2022年02月06日
おめでとう!赤城山
今日は 「ぐんまの地酒大使」 から、ちょっと嬉しいお知らせです。
で、その前に、みなさんは 「みどり市」 と聞いて、何を思い浮かべますか?
なに? どこにあるのか、よく分からないって?
群馬県みどり市は、平成18(2006)年3月、笠懸町と大間々町と東村(勢多郡) が合併して誕生した新しい市です。
市役所は、旧笠懸町役場に置かれました。
なので、みどり市と聞いて何を思い浮かべるか? と問われて答えられるか否かは、瞬時に、この3つの旧町村が頭の中に浮かぶかどうかなのであります。
たとえば旧笠懸町ならば、「岩宿遺跡」 なんて有名ですよね。
大間々町は、「高津戸峡」 や 「ながめ余興場」 とか。
東村なら 「富弘美術館」 「小中大滝」 などが、思い浮かびます。
では、名産となると……
先日、みどり市が認証する特産品の人気投票 「ブランド総選挙」 というのがありました。
その結果、認証を受けた30品の中から見事、第1位に輝いたのは、旧大間々町の「清酒赤城山」(近藤酒造) でした。
いや~、うれしいですね。
僕は昨年夏、近藤酒造を訪ねて、取材をしたばかりです。
※(ちなみに山名は 「あかぎやま」 ですが、酒銘は 「あかぎさん」 です)
赤城山といえば、左党が泣いて喜ぶ “男の酒辛口” であります。
しかも、複数の銘柄を持つ蔵元が多い中、創業以来、一枚看板を貫き通しているところにも、硬派で男気を感じます。
また、酒造りの技術革新が進み、県内の酒蔵では社員杜氏や蔵元杜氏が増えている中、かたくなに伝統的な技術を持つ南部杜氏 (東北地方発祥) が味の采配を振るっているというのも、左党にはたまりません。
そんな 「赤城山」 が、みどり市を代表するブランド品の1位に選ばれました。
心よりお祝い申し上げます。
おめでとうございます。
近藤社長、その節は、大変ごちそうさまでした。
ほろ酔い気分で、わたらせ渓谷鐵道に揺られて帰りました。
感謝!
2022年02月05日
座敷わらしの足音
「小暮さん、ついに出ました!」
開口一番、興奮気味に、そう言いました。
声の主は、ご存じ、新聞記者のKさんです。
このブログでは、もう、お馴染みですね。
彼は妖怪や未確認生物など、不思議なものが大好き。
群馬に赴任早々、僕の著書と出合い、強引に面会を求めてきたほどのガッツの持ち主です。
その彼が、今、夢中になっているのが 「座敷わらし」 です。
<さて私が泊まった部屋は、座敷わらしがよく出るといわれる廊下のすぐ近く。深夜3時。私はもう一度風呂に入った。わらしはいるのだろうか。>
<出会った人には幸運をもたらすという座敷わらし。目撃した宿泊客は 「可愛いです。お菓子をあげるとすごく喜びます」。私はついぞ会えず、残念な気持ちで帰路に就いた。>
(2022年1月4日付 朝日新聞群馬版 「座敷わらし 会えるかな」 より)
場所は群馬県猿ヶ京温泉 「わらしの宿 生寿苑」。
温泉ライターとしてはもちろん、テレビ番組のミステリーハンターとしても、たびたび僕が紹介してきた温泉宿です。
K記者は、この話に俄然、奮起!
カメラを片手に、意気揚々と出かけて行ったのであります。
ところが、ICレコーダーに 「ピクニッ」 という謎の言葉を残しながらも……
<でも恥ずかしがり屋なのかなあ。姿は見せてくれなかった。次回は絶対に会おうね。>
というエンディングに終わってしまったのです。
※(このブログの2022年1月8日 「ピクニックに連れてって……」 参照)
そして、リベンジの時が来ました。
彼は、宿に再取材を申し込んだのです。
「ご主人も、あの声には驚いていましたよ。こんなにハッキリと聞いたのは初めてだと」
「で、ついに出たって?」
「そうなんです。夜中ですよ。私の部屋の前の廊下を、タタタッて、足音が聞えたんです」
「足音?」
「ええ、あれは絶対に子どもの足音です!」
「ということは?」
「座敷わらしです!」
彼の興奮は、ピークに達したようです。
これは、クールダウンをさせねば……
「足があるということは、幽霊ではない」
「座敷わらしは、妖怪ですから」
「……」
「でも足音は聞いたけど、姿は見てないんだよね?」
「そこなんですよ、残念なのは」
「座敷わらしは、見た者だけが出世をしたり、お金持ちになったり、幸運をもたらすんだよね?」
「ええ」
「前回は声、今回は足音。なかなか会えませんな」
少しはクールダウンしたかと思いきや、
「もう一度、行って来ます!」
この懲りないところが、根っからの記者魂なんですね。
いいぞ、Kさん! 行け行け~!
