2020年11月07日
コロナを予知した二人
依然、コロナは収束する様子もなく、猛威をふるっています。
その影響は経済面だけではなく、人々の精神までむしばみ始めています。
たとえば、冠婚葬祭。
結婚披露宴はもとより、授賞式などの数々のイベントは、延期もしくは中止に追い込まれています。
では慶弔の弔は、どうでしょうか?
新聞の 「おくやみ欄」 を見ても、家族葬がほとんどで、しかも <行われた> という過去形の表記が多いことに気づきます。
そういえば僕自身、今年は一度も告別式に会葬していません。
新聞記事で知るだけで、お別れが言えなかった人の多いことが……
それでも他人ならば、あきらめもつきます。
でも、もし、それが実の親だったら?
このコロナ禍で、「看取れない」 人たちが増えているといいます。
親の最期に立ち会えないだけでなく、介護施設などにいた場合は、面会もままなりません。
それは、子としたら悔やんでも悔やみきれません。
誰かに当たりたくても、相手がコロナでは、あきらめるしかありませんものね。
そう思うと、つくづく僕は、昨年旅立った両親に感謝の念を抱くのです。
2月、オヤジは10年間の認知症のすえ、94歳で逝きました。
5月、オフクロは5年間の寝たきり生活のすえ、91歳で逝きました。
丸10年間にわたる長いダブル介護生活でしたが、それでも僕ら兄弟は 「やれるだけのことはやった」 と後悔のない、すがすがしい気持ちで二人を見送ったのであります。
今思えば、二人は、やがて訪れる新型コロナウイルス感染という地球規模の危機を予知していたのかもしれません。
オフクロは若い頃から病弱で、“病気のデパート” とまでいわれた人生でした。
一方、オヤジは生涯、“病気しらず” の健康優良爺です。
死ぬまで、病院には世話になりませんでした。
そんな格差がある二人なのに、オヤジの口癖は 「俺より先に死ぬな」 でした。
大正生まれの頑固親父ですからね。
「女は男を看取るものだ」 という古い考えの持ち主だったのです。
だからオフクロは、頑張りましたよ。
大病をするたび、「自信ないよ。お父さんを見送れないかもしれない」 と、いつも弱音を吐いていました。
そのオフクロが、寝たきりの体になっても生き続け、ついにオヤジを看取ったのです。
※(さすがにドクターストップがかかってしまい、オヤジの葬儀には参列できませんでしたけど)
「かあちゃん、元号が変わるんだよ。知ってるかい?」
「ああ、令和だよね」
それが最後の会話となってしまいましたが、令和元年5月1日を2時間だけ生きてから旅立ちました。
たぶん、無理をして生きていたんでしょうね。
オヤジを見送って、ホッとして、気力が失せてしまったのかもしれません。
でもね、オヤジを見送った後も 「どうせならオリンピックを見てから逝くよ」 なんて言っていたんですよ。
なのに、急に逝ってしまいました。
もしかしたらオフクロは、オリンピックが中止になることを知っていたのかもしれません。
ひと足先に、あの世に行ったオヤジから 「なにをグズグズしている。来年まで生きてもオリンピックはないぞ!」 と告げられたのかも……
もし、オフクロが今年まで生きていて、オリンピックの中止を知って、あわててオヤジのもとへ逝ったとしたら、僕たち家族は、死に目に遭えなかったことでしょうね。
きっと二人は、コロナが蔓延することを知っていたのだと思います。
Posted by 小暮 淳 at 12:11│Comments(0)
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