフクロの決まり文句でした。


 「徳を積みなさい」
 子どもの頃から何かあると、ふた言目には、そう言われました。
 「なんだい、それ?」
 「世の中に無駄なことなんてないの。すべて意味があるんだから」
 と、僕が人生につまづいたり、失敗したり、いじけたり、くじけたりするたびに、かけられた言葉でした。

 “徳を積む” とは、いったいどういうことなのでしょうか?
 仏教的には、きっと深い意味があるのでしょうが、僕は昔から勝手に 「目先のことにとらわれずに、人の喜ぶことをする」 と解釈しています。

 自分がやったことの対価が、たとえ目に見えるモノで返って来なくとも、どこかで誰かが喜んでいれば、そのことには意義があったのだと……


 ま、今となっては、オフクロが、どんな思いで僕に対して、口酸っぱく 「徳を積め」 と言っていたのかは、知るよしもありませんが、今日一日は、在りし日のオフクロを思い出して、今までの恩に感謝したいと思います。

 かーちゃん、これからも徳を積めるよう精進しながら生きていきますので、見ててくださいな!
  


Posted by 小暮 淳 at 12:04Comments(2)つれづれ

2019年05月10日

トリビアが止まらない


 3ヶ月に1度行われる群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』 の構成会議に出席してきました。
 僕は、この番組のスーパーバイザーをしています。

 放送が開始されたのは2015年4月からです。
 最初はネタがマニアック過ぎて、視聴者に受け入れてもらえないんじゃないかと心配しましたが、これが大当たり!
 早いもので、5年目に入りました。
 今週の放送で、164回を数えます。


 いつもの会議室には、プロデューサー、ディレクター、放送作家ら9人が揃いました。
 まずは僕からご挨拶。
 「ぐんまの地酒大使」 に就任した報告をしました。
 その後、プロデューサーより現在の進捗状況の説明があり、7月以降のテーマ決めに入りました。

 とにかく、この会議が楽しいのです!
 各々が持ち寄ったトリビアなネタが披露されます。

 「かつて○○市に飛行場があったって知ってました?」
 「××城址の地下には、巨大な洞窟があるそうです」
 「令和改元記念シリーズをやりましょうよ」
 「万葉集特集ですかね」
 「隠れキリシタンは好評でした。ぜひ、第2弾を」
 「やっぱり、“食” も取り上げなくっちゃ!」
 「△△村に、ヘンな食い物がありますよ」

 出るわ、出るわ、次から次へと、とっておきのネタが飛び出します。
 これを聞いているだけでも楽しいのですが、参加すると、もっと楽しいのです。
 「小暮さん、温泉で何かありませんか?」
 待ってました! とばかりに、温泉トリビアをいくつか候補に挙げさせていただきました。

 ノンストップで、たっぷり2時間半の白熱した会議で、9月放送分までのテーマが決まりました。
 素晴らしい!のひと言です。
 よくぞ毎回毎回、こんなにもネタがあるものだと感心します。

 きっと無尽蔵に眠っているんでしょうね。
 群馬は謎に満ちている!
 トリビアが止まらないのであります。



    「ぐんま!トリビア図鑑」

 ●放送局  群馬テレビ (地デジ3ch)
 ●放送日  火曜日 21:00~21:15
 ●再放送  土曜日 10:30~10:45 月曜日 12:30~12:45
  


Posted by 小暮 淳 at 12:52Comments(0)テレビ・ラジオ

2019年05月08日

伊香保温泉 「ホテル木暮」②


 <伊香保の歴史は、そのまま “木暮” の歴史と言っても決して過言ではない。それが 「一番湯の宿」 と呼ばれるゆえんである。> (『金銀名湯 伊香保温泉』 より)


 伊香保の木暮といえば、言わずと知れた老舗宿であります。
 歴史もスゴイが、なによりも引き込まれている湯量がスゴイ!
 伊香保温泉の総湯量の約4分の1に当たる約1,000リットルの湯が、湯船を満たしています。
 「千両風呂」 と呼ばれる巨大庭園風呂でさえ、完全放流式(かけ流し) なのですから驚きです。

 そんな伊香保温泉の代名詞のような宿ですから、当然、僕は何度も何度も訪れています。
 古くはサラリーマン時代に、忘年会や新年会で。
 フリーのライターになってからは、雑誌や新聞の取材で。
 もちろん、一昨年に出版した 『金銀名湯 伊香保温泉』(上毛新聞社) の取材では、丸1年間、毎週のように通った温泉地ですから、ホテル木暮にも大変お世話になりました。

 また、取材以外でお世話になっているのが、講演会です。
 群馬県内の企業や団体が総会などで利用される際に、研修会名目での温泉セミナー講師を頼まれることが何度かありました。


 昨日、久しぶりにホテル木暮に行って来ました。
 でも今回は、取材でも講演でもありません。
 打ち合わせです。
 それもバンドの!

