2021年11月30日
泊まって 「御湯印」 をGET!
みなかみ温泉大使、四万温泉大使、伊香保温泉大使からのお知らせです。
すでに新聞等の報道で、ご存じの方も多いと思いますが、群馬県内5つの温泉地の宿泊者を対象に、訪問記念の 「御湯印(ごゆいん)」 をプレゼントするキャンペーンが始まりました。
企画したのは県や市町村、観光協会などでつくる 「ググっとぐんま観光宣伝推進協議会」。
対象は、草津、伊香保、四万、万座、みなかみ18湯にある宿泊施設の宿泊者です。
配布場所は各温泉地の観光協会の事務局で、領収書などの宿泊を証明できるものの提示か、公式サイト内の特設ページでアンケートに回答し、終了画面を見せると受け取れます。
「御湯印」 は、各温泉とも先着1万5,000人 (計7万5,000人) で、無くなり次第終了。
また、各温泉地で先着500人には、「御湯印ケース」 がプレゼントされます。
キャンペーンは、すでに始まっていて、期間は来年2月28日まで。
●問合/ググっとぐんま観光宣伝推進協議会 TEL.027-243-7273
2021年11月29日
2番じゃダメなんです!
「くやしいです!」
思わず、ザブングルのギャグが口を突いて出てしまいました。
先日発表された “温泉イメージランキング” です。
リクルート (東京都) が発行する 「じゃらん」 が、インターネットで全国の20~50代計1,005人からアンケートを行い、「温泉と聞いてイメージする都道府県ランキング」 を発表しました。
その結果、1位は大分県、2位は群馬県、3位は北海道でした。
ぬぁぬぁぬぁんですとーーーーーーー!!!!!
怒り心頭に発し、お笑い芸人・ザブングル加藤の顔になってしまいました。
ダメなんです!
2番じゃ、絶対にダメなんです!
先日、読売新聞の取材に対して僕は、こうコメントしています。
< 「 『群馬と言えば?』 と問われると、温泉と返す人は多い。逆に、『温泉と言えば?』 と問われて群馬と即答する人はあまりいない。>
(2021年11月8日 読売新聞群馬版 「クローズアップ」 より)
コメント通りの結果となってしまいました。
「群馬と言えば温泉」 と答えるのは当たり前。
その逆こそ、真なり!
「温泉と言えば群馬」 と答えてこそ、温泉界の “絶対王者” になれるのです。
たぶん、僕の力不足なんでしょうね。
大いに反省しています。
「じゃらん」 によれば、群馬について 「草津温泉が有名だから」 「湯畑を思い出す」 との草津温泉に関するコメントが多かったといいます。
ほーらね、草津に “おんぶにだっこ” されているからダメなんです!
チームですよ、チーム!
「湯の国ぐんま」 が一丸となって闘わなければ、1位の座は永遠にありませんぞ!
さあ、立ち上がれ!
百九十万の民よ!
そして、温泉大国として、絶対王者になるのだ!
断じて、2番じゃダメなんです!
2021年11月27日
紀伊國屋書店 “著書フェア” 開催決定!
コロナにも負けず、冬の北風にも夏の猛暑にも負けず、世間の好奇な目と身内の白い目にも負けず、北に温泉があれば行って湯に入り、南に民話があれば行って話を聞き、貧しさに耐え、差し押さえにおののきながらも、いじけもせず、ただひたすらに自分の信じる道を歩き続けていると、時には良い事があるものです。
なんと!
あの紀伊國屋書店様が、僕の著書を一堂に集めた “著書フェア” を開催してくださることになりました。
思えば、振り返ること苦節ウン十年……
世に出した著書は十と数冊……
とはいえ、地方出版によるローカルな本ばかり……
売れたところで、高が知れています。
借金の催促と家族の愚痴で、耳に大きなタコができながらも、今日まで、こうして生きながらえて来られたのは、ただただ、この仕事が “好き” だから。
そして、いつも必ず、まわりには僕を支えてくれる素敵な仲間たちがいてくれました。
本当に本当に、ありがとうございます。
感謝しかありません。
ということで、来年2022年2月中旬から1ヶ月間、紀伊國屋書店前橋店 (けやきウォーク1階) にて、「小暮淳 著書フェア」(仮) が開催されることになりました。
紀伊國屋書店でのフェア開催は、2017年5~6月に 『金銀名湯 伊香保温泉』(上毛新聞社) の出版を記念した 「群馬の温泉シリーズフェア」 以来、5年ぶりとなります。
でも前回は温泉本のみのフェアでしたが、今回は出版元のちいきしんぶん様と上毛新聞社様がコラボしてくださり、温泉に限らず、民話や里山の著書もすべて展示・販売してくださることになりました。
会場では、一昨年から県内書店で巡回展を行っている拙著 『民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) の表紙画展も併設される予定です。
コロナ禍に苦しんだ2年間、2年目の歳の瀬になり、やっと明るいニュースが入って来ました。
今後、書店側との3社合同による企画会議が行われ、詳細が話し合われます。
正式なタイトル、会期が決まり次第、読者のみなさんには報告いたします。
乞う、ご期待!
2021年11月26日
坂道の古本屋
秋の夜長、みなさんは、どのように過ごしていますか?
僕は、もっぱら音楽を聴きながら読書、ときどき映画鑑賞です。
便利な世の中になりました。
自宅に居ながらネットで、しかも無料で映画が観られるのですからね。
必ずしも観たい映画がアップされているわけではありませんが、それでも過去に観逃した名作を探しては、酒を呑みながら観ています。
『D坂の殺人事件』
江戸川乱歩の作品が目に留まりました。
まだ観ていませんでした。
「確か監督は、実相寺昭雄だったのでは……」
とスタッフ欄をみると、違いました。
2015年のリメイク版でした。
しかも、舞台となる古本屋の妻は、グラビア女優の祥子さんです。
(ときどき週刊誌を立ち読みしていましたから、彼女のことは知っていました)
演技は、そこそこでしたが、とにかく色っぽい!
