2024年07月31日
的中
午前中は医者に行って、その後、ショッピングモールのフードコートで軽く昼飯を食べて、午後は映画を観よう。
そう決めて、家を出ました。
僕は月1回、かかりつけ医で問診を受け、血圧の薬をもらっています。
今回も血圧は正常!
医師や看護師らと雑談をして、帰りに薬局に寄って、これまた薬剤師らと雑談をして、予定通りに午前中をこなしました。
昼もフードコートで、豚しゃぶゴマ冷麺を美味しく完食。
でも、まだ映画の上映時間までは、だいぶ時間があります。
「どうする? 本屋で時間をつぶすか?」
その前に、一応、上映時間の確認をするために、一度、映画館へ。
すると……
大きな貼り紙がありました。
<投影機の故障により、下記の作品は本日、上映中止となりました。>
その中に、お目当ての映画もありました。
「あれれ、残念!」
ここまで順調に進んでいた “今日の予定” は、ここで、とん挫してしまいました。
急きょ、予定変更です。
といっても、この猛暑です。
移動は断念して、即行、帰宅しました。
さて、古い読者なら、覚えているでしょうか?
僕が “過去占い” をしていることを。
基本、未来を予想する占いの類いを、僕は信じていません。
(本当は、暗示にかかるのが怖いから)
だから新聞等の占いコーナーは、当日の朝には読みません。
ですが後に、検証はします。
(2021年12月11日 「過去占い」 参照)
ということで昨晩も、晩酌をしながら新聞の占いコーナーに目を通しました。
ほとんどの場合、当たっていませんが、グローバルに解釈して、「あのことかな? このことかな?」 と無理やりこじつけて、的中率を上げるのが “過去占い” の楽しみであります。
で、昨日の占いです。
某紙の星占いには、こう書かれていました。
<予定が変わる。融通の利く計画で臨機応変な対応を。>
ドンピシャ!
的中であります。
イヤなことが当たっているのに、これが気持ちいい。
もし、これが朝、出かける前に読んでいたら、きっと不快な思いを抱いたと思います。
良いことも、悪いことも、過ぎ去った後ならば、すんなりと受け入れることができます。
ぜひ、みなさんも 「過去占い」 をして、自分の一日を検証してみてください。
ちょっとしたゲーム感覚で、毎日が楽しめますよ。
2024年07月30日
死者に会える場所
「最後の第七条が、いいよね」
その人は、言いました。
何のことかといえば、毎年暮れになると、このブログにアップしている故・水木しげる先生の 「幸福の七か条」 のことです。
通称 「ゲゲゲの七か条」。
内訳は、下記の通りです。
<第一条>
成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
<第二条>
しないではいられないことをし続けなさい。
<第三条>
他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし。
<第四条>
好きの力を信じる。
<第五条>
才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
<第六条>
怠け者になりなさい。
<第七条>
目には見えない世界を信じる。
そして、その人とは、昨年7月に73歳で亡くなられた木彫家で絵本作家の野村たかあきさんのことです。
出会いから35年間、公私とも我が人生の師として、慕い続けていた心の恩人でもありました。
そんな野村さんが、昨年の正月に言った言葉でした。
(2023年1月3日 「新春放談もゲゲゲのゲ」 参照)
「目に見えない世界を信じる」
その信念を貫いた人でした。
昨日は命日。
気温40℃に迫る酷暑の中、墓参りに行って来ました。
初めての墓参りです。
墓所には、たくさんの花々が供えられていました。
僕も、ささやかな花と線香を手向け、手を合わせてきました。
その時、野村さんの言葉が聞こえてきました。
「ジュンちゃん、目に見えないものを信じているかい?」
信じていますとも。
こうして、野村さんの姿は見えなくとも、ちゃんと感じることができます。
「大丈夫ですよ。みんな元気に、野村さんの教えを守っていますよ」
そして、墓所を去る時でした。
もう一度、声が聞こえました。
「元気がなくても、カラ元気!」
生前、野村さんが口ぐせのように言っていた言葉です。
意地悪なほどに照りつける熱射を、はね返すような言葉です。
僕は元気です!
思いっきり深呼吸をしました。
2024年07月29日
カブトムシのいない夏
この燃えるような猛暑のせいでしょうか?
ここ数年、カブトムシがやって来ません。
古い読者なら覚えていますよね。
毎年夏になると、毎夜毎夜、大きなオスのカブトムシが、我が家に遊びに来ていた話を……。
(2015年7月21日 「カブトムシの日参」 参照)
1階のリビングだったり、2階の僕の仕事部屋だったり、ブーンという大きな羽音を響かせて、窓の外でホバリングをくり返していたカブトムシ。
時々、何かを告げたげにサッシや網戸に、コツン、コツン、と体当たりをして、僕の気を引いていました。
それが、ある夏を境に、パッタリと来なくなってしまったのです。
「いつからだろう?」
記憶をたどってみると、明確な年が判明しました。
2019年の夏です。
その年の夏から “彼” は姿を現していません。
(“彼”といっても1個体とは限りませんが)
では、その年に何があったのか?
はい、2月にオヤジが亡くなりました。
思えば、カブトムシは、オヤジとオヤジを介護する僕を毎年、見守っていたのではないか?
その昔、子どもの頃。
夏になると、ばあちゃん (オフクロの母親) が、お客 (泊まり) に来ました。
そして盆が近づくと、必ず、こう言いました。
「捕まえた虫は、すべて逃がしなさい。ご先祖様が虫に姿を変えて、会いに来るんだからね」
僕は、カゴいっぱいに捕まえたカブトムシやクワガタ、カナブンらを、泣く泣く逃がしたものでした。
そう、夏になると現れたカブトムシは、ご先祖様で、死期が近づいたオヤジの様子を伺いに来ていたのではないか?
