2013年04月29日
18年前の選択
僕は、前橋市の旧市街地にあるK町で、生まれ育ちました。
結婚後も、しばらくは同じ町内で暮らしていましたが、18年前に現在住んでいる郊外のA町へ家族で引っ越して来ました。
理由は、子どもを育てるためにです。
K町は、前橋市の中心部。
僕が子どもの頃は、人口も多くて、町内に商店街までありました。
サラリーマン家庭は少なく、商売をしている家がほとんどだったので、平日の日中でも、男の大人の人が町の中にいました。
僕の実家は、学習塾をしていたので自営です。
前のうちは、洋服店。
その隣は、八百屋。
だから、僕が学校から帰ってくれば、
「よう、ジュン坊、お帰り!」
なーんて、近所のオジサンたちが声をかけてくれました。
当時のことを、僕は自分の著書で、次のように書いています。
<昔は「うちの子」と「他人の子」の区別がなかった。だから私は、よく隣のおじさんにもゲンコツをもらった。たとえ親の目を盗めても、常に近所の人たちの目が私を見張っていたのである。>( 『上毛カルテ』の「街は何処へ」より)
あれから40年。
車社会の影響を受けて、旧市街地の過疎化は猛スピードで進んで行きました。
町の中から子どもたちの姿が、消えてしまったのです。
僕が子どもの頃に遊んでいた空き地は、すべて駐車場に。
神社や寺院の境内までもが、コンクリートに覆われた駐車場になってしまいました。
平日の日中は老人ばかりで、町の中に働く男性の姿がありません。
“向こう三軒両隣”
子育ては、地域の力が必要だと考えていたので、現在の土地へ引越しました。
農家や商店、自営業者たちが暮らす、緑豊かな田園風景の中へ。
現在、僕は、地域の 「子ども育成会連合会」 の本部役員をしています。
僕の3人の子どもたちは、すでに大きくなってしまい、もう今は育成会の世話にはなっていませんが、この土地への恩返しのつもりで、地域活動の手伝いを続けています。
今日は、そんな僕が本部役員を務める連合会が中心になって、毎年開催している地域のイベント 「のびゆく こどものつどい」 が開催されました。
会場となった公民館と小学校の校庭には、たくさんの子どもたちが集まりました。
また、通りには出店が並び、さながら祭りのようであります。
やっぱり、子どもたちの笑顔って、いいですね。
この子たちの未来を、守ってあげたいって思いますもの。
今日、18年前の選択は間違っていなかったのだと、つくづく思いました。
Posted by 小暮 淳 at 23:34│Comments(0)
│つれづれ