温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2021年09月30日

湯守の女房 (32) 「女将とは、着物の半襟のようなもの」


 伊香保温泉 「和心の宿 オーモリ (大森)」 渋川市


 「いろはかるた」 の上毛かるたは、その一番目の札で 『伊香保温泉 日本の名湯』 とうたう。
 箱詰めした時に 「ら」 とともに一番上に出る赤札だ。

 敗戦で荒廃した日本が元気を取り戻す活力を群馬から発信しようと、昭和22(1947)年につくられた。
 「日本の名湯」 との表現にも、日本立て直しへの思いが込められている。


 「うちは主人で3代目になります」
 と言う女将の大森典子さんは、渋川市街地の生まれ。
 主人の隆博さんとは、親同士が知り合いだったこともあり、子どものころから家族ぐるみの付き合いをしていた。

 「主人のことは 『お兄ちゃん』 と呼んで、いつも慕っていましたから、旅館の女将になることへの不安はありませんでした」


 大正8(1919)年、隆博さんの祖父、繁さん (故人) が 「大森旅館」 として開業した。
 それ以前は、駕籠(かご)と馬により伊香保の往来交通を担い、馬の預かり所も営んでいた。
 ところが、明治43(1910)年に開通した渋川と伊香保を結ぶ 「伊香保電気軌道」 の登場で、職業替えを余儀なくされた。


 昭和62(1987)年に22歳で結婚。
 ところが、結婚式の6日後に先代女将のとし子さんが突然、59歳で他界してしまった。

 「これから色々なことを教えていただこうと思っていましたから、まさに青天の霹靂(へきれき)。天から地に落とされた気分でした」
 と当時を述懐する。
 「緊張のあまり気丈に振る舞うしかなく、鎧(よろい)を身に着けているような毎日を送っていた」
 という。
 女将業がつらくて、旅館を飛び出したこともあった。


 人生の転機は、3年後に訪れた。
 長男の出産を機に、同じ境遇で子育ての悩みを持つ伊香保温泉の若女将たちとの交流が始まった。
 旅館組合婦人部が母体となってできた 「お香女(かめ)会」 の一員として、石段でのお茶入れサービスや女将が夜の石段街を案内する 「提灯ウォーク」 などのイベントやPR活動をしてきた。

 結婚した時、ある人から 「女将とは、着物の半襟のようなもの」 と言われた。
 無いと着物として成立しないが、出過ぎると下品になる、という意味だという。

 「旅館に入って25年が経った今、まさにその通りだと思えるようになりました。そしてこれからも、そうありたいと思っています」

 今日も満面の笑みをたたえながら、日本の名湯を訪れる人たちを出迎えている。


 <2012年10月3日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:49Comments(2)湯守の女房

2021年09月29日

落語 『末期の酒』 動画配信開始!


 お待たせしました!
 本日より、落語 『末期の酒』 がYouTubeにて、動画の配信が始まりました。
 ※(動画配信までの詳細は、当ブログの2021年9月26日 「『末期の酒』 再演」 参照)

 ぜひ、お楽しみください。


 一席目 『末期の酒~牢番編』  https://youtu.be/rrRiHMlsYM8

 二席目 『ねずみ穴』  https://youtu.be/Dy1OA-kQi-c

 ※つながらない場合は、「都家前橋 末期の酒」 で検索してください。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:15Comments(0)謎学の旅

2021年09月28日

アナログ・ドライブ


 昔、といっても僕が小学生の時だから、半世紀以上も前の話です。
 我が家に、カローラが納車されました。

 マイカー時代の到来です。

 休日になると決まってオヤジは、オフクロと僕を乗せて、ドライブに出かけました。
 オフクロが助手席、僕が後部座席です。
 そして、決まって、両親のケンカが始まります。

 「おい、ちゃんと地図見てるのか!?」
 「はい、見てます」
 「今の信号、右じゃなかったのか!?」
 「……」
 「どっちなんだ!」
 「……分かりません」
 「バカもーん!! ちょっと、貸せ!」

 キキキキ――――ッ!
 と車は急停車して、オヤジがオフクロから地図を取り上げます。
 オフクロは典型的な “地図が読めない女” だったのです。

 「だったら、あなたが見てください」
 「バカもん、オレは運転してるんだ。地図を見るのがオマエの役目だろ!」
 「だからイヤなんですよ。車で出かけるのは」
 「なに~、イヤだったら降りろ! 今すぐ、降りろ!」

 毎度、この繰り返しで、後部座席の僕は、ヒヤヒヤしながら乗っていました。
 だもの、せっかくの家族ドライブなのに、ちっとも楽しい記憶がありません。

 もし、あのとき、カーナビがあったなら……
 きっと思い出も変わっていたことでしょうね。


 あれから半世紀。
 あの時の思い出がトラウマになっているはずなのに、依然、僕の車にはナビが付いていません。
 それは、なぜか?

 たぶん、根っからのアナログ人間であることと、目的地までの移動過程を楽しみたいからだと思います。


 僕は講演会が決まると、初めての会場の場合、県内ならば必ず当日までに一度、車で下見に行きます。
 もちろんナビが付いていませんから、前日から地図を見て、目的地までのルートを探します。

 この時点で、“旅” は始まっています。

 地図上にラインマーカーを引き、要所のポイントはノートに書き出します。
 当然、右折左折をする交差点の地名もチェックします。

 これで準備万端です。


 ということで、昨日は天気も良かったので、10月と11月に開催が予定されている講演会場2ヶ所の下見に行って来ました。
 途中、1ヶ所だけ信号を行き過ぎてしまいましたが、すぐにUターンして事なきを得て、スムーズにたどり着くことができました。

 往復120キロの小さな旅を楽しんできました。
 これで講演当日、迷うことなく会場にたどり着けそうです。


 なんで、そこまでしてアナログなドライブをするのかって?

