2012年07月07日
老神温泉 「牧水苑」
「かみつけの とねの郡の老神の 時雨ふる朝を 別れゆくなり」 牧水
老神(おいがみ)温泉の 「牧水苑」 を訪ねるのは、2度目です。
確か・・・、4~5年前だったような・・・
女将さんの桑原球(たまき)さんと、お会いするのも2回目ということになります。
でも・・・、取材をした記憶がないんですよね。
「牧水苑」 に来たことはある。
女将とも会ったことがある。
なのに、取材した記憶も、どこかに記事を書いた記憶もない・・・
これって、どーいうことですか!?
もう、本人に確かめるしかありませんって!
と、いうことで、真相究明のために行ってきました。
(ウソです。取材です)
で、女将と会うなり、互いに記憶の模索を始めました。
「僕は以前に、女将さんに会っているんですよ。ここにも来ました。でも取材ではなかったようなのですが・・・」
すると女将も、僕に会ったことがあるような気がすると・・・
少しずつ少しずつ、互いの記憶をたどって行くと……、
あ、あああっ!
わ、わ、わかりました!
当時、女将さんは老神温泉「女将の会」の会長をしていたのです。
現在も8月~9月初旬まで、毎日行われている盆踊りの仕掛け人でした。
僕は当時、群馬県の温泉応援ソング 『GO!GO!温泉パラダイス』 という曲のCDを持って、県内温泉地をPRキャンペーンに回っていたのです。
で、老神温泉の観光協会を訪ねたら 「ならば女将の会が、毎晩、盆踊りを踊っているから会長を紹介しましょう」 ということになり、「牧水苑」の女将さんを訪ねたのであります。
あー、すっきりしました。
思い出せない記憶を取り戻した瞬間というのは、なんとも爽快であります。
これで、心置きなく取材ができるというものです。
あの日以来、僕は、一度ちゃんと取材したいと思っていた宿なのであります。
だって、「牧水苑」 ですよ!
牧水好きが、見逃すわけにはいきません。
なぜ、牧水の名が付いているのか?
<老神温泉に着いた時は夜に入っていた。
途中で用意した蝋燭(ろうそく)をてんでに点(とも)して
木道から温泉宿のあるという川端の方へ
急な坂を降りて行った。
宿に入って湯を訊くとと、少し離れていてお気の毒ですが、
と言いながら背の高い老爺(ろうや)が提灯を持って先に立った。>
(若山牧水著 『みなかみ紀行』 より)
大正11年10月25日に、牧水は弟子とともに老神温泉を訪れています。
『みなかみ紀行』 に記されている、この提灯を持って牧水を湯屋へ案内した “背の高い老爺” こそが、現女将の曽祖父なのであります。
そして、翌日、牧水は弟子に別れを告げ、雨の中、老神温泉を後にして、日光へと向い旅立ちました。
その時詠んだ歌が、冒頭の 「かみつけの とねの郡の老神の・・・」 であります。
その他にも、牧水にまつわる資料や逸話にたくさん出合ってきました。
博識なご主人の桑原朝吉さん、興味深い牧水話の数々をありがとうございました。
Posted by 小暮 淳 at 16:19│Comments(0)
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