そして官能的であります。
夫は、名バイプレーヤーの木下ほうかさん。
大正時代という時代設定と、ほうかさんの得体のしれない存在感が、なかなかマッチしていました。
約2時間の映画でしたが、飽きることなく、最後まで観終えることができました。
でも、見終わってから、どこか消化不良を起こしている自分に気づきました。
「あれ、こういう話だったっけ? 原作は少し話が違ったはずだが……」
そう思ったら、居ても立っても居られません。
深夜だというのに、僕は書庫 (という名の納戸ですが) へ向かいました。
書架の奥の奥の方に、ありました!
すでにセピア色にあせた 「江戸川乱歩推理文庫」。
その第1巻 『二銭銅貨』 の中に、短編 『D坂の殺人事件』 は収録されていました。
話は、D坂 (東京都文京区本郷の団子坂) の喫茶店で、“私” と探偵が、向かいの古本屋の妖艶な女 (古本屋の女房) の行動が気になってしまい、様子を見に行くと……
そんな始まりです。
この “探偵” こそが、明智小五郎であり、乱歩作品の初登場です(大正14年)。
一気に読み終えてみて、分かりました。
映画と、どこが違うのか?
長さです。
簡潔に展開する短編小説と、2時間たっぷりと映像で観せる映画とでは、まずテンポが違い過ぎます。
となれば、登場人物も多くなり、エピソードも足されます。
「な~んだ、小説とは別物だったんじゃないか」
と、観終えた時の違和感を払拭することができました。
その昔、角川映画に、こんな宣伝コピーがありました。
<読んでから見るか、見てから読むか>
得てして、人は原作至上主義になりがちです。
そもそもファンとは、そういうものですが、やはり概念を捨てることも大切なのですね。
でないと小説も映画も、“作品” として楽しめませんものね。
今さらながら秋の夜長に、学びました。
2021年11月25日
おめでとう! ダブル受賞
朗報が飛び込んで来ました!
「ぐんまの地酒大使」 としては、大変喜ばしいニュースであります。
日本酒の出来栄えを評価する 「第92回 関東信越国税局酒類鑑評会」 で、群馬の地酒が最優秀賞をダブル受賞しました。
受賞したのは、<吟醸酒の部> の町田酒造 (前橋市) 「清嘹(せいりょう)」 と、<純米酒の部> の牧野酒造 (高崎市) 「大盃(おおさかずき)」 です。
群馬県内の酒蔵が最優秀賞を受賞するのは3年連続。
吟醸酒の部は142品から、 純米酒の部は89品からの受賞ですから、ともに狭き門といえます。
とにかく、素晴らしい!
そして、うれしいじゃありませんか!
現在、僕は 高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) の紙面で、『群馬の地酒 ほろ酔い街渡(ガイド)』 というエッセイを連載しています。
このシリーズでは、群馬県内の全酒蔵をめぐっているのですが、取材では必ず試飲をするため、移動は公共交通機関を利用しています。
そして、その日のうちに高崎市内に戻り、昼間取材した酒蔵の酒が置いてある居酒屋で締めくくるという、何とも手間をかけた贅沢な記事を書いています。
たぶん、そのへんの “労” が評価されたのだと思います。
2019年4月に 「ぐんまの地酒大使」 に任命されました。
町田酒造さん、牧野酒造さん、おめでとうございます!
群馬の地酒のレベルが高いことを証明していただき、本当にありがとうございます。
2021年11月24日
おやじの湯 (1) 「お湯の立場になって最良の状態で湯舟に注ぎ込めるようにするのが湯守の役目だ」
このカテゴリーでは、2012年2月~2013年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『湯守の女房』 の番外編 『おやじの湯』(全7話) を不定期にて掲載いたします。
源泉を守る温泉宿の主人たちの素顔を紹介します。
※肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
四万温泉 「積善館」 中之条町
元禄4年(1691)年に建てられた日本最古の湯宿建築の 「本館」 (県指定重要文化財) をもつ 「積善館(せきぜんかん)」 は、四万(しま)温泉のシンボルである。
19代目亭主 (社長) の黒澤大二郎さんとは、24年の付き合いになる。
バンジョーを愛し、私のアマチュアバンドとも共演する。
“生まれたばかりの湯” が満ちた 「元禄の湯」 に2人で久しぶりに浸かった。
大正ロマネスク様式を用いた昭和5(1930)年建築の湯殿だ。
アーチ形の窓と左右対称に並ぶ5つの湯舟が美しい。
「温泉は生き物。赤ん坊と同じで、手をかけて、あやして、面倒をみてやらないと、人を入れさせてくれない。人間が温泉に合わせなくてはならない」
が、黒澤さんの持論だ。
彼は異色の経歴を持つ。
24年間の県庁勤務を経て、平成9(1997)年に退職し、積善館に入った。
当時、若女将 (18代目関善平の長女) が、旅館の立て直しに苦労している姿を黙って見ていられなかったという。
「形に捕らわれない自分の自由さを生かした仕事がしたかった」
というのも旅館に入った理由だ。
黒澤さんは、四万の良さを再発見するシンポジュウムや展覧会、音楽ライブなどを催し、創業約320年の老舗に新風を吹き込み続けた。
渓谷の斜面に並ぶ3つの宿泊施設のうち、最も高台にあるのが昭和61(1986)年に建てられた 「佳松亭(かしょうてい)」。
真ん中が同11(1936)年に建てられた桃山様式の 「山荘」 で、本館の向かいの 「元禄の湯」 が入る 「前新(まえしん)」 とともに国の登録文化財である。
本館と山荘の間には細長いトンネルがある。
本館前の四万川の支流、新湯(あらゆ)川には赤い欄干の 「慶雲橋(けいうんばし)」 が架かる。
宮崎駿監督のアニメ映画 『千と千尋の神隠し』 に登場する不思議な町に入るトンネル、巨大な湯屋の前の赤い橋など、作画のヒントになったと思われる場所が随所にある。
宮崎監督も積善館に数回宿泊したという。
黒澤さんが案内役となって、宿泊客と館内をめぐる 「歴史ツアー」 「アニメツアー」 も人気だ。
「湧き出した温泉をあまりいじらず、お湯の立場になって最良の状態で湯舟に注ぎ込めるようにするのが、湯守(ゆもり)の役目だ。それができないのなら 『鳥や獣に温泉を返しなさい』 と言いたい」
久しぶりに裸の付き合いをすると、歯切れのよい言葉が次々と飛び出してきた。
熱い湯談議が楽しい。
<2012年2月1日付>
2021年11月23日
「神社かみしばい」 11月口演
月日が経つのは、早いものです。
長引くコロナ禍の中、「子どたちに夢と笑いを」 と、密を避け、今年の1月から神社の境内で始めた 「神社かみしばい」。
あれよあれよのうちに季節は4つ過ぎ、今月で11回目を迎えます。
僕らスタッフは、同級生やチンドン屋仲間です。
「地元群馬のために何かできないか?」
「知られざる民話や伝説を掘り起こし、紙芝居にして上演しよう!」
そんな世間話から、この企画は誕生しました。
会場となる伊勢崎神社の宮司さんも、僕の同級生です。
「地元のためなら、同級生のためなら」
と、快く場所を提供してくださいました。
さてさて、今月の 「神社かみしばい」 は?