だからオヤジが死んだ年から、現れなくなったのではないか?
でもね、もっと現実的なことが原因かもしれません。
ちょうど、その頃から我が家周辺の開発が顕著になり出したのです。
総合病院や大型商業施設、新設の道路ができ、のどかな田園風景は、ここ数年で一変しました。
同時に、田んぼや小川、雑木林が消えていきました。
オヤジがいなくなり、カブトムシが来なくなり、そして僕らの暮らしは、どんどん便利になりました。
2024年07月28日
ガソリンスタンド殺人事件
とっても怖い夢を見ました。
僕は、ガソリンスタンドにいます。
給油後なのでしょうか?
店員と店内で、立ち話をしています。
その時、パン、パン、パーンと発砲音がして、外を見ると、2人の男性が倒れていました。
一人は着物を着た高齢の男性。
もう一人は、短髪の若い男です。
一見して、ヤクザ同士の抗争だと分かりました。
僕はケータイを取り出して、すぐに110番通報をしました。
そこで夢から覚めました。
なんとも後味の悪い夢です。
いったい何を暗示しているのでしょうか?
調べてみました。
まず、場所のガソリンスタンドですが、これはエネルギーを意味します。
満ちているのか、不足しているのか?
ガソリンスタンドに立ち寄ることと、給油することは、ともに運気のアップを表しているようです。
では、殺人現場との遭遇は?
ズバリ、ストレスと不安を抱えている証拠です。
ただし、乗り越えたいという前向きな気持ちの表れでもあるということです。
奇妙なのは、殺されたのがヤクザだったという点です。
ヤクザが意味するものは?
これまた、ストレスです。
しかも過剰にストレスがたまって、イライラの限界を招いている状態とのこと。
かなり、ヤバそうです。
そして、110番への通報。
誰かに助けを求めている状態です。
自分では打破できない悩みごとを抱えているようです。
ということで、総評です。
僕は今、かなりピンチの中にいます。
でも前向きにとらえ、解決しようと頑張っています。
必ず、脱出してみせます!
結果は、また夢が告げてくれるはずです。
2024年07月27日
『ちょこっと小耳に』 来週掲載
ライターという仕事は、新聞や雑誌などの媒体主から依頼を受け、テーマに沿って取材をして、記事を納めるのが基本です。
無記名記事は、もちろんのこと、筆者の記名であっても “一人称” を用いないのが通常です。
一人称の記述が避けられてきたのには、理由がありました。
記者の主観が混じると、事実を客観的に伝えるという報道の原則に反すると考えられてきたからです。
でも近年の新聞や雑誌記事を見ると、だいぶ記名記事が増えてきたように思われます。
一人称の記名記事には、臨場感や親近感があるからでしょうか?
記名により、記者個人が文責 (文章の責任) を負うという、媒体側の思惑もあるのかもしれませんね。
僕は、だいぶ前から記名で記事を書かせてもらっています。
理由は、一人称で文章を書きたいからです。
テーマが温泉にしろ、民話にしろ、僕は必ず現場へ行きます。
そこで見たもの、聞いたことを、感じたままに書きたいのです。
その場合、やはり “一人称” という文体が有効になります。
それでもライターの場合、好き勝手に文章を書けるわけではありません。
やはり、依頼されたテーマに沿う必要があります。
同じ文筆業でも、小説家や評論家やエッセイストのように、自分の好きなことを自由に書くことが出来たら……
きっと、ライターを名乗る人たちは、みなさん同じ思いだと思います。
が、苦節ウン十年、やっと、この歳になって、願いが叶いました。
今年の5月から連載がスタートした 『ちょこっと小耳に』 です。
高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) に、不定期 (ほぼ毎月) で掲載されています。
サブタイトルは、「小暮淳の取材こぼれ話」。
そうなんです、ウン十年間のライター生活で出合った出来事を、好き勝手に書いたショートエッセイであります。
先日、高崎市内で開かれた講演会では、わざわざ、このエッセイの切り抜きを持参してくださった聴講者がいました。
「これ、毎回、楽しみにしているんです」
と、声をかけてくださいました。
実は僕も、毎回、書くのが楽しみなんです。
「次は、何を書こうか……」
と、悩んでいる時が一番楽しい!
書き手が楽しければ、その楽しさは読み手にも伝わるはずです。
次回、第4話は来週、8月2日号に掲載されます。
お楽しみに!
2024年07月26日
おかげさまで4,000話
一昨日、このブログの記事投稿数が、4,000件を突破しました!
今日のブログが4,002話となります。
いやいや、まさか4,000回も投稿していたとはね。
書いている本人も、ビックリです。
これすべて、ひとえに読者様のおかげであります。
改めまして、御礼を申し上げます。
いつもいつも、ご愛読いただき誠にありがとうございます。
さて、このブログを開設したのが2010年2月ですから、14年と半年あまりが経ちました。
日数にすると約5,290日です。
これを4,000で割ると……
1.32日に1話の投稿をしていることになります。
これは4日に3回の割合です。
で、この投稿率というのを、過去と比べてみました。
前回、3,000件を突破したのは、2021年5月でした。
当時のブログに、投稿率が記されていました。
1.35 でした。
すると、この3年間で、0.02ポイントもアップしたことになります。
これは、老いてますます “筆まめ” 化が進んでいるということでしょうか?