 それは僕にとって仕事は、 “ビジネス” ではなく、“ライフ” だからです。
 効率ではなく、いかに楽しむか……なんですね。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:44Comments(0)つれづれ

2021年09月27日

ら抜き言葉に御用心


 先日、文化庁は2020年度の国語に関する世論調査の結果を発表しました。

 メインは、新型コロナウイルスに関連して使われる言葉について。
 「そのまま使うのがいい」 が多かった言葉は、「不要不急」 67.2%、「コロナ禍」 66.8%、「3密」 と 「ステイホーム」 61.1%でした。
 一方、「ウィズコロナ」 は29.7%と少なかったといいます。
 理由は、「説明を付けたほうがいい」 「他の言い方がいい」 という回答が多かったようです。

 そもそもカタカナ語は、年代が上がるほど利用頻度が低くなる傾向があります。
 実際、僕なんかも日々飛び込んで来るカタカナ語に、振り回されています。
 職業柄、昔から机の上には 「カタカナ用語辞典」 が常備されていますが、これが現在は、ほとんど役に立ちません。

 テレビを見ていても、新聞を読んでいても、聞いたこともない新しいカタカナ語が、次々と目と耳に飛び込んで来ます。
 そんな時はメモしておいて、後でネット検索しています。
 が、だいたいの場合、そのまま日本語に訳して使用しても問題ない言葉が、ほとんどです。

 どうして、わざわざ英訳してまで、分かりづらくするのでしょうか?
 僕には、理解できません。


 今回の世論調査では、「ら抜き言葉」 についても及んでいます。
 「見れた」 52.5%、「見られた」 46.2%
 「来れます」 52.2%、「来られます」 46.4%
 と、わずかですが、「ら抜き言葉」 のほうが過半数を超えました。

 僕は基本、「ら抜き言葉」は使いません。
 でも、最近は聞く分には慣れてきたからでしょうか、だんだん違和感がなくなってきました。

 “違和感” といえば、「ら付き言葉」 のほうに違和感を感じる言葉があります。
 「食べれる」 です。
 正しくは、「食べられる」 ですよね。
 「食べことができる」 という意味です。

 例) 私はピーマンを食べられる

 でも僕は、もう一つの意味に聞こえてしまいます。

 例) 私はライオンに食べられる

 どうしても能動態ではなく、受動態に聞こえてしまうんです。
 これだけは “ら” を抜いたほうが、しっくりくるのですが……
 みなさんは、いかがですか?
   


Posted by 小暮 淳 at 10:24Comments(0)つれづれ

2021年09月26日

『末期の酒』 再演


 『末期の酒』 という話を覚えていますか?

 昨年9月、僕は高崎市のフリーペーパー 「ちいしんぶん」 に、≪忠治外伝 末期の酒 「牡丹」 を探しに≫ という記事を書きました。
 嘉永3(1850)年に国定忠治が関所破りの罪で、大戸 (群馬県東吾妻町) の処刑場で磔(はりつけ)の刑に処せられた際、“末期の酒” に選んだのが 「牡丹」 という酒だったという内容でした。

 この記事が発端となり、忠治ファンや地酒マニアの間で、小さなムーブメントが起き始めました。


 今年3月、群馬テレビ 「ぐんま!トリビア図鑑」 で、『伝説のお大尽 「加部安」 とは?』 放送。
 番組では、僕がリポーターとなり、当時 「牡丹」 を醸造していた 「加部安」 こと加部安左衛門の酒蔵跡を訪ねました。
 この番組の冒頭とエンディングに流れたのが、落語の 『末期の酒』 でした。

 『末期の酒』 は、前橋市在住の噺家、都家前橋(みやこや・ぜんきょう) さんの創作落語です。
 前橋さんと僕は、飲み屋の常連同士。
 昨年、「ちいきしんぶん」 の記事を見せたところ、いたく感動して、この話を落語にしてくださったのでした。


 さて、群馬テレビで放送されると、「末期の酒」 は、各方面で反響がありました。
 今年4月、朝日新聞が ≪国定忠治の最期の一献 落語に≫ と見出しを付けて、大々的に報道しました。
 これに触発され、がぜん奮起したのが、都家前橋さんであります。

 「番組で放送されたのは、ほんのさわりの部分だけ。ちゃんとした落語に仕上げたい」
 と一念発起!
 めでたく、このたび完成しました。

 題して、『末期の酒 ~牢番編~』


 ということで昨日、前橋市内の某会館にて、完成お披露目会を兼ねたユーチューブ用の収録が行われました。
 コロナ禍の緊急事態宣言下のため、関係者のみの入場で行われましたが、僕も “発案者” という特別枠にて、観覧させていただきました。

 忠治が処刑前夜、末期の酒を所望します。
 出された酒は、はたして本当に 「牡丹」 なのか?
 ばくち打ちの忠治らしく、役人と最期の賭けをします。
 その丁々発止の妙技が、笑いを誘います。

 さて、その結末は、いかに!?


 ユーチューブでの配信日が決定しましたら、お知らせします。
 乞う、ご期待!


 ※(落語ができるまでの概略は、当ブログの2021年2月27日 「忠治と落語」 を参照)
   


Posted by 小暮 淳 at 12:32Comments(2)謎学の旅

2021年09月25日

見るに見かねて


 ある日、離れて暮らす娘 (長女) から、こんなメールが届きました。

 <お父ってSNS管理してくれるマネージャーさんていないの? てか!TwitterとかInstagramのアカウントないの?>

 といわれても、どっぷりアナログ人間の僕には、なんのことやら……
 もちろん、ツイッターとかインスタグラムという言葉は知っているし、まわりに、やっている人たちもいます。
 でも、それを、やったから、どうなるのかなんて、考えたこともありませんでした。

 だから素直に、返信しました。
 <マネージャーなんていないし、アカウントなんてもってない>


 すると折り返し、こんなメールが来ました。

 <私はお父の活動をSNSで宣伝したい。お父は、もったいない!(中略) 時代に合ったツールで宣伝できないのは、もったいないと思う。自分でできないなら私がしたい。>

 だから僕は、せっかくのご厚意なので、
 <勝手にお願いします>
 とだけ返信しておきました。


 そしたら先日、娘から、こんなメールが届きました。

 <勝手ながら娘が細々と父上のTwitterを開設させていただきました。>
 そして、
 <ので、父上がテレビに出演したり、本を出したり、どこかに記事を載せたり、講演したり、情報があれば、なんでもメールしてください。それをすべて娘が発信するので!>


 いったい、どういうことなのでしょうか?
 10年以上離れて暮らしている、年に盆と正月くらいしか会わなかった娘に、なにが起こったのでしょうか?

 もちろん、僕も人の親ですからね。
 離れて暮らしていようが娘は娘だし、いくつになっても子どもは可愛いし、その子から僕の仕事の手伝いをしたいなんて言われれば、うれしいに決まっています。

 滅多に電話なんてしない父親ですが、うれしかったので、礼を言おうと、恥ずかしながら娘に電話をしました。
 すると第一声は、
 「さっそくフォロワーが、ついたよ。フォロワーって、わかる?」

 おいおい、親をあんまり、からかうではない!
 フォロワーの意味ぐらい知ってるわい!

