2021年04月03日
温泉考座 (79) 「残った源泉一軒宿(下)」
1300年以上も昔のこと。
白雉元(650)年、猟師が山中で全身真っ白な鹿に出合い、後を追いかけると突然、姿が消えて、そこから熱湯が湧き出した。
そして湯けむりの中に金色の薬師如来が現れ、「この地に湯を与え、人々の病苦を救い、長寿に効く霊場にしたい」 と告げた──。
これが鹿沢温泉 (嬬恋村) の始まりと伝わります。
ここもまた、取り残された一軒宿の温泉地です。
長野県東御(とうみ)市新張(みはり)から群馬県の地蔵峠を越えて、16キロほどのところにあります。
江戸末期から明治期にかけて置かれた100体の観音像が道の端に延々と並び、鹿沢温泉 「紅葉館」 前の百番観音像で終わります。
この道は 「湯道」 と呼ばれ、観音像は湯治場へ向かう旅人たちの安全祈願と道しるべを兼ねて立てられたものだといいます。
宿の創業は明治2(1869)年。
往時は10軒以上もの旅館があり、大変にぎわっていましたが、大正7(1918)年の大火で全戸が焼失してしまいました。
多くの旅館が再建をあきらめ、数軒は4キロほど下りた場所に引き湯をして、新鹿沢温泉を開きました。
しかし湯元の紅葉館だけは、この地に残り、現在まで湯を守り継いでいます。
源泉は、標高1,530メートルの高地に湧く温泉という意味を持つ 「雲井乃湯」。
湧出地が浴室よりも高い所にあるため、動力を使わずに自然流下によって湯を浴槽まで引き入れています。
泉温は約47度。
湯口に届くまでに2~3度下がるものの、かなり熱めの湯が存分に、かけ流されています。
「湯に手を加えるな、風呂の形を変えるな、と先祖から言われています」
と5代目主人の小林昭貴さん。
平成25(2013)年、老朽化のため本館が建て替えられましたが、浴室と浴槽は昔のまま残されています。
その豊富な湯量からすれば、もっと大きな湯舟や露天風呂を造ってもよさそうなものですが、代々続く湯元の宿として、かたくなに先祖からの教えを守り抜いています。
<2015年2月18日付>
Posted by 小暮 淳 at 13:35│Comments(0)
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