2021年10月14日
湯守の女房 (34) 「お客さまは笑顔で接しない限り、笑顔を返してはくれません」
湯宿温泉 「太陽館」 みなかみ町
かつて三国街道の宿場町だった湯宿(ゆじゅく)温泉は、旅人や湯治客で大変にぎわっていたという。
戦前までは20軒近くの宿があったが、現在は6軒(※)の旅館が共同で源泉を守りながら商いを続けている。
昔から湯量が豊富なことで知られ、旅人たちの疲れた体を “春の日だまりの太陽” のように芯から温めたことから 「太陽館」 と呼ばれたという。
筋肉痛や疲労回復に効果があるとされ、アスリートからも愛されてきた。
太陽館には、マラソンの瀬古利彦氏が早大競走部時代の昭和52(1977)年から毎年、合宿に訪れた。
「中村清監督 (故人) は 『将来、彼は日本を代表する選手になる』 と言っていましたが、そのとおりになりましたよね」
と4代目女将の林せつ子さん。
宿には、瀬古氏から贈られた思い出の品が残っている。
なかでもロス五輪 (1984) への出場時、現地での練習で履いたというシューズは、宝物として大切にしている。
旅館の創業は明治初期。
初代が 「すみよしや」 という屋号で開業した。
「太陽館」 を名乗るようになったのは祖父の代から。
4代目主人の賢一さん (故人) が、兵庫県篠山市出身のせつ子さんと結婚したのは、昭和44(1969)年のこと。
「姉が川場村 (群馬県) の酒蔵当主と結婚したので、酒造りの手伝いに来ているときに知り合ったのよ」
と、馴れ初めを語ってくれた。
一方、若女将の翠(みどり)さんは、千葉県安浦市出身。
短大時代にアルバイトをした浦安市内の料理屋で、板場の修業をしていた5代目主人の正史(まさふみ)さんと出会った。
その後、翠さんは都内で就職。
郷里に戻って旅館を継いだ正史さんと、5年間の交際を経て平成17(2005)年に結婚した。
「それまで群馬県へは一度も来たことがありませんでした。聞いたことがある温泉地は、草津と伊香保だけ」
と笑う。
「接客が好きだから、旅館の仕事は大変だけど苦ではありません」
と、6歳を筆頭に3人の子育てをしながら旅館業を手伝っている。
「私たちは、お客さまの笑顔が何よりの喜びです。でも、お客さまは私たちが笑顔で接しない限り、笑顔を返してはくれません。その点、若女将はお客さまに大変人気があるんですよ」
せつ子さんが、そう言うと、
「いえ、私なんて、まだまだ。常連さんは、みなさん女将に会いに来られますから。でも最近、私に会いに来てくれるお客さんができたんですよ。やっぱり千葉県の人でした」
照れながら見せた若女将の笑顔が、とても印象的だった。
<2012年11月14日付>
※現在は5軒になりました。
Posted by 小暮 淳 at 10:55│Comments(0)
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