『いせさき宮子の浦島太郎』
●作/小暮 淳 (フリーライター)
●画/須賀りす (画家・イラストレーター)
『焼きまんじゅうろう 旅すがた』
●作・画/野村たかあき (木彫家・絵本作家)
●演/石原之壽 (壽ちんどん宣伝社 座長)
※28日はスペシャル口演! 作家の著書やイラストの販売があります。
晩秋の青空の下で、たくさんの方のお越しをお待ちしております。
「神社かみしばい」 11月口演
●日時 2021年11月27日(土)、28日(日)
10時、11時、12時、13時 ※雨天の場合は屋内開催
●会場 伊勢崎神社 境内 (群馬県伊勢崎市本町21-1)
●入場 無料 (投げ銭制) ※ペイペイ可
●問合 壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480
☆小暮は28日のみ在社いたします。
2021年11月22日
「ちろりん坂」 と 「かみなり坂」
今日は、伊香保温泉大使から “ちょっぴりためになる伊香保の豆知識” をお話しします。
過日、このブログで、伊香保温泉(渋川市) には、「リンダ坂」 という不思議な名前の坂があることを書きました。
すると、思いのほか反響があったので、驚いています。
「ネーミングが面白い!」 「理由を聞いて笑った!」 との声が寄せられました。
※(当ブログの2021年11月12日 「リンダ、こまっちゃう!」 参照)
伊香保温泉は、坂道が多い温泉街として知られています。
メインの石段街からして長い坂道ですが、脇道に入ると、大小無数の坂道があります。
「リンダ坂」 は、その中でも傾斜角度が温泉街最大ということで、前回紹介しました。
さてさて、「リンダ坂」 は通称でしたが、正式名なのに不思議な名前の坂があるんです。
まずは、「ちろりん坂」。
温泉街を東西に走る県道 (通称:一文字通り) から下る坂道です。
「ちろりん」 と聞くと僕ら世代は、子どもの頃にテレビで見た人形劇の 「チロリン村とくるみの木」 を思い出しますが、由来は違いました。
昭和40年代頃、このあたりには芸者の置屋がたくさんあり、三味線や鉦、太鼓などの稽古をする音が聴こえたので、地元では 「ちろりん村」 と言われていたとのことです。
「ちろりん坂」 の西には、「かみなり坂」 があります。
このあたりは、雷が頻繁に鳴っていたことから 「雷(らい)之塚 」 の地名があり、その名残で坂名になったようです。
実は伊香保は、雷の多い群馬でも昔から最も多い地域だといわれてきました。
その証拠に、明治12(1879)年7月、県内で最初に避雷針が設置されたのが伊香保でした。
また 「イカホ」 の語源についても、「イカヅチ(雷)」 と燃える 「ホ(火)」 からきているのではないかという説があります。
いかがでしたか?
浴衣で、そぞろ歩くには少し寒い季節にはなりましたが、日中の暖かい時間に坂をめぐる “晩秋の伊香保歩き” を楽しんでみてはいかがでしょう。
きっと、何か新しい発見がありますよ!