 「それくらい知ってるんだ。だったら話は早い。逐一、情報を送ってよね」


 なんとも不思議な親子の会話でした。
 “老いたら子に従え” って言いますからね。
 あまり疑問に思わず、していただけることは、していただこうと思います。

 てか、不甲斐ない父親を見るに見かねて、手を差し伸べてくれたんでしょうね。

 感謝!m(__)m
  


Posted by 小暮 淳 at 11:21Comments(2)つれづれ

2021年09月24日

湯守の女房 (31) 「何度も泊まりに来てくれる方が増えました」


 このカテゴリーでは、ブログ開設11周年企画として、2011年2月~2013年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『湯守の女房』(全39話) を不定期に掲載しています。
 湯守(ゆもり)とは源泉を守る温泉宿の主人のこと。その湯守を支える女将たちの素顔を紹介します。
 ※肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。


 北軽井沢温泉 「御宿 地蔵川」 (長野原町)


 生誕100年を迎える木下恵介監督による日本初の長編カラー映画 『カルメン故郷に帰る』(1951) が8月31日 (日本時間9月1日)、イタリアのベネチア国際映画祭のクラシック部門で上映された。

 高峰秀子が主役のストリッパーを演じたコメディー映画。
 そのロケ地の一つが、旧草軽電気鉄道の北軽井沢駅だった。
 新軽井沢~草津温泉間の55.5キロを結んでいたが、昭和37(1962)年に全面廃止。
 旧駅舎は、平成18年(2006)年に国の登録有形文化財になった。
 「御宿(おやど) 地蔵川」 の近くに残っている。


 木下監督ら映画のロケ隊が宿泊したのは、昭和17(1942)年に創業した前身の 「地蔵川旅館」。
 2代目当主の土屋勝英さんの母が、材木業を営んでいた夫を早く亡くし、5人の子どもを育てるために営み始めたという。
 「地蔵川」 は北軽井沢の旧地名だ。

 長野県生まれの大女将の民子さんが勝英さんと結婚したのは、草軽電鉄廃止の2年後のこと。
 それでも高度経済成長期のレジャーブームに乗り、60~80年代はマイカーで訪れる観光客でにぎわった。
 「とくに夏は、目が回るほどの忙しさでした。避暑を求める観光客をはじめ、テニスやゼミ合宿などに来る学生らでいっぱいでした」。
 宿名も 「地蔵川ホテル」 に改名した。


 転機は平成5(1993)年。
 敷地内の井戸水に析出物が見られることから 「もしかしたら温泉かもしれない」 と検査したところ、天然温泉の成分があると判明。
 許可を取って温泉のあるホテルとし、日帰り入浴客も受け入れた。


 女将の幸恵さんは岐阜県生まれ。
 3代目の基樹さんと8年前に結婚した。
 当時、別荘やキャンプ場からの日帰り入浴客が急増し、ホテルではなく、日帰り入浴施設と間違われることもあった。
 2人は 「このままだと宿泊客がお湯にゆっくり浸かれない」 と考え、5年前、和風旅館に改装し、宿名を 「御宿 地蔵川」 に変えた。

 「宿泊のお客さまのことを第一に考え、思い切って改装して良かった。何度も泊りに来てくれる方が増えましたから」
 と女将の幸恵さん。

 大女将の民子さんは、
 「夫は 『先の見えない時代で、宿の経営は大変だから自分の代で終わってもかまわない』 と話していました。それでも2人が立派に継いでくれました」
 と笑顔で返す。
 そして、
 「一度言い出したら頑固な息子ですけど、幸恵さん、どうかついて行ってあげてね」
 と付け加えた。


 <2012年9月19日付>
   


Posted by 小暮 淳 at 09:59Comments(0)湯守の女房

2021年09月23日

【速報】 相間川温泉サミット 開催決定!


 たった今、主催者より連絡があり、今年も 『相間川の温泉暖議(サミット)』 が開催されることになりました。

 開催日/2021年11月13日(土)~14日(日)
 会 場/相間川温泉 「ふれあい館」 高崎市倉渕町

 参加要項とプログラムの詳細は発表され次第、当ブログに掲載いたします。


 いや~、うれしい限りです!
 昨年12月、このコロナ禍で、危ぶまれながらも開催に漕ぎつけた第1回の温泉サミット。
 開けてみたら、締め切りを待たずに定員となり、あっという間にソールドアウト!
 県内外から熱~い温泉ファンが集まってくださいました。

 昨年は僕が基調講演を行い、その後、自由討論式意見交換会 (温泉サミット) が開催されました。


 入浴の後、夕食会でも温泉談議。
 翌日も朝食の後、温泉サミットの “まとめ談議” が行われました。

 ま~、宿に着いてから帰るまで、温泉温泉温泉づくしの温泉三昧ですから、温泉好きには “たまらない” 至福の2日間だったのではないでしょうか?


 今年は、スペシャルゲストの参加もありそうですよ。
 今から内容の発表が待ち遠しいですね。

 取り急ぎ、開催決定の報告でした。
 マスコミ等への正式発表があり次第、掲載いたします。
    


Posted by 小暮 淳 at 12:10Comments(0)講演・セミナー

2021年09月22日

類友記者


 「○○新聞の××です」

 ケータイのディスプレイにも、そう表示されました。
 ということは過去に会ったことのある人です。

 聞き覚えのある名前だし……えーと、えーと……

 「以前、紙芝居を取材させていただきました」

 はいはい、覚えております!
 若い男性の記者さんですね。

 「その節は、大変お世話になりました」
 そう礼を言うと、
 「近々、小暮さんを取材させていただけますか?」
 「えっ、僕を?」


 ということで昨日、市内の喫茶店で記者と会いました。

 彼は九州の出身。
 新卒で大手新聞社に入社。
 最初の赴任地が群馬で、3年目だといいます。

 ということは、察するに20代半ば。
 若いはずです。
 僕とは、親子以上の歳の差があります。
 その彼が、また、なぜ、僕なんかを取材対象に選んだのでしょうか?


 まあ、一般の人よりは目に付く、派手な仕事をしていますから、新聞や雑誌からの取材を受けることは多々あります。
 でも、その場合、著書を出版したり、大使に任命されたり、大きな講演会をしたりと、何らかのアクションを起こしたときのスポット記事です。
 ところが今回は、どうも取材の主旨が違うようであります。

 「まず、高校を卒業したあたりから、お話を聞かせていただけますか?」

 ええっ? それって、もしかして、僕の半生を追うの?


