2020年09月16日
温泉考座 (29) 「消えゆく混浴」
「古湯(ことう)」 と呼ばれ、何百年と湯を守り続けてきた温泉地には、いくつかの共通点があります。
必ず、温泉神社や薬師堂が祀られています。
霊験あらたかな湯に対して、先人たちが畏敬の念を込めて建立したものです。
次に、外湯 (共同湯) があります。
現在のように各旅館に温泉が引かれたのは、戦後になってからのこと。
それ以前は、湯治客は宿から 「大湯」 と呼ばれる共同湯へ入りに行きました。
ですから現在でも外湯が残されている温泉地は、歴史が古く、湯量が豊富な証拠だといえます。
もう一つ、古湯の条件に入れたいのが “混浴” の存在です。
昭和23(1948)年に公衆浴場法が制定されて以降、日本では県条例で不特定多数の成人男女の混浴は、原則として禁止されています。
旅館やホテルの浴場には、この条例は適用されません。
それでも、昔ながらの純粋な混浴風呂は、年々減少の一途をたどっています。
混浴の浴場を持つ宿でも水着や湯浴み着、バスタオルの着用を義務付けたり、女性専用時間帯を設けているところが多くなっています。
また女性客からの要望からか、新たに女性専用風呂を増設する宿も少なくありません。
浴槽を増やすということは、それだけ多くの湯量を必要とします。
そのために、かけ流しをやめて循環式にしてしまう、という本末転倒な事態が起きています。
湯量を増やすために、新たに源泉を掘った温泉地もあります。
では、どうして昔は混浴が一般だったのでしょうか?
その答えは簡単です。
貴重な温泉を大切に利用するために、1つの浴槽を男女で兼用していたからです。
言葉を言い換えれば、“湯の都合” に人間が合わせていたと言えます。
現代社会にあって、“混浴” という入浴スタイルは、馴染めない風習かもしれません。
これからも廃れる一方でしょう。
しかし、その中に湯を大切にする日本文化、先人たちの知恵があったことを、私たち現代人は忘れてはならないと思うのです。
<2013年11月13日付>
Posted by 小暮 淳 at 11:54│Comments(0)
│温泉考座