2021年11月21日
湯守の女房 (39) 最終回 「やるなら最初から本気でやりましょう」
湯端温泉 「湯端の湯」 高崎市
高崎市吉井町の牛伏山(うしぶせやま)のふもと。
湯端(ゆばた)温泉の歴史は古く、明治時代にはすでに自然に湧き出ている鉱泉があったという。
初代女将の桑子よねさんが高齢のため、平成18(2006)年から休業していたが、孫で3代目主人の済(とおる)さんと妻で現女将の真澄さんの2人が昨年6月、6年ぶりにリニューアルオープンした。
真澄さんは、高崎市で飲食店アルバイトをしていた時に、結婚式場に勤めていた済さんと出会い、21歳で結婚した。
3年間は東吾妻町の真澄さんの実家で暮らした。
済さんは町内の温泉旅館で修業をしながら、湯端温泉再開に向け、施設設計や資金繰りなどを真澄さんと話し合ってきた。
「知り合ったときから夫は、いつかは宿を開けたいと話していました。私も接客業は嫌いではありませんから、『やるなら最初から本気でやりましょう。もしダメだったら、その時は2人で勤めに出ればいい』 って、だいぶ背中を押しちゃいました」
と屈託のない笑顔を見せる。
改築した本館は玄関に 「湯端温泉」 の看板がかかる。
木造2階建てで、1階に内風呂やカフェスペース、ウッドデッキのテラスを設置した。
テラスからは夏、矢田川を飛び交うホタルを観賞できる。
旧館の宿泊棟、離れの浴室もリニューアルした。
「オープンしたら、すぐにかつての常連客や温泉ファンが全国から来てくださいました。ネットによる口コミで噂が広まったようです」
と済さんが言えば、真澄さんは
「近くにこれといった観光地がないので、仕事で利用する人がメインになるのかと思っていましたが、小さな子ども連れの若い夫婦が多いんですよ」
と意外な客層に驚いている。
女将も4歳と1歳の子育て中。
「お風呂は貸し切りだし、うちにも小さい子どもがいるので、気をつかわなくてすむのかもしれませんね」
塩辛い泉だったことから、地域で大切に守られてきた。
「誰かが温泉宿をやれよ」
と地元から声が上がり、料理人だった祖父の清さんが昭和46(1971)年に始めた。
済さんは小さい頃から祖父に可愛がられて育ったという。
「お前が高校を卒業するまでは頑張るから、後は頼む」
と話していたが、済さんが高校2年の時に80歳で他界した。
祖母のよねさんは、リニューアルオープンから4ヶ月後の昨年10月、90歳で天寿をまっとうした。
誰よりも孫夫婦が宿を継ぐ日を楽しみにしていた。
遠い空から清さんと一緒に、若い2人の奮闘ぶりを見守っていることだろう。
<2013年3月27日付>
このカテゴリーでは、2011年2月~2013年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『湯守の女房』(全39話) を不定期に掲載してまいりました。。
ご愛読いただき、ありがとうございました。
2021年11月20日
太宰と群馬の温泉
『わらう!太宰治』
そのタイトルに、惹かれた。
太宰治=苦悩する作家、というイメージの真逆のコピー。
思わず、受付で 「どなたのコピーですか?」 と訊いてしまいました。
当然ですが、「学芸員です」 との回答。
つくづく、ネーミングは大切だと思いました。
現在、群馬県立土屋文明記念文学館 (高崎市) で開催中の第113回企画展 『わらう!太宰治』 に行って来ました。
僕にとっての太宰との出合いは、ご多分にもれず、まずは教科書の 『走れメロス』 でした。
そして、思春期に読んだ 『人間失格』。
それと 『津軽』 『斜陽』 『女生徒』 くらいでしょうか……
しかし展示会では、そういった代表作ではなく、数ある太宰の作品の中でも 「わらい」 に注目。
ユーモアや機知に富む秀作群に光を当てて、太宰文学の懐の深さを紹介しています。
大人になって僕は、思わぬところで太宰文学と再会しました。
それは、温泉です。
太宰は、2度、群馬の谷川温泉 (みなかみ町) に訪れています。
1度目は、昭和11(1936)年8月、薬物中毒と肺病の治癒のために単身で滞在しています。
2度目は、同12年3月、妻の小山初代と2人で訪れています。
初代と谷川山麓で心中を図ろうとしますが、未遂に終わり、その後2人は離婚します。
この2回の滞在で宿泊した宿は、川久保旅館でした。
(現在の 「旅館たにがわ」 の駐車場が跡地)
谷川温泉では、『創生記』 を執筆しています。
また後に 『姥捨(うばすて)』 の舞台としても描かれました。
太宰は、昭和15(1940)年4月、四万温泉 (中之条町) にも訪れています。
この時は、太宰が師と仰ぐ井伏鱒二や友人たち数名と滞在しています。
のちに発表された 『風の便り』 は、四万温泉がモデルとされています。
この時、一行が滞在したのは 「四萬館」 でした。
2つの温泉地での太宰にまつわるエピソードは、拙著 『みなかみ18湯 【下】』 と 『あなたにも教えたい四万温泉』 に記載されていますので、興味のある方は、ぜひ、一読されたし!
企画展では、「群馬と太宰」 と題し、2つの温泉地での貴重な写真や資料が展示されています。
企画展 『わらう!太宰治』
●会期 開催中~2021年12月19日(日)
●開館 9:30~17:00
●休館 火曜日
●料金 一般 500円 大学・高校生 250円
●問合 群馬県立土屋文明記念文学館 TEL.027-373-7721
2021年11月19日
ミニ同室会
「編集長、お久しぶりです。お元気ですか?」
僕は過去に3つの雑誌の編集人をしたことがあります。
うち2誌は廃刊になりました。
電話をくれたのは、現在も発行が続いている雑誌の元スタッフの女性です。
僕は20年前、この雑誌を立ち上げた初代編集長でした。
「久しぶりに集まりませんか? ランチでもしましょうよ!」
そう言って彼女は、他2名に声をかけてくれ、今週、4人の元スタッフらが顔を合わせました。
幹事役を引き受けてくれたSさんは、現在は2児の母親です。
当時は新卒で、20代前半のキャビキャビのギャルでした。
O君は現在、編集室を離れ、他の部署の責任者をしています。
あの頃30代でしたから、すでに50代になっているはずです。
そしてH君。
彼も当時は30代。
雑誌では、営業の担当でした。
でも今は、現・編集長であります!
