2012年12月24日
記録より記憶
20年以上も昔のことです。
当時、僕は駆け出しのタウン誌記者をしていました。
少数精鋭。
スタッフの人数が少ないこともあり、全員が広告営業をライフワークに、その合い間で取材記事を書いていました。
僕は毎月、巻頭のエッセイとインタビュー記事を担当していました。
インタビュー記事は 『ヒューマン・スクエア』 というタイトルで、群馬県在住の芸術家たちの素顔を紹介するページです。
画家、陶芸家、彫刻家、版画家、木彫家など、僕の好きなアーティストたちを毎月、取材して回っていました。
ある号の編集会議のときです。
編集長から 「次回はS先生をインタビューしてみないか?」 と言われました。
S先生は、その分野では世界的に有名な作家で、すでに美術館までできている大御所であります。
「本当ですか! その取材、僕でいいんですか!」
と、駆け出しの僕は、すっかり舞い上がってしまいました。
そして、迎えた取材当日。
僕はカメラマンとともに、先生のアトリエを訪ねました。
S先生は、大先生とは思えぬほど物腰がやわらかく、若造の僕に対しても丁寧に受け答えてくれました。
インタビューは、たっぷり2時間。
とにかく緊張のしっぱなしでしたが、無事に取材が終わりました。
悲劇が起きたのは、編集室へ戻ってからです。
たった今、録ってきた録音テープを再生してみると・・・
アレ? 音がしません。
カセットテープをひっくり返してB面にしても、同じです。
と、同時に、僕の全身から血の気が失せて行くのが分かりました。
あまりの緊張から、テープレコーダーの操作を誤ったようであります。
録音ボタンを押したつもりが、再生ボタンを押してしまったみたいです。
「おお、小暮くん、帰っていたのか! お疲れさま。で、S先生のインタビューはどうだった?」
編集長が外出から帰ってきました。
「あ、はい。終わりました」
と、事情を話そうかと悩む僕。
「そっか、じゃあバッチリだな! でかした、でかした。記事、期待しているよ」
そう言って、編集室を出て行ってしまったのです。
ああああああああああああーーーーーっ!
バカバカバカバカバカバカーーーーっ!
自分のバカさ加減に、今すぐ、このビルの屋上から飛び降りてしまおうかとも考えました。
もうダメです。
編集長に救いの手は借りられません。
たとえ真実を話したところで、どうにかなるものでもありません。
「録音に失敗したので、もう一度インタビューさせてください」
なーんて、大先生に対して言えるわけがありませんもの。
あわてて、僕は取材メモを広げました。
とりあえず、話の要所要所のポイントだけはメモされています。
でも、到底、見開き4ページの巻頭特集を埋めるだけの資料には足りません。
なにより、先生の口調やしゃべり癖、時々会話に出てくる専門用語は、まったくもって皆無であります。
締め切りまでは、あと1週間。
でも、その日は、あまりものショックの大きさに、原稿に手をつけることはできませんでした。
残り5日、4日、3日・・・
やはり、一向として原稿が書けません。
「どうしよう、どうしよう」 と、ただあせるばかりで、気持ちが前に進まないのです。
いっそのこと、すべてを話して、編集長と一緒に先生のもとへ頭を下げに行ってもらおうかと、夜中に何度も受話器を握ってしまいました。
あと2日、そして1日。
背水の陣を迎えました。
こうなりゃ、野となれ山となれ!
しょせん、記事なんて、バクチと同じよ!
正確な文章が、必ずしもいい記事とは限らない。
うまい文章が、人の心を打つとも限らないのだよ。
えいっ、こうなりゃ、感性で書き上げるしかないだろう!
