2013年08月21日
オヤジ史③ 「麺スケベ」
ついに、タブー取材に成功しました!
実は僕、ボケてしまったオヤジの代わりに、オヤジの自叙伝を書いてやろうと思い、時間を見つけては実家へ行って、オヤジにインタビューをしています。
※(今までの取材経過については、当ブログの 「オヤジ史」 をお読みください)
で、少年時代の話や戦中、戦後の話、水害で九死に一生を得た話などを聞いてきましたが、ついに! オフクロとの馴れ初めから結婚にいたるまでのラブロマンスを聞いてしまったのであります。
このテの話題って、聞かれる親も照れくさいものですが、聞く子どもだって照れくさいのです。
しかも、父と息子であります。
一般家庭ならば、あえて聞くこともない、どーでもいい話題です。
でも、僕はライターですからね。
「オヤジ史」 を完結させるには、避けて通れないわけです。
だから、ズバリ! 聞いてやりましよ。
「ばあちゃんとは、どこで知り会ったんだい? 初めて会ったとき、どう思ったんだい? どっちが惚れたんだい?」
ってね。
そしたら、おかしな話が飛び出してきたんです。
戦後間もない、昭和23(1948)年の春のこと。
オヤジは終戦直後、地元の中学校の英語教師をしていましたが、その語学力を買われて、当時は太田市の進駐軍で通訳の仕事をしていました。
オヤジには、5人の姉がいましたが(すでに全員、物故)、5番目の末姉(僕の伯母) の嫁ぎ先が、オフクロの実家の前の家だったのです。
で、伯母は、いつまでも結婚する気のない弟(オヤジ) に、
「向かいの家に、気立てのいい娘さんがいるけど、一度、会ってみないかい?」
と、世話を焼いたとのことです。
ところがオヤジったら、よっぽど独身生活が楽しかったんでしょうな。
「だからオレは、まだ結婚なんてする気はねーって言っているだろ。ねーちゃんから、断ってくれよ」
と、返しました。
ところが、この話。オフクロのほうが、引かなかったと言います。
まあ、オヤジとオフクロは、遠い親戚筋の関係にありますから、お互い子どもの頃には、見かけたことがあったようです。
で、オフクロは、オヤジのことが気になっていたみたいなんですね。
「私は、一度、ちゃんと断ったよ。それでも先方がお前に会いたいって言うんだから、今度は、自分で断りに行きなよ!」
と、オヤジは伯母から強く言われたため、
「だからオレは仕方なく、ばあちゃんちへ断りに行ったのさ」
と言います。
ところが、
「ほれ、俺は “麺スケベ” だろう。ぱあちゃんちへ行ったら義母ちゃんが、うどんを打ってくれたのさ。これが、うまいのなんのって、お替りまでしちまったんだ。それで、断り切れずに、付き合うことに……」
昔からオヤジの麺好きは有名で、そばでも、うどんでも、ラーメンでも、麺なら1日3食毎日でもOKな人なのです。
「へーえ、それで、ばあちゃんの印象は、どうだったのよ?」
「覚えて、ねーな」
「本当に、うどんが理由で付き合ったのかよ?」
「ああ、あの時、この人と結婚すれば、毎日、こんな、うまいうどんが食えるのかと思っちゃったのが、間違いの始まりだった。だって結婚してみたら、ばあちゃんは、うどんが打てなかったんだよ。あ~あ、だまされたな(笑)」
この話は、本当なのだろうか?
照れて、うどんのせいにしているのでは、ないだろうか?
と、真偽を確かめるため僕は、その足で、オフクロが入院している病院を訪ねました。
すると・・・
「本当の話だよ。おじいちゃんは、結婚する気なんて、なかったんだよ。ただ、くやしいじゃないの。会って、ちゃんと話もしていないのに、断ってくるなんてさ。だから私が義姉さんに頼んで、うちに来るように言ってもらったの」
とは、さすが上州女だ。
もしかしたら、オヤジの麺好きまでも、事前にリサーチしていたのかもしれませんね。
でも、その日以来、毎週日曜日になると、太田から前橋までオフクロに会いに来たというのですから、オヤジも満更じゃなかったようですよ。
「いや、オレは、ばあちゃんに会いに行ったんじゃない。うどんを食いに行ったんだ」
と、言われてしまえば、それまでですけれどね。
ま、オヤジとオフクロが出会ってくれたお陰で、今、こうして僕が、ここにいるわけです。
そして、僕の子どもたちがいて、孫もいます。
不思議なものですね。過去って。
誰一人が欠けても、“現在” は存在しないのですから。
そして、“未来” も・・・
“麺スケベ” に、感謝!
Posted by 小暮 淳 at 21:37│Comments(0)
│つれづれ