2010年06月28日
湯檜曽温泉 「もちや旅館」
まったくもって貧乏性には、困ってしまいます。
せっかく、ご招待のプライベートで温泉へお泊りだというのに……
実は、先日の月夜野温泉「つきよの館」へ行った日、生来の貧乏性が邪魔をしまして、「月夜野まで行くのだから、足をのばして湯檜曽(ゆびそ)まで行って、1本取材を済ませてくるか!」ということになってしまったのです。なんという、貧乏性なのでしょうか。たまには仕事を忘れて、ゆっくり温泉に入ればいいのに……
と、いうことで25日の昼間は湯檜曽温泉に入り込み、しっかり取材を敢行してきました。
お邪魔したのは昭和22年創業の「もちや旅館」です。
湯檜曽温泉には、現在5軒の宿がありますが、「もちや旅館」は一番手前。湯檜曽川の右岸にある宿です。
JR上越線の湯檜曽駅の隣、という交通至便な立地にあります。
「駅が後から隣に下りて来たんですよ。私が小学生だったから40年くらい前のこと。それまでは温泉街の一番奥の山の上にありました。駅から一番遠い宿が、今は一番近い宿になりました」と気さくな笑顔をみせる3代目女将の箱田香奈枝さん。
歳のころは、僕と同世代かな? 飾らない素朴な雰囲気が素敵な女性です。
僕が知りたかったのは、宿名の“もちや”という名前。どうも苗字ではないようです。
「よく訊かれるんですよ。実は祖父母が戦前、この先の温泉街で餅菓子屋をやっていたんですよ。それで“もちや”(笑)」
なるほどね。前職の屋号だったわけです。
旅館名というのは、とても興味があるんです。とくに歴史のある宿には、時代背景まで見えてくるユニークな名前が付いていたりしますから。
たとえば四万温泉の「積善館」は、関善兵衛さんのお宿だから。代々館主は、関善兵衛を名のっています。
川中温泉の「かど半旅館」にいたっては、半兵衛という人が「かどや」という店を開いていた場所に旅館を建てたからといいます。
温泉地名や旅館名の由来を集めたら、さらに温泉の奥深さを知れるかもしれません。
この辺も、今後の僕の取材テーマとなってくることでしょう。
せっかく、ご招待のプライベートで温泉へお泊りだというのに……
実は、先日の月夜野温泉「つきよの館」へ行った日、生来の貧乏性が邪魔をしまして、「月夜野まで行くのだから、足をのばして湯檜曽(ゆびそ)まで行って、1本取材を済ませてくるか!」ということになってしまったのです。なんという、貧乏性なのでしょうか。たまには仕事を忘れて、ゆっくり温泉に入ればいいのに……
と、いうことで25日の昼間は湯檜曽温泉に入り込み、しっかり取材を敢行してきました。
お邪魔したのは昭和22年創業の「もちや旅館」です。
湯檜曽温泉には、現在5軒の宿がありますが、「もちや旅館」は一番手前。湯檜曽川の右岸にある宿です。
JR上越線の湯檜曽駅の隣、という交通至便な立地にあります。
「駅が後から隣に下りて来たんですよ。私が小学生だったから40年くらい前のこと。それまでは温泉街の一番奥の山の上にありました。駅から一番遠い宿が、今は一番近い宿になりました」と気さくな笑顔をみせる3代目女将の箱田香奈枝さん。
歳のころは、僕と同世代かな? 飾らない素朴な雰囲気が素敵な女性です。
僕が知りたかったのは、宿名の“もちや”という名前。どうも苗字ではないようです。
「よく訊かれるんですよ。実は祖父母が戦前、この先の温泉街で餅菓子屋をやっていたんですよ。それで“もちや”(笑)」
なるほどね。前職の屋号だったわけです。
旅館名というのは、とても興味があるんです。とくに歴史のある宿には、時代背景まで見えてくるユニークな名前が付いていたりしますから。
たとえば四万温泉の「積善館」は、関善兵衛さんのお宿だから。代々館主は、関善兵衛を名のっています。
川中温泉の「かど半旅館」にいたっては、半兵衛という人が「かどや」という店を開いていた場所に旅館を建てたからといいます。
温泉地名や旅館名の由来を集めたら、さらに温泉の奥深さを知れるかもしれません。
この辺も、今後の僕の取材テーマとなってくることでしょう。
Posted by 小暮 淳 at 16:54│Comments(0)
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