2020年12月24日
温泉考座 (56) 「牧水と温泉宿(上)」
<湯の宿温泉まで来ると私はひどく身体の疲労を感じた。数日の歩きづめとこの一、二晩の睡眠不足とのためである。其処で二人の青年に別れて、日はまだ高かったが、一人だけ其処の宿屋に泊まる事にした。>
(『みなかみ紀行』より)
大正11(1922)年10月23日。
歌人の若山牧水は、法師温泉の帰り道に湯宿(ゆじゅく)温泉 (みなかみ町) に投宿しています。
著書 『みなかみ紀行』(大正13年) に屋号は記されていませんが、このときの宿屋が明治元(1868)年創業の老舗旅館 「ゆじゅく金田屋」 でした。
「時代でいえば2代目と3代目の頃です。私の曽祖父と祖父が、もてなしたと聞いています。牧水さんが泊まられた部屋は、こちらです」
そう言って5代目主人の岡田洋一さんが、現在は本館から一続きになっている土蔵へ案内してくれました。
上がり框(かまち)の暖簾(のれん)をくぐり、ひんやりとした空気と重厚な白壁に囲まれた急な階段を上がると、床の間の横に座卓が置かれた蔵座敷 「牧水の間」 が残されています。
<一人になると、一層疲労が出て来た。で、一浴後直ちに床を延べて寝てしまった。一時間も眠ったと思う頃、女中が来てあなたは若山という人ではないかと訊く。不思議に思いながらそうだと答えると一枚の名刺を出してこういう人が逢いたいと下に来ているという。>
当時は、まだ宿に内湯のない時代です。
当然、牧水は外湯 (共同湯) へ湯を浴(あ)みに行ったことでしょう。
その後、旅の疲れから早々に床に就きますが、すぐに来客があり起こされます。
宿には、こんなエピソードが残っています。
「その晩は、釣り名人と言われた祖父が釣ったアユの甘みそ焼きに舌鼓を打ったと聞いています。牧水さんはアユがお好きなようで、ペロリと2匹を平らげたそうです」
と、主人が焼きたてのアユを出してくれました。
この料理は 「牧水焼き」 と名付けられ、宿の名物になっています。
香ばしいみそのにおいが食欲をそそる一品です。
さぞかし歌人も、酒がすすんだことでしょう。
<2014年7月2日付>
Posted by 小暮 淳 at 11:28│Comments(0)
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