 聞けば、日曜版の特集で、全文90行以上の記事になるといいます。
 たいがい、どこの新聞も1段に印字されている1行の文字数は11~12字ですから、なななんと! 1,000字越えの大きな記事になります。
 1,000字といえば、原稿用紙3枚弱ですぞ!

 こりゃ大変だ~!
 片手間に取材を受けるわけにはいきません。
 もっと身を引き締めて、真摯に受け答えをしようじゃありませんか!


 それにしても、なぜ、大新聞さんが、僕なんかをクローズアップして特集記事を組むのでしょうか?
 取材を受けるのは、まず、その疑問を解消してからです。

 「なんで、僕なの?」
 彼の返答は、たった一言でした。
 「はい、温泉と日本酒が大好きなんです! 小暮さんの本も持っています」

 おおおーーー!!!
 お若いのに、いい趣味をお持ちだ。
 温泉と日本酒だとは、実に素晴らしい!

 「ええ、ぜひ、群馬の温泉大使であり、地酒大使である小暮さんにお会いして、一度、直にお話を聞いてみたいと思っていました」


 ということで、たっぷり2時間の取材を受けました。
 なぜライターになったのか?
 なぜ温泉に興味を持ったのか?
 から始まり、著書や講演活動にいたるまで、たっぷりと話してきました。

 「小暮さんの生き方って、カッコイイですね」
 「えっ、カッコイイ?」
 「だって好きなことを仕事にして、しかもフリーでされているなんて」


 そんなことを取材された記者から言われたのは、初めてです。
 ちょっとカッコつけて、話しちゃいましたかね。

 ま、だったらカッコイイ記事にしてくださいな。
 掲載を楽しみにしています。


 “類は友を呼ぶ” ならぬ、“湯と酒は記者を呼ぶ” ようであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:29Comments(0)取材百景

2021年09月20日

ニューヒーロー誕生!


 ≪焼きまんじゅうが人助け≫

 なんともユニークな見出しを付けた記事が、今日の上毛新聞に掲載されました。
 早くも昨日、開催された 「神社かみしばい」 で上演した新作を報じる記事です。


 僕らは、今年1月より毎月1回、伊勢崎市の伊勢崎神社境内にて、「神社かみしばい」 と題して、オリジナルの創作紙芝居を上演しています。
 僕らとは、主催者である 「壽ちんどん宣伝社」 の座長・石原之壽、画家でイラストレーターの須賀りす、そして原作者の僕です。

 第1回より地元の伊勢崎市に伝わる竜宮伝説を題材にした 『いせさき宮子の浦島太郎』 を上演してきました。
 が!
 このたび、前橋市在住の絵本作家、野村たかあき先生のご厚意により新作の絵本紙芝居が完成!
 めでたく昨日、初上演することができました。


 紙芝居のタイトルは、『焼きまんじゅうろう 旅すがた』。
 その第1話、「おきりとおこみの巻」。

 群馬のソウルフード “焼きまんじゅう” をキャラクターにした正義の味方 「焼きまんじゅうろう」 が、江戸の世の上州を舞台に大暴れする勧善懲悪の痛快時代劇です。
 第1話では、捕らわれた幼なじみのおきりとおこみ姉妹を助けに行きます。

 必殺技は、“あまから剣法みそだれ返し”

 さあ、まんじゅうろうは悪党たちから無事、姉妹を助け出すことができるのか?


 上演は午前10時から午後1時まで、1時間置きに4回行われました。
 いや~、さすが! 「絵本にっぽん賞」 を受賞した作家の書き下ろし紙芝居とあって、初回から会場には大勢の方がお越しくださいました。

 ほとんどが大人の方で、すべて野村先生のファンであります。
 「新聞記事を見て、高崎から来ました」
 という年配の女性をはじめ、伊勢崎市外からのお客さまばかりです。

 あっという間に、用意したイスは満席となりました。


 次回の上演は、来月10月10日(日) です。
 たくさんの方のお越しをお待ちしております。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:21Comments(0)神社かみしばい

2021年09月18日

オオカミに乗って


 目が覚めると、そこは薄暗い洞窟の中だった。
 ウッとむせ返るような獣臭が、鼻孔を突いた。
 寝床を手で探ると、フカフカの毛皮の上だった。

 やがて洞窟の入り口から朝日が射すと、状況が分かってきた。
 何頭ものオオカミの群れ……
 そのオオカミの群れの真ん中に、僕は横たわっていた。

 突然、群れが一斉に洞窟の入り口を向いた。
 一頭の若いオオカミが、息を切らしている。
 そして話し声がする。

 なぜか僕は、オオカミの言葉が分かるらしい。
 「人間が、すぐそこまで来ている。森が荒らされている」

 すると、ムクッと寝床が動き、僕は地面に振り落とされてしまった。
 僕が寝ていたのは、群れの中でも一番大きなオオカミの腹の上だったのだ。

 「ロボ、どこへ行くの?」
 僕は、なぜか一番大きなオオカミの名前を知っていた。
 たぶん、子どもの頃に読んだシートン動物記の 『オオカミ王 ロボ』 から勝手に付けた名前だと思うけど……。

 「行く」
 「どうして?」
 「この森は人間のものじゃない」
 そう言うとロボは、洞窟を飛び出した。

 「まってよ、僕も行くよ!」
 僕はロボの背中に飛び乗った。
 後からオオカミの群れも続いた。

 ロボは疾風のごとく、森の中を走り抜けた。


 ここで夢から覚めました。
 なぜ、こんな夢を見たのかは分かっています。
 寝る前に、柴田哲孝・著 『WOLF』 という本を読んだからです。

 舞台は埼玉県の奥秩父。
 両神山周辺で次々と家畜が襲われる不可思議な事件が発生します。
 昔から “山犬伝説” が残る地で、その山犬らしき大型動物の群れが徘徊しているという目撃談が警察に寄せられていました。

 という柴田哲孝氏お得意のネイチャーミステリーであります。


 山犬とはオオカミのことです。
 日本にはかつて 「ニホンオオカミ」 が生息していましたが、明治時代に絶滅しています。
 でも僕は、この絶滅したニホンオオカミが、今でも日本のどこかで生き延びているのではないかと思っています。
 そう思うようになったのは、かれこれ15年以上も前のこと。
 取材で “幻の犬” を見てからです。

