2014年10月31日
ボビーは死んでいた
前橋市内の某ホテルにて、某新聞社主催による祝賀会があり、出席してきました。
パーティーが終わったのは、午後6時半。
このまま帰るには、あまりにも早過ぎます。
正直に言えば、まだ飲み足りません。
と、いうことで、北風吹きすさぶ中、テクテクと夜の街を歩き出しました。
目指すは、我らのたまり場、酒処 『H』 。
かれこれ、半年近く行ってませんでした。
そろそろ顔を出さないと、ママも常連客も、僕のことを忘れてしまう恐れがあります。
「あーーーーっら!」
店のドアを開けると、驚きの声を上げるママ。
「ご無沙汰しています。(1人だけど) いい?」
ニコッと笑って、コックリとうなづくママ。
そして、すでに4人いる客の、真ん中の席を指差しました。
「本当に、やせたわね。テレビで見て、ビックリしたのよ」
「ええ、7キロやせました」
といっても病気をしたわけでも、ダイエットしたわけでもありませんよ。
※(なぜ、やせたかについては、当ブログの2014年9月12日 「逆鱗の功名」 を参照)
やっぱり、いつ来ても、ここの空間は落ち着くのであります。
ママの人柄と料理の味が一番の魅力ですが、二番目は常連客の質の良さでしょうかね。
この日も、画廊経営のBさんや、ママから僕が来ているというメールを受け、すっ飛んできた後輩のS君と、気の置けない話と酒に酔いしれたのであります。
しばらくすると、カウンターの隅に、見かけない顔をありました。
僕だけが知らないのかと思ったら、S君も知らないようです。
聞けば、以前、常連に連れられて一度来たことがあり、今回、「勇気を出して、1人で寄ってみた」 のだと言います。
確かに 『H』 は、一見はもちろん、1人ではなかなか入りづらい店かもしれませんね。
でも2度目なら、彼も今日からは常連の仲間入りです。
「カンパーイ!」 と早くも、お近づきが始まりました。
話してみたら、彼は僕と同い年、同じ学年でした。
しかも、前橋市内の出身。
「オレは一中だけど、どこ?」
と僕が問えば、
「○中です」
「○中か…、○中には、ボビーっていうヤツがいたよな…」
と、ボソリとつぶやいた時です。
「えーーーーっ、ボビーを知っているんですか!」
と大袈裟に驚く彼。
「彼とは小学校から一緒で、中学に行ったら私と同じ野球部に入るわけだったんですよ」
なのに、なぜかボビーは卓球部でした。
僕とは、市内大会の新人戦、準決勝で対戦して、僕が負けたんです。
たった、それだけのことなのに、なぜか、「ボビー」 という名前を覚えていました。
たぶん、ニックネームだと思います。
本名は覚えていません。顔も覚えていません。
「そうそう、ボビーは、いきなり新人戦で優勝したんですよね。驚いたな」
本当は、なんていう名前なのか、今は何をしているのか、別に興味もなかったので、その話題はそのままにしておきました。
すると彼は、
「ボビー、死んだんですよ」
と、ポツリ。
「そう、いつ?」
「18歳のとき。榛名山で事故って」
ボビーは、死んでいました。
それも38年も前に・・・。
知らない人です。
なんの感傷もありません。
でも、なぜだか記憶の奥のほうで、おぼろげに小さい体でラケットを振り回している姿がちらつくのであります。
「ごちそうさま」
午前1時、北風の夜の街を歩き出しました。
♪ボビー、ボビー、あんたの時代は良かった♪
知らずのうちに、そんな替え歌を口ずさんでいました。
Posted by 小暮 淳 at 01:17│Comments(0)
│酔眼日記