2022年08月13日
ぐんま湯けむり浪漫 (18) 小野上温泉
このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳の ぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
小野上温泉 (渋川市)
草むらに眠っていた湯前薬師石堂
JR吾妻線、小野上温泉駅に降り立つと、背後に奇岩が林立する峰がそびえている。
岩井堂山 (459m) と古城台 (508m) である。
岩井堂山は地元では岩井堂砦(とりで)と呼ばれ、その昔、白井城の関門として支城が置かれていた。
戦国時代、上杉と武田の両勢力が互いに動向を見定める絶好の場所として、激しい奪い合いが繰り返されたという。
一方、古城台は、なだらかな丘陵である。
それでも登山ルートのあちらこちらに奇岩が多く、低山ながら稜線からは榛名山や赤城山、遠く浅間山、草津白根山まで望む、ハイカーに人気の山だ。
そのため、下山後に温泉で汗を流すのを楽しみに訪れる浴客も多い。
駅から吾妻川へ向かい歩くと、キラキラとした水面が出迎えてくれる。
ここは桜の名所でもあり、桜並木の前に全国でも日帰り温泉施設の草分けと称される 「さちのゆ」 がある。
駐車場脇には、薬師如来を祀った湯前薬師石堂があり、こんな一文が添えられている。
<小野上村大字村上字塩川内、国道353号沿いに古来より温泉が湧出し、その泉源地にこの石堂がありました。(中略) 草むらの中に眠らせて置くことは何としても残念なことであるため、小野上村商工会の村おこし事業で移築しました。>
塩川温泉から小野上温泉への変遷
小野上温泉 (渋川市) は、かつては塩川鉱泉といった。
歴史は古く、湯前薬師の石堂には寛文4(1664)年に創建されたことが刻まれている。
昭和初期までにぎわっていたが、戦後になってからは湯量の減少や交通の不便さなど、さまざまな事情から衰退の一途をたどってしまった。
昭和53(1978)年、旧小野上村が新たな源泉を掘削したところ、毎分270リットル、約45度の温泉が湧出。
浴槽と建物を造り、入浴施設をオープンさせた。
宿泊施設のない、大広間で休憩するヘルスセンター方式の温泉は、当時はまだ珍しく、またたく間に評判は広まり、村内外から大勢の人がやって来た。
村は利用客からの要望を受け、より規模の大きい施設を計画し、湯量を得るために新源泉の掘削を行ったところ、毎分550リットル、約50度の温泉が湧出。
同56(1981)年3月、「小野上村温泉センター」 が誕生した。
大露天風呂、カラオケステージ付きの休憩室、食堂や個室までもが設置された。
現在では当たり前の設備だが、当時は全国でも公共の日帰り温泉施設は珍しく、利用客は年間20万人を超える大盛況となった。
これを機に周辺の旅館や民宿にも分湯され、新たな温泉地としての歴史が始まった。
いつしか人々は 「塩川温泉 小野上村温泉センター」 を略して、「小野上温泉」 と呼ぶようになっていた。
その人気のほどは、平成4(1992)年にJR吾妻線、小野上温泉駅が開設されたことでも分かる。
同11(1999)年、源泉名と温泉地名を正式に 「小野上温泉」 と改名。
同20(2008)年には温泉センターが全面改装され、「さちのゆ」 としてリニューアルオープンした。
トロンと肌にまとわり付くアルカリ性の湯は 「美人の湯」 として知られ、現在でも県内外から多くのファンが訪れている。
<2019年4月号>
Posted by 小暮 淳 at 13:58│Comments(0)
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