2012年04月15日
煙る都庁と雨の日の花嫁
昨日は雨の中、姪っ子の結婚式に出席するため、東京まで行ってきました。
親族を乗せて、前橋を出発したバスは、関越自動車道から目白通へ。
「豊玉」「桜台」 といった、かつての青春の匂いがする地名に、胸を熱くしながら車窓から雨の街並みを眺めていました。
環七通から青梅街道へ。
「高円寺」「中野新橋」「中野坂上」 は、さらに古い記憶を紐解きます。
10代の頃、初めて東京へ出て暮らした町が 「中野坂上」 でした。
当時、通った飲み屋があるかと目を凝らして探したけど、見当たりませんでしたね。
35年も前の話です。
そして、会場のある西新宿へ。
初めて見る都庁!
あまりにも高過ぎて、上層階は雨に煙っていて見えません。
西新宿は、僕が20代の頃、本屋のバイトで毎日のように配達で回っていた場所です。
あの頃も、ニョキニョキと何本かの高層ビルが点在していましたが、今はもう乱立!
それも立錐(りっすい)の余地がありません。
風景も時代も人も変わった街を、しみじみとホテルの41階にあるスカイレストランから見下ろしていました。
午前11時30分
40階のチャペルに、チェロの音が響き渡ります。
もう、僕の知らない大人の女性になってしまった姪っ子が、義兄にエスコートされながら入場してきました。
すでに、義兄の目は真っ赤です!
と、隣を見れば、早くも家内が泣く気満々であります。
なのに義父だけが、ちょこまかと写真撮影に余念がありません。
しかも、賛美歌の斉唱では、“アーメン” を わざと 「ラーメン」 なんて言って、周囲の笑いを取ろうとしています。
僕は結婚当初から、そんな場の雰囲気をはずすお茶目な義父が大好きなんです。
一緒にいると、売れない芸人レベルのダジャレやギャグが、ポンポンと飛び出してきます。
義兄は真面目な人ですから、まったくこの人のDNAは受け継いでいませんが、僕の家内がそのままこのDNAを持って、小暮家へと嫁いできました。
披露宴では、 「ワイルドだろ」 なんて、しっかりスギちゃんのモノマネをしてウケを狙っていましたからね。
僕はこの結婚式で、初めての体験をしました。
「親族の紹介」 です。
両家の父親が前に出て、ひとり一人、新郎新婦とのつながりを紹介します。
僕は、新婦の父の妹の亭主ということになりますから、早めの紹介となりました。
「ええ、次は・・・えーと・・・私の実の妹の亭主の・・・アツシ?」
ちょっと、にいさん! 長年つき合っていて、そりゃあないでしょう!
一瞬、僕に目で確認するとあわてて 「ジュンでした」 と言い換えました。
慣れない大役に、極度の緊張をしていたようです。
ちなみに、義兄は僕より年下であります。
披露宴は39階の会場で行われました。
そして、お決まりのラストシーン。
新婦から両親へ、感謝のお手紙朗読です。
隣の家内は、またもや泣く気満々で、読み出す前からハンカチを握り締めています。
と、思えば義兄は、飲めない酒を無理に飲んで動揺を抑えようとしたのか、真っ赤な顔に泣きはらした赤い目をランランとさせながら、鬼ような形相で仁王立ちしています。
「お母さんがお店をしていたため、いつも学校の行事には、お父さんが来てくれていました」
と朗読が始まった途端、赤鬼の号泣が始まってしまいました。
こちらも泣いた赤鬼を見ているうちに、涙腺が崩壊!
涙、涙のエンディングを迎えましたとさ。
実は、僕と家内も結婚式を挙げていませんが、僕らの長女も式を挙げていません。
だから、身内側としての結婚式参席というのは、初めてだったのです。
もし、僕が花嫁の父として、この会場にいたとしたら・・・
なんて考えると、居ても立ってもいられませんね。
たぶん、逃げ出してしまうでしょうな。
次女も、将来、こっそりと入籍だけの結婚をしてくれることを願います。
ほろ酔い気分でホテルを出ると、まだ大粒の雨が低い空から落ちて来ていました。
その低い空を突き抜けるような高層ビル群。
ひと際、異彩を放つ都庁の2本の塔は、先端の部分が煙っていて見えません。
雨の日の花嫁は、幸せになるといいます。
賢一くん、英里奈ちゃん
結婚おめでとう!
Posted by 小暮 淳 at 12:45│Comments(0)
│つれづれ