2020年03月21日
伝道師の子
<宇宙船ソユーズから見た我が “祖星” 地球は、青く美しいばかりではなかった。緑を失った赤茶けた砂漠も、不気味に点在していたのである──環境保護の市民団体である 「日本野鳥の会」 県支部には、とてもチャーミングなネイチャリング伝道師がいます。> (1990年12月16日付 「あさひぐんま」 より)
オヤジが亡くなったのが昨年の2月20日、オフクロが亡くなったのが5月1日。
2人の命日の間で、彼岸中ということもあり、今日、合同の一周忌を済ませてきました。
子と孫、ひ孫が実家に集まり、坊さんを呼んで法要を行い、その後、全員で墓参りをしました。
桜も咲き出した暖かな陽気の中、霊園では一族の笑い声が、天へ届けとばかりに響き渡りました。
「遺品を整理していたらオヤジの新聞記事がたくさん出できたから、コピーしておいたよ」
アニキが法要の前に、プリントを配りました。
その中の1枚が、冒頭の講演活動の記事でした。
<その人は、前橋市のK町に住まう小暮洋さん、六十六歳で、同支部の啓蒙指導委員長を務めています。環境保護を力強く雄弁に訴える 「語り部」 として、県内各地の小・中学校を回り始めて十五年。その弁舌はすこぶる爽やかで、学校はもとより、幼稚園や図書館、公民館などからラブ・コールしきりの伝道師です。>
記事では、独特のフェイス&ボディーパフォーマンスで熱弁するオヤジの写真を交えながら、講演の様子や自然保護活動をするきっかけとなった出来事を紹介しています。
<小暮さんの自然保護運動の原点は、昭和二十二年のキャサリン台風にある。戦争中に木々を伐採され丸裸になっていた赤城山南面は、極度に保水力を失っていた。荒山高原に降った雨は山津波と化し、大胡の町に押し寄せたのである。街を歩いていた小暮さんは、一瞬にして濁流に呑まれ、必死で建物の鉄格子にしがみついた。泥流の中に沈んだ街、電信柱が縦に回転しながら流れて行く。大胡町だけで百棟が流失し、七十七人の尊い命が奪われた。>
※(詳しくは、当ブログの2013年8月17日 「オヤジ史②キャサリン台風」 参照)
「おじいちゃんって、おとうさんと同じようなことをしていたんだね」
娘たちに言われて、ハッとしました。
「いや、おとうさんが、おじいちゃんの真似をしているんだよ」
親子とは、不思議なものです。
稼業のように、「継げ」 と言われたわけでもないのに、気が付いたらオヤジと同じ年齢の時には、同じように講演活動をしていたのですから……
ただ僕の場合、オヤジのように大それた運動は起こしていませんけれど。
それでもオヤジが心血を注いで守ろうとした自然同様、僕にも1つでも多くの温泉を後世に残したいという気持ちはあります。
そのためには、まず、温泉の魅力を知ってもらうことだと思い、今日まで講演を続けてきました。
蛙の子は蛙。
伝道師の子になれるよう、これからも活動を続けて行きたいと、改めて一周忌に思いました。
Posted by 小暮 淳 at 19:33│Comments(0)
│つれづれ