いずれにせよ、今日もまた、こうやってブログを書けている幸せ。
健康であればこその日常です。
丈夫な体に産んでくれた母親に感謝、日々の仕事に感謝、そして、なによりも読者様に感謝であります。
引き続き、今後とも末永く、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
2024年07月25日
夏はエロエロ盆ギリNo.5
まずは最初に、熱狂的なサザンオールスターズファンのみなさまに、お詫び申し上げます。
全アルバムも拝聴せず、ライブにも一度も足を運んだことのない人間が、サザン (桑田佳祐) を語ることをお許しください。
ただ、わたくしめも長年、隠れファンを自称してまいりました。
サザンも好きですが、桑田佳祐という男、人間を敬愛している一人であります。
その旨ご了承の上で、ちょこっとだけお付き合いください。
やっぱ、夏はサザンでしょ!
しかも、エロエロです。
このエロエロの気分は、老若男女、何歳になって五臓六腑を揺さぶります。
一日の終わりに、頑張った自分をねぎらいながらやるナイトキャップ。
大好きな酒のあては、毎夜毎夜、YouTubeでのサザンのPVやライブ動画であります。
まずは、ウィスキーの水割りを、ちょいと2杯。
お伴は、この時季、『BOHBO No5.』。
桑田作品の中でも1、2を競うエロエロです。
PVにしろ、ライブにしろ、V字開脚のお姉さんが刺激的です。
♪ 燃えろよ ボイン!
と叫びながら、琥珀の海へドボーンします。
♪ 君に捧げる BOHBO
で、完全に溺れて撃沈。
冷酒には、やっぱ、これでしょう!
夏だ!祭りだ! 『盆ギリ恋歌』。
昨年リリースの新しい歌ですが、すでに全国の盆踊り会場で踊られています。
♪ 盆ギリ盆ギリ 夏は盆ギリ
と歌い出せば、体も踊り、心も躍り出します。
冷酒グラスに延びる手だって、ピッチが上がります。
極めつけは、このフレーズ!
♪ 涙は じんじろげ
染みますね~。
まさに桑田文学全開の歌詞に、酔えます。
古今東西、彼しか創り得ない下ネタエロワールドは、唯一無二。
かなり中毒性があります。
酒の呑めない未成年には刺激が強過ぎるので、要注意。
ということで、今年の盆踊りは、これで決まりでしょう!
うちの町内でも踊るのかな?
イントロが流れてきたら、輪の中に飛び出しちゃうぞ!
だって、踊り、完コピしちゃったもんね(笑)。
2024年07月24日
黒髪の思い出
<10年以上前の若い小暮さん>
そんなコメントが記されたメールが届きました。
送信者は、この数年、公私ともに大変お世話になっているSさんという方からです。
メールには、写真が2点添付されていました。
開いてみて、ビックリ仰天!
それは、若かりし頃の僕の写真でした。
といっても、たかだか10年ちょっとです。
なのに 「若い!」 と思ってしまったのは、写っている僕の頭髪が黒いからです。
やっぱ、髪の毛が黒いだけで、人は若く見えるのですね。
だから僕も当時は、せっせと毛染めをしていたのです。
でも、ある日突然、「やーめた! あるがままで生きる」 と宣言。
7~8年前からは、現在の白髪スタイルを通しています。
ていうか、なんでSさんが、こんな古い僕の写真を持っているのでしょうか?
僕がSさんと知り合ったのは、数年前です。
と思い、写真をよーく見てみると、写された場所は、どこかの講演会場のようです。
マイクを持った僕が、なにやら熱く語っている姿が写っています。
かれこれ15年以上も前から講演活動を行っていますから、このような写真が撮られていても不思議はないのですかが……
さっそくSさんに聞いてみました。
すると、
「ええ、たまたま写真のデータを整理していたら、古い小暮さんの写真が出てきたものですから、貴重だと思い、送らさせていただきました」
とのこと。
なんでも、僕と個人的に知り合う前に、一読者として僕の講演会を聴講したことがあったのだといいます。
Sさんからは、今まで一度も、そんな話は聞いたことがなかったので、大変驚きました。
へー、そんなこともあるんですね。
その昔、僕の講演を聴いてくださった人が、今は身近にいて、僕に関わるイベント等の企画や開催をしてくださる立場にいるなんて……
縁は異なもので、なんとも不思議なものであります。
Sさん、貴重な写真をありがとうございました。
おぼろげながら、いつ頃で、どこの会場だったかも思い出しました。
この夏も、まだまだ講演があります。
きっと、その一つ一つが思い出として残っていくんでしょうね。
楽しみです。
2024年07月23日
アメちゃんのごほうび
気温38℃
ウソだろー! 大丈夫かい!?
昨日、うだるような猛暑の中、高崎市北部の公民館へと向かいました。
僕のポンコツ車は、外気が35℃以上になると、途端にエアコンの効きが悪くなります。
汗だくになりながら、会場に到着。
シーーーーーン
灼熱の太陽を浴びた真昼間の駐車場には、一台も車は停まっていません。
「だよね。大丈夫かな?」
心配になりながら、建物に入りました。
キンキンに冷えた大会議室では、職員が開演の準備をしています。
「大丈夫ですか? この暑さ? 人、来ますかね?」
僕は恐る恐る訊きました。
だって、今回の聴講対象者は60歳以上の高齢者なんです。
万が一、熱中症で倒れられたりしたら……
さにあらず職員は言うのでした。
「はい、みなさん元気ですから来ますよ」
その通り、開演15分前には30人以上の老男女たちが集まりました。
『民話と伝説の舞台』
これが、演題です。
温泉ネタと並行して、著書と同タイトルの講演も行っています。
この日の講演は90分間。
途中、5分間の休憩をはさみます。
トイレと水分補給タイムです。
「先生、ごくろうさま。はい、これ」
休憩を終え、壇上に戻ろうとした時です。
一人の婦人が近寄ってきて、僕の手のひらに何かを無理やり握らせました。
あめ玉が3つ。
「あ、ありがとうございます。後で、いただきますね」
それから後半の45分。
講演を無事に終了して、演台の上の資料を片付けていると、今度は別の婦人がやって来ました。
「はい、先生」
手のひらには、やはり、あめ玉が3つ。
「先生の話に、泣いたり笑ったり、顔の筋肉が引きつっちゃったよ。あっという間で、とっても楽しかったですよ」
そのお礼が、このあめ玉だったようです。
関西のおばちゃんじゃあるまいし、なんで、あめ玉なんでしょうね。
しかも、3つ。
この地域特有の慣習なのでしょうか?