 “芸は身を助ける” と言いますが、まさか、こんな時に、バンド活動が役立つとは思いませんでした。

 来週、ホテル木暮を会場に開催される某旅行会社の関東支部連合会の総会後の懇親会の席に、我がスーパーローカルオヤジバンド 「じゅん&クァ・パラダイス」が余興の席に呼ばれることになったのです。
 なぜ、呼ばれるのかって?
 はい、主催者側によると理由は3つ。
 ① 伊香保温泉の本を書いた著者であること。
 ② 伊香保温泉大使であること。
 そして、3番目が最大の理由であります。
 ③ 群馬の温泉応援ソングを歌っていること。

 そうです!
 「オンパラ」 こと、「GO!GO!温泉パラダイス」 です。
 ※(詳しくは当ブログの2019年4月26日 「湯の国にオンパラの花が咲く」 参照)


 ということで、バンドのメンバーと、会場の下見を兼ねて、担当者との打ち合わせを済ませてきました。
 当日は、伊香保温泉の女将さんたちが、着物姿で一緒に踊ってくれることになりました。

 これまた、湯の国にオンパラの花が咲き乱れるのであります。
 GO!GO!
  


Posted by 小暮 淳 at 14:29Comments(0)温泉地・旅館

2019年05月06日

三途の川のほとりで


 「私たちが会いに行ったから、おばあちゃん、死んじゃったんだ! 会いに行かなければよかった」
 訃報を知った長女が、泣きじゃくりながら電話をかけてきました。
 「そんなことはないよ」
 「だって、会えなければ生きていたんだから」

 なんとも不思議な父娘の会話ですが、これには訳がありました。
 オフクロが亡くなる1週間前に、長女親子が病院へ面会に行ったのですが、オフクロの体調がすぐれず、会うことができませんでした。
 子どもは病室まで行けないため、子連れの面会の際は、患者自身にロビーまで降りて来てもらわなくてはならないのです。

 ところがゴールデンウィークに入ると、オフクロの容態が急変しました。
 「孫やひ孫たちに会わせてやりたい」 という願いから、病院側に無理を言って、特別、小暮家のみ子どもが病室へ入ることを許可してもらいました。

 そして、長女一家が面会に行ったのが、平成最後の日だったのです。
 その数時間後に、オフクロは他界しました。


 でもね、長女一家だけではないんですよ。
 長男も次女も、みんな駆けつけていたんです。
 姪っ子一家なんて、東京から面会だけのために、日帰りで飛んで来てくれました。

 「おばあちゃん、うれしかったんだよ」
 「そうかな」
 「みんなの手を握って、笑ってたじゃないか」
 「うん、笑っていた」
 「孫とひ孫が全員、会いに来るまで待っていたんだよ」
 「じゃあ、私たちのせいじゃないんだね」
 「その逆だよ、お前たちに会うために、おばあちゃんは、令和まで頑張って生きたんだ」

 長女は、やっと納得して電話を切りました。
 そして、出棺の時には、そっと手紙を入れていました。

 いえいえ、長女だけではありません。
 他の孫たちも、ひ孫までもが手紙を書いていました。


 きっと今頃、三途の川のほとりで、オヤジに手紙を見せているかもしれませんね。
 「俺の時は、こんなに手紙は入ってなかったぞ」
 と、やっかんでいるかもしれません。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:45Comments(4)つれづれ

2019年05月04日

平成と共に去りぬ


 子もうらやむほどに、仲のいい夫婦でした。
 だからでしょうか、せっかちで、さびしん坊のオヤジが、
 「なにをいつまでも、そっちでグズグズしている。はやく来い!」
 と、呼びつけたんだと思います。

 「いいか、どんなことがあっても、俺より先に逝くんじゃないぞ!」
 それがオヤジの口グセでした。
 その言い方は、半ば脅迫的でもありました。
 だから若い頃から “病気のデパート” と揶揄されるほどに病弱だったオフクロは、その言葉を、いつもストレスに感じていたと思います。

 10年前からオヤジが認知症を患い、その間もオフクロは脳梗塞と脳出血を繰り返しました。
 そのたびに、「おとうさんを見送るまでは、死ねないよね」 と子や孫に言い続けていました。


 今年の2月20日、オヤジが他界した日にもオフクロの体調はすぐれませんでした。
 歩くことはもちろん、すでに自力でベッドから起き上がることもできませんでした。
 「私は (葬儀には) 出られないけど、おとうさんをよろしくお願いします」
 と、僕とアニキに思いをたくし、病室で長い長い2日間を過ごしました。

 「平成が終わるけど、今度は何ていう元号だか知ってるかい?」
 「知っているよ。えーと、えーと、ちょっと待っててね。今、思い出すから……。そうだ、令和だよ」
 「じいさんは令和の時代は見られなかったけどさ、ばあちゃんは大丈夫そうだね」
 「うん」


 令和元年を迎えた午前3時過ぎ。
 けたたましく鳴る電話に、飛び起きました。
 やな、予感が脳裏を走ります。

 電話の主は、アニキでした。
 「病院から連絡があった。これから家を出る。お前も、すぐ来い!」
 駆けつけた時には、すでにベッド脇の心電図は、直線のみを描いていました。

 令和元年5月1日、午前3時43分逝去。
 享年91歳11ヶ月。
 オヤジが亡くなって、ちょうど70日目でした。

 約束どおりオフクロは、令和の時代を3時間ほど生きたことになります。


 読者の皆様、長い間、取り留めのない両親の介護話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
 昨日、家族葬にて、しめやかにオフクロをオヤジの元へ見送りました。 合掌

   


Posted by 小暮 淳 at 13:10Comments(6)つれづれ