2021年07月01日
湯守の女房 (16) 「若かったから何も考えず、夢中になって働けた」
このカテゴリーでは、ブログ開設11周年企画として、2011年2月~2013年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『湯守の女房』(全39話) を不定期に掲載しています。
湯守(ゆもり)とは源泉を守る温泉宿の主人のこと。その湯守を支える女将たちの素顔を紹介します。
※肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
霧積温泉 「金湯館」 (安中市)
国道18号の旧道を碓氷峠の坂道にかかる手前で右に折れ、曲がりくねった県道を車で約30分。
「金湯館(きんとうかん)」 近くまで続く林道の入り口はゲートで閉ざされているため、霧積(きりづみ)温泉のもう一つの宿 「きりづみ館」(※) の前で車を降り、山道を徒歩で上ること約30分。
“秘湯” と呼ぶにふさわしい温泉宿である。
「よく来てくださいました。お待ちしておりました」
と女将の佐藤みどりさんが、笑顔で迎えてくれた。
金湯館の創業は明治17(1884)年。
当時は旅館が5、6軒、別荘が40~50棟立ち並び、9年後の信越線全通までは避暑地として、軽井沢より栄えていたという。
伊藤博文、勝海舟、幸田露伴、与謝野晶子、西条八十ら政治家や文人も多く訪れている。
旧館2階には明治憲法草案がつくられたという部屋が残る。
同43(1910)年の大洪水で、一帯は山津波に襲われ、金湯館以外の建物は泥流にのみ込まれた。
みどりさんは昭和38(1963)年、旧松井田町 (現・安中市) から3代目主人の敏行さん (故人) のもとへ嫁いできた。
前年の夏に宿でアルバイトをしたのが、出会いのきっかけだった。
宿は、まだ水車や自家発電機を使っていた。
電気、電話が通じたのは同56(1981)年のこと。
敏行さんの兄弟ら10人の大家族だった。
男は燃料や薪(まき)を担ぎ、女は洗濯や火鉢の炭おこしに追われた。
「若かったから何も考えず、夢中になって働けた」
20年前に長男の淳さんと結婚した若女将の知美さんが、かたわらでうなずく。
彼女もまた旧松井田町の出身で、金湯館でのアルバイト経験がある。
「自然が豊かだから、子育てには最適」
と言うが、
「インターネット回線が通っていないので、いまだにネット予約ができないんです」
と苦笑する。
<母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?>
昭和52(1977)年、西条八十の詩の一節を引用した森村誠一の推理小説 『人間の証明』 が映画化され、舞台のひとつとなった。
「当時は、山道が渋滞するほど大混雑した」
と、みどりさんは振り返る。
代々守り継いできた源泉は、約40度とぬるい。
炭酸を含んでいるため、体を湯に沈めると途端に、全身が泡の粒におおわれる。
なんとも不思議な浴感だ。
昔から泡の出る湯は、骨の髄まで温まるといわれるが、まさにその通り。
湯上りは、いつまで経ってもポカポカと体が火照っていた。
<2011年11月9日付>
(※) 「きりづみ館」 は廃業しています。
Posted by 小暮 淳 at 17:59│Comments(0)
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