なんだかポッと心の隅っこが温かくなりました。
あめ玉を握りしめながら会場を後にしました。
2024年07月21日
一番涼しい夏
アツイ! 暑すぎる!
今日は昨日より暑くなるといいます。
明日は、さらに今日より暑くなる予報です。
もう限界です。
一歩も外へ出られません。
これを “夏” と呼ぶのでしょうか?
いや、これは、すでに災害です。
ならば避難が必要です。
で、どこへ逃げればいいんでしょうか?
なんてグチと弱音を吐いていたら、知り合いの男性から意味不明な言葉を投げかけられました。
「小暮さん、今年の夏が一番涼しい夏になるんですよ」
涼しい?
ちっとも涼しくはないのに、彼は、あえて “涼しい” という表現を使いました。
「どういう意味?」
「だから、来年以降の夏は、さらに暑さが加速するということですよ」
「だから?」
「一番涼しい今年の夏を、満喫して、記憶にとどめておいたたほうがいいですよ」
なんとも禅問答のような会話になってしまいましたが、想像すると恐ろしい時代になったものです。
「昭和は涼しかった」
「扇風機だけで、ひと夏過ごせたのだから」
という人たちがいますが、それって、ただ単に各家庭にエアコンがなかっただけなのでは?
でも、僕にも心当たりがあります。
「午前中の涼しいうちに、宿題を済ませちゃいなさい」
なんて、夏休みに母親から言われたものです。
「午後になると30℃を超える」
そんな意識が、子どもたちにもありました。
だから外出するときの必須アイテムは、つばの広い麦わら帽子。
「日射病にならないようにね」
まだ熱中症なんて言葉がなかった時代です。
あれから半世紀以上。
今の日本の夏は、朝から30℃を越えています。
そして日中は、35℃越えの猛暑です。
体温越えだって珍しくありません。
やっぱり、昭和の方が涼しかったはずです。
ということで調べてみました。
まず 「猛暑日」 という言葉ですが、気象庁が使い出したのは2007年からでした。
すでに平成には35℃越えの日があったことがわかります。
では、いつから日本は猛暑になったのでしょうか?
調べてみると、これがビックリ!
1980年以前には35℃越えの日は、ほとんど見当たりませんでした。
その後、80年代になると、ひと夏に数日、猛暑日が記録されています。
そして1990年を境に、一気に猛暑日の数は増えていきます。
平成になった途端、日本は急激に暑くなったことがわかります。
やっぱり、昭和は涼しかったのであります。
ああ、昭和の夏に帰りた~い!
今年の夏が一番涼しいだなんて……
信じたくありませんが、やけに説得力のある言葉でした。
2024年07月20日
知らぬが仏のホールインワン
「えっ、行ったの!?」
僕には信じられませんでした。
待ち合わせの呑み屋に遅れて来た彼は、朝から雨だったこの日、ゴルフをしてきたというのです。
しかも、合羽を着て回ったといいます。
趣味に夢中になるって、そういうことなんでしょうね。
興味のない人には、まったく理解できませんが、好きな人にとっては、その日が、たとえ雨でも嵐でも、やらずにはいられないのでしょう。
僕は、生まれてこの方、一度もゴルフをしたことがありません。
なのに、その昔、ゴルフ雑誌の記者をしていた時期がありました。
群馬県と埼玉県にある系列ゴルフ場の会員向け広報誌です。
30年以上も前のこと。
当時、僕はタウン誌の編集者でした。
会社の都合で、この広報誌を請け負うことになりました。
「小暮君、頼む」
の編集長のひと言で、僕が担当になってしまいました。
でも前述のように、僕はまったくゴルフをしたことがありません。
それどころか、ゴルフのゴの字も興味がありません。
置いた球を打って、穴に入れる。
知っていることといえば、それくらいのこと。
さあ、大変だ!
あわててゴルフ関連の本を買い集め、にわかで用語やルール等の基礎知識を叩き込みました。
各ゴルフ場をまわり、レストランや売店などの施設情報を紹介。
最初は、その程度の取材でしたが、やがてコンペやトーナメントに同行して、コースを会員と一緒に回る記事を書かされることに。
「記者さん、次は何番アイアン?」
なんて、参加者から聞かれることも、たびたび。
まさか、ゴルフ記者が 「ゴルフをしたことがないんで、わかりません」 とは言えず、そのたびに聞こえなかったふりをしてごまかしたものです。
そして、ついに絶体絶命のピンチが訪れました。
プロに同行して、レッスンの模様を解説する記事を書くことになったのです。
「ダメです。僕には書けません」
と言っても、
「大丈夫、大丈夫! 見たままを書けばいいんだから」
と編集長は、無責任に僕を突っぱねます。
我がライター人生で、最悪の取材となりました。
当日、肩から録音機を下げて、プロの後ろに立ち、ただマイクを向けるだけ。
「プロ、今のショット、ご説明願います」
「ここで注意することは?」
なんて、あたりさわりのない質問をして、ただただ時が過ぎゆくのを耐えるしかありませんでした。
ところが記事になって掲載されると、反響がありました。
「小暮君、いいね。この調子で頼むよ」
「えっ、どういうことですか?」
「好評につき、シリーズ化だってよ。頑張ってくれたまえ」
ガーーーーーーーーーーーーン!!!