「これはこれは、編集長までお越しくださいまして、ありがとうございます」
早めにランチ会場に着いた僕が、みんなを出迎える形となりました。
「イヤだな~、編集長は!」
なぜか元スタッフは、雑誌を離れた今でも僕のことを “編集長” と呼んでくださるのです。
「初代編集長が現編集長を出迎えるなんて、いいですね~」
とO君。
すると、照れたようにH君が言いました。
「編集長が編集長ですよ。僕は名前を受け継いだだけですから」
謙遜する彼に、僕も言い返しました。
「何言ってるんだい! 俺は雑誌を作っただけだよ。20年間も続けてきたことが素晴らしい! まさに “継続は力なり” だ。創刊20周年、おめでとう!」
平日の昼時、彼らは仕事の途中です。
生ビールで乾杯したいところですが、そこは僕一人が我慢。
ソフトドリンクで、再会を喜び合いました。
当然、話の中心は、他の元スタッフの近況報告となりました。
独立して店を開いた者、結婚して双子の母になった者、出世して本社勤務になった者……
20年という月日が、一瞬にして走馬灯のように回り出しました。
「編集長は、変わりましたよね」
とO君。
「俺、変わったか?」
「ええ、丸くなりましたよ。昔は、暴れん坊でしたから!」
その言葉に、元スタッフが爆笑。
「そんなに俺、ヤンチャだったか?」
「ええ、それは、もう、大変でした!」
Sさんの言葉に、さらに笑い声が高まりました。
あれから20年……
そりゃあ、みんな変わるよな……
「コロナが明けたら、今度は居酒屋でやろうな!」
僕の言葉に、元スタッフらは今の職場へと戻って行きました。
僕は一人、自転車にまたがり、ゆっくりと昼下がりの街へとペダルを漕ぎ出しました。
2021年11月18日
ローリングストーン
♪ Rolling 30 動けない花になるな
Rolling 30 転がる石になれ ♪
(吉田拓郎 「ローリング30」 より)
「ジュンちゃん、人生は老いてからが面白いんだよ」
電話の中から、はずんだ彼の言葉が聞こえてきました。
彼とは、かれこれ30年以上の付き合いになります。
共にギターを鳴らし、歌い、意気投合し、酒を酌み交わした仲です。
ただし、彼の方が僕よりも、ひと回り近くも年上になります。
それでも昔から何かと接点があり、仕事を一緒にしたこともあり、年齢差を感じずに今日まで付き合ってきました。
「今年いっぱいで、旅館を辞めようと思ってね」
「えっ!?」
出会った時の彼は、県の職員でした。
それが突然、何を思ったか、将来を約束されている仕事を離れて、温泉地の旅館に勤め始めてしまいました。
彼は40代の半ばでした。
もともと才能と実力のある人ですから、あれよあれよの間に夢を形にしていきました。
支配人、副社長、そして、ついには社長にまで上り詰めます。
話を聞けば、決して順風満帆ではなかったようですが、彼の信念は揺らぐことがありませんでした。
そんな彼から突然、電話がかかってきたのです。
「ジュンちゃん、すごいね~。大活躍だ。群馬の温泉っていったら、名実ともにジュンちゃんだものな」
話しの口火は、そんな、僕をヨイショする言葉から始まりました。
そして、旅館を辞める話に……
「どうしてさ? 辞めて、どうするの?」
「九州へ行く」
「きゅうしゅ~う?」
「ああ、すっごい山奥なんだけどさ、小さな土地を買ったんだ」
「そこで、何をするの? 隠居生活かい?」
「まさか~! ちょっとね、いろいろとやりたいことがあるんだよ」
70歳を過ぎて、あらためて人生を考えてみたのだという。
縁もあり、九州に移住し、“第3の人生” の選択に至ったという。
いったい彼は、これから先の人生で、何をしようとしているのだろうか?
思えば彼は、いつも何かに挑戦し続けている人だった。
きっと、また新しい生きざまを見せてくれることだろう。
風の便りを待ちたいと思います。
それにしても 「人生は老いてからが面白い」 だなんて……
なんとも彼らしい言葉であります。
♪ 振り向いた昨日に恥じないように
仰ぎ見る明日に恥じないように
Rolling 30 動けない花になるな
Rolling 30 夢吹く風になれ ♪
2021年11月17日
大泉町のみなさんへ
なんともハードなスケジュールでした。
“4日間×1日2回=計8講演”
の最終日が、昨日、無事に終了しました。
群馬県邑楽郡大泉町の教育委員会主催による令和3年度 「いきいき元気塾」。
10月中旬から11月中旬の1ヶ月間に、町内全地区の60歳以上の住民を対象に開催されました。
コロナ前でしたら対象住民を4分割で行えたのですが、密を避けるため1回30~40人の定員となったため倍の8回講演となった次第です。
会場は 「大泉町公民館」 と 「大泉町文化むら」。
僕の住む前橋市からは車で約1時間半かかります。
それを4日間通い、午前の部と午後の部の講演を繰り返し行いました。
演題は 『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の裏舞台~』
拙著 『民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) をベースに、群馬県内に伝わる民話や伝説だけでなく、身近な言い伝えや伝承、風習などについてもお話しさせていただきました。
もちろん聴講者は毎回変わりますので、同じ話を繰り返しすれば良いのですが、それでは話し手の方が飽きてしまいます。
ので、毎回、「次は、“まくら” の部分をちょっと変えようかな」 とか、「前回のあの話はいらなかったな」 などと少しずつですがマイナーチェンジしながら、本人も飽きないように創意工夫しながら全8回の講演を終了しました。
実は僕、毎回、大泉町へ行くのが大変楽しみだったんです。
その理由は、3つ!
1つ目は、昼食のお弁当。
用意してくださるお弁当が毎回 (製造元) 違うんです。
しかも、すべて味のレベルが高い!
午前の部が終わり、楽屋に戻ると置いてある弁当の包みを開くのが楽しみとなりました。
2つ目は、スタッフの笑顔。
教育委員会の担当者は、2人とも女性です。
歳の頃は……分かりませんが、お2人とも、よく笑います。
マスクで顔の半分は隠れていますが、それでも笑顔の素敵な人は分かりますよね。
お会いするだけで、心が和みました。
そして3つ目!