 群馬県上野村に、十石犬 (じっこくいぬ) という犬が保存会により守られています。
 柴犬のルーツといわれる土着犬です。
 昭和の初め、長野との県境にある十石峠で、「すごい犬を見た!」 というウワサが広がりましたが、やがてウワサはなくなり、昭和30年代には絶滅したといわれています。

 ところが上野村で十石犬の血を受け継ぐ犬の交配を繰り返し、復活させたというニュースを知り、僕は取材に飛んで行きました。
 そのとき見た、十石犬の “目” が今も忘れられません。

 “クサビを打ったような沈んだ目”
 保存会の人は、十石犬の目のことを、そう言います。
 確かに見つめていると、深い沼のようで吸い込まれそうになる独特の目をしていました。


 だもの、きっとニホンオオカミも、どこかにいますって!
 たとえ絶滅したとしても、血を受け継ぐ山犬が生きていると思うんです。

 夢の中で見た夢が叶う日を、僕は夢見ています。


 ※(十石犬については、当ブログ2010年11月9日、12日の 「十石犬を追え!」 上・下を参照)

   


Posted by 小暮 淳 at 17:27Comments(0)読書一昧

2021年09月17日

長くて短くて硬くて柔らかい話


 全国大学保健管理協会関東甲信越地方部会研究集会

 ながーーーーーーい!
 漢字23文字のタイトルが付いたプログラムが送られて来たときは、正直、ビビりました。

 なんのことかと言えば、昨日開催されたオンラインイベントのタイトルです。
 僕は、このなんとも長く堅苦しい集会にゲストスピーカーとして呼ばれ、講演をしてきました。


 きっかけは、2年前。
 いつもの飲み屋のカウンター。
 馴染みの客から声をかけられました。
 「今度、うちのイベントで温泉の話をしてもらえませんか?」
 の誘いに、酔っていたこともあり何にも考えず、二つ返事で引き受けてしまいました。

 時はめぐり、1年後の昨秋。
 新型コロナウイルス感染拡大により、群馬県内の某ホテルで開催が予定されていたこのイベントは、延期となってしまいました。
 そして今年、主催者側の苦渋の選択の結果なのでしょうか?
 1年遅れでオンラインによる開催となりました。


 イベントのサブタイトルには、こう書かれています。
 <互いに支え合いながら連携する支援のあり方を求めて ~ウィズ・コロナ時代に~>

 そしてプログラムを開けると、2日間にわたり、そうそうたる演者の肩書がオンパレードです。
 ○○大学学長、××大学教授、△△医院院長……

 げっ、げげげーーーーっ!
 その肩書の羅列を見ただけで、僕はめまいがし、気分が悪くなり、嘔吐しそうになりました。
 ばっ、ばっ、場違いじゃないかーーーーっ!

 なんで、ヤツ (常連客) は、オレなんかを誘ったんだよ~!!
 これって、パワハラ? それともイジメ?

 だって、演者の略歴一覧で、“高卒” なんて、僕だけですよ。
 まあ、昔から学歴コンプレックスなんて、微塵も持ち合わせてないし、心臓は心臓が見えないくらい毛に覆われていますけどね。
 それにしても、“場違い” であります。


 恐る恐るプログラムの自分のページをめくりした。

 <教育講演2 ポスト・コロナ時代を見据えて>
 <演者:小暮 淳 (温泉ライター/NPO法人 『湯治乃邑(くに)』 代表理事)>
 とあります。

 教育講演? ポスト・コロナ時代?
 完全に僕とは無縁の言葉たちであります。

 えーーーーーい、もう、こうなりゃ、どうにでもなれーーーーっ!

 と、半分ヤケのヤンパチ状態で、当日に臨みました。


 会場は主催の当番校であります群馬大学の荒牧キャンパス
 オンエア1時間前に入り、担当者と打ち合わせの後、カメラの前に立ちました。

 イベントのタイトルが長いわりには、演者一人の持ち時間は40分と、かなり短めです。
 ふだん90~120分の講演をしている僕からしたら、あっという間に終わってしまいました。

 しかも、しっかり笑いも取りましたよ!
 ステージ (?) に立ったら、こっちのものです。
 ライブを得意とするお笑い芸人と一緒です。
 どんなに硬いタイトルを付けられようと、ウケた者勝ちですからね。

 しっかり、やわらか~い、温泉話をしてまいりました。
 結果、ちゃ~んと 「コロナが収束したら群馬の温泉へ、いらっしゃ~い!」 って、 “ポスト・コロナ時代を見すえた” 話に仕上がりました。

 めでたし、めでたし (笑)


 主催者のみなさん、もしよろしかったら、これに懲りずに、また呼んでくださいませ。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:37Comments(0)講演・セミナー

2021年09月16日

湯守の女房 (30) 「これからは、また本来の温泉地の姿に戻るだけです」


 水上温泉 「ひがきホテル」 (みなかみ町)


 夏の水上温泉周辺は、ラフティングやキャニオニング、バンジージャンプなどのアウトドアスポーツを楽しもうと、都会から車で駆けつける若者たちでにぎわう。
 その中にあって、温泉街は昔ながらの落ち着いた湯の町風情が、あちこちに残っている。
 なんと言っても草津、伊香保、四万と並ぶ群馬の “四大温泉地” の1つなのだ。

 「ひがきホテル」 は射的、スマートボールなどの遊戯場やみやげ物屋が点在する目抜き通りの一角に建っている。

 「ホテルも私も昭和27(1952)年の生まれ。ともに還暦になります」
 と、ほほ笑む3代目女将の日垣由美さんは富山県生まれ。
 父親は旧国鉄マンだ。
 大学卒業後、郷里で英語塾を開いていた。
 26歳の春、高崎市の叔父に連れられてホテルを訪ね、3代目主人の博史さんと出会った。
 遠距離恋愛の末、1年後に結婚した。

 「私はよそから来た、まったくの素人だったので、旅館業というものが分かりませんでした。だから、すべて自分流なんです。妻として、母として、何役もこなしたい。女将も自分の顔の1つだと思っています。」

 由美さんの名刺には、ひらがなで 「おかみ」 と書いてある。
 「“女の大将” なんて、なんだか偉そうで」


 宿は、魚の行商で兵庫から群馬に来た博史さんの祖父、浅次郎さんが、世話人から水上温泉を紹介され、「ひがき旅館」 を開業したことに始まる。
 交通の便が良く、経済が右肩上がりの高度成長期、バブル経済期には企業や団体の慰安旅行客でにぎわい、温泉地は隆盛の一途をたどった。