苦痛以外の何物でもない仕事が、評判がいいだなんて!
知らぬが仏の無知ゆえのホールインワンであります。
その後、バブルがはじけ、ゴルフ場は斜陽に。
広報誌も廃刊となりました。
今となっては、ライター稼業の血となり肉となり骨となった忘れえぬ経験です。
2024年07月19日
もし昭和にスマホがあったら
依然、僕はスマホを持たずに生活しています。
だからでしょうか?
スマホを片時も手放さずに、いじくっている人たちが気になってしまい、ついつい観察してしまいます。
電車の中、駅のホーム、病院や薬局の待合室、レストラン、フードコート……
年齢性別を問わず、老若男女が夢中になってスマホを覗き込んでいます。
いったい、何を見ているのですか?
一番不思議に思うのは、一人の時ではなく、複数人でお茶や食事をしているのに、全員が無言でスマホをいじっている光景です。
「だったら一人で食事をしたら?」
と思ってしまうのですが、そんなことを思うのはスマホを持たない人間だからなんでしょうか?
僕もスマホを持てば、気持ちが分かりますかね?
先日、新聞の読者欄に、こんな記事を見つけました。
投稿者は13歳の少女です。
見出しには、「スマホとの付き合い方を考える」 とあります。
<(前略) 「一緒に遊ぼう」 と誘われた。何人かで友だちの家に行き、最初はそこで卓球をしたり、おしゃべりをしたり、絵を描いたり、といろいろしていたのだが、何人かがスマホでゲームやLINEをし始めた。すると、他の友だちも動画を見始め、やがてだれも話さなくなった。(中略) だれもがスマホに集中して動かない。そしてそのまま解散になった。私は 「もったいなかったかな」 と少し後悔した。>
投稿の少女がスマホを持っていたか、いなかったかは不明です。
でも少女は、久しぶりに複数の友だちと集まって遊べると、楽しみにしていたことは分かります。
なのに、みんながみんな、自分の日常を持ち込んでしまったのですね。
少女は、この出来事を、こう分析しています。
<スマホは、友だちと離れていてもつながることができる、という面がある。だが、依存しすぎると今回経験したように、せっかく直接会っていてもスマホに夢中で話さなくなってしまうということが出てくる。>
そして、こう締めくくっています。
<スマホとどう付き合っていくべきか。よく考えていきたい。>
みなさんは、この記事を読んで、どう思われましたか?
「ったく、今の子どもは!」 なんて思いましたか?
思えませんよね。
前述のように、大人だって、みーんな同じことをやっているんですから。
子どもは、大人がやっていることを真似しているだけです。
僕は、ふと、こんなことを想像しました。
もし、昭和の時代にスマホがあったならば……
想像するに、もっと、ひっちゃかめっちゃかで、てんやわんやの世の中になっていたような気がします。
だって、テレビや電話が登場した時だって、大騒ぎしたんですよ。
我が家なんて、町内でいち早くカラーテレビが入ったものだから、毎晩、町民が集まってきて、毎日がお祭り騒ぎで大変でした。
電話が入れば、四六時中、親が子どもの行動を見張っていました。
「長電話するな!」 「電話料金、いくらかかっていると思うんだ!」
ってね。
そんな時代に、スマホが登場しなくてよかった。
スマホに夢中になり過ぎて、人々はなまけだし、結果、高度経済成長期は訪れなかったかもしれませんね。
ということで、令和の今だからこそ、この程度の戸惑いで世の中が収まっているということです。
僕がスマホを持たずに生活できるのも、それ以外のモノは、すべて揃っている令和だからこそ可能なのであります。
だからみなさん、スマホとは上手に付き合っていきましょうね。
2024年07月18日
妖精の棲み家
この夏、僕は2つの目標を立てました。
1つは、孫との温泉2人旅。
これは、来月早々に実現する予定です。
もう1つは、「妖精」 の棲み家を探し当てること。
このブログではお馴染みの 「妖精」 の目撃話ですが、僕は、もう我慢がなりません。
だって、誰も信じてくれないんですもの。
1度や2度なら僕の錯覚かもしれませんが、5回も目撃しているわけですからね。
これはもう、解明するしかありません。
それには、「妖精」 の棲み家を突き止めるが一番だという結論に達しました。
ということで僕は、過去5回の目撃データを分析してみることにしました。
すると、いくつものヒントが見えてきました。
まず、目撃した季節です。
5回のうち夏が2回、初夏が1回、春が1回、冬が1回。
秋には目撃していません。
ただし、時刻はすべて夜。
午後7時以降です。
そして天候ですが、2021年の初夏だけが雨でした。
他の4回は晴れ、もしくは曇りです。
そして、一番のカギとなるのが、目撃場所の位置関係です。
1回目が、我が家の北西約1㎞先の市道。
2回目は我が家の庭、3回目と4回目は我が家の2階の窓から見下ろした隣家の庭。
そして5回目は、我が家から西へ300mほど行った、中学校の正門前です。
このことで分かるのは、我が家を中心に半径1㎞範囲内で目撃しているということ。
なぜか、我が家より南方での目撃はありません。
ということは、1回目の目撃地点と我が家との間1㎞圏内に、何らかの発生要因があるということです。
何よりも不思議なのは、1回目と5回目の目撃の間は、約20年もの時が経っていることです。
ということは、1匹ではない!(生物だとしたら)
繁殖していることになります。
では、そこはどこか?
