2021年04月01日
温泉考座 (78) 「残った源泉一軒宿(中)」
<母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね? えゝ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、渓谷へ落としたあの麦稈帽子ですよ>
昭和52(1977)年、西条八十の詩の一節を引用した作家、森村誠一のベストセラー小説 『人間の証明』 が映画化され、舞台となった霧積温泉 (安中市) が一躍ブームとなりました。
「当時は、山道が渋滞するほどの混雑だった」 と3代目主人の佐藤敏行さん(故人)。
この霧積温泉の 「金湯館」 も取り残された一軒宿です。
創業は明治17(1884)年。
当時は旅館が5、6軒、別荘が約50棟も立ち並び、信越線が全線開通するまでは避暑地として軽井沢よりも栄えていたといいます。
伊藤博文や勝海舟、幸田露伴、与謝野晶子ら政治家や文人も訪れています。
ところが明治43年、未曾有の悲劇が温泉地を襲いました。
この年の大洪水で、山津波が一帯を襲い、金湯館ただ一軒が難を逃れました。
昭和初期まではランプだけの生活が続き、その後も水車やディーゼルエンジンによる自家発電での営業を続けてきました。
電話と電気が通じたのは、昭和56(1981)年のことです。
霧積温泉は、その昔、碓氷(うすい)温泉 「入之湯(いりのゆ)」 と呼ばれていました。
こんな話が伝わっています。
約800年前のこと。
霧積山中で傷を負った猟犬が水たまりに傷口をつけていたので、不思議に思った猟師が手を入れてみると、これが温泉だったといいます。
犬が発見した温泉として 「犬の湯」 と呼ばれていましたが、いつしか 「入りの湯」 と言われるようになり、現在では、霧の多い場所という意味で 「霧積」 と名を改めています。
代々守り継いできた源泉は約40度とぬるく、炭酸を含んでいるため全身に泡の粒が付くのが特徴。
泡の出る湯は骨の髄まで温まるといわれる通り、湯上りは、いつまでたっても体がポカポカと火照っています。
昭和30年代から主人の親族が1キロ下がった場所で旅館を開業していましたが、平成23(2011)年に廃業。
「金湯館」 は、また一軒宿になってしまいました。
<2015年2月11日付>
Posted by 小暮 淳 at 12:33│Comments(0)
│温泉考座