次回は、座敷わらしとのツーショット写真入りの記事を待っています。
2022年02月04日
脱脂粉乳の境界線
「この間のブログ、面白かったです。私も脱脂粉乳世代ですから」
先日のイベント会場で、知人の女性に声をかけられました。
「えっ、脱脂粉乳世代なの?」
若く見えますが、ということは50代後半以上ということになります。
昭和を代表するキーワード、「脱脂粉乳」。
その言葉を知っいるか、知らないかで、世代が分かる “踏み絵” といえそうです。
今週、テレビ番組の撮影があり、その移動中のロケ車内でのこと。
年配のカメラマンが、僕の年齢を訊いてきました。
「昭和33年生まれです」
と応えると、
「私より2つ、お兄さんですね」
とのこと。
ということは、彼もまた脱脂粉乳世代であります。
「じゃあ、脱脂粉乳は知っているよね?」
すかさず、“踏み絵” を問いました。
すると、
「ええ、知っていることには知っているのですが、飲んだような、飲まなかったような……。味とかは、まったく覚えていません」
なに?
2歳違いなら、絶対に脱脂粉乳世代のはずです!
まさか、この2歳の違いに世代の境界線があるのだろうか?
ということで、調べてみました。
まず、「脱脂粉乳」 ですが、牛乳から脂肪分を取り除き、水分を飛ばした粉末の乳製品のことです。
栄養価が高いことから戦後、しばらく学校給食で飲用されていました。
食器は、アルマイト製。
ご存じない?
アルマイトとは、アルミニウムを加工したもので、軽くて丈夫なことから学校給食などに多く使用されました。
確か、金色と銀色の2種類があったと記憶しています。
ただアルマイト製の食器には、難点もありました。
熱伝導率が高いため、器が熱くなり過ぎて、持てないということ。
そのため、子どもたちは 「ひっかけ指」 というおかしな持ち方になり、当時は問題になりました。
何よりも脱脂粉乳の話題で尽きないのは、その味です。
とにかく、マズイ!
そして、クサイ!
みんな鼻をつまんで飲んでいました。
だから牛乳に替わった時は、うれしかった!
では、いつ学校給食の脱脂粉乳は姿を消したのでしょうか?
確か僕の小学校では、3年生まで脱脂粉乳で、4年生から牛乳になったと記憶しています。
学校給食の歴史を調べてみました。
<昭和33(1958)年から一部地域が牛乳へ移行>
とありますが、これは試験的に行った都市の一部地域だったようです。
<昭和49(1974)~50年に全国完全牛乳が提供>
とありますから10数年をかけて、徐々に移行していったことになります。
地域によって、移行された年も異なるということですから、カメラマンが通っていた小学校は、比較的早い時期に牛乳へ移行されたのかもしれません。
とはいえ、昭和50年には完全に牛乳になったわけですから、脱脂粉乳を知っている人は昭和43年以前生まれということになります。
ここが脱脂粉乳の境界線です!
みなさんは、脱脂粉乳を知っていますか?
知っている人は、何年生まで飲んでいましたか?
2022年02月03日
ブログの力 ~おかげさまで12周年~
≪ブログ開設12周年≫
暦が変わった先日、ログインをするとパソコンの画面に、そう表示されました。
ああ~、もう、そんなに経ったんだ……
よく書いて来たものだ……
と我ながら、感心してしまいました。
これもひとえに、読者様あってのこと。
ただただ、感謝しかありません。
日々、お付き合いいただき、ありがとうございます。
心より御礼申し上げます。
12年といえば、このブログを開設した年に 「オギャー!」 と産声を上げた子が、今春には中学生になるということです。
あらためて、その月日の長さに驚きました。
では、いったい、今日まで僕にブログを書かせてきたモノって、何なんでしょう?