もちろん、大泉町の町民のみなさんにお会いできることです。
とにかく、みなさん真面目で、熱心です。
僕の話に、笑うところでは、しっかり笑ってくださいますし、それ以外の時は、真剣にメモを取っています。
そして何よりも楽しみは、講演終了後にロビーで触れ合いながら聴講者らから直接、感想が聞けることです。
「楽しかったです」 「ためになりました」 「今度、民話の舞台を訪ねてみます」 などなど……
なかには 「もっと聴きたかったです」 「また講演をしてください」 と熱烈歓迎してくださった人もいました。
大泉町のみなさん、大変お世話になりました。
そして、ありがとうございました。
また、会いましょう!
2021年11月15日
湯守の女房 (38) 「お湯だけは胸をはって自慢ができます」
尻焼温泉 「関晴館」 中之条町
尻焼(しりやき)温泉のお湯は、新潟県境に近い旧六合村 (中之条町) を流れる長笹沢川の川床から湧いている。
川の一角を仕切り、プールのようにした野天の川風呂につかると、吹き上げる熱い湯で、お尻が焼けそうになるというのが名前の由来だという。
昔から痔(ぢ)の治療に効果があるとされてきたが、なるほど、そんな格好になる。
近くの花敷(はなしき)温泉が古くから開けていたのに比べ、尻焼温泉は道が険しく、周辺にたくさんのヘビが生息していて人を寄せつけなかったため、温泉宿ができるのが遅れたといわれている。
尻焼温泉に3軒ある旅館の中で最も古い 「関晴館(せきせいかん)」 の開館は、昭和元(1926)年。
花敷温泉に明治34(1901)年創業の 「関晴館本館」 があったので “別館” を名乗っていたが、本館が廃業したため別館の名をはずした。
「ここは昔も今も変わりません。山深くて、まわりには何もなく、寂しくてホームシックにかかったこともありました」
と3代目女将の関ますみさん。
群馬県長野原町生まれ。
6年前に他界した主人の守さんとは、昭和48(1973)年に見合い結婚。
それまでは前橋市内の特別支援学校で寮母をしていた。
「旅館の仕事は、毎日が同じことの繰り返し。お客さまを迎え、もてなし、見送る。まったく知らない世界だったので、仕事を覚えるのに無我夢中でした」
と振り返る。
折しも高度経済成長の波に乗った温泉ブームで、連日連夜、満員のにぎわいだったという。
草花を愛し、ドライフラワー作りで寂しさを紛らわしてきた。
ホオズキ、ツルウメモドキ、ベニバナ……。
ロビーには、地元で採れたさまざまな草花が飾られている。
その中に、「日本秘湯を守る会」 と書かれた大きな提灯が目を引く。
同会設立の昭和50(1975)年からの会員宿である。
高度成長期、バブル経済の温泉ブームが去った後、同館を支えているのは、真の温泉ファンという。
「秘湯好きの人たちは、景気不景気に関係なく来ていただけますからね」
内風呂と長笹沢川に臨む露天風呂からは、惜しみなくザーザーと滝のように湯があふれ流れている。
真冬のこの時季に加温をせずに、かけ流せるのは、源泉の温度が高く、湯量が豊富な証拠である。
「建物は古いし、サービスも行き届かない面もあります。でも、お湯だけは胸をはって自慢ができます」
女将の言うとおり、この湯と風光明媚な景色があれば、ほかに何もいらない。
そう思えてくる秘湯の宿である。
<2013年2月27日付>
※「関晴館」 は廃業しました。現在は経営者が変わり、旅館名も変わっています。
2021年11月14日
著者に会う
とっても楽しい2日間でした。
昨日、『第2回 相間川の温泉暖議(サミット)』 が、群馬県高崎市倉渕町の相間川(あいまがわ)温泉 「ふれあい館」 で開催され、無事に閉幕しました。
参加された20名の方々、お疲れさまでした。
そして、大変お世話になりました。
実は僕、レギュラーパネリストでありながら今回は、ちょっとミーハー気分で、ワクワク、ドキドキしながら当日を待ち望んでいました。
というのも、今回のゲストパネリストが凄かった!
温泉ファンならば、ご存じの方もいると思いますが、今から23年前に出版されたベストセラー 『温泉の医学』 (講談社現代新書) の著者で医学ジャーナリスト・信濃毎日新聞特別編集委員の飯島裕一先生が、参加され、しかも基調講演までされたのです。
『温泉の医学』 といえば、温泉好きにとっては必読の書!
当然、僕の書架には、常に手の届くところに置かれている “バイブル” であります。
さらに8年前 (2013年) に出版された 『温泉 とっておきの話』 (海鳴社) などは、もう何度、繰り返し読み込んでいることか……
そんな、僕にとってはカリスマのジャーナリストが、サミット会場で席を並べて、互いに基調講演を披露するという、なんとも夢のようなひと時を、過ごしてまいりました。
第1部の 「シンポジュウム」 で飯島先生は、「〇〇の湯の秘密」 と題して、プロジェクターを使いながら、全国、そして世界の効能豊かな温泉を科学的、医学的に分析した話をしてくださいました。
僭越ながら、後を継いで僕もマイクを取らせていただきました。
今回の僕の講演タイトルは、「温泉発見伝説~群馬の御三家~」。
日本武尊、弘法大師、源頼朝ゆかりの温泉地について、お話をさせていただきました。
講演後のパネルディスカッションでは、もう、僕は先生の “ただのファン” であります。
聞きたいことがあり過ぎて、本題からそれてしまうのを承知で、矢継ぎ早に質問をしてしまいました。
先生は、その都度、懇切丁寧に、しかも素人にも分かりやすい言葉で、回答してくださるのでした。
第2部の 「温泉暖議」 では、参加者全員の自己紹介から始まりました。
群馬県内はもとより、東京都や千葉県から参加された人もいました。
また、「勉強のために」 と県内の温泉旅館の女将さんも参加されていました。
シンポジュウムから意見交換会まで、全3時間半にわたる熱い熱い温泉談議となりました。
ほとんどの方が宿泊ですから、入浴の後の食事会では、掘りごたつ式の畳の部屋に集まり、美味しい料理と酒に舌鼓を打ちながら、これまた熱い熱い温泉談議が!
