2010年11月21日
出雲市15時48分
昨晩は、珍しく飲み過ぎてしまいました。
お相手は、旧友のT君です。
彼は、中学・高校の同級生で、その後、ともに夢を追って、若い頃の東京時代を過ごしました。
彼は写真学校、僕は音楽学校。
夢は違っても、夢の大きさは同じ。良きライバルでもありました。
「いつか俺たちの時代が来るぜぃー!」
深夜のアパートの窓から、高層ビルの光に向かい、こぶしを握り締めながら大声で叫んだ青春の日……
あれから30年、今でも彼とは、こうやって時々、会って、飲んで、夢のつづきを語り合っています。
いゃ~、夕べも2人は、熱かったな~! 気が付けば、ヘロヘロになって3軒も居酒屋をハシゴしていました。
出雲市15時48分
23年前のこの時間から、僕の人生は、大きく変わりだしました。
今思えば、ターニングポイントだったのですね。
30歳を目前にして、僕はなんともやり切れない思いを、抱え込んでいました。
結婚をして、家庭をもっていたにもかかわらず、無性に旅に出たくなってしまったのです。
家内に事情を話し、本州一周を目指して旅へ出ることにしました。
東海道から山陽、山陰へ。
何日目かの晩、僕が滞在している山口市の宿に、T君から電話がかかってきました。
「よく、ここに僕がいることが分かったね?」
「キミの奥さんに聞いたのさ」
「で、何の用だい?」
彼の話を要約すれば、急に休みが2日間取れたから、僕に会いに来るというのです。
「おいおい、ここがどこだと思っているんだよ。それに僕は、また移動してしまうよ」
「じぁあ、今後のスケジュールは?」
「明後日、ここを発ち、山陰地方をまわる予定だけど……」
こんな会話をして、その晩は電話を切りました。
そして、翌日。
またしても、T君から宿に電話がかかってきました。
「明日、キミは山口から11時51分の 『おき4号』 に乗ってくれ。そして出雲市で降りてほしいんだ。僕は明日、岡山から 『やくも7号』 に乗る。出雲市で再会だ!」
翌日、彼に言われたとおり、僕は 『おき4号』 に乗り、出雲市で降りました。
それが、15時48分。
向かいのホームへ、同時に電車が滑り込んできます。
なんと、『やくも7号』 です。
こちらも、15時48分着!
ホームへ降りると、彼が電車から降りて来ました。
「よっ!」
「さ、祝杯を上げるとしょう!」
出雲の街へ、2人は消えて行きました。
旅を終えた僕は、この日のことを小説に書いて、新聞社へ送りました。
そして、数ヵ月後……
この小説が、入選したのです。
これを機に、僕は執筆活動へ、人生の方向を変えました。
彼こそが、僕に文章を書かせた夢先案内人だったのです。
ちなみに、拙著 『ぐんまの源泉一軒宿』 の表紙の写真を撮ってくれたカメラマンが、T君こと、綱島徹氏です。
Posted by 小暮 淳 at 12:50│Comments(0)
│執筆余談