探しました。
我が家から北へ1㎞圏内で、「妖精」 が繁殖できそうな場所を。
たった1カ所だけありました。
ケヤキの巨木が2本立ち、まわりに雑木が植わっている小さな林です。
我が家から約200m北で、2階の僕の仕事部屋からも見える位置に、その林はあります。
あれが 「妖精」 の棲み家に違いありません。
ただ、問題があります。
その林は、どうも個人の所有地のようなのです。
無断で敷地内に入り込むことはできません。
とりあえず日々、周辺を巡回しながら6回目の目撃を狙っているところであります。
絶対に、「妖精」 は存在します!
必ずや捕獲して、世間に公表したいと思います。
もうしばらく、お待ちください。
過去5回の目撃談は、下記のブログから閲覧することができます。
① 2010年11月16日 「妖精目撃」
② 2018年8月15日 「妖精ふたたび」
③ 2021年4月23日 「三度目の妖精」
④ 2021年5月21日 「妖精多発地帯」
➄ 2023年7月25日 「妖精のいる夏」
2024年07月17日
薄荷と肉桂
毎度おなじみの呑み屋ネタで恐縮です。
会話の脈絡からママが、こんなことを言いました。
「そういえばさ、運動会のときに小学校の正門の前に、ハッカのパイプを売る店が出てたよね」
これに対して、「あった、あった!」 と声を上げたのは60歳以上の客でした。
「知らな~い」 と言ったのは、未満の客です。
そうそう、確かにありましたね。
ハッカパイプ!
縁日などでも見かけましたが、小学校の正門で買った記憶があります。
ソフトビニールでできたキャラクターが付いた細長い容器に、砂糖を入れてもらい、パイプのようにしてチューチューと吸いました。
その時の砂糖は、ただ甘いだけではなくハッカの味がしました。
中身を食べ終わった後は、そのまま容器が笛になって、ピーピーと鳴らしながら帰ったものです。
ハッカは 「薄荷」 と書きます。
今でいうミントのことなんですが、ちょっと違います。
ミントの品種ですが、日本自生の和種だそうです。
「そういえばさ、味紙なんていうのも駄菓子屋に売ってたよね」
と僕。
「あじがみ? 知らな~い」
とは、やはり還暦未満の客でした。
味紙とは?
わら半紙のような紙に、食紅で絵が描いてあって、それをちぎって口に入れると甘いのです。
味がなくなったらガムのようにクチャクチャになった紙を、ペッと吐き出すのです。
今思えば、毒々しい色で描かれていて、いかにも危なっかしいお菓子でした。
チクロやサッカリンなどの人工甘味料や知らない着色料が、いっぱい使われていたんでしょうね。
昭和40年代初頭のことです。
チクロもサッカリンも発がん性があるとして、その後、使用が禁止となりました。
「味紙」 とは、僕ら仲間内での呼び方です。
一般には、「ニッキ紙」 と呼ばれていたようですね。
そういえば甘さの中に、ニッキの香りがしたような……
ニッキは 「肉桂」 と書きます。
正しくは 「にっけい」 で、「にっき」 は音変化した呼称だそうです。
ニッキ飴、なんてありましたよね(今もありますね)。
京銘菓の 「八ツ橋」 なんかが、ニッキ味の代表菓子です。
今でいうシナモンのこと。
でも正確には、日本産の肉桂と呼ばれるクスノキ科の常緑樹を指すそうです。
もう、味紙には合えないかもしれませんが、ハッカパイプなら令和の縁日でも売ってそうですよね。
もし、出合ったら衝動買いをしてしまいそうです。
白髪ロン毛の初老の男が、キャラクターの付いたハッカパイプをピーピーと鳴らしながら歩いていたら、ヘンですかね?
2024年07月15日
風っ子たちへ
「風っ子」 って、ご存知ですか?
上毛新聞社から発行されている子ども新聞、週刊 『風っ子』 です。
毎週日曜日に、本紙とともに配達されるタブロイド紙 (16ページ) です。
もちろん、僕は知っていましたよ。
でもね、毎回読んでいるかというと、内容が子ども向けですからね。
まあ、時々、ペラペラとページをめくるくらいでした。
ところが、その 「風っ子」 の編集室から連絡がありました!