と僕は、記憶だけに頼り、自分が見て聞いたS先生像を頭の中に作り上げ、再度、架空のインタビューをして、記事に起こしました。
「私は、こんな事を言った覚えはないよ」
と言われたら、その時、事実を話し、土下座をして謝ればいいや、と開き直ったのであります。
さて、1ヶ月後。
雑誌は発行され、書店に並びました。
もちろん、S先生のもとへも郵送されています。
でも、なんの苦情電話もかかってきません。
このまんま、時が過ぎればいい。
たぶん、もう生涯、S先生と会うこともないだろうから・・・
と、おびえるように日々を過ごしていた僕に、またしても絶体絶命のピンチが訪れました。
「小暮くん、今日からS先生の個展が始まったから、この間のお礼方々、お祝いを持って行ってよ」
と、悪魔のような編集長の言葉。
「え、僕ですか? 誰か別の人のほうが……」
「何を言っているんだい。キミが取材したんだから、キミが行かなくちゃ、意味がない。先生も喜ばれるよ」
だなんて!
喜ぶどころか、怒鳴り散らされるかもしれないのです。
その日の午後、僕は意を決して個展会場へ。
受付で記帳を済ませて、中へ。
でも、先生の姿は見当たりません。
少し、ホッとしました。
このまま、会わなければいい。
だったら、もたもたしていては、いけない。
グルリと会場をひと回りして、さっさと退散しょう。
と、歩き出した、その時です。
僕の目は、壁の一点に釘付けになってしまいました。
まさか? そんな!
さらに近づいて、見ました。
やっぱり、そうです。
間違いありません。
ギャラリーの壁に貼られていたのは、信じられないことに、僕が書いた記事だったのです。
それも全文。見開き4ページが展示されています。
<このたび、月刊○○より取材を受けました>
との言葉まで、添えられています。
えっ、どうして? なんで、こんなところに、僕の書いた記事が貼られているの?
やや、僕はパニックになっていました。
本当に訳が分からなかったのです。
すると、後ろから声がしました。
「いやぁ~、小暮さん、この度はありがとうございました。いえね、あんまり嬉しかったものだから、勝手に記事を貼らせていただきました。今までに、いろんな人が私のことを書いてくださったけど、小暮さんが一番、僕の言いたかったことを書いてくれましたよ。本当にありがとうございます」
S先生が満面の笑みをたたえて立っていました。
その後のことは、良く覚えていません。
もしかしたら僕は、泣いていたのかもしれませんね。
ただ、言えることは、記録は消えても記憶は残っていたということです。
そして、人との出会いは、すべて記録ではなく記憶なのだということ。
もし、あの時、テープに録音がされていて、忠実に言葉を起こしていたら・・・
たぶん、まったく別の記事になっていたことでしょう。
“記録より記憶”
それからというもの、僕は記録には頼らず、記憶で文章を書くことを優先するようになりました。
そしてS先生とのエピソードがなかったら、その後、僕はフリーのライターという仕事に就いていなかったかもしれません。
Posted by 小暮 淳 at 19:39│Comments(2)
│執筆余談
この記事へのコメント
神様のいたずらで、天職かをきめる試練だったんですかね?
そう考えると、人生って分岐点が沢山あるし、どうゆう道に向かって進むかは、運がいいとか悪いではなくて、自分の決心や本能的な選択だったのかな?とおもっちゃいました。
そう考えると、人生って分岐点が沢山あるし、どうゆう道に向かって進むかは、運がいいとか悪いではなくて、自分の決心や本能的な選択だったのかな?とおもっちゃいました。
Posted by ぴー at 2012年12月26日 14:29
ぴーさんへ
そうですね。
人生において、運というものは結果論かもしれませんね。
僕は二者択一の岐路に立ったとき、常に困難な道を選ぶことにしています。
そのほうが、失敗したときに後悔が少ないんですよ。
人は、嫌いなことには楽を選びますが、好きなことでは苦を楽しめる能力を持っていますから・・・。
そうですね。
人生において、運というものは結果論かもしれませんね。
僕は二者択一の岐路に立ったとき、常に困難な道を選ぶことにしています。
そのほうが、失敗したときに後悔が少ないんですよ。
人は、嫌いなことには楽を選びますが、好きなことでは苦を楽しめる能力を持っていますから・・・。
Posted by 小暮 at 2012年12月27日 01:20