 しかしバブル崩壊後、様相は一変した。
 水上温泉だけでなく、全国の大温泉地が今、あり方を模索している。

 「男性客中心の温泉場遊びの時代は、とうの昔に終わりました。これからは、また本来の温泉地の姿に戻るだけです。いつの時代でも変わらないもの、決して変わってはいけないことがあります。日本の料理、調度、もてなしの良さを伝えることが、旅館の役目と思っています」


 7年前、東京でサラリーマンをしていた息子の雄亮さんが会社を辞めて、ホテルに入った。
 4代目の社長となり、若女将の沙織さんとともに、次世代の水上温泉を見すえている。

 「これから、温泉地は絶対に変わります。20年後の水上温泉と息子夫婦のゆくえが楽しみですね」
 そう言って、4代目にエールを送った。


 <2012年9月5日付>

 ※ 「ひがきホテル」 は廃業しました。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:04Comments(0)湯守の女房

2021年09月15日

「神社かみしばい」 9月口演


 依然つづく、緊急事態宣言。
 8月口演は中止となりましたが、慎重に検討を重ねました結果、会場である伊勢崎神社様のご厚意により、9月口演は予定通り開催されることになりました。

 ただし!
 感染防止強化のため、屋内開催は行わないことになりました。
 よって、“雨天中止” となります。


 さて、今年の1月より伊勢崎神社 (伊勢崎市) の境内で毎月開催している 「神社かみしばい」。
 ご当地民話を題材に、創作紙芝居を上演しています。

 第1弾は、伊勢崎市内に伝わる竜宮伝説をもとに作った 『いせさき宮子の浦島太郎』。
 作=小暮淳、画=須賀りす、演=石原之壽

 初回の口演以来、テレビや新聞などで、たびたび報道されたため、おかげさまで毎回、大勢の方々にご高覧いただいております。
 スタッフ一同、心より御礼申し上げます。


 そして今回、満を持して新作紙芝居が登場いたします!
 タイトルは、『焼きまんじゅうろう 旅すがた』。
 郷土群馬のヒーロー、“焼きまんじゅうろう” が、バッタバッタと悪人どもをやっつける勧善懲悪の時代活劇であります。

 原作および脚本は、前橋市在住の絵本作家、野村たかあき先生。
 作画も先生自身が担当してくださいました。
 (詳しくは当ブログの2021年8月27日 「紙芝居 『焼きまんじゅうろう』 完成!」 参照)

 今回上演するのは、シリーズ第1話。
 題して 「おきりとおこみの巻」。
 まんじゅうろうが、幼なじみの姉妹を救うため、悪党どもと戦います。。
 乞う、ご期待!


 感染防止対策を万全にして、お待ちしております。
 


          「神社かみしばい」 9月口演
   『焼きまんじゅうろう 旅すがた ~おきりとおこみの巻~』
 
 ●日時  2021年9月19日(日)
       10時、11時、12時、13時 ※雨天の場合は中止
 ●会場  伊勢崎神社 境内 (群馬県伊勢崎市本町21-1)
 ●入場  無料 (投げ銭制) ※ペイペイ可
 ●問合  壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480
  


Posted by 小暮 淳 at 11:54Comments(0)神社かみしばい

2021年09月14日

緊急事態宣言下の温泉旅館


 今日は、温泉大使からの小さなお願いです。

 昨日より19都道府県で、まさか!の緊急事態宣言の延長が始まってしまいました。
 群馬県もご多分にもれませんでした。

 飲食店をはじめ、様々な業種で 「もう限界だ!」 と疲弊の声が聞かれます。
 なかでも群馬県は、全国屈指の “温泉県” であります。
 「群馬」 といえば 「温泉」、「温泉」 といえば 「群馬」 といわれるくらい、温泉は観光の目玉。

 その群馬の宝 “温泉地” が、今、窮地に追い込まれています。


 昨年初めの新型コロナウイルス感染拡大以来、不要不急の外出は自粛されました。
 その最たるものは、旅行です。
 それでも昨年は、まだマシだったのです。
 国のGOTOキャンペーンやら県の愛郷プロジェクトなどの支援もありましたから、大変ながらも多少の人流はありました。

 ところが、今年は、どうでしょう?
 まん延防止等重点措置からの緊急事態宣言、からの再びの延長であります。
 しかも今回は、国からも県からも救いの手はありません。

 これでは、“弱り目に祟り目” “泣き面に蜂” ではありませんか!

 だからといって依然、世の中は自粛ムードに満ちていますから、温泉旅館自らが 「安全ですから、いらっしゃ~い!」 とは、うかつには言えません。
 ただただ、ジッと耐えながら、コロナという鬼の過ぎるのを待つだけしかないのです。


 しかーーーーし!
 それでは、あまりにも忍びない!
 まがいなりとも、僕は群馬県内4温泉地の “温泉大使” なのですぞ!
 温泉地側から声を発せないのであれば、今こそ、代弁者として声を上げましょう!

 ということで、県内の温泉関係者に話を聞いてきました。


 たぶん、みなさんが一番気になることは、酒類の提供ではないでしょうか?
 これについて関係者は、こう答えます。
 「宿泊者に限定して、ホテル旅館内の食事会場でのアルコール提供は、要請の対象にはなっていません」

 ということで、ほとんどの宿泊施設では、通常通りの営業をしているようです。
 なかには食事処やレストラン、宴会場での酒類の提供を自粛している宿もあるようですが、その場合でも部屋食ならば問題はないとのことでした。


 次に気になるのは、バイキング形式の食事についてでしょうか?