「ぜひ、お話を聞かせてください」 と言うのです。
子ども新聞ですよ。
まさか、“温泉へ行こう!” なんていう特集を組むわけはあるまいし……。
話を聞くと、こうでした。
僕が2018年に出版した 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) 。
この著書の中から、「子どもたちに語り継ぎたい話を、いくつか紹介してほしい」 とのこと。
「なによりも、舞台があるのがいい」 らしいのです。
ですよね。
新聞ですものね。
「むかしむかし、あるところに……」
だけでは、ネタになりません。
「いつ」 「どこで」 「だれが」
があってこそ、リアリティーのある物語と舞台が生まれます。
ということで1時間半にわたり、記者より取材を受けました。
子どもたちにも分かりやすく、舞台があって、物語の核となるモノが残されていて、さらに、それらが現存し、写真に撮ることができる民話や伝説を、いくつか紹介しました。
記者も、「本当ですか?」 「面白いですね」 「ぜひ、行ってみます」 と興味津々の様子。
「子どもたちが興味を持てるような記事にします」
と、約束してくれました。
楽しみですね。
令和の現代に、紙の新聞で、民話や伝説を読む。
スマホやゲームにはない面白さを、ぜひ、今の子どもたちに感じ取ってもらいたいものです。
「風っ子」 の風は、からっ風の風。
風の子は、群馬で生まれ育った生粋の “上州っ子” のことです。
かつて僕は 『上州っ子』 というタウン誌の編集人をしていたことがありました。
これも何かの縁なんでしょうね。
8月18日の発行日が、今から楽しみです。
2024年07月14日
5年越しのオファー
川場村 (利根郡) へ行って来ました。
県内で講演をする場合、依頼主が自治体にしろ、企業にしろ、団体にしろ、開催される会場は、ほぼ都市部です。
まれに山間部の温泉地に講師として呼ばれることはありますが、その場合、主催者は観光協会や温泉協会です。
今回、全県エリアに会員を持つ某団体より、講師の依頼をいただきました。
「Uの会」 から最初に、講演依頼をもらったのは2019年でした。
開催は、翌年の7月予定でした。
が、ご存知の通り、コロナ禍に見舞われ、やむなく中止になりました。
そして昨年、また 「Uの会」 より連絡がありました。
送られてきた依頼文には、こんな一文がありました。
<小暮様のご講演を以前に拝聴した会員から、ぜひ他の会員にも聞いてもらいたいという声があり、ご講演をお願いしました。>
これも縁なのですね。
一度は途切れた縁ですが、こうやって、どこかで誰かが見ていてくれて、また縁がつながることもあるのです。
再びつながった縁は、大切にしなければなりません。
ということで5年越しの約束を果たすため、会場となった川場村役場へ行って来ました。
えっ、役場?
と、僕も最初は思いました。
でも、ただの村役場ではありません。
昨年11月に、新庁舎が完成したのです。
しかも庁舎だけではなく、敷地内には交流ホールや学習館なども併設された多目的複合施設としてオープンしました。
愛称は、「川場BASE (ベース)」 と呼ばれています。
この施設内の 「交流ホール」 が今回の会場です。
県内各地から約40人の会員の方々が集まってくださいました。
演題は 「湯の国ぐんま! 温泉パラダイス」。
休憩なしの90分間、たっぷりと温泉三昧の講話をしてきました。
終演後、著書の販売とサイン会をさせていただきました。
「いつもブログ、読んでいます」
「持っていない本を買いに来ました」
「新聞の連載を読んでます」
「以前、講演を聴きに行ったことがあります」
などなど、たくさんの方が声をかけてくださいました。
「お名前は存じていましたが、今日は、お顔を拝見しにきました」
なんて言う、上品な婦人もいました。
大丈夫でしたかね?
ガッカリして帰ったんじゃありませんか? (心配です)
とにもかくにも、講演会は大成功!
終了後は、一目散に前橋まで車を飛ばして帰ってきました。
そして、家に着くなり 「プシュー!」 と缶ビールのプルタブを引きました。
ん~、この一瞬のために、僕は講演活動をしているんだよな~!
至福の1本は2本となり、ウィスキーに手を出し、最終的には日本酒にたどり着くという、結局はいつもとかわらぬ一日の終わりとなってしまいましたとさ。
でも満足です!
「Uの会」 のみなさん、大変お世話になりました。
また、会いましょう!
2024年07月11日
プロペラのないドローン
昨日の続きです。
「妖精」 と呼ばれるUMA (未確認生物) の話です。
この話を以前、知人男性に話したときのこと。
こんなことを言われました。
「それって、ドローンじゃない?」
「ドローン?」
「そう、小型のドローン」
「でもプロペラはなかったよ」
すると彼は、こう言いました。
「秘密裏に開発された最新型の小型ドローンですよ」
彼は、妖精が現れるエリアが気になるのだと言います。
僕が過去5回目撃した場所は、すべて我が家から半径500~1,000m以内。
季節は異なるものの、時刻は日没後の夜間です。
これらの条件を踏まえると、このエリア内に何らかの組織 (研究グループ) のアジトがあり、実験を続けているのではないかと、彼は言います。
「う~ん、でも僕は20年近く前から見ているんだよ。その最新型のドローンは、いまだに完成していないということになるよね?」
「小暮さんは、言ったよね? 毎回、最後はパンという音をして消えるって?」
「ああ、必ず最後は消えた」
「それ、失敗なんだよ」
「失敗?」
「墜落したんだ」
「だったら機体の残骸が残されているんじゃなか?」
「いや、すぐに回収されているさ。国家機密だからね」
「それって、国家レベルなの?」
「・・・」
話は、そこまでです。
僕が見た 「妖精」 と呼ばれる飛行生物は、実は人間が造り出した小型ドローンなのでしょうか?
しかも我が家の近くで開発が続けられ、夜な夜な飛行実験が続けられているということですか?
これはこれで、なんだか特ダネのような気がします。
証拠をつかんで、スクープ記事として新聞社に売り込みましょうか?
みなさんは、どう思われますか?
