2021年02月03日
温泉考座 (66) 「災い封じる天狗面」
沢渡温泉 (中之条町) は、建久2(1191)年に開湯したとされ、鎌倉幕府を開いた源頼朝が、浅間山麓でイノシシ狩りをした際に発見したという言い伝えがあります。
「一浴玉の肌」 と呼ばれるアルカリ性のやさしい湯が、酸性度の強い草津のゆただれを癒やす 「なおし湯」 として、明治時代までは草津帰りの浴客でにぎわっていました。
しかし、昭和10(1935)年に水害による山津波が襲い、同20年には山火事から温泉街が全焼するという度重なる災厄に見舞われ、壊滅的な打撃を受けました。
「昔から地元には守り神として天狗の面が祀られていたのですが、子どもがいたずらをして天狗の鼻を折ってしまったらしいんです。だから2度も災いが起きたのではないかと、父は裏山に天狗堂を建てて、また平穏に暮らせるようにと願いを込めて、新たな天狗面を奉納しました」。
そう言って、老舗旅館 「龍鳴館」 の3代目女将、隅谷映子さんが、お堂へと案内してくれました。
隅谷さんの父、都筑重雄さん (故人) は、海軍の航空母艦の乗組員でした。
終戦後は町工場に勤めていたそうですが、ある日、「お天狗様」 と呼ばれる地元の占い師から、「北北西の沢渡へ行け」 と告げられ、昭和24(1949)年に親戚が営んでいた龍鳴館の2代目を継いだといいます。
前身は 「正永(しょうえい)館」 といい、大正時代に歌人の若山牧水が立ち寄っています。
山道を登ること約5分。
温泉街を見下ろす高台に、小さなお堂が建っていました。
昭和56(1981)年に建立して以来、毎年、大火があった4月16日に僧侶を招いて、お天狗様の祭りを行っています。
「温泉と天狗堂を守ることが、私が父から受け継いだ湯守(ゆもり)の仕事です」。
女将は、お堂の中から木彫りの面を取り出しました。
ところが、その天狗の鼻は、途中から白く変色していました。
不思議なことに、いつからか古い面の折れた鼻と同じ所から、色が変わってしまったとのことです。
<2014年10月22日付>
Posted by 小暮 淳 at 12:41│Comments(0)
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