2012年03月20日
放課後の怪しいおじさん
エッセイスト、奥成達氏の 『なつかしの小学校図鑑』(ちくま文庫) を夢中になって読んでいます。
誰にでもあった小学校時代の思い出の数々をつづったエッセイです。
奥成氏は昭和17年生まれで、僕よりだいぶ年上なのですが、それでも小学校時代の思い出にあまり違いがありません。
朝礼や日直、掃除当番、身体検査などなど、「そうそう、そうだった」 と懐かしくも、おかしく、そしてちょっぴりほろ苦いエピソードが満載なのです。
風邪で学校を休んだ日、クラスメートが給食のパンをわら半紙に包んで、家まで届けてくれたこと。
夏の日の夜、校庭や神社の境内に白い布が張られて、野外映写会が行われたことなどは、僕も同じエピソードを自分の著書 『上毛カルテ』(上毛新聞社) の中で書いています。
奥成氏は、“校門の前にいた怪しいおじさん” にも触れています。
下校時をねらって校門の横で店を開いていた行商人のことです。
ひよこ、二十日ねずみ、カメ、ヤドカリなどの生き物や知恵の輪、手品などを売っていました。
当時も学校では買うことを禁止されていましたが、それでも今のように規制がきびしくない時代のことです。
けっこう、金持ちの子どもは、だまされて(?) 買っていたような気がします。
今は、どこの小学校でも、“怪しいおじさん” は見かけなくなりました。
(時々、予備校や塾のチラシを配っているお兄さんは見かけます)
この本の中で奥成氏は、「ねんど型」 のおじさんの話をあげています。
たぶん、これは僕たちが 「ねんど屋さん」 と呼んでいたおじさんのことだと思います。
でも、僕たちが 「ねんど屋」 さんと出会ったのは、校門前ではなく、決まって下校途中のお寺の参道でした。
「ねんど屋」さんは、粘土とレンガのような石でできた型を売っているのです。
型は、七色仮面やナショナルキッドなどの当時のヒーローだった記憶があります。
(ウルトラマンが放映される前の時代ですから)
おじさんが、型の底に金粉や銀粉、色とりどりの粉を塗ってくれて、粘土をつめて型からはずすと、あ~らら!光り輝くヒーローが飛び出すのです。
いくらだったのかは忘れましたが、僕はまだ低学年でおこづかいがなくて買えなかったのを覚えています。
型をもっていた上級生と一緒に遊んでもらっていました。
ところが上級生たちは、そのうち粘土で型をとるだけでは飽きてしまうんですね。
誰かが、鉛を型に流し込んで作った、カッチョイイ~銀色に光り輝く七色仮面やナショナルキッドを見せびらかしはじめました。
もう、僕は欲しくて、欲しくて仕方がありません。
どうしたら、あんなカッチョイイ~七色仮面やナショナルキッドが作れるのでしょうか?
ある日、7つ上の兄貴が、「型だけ誰かに借りてこい。作ってやるから」 と言ったのです。
で、僕は友だちから型を借りてきました。
「いったい兄ちゃんは、どうやって銀色の輝く七色仮面を作るのだろうか?」 と見ていると、プラモデルの箱の中から使い切ったセメダインのチューブをいくつか取り出したのです。
これを空き缶に入れて、火であぶり出しました。
すると・・・
うわぁぁぁーーっ! びっくり!
チューブが溶けて、銀色の液体になったのです。
兄ちゃんは、この液体を型の中へ流し込んだのです。
「熱いから、触るな。完全に冷えてから取り出すんだぞ」
と言って、部屋へもどって行った兄ちゃんは、このとき魔法使いのように見えました。
しばらくして、型から抜いてみると・・・
ピッカピカーーーッの七色仮面が出てきたのであります。
もちろん僕がこの後、これを握り締めて、一目散に駆け出して、近所の友だちの家を一軒一軒まわって、見せびらかしことはいうまでもありません。
遠い、遠い、昔の話です。
奥成氏も、本書の 「まえがき」 で、こんなことを言ってます。
<最近特に物忘れが激しくなったなと悩んでいたのですが、こんなにはるか遠い昔のことをアリアリと思い出してくる自分に、正直なところ驚いています>
最近のことは、すぐ忘れても、昔のことは本当に良く覚えているものです。
僕も今こうやって、ブログを書きながら自分の記憶力に驚いています。
Posted by 小暮 淳 at 22:33│Comments(0)
│昭和レトロ