2024年07月10日
求む! 目撃情報
「小暮さんは、妖精を見たことがあるんですよね?」
最近また、ブログの読者から訊かれたことがありました。
「ええ、まあ」
以前なら、懇切丁寧に目撃談を説明するんですけどね。
なんだか最近は、ちょっと面倒くさくなっています。
だって、ほとんどの人が、信じてくれないからです。
たった一人だけ、信じてくれた人がいます。
幼なじみで、バンド仲間の友人です。
彼だけが僕の話を聞いて、開口一番 「それは妖精だよ」 と命名してくれました。
でもね、僕が見た妖精は、みなさんが想像している妖精とは、まったく姿かたちが違うんです。
羽の生えた小さな女の子ではありません。
昆虫なんです。
体長5~10cmの葉巻型の黒い色をした虫です。
(と僕は確信しています)
そんな摩訶不思議な昆虫を、僕は過去に5回も目撃しています。
季節は関係ありません。
ただし、時間帯は夜です。
というのも、夜でなければ確認できない、特徴があるからです。
それは、後方の尾の部分から花火のような火の粉を噴射しながら飛行するからです。
高度は、地上3~4メートルほどの低空です。
現れるときは必ず、「シャーーーー!」 というスプレーを噴射するような音がします。
飛行時間は、ほんの十数秒です。
スピードは自転車よりも速く、自動車よりは遅い。
後方から僕を追い抜いて行き、目の前で 「パン」 と音を立てて消えます。
最初は、ロケット花火が飛んで来たのかと思いましたが、花火にしてはスピードが遅いんです。
また水平に飛ぶロケット花火なんて見たことがありません。
毎回、後ろを振り返り確認しましたが、いたずらで花火を上げているような人の姿は見かけませんでした。
この生物は、いったい何なんでしょうか?
図鑑やネットで何回も調べましたが、火の粉を噴射する昆虫なんていませんでした。
でも僕は、この約20年間で、5回も目撃しているんですよ!
ヤツは、絶対にいます!
そして、僕同様に目撃したことのある人が、必ずやいるはずです。
求む! 目撃情報
ぜひ、ご一報ください。
過去5回の目撃談は、下記のブログから閲覧することができます。
① 2010年11月16日 「妖精目撃」
② 2018年8月15日 「妖精ふたたび」
③ 2021年4月23日 「三度目の妖精」
④ 2021年5月21日 「妖精多発地帯」
➄ 2023年7月25日 「妖精のいる夏」
2024年07月09日
会いにおいでよ!
「会いに行けるアイドル」 というコンセプトで売り出したのは、AKB48でした。
先日の都知事選でも、やはり 「会いに行ける」 を連呼していた候補者がいましたね。
実は以前、僕も 「会いに行けるライター」 と宣言したことがありました。
(当ブログの2023年6月13日 「会いに行けるライター」 参照)
本来、ライター (文筆業) という職業は、人前には出ない地味な職業です。
無記名記事の場合は当然ですが、記名の文章でも、顔写真やプロフィール等がなければ、まったくもって読者は、どこの誰なのか、どんな経歴の人物かを知ることはできません。
まあ、それがライターという職業なのですが……
ところが僕の場合、いつからか、人前に出ながら取材&執筆活動をするようになっていました。
まずは講演から始まりました。
するとセミナーや講座の講師の依頼が来るようになりました。
やがてラジオやテレビにゲストで出演するようになり、ついにはレギュラーの番組まで持つようになりました。
加えて根っからの出たがりの性分からか、各種のイベントに参加したり、自らのバンドでライブ活動なんかを始めるものだから、物珍しさもあり、読者が会いに来るようになりました。
ゆえに、いつしか 「会いに行けるライター」 になっていたというわけです。
昨日、高崎市内の公民館で、講演を行いました。
会場に到着して、職員らにあいさつをした早々、館長から言われました。
「私、先生のファンなんです。ほら、これ」
そう言って、差し出されたのは、僕が地元紙に連載しているエッセイの切り抜きファイルでした。
また開演前、廊下ですれ違った参加者からは、
「今日の講師の先生ですか? わ~! いつも名前は見て知っていましたが、お顔を拝見するのは初めてです。どんな方なのかと思って、楽しみにして来ました」
と声をかけられました。
うれしいですね。
こんなとき、つくづく、ただのライターではなく、「会いに行けるライター」 で良かったと思います。
講演中も、膝の上に僕の著書を置いている聴講者の姿を何人か見かけました。
また、「○○は観ました?」 と、僕が出演したテレビ番組名を言うと、数人ですが 「ハーイ」 と手を挙げてくださいました。
ああ、みんな、会いに来てくれたんだ~!
そう思うと、初めて会った人たちなのに、なんだかとても愛おしく思えてくるから不思議ですね。
この夏、まだまだ僕は、いろんな所に出没しますよ!
ぜひ、会いに来てください。
そして可能な限り、お話をしましょう。
待ってまーす!
2024年07月07日
7月は 「万華鏡の湯」
1カ月なんて、あっという間なんですね。
今週、もう4回目のオンエア日です。
僕は今年の4月から月1回、第2水曜日にエフエム群馬で温泉のコーナーを担当しています。
しかも、夕方のニース番組ですから生放送なんです。
毎回、テーマを替えて、さまざまな切り口で温泉の話をしています。
さて4回目となる7月の話題は、「万華鏡の湯」。
実は、そんな名前の温泉はないんですけどね。
僕が勝手に、そう呼んでいるだけです。
分かりやすく言えば、「変わり湯」 のことです。
そう、コロコロと色を変える温泉のことです。
「えっ、そんな温泉があるの?」
と驚かれる人もいるかもしれませんが、みなさんは気づいていないだけなんです。
でも、普通そうですよね。
その時に入った湯の色が、その温泉の湯の色だと思うからです。
でも、何回も通って入り続けると、晴れと雨と曇りの日では色が変化していることに気づくはずです。
「万華鏡の湯」 とは、天候や気温、時間によって色が変わる温泉のことなんです。
それだけではありません。
温泉の中には、一日の間に、何色にも色が変わる温泉があるのです。
番組では、そんな不思議な温泉について話します。
お聴き逃しなく!
■放送日 7月10日(水) 18:37頃~
■放送局 FM GUNMA (86.3MHz)
■番組名 『news ONE』 月~水 18:00~18:55
■出演者 岡部哲彦 (アナウンサー)、小暮 淳 (温泉ライター)