2022年06月24日
ぐんま湯けむり浪漫 (12) 谷川温泉
このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳のぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
谷川温泉 (みなかみ町)
菩薩のお告げにより湧いた温泉
水上温泉郷に点在する8つの温泉地の一つ。
谷川岳の麓にあり、その登山口にあたる。
水上温泉が温泉郷の表玄関とすれば、谷川温泉は奥座敷といえる。
昭和3(1928)年の上越線開通以後、水上温泉は観光地化され、大きな旅館やホテルが増え続けた一方で、山懐に抱かれた静かな谷川温泉は、今でも昔と変わらぬいで湯の風情を残している。
開湯の歴史は古く、約600年前。
こんな伝説がある。
その昔、谷川岳に白光が輝き、虹のように天に映えて美しく彩った。
村人たちは驚いて、この不思議な現象を祈禱師に訊ねたところ、
「冨士浅間大菩薩が山に飛来され、このあたりに福徳をお授けになる前兆である」
と告げた。
それからというもの、谷川の川岸に夜な夜な瑠璃色の光が立つようになった。
ある夜、村人が不思議に思い近寄ってみると、美しい姫が川で身を清めていた。
「これは冨士浅間菩薩の化身では」
と、さらに近づくと姫は消え、岩間から温泉が湧き出した。
この湯を浴(あ)むと、疲れも病もたちどころに癒えたため、村人たちは、
「これは菩薩のお告げだ」
と喜んだ。
そして姫が裾を洗ったら湯に変じたことから 「御裳裾(みもすそ)の湯」 と名付けられたという。
名作を書くきっかけとなった宿
谷川温泉には昔から文人たちが訪れ、多くの作品を世に残している。
大正7(1918)年11月、歌人の若山牧水は伊香保温泉、水上温泉 (旧湯原の湯)、湯檜曾(ゆびそ)温泉とめぐり、谷川温泉に3日間投宿し、29首の歌を詠んだ。
<わがゆくは山の窪なるひとつ路 冬日光りて氷りたる路>
これは湯檜曾温泉から谷川温泉に向かう途中に詠んだ歌で、直筆を拡大した書が、大正2(1913)年創業の老舗旅館 「金盛館」 に展示されている。
太宰治も谷川温泉を愛した文豪である。
昭和11(1936)年8月、川端康成に勧められて、約1ヶ月間、療養のため川久保屋 (廃業) に滞在した。
のちに発表した小説 『姥捨(うばすて)』 では、谷川温泉が舞台となり、旅館の老夫婦が描かれている。
また滞在中に太宰治は、芥川賞の落選を知る。
そのとき執筆した 『創生記』 は、名作 『人間失格』 を書くきっかけとなった作品といわれている。
現在、川久保屋の跡地である 「旅館たにがわ」 の駐車場には、太宰治の記念碑が立ち、毎年命日 (6月19日) には献花がされ、式典が行われている。
また館内にはミニギャラリーがあり、研究者から寄贈された太宰治ゆかりの品々が展示されている。
文人たちが愛した湯につかり、名作を読みふけるのも旅の一興である。
<2018年8月号>
Posted by 小暮 淳 at 11:02│Comments(0)
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