2021年06月29日
本はカッコイイ!
今月から毎日新聞の日曜版 「日曜くらぶ」 に、作家・山田詠美さんの連載小説 『私のことだま漂流記』 が始まりました。
これが、面白い!
決して、山田詠美という作家のファンだったわけではないのですが、読み始めたら引き込まれました。
確か山田さんは、僕と同世代 (たぶん同学年のはず)。
それゆえ、描かれる時代背景や当時の物への価値観というが同じで、共感する場面が多いのです。
というのも、この小説、小説の体は成しているものの、ほぼ自叙伝なんです。
山田さん自身が主人公で、自身の生い立ちから始まり、自身が作家になるまでの歩みを振り返っています。
いかにして作家・山田詠美は、誕生したか?
その波瀾万丈に富んだ紆余曲折の人生劇場が描かれているわけであります。
(挿絵が黒田征太郎さんというのもイカシテます)
先日の日曜日は、連載の第4回でした。
タイトルは、「小説家は格好いい?」。
小説家に憧れ、本に恋していた幼少期の話でした。
<札幌にいた頃、私は、外出時にいつも本を小脇に抱えていた。まだ字も読めないのに、本が “いかす” アクセサリーになると知っていたのである。>
これって、痛いほど分かります!
本が好きな人って、本を読むこと以上に、“本” そのものが好きなんですよね。
僕も子どもの頃、本屋や図書館に行くと、ジャンルに関係なく、表紙や背表紙を見たり、触ったり、時には、匂いまで嗅いだものです。
そして、外出時には、必ず一冊は本をカバンの中に携えていました。
<小説家になった今でも、本を格好良いと思っている。書かれている内容に関してではなく、本という存在自体に対してそう感じるのだ。>
直木賞作家の大先生と同じ目線で語るのは大変おこがましいのですが、僕もライターという物書きの端くれとして、本を書けば書くほど、“本” そのものが愛おしくなるのです。
そして、つくづく本への憧れが、自分をこのような職業へ導いたのだと気づかされました。
山田さんは、さらに、こう続けます。
<それは、紙の本が時代遅れ扱いされる今も変わらない。もちろん、電子書籍の便利さは認めるけれど、そこに書かれているものは、相も変わらず、人間が人間である限り、永遠に変わらずに煩わせられるであろう 「不便」 をテーマにしているのだ。その 「不便」 が、いかに深く描かれているかで、その本の価値は高まるが、ただのオブジェとしてだけでも、私は、小さかった頃と同じように、「本は、いかす」 と思う。>
そうなのだ!
本は、カッコイイのだ!
もう、その一言に尽きるのだ!
読書人口は、ますます減っているといいます。
活字離れは進んでいるのに、“本を書きたい人” は昔より増えていると聞きます。
「本は読まないけど、本を書きたい」
という、おかしな現象です。
でも、これって、“本がカッコイイ” ことを今の人も知っているっていうことですよね?
早く、続きが読みたい!
日曜日が待ち遠しい火曜日であります。
Posted by 小暮 淳 at 13:06│Comments(0)
│つれづれ