 昨年の新型コロナウイルス感染発生当時は、ホテルや旅館から一律、このバイキング料理が姿を消しました。
 この件について関係者は、こう語ります。
 「お客さまが料理を取るのではなくて、料理人が、そのつど料理を作り、手渡すという方式に変わったところが多いようです」


 いかがですか?
 温泉地は、この逆境を乗り越えるべく、知恵を絞り、日本の文化を守り抜こうとしているのです。

 このご時世ですから、「いらっしゃい」 とは言えません。
 でも少しでも、みなさんの心に思いが届いたなら、群馬の温泉へ足を運んでくださいませ。

 温泉大使からの小さな願いであります。
  


Posted by 小暮 淳 at 13:01Comments(2)大使通信

2021年09月13日

時間湯 VS 伝統湯


 なんだか、きな臭い雰囲気になってきました。

 草津町議会は、湯治客の健康や症状を判断することなどが医療的行為として法令に反する恐れがあるとして、2019年に入浴法を指導する 「湯長」 制度を廃止した草津温泉独自の入浴法 「時間湯」 について、名称を 「伝統湯」 に変更することを決定。
 施行は10月1日からで、以後、「時間湯」 の名称を使わないことになりました。


 ほほう、そういう展開になりましか!
 なんだか、全面戦争の装いであります。

 発表によれば、条例改正により、2ヶ所ある時間湯を行っていた共同浴場の 「地蔵の湯」 と 「千代の湯」 は、それぞれ 「伝統湯地蔵」 「伝統湯千代」 と改名し、これまで時間湯が行われてきた浴場のことは 「伝統湯浴場」 と呼ぶことになりました。


 この条例改正について、黒岩信忠町長は、このようにコメントしています。

 <湯長廃止の議論の中で 「時間湯」 を商標登録しようとしたが、町側の申告より前に “時間湯関係者” が申請していたことが判明した。>
 <(関係者らによる時間湯の) 私物化の証しそのものだ。いつまでも科学や法令に基づかない伝統への独善を断ち切る意味でも、「伝統湯」 と改めた。>
 (2021年9月11日付 上毛新聞より)

 おおお~、完全なる宣戦布告であります!


 今後の運営については、「伝統湯地蔵」 では時間湯としての利用を廃止し、貸切風呂として有料化。
 これに伴い、浴槽の改修やシャワー設備の増設を行うため、一時利用を中止するとのことです。
 一方 「伝統湯千代」 は管理人が常駐し、湯もみやかぶり湯といった時間湯での伝統的な作法を利用者に手ほどきするとのこと。入浴料は無料。
 また時間湯で48度前後と高温が問題視されていた湯温については、いずれの浴場も44度以下とすることになりました。


 伝統か? 行政か?
 この問題のややこしい所は、行政側が “伝統” という言葉を使っているところです。

 混浴問題しかり!
 伝統や文化は本来、守り継ぐべきものなのですが、令和の時代には、そぐわなくなっているようであります。


 時間湯 VS 伝統湯
 はたして軍配は、どちらに?

 (ところで町長と女性議員のスキャンダル問題って、解決したんでしたっけ?)
  


Posted by 小暮 淳 at 11:42Comments(3)温泉雑話

2021年09月12日

ケツの穴とカッパの手


 どこかの県の知事さんが、SNSなどのインターネット上で誹謗中傷を書かれたことに腹を立て、訴訟まで起こし、特定した発信者に謝罪をさせたらしいですね。
 書き込みというのが、「詐欺師」 「犯罪者の一人」 「馬鹿丸出し」 「賄賂や不正金のオンパレード」 といった内容だったようですが、その程度で? と思ってしまったのは僕だけでしょうか?

 その程度なら47都道府県の知事のもとには連日、届いていそうですが……

 でも知事さんは、言います。
 「知事自ら立ち向かう姿勢は県民の啓発になる。表現の自由と、他人を中傷する人格攻撃は明らかに違う」

 そこまで言われてしまうと、“ごもっとも” と屈服するしかありません。
 悪意のある誹謗中傷は、ささいなものでも無いに越したことはありませんものね。


 さる会合の席で、この話題がでました。 
 すると某氏が、バサッとひと言で切り捨てました。

 「ケツの穴が小さい男だよ」


 ケツの穴? 尻の穴? えっ、どっちだろう?
 よく使う言葉だけど、これって “ことわざ” なの?

 どんな時に使う言葉かといえば、「度量がせまい」 とか 「小心者」 のたとえに使いますが、“ケツ (尻) の穴” が小さいって、どういうことよ?


 「尻の穴」 と聞くと、僕は、どうしてもカッパの話を思い浮かべてしまいます。
 河童伝説は日本全国にあります。
 もちろん群馬県内にも東西南北、いたる地域に残っていますが、僕が思い浮かべるのは、妙義山のカッパの話です。

 妙義山のカッパは、人間に化けて里に現れます。
 ある日、一人の村人が畑仕事をしていると、見慣れない若者がやって来て、「おらにも、手伝わせてくんろ」 と言いました。
 村人は、「今時の若者にしては、なんて親切なんだろう」 と感心しながら、一緒に畑を耕しました。
 ところが、なんだか若者の様子がおかしいのです。
 時々、若者は村人の尻のあたりに手を出しては、引っ込めています。

 「おかしなヤツだなぁ……」
 と思っていましたが、やがて村人は、若者がカッパだと気づきます。
 カッパは人間の内臓が大好物で、尻の穴から手を入れて、引っ張り出して食べると聞いていたからです。
 一計を案じた村人は、家に帰り、尻に金網を入れて畑にもどりました。

 すると若者に化けたカッパは、
 「あんたの尻は、硬くてかなわない。もう人間を食うのはよそう」
 と言って、逃げ帰ったといいます。


 尻の穴が小さければ、カッパの手は入りませんから、防御になります。
 転じて、“臆病者” や “心配性” のことを言うようになった言葉……
 なーんてことは、ありませんよね。

 たぶん、本当の語源は違うところにありそうですが、カッパの話も言い当てていて妙であります。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:06Comments(2)つれづれ

2021年09月11日

地酒と民話と温泉と


 「180点でいいよな……」
 帰り道、車の中で一人ごちました。

 なんの点数かといえば、昨日の講演の出来栄えです。
 もちろん基準は、100点満点。
 なのに180点とは、かなり甘めであります。

 いいじゃないですか!
 このコロナ禍だももの。
 講演を開催できただけで、すでに100点の下駄を履かせても……


 明日で終わると思っていた緊急事態宣言。
 群馬県も大都市圏並みに、延長が決定してしまいました。
 今月いっぱいだなんて……
 きっと、どの業界でも、ため息がもれていることでしょうね。
 とくに飲食店は、死活問題です。
 いえいえ、そのレベルはとっくに超えて、我慢の限界に達していることでしょう。

 そんな緊急事態宣言延長が決定した最中、またしても僕は講演を行ってきました。
 先日行った講演に続いて、会場は同じ市の管轄の公民館です。
 (当ブログの2021年8月25日 「不要不急なれど必要火急なり」 参照)


 「ほかの市では軒並みイベントは中止なのに、なぜT市は寛容なのですか?」
 僕は会場に着くなり開口一番、出迎えてくれた館長に質問しました。
 すると、笑いながら、こう言いました。
 「たぶん市長が強気なんですよ」
 「市長が?」
 「ええ、県の言うことなんて聞きませんからね(笑)」

 実は、この公民館で講演をするのは、今回で4回目になります。
 2018年から毎年、恒例のように僕の講演会を開いてくださっています。
 テーマも毎回、異なります。
 温泉だったり、民話だったり……

 で、今回のテーマは?