もちろん文章を書くことが好きだからなんでしょうが、それだけではないような気がします。
なぜなら、僕の職業が 「ライター」 だからです。
“書くこと” だけでいえば、人百倍も文章を書いているわけですから、満たされていていいわけです。
それなのに、「ブログ」 という日課が欠かせません。
思うに、反響のスピードの違いかもしれませんね。
出版物は、執筆から掲載までに時差があります。
それに比べ、ブログというメディアは、タイムリーに読者の元へ届きます。
さらに、無料で手軽に読めるということ。
出版物のように、購入した特定の人だけではなく、不特定多数の人が閲覧してくださる。
良いも悪いも、その伝播力は桁違いです。
(その分、怖い面も多々あるのですが)
この12年の間には、“思わぬ人” が読んでくださっていたということが、たびたびありました。
たとえば講演会の主催者、テレビやラジオの製作スタッフの方々です。
当然、このブログだけでは僕の連絡先は分かりません。
ほとんどの場合、著書の出版社経由で出演依頼の連絡が来ます。
“思わぬ人” の中には、忘れられない方がいます。
直木賞作家で経済評論家の故・邱永漢先生です。
2011年秋のこと。
突然、先生の事務所から連絡がありました。
「先生が小暮様のブログを読んで感銘して……」
ということで、
「ぜひ、コラムの執筆をお願いしたく……」
との依頼がありました。
これには、さすがに驚きました!
あの、“お金の神様” と称された著名人です。
でも、お金に無縁な僕にとっては、直木賞を受賞した作家先生であり、講演会に足を運んだこともある雲上のお方であります。
その大先生からの依頼とあれば、お断りする理由なんて、ありません!
ありがたく、お受けいたしました。
それが邱永漢先生のウェブサイトに連載された 『温泉で元気』 というコラムです。
※(当ブログの 「お気に入り」 より閲覧することができます)
どこで、誰が読んでいるか分からない!
それがブログの魅力なのかもしれませんね。
これからも、ブログの力を信じて、コツコツとしたためていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
2022年02月02日
伝説の巨人を追え!
ダイダラボッチやデーラン坊など、群馬県内には、いくつもの巨人伝説があります。
でも、その舞台や物証が残っている伝説といえば、妙義山の 「百合若大臣」 しかいません。
百合若大臣 (ゆりわかだいじん) とは?
伝説上の英雄で、弓の名手です。
そもそもは室町時代に北九州で作られた話で、のちに浄瑠璃や歌舞伎によって全国に広まりました。
物語はシンプルな復讐劇なのですが、百合若という主人公の体が大きく、力持ちであったことから流布する過程で巨人話に脚色されたようです。
伝説は全国に残されていますが、なぜか関東地方にだけ巨人化した話が多いのです。
実は、この話、拙著 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) の中に収められています。
そのタイトルは、「巨人が射抜いた岩は、どこへ落ちたか?」。
本書では、巨人が矢で射抜いた岩山、その時に踏ん張った足跡、今も宝物として大切に保管されている弓と矢、その矢が落ちた場所、さらには矢と射抜かれた岩の飛行ルートを追いました。
荒唐無稽な創話でありながらも、つじつまを合わせが巧みにされている秀逸な民話であることが分かります。
「小暮さん、リポートしていただけませんか?」
先月、テレビ局のディレクターから電話がありました。
予定していた番組の撮影が、“まん防” のため中止となってしまったといいます。
急きょ、代替案として浮上したのが、三密を避けた、ソロリポートによる撮影だったようです。
「小暮さんの著書に書かれた百合若大臣が放った矢の飛行ルートを追いましょう!」
それは面白い!
すべて物証が残っている民話なのだ。
映像として世に送り出すチャンスでもあります。
二つ返事で引き受けると、数日後、台本が送られてきました。
そして昨日、妙義山麓にて、ロケを行ってきました。
足跡、射抜いた岩山の空洞、弓矢、そして……
あっと驚く、エンディングが待ち受けています。
乞う、ご期待!
※放送は2月15日(火) 21:00~、群馬テレビ 「ぐんま!トリビア図鑑」