2022年01月26日
青っ洟とアップリケ
マイブームは、「昭和あるある」 です。
「あんなことがあった」 「こんなこともあった」 と、同時代に幼少期を過ごした人たちと、昭和の思い出を語り合うのが楽しくて、ついつい足を運んでしまいます。
昨晩も酒処 「H」 は、昭和大好きおじさまとおばさまが、言葉のタイムマシーンに乗って、時間旅行へと出かけました。
今回のテーマは、「貧乏」。
令和の世の中では、“貧しさ=悪い事” のようにとられがちですが、昭和30~40年代は貧乏な家の子が大多数でしたから、貧乏は恥ずかしいことではなかったのです。
だから 「お下がり」 や 「お古」 なんて当たり前でした。
「姉がいたから、私は新しい服なんて買ってもらった記憶がないよ」
「俺なんて、ランドセルが兄貴のお下がりだったもの」
なんていうのは、普通です。
かわいそうだったのは、異性のきょうだいからのお下がりです。
男の子なのに、赤い筆箱やピンクの道具入れを持たされていた子もいましたから。
「服も、ツギハギだらけだったな」
「そうそう、母親に頼んで、アップリケを付けてもらった」
「アップリケなんて、金持ちの子だよ!」
「そうだよ、俺なんてさ、色の違う生地でのツギハギだぜ。かーちゃんに 『恥ずかしいから、同じ布にしてくれ』 って泣いて頼んだ記憶がある」
靴下や服がツギハギなんて、いいほうです。
僕なんて、下着までツギハギでしたもの。
身体検査の日、友だちの前で大恥をかいた、嫌な思い出があります。
「かあちゃん、なんで “おニュー” を出しておいてくれなかったんだよ!」
「ごめんね、今日が身体検査の日だったなんて、忘れていたよ」
なーんてね、オフクロを責めたものでした。
貧乏は、身なりだけと限りません。
昭和の子どもたちの健康面をもむしばんでいました。
「そういえば、みんな服の袖口がテッカテカだったよな」
「そうそう、女子だって冬になるとセーターの袖が、カッピカピだった(笑)」
思えば、みんな冬になると鼻水を垂らしていたんです。
きっと住宅事情が悪くて、家の中が寒かったんでしょうね。
冬になると鼻水が止まらなかった記憶があります。
「水っ洟(ぱな)じゃなくて、青っ洟を垂らしている子っていたよな」
「いたいた!」
若い人は分からんでしょうな。
少し緑がかっていて、ドロッとした粘着力のある鼻水のことです。
低学年の子に多かったような気がします。
それを服の袖でぬぐうものだから、テッカテカやカッピカピを通り越して、ベットベトでした。
これは大人になってから知ったことですが、青っ洟って、タンパク質不足なんですってね。
栄養が足りてなかったということです。
我々は、脱脂粉乳世代ですからね。
※(脱脂粉乳が分からない人は、調べてみてください)
「貧乏だったのに、なんで、あんなに楽しかったんだろう」
「本当だね」
「あの時代に戻りたいとは思わないけど(笑)」
貧乏が笑い話にできるんですから、きっと今が幸せなんですね。
Posted by 小暮 淳 at 11:50│Comments(0)
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