2010年09月25日
湯名人
クレーアーティストでもあるイラストレーターの飯塚裕子さんは、僕のことを「湯名人」といいます。
本当は以前、僕のことを「有名人だ」と彼女がおだてたから、あえて僕が「それを言うなら“湯の名人”と言ってほしいな」と訂正させたのです。
それから、彼女のなかでは僕は「湯名人」になりました。
昨日の彼女のブログでも、僕のことを、そう書いていましたね。
僕は昔から、B級志向が強いのです。
だから「有名人」では、おもはゆい。「湯名人」なら、ちょっとマニアックでうれしいのです。
名湯より秘湯めぐり、名山より里山歩き、もちろんグルメも丼物の食べ歩きが好きです。
このB級志向は、たぶん一流になれないコンプレックスから来ているのではないか、と思います。
むかし昔の挫折を、いまだに引きずっているのかもしれません。
10代の頃、吉幾三が歌う『俺は田舎のプレスリー』という唄がヒットしました。
そのとき、「何が田舎のプレスリーだ。夢が小さい小さい、俺は東京さ出て、ホンモノのプレスリーになるぜ!」と、都会に夢見たものです。
そして、ギター1本掲げて、単身東京へ殴りこみをかけました。
ライブハウスや街頭(今でいうストリート)、レコードショップの店頭とどこでも歌い、今でいうインデーズからレコードデビューし、売り歩いたものでした。
夢の大きさと、自分の実力の差に気づいたのは、20代後半でした。
都落ち……。
これから群馬で何をしょうか、と呆然自失の僕に、オヤジが言った言葉があります。
「田舎のプレスリーになれ!」
そう言って、僕の肩をポーンと叩きました。
思えばオヤジもまた、夢破れた“田舎のプレスリー”だったのです。
若い頃、ハリウッドに憧れ、渡米して、早川雪舟のような銀幕スターになろうとしていた時期があったと聞きます。
「本当はイングリッド・バーグマンと結婚する予定だったんだけどな。イングリッド・バーチャンと一緒になっちゃった(笑)」
これが今では痴呆老人となったオヤジの口ぐせです。
誰だって、みーんな夢を見るんですよ。
叶う夢、叶わない夢、大きな夢、小さな夢……
群馬に生まれて、育って、途中いなくなって、時々いなくなって、それでも群馬が好きで暮らして50年以上が経ちました。
今では、「田舎のプレスリーになれ!」と言ってくれた、オヤジに感謝しています。
有名人になんて、ならなくてもいい。
でも、群馬の湯名人にはなりたいものです。
本当は以前、僕のことを「有名人だ」と彼女がおだてたから、あえて僕が「それを言うなら“湯の名人”と言ってほしいな」と訂正させたのです。
それから、彼女のなかでは僕は「湯名人」になりました。
昨日の彼女のブログでも、僕のことを、そう書いていましたね。
僕は昔から、B級志向が強いのです。
だから「有名人」では、おもはゆい。「湯名人」なら、ちょっとマニアックでうれしいのです。
名湯より秘湯めぐり、名山より里山歩き、もちろんグルメも丼物の食べ歩きが好きです。
このB級志向は、たぶん一流になれないコンプレックスから来ているのではないか、と思います。
むかし昔の挫折を、いまだに引きずっているのかもしれません。
10代の頃、吉幾三が歌う『俺は田舎のプレスリー』という唄がヒットしました。
そのとき、「何が田舎のプレスリーだ。夢が小さい小さい、俺は東京さ出て、ホンモノのプレスリーになるぜ!」と、都会に夢見たものです。
そして、ギター1本掲げて、単身東京へ殴りこみをかけました。
ライブハウスや街頭(今でいうストリート)、レコードショップの店頭とどこでも歌い、今でいうインデーズからレコードデビューし、売り歩いたものでした。
夢の大きさと、自分の実力の差に気づいたのは、20代後半でした。
都落ち……。
これから群馬で何をしょうか、と呆然自失の僕に、オヤジが言った言葉があります。
「田舎のプレスリーになれ!」
そう言って、僕の肩をポーンと叩きました。
思えばオヤジもまた、夢破れた“田舎のプレスリー”だったのです。
若い頃、ハリウッドに憧れ、渡米して、早川雪舟のような銀幕スターになろうとしていた時期があったと聞きます。
「本当はイングリッド・バーグマンと結婚する予定だったんだけどな。イングリッド・バーチャンと一緒になっちゃった(笑)」
これが今では痴呆老人となったオヤジの口ぐせです。
誰だって、みーんな夢を見るんですよ。
叶う夢、叶わない夢、大きな夢、小さな夢……
群馬に生まれて、育って、途中いなくなって、時々いなくなって、それでも群馬が好きで暮らして50年以上が経ちました。
今では、「田舎のプレスリーになれ!」と言ってくれた、オヤジに感謝しています。
有名人になんて、ならなくてもいい。
でも、群馬の湯名人にはなりたいものです。
Posted by 小暮 淳 at 18:26│Comments(0)
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