当然、食事会場だけで話は尽きるわけがなく、一行は二次会場へ!
ミーハー気分の抜けない僕は、この時とばかりに先生の前に陣取り、日本酒を差しつ差されつ、夜が更けるまで夢見心地で温泉話に酔いしれたのでありました。
飯島先生、ありがとうございました。
参加された方々、ありがとうございました。
主催者のみなさん、大変お世話になりました。
また来年、この会場でお会いしましょう!
2021年11月12日
リンダ、こまっちゃう!
♪ うわさを信じちゃいけないよ 私の心はうぶなのさ
いつでも楽しい夢を見て 生きているのが好きなのさ
(中略)
あゝ 蝶になる あゝ 花になる
恋した夜は あなたしだいなの
あゝ 今夜だけ あゝ 今夜だけ
もう どうにも とまらない ♪
<『どうにもとまらない』 より>
伊香保温泉(渋川市) に 「リンダ坂」 という坂があるのをご存じですか?
もちろん地元での通称です。
正式名は 「八千代坂」。
傾斜角度23度。
坂の多い温泉街の中でも最大級です。
では、なぜ、「リンダ坂」 と呼ばれるようになったのか?
もう、お分かりですね。
そう、歌手・山本リンダさんのヒット曲 『どうにもとまらない』 からであります。
誰が付けたのか?
坂の途中の旅館のご主人によれば、
「雪でも降った日には、お客さまはスッテンコロリン。車だって、ブレーキが甘いとズズズーっと下ってしまう。誰が言ったのか、いつしかみんな 『リンダ坂』 と呼ぶようになっていました」
季節は、絶好の行楽日和です。
緊急事態宣言が解除されてからというもの、群馬県内の行楽地には、たくさんの観光客が訪れています。
「友だちと伊香保温泉に行ってきたんですよ」
若い女性に話しかけられました。
「散々な目に遭ってしまいました。渋滞が凄くて、全然、車が進まないんですよ。みーんな県外ナンバーです」
確かに、テレビの報道番組を観ていると、観光地はどこも、かなりの人出となっているようであります。
それでも、やはり第6波が来るのではないか? という恐怖心はぬぐえません。
“3密” になる電車での長距離移動は避け、マイカーでの “安近短” 旅行を楽しんでいるようです。
ということで群馬県は、首都圏からコロナ禍に訪れるのには絶好の行楽地といえそうです。
もちろん、県内の温泉地に観光客が戻ってきたことは、うれしいことです。
と、同時に、「本当なのだうか?」 という不安もあります。
日々伝わる感染者数の急激な減少です。
まさか、政府が操作しているんじゃないでしょうね?
うれしいようで、こわいようで、ドキドキしてしまいます。
これまた伊香保だけに、リンダつながりで 、こまっちゃうナ~!
♪ こまっちゃうナ デイトにさそわれて
どうしよう まだまだはやいかしら
うれしいような こわいような
ドキドキしちゃう 私の胸
ママに聞いたら 何んにも言わずに笑っているだけ
こまっちゃうナ デイトにさそわれて ♪
<『こまっちゃうナ』 より>
2021年11月11日
今年も SOLD OUT!
今月13~14日に開催される 『第2回 相間川の温泉暖議(サミット)』。
おかげさまで、先週の締め切り日を待たずに定員となりました。
たくさんの方のご応募、ありがとうございました。
関係者の一人として、お礼申し上げます。
相間川温泉 (高崎市倉渕町) で開催される 「温泉サミット」 は、昨年12月に第1回が行われました。
コロナ禍でありながら、県内外からたくさんの温泉ファンが参加し、盛況のうちに第1回を終了することができました。
開催後、新聞等のマスコミにも取り上げられ、主催者側には 「ぜひ、また開催を」 との声が多く寄せられました。
これらの反響を受け、依然、コロナ禍ではありますが、今年も万全の感染症対策を行いながら第2回を開催する運びとなりました。
今年はゲストパネリストに、医学ジャーナリストで信濃毎日新聞特別編集委員の飯島裕一氏をお迎えします。
飯島氏は 「温泉の秘密」 と題し、医学的な温泉の効能についてスピーチしてくださいます。
僕は 「温泉発見伝説」 をテーマに、群馬県内の古湯にまつわる民話や伝説を紹介します。
互いのスピーチの後、シンポジュウムに入ります。
コーディネーターは、ラジオパーソナリティーで温泉ソムリエの太刀川ひろみさん。
スケジュールでは、シンポジュウムの後、参加者を交えての 「温泉暖議(サミット)」(意見交換会)、夕食会 (交流会)を予定しています。
主催者、パネリスト、参加者が共に温泉に入り、酒を酌み交わし、温泉について語り合う!
1泊2日の “サミット” だから可能なスペシャル企画であります。
残念ながら応募にもれてしまった方、来年の参加をお待ちしています。
幸運にも狭き門をくぐり抜け参加される方、スタッフ一同、心よりお待ちしております。
当日は、気をつけてお越しください。
それでは相間川温泉で、お会いしましょう!
●問合/相間川温泉 「ふれあい館」 TEL.027-378-3834
2021年11月10日
閲覧御礼申し上げます
さすが、読売新聞です!
やっぱり、圧倒的な発行部数の影響でしょうね。
とにかく今回は、反響が大きかった!
