2019年05月12日
徳を積む
今日は 「母の日」 です。
つい先日、オフクロを看取った僕にしてみれば、生まれて初めて “母のいない母の日” を過ごすことになりました。
はて、去年までは、どうしていたのだろうか?
記憶をたどると、確か以前は、オフクロの好物の和菓子を買って届けていました。
ところが4~5年前からは、手を抜いて、著書にサインをして手渡すようになりました。
というのも、その頃から本の出版日が5月になったからです。
「何をプレゼントされるよりも、お前の書いた本をもらうのが一番うれしいよ」
意に反して、今までになくオフクロが喜んだものですから、それからというものは毎年 「母の日」 には、著書を贈っていました。
「はい、これ。最新刊だよ」
「あれ、また出したんかい!? 大したものだね。うれしいよ」
もしかしたら僕は、このオフクロの喜ぶ顔が見たくて、毎年毎年、飽きもせず本を書いていたのかもしれません。
そして決まって、いつも、こんな会話になります。
「でもね、かーちゃん。何冊本を書いても、全然お金にならないんだよ」
と愚痴ると、
「何を言ってんだい。お前は、また徳を積んだじゃないか!」
これが、オフクロの決まり文句でした。
「徳を積みなさい」
子どもの頃から何かあると、ふた言目には、そう言われました。
「なんだい、それ?」
「世の中に無駄なことなんてないの。すべて意味があるんだから」
と、僕が人生につまづいたり、失敗したり、いじけたり、くじけたりするたびに、かけられた言葉でした。
“徳を積む” とは、いったいどういうことなのでしょうか?
仏教的には、きっと深い意味があるのでしょうが、僕は昔から勝手に 「目先のことにとらわれずに、人の喜ぶことをする」 と解釈しています。
自分がやったことの対価が、たとえ目に見えるモノで返って来なくとも、どこかで誰かが喜んでいれば、そのことには意義があったのだと……
ま、今となっては、オフクロが、どんな思いで僕に対して、口酸っぱく 「徳を積め」 と言っていたのかは、知るよしもありませんが、今日一日は、在りし日のオフクロを思い出して、今までの恩に感謝したいと思います。
かーちゃん、これからも徳を積めるよう精進しながら生きていきますので、見ててくださいな!
Posted by 小暮 淳 at 12:04│Comments(2)
│つれづれ
この記事へのコメント
業と徳の世界感ですね
生まれてきた目的の業(カルマ)を、一つ一つクリア(魂を磨く)していく作業工程が徳という言葉になっているののでは?
20年前からインド哲学を学んでいる一人のおばさんです
生まれてきた目的の業(カルマ)を、一つ一つクリア(魂を磨く)していく作業工程が徳という言葉になっているののでは?
20年前からインド哲学を学んでいる一人のおばさんです
Posted by ぴー at 2019年05月12日 15:38
ぴーさんへ
ありがとうございます。
インドへは行ったことがあるのですが、哲学は学んでないので、難しいことは分かりませんが、なんとなくニュアンスは伝わりました。
これからも、オフクロが喜びそうな仕事をしていきます。
ありがとうございます。
インドへは行ったことがあるのですが、哲学は学んでないので、難しいことは分かりませんが、なんとなくニュアンスは伝わりました。
これからも、オフクロが喜びそうな仕事をしていきます。
Posted by 小暮 淳 at 2019年05月13日 11:24