 僕が 「ぐんまの地酒大使」 ということで、“地酒” についてお話をしてきました。
 でも持ち時間が2時間もありますからね。
 すべて地酒では、お酒を呑まない人には飽きられてしまいます。
 ということで、群馬県内の地酒と民話と温泉をめぐる旅の話をさせていただきました。

 「コロナが収束したら、ぜひ、今日お話しした温泉をめぐりながら民話や地酒を楽しんでください」
 そう締めくくり、講演を終えました。


 「大変楽しいお話でした。みなさん、旅をした気分になっと思いますよ」
 講演終了後、館長が声をかけてくださいました。
 「ありがとうございます。では、180点ということで!」
 「180点?」

 開催できただけでも、もうけものです。
 その主催者の熱意と努力に、僕から100点を差し上げます。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:44Comments(0)講演・セミナー

2021年09月09日

なぜか今 「焼きまんじゅうろう」


 <懐かしいのは祭りの日、露店で食べた焼きまんじゅうの味。「武骨だけど、どこかほのぼのとしている。群馬の魅力に通じるものがありますね」
  その焼きまんじゅうをキャラクター化した絵本紙芝居 「焼きまんじゅうろう」 が8月に完成。友人たちの手によって伊勢崎神社 (伊勢崎市) の境内で披露される。>
 (2021年9月6日付 朝日新聞群馬版より)


 「焼きまんじゅうろう」 は、2008年に前橋市在住の木彫・絵本作家、野村たかあき先生により誕生した郷土のキャラクターです。
 当時、先生から 「ジュンちゃん、こんなキャラクターを作ったからテーマソングを作曲してよ」 と手渡されたのが2作の詞でした。
 『焼きまんじゅうろう 旅すがた』 と 『焼きまんじゅうろう 子守歌』。

 さっそく、この詞に曲を付けて、その年のライブから我がバンド 「ジュン&クァパラダイス」 が演奏を始めました。
 やがてレコーディングされ、CDが地元のラジオ局で放送されると、県内のイベントや祭りに呼ばれるようになりました。
 また同時に高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 で、キャラクターが県内の焼きまんじゅう文化を紹介する 『焼きまんじゅうろうが行く』 という記事の連載もスタートしました。


 苦節13年、なぜか今 「焼きまんじゅうろう」 が再燃しています。
 今年になって、これで2度目の新聞記事です。
 (当ブログの2021年6月12日 「今日の朝日新聞 “拙者、焼きまんじゅうろうでござる!” 参照)

 今週の記事では、こう締めくくられています。
 <三度笠にかっぱ、脇差しといういでたち。必殺技 「あまから剣法みそだれ返し」 でみそを飛ばし、悪者を退治する正義の味方だ。>


 興味を持った方は、ぜひ、伊勢崎神社へ。
 「神社かみしばい」 の詳細は、
 (当ブログの2021年8月27日 「紙芝居 『焼きまんじゅうろう』 完成!」 参照)
  


Posted by 小暮 淳 at 17:58Comments(0)神社かみしばい

2021年09月08日

湯守の女房 (29) 「温泉水で顔を洗うだけ。化粧水も乳液も付けたことはありません」


 老神温泉 「牧水苑」 沼田市


 「牧水苑(ぼくすいえん)」 の名は、旅を愛し、各地で歌を残した歌人の若山牧水 (1885~1928) からとった。
 牧水の著書 『みなかみ紀行』 などによると、牧水は大正11(1922)年10月、老神(おいがみ)温泉を訪れ、1泊している。

 「この時、牧水さんを案内したのが、旅館を経営していた私の曽祖父でした」
 と、女将の桑原球(たまき)さんは話す。
 当時、3軒の宿があったが、内湯はなく、湯治客は片品川の河原の野天風呂に入ったという。

 球さんの父母は、「あわしま荘」(現・吟松亭あわしま) を創業し、次女の球さんは高校卒業後、母のもとで若女将として修業した。
 ご主人の朝吉さんは20代の頃、森林組合担当の県職員で、球さんの父が村の森林組合長をしていたため、仕事でよく 「あわしま荘」 に泊まった。
 その縁でお見合いをし、昭和50(1975)年に結婚した。
 朝吉さんは県を退職し、同57年に球さんと 「牧水苑」 を立ち上げた。


 老神温泉は 「脚気(かっけ)川場に瘡(かさ)老神」 と言われ、皮膚病に効くとされる。
 「アトピー性皮膚炎に効果があるともいわれます」
 肌の美容にもいいようで、
 「毎晩、化粧を落とした後は、温泉水で顔を洗うだけ。化粧水も乳液も付けたことはありません。私の肌が証明しています」
 と笑った。

 伝承にもお湯の効果がうたわれる。
 昔、赤城山の神 (ヘビ) と日光男体山の神 (ムカデ) が戦い、追われた赤城山の神が、体に受けた矢をこの地に突き刺すと、お湯が湧いた。
 その湯に体を浸すと傷はたちまち治り、男体山の神を日光に追い返した。
 このため、この地を 「追い神」 と呼ぶようになり、「老神」 になったといわれる。


 泉質は弱アルカリ性の単純温泉。
 女将13人でつくる 「老神温泉女将の会」 は、温泉水を配合したクレンジングウォーターやスキンローションの企画開発も手がける。
 会は平成14(2002)年に 「女将と踊る盆踊りで温泉街を盛り上げよう」 と発足した。
 「盆踊りは観光客との交流の場なんです」


 牧水苑のロビーでは牧水の掛け軸や写真、関連書籍などを展示している。
 「何年か前に、東京在住の牧水さんのお孫さんが訪ねて来られました。思いがけなく祖父の足跡をたどることができたと言って、涙をこぼされていたのが印象的でした」

 ファンならずとも、群馬を愛し、上州路を歩きつづけた歌人の足跡に触れると、改めてその偉業に魅せられる。


 <2012年7月25日付>

 ※「牧水苑」 は2020年5月に廃業しました。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:04Comments(0)湯守の女房