2010年09月27日
島人たちの唄① 「時代の終わりに魂を」
※このカテゴリーは、ウェブマガジン「info」(2003~2005)に連載されたエッセイを加筆、訂正したものです。
「島が沈んじゃへんかと思ったがね」
酒屋の女主人は述懐する。
1979年、夏。
愛知県知多郡南知多町大字篠島。三河湾に浮かぶ周囲6キロ、人口約2,000人のこの小島に、2万人を超える若者が全国から集まった。
7月26日、吉田拓郎・篠島アイランドコンサートである。
あれから4半世紀。
強者(つわもの)どもの夢の跡を追って、この島にやって来た。
島の北側に広大な平地が広がる。
海上から全景を望むと、起伏の多い島の中でも唯一人工的な形状をなしている一画だ。1976年に埋め立てられた地域である。
港に降り立つと、まず真っ赤な屋根の観光案内所が視界に飛び込んできた。観光案内所にしては、異様に大きな建物だ。
聞けば、パターゴルフ場のクラブハウスだったという。
バブルの産物は、建物だけではなかった。
敷地の中は、見るも無残な荒れ野が広がっていた。
ここが拓郎ファンの聖地、コンサート会場のあった所だった。
「ここ、この辺だよ、ステージがあった場所は。拓郎のおっきな顔写真の看板が立ってたよ」
当時9歳だった、港で食堂を商う女性が教えてくれた。
父親に肩車をしてもらい、その大観衆を眺めた記憶があると言った。
「あの焼肉屋さん、おにぎり売って、ようけ(たくさん)儲けたんよ」
指さしたステージ跡の裏手には、島の焼肉屋にしては大層立派な “拓郎御殿” が建っていた。
ピンクのシャツに白のパンツスタイル、カーリーヘアーにバンダナを巻いた拓郎の顔が目に浮かぶ。
「俺は歌は下手だし、顔はブスだし、唇はタラコだし。でも、ソウルだけはある。魂だけはある。そこだけで闘って行こうと思っている」
そう叫んだ顔が浮かぶ。
時代がフォークをニューミュージックと呼び出した頃だった。
70年代の終わりを告げるように、拓郎の歌う 『人間なんて』 が夜明けの島に響き渡っていた。
Posted by 小暮 淳 at 16:02│Comments(0)
│島人たちの唄