2022年07月14日
ぐんま湯けむり浪漫 (15) 湯宿温泉
このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳のぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
湯宿温泉 (みなかみ町)
真田一族ゆかりのいで湯
かつて三国街道の宿場町だった温泉街には、往時をしのぶ古い町並み残されている。
石畳の小道、白壁の土蔵、黒い板塀……。
そぞろ歩くたびに、古き良き湯治場の風情がよみがえってくる。
湯宿(ゆじゅく)温泉の開湯は1,200年前(平安時代)と伝わる。
仁寿2(852)年、須川村 (現・みなかみ町) の弘須法師が岩穴にこもって、大乗妙典を読誦(どくじゅ)したところ、その功徳により温泉が湧き出したという。
また初代沼田城主の真田信幸が関ケ原の合戦の後、戦の疲れを癒やすために須川の湯 (現在の湯宿温泉) を訪れている。
それをきっかけに、2代目信吉、3代目熊之助、4代目信政らも下屋敷 (別荘) として好んで入浴した。
なかでも最後の城主、5代目信直は持病の痔 (ぢ) に苦しんでいたため、館を構えて湯治に専念した。
見事に根治したため、お礼にと裏山に薬師如来堂を建立して寄進した。
これらのことは、現主人で21代目を数える老舗旅館 「湯本館」 の蔵から見つかった 『湯宿村温泉記録』 という古文書に記載されている。
熱くて清々しい湯宿の湯
<湯の宿温泉まで来ると私はひどく身体の疲労を感じた。数日の歩きづめとこの一、二晩の睡眠不足とのためである。其処(そこ)で二人の青年に別れて、日がまだ高かったが、一人だけ其処の宿屋に泊まる事にした。>
(『みなかみ紀行』 より)
大正11(1922)年10月、歌人の若山牧水は信州から日光までの群馬県を横断する旅をした。
法師温泉 (みなかみ町) の帰り道、湯宿温泉に投宿した牧水は、その晩、主人の釣ったアユの甘みそ焼きに舌鼓を打ち、あまりのおいしさに、おかわりをしたという。
今でも 「ゆじゅく金田屋」 の土蔵には、宿泊した 「牧水の間」 が当時のまま残されている。
漫画家のつげ義春も湯宿温泉を愛した作家の一人である。
<今度また湯宿に来てしまった。これが二度目ではない。もう何度も来ているのだ。何を好んでといわれても答えようがない。ふと思い出すと来てしまうのだ。>
(『上州湯宿温泉の旅』 より)
つげ義春は昭和40~50年代にかけて、たびたび訪れ、いくつかの旅館を泊まり歩いている。
代表作の 『ねじ式』 や 『ゲンセンカン主人』 なども、湯宿温泉が舞台だといわれている。
文人たちが好んだ湯は、良質な硫酸塩温泉。
湯量豊富な5本の源泉は約60度と温度が高いため、加温することもなく、どこの宿でもかけ流しのスタイルを守っている。
地元では 「熱くなけりゃ、湯宿の湯じゃねえ」 と言われるくらい熱いのだが、これが、いったん沈んでしまうとクセになる心地よさ。
清涼感があり、湯上がりは汗をあまりかかずに、よく温まる。
<2018年12月号>
Posted by 小暮 淳 at 11:17│Comments(2)
│湯けむり浪漫
この記事へのコメント
淳さん
今年は牧水100周年です。大正11年10月23日に金田屋さんに投宿。アユのみそ和えを2皿。
今年は周年記念。10月が楽しみです。行事の際にはぜひよろしくお願いいたします。
今年は牧水100周年です。大正11年10月23日に金田屋さんに投宿。アユのみそ和えを2皿。
今年は周年記念。10月が楽しみです。行事の際にはぜひよろしくお願いいたします。
Posted by タカトシ at 2022年07月20日 10:46
タカトシさんへ
これはこれは、観光協会さま。
お世話になっております。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
これはこれは、観光協会さま。
お世話になっております。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
Posted by 小暮 淳
at 2022年07月20日 18:53
