2010年11月19日
○○のために……
こんなことを言うと、すごくヒドイ亭主で、最低の父親だと思われるかもしれませんが、誤解を承知で話せば、僕は “家族のために” 働いたことがありません。
では「何のために仕事をしているのか?」と問われれば、やっぱり自分のためになんですね。
だからって、家にお金を入れてないわけでは、ありませんよ。
家のローンも生活費も、僕のために稼いだ中から、お金が “ある時” は入れてます。
当然、ない時は、入れられません。
この辺が、世のお父さんたちと、若干違うところでしょうか。
このスタイル(生き方?)は、結婚をして、所帯を持った時から、家人には話してあります。
「決して、家族のためには働かない」と……。
だから、そんな頑固な夫、父ですから、家族も承知して暮らしています。
僕の仕事は、フリーランスですから、収入は一定してません。
思わぬ高収入の月もあれば、一円も稼げない月もあります。
だから“ある時”は出せるけど、“ない時”は出せないのです。
よって、子供たちには 「とーちゃん、またケンカしたから、 とーぶん家は貧乏だぞ」と、真実を告げることになります。
すると子供たちも心得ていて、「わかった、バイトするよ」と自分の小遣いを稼ぎにでかけます。
なぜ、僕は自分以外の人のために働かないのか?
人間の一生は、睡眠時間を除けば、残りの半分以上を働いています。
いえ、いえ、睡眠時間以上に働いている人もいるはずです。
と、いうことは“仕事” が、その人の人生の“顔”だということになります。
お医者さんはお医者さんの“顔”を、野球選手は野球選手の“顔”を、歌手は歌手の“顔”で一生を生き抜きます。
もし、その“顔”となる仕事が、“誰かのため”だったら……
ブッダやイエスならいざ知らず、人間なら必ず見返りや代償を求めます。
一番、ポピュラーなものが、“お金”ですよね。
でも、代償は労働と釣り合ってないと、不平不満を生みます。
「こんなに働いてんのに、なんで安給料なんだよ」とか、「どーして俺よりアイツの方が、多く金をもらってんだよ」とかね。
ひと昔前なら、“家族のために”働いているお父さんたちは、こんなことを言いました。
「誰のおかげで、メシが食えてると思ってるんだー!」(ちゃぶ台をひっくり返す)
みーんな、代償が欲しいんですよね。
自分の“意”としないことをしている、代償が……
だから僕は、代償を求めない人生を選んだのです。
“自分のため”なら、見返りも代償もいりません。
その仕事自体が、僕のためのものですから、それにより発生したギャラ(お金)は副産物(おまけ)みたいなものです。
これは当然、家族へ分配されます。
なんだか、我がままで自分勝手な人間のたわごとに聞こえましたかね?
でも僕は思うんです。
もし、僕の子供たちが 「お父さんのために学校へ行ってる」 なんて言ったら……。
こんな不幸なことはありません。
あなたは、何のために働いていますか?
Posted by 小暮 淳 at 14:30│Comments(0)
│つれづれ