一昨日の8日(月)に読売新聞群馬版に掲載された 「クローズアップ」 記事。
不意の掲載で、本人のみならず担当記者すら当日まで知りませんでした。
早朝、友人からのメールで知りました。
<今朝の読売新聞群馬版、見ました>
追って、担当記者からも。
<突然となってしまいました。(掲載日が) スライドした形となりました。色々とお世話になりました>
それからは、電話とメールが鳴りっぱなしの一日でした。
友人や知人はもちろんのことですが、一番多かったのは温泉地や温泉関係者からでした。
「おめでとうございます」 「ありがとうございます」 「ますますのご活躍を」 ……
コロナ禍の不況にあえぐ、温泉宿のご主人や温泉協会の方々からも記事を見たというメールをいただきました。
この2年間、県内の温泉大使でありながら何もすることができなかった不甲斐ない思いを、少しでも払拭することができた嬉しいメールでした。
“同級生って、ありがたい!”
とも、つくづく感じました。
小・中学の同級生たちが、メールだかラインだかで一斉配信してくれたようであります。
そしたら、なななんと!
その中の一人、小学6年生の時の隣の席だった女の子 (当時は) から長~いメールが届きました。
<新聞見ました。ご活躍ですね。やさしい良いお顔です。(中略) あっというまに60歳を過ぎちゃったけど、小学生の時のことは、なんか数年前のよう……。(中略) また、お会いできる日を楽しみにしています>
ウルウルしてしまいました。
彼女に最後に会ったのは同窓会ですから、かれこれ10年近く前のこと。
確か、お孫さんもいたと思ったけど (おばあちゃんです)
それでも、同級生は同級生!
永遠の小学生や中学生なんですね。
そうそう、こんなメールも届きました。
<大きな記事でしたね。職場に貼っておきます>
発信者は、今年、講演をした大学の担当職員です。
“大げさな、そこまでしなくても”
と思いながらも、ジーンと胸が熱くなったのも事実です。
みなさん、本当にありがとうございます。
みなさんに支えられているから僕は活動を続けられているんだと、しみじみ感じました。
今後とも末永く、よろしくお願いいたします。
2021年11月09日
湯守の女房 (37) 「この “家” には思い出がいっぱいで、気がついたら離れられなくなっていたんです」
うのせ温泉 「旅館 みやま」 みなかみ町
うのせ温泉は、水上温泉のすぐ上流にある。
みなかみ町内の18温泉地の一つだ。
戦前は 「鵜の瀬の湯」 と呼ばれていた。
かつて、カワウが飛来していたからとの説もあるが、バス停の表記は 「宇野瀬」 だ。
温度の低い温泉が湧いたため、地元では 「ぬる湯」 とも言われ、古くから湯治客が訪れていた。
戦後、スキーブームになると近くの大穴スキー場にあやかり 「大穴温泉」 と名乗ったことも。
「旅館みやま」 の館内を見渡すと、黒光りする太い梁(はり)や柱、時を刻んだ調度品が、歴史の証人のように、じっとたたずんでいた。
女将の松本勝江さんは、
「昔から掃除だけは、徹底してやっているんです。古くてボロでも、きれいにしてあれば、お客さんは喜んでくれますから。毎日毎日、『ありがとう』 って感謝を込めて磨いているので、愛着も湧く。この “家” には思い出がいっぱいで、気がついたら離れられなくなっていたんですよ」
と笑顔で話す。
建物のルーツは、沼田城下の庄屋さんのお屋敷である。
大正期には 「鳴滝」 という旅館にしていたらしい。
歌人の若山牧水は、大正11(1922)年の上州への旅を著書の 『みなかみ紀行』 にまとめている。
その中の10月21日の項で、牧水が朝、四万温泉を出発し、夜は沼田の 「鳴滝」 という宿屋に泊まったと記している。
沼田の 「鳴滝」 は、その後、廃業したが、昭和初期に元水上町長の高橋三郎氏が建物を購入して、みなかみ町大穴に移築し、旅館 「鳴滝」 として営業を再開した。
女将は、生まれも育ちも、みなかみ町大穴。
「父と高橋さんが知り合いだったこともあり、子どもの頃から、よく 『鳴滝』 に遊びに行きました」
と話す。
朝、旅館で温泉に入ってから登校したこともあったという。
定時制高校に進学し、昼は 「鳴滝」 で働き、夜、勉強した。
卒業したら東京で美容師になろうと思っていた。
しかし、親に反対されたため、そのまま旅館に勤めた。
昭和41(1966)年、経営主体が農協になり、農協の研修施設 「みやま荘」 となった。
同57(1982)年に現オーナーに替わって、また旅館に戻り、松本さんは女将になった。
高校時代から勤めて50余年。
経営者は3回替わったが、松本さんが旅館を離れることはなっかった。
「この “家” に執着があるんでしょうね。だって、物心がついた時から見てきたし、自宅よりも家族よりも長い時間、ここにいるんですから」
そう言って、目を細めた。
<2013年2月13日付>
2021年11月08日
今日の読売新聞 「クローズアップ」
大変お待たせいたしました!
長~い首が折れてしまいそうになるくらい、お待たせしてしまいました。
最初に掲載の告知をしたのが、ちょうど1カ月前。
その間に衆院選の報道が入り、たびたび掲載日の変更をお知らせしてきました。
が!
ついに本日(11月8日)、掲載されました。
読売新聞群馬版 「クローズアップ」。
“群馬の温泉 魅力発掘”
と、見出しが躍っていますが、それ以上に目立つのが写真です。
そのサイズ、ヨコ98mm×タテ93mm!
今までに掲載された新聞記事では、過去最大だと思います。
さてさて、その内容は?
いやいや、若手記者ならではの歯に衣着せぬストレートな表現で、フレッシュな読後感のある記事です。
何よりも中学時代の読書趣向から結婚、就職、雑誌の廃刊、独立にいたるまでの僕の経歴を追っている記事は、初めてです。
これは、一つの小さな “小暮淳ヒストリー” であります。
たぶん、僕のことを知らない人でも、なんとなく人となりが分かったんじゃないでしょうかね。
乙藤記者、素敵な記事をありがとうございました。